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今日は休日ですが、見逃せない事件が起きたので書くことにします。
辺野古の工事現場車両出口が、「市民」によってブロックで閉鎖されたそうです。
どこかうれしげに、「正義の戦い」を伝える沖縄タイムスです。
「沖縄県名護市の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では30日早朝、新基地建設に反対する市民らが基地内に工事車両が入るのを止めようと座り込んだ。市民らは工事車両入り口にブロック約1400個を積んで工事車両の進入を警戒した。
午前8時ごろから警視庁機動隊がブロックを撤去し、約40分後にショベルカーを積んだトラックなど6台が進入した。市民らは「ブロックを返せ」「第2ゲートも封鎖するぞ」と怒りの声を上げた。 第2ゲート前には、市民らが抗議行動開始前に設置したブロック約100個が積まれている。
午前10時現在、海上での作業は確認されていない。」(沖タイ2016年1月30日 )(沖縄タイムス1月30日より引用)
とうとう「反戦無罪」の島はここまで来たか、というのが実感です。次は更にエスカレートするでしょう。
やった当人たちはやったことの重大性の自覚なく、ただのノリでやったのでしょうが、これで反対派の活動は、軽々と「抗議活動」の枠を超えてしまいました。
彼らはこれを、自称「平和の壁」と呼んでいるそうですが、同盟国軍隊の実戦基地のゲートを暴力的に封鎖したのですから、一般的には暴力的行為をともなった「実力闘争」の範疇に入ります。
「平和の壁」という自己陶酔的なネーミングに、「反戦無罪」に酔った彼らの姿がはしなくも現われています。
法を犯すという自覚がないままに、「平和」と唱えてさえいれば何をしても許されるという姿勢そのものが、既に「甘え」なのです。
この積み上げ風景は下の反対派サイトからご覧いただけます。http://matome.naver.jp/odai/2145371467474945901
もはや客観的に見て、彼らの行動は世界標準ではテロの入り口に差しかかっています。
政府の方針は「無血」です。流血があれば、県との摩擦が増して、工事に支障が出るからです。
出典scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net
上のサイトにあった写真ですが、「沖縄イジメはやめろ」と書いてあって、「辺野古で市民をいじめる機動隊の顔は、まるで旧日本軍のようだ」とあります。
思わず失笑してしまいました。この人達は、ため息が出るほど勘違いしていますね。
こと警備に関しては、この政府の「無血」方針によって沖縄は「ユルユル警備特区」なのです。
本土で、どこでもいいですが、たとえば横田基地の正面ゲートに同じようにブロックを積もうとしてご覧なさい。30分以内に全員が即時検挙の憂き目に合います。
外国でこんなことをしたら、生命の保証はしかねます。撃たれても文句が言えません。
「沖縄だからイジメられている」のではなく「沖縄だから許されている」のです。
自分たちは「虐げられているから何をしてもいいのだ。何をしても許されるべきなのだ」ということを言うのが、この「反戦無罪」の島の反対派の人たちです。
反対派は、ちょうど瀬踏みをするように、一手一手戦術をエスカレートさせています。
初めは合法デモと集会、カヌーデモ、常駐者による日常的嫌がらせ、そしてゲート前の座り込み、そして今回の「実力闘争」です。
彼らは政府の「無血」方針を知り抜いていますから、ちょうど猫が獲物をいたぶるように、合法スレスレの所で、政府側を挑発し続けているわけです。
そしていったん流血事件が起きれば、得たりとばかりに「機動隊の暴力で市民が傷ついた」と宣伝する予定です。
警察もそんなことはわかっていますから、その手に乗らないだけです。
彼らは、合法と非合法の間をゆっくりと、しかし確実に非合法の域へとなだれ込んでいます。
もし、流血事件が起きればそれを口実として、彼らの中に紛れ込んだ過激派による、ホームメイド武器による暴力闘争が始まります。
ただし、こんなことは、彼らの「平和運動」の終末を意味します。
復帰運動は、過激派による1971年11月10日に起きた警察官虐殺事件で事実上終わってしまったことを、中年以上の方は覚えておられることでしょう。
この警官は、過激派によって頭をこん棒で叩き割られ(死因は脳挫傷)、火炎瓶を投げられて火達磨になって亡くなったのです。享年48歳。家族がいました。
デモ隊の中にも救助しようとした人が多くいたことが、救いです。遺体にかけられた赤旗は、消火のためにかけられたものです。
さて、この人たちがしているのは、ただの「抗議」ではありません。法的に見てみましょう。
今回は、ギリギリ柵の外でしたが、もしブロック積み行為の最中に米軍基地内に侵入すれば日米協定第2条「施設又は区域を侵す罪」に該当します。沖縄平和センター」の山城氏が捕まったやつです。
「●施設又は区域を侵す罪
第二条 正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域(協定第二条第一項の施設又は区域をいう。以下同じ。)であつて入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者は、一年以下の懲役又は二千円以下の罰金若しくは科料に処する。」
警察がその気なら、道路交通法、威力業務妨害、撤去するのを妨害すれば公務執行妨害などと色々つけられるでしょうね。
ただし、「道路にブロック塀を作って封鎖する」という事例は、本土では起きたことがない事例なので、判例が見当たらないのです(笑)。
いかに非常識なことをしているのか、あの人たち、わかってやっているのでしょうか。
繰り返しますが、反対派の皆さんは、県と揉めたくない政府の「政治的配慮」でお眼こぼしに預かっているにすぎないのですよ。
積み上げている最中に、機動隊が手出しをしなかったのも、「政治的配慮」で泳がされていただけです。
それにしてもこんなことを安易に続けているようだと、次の段階の指標は本格的な手作り「武器」の登場か、あるいは政府要人に対するテロでしょう。
何をしても、動機付けに「移転阻止」が入っていれば、地方紙2紙は「平和のためにやった。えらい」と褒めてくれますからね。
彼らは、「反戦無罪」の赴くままに止まる所を知りません。
県民の皆さん、反対派は「平和」という美名の下で流血を求めています。
抗議活動なら、法律の枠内で平穏に行えばいいのです。言論も保証されているわが国で、このような過激な「実力闘争」に走る理由はありません。
流血事態となる前に、どうか止めて下さい。 今なら、まだ引き返せます。
今回の甘利事件そのものは、語弊を恐れずに言えば「たいしたこと」はありません。
文春が大げさに札びらと領収書のコピーや、甘利氏と「一色」氏の握手写真を掲載したので、何事かと衝撃を受けたと思いますが、冷静に考えてみてください。
なんの意味もない恐喝犯がよく使うハッタリですよ、あんなもん。
贈賄側の札のコピーなど、なんの証拠にもなりません。もらったほうが今でも持っていりゃ別ですがね(笑)。
桐箱入り虎屋の羊羹の下に50万円、2回目も50万、締めて100万入っていたから、まるで御用商人と時代劇の悪代官よろしく見えますが、なんのことはない政治資金をもらっただけの話です。
甘利氏は、封筒に気がつくとすぐに処理しておくように、と秘書に命じています。
ですから、いかにもワイロのように書き立てられていますが、政治資金報告書に記載されている以上、なんの問題もありません。
それをメディアのように、「現金授受認める」と一面大見出しするほうがバカなのです。
ひとつは、清原秘書がもらった献金のうち300万を政治資金報告書に記載せずに遊興に使ってしまったということ。
今ひとつは、清原秘書がURと薩摩興業側との補償金トラブルに口ききしたか否か、です。
これについては、現時点ではURは否定していますし、司直の捜査待ちです。
甘利氏は清原秘書の管理に大いに問題があったということは間違いありませんが、戦後史に残るTPPという大交渉の指揮官が地元に帰れないのは当然でしょうから、シロアリに足元の土台を食われていたのでしょうね。
「一色」氏の怪しさは、今後他のメディアによって次々に暴かれていくことでしょうし、司直も乗り出して、文春ともども捜査を受けると思われます。 今日はこれにふれにはふれません。
さて、今回の甘利事件は政権を直撃しました。よくリカバリーしたもんだと思います。
首相が盟友のスキャンダルにおいても、情に流されず、「説明責任を果たしてほしい」と突き放したことは正解でした。
それに応えて、わずか1週間で、第三者弁護士による詳細な報告書を煉り上げ、辞任を落とし所として決意した甘利氏も見事です。
第1次安倍政権は危機管理能力に難がありましたから、かつてならこの事件で総辞職コースに突入してもおかしくありませんでした。
中川昭一氏遺影 出所不明
安倍氏をして、ここまでタフにさせたのには前例があるからです。
それがあの忌まわしい、中川昭一財務大臣「酩酊」会見事件です。
おそらく、今回の甘利事件を知った時、安倍氏の心中に真っ先に到来したのは、かつての最大の盟友であった中川昭一氏の「酩酊」会見事件と、その後の落選と怪死だったと思います。
当時、中川氏は麻生政権の財務大臣として、財務省と真っ向から戦っていました。景気対策において、決定的に中川大臣と財務省は対立していたのです。
金融引き締めと緊縮財政を王道と考える財務省と、景気浮揚によるデフレ脱却を考える中川氏とは敵対関係にありました。
逆らう大臣は潰す、パペットを拒む大臣は潰す、これが財務省の掟です。
この「酩酊」会見事件の舞台はG7でした。
中川氏はこの大舞台で1000億ドルの融資枠提供という大胆な提案にサインし、IMFのストロスカーン専務理事をして、「人類史上最大の融資貢献」と言わしめました。
あの時点の日本は、掛け値なしに世界の金融秩序の守護神だったのです。
しかし、この1000億ドル拠出とストロスカーン氏の評価は、ひとことも日本で報じられず、代わりにマスメディアを覆い尽くしたのは「酩酊」会見だったのです。
今でも思い出すだにおぞましい、集団リンチが日本を覆いました。
朝日新聞はこう書き立てました。
「中川氏 バチカンの変 もうろう会見直後の観光 さく越え石像に素手、警報作動」。まったくの捏造報道です。
バチカンで中川元財相の通訳を務めて、終始随行していた和田神父は、「そのような事実はない」と全面否定したにも関わらず、この神父の証言をマスコミは揃って黙殺しました。
