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HNくるみさんのコメントにお答えして 「しぶとい」をめぐって

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HNくるみさんからコメントをいただきました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-8b47-1.html 

「しぶとい」という表現に、どこか釈然としない引っかかるものを感じられていらっしゃるようです。 

この「しぶとい」という表現には賛否両論あります。同じウチナンチューでも肯定的な方もいれば、怒っている方もいます。 上目線だとも言われました。

私はこの「しぶとい」という表現を、島んちゅうに対する万感の思いを込めた<賛辞>として使っています。 

というのは、沖縄の過酷であった戦中、戦後においてあなたがおっしゃるような「粘り強い」だけでは、時代に耐えられなかったと思うからです。 

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沖縄の戦後を少し振り返ってみましょう。

終戦直後の沖縄には、「センカアギ」という伝説のようなものがあったと伝えられています。

当時の沖縄人は、やっと収容所から解放されて村に戻ったわけですが、家どころか村さえも消滅し、コンクリートの滑走路の下という経験をした人も多くいました。

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こういった中で、島の男たらは続々と復員してくるわけですが、家がない、耕す畑がない。お宝のようにしていた水牛もいない。みんな戦争が奪っていったわけです。

そういう時に政府を恨んでもしかたがないわけです。第一、本土政府自体も、ドイツのような解体こそ免れたもののGHQの軍政下にありました。

目の前でふぎゃふぎゃ泣いている子供たちを食わせるために父親たちが考えたのは、米軍基地に忍び込んで、物資をカッパらうことでした。

夜陰に紛れて、米軍基地の柵を破ってかっぱらって、かっぱらって、かっぱらいまくりました。

缶詰やビール、ウイスキーなどといったすぐに換金できるものは当然、果ては停めてあった戦車のホイルさえはずして盗んだという話すらあります。

軍用機の落下タンクなど置いておけば、絶対に盗まれて、日用品に化けました。

落ちた爆弾すら、鍋にしてしまいした。ビギンが「オバー自慢の爆弾鍋」という唄を作っていますね。

私はこの「センカアギ」をした、オジーと親しかったことがあります。「センカアギ」とは、戦果を上げるという兵隊言葉ですね。

当時の島の男の大部分は兵隊上がりだったので、米軍基地に忍び込むカッパライを、戦争当時の切り込み隊に被せてイメージしていたのです。

オジー、島酒をグビグビ呑みながら

「夜になるとさ、背中にばかでっかいモンキーレンチをくくりつけてさ、あ、このレンチも頂戴したもんよ。
顔にはかまどの炭塗ってクロンボーのようにしてさ、匍匐前進よ。こうして身体をやや斜めにして(実際にやり始める)、こらナイチャー、違う!お前、死んでるさ。
フェンス破る時に、小さい声でトテチテター♪と突撃ラッパの口笛吹いてね、目標、前方の敵戦車!トツゲキ!
ものの10分もかからんさ。それ以上かかると、ヒージャミーに撃たれる」

おっといかん、オジーの話は付き合うと、一晩かかったっけ(笑)。

とまぁ、こんなかんじで、盗んだものは、台湾へと売りさばいていたそうです。もちろん密貿易に決まっています。

いまでこそ日本の外れになってしまった与那国は、密貿易で大変な盛況でした。

内戦の真っ最中の台湾に密輸し、台湾から帰り荷で、当時の沖縄が欲していた物品を密輸入しました。

このような時代を「大密貿易時代」と呼びます。沖縄タイムスから、『沖縄大密貿易の時代』という本がでています。大変におもしろいですよ。

この時代に生きた島人たちは、真正面から圧倒的強さを誇る米軍支配と戦うのではなく、いかにもその支配を表面では受け入れる顔をして、裏でアカンベーをしていました。 

それはただの「粘り強い」とは違う気がします。また、左の人たちが言いたがるような「人民の抵抗」とも違う気がするのです。

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「人民の抵抗」と言えば、当時の島のヒーローに瀬長亀次郎という人民党の親玉がいました。

