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2015年10月19日 (月)

改めて時系列で普天間基地と周辺を見てみよう

028
ひさしぶりの、故無き炎上です。 支えて頂きました多くの方に、深く感謝いたします。 

かつて、放射能風評被害について書いた時に、罵詈雑言の嵐に遭遇したことがありました。 

その時は、社会のマスヒステリア状況に対して一石を投じる内容でしたので、「やはり来たか」みたいな気分がありました。 

今回は、あの時と較べて、「よもやこの記事に対して」というこちらの気持ちがあったために、ある意味、放射能騒動の時よりショックが大きいものでした。 

土曜日の「普天間基地の成り立ち」記事は、私は極力中立的な立場に立っていました。
※http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-8b47-1.html 

読んでいただければお分かりになるように、いわゆる翁長氏とそれを支持する人たちへの批判を意図したものではありません。

むしろ百田氏などにみられる、本土側のがさつな認識を諫めたものだったからです。 

それに対して来た「名無し」氏はこうコメントしてきます。これがこの嵐の前触れでした。この人物はその日、くり返し執拗な投稿してきた人物です。 

「基地が先か、住民が先か、新聞が右か左かなんて沖縄の基地問題を語る上で今更論じる意味もない」 

やや唖然としました。私は地元2紙についての政治的スタンスへの論評など、一行たりとも書いていなかったからです。 

書いていないことを「書いた」と言われるほど困ることはありません。しかも存在しない標的に対して批判しているわけですから、ただの自分の意見の開陳ということになります。 

もうひとり「牛タン」氏という人物も飛び出します。この人は、名無し氏とは別人です。 

この人物は、私が「自説に引き寄せて都合よく解説している」として、こう述べています。 

「宜野湾市だけの航空写真だと、あたかも基地周辺に住宅ができたように見えるので、ミスリードしてしまいます」 

記事には確かに、宜野湾の1944年45年の二枚の米軍の航空写真を乗せてありますが、公平を期する意味で、その後に琉新の引用を使って、記事半分を費やして当時の村の風景や地図も載せた上で、百田氏の「水田だけだった」という説について、こう結論しているはずです。

「水田があるということは、必ず近在にそれを耕す農家もあれば、寄り合い場、公民館、郵便局、学校、小学校などの公共施設も付随しているものなのです。
これを「水田だけ」と言われると、村の人間としてはムッとなりますね。 人の暮らしも田んぼには付随しているものなのです」

このように私は、記事中前半部分を通して、むしろ百田氏の「水田しかない場所に普天間基地が作られた」という、保守系論壇の通説が間違いだと明確に書いています。 

一方で私は、翁長氏のこのような言説も批判しています。 

「普天間基地もそれ以外の飛行場も基地も、戦後、沖縄県民が収容所に入れられているときに取られたか、住民が住んでいるときは銃剣とブルドーザーでどかしてですね、家も壊して今の基地は全てできているんです」(2015年5月20日外交特派員協会での講演)  

このような翁長氏の言説は、下のような写真とワンセットで宣伝されています。 

Photo_6

 (屋良朝博氏の講演会資料によるhttp://nisiyamatookinawa.web.fc2.com/back/okinawa_1101_89.htm 

反基地運動家たちが、この写真をひんぱんに出すことには、目的があります。 

それはまるでこの住宅地のど真ん中に基地が「銃剣とブル」で民家を潰して作られた、という誇張された説の論拠だからです。 

この説は今や通説化していて、普天間問題をよく知らない人の間には、まるでこの密集した住宅街に米軍が割り込んで基地を作った勘違いをする大元になっています。 

ここから、「米軍はけしからん」「米軍横暴」という声が出てくるわけですが、もちろんこれは途中経過を省いています。 

つまり、基地ができた戦争中の1945年と、70年間も隔たった現在を一挙にワープしているのです。 

改めて時系列で、基地周辺の航空写真を並べてみます。基地周辺の緑の部分と住宅地にご注目ください。 

Photo_2

 1944年戦争中の米軍の偵察写真。丘陵に拡がる水田やサトウキビ゙畑、多くの人家、松林の街道らしきものも通っているのがわかります。 

Photo

 1945年、米軍が戦争中にもかかわらず、2400mの滑走路のある基地を作りました。これが翁長氏がいう「銃剣とブルで民家を潰して基地を作った」時代のものです。 

続いて1977年、国交省が撮った復帰から5年後の普天間基地北側の写真です。

縮尺が異なっているで分かりにくいのですが、基地北側から基地に沿って走る道路を注目ください。 

Aという赤矢印が指し示す部分には、緑地がまだ残っているのがわかります。当時は嘉数台地の展望台からは、今の住宅地はなく、農地が見えました。 

Photo_4
1977年、同時期に国交省が撮った普天間基地南側です。赤矢印B、Cにはまだ緑地帯が存在します。 

Photo_5
そして2005年です。基地北側写真を見ると、1977年には道路から西には住宅がなかったものが、道路を越えて基地にまで迫ってきています。 

Photo_2
最後に2015年現在のものです。今朝グーグルから引っ張ったばかりのホヤホヤです。

Photo_6(Google Earth)

