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2015年9月29日 (火)

節vs節 仮想闘論会その2

095
昨日からの節vs節仮想闘論会の続きです。

小林氏のように持説を180度変えるというのはかなりみっともないのですが、昨日も書きましたが、よしとしましょう。

学者が持論を変更することに自由はあります。

ただし、その理由と経過を明らかにすればですが。小林節氏はそれをあきらかにしないまま、変節しています。

氏の言説で唯一転向理由が明らかにされているのは、第189回会議日誌 - 衆議院憲法審査会での、わずかにこの部分です。

「最近は中国のおかげで、9条神話に浸ってよいのかという議論が出てきた。しかし、9条のおかげで70年間(自衛隊が)海外に行かなかったということは大変な実績である。これは、改憲論者の私としては盲点であった」

なにが盲点ですか。笑わせる。

「日本が9条で70年間平和でいられたことがわかった」ですか!呆然となるくらい幼稚な認識です。

こんなシールズの坊やたちていどのことを今さら言い出すならば、集団的自衛権容認など初めから言い出さねばよかったのです。

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これが、「すべての法律の上位法」の守護神を気取る、憲法学の権威のひとりというのですから、なんともかとも。

では、今まで「日米安保で守られていた」「9条で戦争はなくならない」という認識が、いつどこで変化したのか、自ら明らかにせねばなりません。

なぜなら、第9条が突然「70年間日本の平和を守ってきた」わけでも、日米安保が日本の防衛を突然やめたわけでもないからです。

また小林氏は同じ参考人発言で、こうも述べています。

「この憲法の下で現に国会が存在し、国が発展してきたということは間違いない事実であるので、恨み節を言い合うよりも、今をどうするかにエネルギーを使ってほしい。押しつけ憲法論はそのとおりだが、だからその悔しさを改憲に変えなければならないという感情は無駄である」

なにを時代錯誤な。改憲がそんなていどの「悔しさ」で叫ばれている、と考えていること自体がズレ切っています。

今、改憲を必要だと考えているのは、「押しつけ憲法」にルサンチマンを持つあなたのような世代ではなく、眼前の中国の脅威に何も手を打てない苛立たしさに身を焦がし、「今をどうするか」自答している若い世代なのです。

むしろ小林氏のような70歳前後の世代の多くは、いまだ多くが安閑とした「9条の眠り」の中にいます。

9条が「押しつけられた」当座と今が決定的に違うのは、日本を取り囲む脅威のレベルが70年前よりはるかに悪化し、脅威が現実化したことです。

氏が集団的自衛権容認の見解を語ったのは、2013年7月。わずか2年前のことです。

たった2年間で、日本の平和の守り手が、日米安保ではなく、9条だったというコペルニクス的展開が起きたことになります(笑)。

あえて言えば、その間起きたのは、小林氏自身も認めているように、中国の海洋膨張がめざましくなったということくらいでしょうか。

つまり、小林氏は中国の帝国主義的膨張を目の当たりにして、持説であった集団的自衛権容認・改憲という所論を捨てたことになります。

いわば、日本の安全が戦後もっとも危機に瀕して集団的自衛権容認による日米安保の強化が叫ばれている、まさにその時を狙いすましたように、氏は転向したのです。

私たちは、こういう人物をなんと評したらいいのでしょうか。

そしていまや、真逆な立場に変身し、共産党系学者たちと共に全国規模の集団違憲訴訟をせよ、と国民にアジ演説をしてまわるような運動家的学者にまで変身しました。

小林さん、自説の一貫性がもっとも求められるときにこれを裏切り、自らの醜悪さを為政者への汚らしい罵倒で糊塗する・・・、情けないと思いませんか。

あなたは、沖縄県知事の翁長氏に通じるような、人間として自らを律するはずの大事な何かの一線を超えてしまった人物です。

これ以上の批判は、他ならぬ過去の小林節氏自身におまかせするとしましょう。

                  ~~~~~~~

※内容を替えない限り、口語体に転換してあります。もちろん脚色してありますが、主旨には手を加えたり、歪曲したりしておりません。
煩雑になるので、個別に引用元は明示しませんでしたが、発言ソースは以下です。
第189回会議日誌 - 衆議院憲法審査会 
・産経新聞 2006年11月11日 正論
・ダイヤモンドオンライン(2013年7月16日)
・日刊ゲンダイ15年2月21日
・日刊ゲンイダイ2015年7年月14日