後に日本共産党の副委員長になりますが、この人の戦いはたいしたものでした。

現代のような島の富裕層の公務員労組の人たちの「反戦闘争」は、どこか決められた振り付けを踊る歌舞伎みたいですが、瀬長の場合、「オレの背中には、島の全員がついているぞ」という迫力かありました。

センカアギをやっていたスーや、爆弾鍋を振っていたようなアンマーたちが、瀬長を応援したのです。 

上の釈放された瀬長を見る警官たちの顔に、微笑みが浮かんでいるのに気がつきましたか。

今のように形だけは過激でも、なにか生活の匂いのしないものではなく、まさに生きるための汗くさく、泥臭い戦いでした。 

こういう泥臭い戦いを、沖縄は70年の間、なにかしらの形でしてきました。それはセンカアギだけてもなく、かといってセナガのような戦いだけでもありませんでした。

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成績が優秀な子供たちは、大濱早大総長の作った自費留学制度で本土に渡りました。その時、彼らが持たされていたのが、屈辱的な身分証明書とパスポートでした。

この大濱の制度のおかげで、沢山の有為な島の若者が本土に渡り、今の沖縄経済界を支えています。

彼らの伝記を読むと、ひたすら頭が下がります。時に涙ぐむほどの感動を覚えます。

彼らの胸に宿っていた思いは、自分の栄達ではなく、「島のために役立つ」ことです。

彼らは島に帰って、米軍との共存の道を選びました。折からの朝鮮戦争による基地拡充は、沖縄経済に強い刺激を与えました。

基地建設をすることで、今の沖縄経済の背骨である建築土木業の基盤が出来上がったのです。

これを米軍ポチのように言うとしたら、それは間違っています。それ以外にいかなる道が沖縄に選択できたのでしょうか。

今のような手厚い振興予算もない、いや日本ですらない、という状況の下で島が蘇るには、米軍基地建設しかなかったのです。

一方、島北部の東海岸の人たちは、米軍を誘致しようとしました。今、騒ぎになっている辺野古地区です。

彼らは島ぐるみ闘争の余熱を背後に受けて、米軍と対等でまさに粘り強く渡り合いました。

いや、そもそもこの島ぐるみ闘争も、イデオロギー的な米軍基地反対闘争ではなく、米軍によりよい条件で地代を出させるかの生きるための闘争だったわけです。

このように、島人は単純に米軍基地反対を叫んでいたわけではなく、時には友人の顔したり、時には真正面から条件闘争を繰り広げるような、強力無比な「弱者」だったのです。

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私は、このような沖縄の人を愛おしく思います。

したたかで、決してあきらめず、強さを表に出さない強者。苦しみを笑いに変えてしまう達人。笑いながら泣く名人。そして温かく強い。それが私の知る島人です。 

いかなる「世」になろうとも、アメリカ世だろうとヤマト世だろうと、本質的な自分を変えない。そのためにありとあらゆる手練手管で「戦う」流儀が、沖縄人だと思っています。 

この「戦い」の結果、復帰以降累積11兆円、毎年3千億円の振興予算が島に流入します。 

私は、そのことが今や、島の奥深い部分を狂わせていると思っています。 

と同時に、それが次世代の島を作るグランドデザインに沿って使われるなら、本土の納税者として喜ばしいかきりです。

私が島人を感嘆を込めて「しぶとい」と呼ぶ理由の一端が、お分かりいただけたでしょうか。

 

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

私は野球やってたりしたので、しぶといチーム、しぶとい打線、しぶとい選手なんてのはまさに褒め言葉です。言葉って難しい。管理人さんの沖縄にたいする深い知識と洞察には感嘆します。沖縄で歴史の伝承というとなんかいわゆる反戦平和教育っぽいイメージになりますが、ここで書かれたような「しぶというちなんちゅ」の生き様も立派な歴史ですよね。沖縄という土地柄のせいか本土から来られた方はどうにもなじめない方、なじみまくる方にわかれるような感があります。なじみまくる方は数年の赴任期間の間にと限られた期間でとことん楽しんでやるとばかりに私なぞが知り得なかったディープ沖縄を求めて披露したりしてくれるので、そういう方々との交流は非常に楽しいです。管理人さんは沖縄に深い愛情をもっておられるのを切に感じます。感謝します。