ありとあらゆる電波メディアは、繰り返し繰り返し数百回も中川大臣が会見でしどろもどろになった様子をリピートしたのです。
この時、中川大臣に随行していたのが、財務省・玉木林太郎国際局長でした。
玉木国際局長は中川氏の高校時代の同窓でしたが、このローマ署名式には随行の必要はないと言われていた人物です。
玉木局長は、中川氏の葬儀の後に、未亡人となった中川ゆう子夫人にこう言っていたといいます。
「ローマの会見の前に、財務省の職員が迎えにいったときには、中川大臣は正常な状態でした。財務省が保管している記録でも、そうなっています。だから、中川大臣の名誉はこれで永遠に守られます」
ところがその後、「財務省職員の証言」とやらは、まったく提出されることなく、中川氏の死はただの「酔っぱらい大臣の無様な死」で片づけられてしまいました。
当時、中川氏は風邪を引いており、内服薬を常用している状況でした。そして米国・ガイトナー財務長官との会食でワインを飲んだとされています。
この時一緒に随行していたのが、玉木局長と数人の日本人記者たちです。
財務省職員がクスリを盛ったとまでは思いませんが(※そのような説もあります)、体調を崩して服用中の大臣を知りながら、なぜ随行官僚が酒を飲ませたのですか。
玉木氏は中川氏に酌までしているのです。
そして、なぜそのまま記者会見に出させたのでしょうか。中止などいくらでも可能な会見にも関わらず、なぜ大臣をさらし者にしたのでしょうか。
(http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid627.html この事件についての青山繁春氏の分析が読めます)
その後、随行職員トップで、最も責任を問われるべき玉木局長は、なんの責任も問われることなく、ローマ事件の後も出世の階段を昇り続け、国際局長から財務官にまでなっています。
また、ローマ会見で中川大臣の横に座っていた篠原尚之財務官に至っては、その後に、IMFの副専務理事にまで出世しています。
いまなら、真相究明をふくめて、中川氏復権の一助になり得た私たちネット言論も、当時はまだひ弱でした。
かくして、中川氏は助けるものとてなく、汚辱の泥沼に沈んでいったのです。
さて、甘利事件に話を戻しましょう。
甘利氏は、TPP交渉担当だけにスポットが浴びますが、経済再生相としてアベノミクスを推進したひとりでした。
アベノミクスは、従来のように財務省と日銀から生まれた政策ではなく、この二者と戦いながら生まれた経済政策です。
なぜ、安倍氏が必ずしも経済政策において一致しているわけではない麻生氏を財務大臣に据えたのかと言えば、さすがの財務省も麻生氏ほどの大物を「殺せない」からです。
財務省にとっての「理想の大臣」とは、官僚のレクチャーどおり、「日本がギリシアになるから、緊縮財政して消費増税だぁ」と叫ぶ管直人財務相のようなご仁でしょうね。
ご存じのように財務省は一貫して増税を本筋とし、金融緩和には反対、減税もまた反対というのが省是です。
本来政府の指揮下にある官庁に、省是などあってたまるかと思うのですが、こと財務省に限ってはあるのですよ、これが。
この財務省の省是は、増税を避けて減税を進め、消費税も先送りにすることでデフレ脱却を図ろうとする安倍政権と鋭く対立してきました。
この間の増税をめぐっての財務省と首相との攻防については、何本か記事を書いていますので、そちらをご覧下さい。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-34d9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-013d.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-db86.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-bf5c.html
甘利氏は、首相の片腕として財務省の圧力が強まるたびに、常に官邸側に立って両者の調整役を果たしてきたとキイパーソンだと言われています。
軽減税率についても、渋る財務省を屈伏させたのは甘利氏の力もあったとされています。
この事件で、首相はその重要な役割を果たしてきた側近を失いました。
甘利氏の辞任によって、政権要人は3人に絞られました。安倍首相、菅義偉官房長官、麻生太郎財務相の3人です。
これに自民党幹事長の谷垣氏を入れての4人が、消費増税についての決断をすることになります。
麻生氏と谷垣氏が、かねがね増税派なのはよく知られた事実です。
また甘利氏の後任となったのは、消費増税3党合意を谷垣総裁(当時)と共に作った当事者の石原伸晃氏です。
甘利氏が去った後の消費増税をめぐる攻防は、これにより一気に財務省サイドに傾いたことは確かです。
このように見ると、敵対する何人もの政治家を抹殺してきた財務省の伝家の宝刀が、今回もまた使われたと思うのは、うがちすぎでしょうか。
私には、この「一色」という小物恐喝常習犯と文春の背中に、財務省の「長い腕」が見え隠れするのです。
ご承知のとおり、甘利氏が辞任しました。会見は1時間近くあったので、一部始終ご覧になった方も多いでしょう。
「甘利氏は、2013年11月に大臣室で、2014年2月に神奈川県大和市の地元事務所で、千葉県内の建設業者の関係者からそれぞれ50万円を受け取っていたことを認めた。この計100万円については、のちにまとめて同社からの寄付として、地元選挙区支部の政治資金収支報告書に記載されているとしたが、地元事務所の秘書が別途受け取っていた500万円のうち、300万円を適正に処理せず、個人的に使っていたことが分かったと明らかにした。
その上で「私の政治活動の基盤である地元事務所及び秘書の問題で、国民の皆様に大変恥ずかしい事態を招いてしまった事実が判明しました。国会議員としての秘書の監督責任、閣僚としての責務、および政治家としての矜持に鑑み、本日ここに、閣僚の職を辞することを決断しました」と述べた。」(ハフィントンプレス1月28日)http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/28/amari-resign_n_9096040.html?utm_hp_ref=japan
(金銭授受問題の記者会見で、辞任を表明した甘利明経済再生担当相=28日午後、東京・永田町 撮影日:2016年01月28日 | 時事通信社より引用)
政治的タイミングとしては、むしろ遅すぎたくらいで、このままズルズル居すわれば、鬼の首をとったように民主党に騒がれるだけです。
勢い込んでいた野党は、前につんのめった形です。
気の毒ですが甘利氏はこれで、TPP交渉最大の功労者でありながら、署名式典には出られないことになります。
会見の詳細は、以下でご覧いただけます。
※http://www.sankei.com/premium/news/160128/prm1601280010-n1.html
「国政に貢献をしたいとの自分のほとばしる情熱と、自身の政治活動の足下の揺らぎの実態と、その落差に気が付いたときに、天を仰ぎ見る暗澹(あんたん)たる思いであります」
一流の能力を持つ政治家らしい、情感のこもった名文句です。再起を期待します。
それはさておき、文春の最新号で、注目すべきことが浮かび上がりました。
告発者で建設会社薩摩興業側の総務担当と言われる「一色武」氏が、甘利の父親時代から甘利家に出入りしていたようです。
「一色」氏はこのように述べています。
「私は二十代の頃から主に不動産関係の仕事をしており、甘利大臣のお父さんで衆議院議員だった甘利正さんとも面識がありました。
明氏と初めて会ったのは、まだ大臣がソニーに勤めていらっしゃった頃かと思います。正さんのご自宅には何度もお邪魔したことがあります。
甘利家とは、昔からそんなご縁があり、私は清島氏が大和事務所に来るかなり前から、甘利事務所の秘書さんたちとはお付き合いさせていただいていました」(文春最新号より)
つまり、「一色」氏は甘利氏とかなり前から既知であり、甘利氏がそれで顔見知りに気を許したということがひとつ。
そして、その顔なじみを最大限に利用して、「一色」氏がなんらかの目的で甘利氏の大和事務所に出入りしていたというわけです。
「なんらかの目的」というのは、もちろん「一色」氏の本業である恐喝です。
昨日にも見た「一色」氏から、甘利事務所への政治献金です。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/151127/1134200117.pdf
右端の献金者の住所欄にご注目下さい。神奈川県秦野市南矢名のマンションとなっています。
実は一色氏はなぜか、ここに実体のない会社をもっていて、今はもぬけの空だそうです。
おや、彼は千葉県白井市の薩摩興業の総務担当だったんじゃなかったのですかね。
ところがこれも肩書偽装だということがバレています。
薩摩興業に電話すると、「うちは、10人程度の小さな会社です。総務担当などと言う人じたいいません。先ほども多くの人が来ましたが、資材置き場だって1人で管理してるんです」とのことです(苦笑)。※立石勝己氏のフェースブックによる
また、そもそも「一色武」という名前自体からして実名ではない、という一部報道も出ましたので、先程から彼の名には括弧をつけて記しています。
まったく、なにからなにまで虚偽というのがこの「一色武」という人物です。おいおいです。
ストーリーは、おそらくこんなものだったと思われます。
現時点では憶測の域を出ないという前置きつきですが、「一色武」という偽名を使った人物が、恐喝目的で「薩摩興業総務担当」という虚偽の肩書を使い、「千葉県に甘利氏後援会を作る」として大臣に接近しました。
「一色」は、大臣との古い顔見知りということも大いに利用し、甘利側は気を許してしまったのでしょう。
そして言葉巧みに大臣の大和事務所所長の清原健一氏に近づいたわけです。
大和事務所に出入りする口実に、一回一万円ていどの少額献金をしていたのが、上の政治資金報告書の記載です。
報告書を見ると、平成26,;2月4日から12月9日まで、ほぼ毎月1万から2万、(100万と50万が各一回)を事務所に献金しに行っているようです。
清原氏も、献金してくるし、大臣の若い頃からの知り合いということで、気を許してしまい、いつしか「一色」の接待アリ地獄にはまっていきます。
その様を「一色」は膨大な領収書や、遊興している写真などの証拠として残していったと思われます。
典型的な恐喝のやり口です。
