移民問題は「国」を考えるいい材料だ
渡辺美樹氏が、安易にシンガポールの移民政策を見習えみたいなことを言っています。※https://www.facebook.com/photo.php?fbid=234153540042255
「日本は超・少子高齢化を迎え労働人口が減少します。
アメリカもシンガポールも移民政策で繁栄してきました。ちなみにシンガポールは移民の受け入れによって治安は悪化していません。
私は移民の受け入れを提案します。昨年、シンガポールの政府高官と会談した時自分の国の「成長戦略」 を誇らしげに語っていたのが印象的でした。私は、日本の政治家も、日本の官僚も、そして日本の国民も本気になれば、 まだまだ「成長」を描けると信じています」
困った人だな、あの人。少子化と成長とは関係ありません。少子化はデフレの原因ではありませんし、移民が成長戦略になるんなら、そんな「成長」は止めたほうががましです。
経済人の一部によくある、自分の企業の利益と国益をゴッチャにしているんじゃないですか。
国といってもシンガポールのような都市国家と、1億2千万人の我が国では、自ずと受け入れる数量が違うのです。
またシンガポールは、たとえば出稼ぎでメイドにきているフィリピン女性が妊娠すれば、直ちに本国送還にしてしまいます。
シンガポールは狭い都市国家ですから、ドイツのように結婚して家庭を持ち、そこでエスニック・コロニーを作られることを極度に警戒しているのです。
移民によって治安が悪化しないっていうのも、犯罪の温床になりがちのエスニック・コロニーを作られていないからです。
これは国際社会の中でもシンガポールのほうが逆に特別です。
これが先進国の顔をしながら、場合によっては「開発独裁」の対応もできるシンガポールと、常に国際的な人権意識が問われる日本のような先進国との違いなのです。
ついでに言っておけば、米国やオーストラリアのような、そもそも移民国家もモデルにしないでください。
彼らはその長い移民受け入れの歴史から来る分厚いノウハウの蓄積があります。
正式移民受け入れによってできるのは、日本人労働者の下にできる下層移民労働者階層です。
彼ら外国人労働者は、日本人より長い労働時間と、より劣悪な労働条件、そしていつクビになるかわからない不安定な雇用環境にさらされるでしょう。
渡辺氏などが言うと、ワタミでなにをさせたいのか、わかりすぎるだけにその下心にうんざりします。
これが、現行の研修生制度と決定的に違うところです。研修生制度は、雇用者に最低賃金と時間外労働の支払いを義務づけ、期間中の移動やオーバースティ(不法滞在)を厳しく禁じています。
これが歯止めになって、研修生制度は、内実は同じ外国人労働者の限定的受け入れですが、トラブルが比較的少なく済んでいます。
正式受け入れは、日本の労働市場にそのまま外国人労働者を投げ込むことです。
外国人労働者の一部は帰国するでしょうが、その大部分は日本に残って家族を作り、やがて群馬県の日系ブラジル人のようなコロニーを各地で作るようになります。
たとえば、ひとつの古い団地やマンションが、そのまま外国人労働者のコロニーに変貌していくのです。
彼らは当然ですが人間です。人間はよりよい生活と未来を得ようとします。
ドイツと並んで移民が多いフランスの移民について、このような記述があります。
「自動車工場の移民ろうと鵜者が求めるのは<未来>なのである。
彼らの70%は、すでに10年以上フランスで働いている。その間ずっと単能工だった。職制上、最下位の身分である。
かつての外国人労働者は何年か働けば帰国したものだった。長年働くものは、あとから来る新人層に押し上げられて身分も少しずつ上がった。イタリア人、スペイン人はいわば良き時代の移民であった。
石油危機以降、新たな移民の受け入れは中止された。上位には上がれない。永遠の下積みはもうたくさんだ、という声がつき上げている」(林瑞枝『フランスの異邦人』)
(図 パリの移民街※http://www.seinan-gu.ac.jp/gp/french_trip/2012/2635/)
そしてフランスがとったのは、外国人移民の「隔離政策」でした。
たとえば林氏の前掲書によれば、70年代にかけて北アフリカ系の移民は、一定の隔離された地域に移るように命じられました。
そこはパリのセーヌ河と高速道路や鉄道にはされまれた、湿気の多い泥地を埋め立てた劣悪な住環境の場所だったそうです。