余談ですが、私の祖父は南米にいたことがあってポルトガル語が話せたため、ヒスパニック系の米兵と仲良くなったりして、缶詰なんかの食料品を融通してもらったりして大変助かったそうです。

投稿: クラッシャー | 2015年10月29日 (木) 08時01分

私も昔は野球やってました。何度理不尽で陰湿な暴力制裁を食らったことやら…今なら即座に全国紙掲載ものですが、当時はそんなもんでしたから。今更訴えようにも監督・部長・校外コーチ連中は定年退職で逃げ切り年金ホクホクです。憎しみは消えない。
その後はしばらく野球嫌いになってスカウトは全部断り、テニスやサッカー、バレーなども長続きせずに、プロ野球観戦しか興味が無くなりました。

ちよっと脱線した。
つまり「しぶとさ」とは前後の文章にもよりますが、クラッシャーさんのように苦しい時代の沖縄で生き抜いた方々への最大限の賛辞だとおもいます。
管理人さんの話を読んでいれば一目瞭然でしょう。

投稿: 山形 | 2015年10月29日 (木) 11時11分

管理人さんの沖縄に対する暖かい想いは、うちなーんちゆ だけでは無く読む人の多くに ちゃんと届いてますよ。

投稿: 宜野湾市民 | 2015年10月29日 (木) 12時23分

私はよく言葉が足りずに誤解や衝突をしている方です。しかしあらゆる事に共通しますが、受け止め方でどうにでも変わるから特に言葉の多い日本語は難しいですね。「しぶとい」を「太々しい」と受け止める人もいるのかもしれません。

管理人さんの意図していることは、その言葉の裏まで察すると見えてくるのですが、過去記事読んでる人しかそう至らないのかも。
やはり日本語は難しいですね。

投稿: ナビー | 2015年10月29日 (木) 12時44分

単に図太いの入力ミスと思ってましたが、しぶといの方がしっくりくるのでしょうか。どちらにせよ不快には、感じませんでしたよ。もう30年前に他界した祖父も基地建設に携わり、戦争では負けたが、これからわ負けられんと、言ってMPとよく喧嘩さたと笑ってましたね。その祖父も戦争で身内が死んでるが、生活の為複雑な思いで基地建設したのですかねー。アメリカ統治時代の本があれば読んでみます。
当時、基地建設ラッシュで、地元民を雇い出来上がったとたん反対運動するとは思わなかったでしょうね(笑)それもしぶといですか。

投稿: 元本部町民 | 2015年10月29日 (木) 12時47分

山形さん、私、苦しい時代なんて生きてませんよ。ぬくぬくとした沖縄でぬくぬくと生きてきただけです。返還前のことは子供だったのでうろ覚えです。急にセン(セント)がエン(円)に変わったことは記憶してます。子供だったので大金のドルは使った覚えなし。祖父母や両親のように闘争の時代は知らないです。父は昭和30年代に東京の大学出てますが学生運動に関わったことはないようです。祖国復帰運動が盛り上がっていた頃にも沖縄を出て本土の大学や企業に通っていた方々も当然多数いたのですが、一所懸命に勉学し、技術、技能を習得して早く沖縄の役に立ちたいと思って来てるのに、「沖縄のために運動してるのに沖縄の奴が参加しないのは何事だ」と半ば強制的に参加させられた方もいたとのこと。迷惑なんてものじゃなかったことでしょう。あの人々の独善性は変わらないようです。

投稿: クラッシャー | 2015年10月29日 (木) 15時39分

おじいの話は昔沖縄暮らしのカテゴリのところにも書かれていましたね。言葉えらびは大切ですが難しいです。

しぶとい、と対で用いられる語のほとんどに生死や勝敗が関わります。しぶとく生き残る、しぶとく勝ち上がるなど劣勢から粘り強くあげていく時の言葉です。敗戦から繁栄を築く過程ではポジティブワードだったと理解しています。私も頻発はしないけれど他人にも自分にも良い意味に用いていましたが、2000年頃かな?他人に向けて使う言葉のリストからそっと外れて使わなくなっています。今日まで意識したことなかったです。なぜだろう。
日本が豊かになり日々にしぶとさが要求されなくなり、しぶといモノは見回すと害虫だとか駆除だとかのフレーズと結びつく回数が目立ち、スポーツでもしぶといだけじゃ勝てない、根性よりも才能だ、という論調が勝ちだしたからかもしれません。

