• S-009_20240906024801
  • S-017_20240904054601
  • 20240906-004039
  • S2-003_20240904055201
  • S3-037
  • 20240901-044354
  • 20240901-044623
  • 20240901-044830
  • 20240901-051549
  • 20240901-052008

« シリア難民とドイツの偽善 | トップページ | 日曜写真館 湖の朝 »

2015年10月 3日 (土)

単純化させると歴史的事実が見えなくなる

164
名無し氏と、当事者である辺野古地区「豊原区民」さんにも投稿いただいての討論になっています。 

沖縄はその置かれた苛烈な運命にもかかわらず、猥雑で明るく、しぶとく矛盾の海を泳いできました。 

ところが翁長氏になって様相が代わりました。翁長氏は沖縄県民は一枚岩だというのです。 

「オール沖縄」という、オール阪神・巨人みたいなネーミングを自分の陣営につけて、とうとう国連人権委では「民族自決権を侵されつづけた」とまで口走り始めました。 

こんな沖縄ナショナリズムを煽れば、カウンターとして当然本土のナショナリズムも起きて、ナショナリズム同士の衝突コースに入ります。 

本来は年ふりた老練政治家の翁長氏あたりが、まぁまぁといなすべきなのに、その翁長氏が先頭切ってアジテーターになっているのですから、困ったもんです。 

翁長氏は、虚構の「琉球民族」というナショナリズムを煽るために、極端な単純化をしました。 

単純化というのは、不利なことを全部捨て去ってしまって、自分に有利なことしか言わないことです。

とうぜん、ずいぶんとバランスの崩れた子供じみた言い分になるのですが、単純なだけに妙な迫力があって、それなりにダマされる人も大勢出ます。

特にインテリ文化人はこれに弱いようです。 

ところで、ナショナリズムを煽るもっとも有効な方法は、古来から「被害者意識」を刺激しまくることと決まっています。 

翁長氏は「被害」の例証として、米軍基地の集中や、収容方法を出してきました。 

たとえば、先だっての9月2日に翁長氏が国連でやったスピーチです。冒頭からこんな感じです。 

「沖縄県内の米軍基地は、第2次大戦後、米軍に強制的に接収され、建設されたものです。私たちが自ら進んで提供した土地は全くありません。
沖縄の面積は日本の国土のわずか0・6%ですが、在日米軍専用施設の73・8%が沖縄に集中しています」
 

後段の0.6%の土地に、74%の米軍基地という主張についてはここでふれません。
※土地数字トリックについての関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-974e.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-dd3e.html 

では、前段の土地収用はどうだったでしょうか。 

私はこれもありえないと思います。この土地収用問題でも翁長氏陣営は、得意の<有利な一点を上げて、それだけを主張する>という極端化の手法を用いています。 

米軍基地は、嘉手納基地に典型なように、既に戦争中から建設が開始されています。 

航空基地の大部分は、戦前からあった日本軍基地の上に作られました。その他の付属する施設群は、半ば強制的に収容されました。これは事実です。 

とくに敗戦後、島の6割を基地に収容された伊江島では、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)氏をリーダーとして、激しい反対運動が起きました。 