さらに宅地化が進んでいます。もうお分かりでしょう。翁長氏たちのいう「世界一危険な基地」が出来上がった原因は、基地建設後の宅地化によるものなのです。

これは宜野湾市の人口動態でも証明されます。

・1946年(昭和21年)   ・・・6820人(宜野湾市教育委員会副読本 平成12年度版による)
・2015年(平成27年現在)・・・9万7062人(宜野湾市)

この70年で、宜野湾市の人口は約10倍に膨れ上がっています。これは沖縄県の人口が増加したのと見合っています。

Photo_7(ウィキより)

上の写真と同時期の人口はおおよそこのようなものです。

・1945年・・・約30万人
・1977年・・・約110万人
・2005年・・・約138万人
・2015年・・・約142万5千人

このように県全体の人口が5倍弱にまで膨れ上がり、100万人を突破した70年代から、那覇近郊の交通が便利な宜野湾市へと押し出され、さらには住宅が基地周辺にまで接近する今の風景を作り出したのです。

一方普天間基地は、基地返還交渉が実って復帰後に徐々に縮小しています。

・1977年3月31日・・・ 10.9haを返還
・1977年4月30日・・・ 0.3haを返還
・1977年9月30日 ・・・ 2.4haを返還
・1992年5月14日 ・・・ 道路用地等として1.5haを返還

復帰後には米軍は基地の周辺に対しては、一切の発言権がありません。

この基地のフェンス付近まで宅地化したのを、安全上の理由で規制すべきは沖縄県でしたが、沖縄県も手つかずのままに放置されていました。

地元2紙はよく、「なぜ街の真ん中に基地があるのか」という言い方を好みます。

翁長氏も、まるで住宅密集地のど真ん中に「銃剣とブル」で基地を作ったような言い方をしていますが、これは、その設問自体が間違っています。

正しくは、「なぜ基地の周辺にまで宅地が拡大するのを、ここまで放置してしまったのか」です。

誰が、どうしてこの危険な状況を知りながら、長期間にわたって放置したのか、です。

してもうひとつ。どのようにしたらこの危険な状況を解決して、住民の安全な暮らしを回復するか、です。

とりあえず責任追及は暇になったらやって下さい。今、急ぐべきはなんですか?

「米軍基地のない平和な島」という理想はよく理解できますが、それは残念ながら、中国の軍拡か止み、東アジア情勢がもっと平和にならねばなりません。

アジアが不安定な限り、米軍は好きか嫌いかは別にして、「いる」のです。

私はこれを解決するには、たったひとつの方法しか存在しないと思います。

そうです。普天間基地をできるだけ速やかに移設することです。それ以外に危険性の除去するには、方法がありません。

ただし、この時に条件が三つあります。

第1に、移転先が市街地であれば、また第2の普天間問題が引き起こされるために、必ず人口の希薄な土地でなければなりません。
第2に、その受け入れ側の地元が、納得して受け入れる地域である必要があります。
第3に、移転する店子である米軍の合意が必要です。

この三つの条件が揃わねば、移転先は定まりません。

いくつか候補が上がっています。24カ所もありますが、すべてが帯に短し襷に長しで却下されました。

これについてはそのうち詳述しますが、スッタモンダのあげく着地したのが辺野古地区だったのです。

ここはすべての条件が揃っていました。

第1に、人口過疎な漁村にあり、第2に伝統的に基地と共存を果たしてきた土地柄であって容認する住民が大部分を占めていました。

また当時の名護市も、条件つきで賛成しています。

ですから、米軍も渋々ですが移転に合意したわけです。

長くなりますので、次回に続けますが、改めて投稿のルールを明記しておきます。

①HNは絶対につけて下さい。名無しが2名いたために非常に困惑しました。
②礼節を守って下さい。罵倒語を連発するようだと、警告の対象になります。
③原則として連投はやめて下さい。ただし、私が管理人として制止するまではどうぞ。