この時に「一色」が使った神奈川の工作拠点が、この秦野のマッションの一室です。
そして、時が満ちたと判断した「一色」は、URの仲介話を餌にして、一気に大物を釣り上げようとしました。
「一色」の獲物は、URからの巨額補償金と、それをネタにして甘利側を恐喝して、多額の金をむしりとることでした。
「一色」が盛んに「5億取れる」と吹聴していたのは、このような性格の金でした。
ところで、問題はこのURとの交渉です。
清原秘書がいくら奢ってもらおうと、まったく犯罪を形成しませんが、URと薩摩興業との間の補償金話に便宜を図ったとなると、あっせん利得罪が成立してしまいます。
つまり、斡旋利得罪が成立するかどうかが、この事件の法的な最大の問題となっていくのです。
これについて産経(1月29日)はこう報じています。
「国土交通省は28日、前住宅局長が甘利明氏の秘書と3回接触していたことを明らかにした。口利きなどはないという。一方、都市再生機構(UR)は同日、秘書らと計12回会合していたと公表。うち9回で千葉県の建設会社との補償交渉の話が出たが、補償額に関する要請はなかったという。
国交省によると、前局長は昨年3月、甘利氏の秘書から問題の補償交渉の有無について問い合わせを受けた。前局長は秘書に返答した記憶がなく、職員やURに指示をしていないと話している。同年7月には、URの担当者の連絡先を聞かれて数日後に教えた。
URによると、URの担当職員らは平成25年6月~今年1月、甘利氏の秘書ら計3人と計12回の会合を持った。場所は、甘利氏の地元事務所で6回、議員会館で4回など。9回は補償交渉の事実関係の説明などが行われた。
URは補償額について、会計検査院の検査を受けていることも明らかにした。」
要するに、清原秘書とURの職員は何度か会っているのは確かで、「その席で補償金の話が出たのも事実だが、補償額の話ではなかった」、とURは言っているようですね。
補償金額についての妥当性も、ただ今、会計検査院という日本で一番優秀な官庁が洗っているそうですから、そのうち分かるでしょう。
私の予想では、清原秘書はアウトです。
おそらく薩摩興業と「一色」が有利に運ぶような話を、UR側に口をきいてやったと思われます。
そして、清原秘書は、大和のレトロな喫茶店で、その見返りの現金を「一色」から受け取り、文春の記者に写真まで撮られてしまったというわけです。
さて、ここで、この事件のもうひとつの本質的問題が浮かび上がります。文春の報道倫理からの逸脱という問題です。
このように見てくると、文春の取材方法は、「一色」の正体も、今、この男がやっている巨額の補償金詐欺と恐喝行為の実体も知りながら、あえてその犯罪の同伴者として取材をしているわけです。
犯罪行為に加担する報道は、許されるべきなのでしょうか。私は大いに疑問です。
文春という歴史の古い日本最大部数を誇る週刊誌が、スクープを取りたいばかりに犯罪行為を知りながら容認しているというのは、悪質に過ぎます。
今回の文春は、「一色」の詐欺・恐喝に深入りしすぎており、報道の域をはるかに超えて、もはや「共犯者」そのものです。
このような報道手段が許されるのなら、今後、自社のエージェントを使って支持者を騙り、現金や接待漬けにして、それをネタにしてスキャンダル報道に仕立て上げる自作自演も可能になってしまいます。
いわゆる「おとり捜査」のメディア・バージョンです。
会見でも甘利さんも聞かれていましたが、支持者を装って接近された場合、政治家はいちいち身辺調査することは不可能ですから、事実上ブロックする術はないでしょう。
このように見ると、今回のこの甘利疑惑事件は、文春の犯罪幇助といってもいいようなコンプライアンス違反な事件だったようです。
私は陰謀論者ではないのですが、この事件の背後にはもっと大きな謀略工作が隠されているような気がします。
この甘利氏事件の後味の悪さは、第2の中川昭一氏事件のように思えるからのようです。
朝日は「これで幕引きにはできぬ」と言っていますが、珍しく意見が合いました。
そのとおりです。この「一色」による恐喝・詐欺事件の裏になにがあったのか、「幕引きにはでき」ません。
今日あたり、文春から例の甘利疑惑の第2弾が出ます。「甘利秘書の威圧録音テープ」を出るようで、すでにネットで見ることができます。
※文春記事http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5795
本記事は文春1月21日号を基にして書くことにします。
さて、安倍さんは続投を決めたようですので、文春の記事の根拠を覆すなんらかの説明ができると読んでのことでしょう。
私なら、ここまで文春に自慢たらしく、「膨大な資料やメモ、50時間に及ぶ録音データ」がロイヤルストレートフラッシュよろしく並べられたら、さっさと手を挙げて大臣を辞任させて、政権本体をガードしますが、まぁ、いいか。
それにしても、なにかモヤモヤするテーマですね。多くの人がそう思うように、証拠がありすぎるのですよ。
普通は後ろめたい金を渡すのですから、そんな証拠は後日に残さないもんです。司直に捜査されたら、自分までお縄を頂戴しますからね。
それなのに、ご丁寧には札のナンバーまで並べてコピーするわ、隠し撮りやテープを仕掛けるわというのは、いくらなんでも念が入りすぎです。
これは暴力団が、政治家を恐喝するときによくやる手口です。
モヤモヤするなぁ。整理してみます。
まずは、金を渡した方です。千葉県白井市清戸に所在する「薩摩興業」という従業員5人の型枠大工の工務店です。
まぁ写真を見れば、よくある田舎の工務店ですね。しかもあまり儲かっていそうもない。
もう一枚、グーグルマップで空から見ると、閑散としたヤードしか見えません。ほんとうに営業しているのかしら、って雰囲気です。
ネットではこのような企業の概要です。
・薩摩興業株式会社
・設立 1973年9月
・資本金 1000万円
・従業員5名
・代表者 寺床博好
・住所 千葉県白井市清戸272
この会社が1200万円の金を贈賄したというわけです。
私も零細企業の代取やったことがありますが、資本金1千万ていどの会社の年間売り上げはせいぜいがよくて数億円規模でしょう。
こんな会社が1千万の賄賂を捻出するとしたら、よほどの資金ストックがなければなりません。
それも税務署に踏み込まれても簡単に見つからないような、「秘密のゲンナマ」でなければなりません。現金でなければ、相手に渡すつど銀行に記録が残ってしまいますからね。
寺床社長は、自宅の庭の池にでも沈めておいたんでしょうか(笑)。
ちなみに寺床氏は、千葉中小企業同友会(千葉中同協)の副支部長をしており、この中同協は、共産党系大衆団体だと言われている組織です。
ま、だからと言って共産党が裏でこの事件に関わったとも思いませんが、薩摩興業とはそこはかとなく臭い企業なのは確かなようです。
一方寺床氏は、大日本青嵐同志社という街宣車を乗り回す任侠右翼のメンバーなことが明らかになっています。
寺床社長は共産党とも関わりながら、街宣右翼でもあり(笑)、後述しますが、千葉県を恐喝したこともあるといったマルチな御仁のようで、その部下の「総務担当」がこれも後述しますが、今回の「告発者」にして恐喝常習犯の一色武氏だというわけです。
おお、こわぁ。
社長は街宣右翼、総務は恐喝常習者。この会社、どう見ても、カタギの建設業者じゃありませんね。
この人物が、「池に沈めておいた隠し金」(←勝手な憶測)を、総務担当者の一色武氏が甘利氏に渡したと、文春に証言しているわけです。
私の狭い経験から言えば、ハッキリ言ってありえないですね。甘利氏を弁護するとかいうことではなく、零細企業経営者の心理として考えにくいのでよ。
まずこの薩摩興業は大きな工事を請け負ったという経歴がないとされている以上、資金繰りにそうとうに詰まっていたはずです。
だから、甘利氏に泣きついて、UR(都市再生機構) との仲介に入ってくれ、言ったわけですから、尚更そんな潤沢な金がどこから湧いてでてきたのと思いたくなります。
湯水のように金を使って甘利大臣秘書の清武健一氏を遊ばせたり、現金を菓子折りの下に隠して渡したというのですから、おいおい、そんな金があるなら従業員に賃金払ってやれよ、とかつてのビンボー代取としては思いたくなります。
ちなみに、仲介を依頼したURは、悪名高い官僚の天下り組織です。独立行政法人なので、国の管轄下にあるので、甘利氏が口利きできたとされています。
これもまたまたうーん、です。甘利氏の選挙区は神奈川の厚木ですよ。これがどうして千葉の業者の口利きをせにゃならんのか、わかりません。
普通は当該の選挙区の代議士に駆け込むのが常識で、どうしていきなり選挙区違いの神奈川の大臣で、しかもURの管轄大臣でもない甘利氏に泣きついたのでしょうか。
しかも甘利大臣は、今をときめくTPP交渉の立役者です。
そんな田舎の型枠大工から金をもらわなくとも、その気になれば、TPP利権という巨大利権にいくらでもありつけます。
たとえば、農業界の組織に有利に交渉を進めてやると甘利氏がささやけば、業界筋から50万円なんてハシタ金ではなく何十億も転がり込むでしょう。
それを菓子折りの底に入っていた50万円(古典的だなぁ)で大ニコニコですか。ありえないとは言いませんが、不自然ですね。
甘利氏がこんなセコイことをやらないのは、現在の氏のポジションがポスト安倍を志している身だからです。
その意味でも、脇が甘すぎるとは批判出来ますが、大いにヘンです。
さて、ここで寺床氏から相談を受けた甘利事務所側は、URに対して「内容証明を送るようにアドバイス」をしたと言います。
その結果、URとの交渉が前進してURから2億2千万の補償金をゲットしたので、お礼に500万円を甘利の事務所に持っていった、というストーリーです。
あのね、甘利氏が「越前屋、お前もワルじゃのう」といった写真が掲載されているために、印象が強烈なのですが、あれは政治資金を50万円もらったというだけで、別にこの議員会館の授受自体は違法ではありません。
政治資金報告書に記載されていなかったから問題となるだけで、単なる記載漏れと言えないこともありません。
薩摩興業からの寄付は受けてるのですが、政治資金収支報告書に下のような記載があります。http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/9400/H271126/0104jiyuuminsyutou/105_4834.pdf
また、一色氏からの資金の寄付の記録も、下の政治資金報告書にはあります。
献金元の一色氏の住所が神奈川県秦野になっていることにご注意下さい。これは彼の幽霊会社です。 .
