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コメントにお答えして 返還交渉の厳しさを知らないで、恨んでばかりでいいのか?

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Stella さんとおっしゃる方から、このようなコメントがありました。 

「あなたが歴史をどのように学び、考え、解釈したのか分かりません。しかし、歴史を語るなら、まず、多角的な分析を行ってから、解釈してほしいものです。円錐形も、上から見れば円ですが、横から見たら三角になります。見えているものだけが事実であるとは限りません。下に沖縄戦後の歴史の一部を添付します。“なぜ”沖縄が“切り捨てられた”と感じるのか、“なぜ“沖縄に基地があるのか、沖縄返還合意は何だったのか、考える一端になれば幸いですが」

 コメントされたのはこの記事です。
翁長氏の歴史偽造 日本は沖縄を「切り捨て」てなどいない

おっしゃるとおりです。ある人たちにとっての「正義」は、別の人には「悪」だったりします。

その上で言うのですが、ならば歴史なんて真実はないのかといえば、 そうではありません。

テーマをあちらこちらに拡散させるから、分かりにくくなるのです。テーマを「返還」の一点に絞ってしまえばスッキリ焦点が絞られてきます。

この方が言いたいのは、「本土はそのつもりでも、沖縄側はそうは受けとっていないよ。米軍とよろしくやっていたんだろう。ほら、やはり捨てたんじゃないか」ということのようです。

では、当時の日本がどのような状態であったのかといえば、1951年の主権回復までは主権を奪われていました。 

そしてこの時期までに沖縄は、軍事占領が固定化されていきます。沖縄基地の今に残る原型ができたのです。嘉手納、普天間などがそうです。

おそらく米国には、返還する気などまったくなかったでしょう。 

軍事占領とは、血を流して敵国の領土を奪うことです。ですから、それを返すということは米国にとっても大きな心理的抵抗感があるはずです。

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歴史的にも世界で、軍事占領した地域を平和的に返還した事例は極少例なはずです。

だから、当時の日本人も驚いたのですが、佐藤栄作首相(以下佐藤)は「平和的に領土を返還させた」としてノーベル平和賞を授与されたのです。

この占領者である米国の意志や気分を押えないで、日本側内部で「捨てた、捨てられた」という議論をしても無意味ではないでしょうか。

1967年、佐藤は訪米し、ジョンソン大統領と会談、数年以内に返還することで大幅合意します。 

佐藤は、かつて兄・岸信介が経験した第1次安保闘争を、自分も70年安保の責任者としてくぐらねばならないことを覚悟していました。

そしてその焦点は沖縄であることは明白でした。佐藤はこの沖縄返還に、自身の政治生命のすべてを賭けます。

沖縄を返還することには日米が、「大筋合意」しました。しかし、問題はそれからなのです。

ここで浮上したのが、コメントにもあった辺野古弾薬庫にあった核兵器の存在です。

沖縄返還は、初め「本土並み」のみで、「核抜き」は難しいと考えられていましたが、佐藤はあくまで「核抜き」にこだわり、それが交渉の大きなウエイトを占めるようになります。

佐藤は「核つき返還」ではほんとうに返還されたことにはならない、と考えたのです。

米国側はこう書いています。

「ニクソンは沖縄のことをいつ爆発するかもしれない火薬ダルだと評した。アメリカは日本側が受け入れられるような主張をしなければならないと考えていた。1969年1月、国家安全保障会議は対日関係の見直しを開始した。1969年3月、国家安全保障会議は、日本の要求をこばめば、琉球列島と日本本土の双方で基地を全く失ってしまうことになるかもしれないと報告した」(シャラーによる)

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このような米国の不安心理を佐藤は逆手に取ります。佐藤は米国にこう言っているのです。

もちろん推測です。公文書でこんなセリフが、残っているはずもありません。しかし、おそらく佐藤はこう思っていたはずです。

「70年安保闘争は、沖縄まで巻き込んで大爆発するかもしれないぞ。その場合、基地は敵意ある沖縄民衆の中に孤立する。
お前らが恐れる火薬ダルの大爆発が現実になる。
その時に返還交渉がゼロ回答ならば、日本政府は何もしてやれない。

なぜなら、「核つき返還」など、日本国民は許すはずがないからだ。そんなことを唯々諾々と聞いたら、オレの政権が潰れる。
さぁどうする、ニクソン。「核ぬき返還」に応じるか、拒んで、オレの政権を潰して、一緒に安保まで潰し、沖縄と日本の基地まで同時に失うか」

