土曜雑感 日の丸は国をまじめに考えていることのシンボルにすぎない
このところ出来るだけコメントに、お答えするようにしています。
私の場合、記事だけで十分長いもので、正直、記事だけで力尽きていたんですが、コメント欄でのやりとりの楽しさは、また別格ですね。
大いに勉強させていただいております。
さて、でもいささか困ったのが、自分の知見ならぬ、ただの意見を延々と貼り付けてくるものです。
なにを勘違いしているのか、「活動報告」と称して、頼んでもいないのに「君が代すわろーず」なんてしゃもないもんを貼り付けてくる馬鹿もいます。
こんな調子です。
・・・君も「君が代すわろうず」に入らへんか?(笑)日の丸の不掲揚や君が代の不起立と不斉唱を貫いとる愛国者の諸君! おきばんなはれ・・・
だそうで・・・、脱力感。勝手にやりなはれ、アホちゃうか。
この男、なに勘違いしてわざわざ甲子園行ってんだか。高校野球を政治主張の場にするなって。
あ、いかん素で答えてしまった。せっかく朝日新聞社御公認で君が代歌えるっていうのにさ(笑)。
私はこういうバーチャルな連中が苦手です。悪い意味で「若い」。
世界中に、戦争反対や、反政府デモはあまたありますが、実は国旗とデモは「出会いもの」なんです。
なぜなら、「オレたちのほうが、政府よりまじめに国の行く末を考えているぞ」という印が、国旗だからです。
だから国旗を先頭に反政府デモをするのが、グローバル・リベラルの定番です。
そういえば、先日、日本の国会前デモをテレビで見ていたカナダの留学生が、「あれ、日本のデモって国旗が一本もないよねぇ」、と不思議がっていましたっけね。
では、昨今騒がしいギリシャをみてみましょう。この人たちのかなりの部分は急進左派連合の支持者のはずですが、こうです。
最近クーデターがあったり、ISの浸透が噂されるエジプトのデモの様子です。これは反モルシ派ですが、実はモルシ派も見た目は国旗ばかりなので一緒です。
次にタイでも見てみますか。これは軍部に無理矢理に退陣させられたインラック首相反対デモですが、逆の陣営のデモも国旗が先頭というところは,まったく一緒です。
タイは紛らわしいので、Tシャツの色で区別しています。
次はフランスでも見てみますか。これは、シャルリへのテロに対する抗議デモの写真です。
銅像の上のニイちゃんがもっているのはエンピツ。言論の自由を守れと叫んでいるのでしょう。
日本で、日の丸振り回したら、応援団か在特会かって言われそうなのが哀しいですが、フランスでは楽しいにつけ、哀しいにつけ、そして怒る時はもちろん、三色旗です。
え、それは、戦勝国だからだろうって。戦争で負けて反省している国は国旗を納戸にしまいこんで、お日様に当てないだろうって。ずっと日陰者で右翼のシンボルだろうって。
さぁどうかな。
では、同じシャルリに対するドイツにおける連帯デモを見てみましょう。これもドイツ国旗が溢れています。
もうくたびれてきたから、米国は略しますね。米国人の星条旗フェチは有名ですからね。バンツにまで星条旗だもんな。
中国と韓国もいいよね。ウルトラ・ナショナリズムだから。
韓国の場合は、むしろこんなかんじ(苦笑)。燃える韓国は、隣国の国旗を平気で燃やします。
もちろん、国際常識からすればそうとうにストレンジで、アグリーで、ピティフルで、ステューピッドな風景です。(気の毒なんであえて横文字にしました)
(写真 毎度おなじみ日の丸の火刑式。ISなみの野蛮さだ。逆に在特会あたりが、太極旗を焼いたら、大騒ぎするだろう。自分がやられて不愉快なことは他人にするなって、習わなかった)
とまぁ、ご覧になったように国旗は世界的には、戦勝国、敗戦国の違いはなく、自分が母国をいかに真剣に考えているのか、はたまた愛しているのかということの素朴な象徴でした。
まぁだから、韓国みたいに隣国の国旗を燃やすってことは、相手の大事にしているシンボルを燃やしてやるゾ、ざまぁみろというわけですから、本来は大変に肝の座った挑発行為なわけです。
