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2015年12月 3日 (木)

翁長氏が仕掛けた「訴えの資格」の罠

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いよいよ「翁長裁判」が始まりました。

朝日新聞(12月2日)は興奮を隠せぬ声でこう書いています。

「翁長氏は陳述で、琉球王国の時代からの歴史をひもとき、沖縄戦後に強制的に土地が奪われて米軍基地が建設された経緯を説明。「問われているのは、埋め立ての承認取り消しの是非だけではない」と指摘。「日本に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい」と訴えた」

Photo_10(写真 NHKニュー12月2日より引用)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151202/k10010326921000.html

テンション高いですね。

予想どおり、沖縄の歴史を絡めてきました。琉球処分、沖縄戦、銃剣とブルドーザーという沖縄恨歌のデパートです。
Photo_5
一方、対する原告の国は定塚誠(じょうづか)法務省訴訟局長という、プロ中のプロが登板しました。

定塚氏の弁論です。ポッポとしている翁長氏が火なら、定塚氏は水のようです。

「澄み切った法律論を議論すべきで、沖縄の基地のありようを議論すべきではない」などと主張。埋め立て承認などの行政処分は「例外的な場合を除いて取り消せない」とし、公共の福祉に照らして著しく不当である時に限って取り消せる、と述べた」(同)

 国は、余計なことは考えずに、法律論で行こうと言っているわけです。

「沖縄恨歌」vs「澄みきった法律論」、情緒vs論理の対決と言うわけです。

Photo_2図 沖タイ12月2日より引用)  

もし翁長氏が勝てるなどと夢想していてこの裁判に望んでいるとしたら、そうとうな楽天家です。

翁長氏は、「移転阻止こそ県政の柱」とまで豪語していたはずです。しかし、既にそれから1年。なんの進展もありません。

やったことといえば、米国や国連に行って「民族自決権」を叫んだパーフォーマンスくらいで、具体的成果は当然ゼロ。

もたもたしているうちに、カウンターパートの菅氏の方から胸元に飛び込まれて、休戦の1カ月間もフイになりました。

「絶対反対」では交渉もクソもありません。

本気で翁長氏が「解決」を望んでいるならば、なにかしらの妥協案があるかのようなそぶりを見せるだけで、政府はそれを押してまで工事再開は難しくなったはずです。

しかし、翁長さんときたひにゃ、芸も曲もなく「絶対反対」では、ちゃーならんさです。

これで政府は翁長氏が支持母体の共産、社民、官公労のいいなりになって、解決能力が欠如したと判断したはずです。

ならば、政府は3本の裁判をガス抜きにして、その間に着実に工事を進めるだけです。

Photo_9写真 10月29日に工事は再開された。ANNニュースより)

ではなぜ、翁長氏は県外ジャリがどうしたいう小技ばかりで、さっさと承認撤回に踏み切らなかったのでしょうか?

その理由はもちろん、承認撤回などしたら最後、100%国との裁判になり、まともにやれば負けるのがわかりきっていたからです。

今まで、なんどとなく論じてきたように、そもそも論で言えば、基地の移設などは国の専管事項の安全保障案件であって、地方自治体にクチバシを突っ込む余地などまったくありません。

国が「99.9%勝てる」と読んでいるのには、普天間基地の移設は、最高裁判決が認めているまさに「公共の利益」そのものだからです。

ならば、県としては「裁判に入らないで、いかにこのまま工事中止の行政執行をするか」に重点がかかるはずです。

のための決定打がひとつありました。それが行政不服訴訟における「訴えの資格」問題です。 

少し説明が要ります。

行政不服訴訟というのは、一般人、つまり「私人」と県や国などの行政機関との係争が対象です。 

つまり私人が、「行政はこんな不当なことをしているんだ。是正してほしい」と行政機関を訴えるのが一般的なスタイルです。 

ところが今回、訴えたのが国、訴えられたのも県で、双方とも行政機関です。 

「ならば、お前ら国は私人じゃないんだから、そもそも訴える資格がないよ」というのが、翁長沖縄県の言い分だったはずてす。 

国が苦慮したのは、裁判内容そのものではなく、むしろ国が「訴えの資格なし」として門前払いされることだったと思われます。

国は、「私人」つまり民間業者ではないのはわかりきった話ですから、それを理由に不服審査をしないと言われる可能性が高かったのです。

事実、9月30日まで、沖縄県は国の不服の聴聞会要求を蹴ってきました。 

県が「国は私人、つまり民間業者じゃないんだから、行政不服審査法に基づいた聴聞なんかできないよ」と突っぱね続ければ、県の勝機はありました。 

沖タイ(9月14日)は、こう成蹊大学の武田真一郎教授に言わしています。http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=132782

「民間業者や私人が海を埋め立て、軍事基地を造ることは考えられない。埋立法では民間には免許、国には承認と言葉を使い分けており、国固有の資格で承認を得たのは間違いなく、行政不服審査法の適用を受けて不服審査を求める資格はない」