このように佐藤は安保闘争という、戦後日本型ナショナリズムの爆発すらバックに据えて、沖縄返還交渉を進めているのです。 

コメント氏が出してきたコザ暴動ですら、当時のこの佐藤にとって返還交渉を有利に運ぶネタにしかねなかったと思われます。 

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同時に、米国が、1960年に始まったベトナム戦争で泥沼状態になり、既に50億ドルの財政難になっていることも交渉材料として、米国の繊維産業を圧迫していた日本の輸出にも制限をかけることも提示しました。 

ちなみに、当時の日本の繊維製品は対米輸出の花形でした。 

これを制限することと、沖縄返還を引き換えにしたのですから、国内業者からは怒りが沸き起こったのは言うまでもありません。

佐藤はなんと日本の主力輸出品すら犠牲にして、沖縄を取り返したのです。いまでいえば、自動車輸出を犠牲にして沖縄返還交渉をするようなものです。

まだ復興なったとはいえない60年代に、国内の反対を押し切ってまで「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」と言ってのけた佐藤の胆力に感嘆します。 

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こうした硬軟に渡る厳しい交渉の結果、基地を日米安保下の管理として残すことを引き換えにして、返還が成ったのです。

このような佐藤のタフネゴシエーターぶりがなければ、、おそらく米国は返還交渉のテーブルにもつかなかったはずでした。 

日本がコメント氏が言うように「切り捨てる」気だったのなら、今頃沖縄は、プエリトリコのような準州になっていたかもしれません。

コメント氏は、返還交渉に裏面があったことを書いていますが、このような大きな外交交渉に裏プロトコル(議定書)がついてくるのは、外交交渉では少しもで珍しくありません。

民主党の岡田氏は、外相時代にこの返還交渉を暴露することばかりにご執心でした。

こういう裏プロトコルを一方的に暴露することが、どれだけ日米間の信頼を損なうのか、岡田氏は少しも考えてみなかったようです。

私からすれば、このような難しい返還交渉の裏密約がついて来るのはむしろあたりまえで、ないほうが不思議なくらいです。 

確かにそれは屈辱的であったり、許しがたいものであったとしても、それを呑まねば返還されなったということもまた事実なのです。

では、米国の要求を全部蹴飛ばして、正々堂々と返らなかったほうがよかったのでしょうか?

もちろん復帰前には数限りない屈辱や危険と隣合わせでした。それはわかっています。
そして深く同情しています。
 

それについては次回に続けます。

※お断り アップした後、あまりに長いのと、内容的に別なことなので、分割しました。いつもすいません(汗)。

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コメント

毎朝ネットをチェックするときに真っ先に読むのはこのフログです。様々な事象に的確な判断材料を提示していただいていつも感謝しています。一つだけ今日のブログに引っかかるものがあったのでお願い方々メールしました。大変瑣末なことにこだわるようですが文中何回か佐藤首相の名前が出ましたが、初めは「佐藤首相」と書かれていたのが途中から「佐藤」と呼び捨てになりました。これには何か意図があるのですか?単にあなたの好き嫌いの感情に基づいた物言いですか?他の方々の名前にはきちんと「氏」をつけておられるので(私の感性では好悪の感情はともかく、大人としては当然の態度だと思いますが)奇異に感じました。特に佐藤首相の功を認めてもいいのではないかという文意と裏腹に、しれっと区別されているように感じられましたので種の側に対するある種のエクスキューズなのかなぁ、とも邪推しています。
朝から妙なことで突っかかってしまってすみません。
大変好きなブログでもあるので気になりました。

投稿: 草間満 | 2015年10月 7日 (水) 07時35分

草間満「氏」

本当にくだらんなアンタ

投稿: | 2015年10月 7日 (水) 09時59分

草間さん。コメントありがとうございます。特に書き分けたわけではありません。
公人なので敬称ぬきでも失礼には当たらないと考えています。
しかし、ご指摘もありましたので、。「佐藤首相(以下佐藤)」と表記し直しました。

佐藤氏は私が青年の時のさんざん悪態をついて、楯突きまくった首相でした。思えば、当時、私は彼を悪魔だと思っていました(苦笑)。

いま改めて彼の事跡を調べると、彼の凄味が分かって頭が下がります。
今の安倍首相をヒトラー呼ばわりするシールズくんたちの多くも、十数年後、私と同じような感想を持つでしょうか。

投稿: 管理人 | 2015年10月 7日 (水) 10時52分

糸を売って縄を買ったと誹られた時の政権の努力を今の沖縄県民は知らないんですね。
日本は繊維産業を犠牲にして沖縄返還を勝ち取ったのに・・・

投稿: | 2015年10月 8日 (木) 20時23分

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