ギリシャ人がトルコ国旗を、こんなに年中行事で燃やしたら、トルコ軍が爆撃に来ますよ。だから、隣の因縁がある国の国旗を焼くというのは、大変なことなのです。
日本人は、国旗の意味を学校で習ってこなかったし、韓国人はどうも歪んで習ったみたいですから、ある意味「平和」でよかったね。
ひと昔前のヨーロッパでこれやったら、開戦事由になりえますが、韓国は日常的にせっせと日の丸・旭日旗の焼却作業に勤しんでいるために、日本人のほうにも侮辱耐性菌が出来てしまいました。
まぁ、それもそれで情けないけどさ(笑)。
日本の場合、戦後左翼の人たちが、ひたすら教室で教えてきたのが、国旗は「侵略の象徴」だとか、「軍国主義のシンボル」だという政治的意味付与でした。
(写真 日教組のジジババによる世界記憶遺産のような日の丸・君が代反対闘争。この人たちの老後の楽しみを奪っては気の毒だとして、地裁は訴訟ジジババに勝たしてしまった)
私たちの世代は、小学校の時からみっちり仕込まれましたっけ。だから今でも、むしろ60以上の年寄りのほうが、日の丸アレルギー患者が大勢います。
私の子供の頃は、小学校のセンセが優しく、「いいですか、皆んな。日の丸の赤はアジアの人の血の色。白は骨の色なんですよ。わかりましたねぇ」なんて教えてくれたもんです(ホントの話)。
だもんで、この世代は、韓国人と一緒でナチスのハーケンクロイツと同一視する人すらいます。あれは党旗、こっちは昔からの国旗。ぜんぜん違うだろうって。
なんせもう、幼い頃にインプリンティングされちゃったもんで、脳味噌で考えるより先に、生理的に受け付けないってタイプが大勢います。
しかもそれが、ジジババばかりだから困ったもんです。
マスコミも、日教組のセンセたちが、式典で国歌斉唱の時に、座ったの座らないの、歌ったの歌わないのと、まるで一大事のように騒いでいました。
まったく、どうでもいいのになぁ~(棒)。死ぬまでやってなさい。9条と一緒で、もう半ば宗教の領域なんだから。
やれやれ、日の丸は大宝律令の頃から、日本の国旗として使われていた慣習があるのだよ。どうして、近代の、それも日本の誤った戦争ばかり切り取るのかね。
(写真 日の丸を掲げる幕府海軍の咸臨丸。日本は、古代からほぼ一貫して日の丸を国旗として使用してきた。近代の「侵略戦争」とはなんの関係もない)
別に国旗のために戦争をしたわけではなく、戦争という行為は戦争それ自体として分析評価すべきであるのは、わかりきったことです。
日の丸の旗は、戦わねばならない戦争の時にも兵士を鼓舞したし、やってはならない戦の時にも翻っていました。
それはどこの国も同じです。どこの国にでも戦争にたなびかなかった国旗など世界に皆無です。
その戦争が正しかったか、間違っていたか、あるいは勝ったか負けたかは、まったく別次元の問題なのです。
第一、負けるたびに国旗替えてどうするんだつうの。
見ねばなならないのは、その戦争のほんとうの姿であって、旗に罪はありません。リベラルもコンサバも関係ありません。右も左もないんです。あたりまえじゃないですか。
どうしてうちの国は、こういう世界常識が通用しないんだろう。
こういう日本の幼稚な国旗に対する迷信は、いいかげん馬鹿馬鹿しいから止めましょうよ。
こういう連中につきあっていると、どんどんと自分も暗黒面ならぬ、馬鹿面にころがり落ちそうでイヤダ。
« 広島・長崎「原爆投下」 これを戦争犯罪と呼ばなければ何をそう呼ぶのか? | トップページ | 日曜写真館 終わりの向日葵 »
コメント
« 広島・長崎「原爆投下」 これを戦争犯罪と呼ばなければ何をそう呼ぶのか? | トップページ | 日曜写真館 終わりの向日葵 »
日本国民として、日の丸が焼かれたり破かれたりするのを見て、何も感じない国民が少なかれいる事態 残念です。私の幼少時の復帰前には、祝日に日の丸を掲揚する家庭が かなりあった記憶があります。教育がいかに大事か、反日を教育する隣国と国歌、国旗を悪と教育する日本。日の丸 君が代(愛国心)=戦争?
