翁長氏の「華麗な変身」の航跡を辿る
国交省が、沖縄県が出した「承認取り消し」の執行停止をしました。これで、工事は何事もなかったかのように,着々と進捗していくことになります。
予想どおりです。
この後に、沖縄県は、国と地方自治体の紛争処理の場である「国地方係争処理委員会」に提訴するでしょうが、ここでも翁長氏が勝利する確率はゼロです。
確率論的にはゼロはないのですが、どう考えてもゼロとしかいいようがありません。
「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、石井啓一国土交通相は26日、前沖縄県知事による同県名護市辺野古の埋め立て承認を取り消した同県の翁長雄志(たけし)知事による処分の効力を、いったん止める方針を固めた。石井氏は防衛省が行政不服審査法に基づく不服審査請求と同時に行った執行停止の申し立てを、27日に承認する。(朝日新聞10月27日)
さて沖縄はHNひこ~さんのコメントにもありましたように、日本屈指の埋め立て県です。たしか第7位だったはずです。
では、ざっと県内の埋め立て工事をしている場所を、押えておきましょう。
埋め立て面積の大きいものからです。太字が軍用がらみです。
・川田干潟 ・・・390h
・糸満干潟 ・・・300
・那覇軍港移設 ・・・205.6ha(第1ステージ18.3haを含む)平成22年3月
・泡瀬干潟埋め立て ・・・187
・与根干潟 ・・・160
・辺野古埋め立て ・・・160
・那覇第2滑走路 ・・・160
・与那原海岸 ・・・142
軍用がらみは那覇軍港と辺野古、そして那覇第2滑走路ですが、これら全部に関わっているある人物がいます。
誰あろう、翁長氏ですが、ある時は推進、ある時は大反対と、すべてに態度が異なっています。
まずは那覇軍港移設です。
これは那覇という過密都市の中心近くにあり、59hあります。中部へ行く国道331沿いにありますから、観光客もよく見る施設です。
ここは住宅地や商用地が密接しているために、米軍も早めに出て行きたかった場所です。
復帰そうそうの74年に返還が決まっており、1996年にはSACO合意で移設が本決まりになっているのですが、出て行く先がないままに宙ブラりんで、使用継続施設になっていました。
すったもんだのあげく、結局、那覇市に隣接する浦添市の牧港補給基地へと着地しましたが、ここで現地の浦添市の強い反対に合いました。
冗談じゃない、那覇の基地まで引き受けられるか、というしごくごもっともな理由です。
この移設反対を掲げて当選した儀閒光男市長を、宥めすかしたのが、他ならぬ那覇市長だった翁長氏でした。
これは、移設先が決まらないと、那覇軍港跡地計画が進まないというのが理由ですが、翁長氏は、なんと言っていたのでしょう。大いに興味ある所です。
「決断に敬意を表する。今後、那覇港は県、那覇市、浦添市の三者が一体となって国際流通港湾として整備・管理することになる。振興発展を担う中核施設として整備されるように努力を重ねたい」(琉球新報2001年11月13日)
こんな言い方が「新基地」に通用するならば、今の辺野古移設もこう言ってほしいものです。
「普天間基地が移設されることで、宜野湾は那覇市、浦添市などと一体となった広域首都圏として整備・管理されることになる。普天間基地の跡地が振興発展の中核施設として整備されるように努力を重ねたい」
私は冗談で書いているのではなく、まさにそのとおりで、普天間基地はよく言われるような周辺住民の航空災害だけの問題ではなく、那覇・浦添から膨張し続ける外縁都市の宜野湾市の真ん中にあります。
構造は同一で唯一違うのは、那覇軍港より普天間基地のほうが危険性が高く、撤去した場合のメリットが高いという点だけです。
さて、儀間市長を陥落させて、浦添市移設が進んだのでしょうか?これが、ノーなのです。
儀間市長は「苦渋の選択」までさせて受け入れを容認したものの、10年間移設自体は放置されぱなしになります。
というのは、この時期には既に移設問題の天王山である普天間移設が座礁していたために、他の返還計画も、それに引きずられるようにして動かなかったからです。
この普天間基地移転計画の座礁が玉突き的に、浦添市のキャンプキンザー(牧港補給地区)という補給・兵站基地の移転計画にも響いたわけです。
<普天間移設座礁⇒牧港補給地区移転座礁⇒新那覇軍港建設座礁⇒旧那覇軍港移転座礁>
と、こういう玉突き現象が起きてしまったわけです。
え、ひとつひとつほぐして解決すりゃいいだろう、って。
はい、まったくそのとおりで、国もそうしたかったのですが、ここであの怪人オナガがまたまた登場します。
2013年2月のこと、儀間市長の4選を巡って、浦添市長選が行なわれ、新人の松本哲治氏が新市長に選出されます。
この時、実は移設問題は争点ではありませんでした。
なぜなら、浦添市側としては那覇市との合意を勝手に破れないために、候補者4名が揃って容認派だったからです。これでは争点になりません。
ところが、二階に上げてハシゴをはずすまねをした人物が出ました。
はい、言わずと知れたあの翁長那覇市長ですね。なんと儀間市長にネジこんで甘言を弄して容認させたはずの当の翁長氏が、今度はいきなり左翼スローガンだった「新基地反対・移設阻止」を叫び始めてしまったのです。
しかも自民党県連重鎮の地位のままで!移設容認の言い出しっぺはお前だろうッて!