ともかく、記事をちゃんと読んでからコメントを下さい。

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

普天間の基地移転の問題は規模は遥かに違いますが、畜産において自分たちが牛舎の近くに後から住み着いて悪臭が酷いから何処かに行けと苦情を上げるのと大差ありませんよね。
種子島でも事の善し悪しは別として畜産農家の方々は後から来た人たちの公共の利益のために不便な所に私財を投じての移転したり、畜産の継続の断念を余儀なくされています。
基地の場合は規模が大きい為簡単には移転できないでしょうが少なくとも多くの方々が、基地の近くの危険であることを認識した上でそこに住み着いた事実を無視してはいけないと思います。
不都合な事実を受け入れた上で、最善ではなくてもより良い改善策がどのようなものなのか改めて考える必要が、あると感じています。

ABC近辺の賃貸物件を探してみました。1L~2Lで3万円~5万円以下でかなり色々ありました。同じ価格では那覇市や浦添市に住めないようですね。実際に見ないと判らないとはいえ明らかに安いです。
現地を見るにしても住宅地を抜けて向かう訳ですし、こんなに人住んでるんだという印象が別方向で持てそうです。
年収150~200万円の家庭で子持ちならば危険と相殺して検討するのではと思いました。300万以上であればさらに魅力的な物件がありますね。
ネトウヨの書くような基地に群がって住民がはびこった
像とはかけ離れた必然性を感じます。
実際にお住まいの方々の世代分布(学生が多い、子育て世代が多い、分譲より賃貸が盛ん、などなど)や騒音危険以外の部分の住み心地など、沖縄の読者の方々からうかがえると嬉しいです。

普天間は嘉手納と違って騒音被害はそんなにありません
私の会社も沖国大の近くで会社の人も大謝名に家を建ててます。また普天間周辺の家賃が安いのは凄く古いアパートや外人住宅だったのが多いからです。
基地周辺の店を見たらわかると思いますが、アメリカ人相手の商売をしてる昔からの店が多くまた、基地周辺はインフラ整備がしっかりしているので人が集まって移り住んだのです。
浦添と比べてもいけません、浦添は那覇寄りなので当然都会です。比べるなら
宜野湾市の横の中城と比べて見て下さい広大な森や畑が広がっています。

ふゆみさん、中城村民さん。昨日はお世話になりました。ありがとうございます。
なるほど、基地周辺は不動産やアパートか安いのですね。知らなかった。

理由としてはこんなところでしょうか。
①普天間周辺には古いアパートや外人住宅か多かった。
②基地周辺はインフラ整備がしっかりしている。
③大都市圏へのアクセスがいい。

これだと確かに住民が集まりますね。

中城村民さんが調べていただいたように、ジェット戦闘機がいる基地とくらべれば、輸送機の爆音は静かです。
私も、実際に、普天間はよく行きましたが、拍子抜けしたほどです。
しかも皮肉にも、あれだけ反対したオスプレイになっていっそう静かになりました。
オスプレイはバタバタというヘリのラップ音がないので静かなのです。
地元2紙は静かだと不満なのか、今度はオスプレイの爆音の低周波と言い出したのには失笑しました。

私は今、なんの巡り合わせか百里の近隣住民ですが、ジェットよりヘリのほうがうるさいのです。
ただし、当地ではあのどれだけの人を救ったかわからない百里救難隊のヘリですので、だれも文句を言う人はいませんが。

こういうことも実際経験しなきゃわからないでしょうね。

種子さん。ほんとうに昔からありがとう。口蹄疫からですよね。ほんとうに古いつき合いです。
おっしゃるような、「後からお前らが知っていて来たんだろう」という感覚は、私たち畜産屋にしかわかりませんよね。


めげずの更新ありがとうございます。データやソースを提示したうえで綿密かつ理論的な検証をされているのでいつも大変参考にしています。私自身、自分の信じたいものに流されることがありがちなので、様々な事象を客観視するためにも当ブログの継続を切望します。確かに他県に比し沖縄に米軍施設は多いでしょうが、私が幼少の頃は新都心どころか北谷や宜野湾の海岸部のかなりの部分が米軍施設でした。那覇市内の小学校の上空を機体の文字がはっきり見える高度で米軍ヘリが通過していくこともありましたが今ではそんな光景は見られません。水平飛行モードのオスプレイなんて飛んでるのも気がつかない程度の音です。少しずつですが負担は減ってきているし普天間移設が実現すればまた少し減ります。情実や空気に流されると何も変わりません。今後とも宜しくお願いします。
話がとびますが、旧アメリカ領事館にあったレストラン「ピザハウス」が懐かしいです。いい雰囲気のレストランでした。復活しないのかな。

