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2015年8月 7日 (金)

広島・長崎「原爆投下」 これを戦争犯罪と呼ばなければ何をそう呼ぶのか?

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米国には歴史修正主義(ヒストリカル・リビジョニズム/historical revisionism)という言い方があって、第2次大戦の戦勝国の言い分と異なった認識を示すと、「こら、リビジョニストめ!」とバッシングされるのがおちだそうです。 

このリビジョニストという概念は、ドイツのユダヤ人虐殺問題を否定するドイツ国内の論調に対して使用されたのが初めです。

そして今や、どんどんとその幅を拡げて、戦勝国史観を批判しようものなら、たちどころに「このリビジョニストめ」という罵声が飛んで来ます。

もちろん、ホロコーストを否定することはいかがなものかと思いますが、慰安婦のような根も葉もないプロパガンダや、広島・長崎に対する核攻撃を批判することすら、同列のリビジョニスト扱いです。 

あくまでも正史には、「米軍は本土決戦による100万人戦死を予防するために原爆投下を決断した」と、まるで人道上の判断で核攻撃したかのような言い方です。

しかし、この原爆投下計画(マンハッタン計画)は、すでに1943年(昭和18年)5月5日に決定されています。

時期としては、ガダルカナルからの撤退、山本五十六長官の戦死、アッツ島で日本軍が全滅の頃です。本土決戦はおろか、まだ勝負の行方はわからなかった時期です。

『資料 マンハッタン計画』1943年5月5日付け資料135「軍事政策委員会政策会議」にはこう記録されています。

「最初の爆弾の投下地点について意見が交わされたが、最適の投下地点はトラック港に集結している日本艦隊であろうというのが大方の意見のようであった。スタイアー将軍が東京を挙げた。 (中略)
日本人が選ばれたのは、彼らが、ドイツ人と比較して、この爆弾から知識を得る公算は少ないと見られるからである」

すなわち、戦争の中盤頃から既に、米国は核攻撃の意志をもち、それを実行に移していたのです。 

しかもこの米国の記録から分るように、当初には、東京が攻撃目標に上げられていました。

東京が原爆投下の目標にならなかったのは、都市部が完璧に通常爆撃で焼き尽くされて廃墟と化していたからにすぎません。

また日本人は、「この(核)爆弾からドイツ人より知識を得ることが少ないから」だそうです。ありがたくて涙が出ます。

このように原爆開発は、まったく本土決戦とは関係のない、米国人の戦略的都合にすぎません。

0c6d8ea485e84112b9dff01c587fc07b_xl(写真 広島の原爆によるキノコ雲。)

ただし米国は,落とすことには積極的でしたが、どこに具体的に落すかについては、大いに悩んだようです。

実は京都は最後まで広島と攻撃対象を争った都市でした。 

『資料』はこう語ります。 

「京都―この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、現在では、多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある」  

京都は、「知的レベルが高い」から、核攻撃の意味を正しく理解するだろうということのようです。なんとふざけた言い分か! 

これを戦後日本人は、米国が歴史都市京都を救った美談ストーリーのように語り伝えています。その余りの日本人の人の良さに愕然とします。

また多くの教科書は広島が、「軍都」であることが重要な投下理油だったと書いています。

これは、戦後リベラル派の常套句で、まるで広島か軍都だったからこんな目にあったんだ、みんな軍国主義が悪いんだ」という理由付けに使われました。 

『資料』は、広島についてもこう冷厳に投下候補になった理由を書いています。 

「広島―ここは、陸軍の重要補給基地であり、また、都市工業地域の中心に位置する物資積み出し港である。広島はレーダーの格好の目標であり、広い範囲にわたって損害を与えることのできる程度の広さの都市である。隣接して丘陵地があり、それが、爆風被害をかなり大きくする集束作用を生むであろう。川があるので、焼夷弾の目標としては適当ではない」