明るく粘り強く生き抜いた沖縄の方々の時代を管理人さんがポジティブにしぶといと礼賛される際に「こういう」「あえて」「ある意味」というフレーズを添えてらっしゃるのもそれでかと思っていました。
娘の宿題や資料に目をとおすとどんどん望まれる日本語像が「池上彰調」な一様なわかりやすさと傷つけにくさを目指していて、今後も勇気ある言葉選びは更なるタフさを要求される予感がします。
因みにtoughは、英語でではネガティブワードですが日本語になるとほめ言葉になりますね(^^;)

投稿: ふゆみ | 2015年10月29日 (木) 16時03分

かくもしたたかである沖縄人像と
活動家にいいように引っ掻き回され続ける「おひとよし」ぶりとのギャップはどうしたことなのだろう?

投稿: 難波 | 2015年10月29日 (木) 19時12分

「しぶとい」その他、言葉に対するイメージは、個人個人の見聞・経験によって解釈に違いはあるのでしょうが。
ここはあくまで管理人さんの世界。
自分と考えが違っても、管理人さんへの敬意や共感を持ちながら、まず通読してみる。同一カテゴリーの過去記事も読んでみる。
批判する人はその上でやる、というのが礼儀でしょうね。

礼儀のない人を相手にして管理人さんが消耗するのは心が痛みますが、なかなかどうして「しぶとい」ブログで嬉しいです。

投稿: プー | 2015年10月29日 (木) 19時34分

沖縄の人は基本的に憎しみ返しをしなかったんだなーと思いながら、楽しく読ませていただきました。

投稿: 那覇市民 | 2015年10月29日 (木) 19時51分

昨日も書かせていただきましたが、やはり解釈は受け取り手次第なんだと思います。
書き込みした時はあの記事しか読んでおらず、管理人さんがどんな人がわからなかったので、前後の文章を読んでも「え、これって良いこと言ってるように見せかけて実は皮肉だったりしないよね…?」って思ってしまいました。
ちなみに、今読み返しても不思議なことにやっぱり嫌な単語だなぁと感じました。
もちろん、皆様のコメントも読んでいましたし悪い意味で使ってないのはちゃんとわかっているのですよ?
自分でも自分がおかしいと思っています。

本日コメントしている皆様はポジティブで受け取られていたようで良かったです。
今までずっと管理人さんの記事を読んで理解していらっしゃるのもあるのでしょうね。
しかし、あの記事で数人は私と同じようにマイナス思考で捉えて、更には頭に血が上っている状態でコメントをしていたように見受けられたので、私のような者でもわかりやすく書いて頂けるとケチつけられずに、読んでいる相手も管理人さんも嫌な思いをしなかったのではないかな?と思ってコメント残しました。
…まぁ、ぶっちゃけちゃいますと、管理人さんの世界なのだから管理人さんの思うよう発言していいだろとか、嫌な思いしたんなら読むのやめればいいじゃんとか、コメントもしないで回れ右したらよかったじゃんとか色々思ってました。
ですが、それでは解決にはならないと思いました。
とある人に、物事を相手に伝える時は相手が怒って話を聞かなくなるようにではなく、思いやりをもってわかりやすく勘違いしないように伝えた方がいいと教わったからです。
なにせ沖縄のことでしたから、左翼だったとしてもちゃんと管理人さんの意見を聞いて(今回は見てですね)貰いちゃんと考えてほしかっただけで、取り上げる程になるとは思っていませんでした。
でしゃばったようで本当にすみません。