Photo_8朝日新聞12月1日より引用)

ところが、県は大きな失敗をしてしまいました。 

国(防衛局)が、淡々と行政不服審査法による聴聞を求めた結果、県は当初の「行政不服審査法の枠内ではしない」という態度を9月30日に変えて、聴聞に応じてしまったのです。 

これで、県は自らの主張であった「訴えは私人でなければダメだ」という論拠を自分で潰して、国を訴え資格のある「私人」扱いにしてしまったことになります。 

国はこの瞬間、最大のハードルを超えたはずです。

もし沖縄県が頑強に不服審査聴聞を拒否し続けた場合、ここがデッドロックになった可能性はありえたからです。 

この聴聞会には国側の人間は欠席し、陳述書の提出に留めました。 

なぜでしょうか。国は、これが翁長氏が仕掛けた「罠」だと見破っていたからです。

「●行政手続法第二十七条
  2  聴聞を経てされた不利益処分については、当事者及び参加人は、行政不服審査法 による異議申立てをすることができない

つまり、県は聴聞会に国を呼び寄せれば、「これで聞き置いたからオシマイ」と宣告できたわけです。 

これが、県が国をあえて「私人」扱いにして聴聞会を開いた理由でした。 

しかし、国のほうが一枚上手でした。これが県が国の言い分を聞いて、折れたように見せかけた罠だと見抜いていたからです。 

国は、シャラとして人は出さずに文書だけ提出して、県を地団駄踏ませます。 

この結果、沖縄県は、行政手続法に基づいた「私人」として国を扱ってしまったことになり、「県による行政指導を受ける立場」を国に許すことになったということになります。 

こうして、翁長沖縄県は初手で躓いてしまったというわけで、本来やれば負けると分かっている裁判闘争に引きずり込まれることになってしまったわけです。 

いつもは大本営発表もどきの字句が踊る沖タイも、上の記事ではめずらしく、こんな弱気を吐いています。 

「裁判所で門前払いとなる可能性も大いにある。前例のない事態に暗中模索が続く」

まったくそのとおりです。

翁長氏が仕掛けた「訴え資格の罠」は、今度は逆流して安全保障案件は国の専管という「資格の罠」として自分に返ってくることになったのです。

いずれにせよ、裁判所はどちらも一蹴することはしないはずです。

一部の方は、裁判所が瞬殺すると読んでいますが、それは国も望まないことです。

裁判所としては、まともな法律論では国の立場を取るしかないでしょうが、かといって「民意」も無視できるほど小さくないからです。

ここで県の主張を無下に退ければ、「司法まで国の味方なのか」という世論を翁長氏側につくられてしまいます。

基地移転工事そのものはそれでいいとしても、今後を考えた場合、それは得策ではありません。 

ですから、ここはしっかりと県の主張も聞く姿勢をとるはずです。

かくして、この訴訟はダラダラと続くと思われます。

■アップ時から大幅に加筆修正いたしました。毎度すいません。(午前10時)

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コメント

県が「意見の聴取」を行なうとして手練手管を用いようとしていたところ、政府からすかさず、「法律に則った聴聞を行なうべきだ」と応酬されましたね。
この間の顛末は非常に興味深かったですね。
聴聞を行なえば手続き的に、国は固有の資格でない」という事を認めた事になってしまう。痛し痒しで、この時から県の後手は明らかでしたね。
ただ、政府も事前に聴聞に出席しないで文書提出で済ませる意向はマスコミに流してました。なので県側としても晴天の霹靂ではなかったようですよ。
また、(それがどこまで有効かわかりませんが)県側として、聴聞を行なうからといって「固有の資格でない事を認めたワケではない」という、苦しい言い訳的留保条件を付した上で聴聞を実施しました。まあ、お互いに裏の裏まで読んだ上での応酬は見ごたえがありました。

ポイントは申請が「国の固有の資格」であったかどうかという事につきますね。
武田先生はつい最近まで、タイムスの上掲のような主張を新報でも度々されておりました。
ですが、昨日の新報の記事では敗北することを念頭にいれた如くの話をされていました。
国が「固有の資格」で許可を得たなら県の敗北はありえないのは自明ですが、記事からは論理的なつながりが見えません。
もっとも、武田先生の理論は(地方分権推進という事を当為とする学者の多数意見ともいえるでしょうが)、実際の行政を行なう現場での申請前からの実施作業と大分食い違いがあるんですね。
どうも法律にたずさわる学者というものは(憲法学者もそうですが)「こうあるべし!」感や理想が強すぎて度々間違えるんですね。
申請があればどこの県でも、埋立そのものに関しての実に細かい審査はしますが、使用目的の審査は申請の受付前にコンセンサスを作っておくのが実務です。(これを自治体によっては明文化し「事前申請」などといいますが)
辺野古移設なんて、まさにそうですね。
ですので、許可(承認)申請の内容に目的は実務的、実際上は含まれないも同然なのです。
辺野古の場合、両者の政治判断は実質的に一致して終了しておりコンセンサスが出来、しかるのち埋め立てに関して他の一般人と同様に(あるいは一般人以上にきびしい)審査を受けたのですから「国固有の立場ではない」というのは明らかです。
学者の頭でっかちでは行政は回りませんし。
なので、早く言えば「固有の資格論」で県側に裁判で勝ち目はありません。
政府は風向きも見ているかも知れませんが、このあたりは揺るがない絶対的自信を持っていると思いますね。


