相模補給廠から集団的自衛権が見える
天津港爆発事故と相模補給廠(しょう)の爆発事故は比較するべくもない規模ですが、安保法制審議の時節がら大きく報道されました。
今日は天津の2回目を予定していましたが、そちらからあたっておきます。
「相模原消防署によりますと、24日午前0時45分、基地の職員から「爆発があって火災が発生したもようだ」という通報が入りました。(略)火災が起きたのは「相模総合補給廠」の敷地内にある倉庫1棟で、「相模総合補給廠」を管理する在日アメリカ陸軍の関係者は消防に対して、「火災が起きた倉庫ではボンベと酸化物を保管していてそれに引火したようだ」と説明したということです。警察などによりますとこれまでにけが人の情報は入っていないということです」(NHK8月24日)
まず爆発した物質からみていきます。時事通信はこう伝えています。(下写真も)
「鎮火の直前、安全を確認した上で、同市と米軍の消防車各1台で現場の燃え残りに放水し消し止めた。現場検証などは米軍が行う。
在日米陸軍司令部によると、爆発があった建物はコンクリート構造の1階建てで、窒素や酸素、フロンなどを圧縮したボンベがあった。窓や戸が損傷したほか、天井の半分が崩れ落ちた。弾薬や放射性物質は保管していない。爆発の原因は調査中」(時事8月24日)
詳しい調査報告を見ないと分かりませんが、どうもフロンガスのボンベのようです。
すぐに心配される方も多いでしょうが、相模補給廠には、危険な武器・弾薬・燃料の類は保管されていません。
燃料は鶴見貯油施設ですし、弾薬は浦郷弾薬庫ですので、可燃性の物質は今回事故があったフロンガスや酸素ボンベなどの民生品でも使用するものにすぎません。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-7e2a.html
上の写真は近年、共産党系の平和委員会が撮ったものですが、搬出しているのは中東向けのキャンプセットとのことです。
そもそも相模補給廠はいまや閑古鳥が鳴くような状況で、敷地の大部分が返還される計画です。
ですから、今の補給廠は保守要員を中心とした施設にすぎず、こんな場所に米軍が危険物を置いておくはずもありません。
むしろ、今回の事故を通して見えてくるのは、相模補給廠の存在と日米同盟が元来持っている集団的自衛権の側面です。
相模補給廠は私が反戦少年だった時には、ベトナム戦争の後方兵站基地でした。兵站というのは、軍事用ロジスティック(物流)のことです。
(写真1972年 戦車搬出阻止闘争。画面上にトレーラーに乗せられてシートを被ったM113装甲兵員輸送車が見える。手前は反対派のテント村)
ベトナム戦争当時は、ここにベトナムで壊れた米軍の戦車や装甲兵員輸送車などを送り込み、修理したうえで、ノースピアから現地に送り返されてました。
ちなみに、修理したのは米兵ではなく、厚木基地の米軍機も同じですが、日本の契約会社です。
さて、今、国会前で騒いでいる皆さん、もう忘れたのでしょうか。あなた方の先輩たちが戦った「相模原戦車輸送阻止闘争」は、集団的自衛権がらみの闘争だったんですよ。
この相模補給廠の果たした役割は、米軍の活動に対する後方支援に当たります。
つまり、既に日本はこの今論議されている米軍の後方支援輸送を、40年以上前から実施していたことになります。
よく、歴代法制局長官がのたまうお決まりの文句に、「日本は憲法9条に従い、集団的自衛権の行使を認めてこなかった」というものがありますが、そんなものは嘘です。
国際社会では通用しない、国内向け詭弁でしかありません。
同じく政府はかつて、 「いや、基地を提供しているだけで、自衛隊は米軍を助ける義務はないですから」と答弁していました。
これも集団的自衛権論議に踏み込みたくない余りの言い逃れです。
なぜなら、日本が果たしてきたのは基地提供に止まらず、現実に後方支援をやってきたし、そもそも集団的自衛権を行使しないのなら、安保条約自体が成立しないのですから。
日米安全保障条約前文には、こうはっきりとこの条約の性格を書き込んでいます。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-ba93.html
■日米安全保障条約 前文
(略)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。(略)
ここで日米両国は、集団的自衛権を有していることを相互に「確認」した上で、両国が「極東における国際平和の維持」のために、この条約を締結したのだ、と言っているのです。
それをなにを今さらと、米国は思っているでしょう。
ですから、日本が米軍に協力してゆくことが「可能である」という前提において日米安全保障条約は成立している以上、これを否定するなら安保条約そのものを廃棄するしかありません。
