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2015年10月16日 (金)

「支配的空気」から我に返るには

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飯田泰之さんという経済学者が、『ダメな議論-論理的思考で見抜く』というおもしろい本を書いています。 

日本に溢れる、なんか違うんじゃないというダメ論理をリテラシーする本です。リテラシーとはこの場合、「読み解く仕方」くらいの意味でしょうか。 

この中で飯田さんが上げているひとつに、「場の空気の支配」というものがあります。 

「ある事実が多くの人の心にかなう(好みに合う)もので、それに対する批判が行なわれない状況が続くと、『常識』は論壇や政策論争の場を支配する『空気』になります。
常識の支配力が強力になると、言説の可否を決めるものは論理や根拠ではなく、『なんとなく形成された常識』に近い雰囲気をもっているか否かになります。『科学的根拠』自体が『空気』に適合するように再構成されるようにすらなるでしょう」
 

こういう同調圧力を持つ「空気」というのは、「常識」の仮面を被っていますから、実にやっかいなものです。逆らうと、ホント居心地の悪い扱いを受けるからです。 

なんとなく漂っている支配的な「空気」は、その正体がただの「空気」であるだけに、議論の俎上に乗せることもしんどいものになります。 

多くの人が怪しげな定説をコロっと受け入れてしまうプロセスは、こんなかんじです。 

<気分がかなうという理由で納得する⇒なんとなく常識化する⇒動かし難い空気となる⇒社会が特定の思考や言論で支配される> 

一回この負のプロセスに突入するとなかなか抜け出すのが困難です。イケイケドンドンで盛り上がり、気がつくと破局ということになります。 

たとえば、日本民族の20世紀最大の失敗である先の大戦などは、まさにこのパターンで進行しました。 

政治家や朝日のようなメディアが煽ったのも事実ですが、むしろ彼らは大衆の「空気」に便乗し、迎合しただけなのです。

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たとえば、大戦への別れ道だった第2次上海事変の時に、そこで戦争を停止すれば、その後の展開は決定的に異なったはずです。

しかし、政府は一回燃え上がった、「中国許すまじ」という「空気」を押えることができませんでした。

そしてその後、する必要のなかった南京爆撃から南京戦へと進んでいきます。

この後、2回あった和平もすべて日本側が壊してしまいます。

その原因は近衛文麿という「昭和の鳩山」のせいもありますが、当時日本を支配していた国民の「ここで和平してしまったら、それまでに亡くなった英霊に申し訳がたたない」という「気分」が背景にあります。

そして、その結果破れて悲惨な目に合うと、これまたコトの始まりがただの「空気」なだけに、憑き物が落ちたようになって、下手人探しをしたりすることになります。 

もっともこれは日本人だけに特有の現象ではなく、20世紀最大最悪の実例は、何といってもナチスドイツです。 

日本以上にボロボロに破れて、国まで分割されたドイツ人は、「我に返って」国家犯罪のすべてをナチスになすりつけました。 

では「我に返る」には、いちいち破局していなければならないのでしょうか。 

そういうことはありません。飯田さんはこの「場の空気の支配」を打ち破るためのチェックポイントをいくつか教えています。 

そのひとつに、単純なデータ観察をリテラシーすることがあります。 

なかなか実際のデータにあたらないために、メディアが作り出したセンセーショナルな事件によって「支配的空気」が作られてしまいがちです。 

ここから「我に返る」には、元データに帰ることが大事です。 

たとえば、飯田さんはワイドショーなどでひんぱんに登場する「凶悪な少年犯罪が激増している」、という報道を例に上げています。 

実際は昭和期よりも激減しているそうです。少年人口1万人当たりの殺人は1960年に0.4人だったものが、近年は0.1人を切っています。強姦も4.1人から0.2人へと激減しています。 

Photo
Photo_2(図 少年犯罪データベース

 グラフで明らかなように、激減したために目立っているだけで、実際は少年の凶悪犯罪は減ってきているのです。 

こういった元データに当たらないと、「日本には猟奇的な少年犯罪が蔓延している」というワイドショー好みの「空気」にミスリードされてしまうことになります。 

そして懐古的な人は、「昔は兵隊に行って一人前の男になったんだ。若い奴らを自衛隊に入れろ」と言い、一方左翼チックな人は「政府がまたアベ・ヒトラーの下で改憲して戦争が出来る国にするために徴兵制を企んでいる」と考えます。