このようなことを「自由・博愛・平等」のフランスができてしまうのは、外国人労働者の受け入れの建前が、あくまでも一時的出稼ぎと位置づけているからです。
しかし、この泥地の隔離地でも、どっこい外国人労働者の多くは、母国に二度と帰らずに、二世三世が誕生していきます。
彼らはいくら働いても最下層から抜け出すことができない身分に怒りを感じ、まるで祭のように定期的暴動を起こすようになります。
そして近年は、この中から多数のホームグローンテロリスト(国内出身テロリスト)が誕生したことは、記憶に新しいことです。
では、日本においてこのような多文化が混在するようになった時の、国家の統合原理は一体なんでしょうか。
いままで、わが国は、明治維新、大戦と二回にわたって分裂の危機に際して天皇が統合の基軸になりました。
では、移民という形で内部に異民族を抱え込んだ場合は、いかなることになるでしょうか。
社会的混乱、犯罪率の増加などはいうまでもないので、割愛します。もうひとつ必ずでてくるであろう傾向があります。
それは、他国になく日本独特の症状としての日の丸・君が代反対運動と、天皇に対する毀損行為です。
また容易に想像がつくのは、移民の母国文化を尊重しろ、彼らの母国言語や文化を公立学校で教えろ、バイリンガルにするべきだ、という多元文化共生の声が一部で高まることです。
おそらく、朝日あたりは、「国旗・国歌法を再考する時期にきたのではないか。現状に合わせて新たな国旗・国歌を国民主権で選ぶべきなのではないだろうか」といった上目線にして、無内容な社説に書くでしょう。
事実、すでに大阪や横浜などでは日教組によって公立学校で韓国語とのバイリンガルが実施されようとしたことがあります。
※「学校と他文化共生社会」http://www.kisc.meiji.ac.jp/~yamawaki/vision/school.htm
私は排外主義になる気はまったくありませんが、しかし、このような安易な多文化共生運動には疑問を持ちます。
このように、日本が正式移民受け入れによって多文化社会になった場合、国家統合の象徴としての「天皇」や国旗・国歌の意味が再び問われることになるでしょう。
天皇は私たち日本人にとって、理屈ぬきの守るべき文化の根源に触れる存在ですが、異民族にとっては「ただの王様」にすぎません。
国旗・国歌などは、「日本人だけの旗にすぎない」などと主張する多文化共生主義者も生れてくるでしょう。
このように、<移民受け入れ推進-多文化共生-日の丸君が代反対>というのは、バラバラにあるのではなく、一本の日本国家解体の流れの上にある考え方なのです。
戦争と植民地に対する反省を説く前に、一度「国」というものを真面目に考えてみたらどうかと私は思っています。
移民問題は、「国」を考える上で、いいケーススタディとなるでしょう。
最後は駆け足になってしまいましたが、このテーマはまたじっくり論じてみたいと思っています。
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駆け足なんてとんでもない、熟読いたしました。
国という枠組みをこえて世界とか人類とか〜と花を咲かせる時に自国のルーツをこき下ろす必要ないのだけど、しますね朝日新聞とか。
多文化共生しなくても異文化を尊重してれば十分国際化しているのに。
「日本人って誰の事?日系アメリカ人の◯◯ちゃんは日本人?日本に住んでるジョン君は何人?
どうやったらその国の人になれるの?国民の証拠って何?」
子供達から何度も聞かれ、その度に齢に合う理解度の説明を強いられて、私も昔よりは国や国民とは何かを考えるようになりました。
投稿: ふゆみ | 2015年8月14日 (金) 00時36分
ふゆみさん。そのとおりだと思います。異文化の中に暮らしておられたあなただから、逆にご理解されています。
異文化や他宗教は尊重されるべきですが、それと多文化共生という設計主義的な考えとはまったく別です。
国家というのは単なるバスケットではありません。様々なものを盛りつけを楽しむものではないし、トッピングを楽しむものでもありません。
長い歴史を持ち、長い時間軸の中で父祖たちが育て上げてきた大樹のようなものです。
今後も子孫に、これを私たちは手渡していかねばならない義務があります。
ゆっくりとそのへんを考えていきたいものです。
投稿: 管理人 | 2015年8月14日 (金) 02時04分