今、私は「可能である」と書きました。あくまでも米軍に協力することは「可能」なだけなのであって、絶対にせねばならない「義務」ではありません。ここがキモです。
ですから、先ほどの「基地は提供するだけだ。支援を協力する義務はない」というかつての政府答弁は、後半部分はホントです。
よく反対派の皆さんは、これを勝手に「自動的に米国の戦争に巻き込まれる」と拡大解釈しています。
ここから「地球の裏まで米軍についていく」、というトンチンカンな議論が生れてしまっています。
「協力できる」というのと、「協力せねばならない」は本質的にまったく別次元です。
「協力は義務」だという例としてよく登場するのは、ベトナム戦争時の韓国の派兵です。たしかに韓国は米国と軍事同盟を結んで、その要請で派兵しています。
では、米国との安全保障条約をむすんだら最後、なにがナンデモ必ず派兵せねばならなかったのでしょうか。
違います。同じ米国を基軸とした軍事同盟のSEATO(東南アジア条約機構)はバラバラで、豪州、スィリピン、NZなどの加盟国は参加していますが、フランスは派兵を拒否しています。
また米国の燐国であり、NATOや米州機構加盟国のカナダも派兵を拒否しています。
このように軍事同盟を結ぼうと、軍事条約を結んで集団的自衛権を行使していても、結局は各国判断でテンデンバラバラ個別に判断しているのです。
韓国のパク・チョンヒ大統領は、派兵協力による援助が欲しかったから派兵したのですし、カナダやヨーロッパ諸国はそんな遠いアジアの戦争なんかに巻き込まれるのはまっぴらだと思ったから、拒否したわけです。
では、朝鮮戦争はどうかって?あれは「国連軍」です。形式は不完全でしたが、国連軍であった以上、国連憲章に基づいての派兵要請ですから、加盟国は拒否できませんでした。
脱線しますが、国連も集団安全保障の考え方でできています。
世界をひとつの安全保障体制で結ぶというのが、創立理念でした。集団的自衛権を否定する人たちは、日米安保だけではなく、国連も脱退して、世界の孤児になる気なんでしょうか。
それはともかく、各国は「政治判断で」派兵したり、拒否したりしているわけです。
このどこが「自動的に参戦する義務がある」というのですかね。私にはまったく理解できません。
派兵するか、後方支援に協力するかは、是々非々の問題で、その主権国家が独自にそれぞれの立場で判断すべきことにすぎません。
もうひとつよく反対派の皆さんが口にするのはイラク戦争ですが、これも集団的自衛権を認めれば、自動的に米軍と共に中東で戦うハメになると主張しています。
これも事実関係をちゃんと押えていません。
イラク戦争の際も、NATO諸国の足並みが乱れました。独仏ははっきり反対しています。ブッシュ・ジュニアの言う大量破壊兵器の情報が怪しかったからです。
またフランスは、イラクに大量の武器を売っていたり、石油利権とのからみもあったりしたようですが、いずれにしても軍隊の派遣という大変な出血を覚悟せねばならないことに対して、とことん自国民の国益を守りきるべきなのです。
結局、米国について派兵したのは英国だけでした。ブレアはこれで一気に不人気になり、政権を失うことになります。
このように集団的自衛権の国際常識とは、あるとかないとかいう我が国特有の護教神学のテーマではなく、あることを前提にして、各国が自国の利害で判断すべき外交判断にすぎないのです。
というわけで、集団的自衛権に対して、我が国はシカとしてとっくに国際社会の常識の範疇で処理してきたわけです。
相模原と天津なんかを較べるんじゃなくて、相模補給廠の歴史から集団的自衛権の歴史を考えてみるのもいいでしょう。
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これを読んだら国会の中で議論している議員たち、外で反対しているサヨクたちが滑稽にみえます。
投稿: 多摩っこ | 2015年8月25日 (火) 06時16分
>同市と米軍の消防車各1台で現場の燃え残りに放水し消し止めた。現場検証などは米軍が行う。
同市とは、、、「相模原消防署」の事ですよね~。
互いに協力しあって、被害を最小限に食い止めた。
正に、これが、[集団的自衛権」の行使でしょう。
投稿: 義挙人 | 2015年8月25日 (火) 08時37分
自分は、相模原で製造業の技術者を勤める艾年超えの人間で、自衛官であった父を持ち、学生時代から生粋の理系ですが、自分でも「立憲主義」といった言葉ぐらいは知っているつもりです。
その自分が思うに、安保法案に反対している人々は日本の立憲主義崩壊に危機感を抱き、行動をおこしているのではないのでしょうか?