Photo_7http://blogs.yahoo.co.jp/tt23vd8m/13437244.htmlより。なかなかすごいサイトで、しっかりとカルト的な空気を楽しめます) 

Photo_8(上のようなことを言う人たちか集まるとこうなる。主義主張ではなくて、この雰囲気、ちょっとコワイ)

やれやれ。現実の自衛隊はといえば、「今の新人教育で手一杯だ。冗談もいいかげんにしろ。自衛隊は教育機関じゃないぞ」と言っているのにです。

というわけで、自分の気分に適い、なんとなくそんなイメージかなぁ、と納得しかけた時には、面倒でもまずせねばならないのは、関連データの収集と検討なのです。 

極端なことを言う人が支配的「空気」を作り出した場合、その論拠となるデータを洗い出せば、かなり見えてくるはずです。

Photo_9(福島取材をして、鼻血を出す山岡。これで「名作」美味しんぼはオワッタ)

あのね士郎くん、というか雁屋さん、放射線で鼻血がでるのは急性被曝といって、「もう、お前はもう死んでいる~」くらいの高線量被曝した場合だけなのです。 

放射線被曝に対して発言するなら、それは常識です。はい、ビタミン剤、出しておきますからね。お大事に。

私も、福島事故以来の、「東日本は住めない。40万人がガンで死亡するゾ」と煽った者が大量に発生した放射脳騒ぎ、あるいは「わずかな低線量被曝で大変なことになる」というゼロベクレル騒動とは、当時からデータを出して徹底的に戦いました。

テッテイ的にやりすぎて、2年間ほどこのブログは脱・脱原発ブログと化していたほどです(苦笑)。

さて、沖縄の「動かし難い空気」は、米軍基地です。皆さんもよく見聞きするでしょう。

これなど飯田さんの言い方を借りれば、「科学的根拠自体が空気に適合するように再構成された」ものです。

好むと好まざるとに関わらず、これが沖縄の「論理や根拠ではなく、なんとなく形成された常識」なのです。

おそらく翁長氏を支持する人たちは、これらの論説を無批判でコピーしているはずです。

しかし、このように一見客観的データや数字が散りばめられて説かれると、うっかり納得しかねません。

しかも悪いことには、このような言説を、運動家がコピペして拡散し、それをまた地元2紙が県内くまなくバラ撒くために、「世論」となり、そして翁長氏を生み出す「民意」に成長していきます。

それは、沖縄県民のこう見たいという「好み」にかなっているからです。

もともと沖縄社会の中に、「米軍は悪だ」「沖縄だけがいじめられている」、という「動かしがたい常識」に反していないために、それを裏付ける「科学的根拠」に見えてしまうというわけです。

Beiheizzuu

上は沖縄タイムス(2011年3月6日)が乗せている解説図ですが、「洋上展開しているのを除く」として、横須賀を「母港」とする第7艦隊の兵員数1万3千人を意図的に落しています。 

第7艦隊の1万3千名は、日米合意で「母港」扱いではないので(実際は母港ですが)統計から政治的理由で外されているからです。 

なに?いつもは洋上で、本土にいないだろうって。いえ、だいたい3か月間周期で横須賀にいます。 

沖縄の海兵隊も、ローテーション配備といって、強襲揚陸艦に乗ったり、アフガンに行ったり、ハワイや本国に帰ったりしていて、いつもは3分の1くらいしか沖縄にいません。 

つまり、統計数字は沖縄マリーンも、横須賀ネービーも、いつも丸々統計上の兵員数が常駐しているわけじゃないんです。 

いわば、本籍地みたいなものなのです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-a93c.html 

そもそも、兵員数を住民数で割ること自体に、一体どのような意味があるのでしょうか?税負担じゃあるまいに。 

これとワンセットで登場する、有名な沖縄県の基地面積占有率に関しても、最近は各所から指摘されたんもんで、必ず「米軍専用」と断ってはありますが、その意味を説明しません。 

