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2015年9月 3日 (木)

え、第1次大戦は集団的自衛権が引き起こしたって?

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今日は、この通りすがりさんの前半部分の一節を考えてみましょう。 

「集団的自衛権は第一次世界大戦を引き起こした主原因との見方もあり、もっと慎重に扱わなくてはいけないと思います」 

ないよ。どこで仕入れたんですか、こんなデマ。

この方が真面目だというのは伝わってくるのですが、不幸にも反対派のプロパガンダを自分で検証しないで、丸呑みしてしまっています。 

この方は反対派特有の、どうして戦争が不幸にも起きてしまったのか、そこまで遡って考えようとしていません。 

ですから、安直な情報に飛びついてしまっています。戦争のケーススタディをしっかりやらねば原因が分からず、原因がわからねば反対も賛成もありません。

さてこの方は、去年100周年を迎えた第1次大戦について、それが集団的自衛権が起こしたと言っているのですが、当時「集団的自衛権」という概念そのものがありませんでした。 

第1次大戦を考える前に、「集団的自衛権」の「集団的」ってなんでしょうか? 

もちろんそれは「国家間の集まり」を指します。多くの国が、戦争を防ぐために協力し合っているシステムのことです。 

実は、この考え方が生れたのは、第1次大戦の後なのです。国連の前身である国際連盟が考え出した新しい戦争予防のための仕組みです。 

それまで、戦争はそれぞれの国の固有の権利だと思われていました。長年、欧州では戦争が絶えず、常にどこかでドンパチやっていました。 

そして1914年、人類史上かつてない大戦争が起きました。第1次世界大戦です。

Wwimontage(写真 第1次大戦 ウイキペディアより)

この結果、実に5千500万の人が犠牲になっています。これは、以後の第2次大戦まで含んだすべての戦争犠牲者数を上回るものです。 

では、この大戦争がなぜ起きたのかといえば、分からないと答えるのがもっとも正直な答えかもしれません。 

歴史家はいくつもの仮説を出していますが、定説とまで言えるものはないようです。

ただし、「集団的自衛権が大戦の主原因という見方」は、寡聞にして存在しないようです。 

そりゃそうでしょう。集団的自衛権の概念自体、この大戦争の後にできた新しい概念だからです。 原因になりたくてもなれません。

第1次大戦以前の、列強の離合集散的「同盟」を、現代の集団的自衛権と勘違いしているにすぎないのです。、

いや、3B政策と3C政策との間の戦争だったんだ、という俗説があります。 

3B政策とは、ドイツが、ベルリン-ビザンチン(コンスタンチノープル)-バクダッドの線で進出することに対して、英国がケープタウン-カイロ-カルカッタの線で進出したので、戦争になったというものです。 

三国同盟vs三国協商といった説明もここから出ています。しかしこれとセルビアで皇太子を暗殺した一弾とどう関係があるのでしょう。

Ofranzferdinandworldwarfacebook(写真 1914年、サラエボ事件。逮捕される暗殺者。彼の背後にはセルビア軍の秘密結社があったとされる)

そもそも先ほど述べましたが、ここでいう三国ナンジャラと、今のNATOのような集団的安全保障体制とは、本質的にまったく別物です。

では、大戦の勃発の経過を簡単にふり返っておきましょう。 もっとも有力な説を紹介します。

皇太子を殺されたオーストリアは、当然、激怒しましたが、セルビアに対してすぐさま軍事行動をとるつもりはなく、ドイツの支援やセルビアの背後にいると見られていたロシアの動きを探っていました。 

ここでもし、オーストリアがただちにセルビアに単独で報復攻撃をしたなら、第1次大戦は起きなかっただろうといわれています。 

しかし、オーストリアはウンウンと悩みます。ハッキリ言って、ロシアが出て来た場合、勝算がなかったからです。 

一方、ロシアは当然オーストリアがドイツと共に戦争を仕掛けてくると予想して、総動員体制を発令します。 

では、ロシアが本気でやる気だったのかと言えばノーです。やらないとスラブ圏の盟主としてのメンツがたたないと思ったからイチビッただけでした。 

言い忘れましたが、セルビアがあるバルカン半島は、今なお「欧州の火薬庫」と呼ばれています。 

それは、ドイツを盟主とするゲルマン系の勢力と、ロシアを盟主とするスラブ系の瀬力のちょうど真ん中に位置しているからです。 

この二大勢力が腕相撲をしているバルカン半島での一発が、ロシアを総動員命令に走らせたのです。 

このロシアの総動員に敏感に反応した国がありました。それがゲルマン系のボスのドイツでした。 

ドイツはロシアとの独露条約が延長されず、フランスがロシアと同盟を結んだことで、挟み打ちされることを恐れていました。

そこで、考え出されたのが、まず西のフランスを降伏させて、次に東に旋回してロシアを撃つというシュリーフェン・プランだったわけです。

そしてドイツはロシアの総動員令を宣戦布告の前兆ととらえて、シュリーフェン・プランを発動します。
参考資料シュリーフェンプラン - Wikipedia

で、ドイツがどこに侵攻したと思いますか?とうぜんのこととして、セルビアだって思うでしょう。違うのです。中立国のベルギーだったのです。 

ドイツは何の紛争事案もなかったベルギーに対して侵略を開始します。

それはベルギーが弱いと思ったからで、ドイツはベルギーに関心があったのではなく、フランスとの戦争の「通り道」だったからにすぎません。 

ドイツの予想に反して、ベルギーは小国でありながら頑強な抵抗をして、シュリーフェン・プランを打ち砕くために大きな働きを演じます。

ちなみに、中立国ベルギーは第2次大戦の時も、同じようにただ「通り道」だというだけでドイツにもう一回侵略されています。 

なおベルギーは第2次大戦後、積極的にECに加盟し、さらにNATOの中軸国のひとつになっています。

現在のNATOの司令部は、ベルギーの首都ブリュッセルにあります。

この方が言うように、もし第1次大戦が集団的自衛権が原因で起きたとしたら、二度も侵略を受けたベルギーが中立を捨てて、集団安全保障体制の推進者になっているって不思議じゃありませんか。