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/151127/1134200117.pdf
300万ほど記載漏れがあるそうですが、記載漏れ自体は問題ですが、昨日の翁長選挙違反事件ではありませんが、立件できる範囲内なのかは微妙で、司直の判断を待つしかありません。
結局、このURに対する口利きが、収賄として成立するかどうかですが、そうとうに難しいように思えます。
国務大臣が独法のURの幹部を呼んで、「おい、薩摩興業に補償金払ってやれ」と命じたのなら話は別ですが、単に「内容証明郵便でやんなさいよ」ていどなら、至って初歩的なアドバイスにすぎません。 (※文春今週号によれば、秘書が威圧的な発言をURにしているという一色氏の録音があるそうです。)
しかしこんなていどのために、政治家秘書を豪遊させ、締めて1千万円も使うようなことかなと思ってしまいます。
この甘利氏のアドバイスが、果たしてあっせん利得処罰法違反を形成するのか、難しいところではないでしょうか。
さてこの「正義の告発者」の総務担当者・一色武氏の人となりが次第に明らかにされてきました。
産経(1月27日)はこう報じています。
※http://www.sankei.com/affairs/news/160127/afr1601270031-n1.html
「関係者によると、総務担当者らは、甘利氏側と接触する前、別の国会議員(引退)にトラブルの解決を依頼していたほか、複数の右翼団体にも補償交渉を持ちかけていたという。 その際、国会議員は「5億円は取れる」と話していたが、交渉が進展せず、甘利氏側に接近することになったという。」
このように「総務担当者」一色氏は、実にうさん臭さ100%の人物です。同記事はこう続けています。
「総務担当者とは一体どんな人物なのか。関係者によると、総務担当者は一時期、東京都内にある右翼団体の構成員だったという。平成26年には、甘利氏の後援会「甘山(かんざん)会」の千葉県支部を立ち上げたいと甘利氏側に持ちかけ、発足式には甘利氏本人も出席していた。(同)
甘利氏もタチの悪い人物に引っかかったものです。ほんとうに脇が甘い。
政治家は、「私、センセイの支持者です」と寄って来られると、来るものは拒まずという人気商売ですから、こういうことになります。
この「総務担当者」は録音魔で、密かに録音したり写真を撮っては、相手を脅したりしたこともあるそうですが、千葉県も脅迫の対象にしていたことがわかっています。
「千葉県関係者によると、同社はURとのトラブルとは別に、県有地を不法占拠したとして、19年3月に県企業庁から土地の明け渡しも求められていた。
これに対し、同社の社長は通知の原本の受け取りを拒否。コピーだけを受け取り、翌20年6月、移転に伴う用地代や資材移転費用を県に要求。この土地は後に明け渡されたが、県関係者は「移転料として、5億円もの法外な金額を要求された」と振り返る。」(同)
と、まぁ、こういう暴力団がよくやる手口を使ってきたのがこの薩摩興業で、その中心にいたのが「総務担当者」一色氏なようです。
現時点では憶測の域を出ませんが、この「総務担当者」こと一色氏は、おそらくは暴力団、ないしは極道系右翼の構成員、ないしは準構成員だと思われます。
ただし、切った張ったではなく、ゆすり恐喝が専門分野です。
この一色氏がURとの揉め事をネタにして数億の補償金をとろうと、企んだのだでしょう。
そのターゲットに据えたのが甘利氏でした。
一色氏は甘利後援会を作るという名目で大臣に接近し、大臣秘書の清原健一氏を「酒・金・女」の古典的罠で籠絡し、そのすべてを記録に取っておいたわけです。
もちろん、後で甘利氏の恐喝の道具に使うためです。これも憶測ですが、大臣秘書の清原氏に、数億円の金を要求したのではないでしょうか。
しかし、清原氏は、自分の不始末もあって、それを拒否したために、この「膨大な資料やメモと50時間に及ぶ録音データ」は文春の手に渡ったと思われます。
もちろん大枚な情報料と共に。
今、文春が匿っている、一色氏と清原秘書が現れて、東京地検特捜あたりに取り調べされたのなら、一気に真相は明らかになると思われます。
案外、大山鳴動ネズミ一匹。出てきたのは、恐喝常習犯と欲ボケ秘書、そしてえげつない雑誌屋だけだという気もします。
文春さん、今回はずいぶんと筋が悪いゴロツキばかり拾って来たもんだね。
それはさておき、あの狼狽ぶりをみると、甘利さんはこの清原秘書のご乱行をほんとうに知らなかったのでしょう。清原秘書の斡旋利得罪は免れないところです。
しかし、このような賄賂性のある遊興費をもらっていた清原秘書を管理出来なかったことによって、政権全体を揺るがしかねない事態を招いた罪は重いでしょう。
ですから、自民党は独自に第三者委員会を作って究明に乗り出すべきで、そのめどがたったら甘利氏はいったんケジメをつけて辞表を出すべきだと思います。
こんなことでいつまでも:国会審議を遅らせるわけにはいきません。来月4日のTPP署名式が花道ではないでしょうか。
それはそうとして、TPP交渉の具体的交渉経過を説明できる人が、甘利氏以外いるんですかね。
正直に言って、大変にストレスがたまりまくった数日でした。
沖縄問題をテーマにすると必ずと言っていいほど荒らしが登場し、しかも執拗につきまといます。
彼らは、彼らの内輪で私のブログを拡散すると見えて、メールまで使って発信者不明の罵倒が来るほどです。
彼らは私を、「極右」とまで罵っていきます。耐えがたい侮辱です。
このようなことが沖縄をテーマとすると頻繁に起きるために、本土のブロガーは時事ネタとしては沖縄問題を折々にふれて書きますが、私のように深入りする者はほとんどいない現状です。
なぜなら、「怖い」からです。
さらにいえば、沖縄左翼の攻撃が「怖い」からです。
良質なコメントを読もうとすると、イヤでも不愉快な攻撃的コメントを大量に読まねばならないのは、ブロッガーにとって充分すぎるほどの自主規制の原因になり得ます。
かくして攻撃を受けそうなテーマは、あらかじめ記事としなくなります。
しかもこれがブロガーの心の中で行われ、表面に出ないために、読む側の人にはわかりにくいために、封印されてしまいます。
やがてそれは、隠微な見えない言論抑圧と化します。
すると私たちは、反論がなさそうな、誰もがやっている一般受けしそうなテーマだけで書くことになります。
たとえば、今、水に落ちた犬状態の朝日新聞叩きなどです。
少なくとも、慰安婦問題は朝日新聞の社長謝罪会見までは、十分に巨大な「第四権力」との戦いでした。
もしネット言論がなければ、いかに産経が叫ぼうと、いつまでも慰安婦問題の真実は永久凍土の下に封じこめられたままだったことでしょう。
ですから、私は慰安婦問題は、ネット言論という新しい言論力が既得権益にあぐらをかく新聞という名の権力に完全勝利した戦いだと思っています。
その戦いの末席に連なることができたことを誇りに思います。
しかし、今は違います。少なくとも日本においてはその秘密は暴かれ、虚偽は白日にさらされました。
もし今、日本で似たものを探すとすれば、翁長氏の作り出した「オール沖縄」がそれにあたります。
「オール沖縄」という構造そのものが、大きな言論抑圧の道具になっています。
なぜなら、「オール沖縄」は、ただの左翼と保守の合体物ではないからです。
翁長知事という行政権力がそれだけにとどまらず、経済界まで支配し、さらには新聞、放送という第四権力まで固めてしまっているからです。
警察権力すら従順な飼い犬と化しています。
そのためにいかに翁長氏が露骨な選挙違反をしようとも、治外法権になってしまっています。
彼ら「オール沖縄」は、これを「選挙違反特区」と奢っているほどです。
従来、県政における批判勢力だった野党も、共に「オール沖縄」権力を持ち上げる土台になってしまったために、日本政治史上においても稀な、完璧とさえいえる大政翼賛体制を構築してしまいました。
しかも翁長権力は、反権力という偽りの仮面をかぶっているために、本土のマスコミまでもがこぞってこの翼賛体制を応援するありさまです。
これと戦っているのは、我那覇真子氏のような極めて少数の勇気ある人々と、片手の数ていどしかない地元のブロッガーたちです。
彼らこそ、ナチス政権下の白バラ抵抗運動のような、真の抵抗者と呼ぶにふさわしい人々です。
(1942年夏、反ナチスの白バラ抵抗運動のメンバーたち。左から通信を書いたミュンヘン大学医学部生ハンス・ショル、同大ゾフィー・ショルの兄妹 と、同大医学部生クリストフ・プロープスト。彼らは全員逮捕され、ギロチンにかけられた)
彼らを無駄死にさせてはなりません。
私は我那覇さんのような女性は、「沖縄のジャンヌ・ダルク」ではなく、「沖縄のゾフィー」と呼ばれるべきだと思っています。
今回の宜野湾市長選挙において、ようやくその綻びが見え始めました。高くそびえた壁がきしみ、わずかに光明が差し込んできました。
私も微力ながら、彼ら抵抗者たちを応援していきたいと思います。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-d7ca.html
※ゾフィー・ショル - Wikipedia 白バラ抵抗運動 http://www.weisserose.vis.ne.jp/
[アップした後に大きなニュースが飛び込みました。下の追記からお読み下さい。]
私は「翁長公職選挙法違反事件」をさほど重視していませんでした。それは初めから沖縄県警が起訴に持ち込むはずがない、と見ていたからです。
起訴されない以上、立件もなく、「なかったこと」になります。 というのは、沖縄県警の反基地運動への腰の引け方ぶりは有名だからです。
沖縄は「反戦・平和」さえ叫べば、法をないがしろにしてもまかり通る社会だというのは、残念ながら事実です。
今回の事件は、たまたまそれが注目される選挙で、公共放送で放映されただけにすぎません。
たとえば、県警は今まで長期間に渡って、普天間基地の野嵩ゲート前で日常的に行われる自称「平和団体」の明らかな道路交通法違反や、ヘイトスピーチを黙認し続けてきました。
https://twitter.com/maruchan777jp/status/674814665902305280
上の写真などまだいいほうで、道路に飛び出してマイクを米兵や一般市民の車の窓から入れて「ヤンキーゴーホーム」を絶叫する者もいます。
https://www.youtube.com/watch?v=Yf1T7fq_zy4
いつか交通事故が起きれば、待ってましたとばかりに「米軍が市民を引いた」とでもプロパガンダするつもりでしょう。
(同上)
辺野古ゲート前では、彼らの地元住民に対する暴力行為が起きても、見て見ぬふりをしてきて、基地侵入にすら黙っていたほどです。
下の写真では、警官の制止を振り切って、なにやらわけのわからないことを叫びながら、ボンネットに飛び乗ってくるバカがいます。ゾンビーか、お前は。
道路交通法、器物破損、脅迫が成立します。しかし彼ら「平和運動家」には、左翼系弁護士がついているために、県警はトラブルを恐れて手を出しません。
https://www.youtube.com/watch?v=k6ce3UXO7o4
次の写真ではボンネットにまで飛び乗って「抗議活動」をしています。Yナンバーですから、米軍人か軍属の車でしょう。
どうやらこの人たちは、「平和」さえ唱えれば、何をしても許されると思っているようです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-5149.html
同上
現場の警察官のご苦労には頭が下がりますが、沖縄県警は、官僚特有の重度のことなかれ主義に陥っていました。
法の執行者でありながら、島のある種の「空気」を読んで、その中に首まで浸っていたのです。
県警はこう思っているはずです。
・・・ゴタゴタはごめんだ、何も起きないで欲しい。起きたら、後始末が大変じゃないか。県庁に呼ばれて怒られるゾ。
昨日も本部長が知事から怒鳴られていたってさ。クワバラ、クワバラ。オレの在任中に何か起きないでくれよ。経歴に傷がつくじゃないか。長いものにはまかれろだ・・・。
こういう役人特有のことなかれ主義が、結局、自称「平和団体」の人を人とも思わない無法状態を放置することにつながっていきます。
基地前で何をしても、「反戦・平和」を唱えれば免罪されるのですから、やがてそれは文革期中国の「革命無罪」よろしく「反戦無罪」という、法を無視しても許されるという歪んだ意識に成長していったようです。
「オール沖縄」の人たちは、よく「海保の暴力」と言いたがりますが、あれが本土の警備のスタンダードです。
沖縄県警の腰が引けていたために、本土仕込みの警備を実施する海保に負担がかかって、目立ってしまっただけの話です。
また政府が警視庁機動隊を投入したのも、警視庁機動隊の熟練したスマートな排除技術だけにあったのではなく、政府が沖縄県警にはこの重要な警備を任せられないと考えたことにもあります。
