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2015年8月11日 (火)

労働力を呼んだつもりだったのに、来たのは人間だった

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70年談話がどうのという話題で持ちきりです。 

私は余り関心がありません。マスコミが「侵略」という文言があったのなかったの、「お詫び」があったのなかったのと、マスコミがうるさく言っているのを聞くと、さっさと見聞きするのを止めてしまいます。 

なんで70年2世代以上に渡って、いまだこんなことを節目節目にやらにゃいかんのか、私には理解できません。

じゃあ今度は、80周年、90周年,果ては百周年の2045年にもまた大騒ぎするんでしょうか。 

やれやれ、くだらねぇ。 中韓と日本の左翼以外、誰がそんなことに関心があるのでしょうね(ため息)。

「謝罪」(Apology)を求めているのはこの連中だけです。かつての日本が闘った主敵の米国すら謝罪など求めていません。それは、この米国議会演説で分ったことでしょうに。

戦争を語りたいのなら、「なぜ戦争するはめになったのか」、あるいは「なぜ負けることになったのか」を検証せねば、その原因と結果が百年たってもわかりません。 

そこがわからなければ、吉田茂が緊急避難で作った賞味期限つき戦後憲法の歴史的立ち位置がわからずに、安易な憲法の物神崇拝で終わってしまいます。 

物神崇拝って、しょせん人間が作ったモノでしかないものを、神からの預言の如く崇める行為のことです。

ほら、よく国会前にたくさんたむろしている人たちに見かけるでしょう。9条という法的ツールを、まるで道徳的徳目と勘違いしています。

9条持っていれば、他国よりエライんかって。9条なくしたら、戦争が始まるのかって、常識で考えろって。ああいかん、素になってしまいそう(笑)。

071400(写真 「戦争をさせない」って、あんたら自分を守る戦争もできないの。あ、いかん、素で答えてしまった。。許す許さないって、こういう情緒的言い方がイヤダ。もっとクールになって下さい。無理か)

この戦争になった経緯については、別に検証します。前に一度中国がらみでやりかけたままほったらかしになっていて、気になっていました。 

閑話休題。 今日のテーマは移民でした。

大戦は、様々な後遺症を残します。ひとつの世代が丸ごといなくなってしまったり、日独のように負けでもすれば、民族の芯が折れてしまったような精神状態が70年間放置され続けたりします。 

ドイツは日本と似たような大敗を喫したために、似たようなプロセスで戦争をしたと思われていますが、まったく違います。 

ですから、その戦後のあり方もまったく違いました。対照的と言っていいほどです。 

ドイツ人は日本人をどこかでフンっと軽蔑しているところがあるようですが、日本人もまた彼らの小うるさい説教にうんざりしています。 

お前は、あたしのナンなんだつうの。

それは、民族性まで遡らずとも、戦後のあり方が大きく違ったからです。 

そもそもヒトラーという狂人が日本にはいなかった違い、戦後、分裂国家を経験するかしないかの違い、天皇という国家・民族の統合の象徴が存在したのかしなかったのかの違い、そしてこの移民問題があったかどうかの違いでした。 

いまや、この移民問題は単なる社会的エポックではなく、ドイツ病の大きな原因になってしまっています。 

Img_2(写真 いまや立派なモスクもたくさんある)

