安保法制ミスリードの根源 朝日新聞ドイツ軍アフガン派兵誤報
へいの安保法制審議で呆れたのは、植村氏を生贄羊にして逃げおおせた朝日が、懲りることなく誤報をしたことです。
昨年6月15日に出た1面トップ記事はこう述べています。
「01年9月の米同時多発テロで、NATOが密接な関係にある他国のために武力を使う集団的自衛権を行使して米国主導のアフガン戦争の支援を決めると、当時のシュレーダー政権も軍を派遣。その後、同年12月に国連安全保障理事会決議が採択され、加盟国が一致して制裁を加える集団安全保障の枠組みで治安維持と復興支援を目的としたISAFが発足すると、ドイツは02年1月から参加した。
ドイツは治安が比較的安定しているとされたアフガン北部を担当したが、次第に現地の情勢は悪化。戦闘に巻き込まれる事例も生じ、ドイツ軍によると02年からISAFの任務が終了する昨年までに、帰還後の心的外傷後ストレス障害による自殺者などを含めて兵士55人が死亡し、このうち6割強の35人は自爆テロや銃撃など戦闘による犠牲者だったという」
(写真 朝日新聞6月15日)
これが、この安保法制の最初にして最大のマスコミによるミスリードでした。
この主張に対して、ただちに小川和久氏が抗議しているのですが、意図的にドイツが加盟するNATOのような集団安保体制と、国連の安全保障を混同し、さらにそれらと我が国がやろうとしている二国間集団的自衛権を混同するという二重三重の歪曲報道をしています。
そもそもISAF(国際治安支援部隊)は、国連安保理が米国同時多発テロ後の2011年10月2日の決議1386号で、集団安全保障措置について定めた国連憲章第7章に則って創設したものです。
※国際治安支援部隊 - Wikipedia
(写真 朝日新聞 「新戦略を求めて」http://www.asahi.com/strategy/0320b.html)
ドイツ軍を含めて48ヶ国が参加しています。英米独仏などの主要国以外にも、スウエーデン、フィンランドなどの中立国、アジアからはオーストラリア、NZなども派兵しています。
これは自衛権とはまったく無関係の、国連安保理決議の呼びかけによる国際警察活動です。
国連による集団安全保障活動は、集団的自衛権とはまったく別の次元の概念です。
これは安全保障問題を語る上での初歩的な知識で、書いた外報部記者が知らなければ馬鹿、知っていてやったなら歪曲報道です。
では、同じ「集団」という言葉が冠しているので、混同されやすいと思いますので、わかりやすく説明しましょう。
そもそも国連はその本来の役割を、集団安全保障に置いていました。
え、ユネスコみたいな文化活動じゃないのっていう人もいるでしょうが、あれは傍流。あくまでもメーンの仕事は国際平和維持、言い換えれば国際社会の安全保障です。
しかも日本人好みに話し合いで解決ではなく、話し合いが行き詰まったら「実力も辞さない」というのが国連の本来の考え方でした。
学校の頃に習いませんでしたか、国際連盟は強制力を持たなかったので失敗したが、国連はそれを持つことで強力に生まれ変わったって。
国連は集団安全保障のために、わざわざ第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」で、丸々一章を当てて詳述しています。
あまり読む機会がないでしょうから、ぜひお読みになってください。
※国際連合憲章(日本語)(国際連合広報センター)
そこには、たぶん護憲派が聞いたら失神するような、紛争に当たって「国連軍」創設までする、と記されています。
本来創設期の国連がやりたかったことは、この「国連軍」だったのです。当該部分を抜き出してみます。
「●国連憲章第7章第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる」
「●第45条
国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。これらの割当部隊の数量及び出動準備程度並びにその合同行動の計画は、第43条に掲げる1又は2以上の特別協定の定める範囲内で、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が決定する」
このように、国連憲章に忠実義務がある加盟国は、集団安保に参加するのが義務なのです。