念のため言って置きますが、私は抗議行動やデモそのものが違法だと言っているのではなく、法を無視するな、法の枠内で近隣に迷惑がかからないようにやれ、と言っているだけです。
我ながら、あまりに常識的なのであきれるほどです。しかし、こんなことをあえて言わねばならないほど、今の沖縄は荒れてすさんでいます。
なにせ県知事みずからが、違法行為を率先してやることが「民意」だと思っているのですから。
さて、今回の知事と候補者自身による選挙違反事件において、私が再三指摘してきたのは、それが立件されるか、どうかではありません。
沖縄県警のような定評あるヘタレが、知事まで絡んだ選挙違反とまっこう勝負をする道理がありません。
NHK 1月20日18時10分おきなわHOT eye
したがって、とうぜん不受理になります。むしろ、HN山口氏のコメントにもありましたが不受理してくれたほうがよかったとすら言えます。
なぜなら、もし受理されていれば、「オール沖縄」陣営は、敗北後の言い訳に使いました。
コメントのHNリベラル系日本人氏の言うように、「誰もがやっているのに、今回だけ標的にしたのは、アベ政権の圧力があったからだ」と、敗北原因をすり替えていたはずだからです。
問題はこれからです。受理、不受理に関わらず、これを放置していいのですか、ということです。
今回の事件の本質は、知事という県の公人トップが、候補者本人と戸別訪問して、投票依頼をしたことです。
明白な公職選挙法第138条違反ですが、立件されようとされまいと、このようなことを公人トップがしたことの道義的、政治的責任の白黒はつけねばなりません。
さもないと、「政治権力者は何をしても許される。法を無視してもかまわない。オレが許す。沖縄は反戦平和さえ唱えていれば、どんな選挙違反も見逃される違反特区なんだ」という法治主義否定のメッセージを許してしまうからです。
コメントでリベラル系なんじゃら氏が言っていたような、裁判所のみが決定権を持っているわけではありません。
これでは司法権力を監視する存在の国民が、不在となってしまいます。
「有権者ひとりひとりが見ている。選挙を考えている」、ということが大事なのです。
ですから、ぜひこの「翁長知事公職選挙法違反事件」を、県議会で取り上げて議論していただきたいと思います。
この事件を「なかったこと」にしてはいけません。
------------------
■追記 [この情報は裏がとれていませんので、それを前提にしてお読み下さい]
NHK沖縄が、今回の件を書いたブロッガーに対して、NHK沖縄放送局の幹部と称する人物から電話があり、こう言ったそうです。
「NHKは公職選挙法に抵触しないと判断して放送した。だからネットの書き込みは訂正せよ」とのことだったそうです。
※http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925
驚くべき政治的圧力です。放送局が放映したことに対して一切の批判は許さないということです。
いったん放映されたものに対してどのように判断するかは、一切視聴者の自由です。
NHKが合法と判断しようとどうしようと、そんなことは視聴者が個々人の判断で決するべきことで、NHKにとやかく言われる筋合いではないのは当然です。
しかも「訂正要求」に至っては、もはや不当な圧力です。
もしこのような、自局の報道の「解釈」に圧力をかけることが許されるなら、BPOもなにも要りません。
これは許してはならない放送倫理に反する行為であるだけでなく、紛うことない公的機関による言論弾圧です。
なおこの電話が本物のNHK沖縄幹部であったかどうか、現時点では確かめるすべがありません。それをお含みおき下さい。
ほんとうならば、翁長違反事件以上に大問題です。
◆NHKへの意見 電話 0570-066-066 FAX 03-5453-4000
メール http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
宜野湾市長選は現職の佐喜真市長が再選されました!心から佐喜真氏と、それを選んだ宜野湾市民に敬意を表します。
おめでとうございます。皆様方は賢明な選択をされました。
■宜野湾市長選挙
佐喜真淳氏 (無・現) 2万7668票【当選】
志村恵一郎氏(無・新) 2万1811票
投票率68.72%(前回を4.82ポイント上回)※訂正しました。
(日本テレビ1月25日ニュースより)
「アメリカ軍普天間基地の移設が最大の争点となった沖縄県宜野湾市の市長選挙は24日に投票が行われ、辺野古沖への移設を進める安倍政権の支援を受けた現職・佐喜真淳さんが当選した。
当選した佐喜真淳氏「普天間の固定化は絶対あってはならないという民意が出たと思います。政府や沖縄県に対しても、普天間の一日も早い返還に向けて取り組むよう要請をしてまいりたい」
佐喜真さんは、移設を進める安倍政権の支援を受け、移設の是非には触れず、基地の早期返還と危険性の除去に取り組むべきと訴えてきた。佐喜真さんは、「移転先は日米両政府が決めることで言及する立場にはない」とした上で、「普天間基地の返還の実現を目指し、政府に訴えていきたい」と述べた。
翁長知事の支援を受け移設反対を訴えた新人・志村恵一郎さんは、敗れた。
沖縄県・翁長知事「私たちが今日まで主張してきたオール沖縄の意見は高まりこそすれ、これが静まることはないというふうに思っています」
翁長知事はこのように述べ、引き続き辺野古移設に反対していく考えを示した。」(日本テレビ1月25日ニュース)
佐喜真氏の勝因は、今までの子育て支援などの福祉重視の政策が支持されたこと、そして何より「基地フェンスをなくす」というリアルな訴えが、市民の心に直接に響いたのだと思います。
一方、敗れた「オール沖縄」の志村氏は、選挙期間中の公然たる翁長氏との選挙違反に加えて、その主張の「分かりにくさ」が敗れた原因です。
敗れた志村氏の主張は、大変にわかりづらいのです。
志村氏たち「オール沖縄」の論理はこうです。
①沖縄に対する基地負担は大きすぎるから、軽減すべきだ。
②普天間基地は「世界一危険な基地」だから、撤去すべきだ。
③政府は普天間基地を移設しようとしているが、断固反対だ。
④その理由は「新基地」だからだ。
①②はそのとおりです。反対する人は、まったくといっていいほどいないでしょう。
では:移転するしかないですよね。どかさないことには、危険性の除去にはなりませんからね。
ですから、佐喜真市長はこうストレートに主張しました。
「基地のフェンスをなくす」「普天間の固定化は絶対にあってはならない」、小学生が考えてもこれしか解決案は思いつかないはずです。
「基地があるために迷惑しているから、どいてくれないか」、そう思ってあたり前です。
ところが驚いたことには、「オール沖縄」の志村氏は違います。なんと「翁長知事とともに移設反対」なのです。
とりあえず翁長氏は、なんやかんや言っても、今まで基地には無縁な那覇育ちでしたから、いいでしょう。
翁長氏はしょせん、基地の爆音の腹に響く爆音も、頭上すれすれを通過する航空機の気味の悪さも知らないのですから、「基地」に対して観念的であってもしょうがありません。
しかし、志村氏は普天間基地と寄り添ってきた宜野湾育ちの候補です。基地がいかに負担になってきたか、あれがなければと何度も骨身に染みて思ったはずです。
そうでなければ、宜野湾市の市長になど立候補すべきではなかったのです。
(TBS系(JNN) 1月25日より)
ところがその志村氏が、「移設反対」だという奇怪なことを言うのですから分かりません。その理由が④です。
「オール沖縄」に言わせれば、辺野古に政府が作ろうとしているのは「新基地」だから反対なんだそうです。
あれが「新基地」かどうかの問題は、今は置きます。(単なるシュアブの増築です)
大事なことは、今回の選挙で問われているのが、あくまでも「宜野湾市民の声」だということです。
宜野湾市民は、普天間基地に出ていってほしいのか否かを問われていたのです。引っ越し先を問われているのではありません。
その引っ越し先を決める権限は、わかりきった話ですが、宜野湾市長にはありません。
(日本テレビ1月25日ニュースより)
上のニュースで佐喜真市長が言うとおり、「移転先は日米両政府が決めることで(市としては)言及する立場にない」のです。
「オール沖縄」応援団のマスコミは、「移設先隠し」なんてわけのわからないことを言っています。代表例は、毎日新聞(1月24日)です。
「普天間飛行場の移設問題について佐喜真氏側が「辺野古移設」に言及しなかったのは、明らかな争点隠しだった。この勝利で政府が「移設問題で民意を得た」とするならば、それは誤りだ。政府が辺野古移設を強行すれば、沖縄の強い反発を生み出すだけだ。」
※http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160124-00000080-mai-pol
なぁに言ってんだか。
地方自治体の首長が地方自治法に定められたこと以外を、選挙の争点にすること自体が異常なのです。
そもそも本質的には安全保障政策に関わることですから、政府専管事項ですし、平たく言っても、宜野湾市が他の市町村に対して、「ここが移設適地みたいだから、ひとつよろしく」なんて言ったら、あちらの方から「ふざけるな」って袋叩きにされますよ。
そういう市の権限外のことは、国が決めることなのです。
ですから、政府は17年もかけて、本土まで含めた移設先探しに苦しんできたのです。
そして20いくつかの候補地が全部ダメで、結局、消去法で辺野古しかなかったのです。
これで辺野古の住民が反対ならしょうがないでしょう。ところが、ほぼすべての住民が受け入れ容認なのです。
名護市が反対しているって?あれは基地が出来てもなんの影響もない旧名護市の人たちです。現地の旧久志村は容認派です。
ならば、話は簡単です。宜野湾市民は出て行ってほしいし、受け入れ側の辺野古住民も「しょうがないなぁ。来てもいいよ」と言っているのです。
ならば、出ていって欲しい方と受け入れ側の「民意」が整合したのですから、これで決まりです。
ね、元来、話は至って単純なんですよ。
ところが、「普天間基地反対・移設反対」なんて言い出すからややっこしくなる。これでは「オール沖縄」どころか「オール反対」です。
自分で自ら解決の扉を閉ざしていては、永遠に解決しません。
解決されない以上、普天間基地はズっとそこにいつまでも居続けます。
「オール沖縄」というのは建前は、沖縄の革新と保守が手を組んだものだと称しています。
翁長氏も志村氏も、自称「保守」だそうです。
革新は永遠に反安保の夢を追ってくれればいいのですが、保守ならば住む土地の利害に合致せねばならないのは当然です。
その当然のことを主張したのが佐喜真市長であり、分かりにくいネジれたことを言って敗れたのが、志村氏たち「オール沖縄」なのです。
今回、宜野湾市民の皆さんは目の前でごらんになったと思いますが、「オール沖縄」とやらの選挙マシーンは共産党、社民党、そして官公労でした。
あれだけたくさんの数の運動員を動かせるのは、共産党と労組しかいませんから。
また志村陣営の選対委員長代理には、かの高名な左翼運動家の伊波洋一氏が座っていたほどです。
お分かりになりましたか。「オール沖縄」は、表看板だけに保守変節組を置いて、その内実は旧態依然たる沖縄左翼陣営そのものなのです。
さぁ、新しい「民意」が誕生しました。「オール沖縄」の悪い夢から覚める第1歩が始まったのです。
●追記 公職選挙法を白昼堂々と踏みにじった、翁長氏と志村氏は当然捕まえるんでしょうね、県警さん。
争点はひとつです。
普天間基地撤去を永遠のスローガンにしていいのか、です。
現実的に移転する道を選ぶのか、反安保のスローガンに酔って、基地固定化を選ぶのか、です。
政府は、この宜野湾市長選の結果と関わりなく、辺野古移転を着々と進めるでしょう。
なぜなら、それは国と国の約束だからです。国と国の約束を忠実に履行するのが、国際関係のイロハのイだからです。
しかし、17年前に橋本首相がよかれと思って始めた普天間移設が17年間迷走し、いまではまるで「嫌がる県民の反対を押し退けて、無理矢理に力ずくで移転させる」みたいな雰囲気にすらなってきました。
本土の納税者からは、「そんなに沖縄県民がイヤならズッと普天間に居てもらいましょうよ。それが一番。オレたちの税金を無駄に使わないでほしい」、という声が出始めています。
今回、志村候補が当選し、翁長知事-志村宜野湾市長-稲嶺名護市長という絶対反対三角同盟ができたら、国はともかくとして、本土納税者は「バカバカしいからそのまま宜野湾にいてもらえ」という声が圧倒的になるでしょう。
県民の方は気がつかないかもしれませんが、本土納税者は、この間の「翁長劇場」を半ば飽き飽きして見ているのです。
喜んで囃し立てているのは、無責任なマスコミだけです。
こういう表現をすると沖縄県民の方は、「私たちのつらさがわからない」と怒る方も多いでしょうが、では現実的にどうすればいいというのでしょうか?