過去もそうですが、政府や官僚は事実を歪め、民衆に嘘をつき、政策を実施してきました。
ベトナム戦争の兵站活動への実質的協力もその一つでしょう。
しかし、逆に言えば、憲法(解釈)で規制していたので、その程度であったとも考えられます。
つまり、今、憲法解釈の変更を認めてしまえば、事実を歪め、民衆に嘘をつくことで、反対している人々の恐れる事が、可能になる危険性があると、考えるのも無理はないと感じます。
立憲主義を守ることを思い、政府や官僚の手法に反対することが、現在、安保法案に反対している人々の主目的と、自分は解していますが、いかがでしょうか。
「日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放置しない。」などの言葉は、知っておりますが、安保法案の内容以前に、立憲主義を歪め、(民主的選挙で選ばれ独裁制になったナチスのような)独裁を可能にする現在の安部内閣手法は、世界に対し、日本人として恥ずべきものと考えますし、そのような前例をつくることが後世に与える影響を、憂います。
本音(行動)とは、建前(法)あって、存在します。建前(法)を軽視した本音(行動)は、無秩序の始まりと思います。
困難であっても、憲法(解釈)を変えたければ、現憲法第96条は第1項に則り、国民投票又は選挙を経て変更をすべきと強く思います。
また、集団的自衛権は第一次世界大戦を引き起こした主原因との見方もあり、もっと慎重に扱わなくてはいけないと思います。そして、明治維新やGHQ支配時代を見ても、「武力=抑止力」だけが正しいとも限りらないと思います。
投稿: 通りすがり | 2015年8月31日 (月) 18時45分
通すがりさん。立憲主義という概念は、議会と王権との対立というヨーロッパの歴史事情から生れました。
王権を掣肘する議会という構図で、今はそれに司法が加わって三権分立という形になっています。
では翻って、日本の憲法はどのようにできたのでしょうか。占領軍の軍事支配下にあった時に、彼らが書き、彼らが自分の都合で日本に「賜った」ものです。
当時「天皇」とまで言われたマッカーサーから「賜った」のです。
言い換えれば、絶対権力者から頂戴したといえます。
絶対権力者から「賜った」にすぎない憲法を、ヨーロッパのように国民が革命で「勝ち取った」憲法と同列には置くのはおかしくはありませんか?
そもそも、軍事占領下での被占領国の政体の変更は、国際法上違法です。
だからこそGHQは、日本政府が自分で作ったというフィクションを定説にさせたのです。
しかも彼らとて、これは軍事占領下のみの限定的なものだと自覚していました。
よもや半世紀以上も「不磨の大典」として鎮座するとはおもわなかったようです。
このような戦後憲法を、ヨーロッパのいう立憲主義、すなわち「議会による王権の掣肘の道具としての憲法」という図式にあてはめていいのでしょうか。
無理です。
歴史事情が異なる日本において、立憲主義一般で、今の状況を裁断するには無理がありすぎます。
よく反対派は「個別的自衛権でやっていける」と言いますが、集団的自衛権は、世界のスタンダードな安全保障方式です。
同じ敗戦国のドイツなどは個別的自衛権は単独で開戦に踏み切れるとして禁止されており、集団的自衛権、すなわちNATOの一員としての自衛権しか認められていません。
第1次背簡易大戦を集団的自衛権の危険性の例証にするには、あまりに1世紀前と現在では状況が違いすぎます。
改憲すればいいとおっしゃいますが、このていどの安保法制の改訂でもこれだけのマスヒステリー現象を起こす国です。
こんな改憲議論をしただけで、戦争愛好者のように言う人たちから、改憲してみろというのをひんぱんに聞くと、彼らの本心が透けて見えます。
おそらくまともな議論は成立しないでしょう。
つまり、改憲アレルギーを見越して、「さぁやってみろ。できまい」というだけの話にすぎません。
投稿: 管理人 | 2015年9月 1日 (火) 05時42分