当初、移民は「ガストアルバイター」と呼ばれていました。いい響きですね。ガストはファミレスの名前にもあるようにゲストのことで、「お客さん」くらいの意味です。 

アルバイターはいいですね。労働者のことです。別に日本のようなアルバイトの意味はありませんから、「お客さん労働者」でした。 

いかに当初は、貴重な存在だったか判ります。それは、大戦でドイツの若い労働者が大量に死んでしまったからです。 

民間250万、軍人280万、合わせて530万人もの犠牲者を出したドイツは、戦後復興で直ちに困ったのが、労働者の不足でした。 

戦災で焼けた都市を再建するにしても、誰が重いコンクリート袋を運び、誰が鉄筋を組み立てるのか、かんじんな働き手が消えてしまったのです。 

それに対しては、とりあえず、東欧の旧プロシャ領からの大量の引揚者たちが、初期の移民になりました。 

この人たちの大変な苦労は、日本の満州引揚者と重なるもので、筆舌に尽くしがたいものだったといわれています。 

移民というのはちょっと変ですね。同じドイツ語をしゃべるドイツ人ですから。 

さて、、次の労働者不足は、60年代の本格的復興期になって発生しました。 

これも日本とそっくりですが、日本が「金の卵」と呼ばれた農村からの若年労働者で凌いだのに対して、ドイツはトルコに目をつけました。 

トルコは戦前からドイツとのつながりが深かったのもあった上に、ドイツはナチスの極端な人種差別政策をした反動がありました。 

ヒトラーがしたユダヤ人に対するホロコーストや、有色人種に対する差別に対する反省から、いきなり正反対の「異民族・異宗教との共生」みたいなお題目に飛び乗ってしまったのです。 

このへんの観念的振り幅が大きいのが、ドイツ人の困ったところというか、面白いところです。

他人の国の原発事故で、自分が脱原発をしてしまう国が、ドイツです。 事故報告も出揃わないうちに先走るなよ、と思います。

日本人はウダウダと煮え切らないまま進み、意志決定しないままとんてもない状況になり、気がついたらどえらいことになってい、今度はブチ切れて大喧嘩を始めるたというパターンですからね。

Blog_import_52505b2c4094f(写真 ドイツ移民三世のメスト・エジル選手。最近はどうしてもバルセロナに勝てないレアル・マドリッドで活躍する。ドイツ国籍をもつゆえドイツ代表チームのメンバーである)

それはさておき、その結果、1960年代にドイツに大量のゲストアルバイターが流入しました。 

トルコも、先進国のドイツで技術を学んで、帰って来て母国のために役立ててほしいと思って送り出しました。 

つまり、ドイツは単純労働者が欲しく、トルコは技術教育をしてほしかったのです。この思惑の違いが、最初のボタンの掛け違いでした。 

当時のトルコは、第1次大戦で大帝国の崩壊を経験し、その後の近代化の産みの苦しみもあって、第2次大戦は懲りて中立を保ったものの経済的に大変に苦しい状況でした。

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ですから積極的に多くの有為な青年たちを送り出したのですが、待っていたのは大工場のつまらない仕事か、重労働、街のゴミ集めなどの汚れ仕事でした。

それでもまだ足りず、ドイツはなおもトルコからのゲストアルバイターを要求しますが、その時には、もうトルコ側も農村出身の出稼ぎが中心となっていました。

この制度が始まった当座は、トルコ側もドイツ側も、帰って来ることが前提でしたがそうはイカのなんとかでした。

というのは、ドイツに渡ったトルコ人の多くは、ドイツの手厚い医療制度、社会保障制度や教育に魅せられてしまったからです。

そして、移民同士の男女が当然のこととして仲良くなり、結婚し、子供が産まれるというオメデタが日常茶飯事になっていきました。

赤児はフギャフギャ泣き、やがて小学校にでも通うようになってしまったら、帰れというほうが残酷です。

仕事だって、十年以上働けばベテランになり、それなりの地位についていきます。こうなったら、もう帰りたくても帰れません。

そして、同郷のトルコ人は自然と近くに住むようになり、彼らのための商店ができ、モスクが生れ、そして小規模なコロニー(入植地)が出来上がっていくようになります。

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そこに行けば、トルコ語だけで用が足り、ハラール(イスラム教の宗教的食)が買え、モスクで礼拝できるようになります。

そして、彼らの中からリーダーが生れ、政治的組織すら誕生していくことになります。

このように幸福を求めたい、根づいていいいい家庭を作りたい、子供を立派に育てたい、この人間としての根源的要求は、どんどんと大きく拡がり、ドイツに根づいていったのです。