忠実義務については、国連加盟時の条件を記した第4条第1項に、「憲章の受託と履行、その能力」として掲げられています。
このアフガンのISAFは、国連の安保理事会の決議にもとづいて派遣された正式な集団安全保障の取り組みです。本来ならば、「国連軍」と呼んでもちっともおかしくない存在でした。
では、今回の集団的自衛権はナニかといえば、これは二国間の「同盟」による集団的自衛権なのです。
国連はいちおう渋々これも認めています。渋々とは第7章の末尾の51条になってやっと集団的自衛権が顔を出すからです。
「●第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」
ね、あくまでも国連憲章のニュアンスは集団安全保障なので、個別的自衛権、集団的自衛権も例外的て、「できる」にすぎないのだ、と憲章は言っています。
しかも、できるのだが、すぐにそれはまっとうな方法とは言い難いから、常任理事国に報告して承認を受けろとまで書いています。
末尾にはわざわざ、憲章に基づく機能や責任をさまたげるな、と断っています。
いかに個別的自衛権や集団的自衛権が、世界常識からはずれたものかわかるでしょう。
日米安保条約は相手国が米国という国連の創設国にして中軸国だから、いわば米国が保証人になっているのでなんとか認められているだけです。
今回の安保審議の中でも保守派から、「集団的自衛権は国連憲章でも容認されている」という反論がありましたが、正確ではありません。
あれではまるで国民は、「個別的自衛権がノーマルで、集団的自衛権も目こぼしされているんだ」ていどに受け取ってしまいました。
そうではないのです。あくまでも、集団的自衛権が「容認」されている相手は、国連の安全保障体制に対してなのです。
集団安全保障が大前提のノーマルな形態で、例外として集団的自衛権も許容します、というのが国連憲章第7章の主旨です。
個別的自衛権に至っておや、なおさらです。もはや、お前、一国で戦争オッ始める気かと国際社会から疑われてもしかたがないアブナイ概念なのです。
誰が言い出したんだ、個別的自衛権が平和だなんて!白を黒といいくるめるもいいところです。どうしてこんな簡単ことが、護憲派にはわからないのか不思議なくらいです。
整理します。
①国連加盟においては国連憲章を遵守する義務がある。
②国連は集団安全保障をとるために国連軍を創設できる。
③加盟国はそれに派兵する義務がある。
④個別的・集団的自衛権は例外として認める。
ですから、「集団」と名称の頭につく安全保障には、3種類あるわけです。
●「集団」のつく安全保障3態
①国連による集団安全保障活動
②NATOのような地域的安全保障
③日米安保のような2国間集団的自衛権
現在、③を認める、認めないで大騒ぎしているわけですが、①②の形態も日本国憲法前文と呼応していると考えられます。この部分です。
「●日本国憲法前文
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」
なかなか格調がありますな。悪文という声もありますが、言いたいことは分かります。
要するに、日本国は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に地上から除去するために」「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と言っているのです。
いや、まったくそのとおり。国連の集団的安全保障活動をしっかりやろうぜ、と言っている以外に取りようがありません。
ですから前文の精神に従って、国連平和維持活動や、集団安全保障活動に積極的に参加することこそ、真の護憲活動なのです。
(写真 いわゆる「護憲派」の人たちの集会。この人たちに前文からの熟読を勧めたい。それにしても一斉に同じプラカードをかげるなんて不気味だ)
いわゆる護憲派は半世紀以上憲法護持を叫んで来ましたが、本気で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」って活動したことがありましたか。
ないでしょう。
護憲派がしたのは、「第9条にノーベル平和賞を」とか、「世界遺産に波頭六しろ」とかやくたいもない自己陶酔だけです。一滴の血はおろか、汗すら流していません。
だから前文にはわざわざ、一国の安逸のみを貪ることのないように、「自国のことのみに専念して他を無視してはならない」と叱咤しているのですよ。