それは説明すると、沖タイなどのような人にとって都合が悪いからです。だって、沖縄の米軍基地が100%「占有」なのに対して、本土のほうは9割が日米共有ですからね。 

そりゃ、「占有」だけ取れば多くなります。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-974e.html 

私は沖縄の基地負担が少ないなどと言う気は、みじんもありません。実際、全国一米軍基地が多いのです。 

ただ誇張しすぎです。プロパガンダ数字を使いすぎです。 もし、本土の人が「我に返ったら」、沖縄側の発言すべてを丸ごと信用しなくなります。 

そのほうがダメージが大きくありませんか。 

Photo_6(屋良朝博氏の講演会資料によるhttp://nisiyamatookinawa.web.fc2.com/back/okinawa_1101_89.htm 

こんなにアブナイ普天間基地!しかし、基地か先か、住宅地・公共施設か先か考えないといけませんね。 

ちなみに1945年に、普天間基地が作られた当時の写真は下です。私は百田さんのように「水田ばかり」という気はありませんが、現在とは大違いなのは事実です。 

Photo_10(写真 1945年の出来た当時の普天間基地) 

結果、沖縄ではこのような「支配的空気」になってしまっています。

Photo_12
このような、沖縄にある支配的な「常識」について、いたずらに「沖縄は韓国と一緒だ」と叫んでも、かえって国民の分断を深めるばかりです。

だから、ういう「支配的空気」をカモす人たちには、時間はかかりますが、まずはしっかりとデータを上げてリテラシーしていき、ひとりでも多くの沖縄県民にほんとうの事実を知ってもらわねばなりません。

この方法のほうが「嫌沖」を叫ぶよりよほど大変ですが、やっていかねばならないでしょう。

おっと、枕を書いていたら、枕だけで終わってしまった(笑)。

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コメント

見出しとイラストやグラフを上手に?組み合わせると、本文では書いてない情報やイメージを伝える事ができる。読後には事実関係を忘れてしまいがちなのでイメージだけが蓄積されていく事になります。
本文を書く際にも情報を並べる順や語尾の語調で常に提供側の望むイメージ付けが可能で、このあたりは本多勝一氏が文章の書き方本で昔開陳していて文庫版でも出ているので、これをサカ読みするとかなりリテラシーに強くなれると思います。
私の専門は出版広告関係なので、情報提供についていかに真摯であるかとクライアントの満足の齟齬というのは…永遠の課題です。

しっかりとしたデータを示しても、赤いプラカードを掲げている人たちは見向きもせずに全否定するものと思われますが、今日のブログ記事のように社会心理学あるいは集団心理学的側面からアプローチしていくことは有意義なことなのかなと思います。

洋上展開している12000人も足して計算してみました。
0.1は0.2になります。(計算の都合で1000人は置き去りです。)
あなたの言いたいことは0.1足りないじゃないかということですか?

読者が計算しないと思って舐めてはいけない。
危ない普天間をなくすために「沖縄に」 海兵隊の基地を置く必然があるかということです。
彼らの乗る船は佐世保に置いてあります。ああ。

ナナシさん、本意が違うと思います。文脈上とこの日の主題において、このイラストについての意見は
"そもそも、兵員数を住民数で割ること自体に、一体どのような意味があるのでしょうか?"
です。
管理人さん、勝手に代弁して違ったらすみません。
この本記事でイラストを発注した記者もしくは編集者は、沖縄の人々がより沢山負担しているメッセージを送る為の1バリエーションとして
●数の見積もりを人数で計算する
(13000人を落とした方が計算上有利。数字だと大差ないと思われがちですが、0.1の1という数字に少ないという印象付け効果がある)
●数多くの兵士を描く事で悲惨なイメージを際立たせ、数量の差も増幅して伝えられる
本土の0.1人を支えている人がストレス無の顔をしているのもキチンと意識して描いてます。
そういう発注の下地に主題である空気に迎合するメディアの質がある、それに乗っかる前に考えようという話で、とても有意義な問題提起だと思います。
私も勿論沖縄の負担が重いと思っています。だからこそこんな姑息なイラストやイメージ構成無しに考えたくてここを訪れ参考にしているのです。


連投すみません。
7行目の本記事×元記事 です。
要するに沖縄タイムスが描かせたイラストについてです。

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