私自身のブログについて語る 「自由であれども、則を越えず」という意味
HN初めましてという方からです。
「(略)管理人さんのブログというものの認識に対して、一般的理解が異なるから絶えず炎上が起こるのではないでしょうか?
記事自体がある種の思想的背景を持ったものであるので、それに対して反論が出てくるのは当然の事態でしょう。
もう少しユルユルーとそのようなコメントに対してのレスをして貰えると有り難いです。
(略)著作権を主張出来るのはあくまでも文章など自己制作のものについてのみです。明らかな荒らし行為などは当然削除対象になるでしょうが、通常コメント欄への書き込みも著作権が発生します」
だそうです。
まぁ、「ゆるゆるとスレしろ」という点は、肝に命じておきますが、あとはよくわかんないよ、ボク。 「ある種の思想背景」だってサ(苦笑)。
私、どう思われているかは知りませんが、左からは右、右からは左といわれているんですが。強いていえば、リベラル保守です。
コメント書き込みには著作権があるというのは東京地裁の判断らしいですが、なにぶん匿名書き込みですから、「オレがあの筆者だ」と主張しても立証が困難です。
いちおう法律専門家の意見を紹介しておきます。
※http://profile.ne.jp/ask/q-1766/
「その掲示板の文章をそのまま転用すれば、厳密な法律上の議論としては、著作権侵害の問題が生じるといえます。
しかしながら、匿名で書き込みをしているのですから、著作権者としても、無断転用している人に対して、「自分が著作権者であるから、転用するなら自分の許諾を得ないといけない」と主張しても、そもそも自分が著作権者であると証明することが難しいので、そのような主張はしないでしょうし、また、その書き込み自体の内容からすれば、通常、著作権者が無断転用している人にクレームをつけることはほとんどないと思います」
つまり、法律家のご意見としては、「そりゃあくまで理論的にはやればできるだろうが、現実にはそんなケースは自分だって証拠の立証が難しいでしょう」ということです。
さてつまらない法律談義はこのくらいにして、私は、異論はあることが当然だと思っています。意見の違いで削除したことは一度もないはずです。
あくまでも迷惑行為、つまり「荒らし」だから削除したのです。
先日の nanba 氏にしても、まだ彼が自分の主張を展開している部分に関しては削除対象にしていません。
ですから、「2015年11月20日17時40分以降分」と明確に断っておいたはずてす。読まなかったのでしょうか。
後のnanba 氏の書き込みは、たんなる罵詈雑言の類、すなわち「荒らし」ですから、削除対象としました。
私は異論があっての民主主義社会だと思っている人間です。
したがって、複数の「正義」があるのも自由主義社会の常です。だから討論が必要なのです。
その前提の討論という行為そのものが妨害された場合には、なんらかの対応がいるということです。
私は、まったく意見が違っても、しっかりと記事にして答えているくらいです。
記事を検索すれば、「コメントにお答えして」というのがかなりの本数あるでしょう。できるだけ、丁寧に答えるように心がけています。
これが私のブログのスタイルだと言っていいくらいです。他さんのサイトで、いちいち「コメントに答えて」という記事を書く所ってあまりないでしょう。
だいたいスルーですよね。 いい機会ですから、私のブログについて考え方を書いておきます。
私も、いろいろの人から、アクセス数が1日数千(1万は越えていないけどね)になった頃から、「コメント欄には腹が立っても、かまわないほうがいいよ」みたいなことを忠告されてきたんです。
あ、そうだ。ここではアクセスウウンターも、アクセス数も公開していません。ランキングにも登録していません。
ランキングに登録すれば、まちがいなく相当数増えるとは思うけど、いいやってかんじ。
その理由は、ひとことで言えばメンドーだからです(笑)。そんなものつけると、やれ上がったの下がったのと一喜一憂することになるからです。
ついでにアフィリエートをつけないのも、メンドーだし、画面が汚くなるからです。
記事の横で、コマーシャルがチカチカとひんぱんに替わるのって、読む側になるとうっせぇって思いません。
トラックバックもリンクも受けていません。前から要望はあるのですが、つけた人のサイト内容まで保証できないからです。
リンクくらいはいいかなと、最近は思っていますけど。
こうして見ると、我ながらけっこう偏屈なサイトだよなー。
というのは、私は、おもねるのがけっこうキライだからです。
たとえばキツイ保守調が受けたなと思うと、どうしてもそっち方向でなんとなく自然に書くようになっちゃいます。 イヤですね。そういうの。