              ~~~~~~~~~~~

●司会
「では、そもそも9条についての見解はいかがでしょうか」
 

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●ホワイトコバヤシ
「憲法改正には価値的限界があります。
価値的限界は、人類が歴史の中で磨いてきたものであすから、現時点での到達点であり譲りえない価値なのであって、人権の尊重、平和主義などの価値を否定する憲法改正は手続的には可能かもしれないが、あってはならないという考え方です」
 

●ブラックコバヤシ
「反対です。いっそ憲法をすっきり改正すべきです。
そして、(1)「侵略戦争はしない」、(2)「ただし独立主権国家である以上、侵略を受けたら自衛戦争はする」、(3)「そのために自衛軍を持つ」、(4)「国際国家として国際貢献もするが、それには国連決議の他に事前の国会決議も必要とする」と明記すればいいのです」
 

●ホワイトコバヤシ
「安倍首相の暴走を止められないことは恥です!(絶叫)
昨年の7月に、安倍政権は憲法9条の下でも集団的自衛権の行使し、海外派兵を可能にする、という閣議決定をしました。
安倍首相の手口は、今国会でこの閣議決定の中身を拡大解釈して無制限に地球上の何処へでも自衛隊を派遣できるように、しかも支援対象も拡大し、正当防衛なら武器の使用も容認されると言っています。
これでは、いつの間にか戦争に巻き込まれていた、ということは目に見えています。これは『戦争恒久法案』です!」
 

Fm8n(ホワイトコバヤシ先生)

●ブラックコバヤシ
「落ち着きなさいよ、あなた。学者ですか。『戦争恒久法案』なんて造語を作らないで下さい。
ネーミング自体が誤った価値判断を含んでいて、歪曲した情報を伝えます。学者が読み捨てのアジビラまがいの言説を吐いていいんですか。
今回の法改正はあくまでも限定的なもので、あなたが言うような『恒久的に戦争をする』というものじゃない。
9条に話を戻しますが、9条2項では『戦力の保持』も禁止されていますが、戦力を『他国を侵略できる大きな軍隊のこと』と仮定すれば、戦力に至らない程度の自衛力は持てるはずです。
そう考えると、日本に自衛隊があるのはおかしなことではなく、自衛戦争もできることになります。
ですから、日本政府も以前から、『日本は国家の自然権を根拠に自衛権を持てる』という見解を出しています」
 

201107_4_2(ブラックコバヤシ先生)

●ホワイトコバヤシ
「いやなし崩し的にこの手法で、次々と憲法が壊されていることを多くの国民は知らない。憲法改正の先取りをしているんだァ!(絶叫)」
 

●ブラックコバヤシ
「困った人だなぁ。あなた名前はなんて言ったっけ。小林節?私といっしょだ。気分悪い。どうしてそうまで感情的なんです。
いいですか、政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。
しかし、『襲われたら同盟国が報復にゆく』いうメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。
だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう。
 

0f17a99e97ce5dd701e59c1598611f39(ホワイトコバヤシ先生)

●ホワイトコバヤシ
「今、憲法9条故に過去70年も戦争をしないでこられた我が国を、憲法9条をそのままにして海外で戦争させることをする首相が政権を握っている。
これを止めないとしたら、政治家も官僚もメディアも、そしてそれを許す有権者もまことに恥だと思うべきだ!」
 

●ブラックコバヤシ
「違いますよ。まるであなたの言い方だと、海外に戦争をしかけに行くように聞こえる。歪曲も甚だしい。
今回の法改正で、日本を狙っている国に対しては牽制になるし、中国を恐れている国に対しては安心感を与えられます。
あらゆる意味において、世界は納得するのです。
だから、世界中の国は、中韓を除いてこの法案を全面的に支持しているじゃないですか。それが不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、以下の2例に関しては集団的自衛権を容認しても、9条と矛盾しないのです」
 