ここで米国が重視しているのは、軍事的な理由ではなく、むしろその爆撃効果がはっきりと掴める地形的理であったことです。
 

つまり、米国はこう「悩んだ」のです。 

「日本人は、知的レベルが低いから、ドイツ人のようにこの原爆の価値をみやぶって、自分も作る科学力はないだろう。
だから、米国の意志を教えるために、「知的レベル」が高く日本人が貴重に思っている京都に投下するのもいいだろう。政治的に効果はもっとも高い。
一方広島は、丘陵に囲まれ、一方が海に開けているので、核兵器の集束効果が期待できて、今後の核開発に役に立つ」
 

事実、戦後直ちにこの結果を知るべく、米国は大規模な米国戦略爆撃調査団( USSBS)を、広島、長崎に送り込み精力的な調査に当たらせました。

もちろん人命救助ではありません。その核の効果を早く知りたかったのです。彼らは膨大な報告書を作成しています。 

この報告書は、ソ連との冷戦期の戦略構築に大きく貢献しました。
http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/USB.php 

Photo

さて、上の写真を御覧ください。Google Earthによるものですが、広島は海に面して三方を山によって塞がれている地形だとお分かりいただけると思います。

これに原爆の爆撃効果の図を重ねてみます。

P0854

このような地形は、もうひとつの被爆地・長崎にも共通していますが、核爆弾の数十万気圧の超高圧と、数万度に達する超高温、そして風速280メートルもの爆風を効果的にするにはうってつけの地形でした。 

鍋の中で爆発させるほうが、広い場所でするよりも効果が高められると計算したのです。 

また、市街地範囲が直径3マイル(約4.8㎞)以上あることも条件でした。この規模ならば市民の人口が30万人ていどに及び、殺傷力の測定が容易になるからです。  

5月11日の第2回投下目標検討会議で、このような条件を持っていた京都、広島、横浜、小倉、新潟、長崎、京都などが挙げられ、これらの都市は広島が第一目標となるまで空襲が差し控えられました。  

空襲してしまうと、核兵器の威力が測定できなくなるからです。 

広島の空襲禁止指示は5月28日に出されています。  

さて、私はさきほどから、「核攻撃」という表現をしました。英訳すれば、nucleophilic attackですが、「原爆投下」をatomic bombing と訳せば、そのものズバリの「核爆撃」です。

しかし、an atomic bomb was dropped on・・・、として動詞として使えば、その目的語まで指定せねばなりません。

Atomic_cloud_over_nagasaki_from_koy
(写真 長崎市への核攻撃された瞬間)

その目的語はいうまでもなく、Hiroshima  citizenです。しかも、もっと厳密に言えば、非武装市民demilitarization citizenです。

したがって、全文を英訳すればこうなります。
The United States nucleus atacked demilitarization citizens in Hiroshima,Nagasaki.

14_1120_rememb_07(写真 原爆投下の当日、やけどと負傷にあえぐ被爆者。学童や女子学生の無惨な姿が痛ましい。1945年8月6日午前11時ごろ、爆心地から2.2キロの千田町三丁目御幸橋西詰撮影松重美人氏=広島平和記念資料館の展示物より)  

このことをはっきりさせないで、言葉をあいまいに「原爆投下」というふうにスリ替えています。すり替えたのは、他ならぬ私たち日本人自身です。

まるで天災にでもあったように!

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これはあの有名な「過ちはくりかえしません。安らかに眠って下さい」、という平和公園石碑の文句にもつながる重大な自己欺瞞です。

小野田氏はルバング島から帰還して、平和公園を訪れた時、この石碑を見てこう尋ねたそうです。

「これは米国が書いたものか」

戦後、保守側は、米国の庇護によって冷戦期を泳ぎ渡ろうとし、一方リベラル側もすべてを日本軍国主義の責任にしたかったために、その思惑の一致から、米国の戦争犯罪に対する追及がはずされ、まるで日本民族を襲った天災か、自業自得のように「修正」されたのです。

そしてその思惑は、米国の罪悪を帳消しにしてくれるために、日米合作の「歴史修正」となったのです。

1945年8月6日午前8時15分、広島市島病院上空580メートルで炸裂した原爆から照射されたガンマ線、中性子線を中心とする高エネルギーの放射線は、直下の人々の頭上に降り注ぎました。