よく反対派の人たちは安易に、「中立国になれば、平和でいられる」と言いますが、ベルギーをよく見てからもう一回言って下さい。ほんとうにこの人たちは歴史を知らない。

156055(写真 ブリュッセルのNATO本部。日本も欧州に位置していたら当然加盟していたであろう)

それはさておき、ドイツはベルギー国境からフランスを屈伏させ、そこで反転して東のロシアに向うという壮大な妄想計画を持っていたのです。

350pxschlieffen_plan(図 シュリーフェン・プラン ウィキより)

この戦争計画は、制作者である第二帝政ドイツ参謀総長の名をとって「シュリーフェン・プラン」と言います。

ま、作った当人は、この計画が実施される前に亡くなっているんですがね(苦笑)。 

まったくバカバカしい話ですが、このドイツの戦争計画が、ロシアの総動員令で自動的に誘爆してしまったというわけです。 

ほかにも説がありますが、この説が今のところ有力です。

さてさて、この第1次大戦の結果を受けて、「もう戦争はこりごりだ。もう戦争をできない仕組みを世界で話しあってつくろう」としたのが、国際連盟です。

Bundes1(写真 国際連盟総会)

ご承知のように、これは提唱国の米国が不参加を決め込むなど、結局は失敗して、再度、世界は戦争に巻き込まれていきます。

しかし、この時に初めて誕生したのが、国際平和維持の仕組みである「集団的自衛権」と、その発展形態である「集団的安全保障体制」なのです。

なぜか極東の島国では、これを正反対に「戦争になる」と叫んでいる人がいるようなので大変に困ります。消防署や警察を、火付け強盗だというのと一緒です。

戦争は人類のもっとも古い病です。だから、きちんとどのように病気に罹るのか、どうしたら防げるのかを真剣に考えねばなりません。

口先だけで、「病気は悪です」といっても、病気はなくなりません。

今の反対派の人達は、「消防も警察も薬もいらない。うちには9条のお札が貼ってあるから大丈夫だ」と叫んでいるようなものです。 

個人的信念なら自由ですが、これを「国民の声を聞け」などと言われるのは、私としては大変に迷惑です。

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コメント

このあたりの経緯って、学校教育でさらっと流されるとこですね。サラエボ事件とワイマール条約の年くらい覚えておけば十分って感じで。
高校世界史でも、先生にもよるでしょうが精々タンネンベルク戦・ロシア革命が出てくる程度で、あとは飛行機・戦車・毒ガスといった新兵器が使われて悲惨だったとかで終わり。

たしかに背景が帝国主義の激突みたいには教わりますが、なぜあんな大戦争になったのかの説明はなかったです。誰も分からないが正解なのかもしれませんね。ユダヤの陰謀だとか言い出す人はおいといて(笑)

傘下の組の若頭が田舎にゴルフしに出掛けてたらチンピラにやられた。すぐにカタがつくはずが、何故か大親分同士が本気で全面抗争始めちゃったような困った話です。
で、始めた当人の片方がいつのまにか内部抗争でフェードアウトしているという…。

いずれにせよ、集団的自衛権が第一次世界大戦の原因などということはあり得ません。
ピュアで知識の無い方がどっかの反対派さんのアジテーションを真に受けてしまったのでしょう。

初めまして。
私は集団的自衛権は現在のところ人類が生み出した安全保障の仕組みとして最も最新で理想に近いもの(戦争がなくなっていない以上まだまだ改善の余地はありますが)だと思ってます。
そして集団的自衛権の概念なき個別的自衛権の拡大解釈が先の大戦を引き起こした原因の大きな要因の一つと思ってます。何故か日本では集団的自衛権が戦争を引き起こす要因のように語られてる方々が大勢いらっしゃいますが、集団的自衛権の最も重要な部分は仲間が攻撃されたら自分も出向いて戦うというような言うだけなら誰でも出来る、そこに至るまでにどれほど多くの段階を踏まなければいけないのかというような部分ではなく、個人的自衛権の暴走を互いに抑止しあう、相互抑止の側面にあると思います。
集団的自衛権なき個別的自衛権と聞くとむしろ私は所有権財産権といった言葉がよぎり、自分だけの利益追求を追い求めた結果大戦で痛い目にあったヨーロッパ各国を思い浮かべてしまいます。
憲法の前文には

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない

とあります。また13条には

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り

とあります。
自己の利益を追求しつつも、ただ武器を突き付け合って抑止しあうのではなく、仲間として互いの暴走を抑止しあう、その一員として日本も歩みだす、小さいけれど確実な一歩を今回の法案で踏み出せるのではないかとかすかに期待してます。

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