●ホワイトコバヤシ
「なし崩し的に戦争ができる国にしていこうとしているんだァ!(絶叫して机を叩く)」
 

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●ブラックコバヤシ
「怒鳴らないで下さい。
あなたは必要最小限度の実力行使という概念を知らないんですか。その2例を述べましょう。
例えば、公海上でわが国の自衛艦と併走している米国の艦艇が他国から攻撃された場合に、自衛艦が米艦を支援したら、それは集団的自衛になってしまいますね。
また、同じくわが国の上空を飛んで米国に向かう他国のミサイルをわが国が撃ち落としたら、それも集団的自衛になってしまいます。
しかし、だからといって、そのような行動を自制することは政治的に賢明か?という問題が提起されてくるのです。
わが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に不可欠な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではありません。
つまりこれは、高度に政治的判断を伴う政府の判断なのです」
 

●ホワイトコバヤシ
「もう、あんたとは相いれない。
立憲主義は、権力者の恣意ではなく、法に従って権力が行使されるべきであるという政治原則です。
立憲主義は、人間の本質が神のごとき完璧なものではないという事実を前提とするもので、現代においては選択の対象ではなく所与の前提なのです。
それをひとりの為政者が改釈するなどもってのほかだ。
安倍首相は神なのか!」

●ブラック・コバヤシ
「先にも言いましたが、法令の解釈というものは、政府に解釈権があります。
憲法もまた、政府の責任において、政策を選択せねばなりません。
それが、かつてのイラク戦争のように米軍の友軍として参戦するというなら憲法9条違反でしょうが、日米同盟の死活的存続にとって重要ならば、条文の文言とその立法趣旨の範囲内で、許容し変更されてよいものです。
実際、これまでもそうでした」

●ホワイトコバヤシ
「良心のかけらもない安倍の犬め!名前はなんという!」

●ブラックコバヤシ
「では、あんたは学匪だ。私は小林節慶大教授だ。文句あるか!(怒鳴り返す)」

●ホワイトコバヤシ
「私と同じじゃないか!肩書まで一緒だ。いや、私のほうは「名誉」がつくだけ、お前よりエライ」

●司会
「はい、しらけきりましたところで、今日はこのていどで締めさせていただきたいので、最後にひとことずつお願いします。」

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●ホワイトコバヤシ
「今回、強行採決をされても、諦めないで下さい。予定通り、バカがバカをやっただけです。『やっぱり来たか! バカ野郎!』と言っていればいいのです。
強行すれば、参院選はつまずく。いや、つまずかせる。違憲訴訟も準備しています。
法律が成立してしまったら、その瞬間から我々の平和的生存権がシクシクと害され続けるのです。
たくさんの人が集団訴訟を起こすでしょう。今日も弁護士会でお願いをしてきました。
『何百人という話も出ていますが、1000人の弁護団を作りませんか』と。そうすると、地裁の裁判官も『違憲』の判決を出しやすくなる。
私は死ぬまで諦めませぇ~ん!(泣きながら叫ぶ)」

●ブラックコバヤシ
「集団的自衛権は国際法となんら矛盾しません。
したがって、日本政府はかねてから、『国家の自然権を根拠に自衛権を持てる』という見解を出していきています。

政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していましたが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。
それは不可能です。日米安保が平和と繁栄の基礎なのです。

我が国が侵略されれば、憲法を支える基盤そのものが破壊されてしまいます。
ですから、『襲われたら同盟国が報復にゆく』というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。
世界の国々は例外なく、個別的自衛権と集団的自衛権を持つことを前提にしています。
だから、日本もきっちりと『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈変更してよかったと思っています。

私は、30年以上前から自主憲法制定国民会議の会合に出席しており、憲法9条は改正の必要があると今でも思っています。
しかし、戦争体験と占領時の情報コントロールにより、国民は憲法9条に触ることについて感情的な反発を持ってしまっています。
これを和らげるために、まずは新しい人権などから改憲の練習をした方がよいと思います」