TNT換算で15キロトンでした。 

その結果、当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約半数に当たる9万から16万6千人が被爆後2カ月から4カ月以内に死亡したとされています。

この米国の核攻撃による死亡者は、5年後に広島、長崎を合わせて34万人にも登ります。その9割以上が、非戦闘員の女性と子供を含む一般市民でした。

これはまがうことなく、人類が犯した最大の戦争犯罪です。

ではなぜ、この広島に原爆が投下されたのでしょうか。もちろん韓国中央日報キム・ジン記者が傲岸に言うように「神の懲罰」や、「日本が侵略行為の報いを受けた」わけではありません。

1945年(昭和20)年6月の検討会議で、原爆の使用については、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で投下すべきだと決定されました。  

この会議では開発に携わった科学者の一部から無警告の原爆投下に反対する発言が相次ぎましたが、結局押し切られてしまいました。  

後に、これに関わった多くの科学者は終生、良心の咎めを受け続けることになります。  

実際、当時の我が国には継戦能力はほとんど失われており、政府、軍部内にも和平を模索する動きが強くなってきていました。 

軍事的に見ても、まったく広島・長崎への2発の核攻撃は不要なものだったのです。  

もし軍事的な攻撃目標が必要ならば、広島の近隣にある呉軍港を標的にすればいいのであって、非戦闘員が大部分を占める都市に対しての核攻撃にはいかなる正当性も見いだせません。  

とくに、核攻撃の対象候補とされた都市は、正確にその効果を測定するかめに通常爆撃が控えられました。

百歩譲って軍事的圧力により日本を降伏に追い込みたいのならば、後にさんざん核実験をしたような無人島で実験してみせればいいのです。それだけで、当時の日本政府は降伏を決意したでしょう。  

米国は、大戦の後にくるであろう対ソ戦に備えて核兵器の実戦データを欲していました。ユタ砂漠などの実験では威力が読みきれなかったからです。

露悪的に言えば、人体実験データが必要だったのです。 

ですから、現実に人が大勢住む都市で、無警告に落としてみる「必要」があったのです。

広島・長崎合わせて約34万人の犠牲者(5年後)は、生きながらにして人体実験に供せられたのです。

私はこの「広島原爆投下」を、正確に<広島大虐殺>、Hiroshima genocide(ヒロシマ・ジェノサイド)と呼ぶべきだと考えます。

今回、ケネディ大使の式典参列と、彼女の尽力による国務次官の参列を私は素直に評価します。

もう70年もたっているのです。互いに、歴史に敬虔に向き合うべきには十分な時間です。

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コメント

トルーマン回顧録。
6万人の都市住民の被害より、25万の将兵の命を優先したとか書いてますが、あのオッサンは広島の人口すらしらなかったのか、ボケてから書いたのか…すぐに分かることなのに。
だいたい威力を誇示するだけなら、無人島なり東京湾の沖合いにでも落として見せつければいいだけ。都市攻撃に使用したのは明らかに人体実験。

一方の日本も、当然ながら原爆研究はしてましたが、お約束のセクショナリズムで乏しいリソースを海軍~理研(遠心分離法)と陸軍~京大(熱拡散法)で分けあって…どうにもならず、遠心分離でも100年かかるってんで43年に中止してます。国力に差がありすぎました。

アメリカが原爆を広島に落とした必然性が理解出来ました。
焼夷弾の殺傷効果の薄い三角州地帯でも威力を発揮できることを証明し、結果論としては対ソ連の抑止力の一環として作用した、というところですね。
素人考えですが、ヴォルガ川河口にでも落とされたらソ連は飢え死にしそうです。

日本の立場からは最悪の戦争犯罪という点は同意ですが。
東西冷戦においてどう作用したかも気になります。
もし原爆投下が無かったら、東西陣営の境界線はもっと西側寄りに追い込まれていたのかも?
それとも、ベトナム戦争でも投入されていないのだから、使えない超兵器と見切られていたのかも?
素人ですみません。