この豹変によって、候補者すべてが「移設反対」に回ったために、松本氏も態度変更を迫られることになります。
2013年1月、市長選直前に松本氏はこう述べています。
「12月30日、自民党県連が西原氏推薦を決定します。
1月4日、社民党県連の旗開きで西原予定候補者が「反対」へ方向転回します。
1月12日、翁長那覇市長が「浦添市への軍港移設とは分離」を明言します。
(略)
これまでは『浦添への軍港移設を前提とした西海岸開発計画』を推進してきた関係者が、あきらかな方針転換を決断していただいたお陰で、私たち浦添市 でもこれまで県全体の発展を考えて受け入れてきた「苦渋の選択」でもある那覇軍港受け入れをする必要がなくなりました。
よって、この時点で私自身も『那覇軍港の浦添移設』に反対いたします」
※松本氏ブログhttp://tetsujimatsumoto.ti-da.net/e3650760.html
保革の裏がなかった松本氏は、他の候補者が反対に回る中で、ひとりポツンと取り残されるようにしていた状況がわかります。
その松本氏が公開候補者選びでトップになったために慌てた翁長氏は、松本氏を潰すために、この公開選考の結果を「違法があった」として覆し、さらに保革相乗り候補の西原氏をぶつけてきます。
これが「オール沖縄」の原型です。つまり、2013年1月頃には、翁長氏の「知事一直線」の絵図面は出来上がっていたことになります。
この2013年1月という時期に注目してください。この時期こそ、翁長氏の「革新デビュー」の時期なのです。
2013年1月、翁長氏は自らリーダーとして、県の首長全員に「配備反対」の踏み絵を踏ませて、そればかりではなく、東京まで出ばって直訴行動の指揮を執ります。
(写真 2013年1月、オスプレイ配備に反対し、横断幕を手に東京・銀座をデモ行進する沖縄県の自治体関係者ら。先頭に翁長氏がいる。朝日新聞)
これは、さぞかし左翼陣営にとっても驚きの瞬間だったことでしょう。自民県連のボスが、「一緒に戦おう」と共闘を申し出て、その代表まで務めたのたのですから。
ここに、左翼陣営と翁長陣営のウィン-ウイン関係が誕生します。
翁長氏にとっては、知事権力に上り詰めるための戦略として、そして左翼陣営にとっては衰退に歯止めをかけ、反対運動を爆発させるために、という利害関係の蜜月が生じたのです。
と、ここまでお読みになった方は、これで翁長氏の浦添移設に関しての「華麗な変身」は終わったとお考えになるはずでしょう。
ところがこれにはまだ先があります。知事になった翁長氏は、またまた浦添「新基地」を推進する立場に再び変身してしまったのです。
長くなりましたので、今日はここまでとします。
それにしても、翁長氏という人の軌跡を辿ると、彼が米軍基地を政争の道具に使っているために、その時その時でクルクル言うことが変わって頭がグルグルします。
今後は翁長氏を書く場合には、時代と肩書つきで表記しないと混乱しちゃいますね(苦笑)。
※ご指摘を頂いて、那覇軍港移設面積を修正しました。
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浦添市長選挙戦の内幕を以前JC-NETでシリーズ掲載していました。小説だとしてもリアリティがあって面白かった。
http://n-seikei.jp/2013/04/10-30.html
投稿: 文若 | 2015年10月27日 (火) 07時07分
朝日新聞社がやったシンポジウムをまとめた本では翁長氏はぐるぐるしてない事になっているようです。自己決定権を叫ぶ県民の声を代表しているそうです。色も金も付いてない素のまとめ役が当選している事実が住民の声なのにね。とんでもなくキツいおじいさん達ですね…住んでいる人達があーもうどうでもいいと見ないようにしたくなる気持ちがわかりました。
参考までに。オススメでなく。
沖縄と本土――いま、立ち止まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022513217/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4022513217&linkCode=as2&tag=newsweekjapan-22