一方、根づかれた方のドイツ人からすれば、予想せざる事態でした。そのへんのドイツ人の有名な嘆き節があります。

「労働力を呼んだつもりだったのに、来たのは人間だった」

かくして、70年代までにドイツ政府はトルコ人に対する帰国を促すさまざまなプロジェクトを実施したにもかかわらず、ものの見事にすべて失敗しました。

●[ドイツのご教訓]
安易な労働者移民はかならず失敗する。移民を単なる労働力で考えてはいけない。あくまで人間である。人間は、家庭を持ち、増えていき、コロニーを形成していくものだからだ。

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コメント

移民の受け入れについては、勉強不足の為、ハッキリとこれが正解だとは、いいきれませんが、日本は断固として受け入れ拒否すべきです。あとで後悔しても先たたずです。ヨーロッパやカナダを見ても移民政策は失敗ですし、唯一の成功例はシンガポールぐらいですか これから日本が少子化で労働者不足の場合は、 外国人研修制度の強化しかないと思っています。結構いい制度 なんだけどネット見ると不評みたいですね。
後、法律を少し緩くしてやれば 建築関係や介護職も短期間の外国人労働でいけると思いますがどうなんでしょう。
90年代のイラン パキスタンビザ免除で治安悪化し移民はダメだと思ってる人も結構いるのではないでしょうか

元本部町民さん。コメントありがとうございます。
沖縄にも民主党がどんどん外国から入れろと言っていましたね。
シンガポールはそのうち触れますが、たとえばメイドで入って、妊娠したら直ちに国外退去だからです。
こういうまねは先進国にはできません。人道上の問題になります。
シンガポールは、先進国と発展途上国の顔を巧妙に使い分けています。

元本部町民さん。

外国人研修生制度が上手く行ってるとは、私には思えないです。現実は技術習得どころかただの安い労働力確保になっているのではないかと。ごく一部の例外でしょうが、凄惨な殺人事件が起きたりしてますし。

一方で、例えば現在業績絶好調のスバルなどは90年代初頭に受け入れたブラジル人に現場が支えられています。実際はあくまで下請けとブローカーの存在が劣悪な労働環境を生んでいるようです。
私は以前たまたま大田市に何度か行ったことがありますが、当時は自動車不況でしたからもう浮浪者ばかりの街でした。国道50号沿いには子供には見せられないような風俗系の巨大な看板ばかり。
はま

元本部町民さん。

外国人研修生制度が上手く行ってるとは、どうにも私には思えないです。現実は技術習得どころかただの安い労働力確保になっているのではないかと。ごく一部の例外でしょうが、凄惨な殺人事件が起きたりしてますし。

一方で、例えば現在業績絶好調のスバルなどは90年代初頭に受け入れたブラジル人に現場が支えられています(あの頃って新聞に入ってくる求人広告も破格待遇でしたね。短期でさえトヨタ系で残業込みで月50万以上保証に寮費無料、さらに引っ越し見舞金30万とかでした)。実際はあくまで下請けとブローカーの存在が劣悪な労働環境を生んでいるようです。
私は以前たまたま大田市に何度か行ったことがありますが、その頃にはは自動車不況でしたからもう言葉の通じない浮浪者ばかりの街でした。国道50号沿いには子供には見せられないような風俗系の巨大な看板ばかり。
現在の浜松市等も似たような状況でしょう。

といって、どうするんだ?と言われても答えられないのがもどかしいのですが…。

管理人さん。また途中送信やってしまったようで(どうも調子が悪い)すいません。削除できれば御願いします。

サッカーの観点から語ると例えば98年のW杯でフランスが優勝出来たのは移民政策のおかげな部分はありますね、あのジダンはアルジェリアからの移民でしたからね
極端な話日本代表がホントにW杯ベスト4を成し遂げるには移民による補強がなければ実現不可能です