プーさん。まず通常戦力だと、もっと西側にソ連圏が拡大していた可能性ですね。ありえるでしょうね。
ただし、それもいわゆる「if]なんです。それと戦中、終戦直後まで、米ソはなんと蜜月なのです。なんせルーズベルトが大の親ソ反日でしたからね。
おかしくなり始めたのは、しまったソ連にダマされたと、米国が思うようになった1950年代の初めの頃です。

ソ連は核開発分野で直ちに米国に追随し、弾道ミサイル分野では、一時的に米国を凌駕して、世界帝国になる意志を米国に示しました。

その追い追われつのミサイル競争の時代を背景にして、先日お話した朝鮮戦争は起きています。
結果として、米ソのいわゆる代理戦争の形になりました。
多少形は違いますがベトナム戦争も似たところがあります。
つまり、「広島ジェノサイド」が作ってしまった核兵器による恐怖の均衡によって、米ソの直接対決は舞台を失ったのです。これが冷戦期の終了まで続いた国際関係の基本形です。

この恐怖の核均衡は、その名を「相互確証破壊」、略称をMADと呼びますが、その名のとおり狂気です。
今の国際社会は、よくも悪しくも、この核の恐怖の均衡によって平和を維持しています。それが冷厳たる事実です。
今でも互いに衰えたといえども米露が、全面戦争になりにくいのもそのためです。

しかし、いったん超絶的破壊力によって大国間のバランスが作られると、もはや逆にそれを廃絶するわけにはいかなくなりました。
というのは、それをなくしてしまうと、既にそれを保有していて絶対に手放すことがない国や勢力が国際社会で傍若無人のことを仕出かすからです。

たとえば、それは北朝鮮であり、さらに問題なのはいまだ核を増強し続けている唯一の大国・中国です。
さちには、たぶん戦術小型核兵器を持つと思われるテロリストグループの存在です。

今の国際社会のテーマは、バランスをくずさずにどうやって核軍縮していくのか、使用する可能性がある独裁者からどうやってこの危険なオモチャを取り上げるか、どうやってテロリストへの核の流出を防ぐのかなどがリアルな課題なのです。
近々詳述します。たぶん。

やりきれない話ですが、広島・長崎の核兵器使用が地方
中核都市の大半の一般市民を大虐殺してしまうという
結果を世界じゅうに拡散し、その後の核の抑止力になり
ました。一般人が大勢黒コゲ焼にされて殺されるなんて、
フツーの人なら身の毛もよだちます。

当時の原爆投下の理由は、米国にも色々あったはず
で、一番はスターリンへ「ウチは実戦投入したゾ」、二番
は「もう戦力を消耗したくない、ケリをつけるゾ」で
あったと私は想像します。もう冷戦は始まっていた。

あとは米作家K.V流に言えば(卑怯な)敵対国の異教徒
の「黄色いチビ猿共」がどうなろうが知ったこっちゃ
ない、ので米国の好きなようにしただけです。日本は
戦争継続力を失くしたので攻撃を手加減しろ、となる
ハズもなく、全力で息の根を止められたのです。戦力
0は「もう私をどうにでもしちゃって」に同意です。反撃
できない敵なんて、ロマンPのヒロイン同然です。

それで、私は日本も核を持つべきだと思うし、最低で
も米国の傘の下にいるべきだし、自衛権すべてを行使
できるようにしておくべきだと思う。逆説的ですけど。
でも、何かしら100%スッキリしません・・

>近々詳述します。たぶん。
たぶん、だなんて冷たい事言わないで、ぜひ考察を進
めて下さいませ。

戦勝国史観ですが、同じ戦勝国でもBBCは下記のように原爆の正当性を疑問視する記事を書いています。
当事者のアメリカとイギリスでは認識が違うのでしょうか。

"The 'sanitised narrative' of Hiroshima's atomic bombing"
http://www.bbc.com/news/world-asia-33754931