ならば、第9条2項の軍隊保持禁止はどうなるか、ですが、前文とワンセットで見ないことによる近視眼的解釈に陥ってはわからないのです。
あれは国際紛争の解決手段として戦力を用いるな、侵略のためには交戦権を認めない、と書いてあるだけで、前文の理念とは矛盾しません。
ですから前文どおり、日本は「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」(前文)のです。
もちろん、現実には「国連軍」は朝鮮戦争の変則以外に一度も結成されたことはありませんでした。(この変則があったが故に、後に作るのが困難になったわけですが)
しかし、それは常任理事国の中に横車を押す国がいたからです。仕方なくその代りにできたのがNATOのような地域集団安全保障体制です。
また世界規模では、国連軍の代替として生れたのが平和維持活動(PKO)でした。
この憲法精神そのままのPKOにも、朝日は頑強に反対して、まるで日本がアジア侵略でも開始するかのように書き立てました。
困った人たちです。批判するのは自由ですが、もっとPKOがうまく機能するためにはこうしたらいいと具体的提案をしてほしいものです。
さてさて、朝日は今回も性懲りもなく、国連の安保理決議と集団的自衛権をゴチャにして報道し、間違った方向にミスリードしてしまいした。
このミスリードは修正されることなく、反対派の定番主張へと受け継がれ゛安保騒動へと増幅されていきます。
これが、「安保法制に賛成すると米国の戦争に巻き込まれて、中東に連れていかれる」というヨタ話の源流です。
そして今もなお、こんな初歩的間違いに気がつかず、南スーダンのPKO部隊やジブチの海賊対処活動に対してさっそく「集団的自衛権の行使が始まった」と叫び始めています。
まったくやれやれです。
あながち皮肉ではなく思いますが、真の「護憲精神」に立ち返って、国連の安全保障活動に積極参加すべき時でしょう。
さぁ皆さん、大きな声でどうぞ。
「憲法を守れ!ドイツを見習え!」
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コメント
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よく護憲派という方の意見などを目にしますが、突き詰めれば9条のみを護りたいだけではないのか。
内容と異なりますが翁長知事のスピーチが日本に与える影響など、管理人さんの見解をお願いします。
日本政府やアメリカに直訴しても駄目だから関係のない他国や団体に加勢してくれという意図なのか、安保採決に反対の中国がこれに呼応して内政干渉してくるのか。
投稿: 多摩っこ | 2015年9月23日 (水) 12時05分
外交・安全保障問題では 岡崎久彦氏が最もすっきりしていると思っています。
それで10数年前から氏の論説を読んできました。
その私からすれば 中国共産党や軍の偉い人が台湾を回収しようと考えたとき それを躊躇させるためには、「日本は集団的自衛権行使できるもんねー」と言ってやるだけでよいのです。
国民のアンケートで わからないという人が80%ぐらいいるのは 何故なんでしょうか?
投稿: 八目山人 | 2015年9月23日 (水) 14時42分
多摩っこさん。この国連演説などの沖縄テーマはやらなきゃと思っていので、近々。
あ、あんな2分間の演説、関係ないですよ。いずれにしても翁長のバックは,中国です。
八目様。私も分からないんですよ。今回のアンイケート結果は賛成が過半数でいて、今国会では反対が多い、しかし支持率は微減。
まるでバラバラ。整合性がないんですよね。
まぁあれだけのメディアスクラムでしたから、わけがわからないうちに終わってしまい、民主党の狂態を見て、こりゃヘンかなと思ったということなんでしのうか。
岡崎さんは私も愛読しています。特に外交史は岡崎さんが師匠です。
投稿: 管理人 | 2015年9月23日 (水) 15時02分
よろしくお願いいたします。
我那覇真子さんもスピーチしたんですね。
従軍慰安婦も鵜呑みにされ日本のイメージが悪いので、翁長の言葉を鵜呑みにする人達も多いかと。
基地問題を知って貰いたいとか言ってますが、基地問題よりも日本を貶めるための言動に思えます。
投稿: 多摩っこ | 2015年9月23日 (水) 22時58分