中城村民さん、クラッシャーさん、ありがとうございます。お話を留めてグーグルストリートビューで幾つかの通りを興味深く閲覧しました。
フェンスと古いアパートや米軍ハウス、まばらな繁華街、大学時代にすごく古いアパート住まいで過ごした西立川〜福生を思いだします。が、福生より断然便利な立地と人口密度です!この基地無かったらもっと人住めるのに、と呟いてしまいました。
中城村の森は高くはないけど山地でしょうか。琉球大学生用アパートのニーズはありそうですが家を建てるなら300号に出やすく基地からはちょっとだけ距離のある辺り…長田とか大謝名とか、賃料も少し高くなってますね。宜野湾署の西側〜海の手前辺りも国道があって便利に見えます。
飛行場の移設が成れば、地価が激変するかもしれませんね。跡地の利用法も住民第一で考えたいです。
種子さん、管理人さん、千葉や埼玉でも同様な文句を言う人々に会った事あります。増えた者勝ちな物言いに唖然としました。

数ヶ月ロム専でしたが昨日の状況を見て初めて書き込みさせて頂きます。

名無しさん、牛タンさんの管理人批判は 的外れですね。過去の記事を読んで行けば管理人さんが公平にデータを提示して論じているのがわかりますよ。

私は今年40になりますが南部育ちで基地を身近に感じることなく過ごしてきたので初めて知る話が多く毎朝ブログ読むのが楽しみです。

微力ながら応援してますので変なアンチのことは気にせず頑張ってください。

私もコメントを書き始めたのは最近ですが、4、5年前より、このブログをチェックするのが日課になっています。
誹謗中傷に負けずに、これからも更新を続けてください。

管理人さんいつも楽しみにブログを読まして頂いております。
ふゆみさんもグーグルで色々と見ていると思いますが
普天間基地周辺はここ最近、10階以上の高層マンションがよく立っているんです。
え?こんな滑走路の近くに建てて煩くないの?と疑問に思ったほどです。そして基地周辺だからと言ってマンションの価格は安いと思えるような金額とは思えません。参考までに見て下さい

プレサンスロジェ宜野湾レーヴ
http://www.fudousannoirai.com/130.html

ミルコマンション長田
http://myhome.nifty.com/smp/chuko/mansion/okinawa/ginowanshi/homesf_32172610000045/


ミルコマンション真栄原
http://milco-mansion.jp/mansion/maehara_skyview/access.html

すいません、上の名無しは私です。^^;

管理人さん、心無い輩が来たりしますがこのブログはこんなにも愛されてるんですね、ますます好きになりました。

これからも色々と教えてください。

多摩っこさま

I do agree with you!

こ、これは超ゴージャスですね…しかも14階建て真栄原とか!頭上じゃなくて目線から事故機が突っ込んできそうです。
分譲価格、確かにこれはたとえば福岡市の郊外の新築物件の8割位の価格で沖縄でこれは安くないですね。どんな客をターゲットにしてるんだろう…
賃貸物件は安めでも分譲は他にも結構な値段ついてますね。物価が安く年収が低く正社員が少ない県という認識で安易に賃貸物件で比較しちゃーダメですね。
どういう感性で移設がひっくり返りそうな地域にこれを建てるのか、理解の範疇を越えました。

ミィ@名護さん

ありがとうございます

ルール無視の連中はスルーでいいと思いますよ。
毎日見るほどありがたい存在です。

問題の最大の原因は本土の人間が米軍は必要だが自分の周りには要らない、と言う勝手な考えにある。
まぁ何れにせよ何らかの形で負担は負わされる事だか。

記事末尾抜粋

①HNは絶対につけて下さい。名無しが2名いたために非常に困惑しました。
②礼節を守って下さい。罵倒語を連発するようだと、警告の対象になります。
③原則として連投はやめて下さい。ただし、私が管理人として制止するまではどうぞ。
ともかく、記事をちゃんと読んでからコメントを下さい。

いつも愉しみの読ませてもらってます。
中立の立場からの考察は非常に参考になります。

他に人にも見てもらいたいのですで、
Facebookにシェアしたいのですが大丈夫でしょうか

これからも楽しみしております。

髭親父さん。どうぞご自由にお使いください。

もう一つ前の段階を確認してください。
我が国の領土に外国の軍隊がいるのです。
(しかも安保条約の「我が国の安全又は極東の平和及び安全」に適合しているかどうか疑念のある軍隊です。)
AもBも日本の国土であり、日本国民の財産です。

米軍に許された敷地範囲の中で安全性を確保する義務があると思いますがいかがでしょう、
外国の軍隊に「フェンスぎりぎりまで利用するから、危険だと思うなら安全はお前たちで確保しろ」と言われて、「そのとおりですよねぇ」と言うあなたたちが理解できません。

放置したのは誰かって?
日本政府じゃないんですか。
まさか宜野湾市に私有地の財産制限をして、その補償をする義務があると言うんですか。

うわぁ、子供達の教育環境の改善と安全確保のための普天間第二小学校の移転を妨害した「平和団体」そのものの発想だわぁ。

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