>この訴訟はダラダラと続くと思われます。

昨日の公判日程の決め方を見ておりますと、次回のみならず次々回まで決定されています。
民事訴訟などでは被告や被告の弁護人の都合がつかない、などの理由で先送り戦術を恣意的にやられるのを防ぐため、次々回までの決定をうながすこともありますが非常にまれですね。
今回の異例の裁判長の措置は「速やかな判断を」もとめる国の要望に沿ったものでしょう。そのために国側は一人の証人すら立てないくらいです。(絶対の自信もあるんでしょうが)
早ければ、2月末で結審して3月中旬で判決が出るんじゃないでしょうかね。
ガス抜きのために被告側申請のあった8人の証人のうち2~3人は認めても、逆算して高裁判決は5月末でしょうね。
どっちにしても最高裁まで行く案件ですので、最終的にはまず来年いっぱいで結論がでるでしょう。「民意」云々は、大田知事時代の代執行と近似したかたちで、傍論か少数意見で申し訳程度に触れるでしょうが、まさに粛々と進むんじゃないでしょうか。


報ステを横目で見ていました。可哀想に翁長さんは、裸
の琉球王さまになってきましたねぇ。TV朝日が好意的に
脚色すればするほど、「鼻血が出ました~恐いんダヨ」的
な白けた虚無感が漂い始めていました。

明らかに彼自身が「ヘンな事になっちゃったな~、こん
なハズじゃなかったのにな~」と当惑してるように見え
て仕方ないですわ。

法的なものが判断されるわけで、「心」や「歴史」などを
裁判所が評価することは、したくてもそれは不可能です
し、法外のことを評価するなどしては中共と同じです。

この人、実はなんにも知事らしき実務をしていないのが
バレバレになってきて、サヨクの「イデオロギー倒れ」と
いう民主党政権ばりの無能さをさらけ出すんじゃないの
かしらん。

沖縄県人も他県人の多くも、沖縄と本土を分断する中共
が喜ぶだけの行動をする翁長さんに対して、使えん人だ
と判断するのも、もうスグの気がする。

次のくだりが分からなかったのですが。

「行政手続法第二十七条
2  聴聞を経てされた不利益処分については、当事者及び参加人は、行政不服審査法 による異議申立てをすることができない」

つまり、県は聴聞会に国を呼び寄せれば、「これで聞き置いたからオシマイ」と宣告できたわけです。

→異議申し立ては、県知事にするもので、国交大臣には審査請求がされた。
県は、国から県知事に対する異議申し立てを封じたかったということですか?

HNフェンリルさん。行政手続法第二十七条の2には「聴聞を経てされた不利益処分については、当事者及び参加人は、行政不服審査法 による異議申立てをすることができない」とあります。

この時行政が異議申し立てを拒否できる要件は、「聴聞会を経た」ことです。
この成立要件は、法律の素人ですので間違っている場合があることをお含みおき願いたいのですが、「出席」にあると思われます。
いったん出席すれば、行政不服審査法という本番を作れないのです。
いわゆる門前払いですね。

国はHN山路さんが指摘されておられるように、聴聞会前段から「出ない」旨を県に伝えていました。
県は、「出席しない」と国から言われて困ったはずてす。
法的立場では、聴聞会に応じてしまったのですから、文書提出でも済んでしまうのは百も承知のはずでした。

私はややオーバーな表現で「罠」と書きましたが、県は国から行政不服の聴聞会を要求されて苦慮したのだと思います。
ですから「罠」というのは過大評価で、そんなアグレッシブなものではなく、小心な県官僚と翁長氏のせいぜいが「願いもむなしく」ていどが真相なのかもしれません。

翁長氏の冒頭陳述を聞いていると、もはや裁判の勝ち負けではなく、恨みをいっぱい言って「民意」をつなぎ止めることだけが、裁判をやる目的なような気がします。


丁寧な補足ありがとうございます。そのとおりだと思いますが、ひとつだけ、異議申し立てを拒否できる要件は県が「聴聞の機会を作った」ことだと思います。(23条に不出頭の場合の聴聞終結の定めがあるので、欠席でも聴聞手続き成立?)
だから、聴聞に出ても、出なくても、国は、知事に異議申し立てはできなかったのだと思うのです。でも、それはやっても無駄なことなので、合法的に回避して、国土交通大臣に審査請求ができるようになった、そういう県の自爆だったと思ったんです。

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