管理人さんのお考え、読ませて頂きました。
ぽっと出の私に対してわかりやすく記事を書いて下さりありがとうございました。
過去の記事がいっぱいありすぎて一気には無理ですので、時間かけて読んでいきたいと思います。

投稿: くるみ | 2015年10月29日 (木) 20時55分

くるみさんの仰ってることは、まさに私が最近思っていたことです。
「しぶとい」という言葉もそうですが、コメント欄の常連さんたちの言葉の中にも一見、トゲのあるものがあって、もちろん、過去の記事やコメント等見ている人にとっては「ああ、あの人が言うことだから悪意があるわけではないんだな」と分かりますが、このブログを訪れる移設反対派の人たちって、ある意味、アウェイに乗り込むような心境で構えてやってきていると思うので、そういった一見トゲのあるように見える言葉にムカッと来て、きつい言葉でコメントし、それに常連さんも過剰に反応し、コメント欄が荒れてしまっているという部分があるのではないかと思います。
もちろん、最初から荒らしてやろうという悪意のある人もいるかもしれないですが・・・

私としては、移設反対派の人ほど、このブログを読んで頂きたいと思っているので、くるみさんのような移設反対派(?)の人が来てくれることは非常にありがたいと思います(管理人さんがどのように思ってらっしゃるかはわかりませんが)。
いわゆる基地サヨクではなく、ごく普通の沖縄県人で基地に反対している層に対するフォローを政権はすべきではないかと思うのですが、そういった人たちの声は本土にいるとなかなか聞こえてきません。
昨日の報道ステーションでも基地前の運動家にインタビューして「この沖縄の声を安倍政権はどのように受け止めるのでしょうか」なんてやってましたしね。

まとまりのない長文で失礼致しました。

投稿: 山口 | 2015年10月29日 (木) 23時18分

「しぶとい」談義はもう止めましょう。
私もこの言葉はとうぶん封印しておきます。
というのは、この言葉自体に意味があるのではなく、私が込めた意味に力点があるからです。
素直に受けとるには抵抗があるという方が多ければ、別な言葉で言い換えることは容易ですので、そういたします。

私が「しぶとい」に込めている意味は、ただ「粘り強く戦う」ていどの平板なことではなく、状況次第では、「清濁併せ呑む」ことができるというニュアンスです。

そのためには、本質において変わらないという自らに対する信頼と、正確な情勢判断が必須です。
さもなければ、ただの利権あさりに堕っしてしまうからです。

21世紀、状況は「センカアギ」の時代から大きく変化しました。
島をどのように作っていくのか、本土から自立するためには今何をしたらいいのか、という大きなグランドデザインが必要です。

今の翁長氏にそのグランドデザインがあるのか、それを一貫して私は問うています。

投稿: 管理人 | 2015年10月30日 (金) 03時23分

管理人さんのおっしゃるグランドデザイン、県内で子育て世代やこれから成人する層が希望を感じるようなプランを出している政治家や事業者は沖縄にどれくらいいるのか、県民はそれを意識しているのか、とても知りたいです。本土からネット検索しても出てきません。
浦添市の給食無償化は予算が足りなかったのですかね。私は小学校までしか給食のない大阪育ちで中学以降昼飯でかなり苦労しましたので、今住む東京が中学まで有償給食制度があるだけでも相当楽に感じます。が、それが元々な都民は無償になればいいのにと思うかもしれません。

宜野湾市もニーズがあれば基地跡に家が沢山建ってベッドタウンが完成、リゾートはもうちょっと奥に作る方が住みやすそうに感じます。
九州を参考にできないかと思案しています。
別府だとか八方塞がりからの反転で未来が見えてきています。熊本や宮崎にも観光だけでなくしみじみと工場とか誘致されて安い地代と安定雇用でよくやっています。
別府になくて沖縄にある物、実は既得権益者です。基地も運動家も消えてこれだけが残った状態で外資を呼びこむと貧者は奴隷になります。
おこぼれにあずかれる人数も激減していくでしょう。今若干受益している者もシビアに考える際に、どっちに付くかでなく自分らで違う事を始める選択肢、ないですかね。

投稿: ふゆみ | 2015年10月30日 (金) 10時32分

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