学校で、国歌を教えて無いですよね。
投稿: 宜野湾市民 | 2015年8月 8日 (土) 09時08分
いつも記事興味深く拝読しています。
海外で子供を日本人学校に通わせていましたが、少なくともアメリカとドイツの日本人学校では行事の度に日米や日独の国旗に向かって国歌斉唱しクレームを出す日本人はいませんでした。
歌わない方が変に思われる、って住むと肌で皆理解できるようでした。
ドイツは戦争を悔いて国歌はインストルメンタルなのだとの学校側の説明でドイツ国歌は伴奏のみでしたが、、、先のワールドカップではメルケルも大声で歌ってましたね(;^_^A
驚いてローカルの人に聞いたところ、10年ほど前からドイツ人も歌っていいだろ歌おうぜ、って事になったそうです。歌わない人は移民で歌詞を覚えてないんだって。歌わない人を非難する人も居ないところがアジアより冷静だなと思いました。
それはナチに全部被せたからだよという意見がありそうですが、国家=マジョリティーの民族
という定義でなく=国籍・国民
という定義がしっかり確認されている事が現代では大事なのではと感じます。
投稿: ふゆみ | 2015年8月 8日 (土) 09時44分
君が代、学校に入ってすぐ校歌と一緒に教わりました。
歌詞の意味も言ってたけど理解するには幼過ぎる、まぁ幸せなことにアカかぶれの担任には巡り会わなかった。
中学生の頃は自衛官の息子たちと君が代や軍歌を歌いながら帰宅してた、振り返ると変な中学生。
オリンピックや世界大会などで君が代のメロディが流れると条件反射で背筋を伸ばし歌ってしまう。
血と骨の話にはびっくりしました、日の丸を五星紅旗に変えたい?
国旗や国歌を忌み嫌うのは自由だが押しつけないで欲しい。
投稿: 多摩っこ | 2015年8月 8日 (土) 12時09分
そういえば、ウチも含めてですが最近は祝日に日の丸を掲げる言えがめっきり減りましたね。
我が家も、じいちゃんが生きてた頃はいつも掲揚してましたね。
ちなみに、白黒の棒と先の金ピカの玉って、外国人が見るとかなり変というか滑稽らしいそうです。
投稿: 山形 | 2015年8月 8日 (土) 12時56分
ふゆみさん。ドイツからありがとうございます。肌で知る海外事情は大変に参考になりました。
私の意見は1回アップいたしましたが、増補して月曜日に記事にします。
山口さん。FTもはもちろん日本語版です(汗)。日本語版にアップされない場合だけ、泣きながら翻訳する程度です。日経系列になれば、もっと見られるんでしょうね。
山形さん。ものの本によれば、あの金の球は明治以降らしいですが、神武天皇の東征神話の中の、熊野で矢先に止まり先導役をしたとされる「八咫烏」、または、その時の光線を模しているということみたいです。
ちなみに白黒のポールは、明治5年に、新橋-横浜間に鉄道が開通した時、横浜市で大量に国旗を用意する必要が出て、測量に使ったポールで代用したのが始まりだそうです。
両方とも別に国が定めたわけではありません。
私は球もダンダラもない、シンプルなほうが好きですがね。
投稿: 管理人 | 2015年8月 9日 (日) 04時24分