翁長氏が主張するように、辺野古移転をフンサイしたら、普天間に基地が残るだけです。
他に行き場がない以上、しかたがありません。
どうしてこんな簡単なことがわからないのか、と本土の人間は見ています。
選択肢は二つしかありません。移設するか、そのまま居すわるかの二択です。現実的にそれしかない以上仕方ありません。
本当はシュアブ陸上案という海を埋め立てない方法もあったのですが、これはかつて名護市がみずから潰してしまいました。
もう行き場は次善の現案しか残っていません。
志村候補が言うような、「普天間閉鎖・移転阻止」などといった矛盾に満ちた公約は、言った本人自身が信じていない空手形にすぎません。
現実性が担保されていないような「公約」は、公約たりえないのです。
今回、宜野湾市民が志村候補を選択すれば、それは宜野湾市民が「普天間固定化に賛成した」と、政府は取るでしょう。
それでいいのですか、それは基地災害や騒音の半永久的固定化ですよ、と私は問うています。
明日は大事な一票を自分の街の安全のために行使しましょう。
--------------------
さて、こともあろうにNHKが1月20日放映の「「おきなわHOT eye」の中で、堂々と公職選挙法違反に勤しむ翁長知事と志村候補の姿を放映してしまいました。
振り返ってみます。
※YouTube https://www.youtube.com/watch?v=WhIVe1A94XM
[シーン1] 翁長氏と志村氏が走って選挙運動をしている。
[シーン2] 翁長氏と志村氏が個人住宅の扉を開けて志村氏が、「翁長知事を連れて参りました」と翁長知事を紹介する。
[シーン3] 翁長氏が「厳しい選挙だけれど宜しくお願いしますね」と投票依頼をする。
[シーン4] 女性の個人住宅のリビングにまで上がりこむ翁長氏と志村候補。
以上、志村候補は明確に、「選挙運動期間中における、候補者みずからによる戸別訪問による投票依頼」をしてしまっています。
言い逃れの余地なく、公職選挙法138条「戸別訪問の禁止」違反です。
産経新聞(1月23日)
「米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の市長選が24日、投開票される。現職の佐喜真淳氏(51)=自民、公明推薦=と、新人の元県職員、志村恵一郎氏(63)の一騎打ちの構図で、選挙戦は過熱。21日には志村氏が、支援を受ける同県の翁長雄志(おながたけし)知事とともに公職選挙法で禁じられている戸別訪問をしていたと指摘する動画がインターネット上で拡散し、県内の民間選挙監視団体の男性が22日、同法違反の罪で志村、翁長両氏に対する告発状を県警に提出した。
県警は産経新聞の取材に、告発状について「受理か不受理かを含めて答えられることはない」とし、告発状の扱いは当面、預かりにしたとみられる。
志村氏選対の本部長代行を務める伊波洋一・元宜野湾市長は「街宣活動の途中に知り合いのところに顔を出すことはよくあり、違法なものではないと理解している」とコメントした。
平成8年の普天間飛行場の返還合意から20年、同飛行場の移設問題で市民は二分されてきた。今回の市長選では佐喜真氏が名護市辺野古移設を否定していないのに対し、志村氏は辺野古移設に反対している。
選挙戦は、佐喜真氏が自公両党支持層の大半の票を固め、企業にも浸透する一方、志村氏は支援を受ける社民、共産両党など革新勢力の支持層を固めている。勝敗の鍵を握るのは有権者の半数を占めるとみられる無党派層だが、無党派層の支持は佐喜真、志村両氏に二分している。」
議会制民主主義社会の根幹を支えているのが選挙です。
このルールを平然と踏みにじって恬として恥じないのが、翁長知事だということは覚えておきましょう。
県政トップが、公共放送の中で堂々と公職選挙法違反をしてみせる無法ぶりは、今後、厳しく県議会で追求されるべきです。
※コメントてご紹介あった産経の記事を確認しましたので、記事を差し替えました。全国紙を読めない沖縄県民のみなさん、ぜひご一読を。
宜野湾市長選挙において、志村候補の露骨極まる選挙違反行為がありました。しかも、公共放送において放映されてしまっていますから、証拠は十分です。
まずは、そうとは知らずに、志村候補の選挙違反を放映したNHKの映像をごらんいただきます。
放映されたのはこの2回です。
・NHK 1月20日 18時10 分からの「おきなわHOT eye」
・同日 20時45分からの「ニュース845沖縄」
これは【宜野湾市長選挙】志村候補と翁長知事、二人三脚の戸別訪問 としてYouTubeでごらんにいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=WhIVe1A94XM
・NHKニュース画像・動画8秒・・・走る志村候補と翁長知事
インポーズ「知名度不足を補うために、翁長知事とともに市内各地を巡ります」
・同18秒・・・個人住宅の玄関に入る志村候補と翁長知事
インポーズ「翁長知事を連れてまいりました」
・同19秒・・・戸口で市民に投票依頼する翁長知事
インポーズ「厳しい選挙だけど宜しくお願いしますね」
・同33秒・・・個人住宅のダイニングキッチンにまで上がり込んで投票依頼をする両名
インポーズ「個人宅でも精力的に支持を訴えます」
これでは言い逃れが効きませんね。明確に「選挙運動期間中における、候補者みずからによる戸別訪問による投票依頼」です。肝は「候補者当人が」というところです。
これが運動員ならば、連座制の適用となりますが、まだ間接的ですので逃げる余地があります。
しかし、候補者自らとなれば、話は違います。もはや志村候補の逃げ場は失われました。
パーフェクトに、公職選挙法第138条違反の要件を充たしています。
もしこれが選挙違反でなければ、何が選挙違違反なのかわからなくなるようなシビアな事案なのです。
しかも、現職の県知事が選挙運動員と化して゛公職選挙法違反を幇助しているのですから、話になりません。
いつ撮影されたものかわかりませんが、たすき、ハチマキ、ジャンパーという選挙運動セットを一式着用しているところから選挙期間中なのは明らかです。
これが事前運動なら、「オレは政治活動をやってたんだぁ」という言い逃れも効きますが、このスタイルでは言い逃れしようもありません。
これについては最高裁判決か存在します。
昭和56年の最高裁判決はこう述べています。
※戸別訪問禁止合憲判決 上告審 - 京都産業大学
「[5] 戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段方法のもたらす弊害、すなわち、戸別訪問が買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保することを目的としているところ、右の目的は正当であり、それらの弊害を総体としてみるときには、戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性がある」
NHKはこのビデオ映像を、無編集で警察に提供すべきです。 それをしなければ、公共放送が公職選挙法違反を公然と容認したと受け取られしまいますよ。
私も、「翁長さんは、こんなことも知らないで知事になったのか」、と唖然となったほどの選挙違反です。
NHKのテレビクルーに追跡させているくらいですから、まったく公職選挙法を一行も読まないで県知事になったようです。
翁長氏にこれだけ罪の意識がないのですから、おそらく自分も盛大にやってきたのでしょうね。
もし、今回のように発覚していたら、翁長氏も知事も仮に当選しても当選取り消し処分になっていたはずです。
さていうまでもなく、公職選挙法が固く禁じている「戸別訪問」というイロハのイに当たる選挙違反です。
公職選挙法を押えておきます。
●公職選挙法
(戸別訪問)
第百三十八条 何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。
2 いかなる方法をもつてするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。
「選挙ナビ・選挙に役立つ情報サイト」はこう説明しています。
※http://senkyo-navi.net/18/237/000796.html
「選挙運動のひとつで、有権者の住居や会社などをまわって特定の候補者への投票を呼びかけること。
日本では公職選挙法によって禁止されている。
法律で戸別訪問を禁止する目的は、選挙の自由・公正に対する弊害を防止することにある。
戸別訪問を認めると、買収や利益誘導などの不正行為を招きやすく、有権者の自由・公正な判断が損なわれるからだ。」
※手登根氏のFacebookより抜粋
●宜野湾市選挙管理委員会の見解
「先日のNHKの動画においてシムラ候補と翁長知事が戸別訪問をし支持を訴えている動画が放映されましたが選管は把握していませんでした。
動画の内容を説明したところ、「ほんとうに候補者本人がそんなことをしていたのですか?」と絶句。
ここからは選管の言葉です。
「この事案が戸別訪問として警察が立件した場合、運動員ではなく候補者本人であるため当選したとしても当選は取り消しになります。」
◆宜野湾市選挙管理委員会 電話 098-893-4411 FAX 098-893-1241 ◆宜野湾警察署 098-898-0110 ◆沖縄県警 098-862-0110
◆那覇地方検察庁 電話・FAX 098-835-9997
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/naha/page1000014.html◆NHKへの意見 電話 0570-066-066 FAX 03-5453-4000
メール http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html◆日経新聞那覇支局 電話098-862-0148
◆読売新聞那覇支局 電話 098-867-2393 FAX 098-860-2724
E-mail:naha@yomiuri.com
◆産経新聞那覇支局 電話 098-861-6778 FAX 098-860-3070
◆朝日新聞那覇総局 電話098-867-1972 FAX098-863-8545
宜野湾市長選について、時間切れになる前に書いておかねばなりません。
本土ではあまり注目されていませんが、宜野湾市長選挙が24日投票日を迎えます。
現職の佐喜真市長と、「オール沖縄」が推す志村氏の争いです。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/futenma.htm
宜野湾市にはあの普天間基地が市の真ん中にデンとのさばって、市の発展を阻害しているのは間違いありません。
安全性に問題があるという指摘は、数十年前から続けられています。
そして「基地を撤去しろ」というのが、一貫した沖縄県民の訴えだったはずです。
まったく正当な要求です。おそらく否定できる者はいないはずです。
ここまではいいですね。これが大前提です。
問題は、これを単なる永遠のスローガンとして叫んでいればいいのか、本気で撤去するか、の違いです。
本気か、口先だけか、これが今、この時期の宜野湾市長選の争点です。ほかに何かあるでしょうか?