また、できるだけ客観情報を集める代わりに、たまには歯に衣をきせぬことも書きますよ、ということです。
だいたい、テーマは1週間が単位です。というのは、けっこう1日分でも長いと苦情を言われるのですが、同じことでも角度を変えていろいろな部分から見たいからです。
通しで月曜から金曜日まで同じテーマで書くのが基本ですが、たまに週の途中で続かなくなったり、延長戦で2週目といこともよくあります。
土曜日は雑感で、日曜日は写真館となって記事の更新はなしのつもりでしたが、今日のように書いてしまうこともよくあります。オレって勤勉なのかも。
まぁ、書き手の私がこういう調子ですから、コメントも自由であるべきだと思っています。
しかし、もう6年くらいやって来ていますが、残念ながらそうならないんだよね。
あきらかに荒らしが目的で乱入する者が絶えないからです。そういう人って、ディベート馴れしていないのですよ。
いわゆる2ch調ですね。「終わったな(笑)」みたいなことを平気で書く雰囲気。
ディベートというのは、立場の違いが前提だということと、設定されたテーマからはずれないことや、場のルールを遵守できない者には関わる資格がないのです。
立場が違う者が、他者を攻撃的になるというのは、よく安保法制の時に見かけましたでしょう。
「法案は必要」と書いただけで、国会前の連中はファシスト呼ばわりはするわ、「戦争愛好者」とまで言っていました。
これじゃあ、議論もクソもないよね。ブルで踏みつぶしてくれるわ、と言っているんだもん。
逆もまた真なりで、在特会系のサイトが、なにかというとすぐ「在日」「反日」「特亜」と言いたがるのも困ったもんです。
「在日」なんて、本来の在日韓国人問題から離れて、今やリベラルなことを言っただけで、「在日」です。どうかしているよ。
私、こういう雰囲気ってジンマシンが出るくらいキライです。
私は今の堕落した左翼に対しては強烈に批判的ですが、しかし彼らの発言の権利が故無く奪われたのなら、彼らを徹底的に擁護して、共に戦おうと思っています。
同時に同じ理由で、沖縄県の異論などはまったく言えない異様な言論空間には許しがたいものを感じています。
私が沖縄問題に肩入れしているのは、私の熱狂的沖縄好きもありますが、現実主義的世論がまったく封殺されていることに対する、私のささやかな抵抗でもあります。
沖縄県では、共産国家もさながらの言論統制が敷かれているのです。
政治家は地元2紙の顔色をうかがって、態度を決めています。新聞に叩かれたら政治生命を失うからです。
ですから、在野の保守人士は、沖縄県では少数の勇気ある抵抗者です。彼らこそ真の反骨精神の持ち主です。
それはさておき、そういうレッテル貼りの乱闘の場にならないように、いちおう投稿ルールもあります。
本来いい大人なら、明文化しないでも「自由であれども、則を越えず」という類のものです。
しかし、稀に分からない人が出ます。ブログ主の私が「ちょっと違うんじゃない」と言うと、逆上して暴言を平気でぶつけてくることになります。
ま、放っときゃいいでんでしょうね。そうするべーか、とたまに思いますよ。
しかし、やはりルールは守ってもらわないと、と考え直してコメントをします。
テーマも設定しています。それは記事にしたテーマです。ここからあまり離れたことを書かれても困るし、延々と自説の開陳をされるのもちょっとね、と思います。
自説の開陳って、一種の「演説」なんですよ。
したい気分はわかるし、なるほどと思う場合もあるけど、そうとうの割合で関係ないことの「演説」垂れ流しの場合が多いのです。
なぜ、そんなことをするのかといえば、私はこのブログのコメント欄は、ある種の「討論の広場」だと思って大事にしているからです。
礼儀を守って唯我独尊にならない限り、誰にでも開かれています。
だから、気持ちよく議論しようね、ということ以上でも以下でもありません。
ルールって言ったって、いたって常識的です。いわば廊下を走らないように。授業中は私語禁止の類です。
なぜ、IPまでさらしたのかといえば、あの人物がかなり前からの荒らしの常習者で、アク禁になってからも執拗に、通算4回も荒らしに来ているからです。
4回だぜ! この暗い情熱はなんだろうね。真剣に悩むよ。
そして「お前の理解は准尉なみだ。王様の耳はロバの耳だ」というような馬鹿なことを延々と書き込んだからです。余所のブログなら、速攻削除です。
たしかにIPを全部さらしたのはやりすぎだと反省して、初め3ケタだけに修正しました。今後は気をつけます。
というわけで、ルールを守ってかみ合った議論をしましょう。
今週眼の手術をするんで、水曜日はお休みになります。
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