●司会
「ありがとうございました。先生がた、次回までに多重人格は治しておいてくださいね」
  

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コメント

PKO法成立以来、幸いなことにドンパチやる事態は起こっていませんが、もうどれだけ前から自衛隊が海外に行ってるのか?今も南スーダンやジブチで活動していることすら、この先生はお忘れのようで…。だから70年云々と平気で仰るんでしょう。

小林節さんは、慶応を退職された後、
寂しいのではないですかね?

労働組合等の会に出ると、皆が同じ価値観で
それがアプリオリにお互い認めていて、
その場にいる限りは、仲間意識さえ芽生えて来ます。
共同幻想空間なんですね。そして、その中に紛れ込んだ
異端の意見を持つ者は、スパイみたいに敵視するんです。

こういう会に出ると、とても勘違いするものですが、
小林さんは、大学を退職して寂しいときに、
そうした会に出て、転向した意見を言うと
途端に、英雄視されて舞い上がった。
そんな風なことを想像してしまいます。

こんなおとぎ話みたいなことを想定しないと
憲法について研究して来た学者が、180度真反対の
意見を得々と言えるとは思えません。

ともあれ、二回のこの小林対小林の討論会、面白く
拝読しました。

ヒデミさん。穿ったご意見、ありがとうございます。
私の旧友たちは、例外なく全員が「戦争法案反対派」です。
この友人たちが、何度か私に国会前の「スタンディング」(というらしい)に誘いのメールをくれます。
正直、ありがた迷惑なのですが、メールのやりとりをすると、彼らが旧来の価値観の世界から一歩も出ないことに逆に驚かされます。

彼らは皆、申し分なくよき市民で、正業を持ち、友情に篤く、なかには会社を経営しているものもいます。

彼らに共通するのは、安保法制案を一行たりとも読んでおらず、ざっぱくに「自分の国が攻撃されないのに他国を攻撃できる法案」程度の浅い理解です。
あとは安倍憎しです。いや、安倍憎しのほうが強いかな。安倍氏は彼らの逆説的アイコンです。

オレのブログを読んで冷静になれ、と言いたいのですが、読めば絶交されてしまうので紹介していませんが(笑)。

友人たちは「空気」の中に生きています。
今までの人間関係の中で、自然に骨身に染みついた戦後民主主義的価値観を疑おうともしません。

この「空気」の中では問答は不要で、安倍といえばヒトラーで、安保法案といえば「戦争ができる国にする恐るべき法案」なのです。なまぬるい思考停止です。

ヒデミさんかおっしゃられた「労働組合の価値観」とは、この友人たちが浸っているものとも通じるものなのでしょう。
本来、学問とは孤独な営みであり、孤立を恐れないはずですが、小林氏はこの「空気」に負けてしまったようです。
しかも、所説が真に試される時代を目前にして。


失礼いたします。「一川崎市民」として過日「沖縄が怖い」と書いてしまった者です。捨てハンみたいで気になったので、実名が検索できるハンドルネームに変えました。

学会によってはこういう時に特定の政治運動を指示することもあるようで、「安全保障学を学ぶ」というサイトの2015年9月7日付けの記事の冒頭に「つい先日のことなのですが、ある学会関係のメーリングリストを通じて平和安全保障法制に反対を呼び掛けるように指示が出されたことを知らせるメールが私に届きました。」とあります。学問の自由よりも特定イデオロギーを優先する学会は確かにあって、小林先生も何らかの圧力、あるいは脅迫を受けたのではと思ってしまいました。

管理人さんの仰る「本来、学問とは孤独な営みであり、孤立を恐れないはず」というのは確かにあるべき姿なのですが、脅迫のレベルで何かされた場合、学問の徒として何があっても信念を折らないという自信は私には持てません。

もし小林先生の転向が自由意思による変節だったら、上の話はただの何とかの勘繰りになってしまうのですが。

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