あとあるとすれば、市長の実績評価くらいなものです。
なぜここまで争点が絞られるのかといえば、今、この時期の市長選は、今までの宜野湾市長選と異なって、普天間基地の移転が現実の日程に登っている時期に行われるからです。
普天間基地を本気で移転する気があるのか、ないのか、その「本気度」が、今、真正面から問われていると言ってもいいでしょう。
どちらの候補が、普天間基地移設に本気か、その公約の実効性こそが真の争点です。
琉球朝日放送http://www.qab.co.jp/news/2016011876706.html
まずは佐喜真市長です。
「出発式で佐喜真氏は普天間問題について「飛行場のフェンスを取っ払うことがわれわれの願いであり夢」として固定化の阻止・早期返還を求める姿勢を強調したが、名護市辺野古の新基地建設については言及しなかった。 」(沖縄タイムス1月18日)
佐喜真はスッキリと「基地のフェンスが取り払われること」、つまり「普天間基地の撤去」そのものをストレートに訴えています。
一方、対立候補の志村氏です。
「志村氏は第一声で辺野古の新基地には明確に反対すると述べ、「県と一緒になってロードマップを作成し、普天間の運用停止実現に向け取り組む」と強調。政府が約束した5年以内の運用停止を翁長知事と協力して実現すると訴えた。」
え、志村さん、何を言っているのかよくわかりません。何を勘違いしているのでしょうか?
「普天間基地を県と一緒になって運用停止にする」ですか。
「運用停止」する約束は政府が米国に申し入れていることであって、県は国と国の交渉ごとに口バシを突っ込む権限はありません。
第一、「運用停止を実現」しても、基地は残ります。
「運用停止」はあくまでも、基地の主要機能である航空機の運用をしない、ていどの意味です。
何か志村さんは深く勘違いしているようですが、基地はなくなりませんよ、こんな公約では。
志村さんは、一体基地に宜野湾から出て行ってほしいのか、欲しくないのか、そこを明確にせねばなりません。
それをハッキリしない市長候補などありえません。
自分はモゴモゴと口を濁していますが、志村さんが言えない本音は、一緒にいる翁長氏が代弁しています。
「一緒に壇上に並んだ翁長知事は「普天間を脅しに使って新基地を造ることは絶対に許されない」として普天間の固定化回避と引き換えに新基地建設を進めようとする政府を強く批判した。」(同上)
ここは宜野湾ですよ。あなたは宜野湾市長候補ですよ。これが名護市長選挙なら、「新基地」うんぬんは争点になるでしょう。
くどいようですが、ここは宜野湾です。やっているのは宜野湾市長選です。そして志村さんは宜野湾市長選候補者です。名護市長候補ではないのです。
その人がなんで、肝心要の宜野湾にある「基地撤去」をひとことも言わないで、「新基地反対」ばかり叫ぶのか、私にはまったく理解できません。
翁長氏は、「固定化回避を脅しに使って」などといっていますが、それはそっくりそのまま翁長氏にお返ししたいものです。
「新基地を脅しに使って」、今、現実にある危険除去をサボタージュして、宜野湾市民を危険にさらし続けているのは、他ならぬあなただ。
知事職は県民の護民官です。県民の安全を第一に考えるのが、県知事の仕事なはずです。
神奈川県知事も、東京都知事も、基地問題にはたくさんの発言をしていますが、それは一貫して「住民の安全」の観点からです。
翁長氏のように、「沖縄基地は抑止効果がない」などいう左翼軍事評論家もどきのことを口にする首長は全国広しといえど、翁長さん、あなたひとりしかいません。
あえていえば、志村さんや翁長氏は、「新基地反対」を掲げることで、今そこにある普天間基地に出て行って欲しくない人たちの利害を代表する候補者なのです。
地代を失いたくない軍用地主、基地がなくなったら反対闘争ができなくなって困る「平和団体」などの人たちの利害代表者にすぎません。
沖縄タイムスはこう述べています。
「自公と翁長知事を誕生させたオール沖縄が正面からぶつかることから6月の県議選、7月の参院選を占う前哨戦としても位置付けられており、県内政局の今後も左右しそうだ。 」(同上)
何を言っているのでしょうか。争点をそらさないでください。
宜野湾市長選はあくまでも佐喜真市長に対する評価が問われるべき場であって、翁長県政の実績評価の場ではないのです。
あくまでも、宜野湾市民として、普天間基地に出て行ってほしいのか、どうか、どちらの候補がそれを明確にしているのか、それをハッキリさせましょう。
気まぐれなマスコミは、台湾の総統選挙を取り上げたのはいいのですが、もうバス転落事故へと飛んでいってしまいました。
まったくあの人たちは軽い。現地まで行って、あの美しい島を二分して戦われた選挙戦が何に根ざしているのか報じようとしません。
あれは「中国イデオロギー」と、「台湾人アイデンティティ」との戦いなのです。
言い換えれば、1945年に上陸し、「2.28事件」という大虐殺事件を引き起し、その後半世紀にわたっていかなる政府批判も許さなかった「征服民族」たちに対する、台湾人の戦いでした。
もちろん勝利を手にした台湾人たちはしたたかです。前回の陳政権の轍は踏まないでしょう。
逆に大事にするがゆえに、「独立」という言葉には状況が許すまで、鍵をかけてしまうことでしょう。 「独立」などといえば、中国に介入の口実を与えてしまいますから。
さて先日私が、中国共産党と中国国民党は、共に中国大陸で生まれた「革命政党」で、双子の兄弟のようによく似ていると書いたことを覚えていますか。
このふたつの支配政党に共通するイデオロギーこそが、「中国はひとつ」という思想です。
毛沢東は、台湾を「神聖;な領土」と呼び、「侵攻して、蒋介石匪賊一味を根絶やしにしてやる」と叫んでいました。
実際に、国共内戦末期に共産党軍は軍事侵攻を試みて、あえなく撃退されたことがあります。
下の写真は、金門島に今も残る古寧頭戦役の跡です。
ちなみに、この戦いの指揮を執ったのは、蒋介石から懇願された根本博以下の旧日本軍将校たち「白団」でした。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/kinmen_island_tw/kankospot/10339012/
一方の蒋介石は、大陸への反攻を常に考えていました。
こちらも実際に1950年6月の朝鮮戦争勃発に際し、蒋介石は米国のトルーマンに、大陸への武力反攻を許すように要請しています。
蒋は、中国共産党が朝鮮に出ばっている背後を突こうとしたのです。
トルーマンはこの蒋の要請をにべもなく拒否し、むしろ国民党の侵攻を押えるために、「台湾海峡の中立化」を宣言して、台湾海峡に米海軍艦隊を入れました。
まぁ、名目は共産党軍の阻止でしたが、朝鮮半島に100万の大兵力を送っていた共産中国にそこまでの力があるはずもなく、トルーマンが恐れたのは蒋介石の暴走だったのです。
その後米国は冷戦期に渡って、国民党の国内恐怖政治に眼をつぶって、西側陣営に組み、「生かさぬように、殺さぬ」ていどの軍事支援を継続することになります。
この、「つかず離れず、生かさず殺さず」という米台関係は、1979年の米中国交回復後も続き、今も台湾有事に米国が支援を与える根拠法として「台湾関係法」が残っています。
私が台湾へ貧乏旅行した時には、駅やバスには「光復大陸」「共匪防諜」のというスローガンが溢れていました。
http://blog.kajika.net/?eid=591501
それは機会さえあれば、大陸に攻め上がって再び大陸を支配するのだという蒋介石の意地のようなものでした。
やがてその意地は、時が立つに連れて現実性を失ってから後も生き続け、実に半世紀にわたってドグマ化していきます。
それが「中国はひとつ」という、国民党政権の根本イデオロギーです。
馬英九 http://moogry.com/index.php?req
国民党主席となった馬英九がそれだけでは勝てないとして言い出したのが、08年総統選前に掲げた「国民党の台湾化」路線です。
しかし、その馬が政権を取ると更に進めたのが、「台湾の中国化」でした。
たとえば、その最たるものが、「ひまわり革命」が起きるきっかけとなった「台中サービス貿易協定」でした。
これは台湾が中国に対して、金融、広告、印刷、通信(ネットも含む)、卸売、小売、運輸など、恐ろしく幅広いサービス分野について、台湾が中国に市場を開放するというものです。
え? 中国は開放しないのか、と思われるかもしれませんが、はい、しないのです。
中国は、福建省のみの開放にとどまっています。 圧倒的に台湾に不利な不平等条約です。
これは、中国からみれば、台湾との関係など、間違っても国と国の関係ではなく、単なる省と省の関係でしかないからです。
このような経済協定ひとつ見てもわかるのが、中国政府と国民党政府に共通する「ひとつの中国」というドグマです。
このような、中国側が主導権を握る形で開放を容認してしまえば、そうでなくとも大陸経済に大きく依存している台湾は、完全に大陸の支配下に入ってしまいます。
http://togetter.com/li/878791
これに危機感をもった、学生たちによって戦われたのが「ひまわり革命」(太陽花學運)でした。
この選挙でも、ここから生まれた「時代力量」というグループが、立法院に5議席を獲得しています。
念のため言いますが、ひまわり革命と日本のシールズや翁長知事が似ているという声がありますが、主張を聞いてから言いなさいって。
表面的に見て形態だけ較べてもナンの意味もありません。中国の現実的脅威という補助線を引くとよく見えてくるでしょう。
日本のシールズや翁長氏には、「中国は脅威ではない」という薄ら甘い時代認識があって、日米同盟を強化して中国に対抗しようとしている政府を糾弾します。
一方台湾の学生たちが立ち上がった背景には、中国の軍事膨張が存在します。
実は彼らは、馬政権を突き抜けて、中国の圧力と直接に対峙していたのです。
ほぼ同時期に起きた香港の雨傘革命も、民主主義の約束を守らない中国への抵抗運動でした。
この東アジアで同時期に起きた三つの学生運動で、なぜか日本のそれだけが、「中国軍が上陸したら酒を飲み交わして理解し合おう」という間抜けなものになったのは、まことに異様な光景でした。
それはさておき、馬がレームダックとなった去年にとうとう踏み込んだのが、習との中台トップ会談でした。
ここでも馬はひとことも自らを、中華民国総統だと名乗らないまま、習と共に「中台はひとつの家族」となごんでいました。
最後に、台湾政治大学選挙研究センターが行った、2014年の国民意識調査をみてみましょう。
●自分は何人だと思いますか」という質問に答えて
・台湾人である・・・60%
・中国人である・・・56.5%
このような傾向は、大陸が圧力を強めれば強めるほど、中国共産党と国民党が「統一」を叫べば叫ぶほど強まりこそすれ、弱まることはないでしょう。
降伏後、台湾の主権はどの国にあったのでしょうか。日本?中国(国府)?それとも無協定?