山形さん
かなり誤解がありますよ。まず例えばA国とします、働きたい、稼ぎたいけど仕事がない
逆に安く雇いたい、仕事は沢山あるが日本人は、見向きもしない、それでがっつり会うのが外国人研修制度ですよ。まず日本側のルールとして三ヶ月の日本語教育、衣食住無料、こずかい有り、帰国時にボーナスも含めの一括給料払いです。(無駄遣いしない為)もう25年ぐらい前の話ですが、実習生のスリランカ人がいました。年齢は50手前、研修制度は三回目とか言ってました。 日本人の半分以下の給料ですが スリランカの月収の5倍以上って言ってました。だから国に帰ればもう働かないって言ってましたよ。
単純作業で結構じゃないですか 牡蠣の養殖、農業の収穫、酪農 工場の仕事、単純作業かもしれませんが、国に帰れば大金貰えて子供学校に通わせ、家買えて まだ80年前の東北地方は金無くて子供売ってた歴史があるでしょ 沖縄も似た様なもんです。
この制度で助かってる国の人いっぱいいるんですけどねー。
批判の文章でわないですので気にせず読んでください(笑)。

私も元本部町民さんと似た意見ですね。

研修生制度は、あんがいまともに運営されています。わが茨城は、外国人研修生がもっとも多い県のひとつですが、かつては山形さんが言っていたようなこともあったものの、いまは絶えて聞きません。

かつては最低賃金も守られていない時期もありましたが、いまはしっかりと守られているようです。そうでないと、斡旋されません。

日本においては、農業現場での人手不足は深刻なので、外国人労働者(研修生)なしでは、考えられない状況です。
問題は、しっかりと契約期間がきたら帰ってもらうという仕組みを維持することです。

これが崩れたり、初めから長期雇用契約を前提とすると、ドイツになります。

アウターヘブンさん。サッカー代表の外国人はいまでも帰化すればありえましたし、セレソンは国籍保持者でなければなれません。

そもそもサッカー選手は高度で特殊な技能の持ち主ですから、私が問題としている移民問題の外です。

整理しましょう。問題なのは、長期の定住を前提とするような長期雇用契約、あるいは文字どおりの移民であって、短期の研修生制度でもなく、あるいは高度の特殊技能を持つ外国人ではありません。

研修生制度で期間限定の労働力確保、これがうまく回り続ければと私も思います。農業漁業は一旦帰しやすい業種ですね。土木工事や介護は制度をくぐり抜けて渡り歩けやすそうで危険を感じます。上記のスリランカ人のようなケースは理想的ですね。
これはトルコ人から聞いた話ですが、ムスリムも緩いトルコやモロッコなどではお祈りよりも急ぎの暮らしを優先して良い事になってるそうです。
夜にまとめて5回祈ったり、週末にまとめたり、果てはリタイヤ後にまとめる気で先送り老後にモスクでガンガン?祈るのは有りなんだそうです。
道路いっぱいに祈ってる人々は今時間があるって事で。お酒も飲むし。トルコの奥地から出てきた人々は伝統的なムスリムですが狂信的ではなく穏健です。

多人種、他民族国家の元祖(?)であるアメリカでも人種問題は深刻なようですね。
先日のファーガソンの件をみても、つくづくそう思います。

元本部町民さん。管理人さん。

スバルの下請けの件はつい最近の報道だったんですが…。
まあ、私がマスコミを鵜呑みにしてたかも。
また、近年も農業・漁業での殺人事件が報じられていますが、これもごくごく一部なんでしょうね。大きく取り上げられるだけで。
いずれにせよ、多角的に広い視野で見ないとダメってことですね。。

また移民問題なのに短期研修生の話に矮小化してしまってすいません。


ふゆみさん。いつもありがとう。
今日も続けようと思ったのですが、いったん移民問題は中断します。ごめんなさい。

やはり、いま、時期的に再稼働や、戦争問題について書いておかなくてはなりません。
機会を見て再開をお約束します。

明日結論部分だけ、記事にします。

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