投稿: ふゆみ | 2015年10月27日 (火) 08時42分
こんにちは。
浦添キャンプキンザー沖への那覇軍港移設ですが、管理人さんの出されてるデータは平成15年3月のもののようで少し古いですね。
現行計画案は平成22年3月のもので、埋め立て面積は205.6ha(第1ステージ18.3haを含む)となっているようです。
さらに浦添市が平成27年4月に出した素案になると埋め立て面積は減少して164.3ha(第1ステージ18.3haを加えると182.6ha)。
軍港を第3ステージ内に移設すると115.3ha(第1ステージ18.3haを加えると133.6ha)となるようです。
これでやっと辺野古よりも埋め立て面積が少なくなるんですね(^^;;
http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2015051800118/
浦添市素案で自然環境を保全する区域が増えることは嬉しいのですが、元々キャンプキンザー沖は「西海岸で唯一残された自然のビーチ」と言われていたところらしいので、第1ステージ(18.3ha)で湾岸道路建設のために海岸線が既に埋められてしまったのは・・・。
この計画地は、Google Earthで見ると広大なサンゴ礁が広がった地域でもありますから、那覇空港第二滑走路埋立て地同様にサンゴが消えてしまって悲しくなります。
これに比べると、辺野古のトンブロックで壊されたサンゴなんて←。
ところで、普天間飛行場がなくなって嘉手納以南の基地が返還された時、那覇軍港って必要なんでしょうか?
辺野古にバースも整備するから、那覇軍港は廃止にしてくれない?って無理ですかね。
ダメなら、先日、USJの開業に合わせて本部港に大型客船が就航できるよう整備するなんてニュースで言ってましたから、そちらに軍港も持って行くとか。
本島南部から基地を全て無くすだけでも、基地を減らしたという印象が強くなると思うのですが。
投稿: ひこ~ | 2015年10月27日 (火) 17時25分
ちなみに全く政治経験がない松本市長が当選したのは軍港反対ではありません(たぶん)
給食費無料化に多くの人が飛びついたからです
投稿: 中城村民 | 2015年10月27日 (火) 20時49分
ひこーさん。ありがとうございます。修正しました。
中城村民さん、その通りだと思います。あの時、候補は結局、全員反対でした。
山形さん、ありがとう。この間の荒らしで、私自身もトゲトゲした雰囲気になりかかっていたことを反省しています。
投稿: 管理人 | 2015年10月28日 (水) 02時26分
タイトル : トンブロックの周りには立派な珊瑚が生えてくる
(翁長雄志・共産党・沖縄タイムス・琉球新報・プロ市民) は本当に馬鹿だねぇ
辺野古の工事で、サンゴが破壊された?
サンゴの生命力は、そのへんに生えている植物と同じだよ。 ブロックに押しつぶされて破壊されたところで、放っておいても また生えてくる。 サンゴにとって最適な環境だからだよ。 地球環境の変化で 沖縄の海水温が低下しない限りは生育に問題ない。
沖縄に住んでいて、こんなことも分からないのかねぇ。 勉強してくださいよ。 本当に馬鹿な連中だよ。
そんなにサンゴが心配なら、オニヒトデの駆除でもした方がいいんじゃないか?
まあ、間抜けな共産党が仕組んでることは分かっているがね。 沖縄県民の皆さんはインターネットで、何が真実なのかを 大いに勉強してください。 くれぐれも(翁長雄志・共産党・沖縄タイムス・琉球新報・プロ市民) には騙されないようにしましょうね。
●特に、日本共産党は(悪の総本山)ですからね。 近寄ってはいけません。 共産党という組織は、いつも悪巧みをしています。 翁長雄志は共産党と手を組んだのが運の尽き。 共産党は人々を洗脳するのが得意です。
投稿: パンダは要らない | 2016年1月 5日 (火) 20時54分