これが沖縄における反基地闘争の原点です。この時代を、「銃剣とブルドーザーの時代」と呼ぶことは、あながち間違いではありません。 

Photo_3

これに刺激されたのが、本島全域で起きたいわゆる「島ぐるみ闘争」です。 

これは軍用地料の支払い条件をめぐる闘争でしたが、結局、住民は評価額の6倍と毎月支払いという要求を米軍に呑まして勝利します。

ここで大きく彼我の力関係が変化します。

今まで軍政の強みで自由に接収できると思っていた米軍の力は大きく後退し、住民との長期間の交渉なくして接収が不可能になったからです。

つまり、翁長氏がいう「銃剣とブル」の時代は60年頃には既に終わりを告げ、琉球政府を介した条件闘争へと変化していっているのです。 

さて、ちょうどこの阿波根氏が「乞食行進」を本島で続けていたほぼ同時期、その陰で進行していたのが、海兵隊駐屯地交渉でした。

この後にキャンプ・シュワブと呼ばれる辺野古地区が、粘り強い条件闘争に入っていたのです。 

名無し氏の主張である、「辺野古も強制性がある」という主張のソースとして提供いただいた、「沖縄学講座 基地が沖縄にもたらしたもの 名護市辺野古区を事例に」(熊本博之)には、こう述べられています。
http://www.hi-ho.ne.jp/hirokuma/okinawagaku-kouza080425.pdf 

「1955 年1 月、米軍は辺野古岳、久志岳一帯の山林野の接収を宣告
当時の辺野古における主要な収入源は、山からとってくる薪だった。それゆえに辺野古
区は接収を拒否。
しかし琉球政府は辺野古区との交渉の中で、「これ以上反対を続けるのならば、住民が住んでいる集落地域も接収し、強制立ち退きの行使も辞さず、一切の補償も拒否する」と強硬に勧告してきたこともあり、強制収容によってすべてを失うよりも、水道、電気、ガスの設置や、新しい集落をつくるための土地の造成、完成した基地への地元民の優先的な雇用などの条件をつけた上で受け入れたほうが賢明であるとの判断から、56 年12 月に米軍との土地賃貸契約を締結」

確かにこれだけを読むと、軍政下の琉球政府が強制立ち聞きを命じたから、不本意だが承諾したと受けとれます。

これをして、名無しさんは、間接の強制収容だと言いたいわけです。

これに対して、現地の「豊原区民」さんは、こう反論されています。

実弾演習場(久志岳、辺野古岳)と、基地(シュワブ)は全然別の話ですよ。基地については区民が誘致運動をしたんです

Photo(写真 沖縄が反基地の島だと一面的に見ている人が見ると仰天するだろう、青年会と海兵隊チームとの交流野球大会)

「豊原区民」さんのおっしゃる通りです。ここでこれを書いた熊本氏は実弾演習場と、基地本体を混同して記述してしまっています。

そのために実弾演習場で「強制収容するからさっさと提供しろ」と琉球政府が言ったから、基地本体もそうだと思い込んでしまっています。

ところが「豊原区民」さんが言うように、キャンプ・シュワブはあくまでも、旧久志村の辺野古住民たちが誘致したものなのです。

ちなみに、この熊本博之氏という人物のツイッターを読むと、移設反対や反原発、反安保法制といったことが大量に出てくる運動家的学者のようですから、やはり思い込みを前提にして対象を分析することをしてしまったようです。

この熊本氏はこんなことを主張しています。

中国の脅威を引き合いに出して沖縄の国防上の重要性を強調したり、沖縄経済の基地依存的状況に言及したりする」(太字は熊本氏による)
http://politas.jp/features/7/article397

浅い!こんなていどの知識で米軍基地問題を語る神経がわかりません。

中国の海洋膨張を頭から無視する人が、沖縄の基地問題を論ずるべきではありません。

中国の脅威かなければ、米軍基地が沖縄にある理由など、しょせんこの人の言うように「本土人のエゴ」に過ぎないからです。

むしろそれなら話は簡単なのですよ。そうではないから、これだけ混み入った話になっているのです。

それはさておき、これが名無し氏が主張するように、「強制収容をチラつかせての収容」だとしても、問題はこれを「広義の強制性」と取っていいか、です。

Photo_2(写真 海兵隊は現地のハーリーにも招待されている。米兵と仲良くすることを積み上げていくことが、彼らの犯罪の抑止になると、現地の人達は知っている)

Photo_4(写真 毎日、罵声を浴びせ、フェンスにしがみついて唾を吐きかける基地反対派。どちらが、米兵犯罪の抑止につながるのか、素朴に疑問におもわないのだろうか。しかしこの「平和運動」の人たちの好戦性には辟易する。もう少し平和的にできないものか)