記事の中で、「原爆が戦争を終わらせるために必要だったというストーリーは、戦後になってアメリカの指導者たちが自分たちのしたことを正当化するために作ったものである」と述べています。

HN書き忘れました。すみません。

山口さん。いいご指摘です。米英は一枚岩ではありません。英国は戦前から日本となんとか第2次日英同盟をむすぼうと努力してきましたし、戦後も本来は「連合軍」総司令部なのにもかかわらず、米国の一元支配、いやマッカサーのひとり支配になっていることに極めて警戒感をもっていました。
特に軍事占領期間中に、占領国の憲法を勝手に作るような過度な政治介入について、英国は抗議しているはずです。

原爆投下に関しても、戦後秩序の構築の上で極めて重要なことにも関わらず、事前に英国にはなんの相談もなかったはずです。
というか、トルーマンですら副大統領の時は知らなかったのですが。

というわけで、英国は、対日政策について米国の方針を内心不快に思っていたことはありえることです。

このように米国が犯した広島ジェノサイドの本土決戦の回避という建前について、旧戦勝国の間でも認識が別れるようなです。

逆に、わが国のほうがいつまでたっても、無意味な「世界人類の悲劇」といった戦後認識から離れられないようです。今年の慰霊式典のマスコミ報道もそれ一色でしたしね。

アホンダラさん。メチャクチャにおもしろい例えでした。大笑いしました。


大統領も米兵の多くもC級戦犯ですよね

管理人さん
なるほど、そういった背景があるのですね。
勉強になります。

BBCをチェックし始めたのは最近ですが、自分の今までの英国のイメージとは違う視点があって興味深いです。
慰安婦問題にしても、
「韓国や中国が慰安婦問題を政治的に利用してきたことは事実である」
「1930年代、40年代の日本、韓国、中国では貧しい家庭の娘が売春所に売られることは珍しくはなかった」
などと、おっ、意外と分かってくれてるのかなと思う部分が散見されます。
その反面、その後で、
「だからといって日本が犯した罪が正当化されるわけではない」
「最近の日本では安倍首相を始め、歴史を修正する動きが拡がっている」
などと続いていて、なんだ、分かってないのかと思ってみたり・・・

山口さん。キザで申し訳ありませんが、私も参考にしているのはロイターやフィナンシャルタイムズです。
ギリシャの時も圧倒的にそうでしたし、ウクライナもそうでした。
常に分厚い歴史にささえられた分析力をかんじます。
なんといっても、その突き放した客観性ですね。これらは、日本のメディアにないものです。

そして皮肉なユーモア。

そうそう山口さんがおっしゃるように、日本には米国にまけないくらい辛口です。
NYタイムズみたいに、朝日していないだけましですので、まぁ、それもよしかなと。

書き忘れていましたが、英国は東南アジアでの地上戦で日本と戦ったばかりではなく、終戦直前には日本に空母を派遣して、なんと日本を空襲しています。
ですから、日本の当時の状況について、そうとうに詳しい情報を持っていたと思われます。それもあって、米国の言い分に対して、ウソコケという気分にもなっているでしょうね。

フィナンシャルタイムズですか。
格式が高いですね。

私の場合はただ単に英語学習を兼ねて、目についた記事を拾い読みしているだけなので知識は浅いです。
なぜBBCなのかというと、無料のコンテンツが非常に充実しているからです。
ニュースはもちろん英語教育プログラムも、なぜタダでこんなに充実しているんだろうと思いくらい充実していますね。
”BBC learning English”のおかげで私のリスニング能力は飛躍的に向上し、BBCニュースもある程度聞き取れるようになりました。
BBCの世界戦略にハメられてるだけなのかもしれませんが(笑)

確かに日本において核攻撃という言葉が使われないのは不思議ですね
投下と攻撃では全く意味合いが変わりますし 
これも自虐史観を持ち続けてきた日本人たるものなのかと

今頃読ませていただいています。
藤井厳喜氏のYouTubeのコメント欄に、
こちらのHPアドレスがありました。

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