名無し氏の手法には、見覚えがあります。

かつての慰安婦問題で、強制連行派が実証的に論破された時に突然言い出したのが、この「広義の強制連行」でした。

「自らの意志に反して慰安婦になった」という、「意志に反して」の部分だけを恣意的に拡大解釈して、当時の貧しかった時代に娼婦に売られたことすべてを「広義の強制性」としてしまったのです。

そもそも「日本軍の奴隷狩り」があったということでセンセーショナルに喧伝されたのに、それを貧困による身売りにまで拡大してしまったら、慰安婦問題そのものが成立しなくなります。

このような具体的事実を踏まえずに、広義な解釈を許してしまうと、なにが歴史的事実なのかが不明瞭になっていきます。

シュワブ建設で言えば、歴史的事実は、あくまでも旧久志村議会の総意による誘致であって、それはしたたかな条件闘争でした。

ある意味、基地などない南部や本土から来て、「キレイな海を守れ」と気楽に叫ぶ人たちより、はるかに必死な「住民運動」だったはずです。

それが左翼の人たち好みの、「絶対反対・断固阻止」を前提としないものだっただけで、それは地域が生きるか死ぬかをかけた壮絶な「戦い」だったのです。

※参考資料【辺野古】-沖縄県名護市辺野古区のホームページへようこそ

« シリア難民とドイツの偽善 | トップページ | 日曜写真館 湖の朝 »

沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

辺野古区のホームページの歴史の所には
農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、
有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32年に基地建設が着手されました。
と書いてます。
強制接収されたなんて一言も書いてませんね。名無しさんは自分の都合のいい資料だけを見て言っているようです。
岐阜県にあった海兵隊が移転したのは反対運動が激化したからだと言っている人もいましたが、あれも記者の思い込みのようです。

実弾演習場(久志岳、辺野古岳)と、基地(シュワブ)は全然別の話ですよ。基地については区民が誘致運動をしたんです


勉強になりました。

いつも楽しく拝見させていただいております。
大変勉強になります。
カウンターとして本土のナショナリズムが台頭してくるというのは本当に心配ですね。
確かに私の住んでいる地域はかつて米軍の戦闘機が商店街に墜落したこともありますし、つい最近も米軍の倉庫が爆発しました。実家でも頭の上を日本と米国のジェット機が通るたびにテレビも聞こえなくなります。
沖縄の方々の苦労程では全然ないですが、本土での基地の割合では高い方ではないかと。それでテレビで沖縄の例の方が出る度に「沖縄だけが」と言われると「ちょっと待ってください」という気持ちになります。
この反発心がこれ以上本土で起きないようにどのようにすればいいのか。皆さまのコメントも読みながら考えていきたいと思います。

どうみても強制接収だな
実弾演習場と、シュワブは全然別の話?
いやいや繋がっているよ
よく考えて下さい
一度、間接的に強制接収された経緯があって、隣接するシュワブを反対したところで反対が通ると考えますか?
反対して無駄だから条件闘争しかないと考えるハズです
今の辺野古区も状況が似ている
町内会レベルの辺野古区が反対しても、国は、何とも思わない、移設強行路線は変わらない
それに強大な国家権力相手では、沖縄県知事に勝算はあまりない
ならば、条件闘争で国に条件要求した方が利益になる
仮に、万が一、沖縄県知事の主張が通って辺野古移設が中止になったとしても
国から貰える金というのは、最初から当然に貰えるモノではなく何も失うものもない、今までと何ら変わらない
町内会の意思表示というのは、なんら他の県民に責任を負わない無責任で良いのだから気楽なものだ
国としては、買収して地方を分断して、移設の正当化に利用できるのだから安いものでしょう
ほんと、エゲツナイ方法だ


コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« シリア難民とドイツの偽善 | トップページ | 日曜写真館 湖の朝 »