日本が正式に降伏したのが1945年9月2日ミズーリ号の甲板の上だったことは、ご存じのとおりです。
実は、この時の日本の海外領土の処遇はあいまいでした。たとえば、樺太の南半分や朝鮮半島、台湾などの処遇です。
たとえば日本の降伏時には、樺太の南半分は1905年7月のロシアとのポーツマス条約によって北緯50度以南は正式に日本領になっていました。
降伏した1945年8月の時点においても、南樺太には多くの日本人が居住していました。
その後、あたりまえのような顔をしてロシアが南下して樺太全域を実効支配しますが、実はこれには法的根拠がありませんでした。
だって、日本領の処遇を正式に再定義したのは、敗戦6年後の1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約だったからです。
このような無協定時期に、勝手に軍隊を動かして領土化するような行為は火事場泥棒と呼びます。
確かにこの会議の場で、日本は台湾や朝鮮半島に並んで南樺太も放棄していますが、なんとこれにロシア(当時ソ連)は調印していないのです(苦笑)。
ですから、「国際法上は未定なはずだ。ロシア領にしているのなら、ちゃんと協定を結べ」というのが、今に至るもわが国の立場です。
ただし、この協定は当然のこととして北方領土全域も交渉対象になりますから、ロシアは分割2島だのなんだの、四の五の言って返してくれません。
(サンフランシスコ条約に調印する吉田茂全権と委員たち Wikipedia)
では、台湾はどうなのでしょうか。
1945年9月のミズーリ号での調印の時点では、まったく白紙のはずです。正式に国際社会が認知したのは、南樺太と同じくサンフランシスコ条約が締結される1951年9月まで待たねばなりませんでした。
ところが蒋介石はさっさと1945年8月には、台湾への侵攻を開始しているのです。
なんとなく、私たち後世の者は、「台湾は元々中国領だったんだから」なんて思ってしまいがちですが、当時の中国政府(中華民国)には、法的になんの権利もなければ、ただの一度も実効支配したことすらなかったのです。
このようなものを、「領土」とは呼びません。
それを蒋介石は、日本の降伏のドサクサに紛れて押えてしまおうと思いました。
この時、蒋介石の兵隊を運んだのは、実は米海軍でした。
ですから、当然米国が台湾の蒋の領有を了承しています。それはカイロ会談の蒋介石とルーズベルトの談合があったからです。
ルーズベルトは、日本が敗色濃厚になった1943年11月のカイロ会談で、中華民国の蒋介石に台湾の領有を認めています。
そしてその時、ついでに沖縄まで差し上げようとまで口走っています。
この時、驚いた蒋介石が、「沖縄までは要りません。台湾だけで十分です」と腰が引けたために、沖縄は日本領として保全されました。
しかし、よかったですね。
あの時、蒋介石が、「はい、台湾だけじゃなくて、沖縄もちょうだい」などと言ったら最後、戦後、沖縄を支配したのは「猿の軍隊」と呼ばれた国府軍だったのです。
ゾッとします。おそらく間違いなく沖縄でも、昨日見た「2.28事件」のような大惨事を招いたことでしょう。
ちょっと待てよ、日本人として、なんの協定も条約も結ばずに勝手に2人の談合だけで決めていいのかと言いたいところです。
残念ながら、日本が米国に戦争に破れた段階で、海外領土を実効支配してしまったほうが「勝ち」なのです。
歴史上、軍事占領に伴う実効支配ほど、有効な領土化の手段は存在しません。
それは現代のクリミア半島や南シナ海の埋め立てを見れば分かるでしょう。軍隊で押えれば「勝ち」、それが国際社会の力のルールであることは事実です。
(開戦時の日本領 https://hizen.nagoya/news/2614)
しかし、ちょっと待って下さい。そう簡単ではありません。
実は、このカイロ宣言は、現在、中国が台湾を領土とする口実に使われているとなると、そう簡単に、しょうがないとばかり言っていられなくなります。
「国民党政府の後継国家は中華人民共和国のオレ様なんんだから、台湾は当然オレのもんだよな」、これが北京の言い分なのです。
蒋介石・国民党もこれについてはまったく同じ意見だったはずです。
(陳水扁http://magazine.sina.com/bg/newtaiwan/648/20080822/001771513.html)
いや違うと、台湾独立派は考えています。
2008年、独立派の民進党・陳水扁が政権を取ると、直ちに「カイロ宣言は外交的に有効な宣言ではなかった」とする主張がなされました。
2008年3月14日、事実上の台湾駐日大使館である台北駐日経済文化代表処はこう述べています。
※http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=52675&ctNode=3591&mp=202
やや長いですが、実に興味深いので引用します。
「陳総統は「1943年12月1日の『カイロ宣言』についてはっきりしているのは、時間と日付が記されておらず、蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
これはそもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に過ぎないのだ」と指摘した。陳総統は「12年後の1955年2月1日、チャーチル首相は国会質問で、『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できないと答えたように、当時3人にはそもそもコンセンサスなどなく、そのため署名もなかったのだということが見てとれる」と述べ、「こんなに重要な文書が英国の国家ファイルでも原本が見つからない。
歴史は歪曲、改竄されることはよくあることで、以前われわれが学んだ歴史の中の『カイロ宣言』の部分は、完全にだまされていたのであり、これはきわめて厳粛な問題である」と訴えた。
陳総統は「中国はいまも『カイロ宣言』をもとにして、中国は台湾の主権を有していると宣伝しているが、『カイロ宣言』は事実上問題がある」との認識を示し、「歴史を書き改めなければならない。われわれ台湾は主権国家であり、台湾の主権は中国大陸13億の人民には属していない。台湾の国家主権は台湾2,300万国民に属している。これは事実であり、現状でもある」と強調した。」
うーん、すごく面白いですね。
日本人がこんなことを言うとすぐに歴史修正主義といわれそうですが、当の台湾人の発言です。
出所不明
ここで陳氏が指摘しているカイロ宣言の矛盾点は3ツです。
①時間と日付が記されていない。
②3人の首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
③したがって、カイロ宣言とは、共同声明ではなく、単なるプレスリリースか、声明書に過ぎない。
なるほどね。眼からウロコです。
この陳氏の主張を頭に置いて、上のカイロ宣言の写真をもう一回見て下さい。ルーズベルトの横に座っているのは、チャーチルです。
当時ルーズベルトはそうとうにモーロクが進んでいたと言われていますが、チャーチルはシャッキリしていました。
その彼が横にいながら、ルーズベルトと蒋だけで、日本領の分割談合をしていることに黙っているはずがないじゃないですか。
事実、チャーチルは勝手に台湾の領有を2人で決めたことに腹が立っていたようで、サンフランシスコ条約締結後に彼は英国議会で、「台湾の中国(当時国府)の主権を認めた覚えはない」と発言しています。
おそらく、英国はこの米国主導の領土分割に不満であって、この2人のやりとりに異議を挟んだのだと思われます。
そして、決着がつかったために、チャーチルは怒りを込めて署名を拒んだのだと推測されます。
なお、独立派系「台湾の声」は、国立国会図書館に対して、「各国代表がカイロ宣言へ署名した」という記載について、「署名はなかった」という訂正を求め、後に国会図書館側もそれを確認して「署名」部分を削除しています。
※資料と解説 1-1 カイロ宣言 1943年12月1日 のテキスト
いずれにしても、カイロ宣言は、内実は「カイロ密約」にすぎず、中国が台湾に主権があるという主張には無理があるのは確かなようです。
だからこそ、蒋介石はミズーリ号調印の前日に台湾侵攻を開始するといった荒技を使って、台湾の実効支配を急いだのです。
これは、冒頭に見たロシアと同じ、無協定時期における火事場泥棒でした。
ではなぜ、ここまで蒋は急ぐ必要があったのでしょうか。それについては次回に続けます。
今回の結果自体はかねてから予想されていましたが、注目されていたのは、国民党の「負けっぷり」でした。
「国父」である蒋介石をいただく党で、蒋経国時代まで戒厳令まで敷いていた一党独裁国家でした。
国民党は、革命党という誕生の性格、独裁体質、軍事優先思想、そして個人崇拝まで海峡を隔てた中国共産党とそっくりでした。
中国共産党も、台湾国民党も共に揃って、「ひとつの中国」という言い方を好んで使っていました。
私が蒋経国時代に台湾を旅した時、売られていた地図には首都は南京と記されていたのにたまげたことがあります。
では台北はといえば、ただの「暫定首都」にすぎないのです。
国境線もありません。あくまでもあれは国境ではなく、休戦ラインということのようです。
もちろん、中華人民共和国なんて国名は、姿形もありません。
ですから、立法院には、中国全土の省からの代表を集めたという形をとっていました。
といっても、大陸全土は共産党に実効支配されているわけで、各省代表といったところでヨボヨボですがな。
まぁ、そんな虚構の上にちょこんと乗った島だったというわけです。
この虚構は、戦後まもなく蒋介石が行った「2・.28虐殺事件」に端を発しています。
日本がポツダム宣言を受諾したことにより、連合国軍指令第一号によって海外に展開していた日本軍は武装解除されました。
中国においては、当時の中国軍である蒋介石軍(国府軍)に投降したわけです。
この当時、台湾の行方は国際的には未定でした。なぜなら、台湾は日本の領土だったからです。
しかし、蒋介石はカイロ宣言を根拠として、いち早く「台湾省行政長官公署」と「台湾警備総司令部」を設立し、陳儀を行政長官兼警備総司令官に任命し、国民党軍2万2千名を送り込みます。
カイロ宣言は国際条約ではありません。いわば、連合国の内輪の談合ていどのものですから、国民党の強引さが目立ちます。
そして、米艦に乗って台湾に進駐した国府軍は、後に「猿の軍隊」と台湾人から揶揄されるようなヤクザな軍隊でした。
おそらく、国府軍にとって、自国に駐屯するのではなく、日本領に侵攻するような気分だったのではないでしょうか。
しかも、台湾は大陸よりはるかに優れたた経済・社会インフラを持ち、住民もまた高い教育ていどと生活レベルを誇っていたのですから、尚更のことです。
その上、国府軍ときたら、士気は最低、軍規はなきが如し、物はかっぱらう、女性はレイプする、何かというと発砲して人殺しをするといったならず者の集団でした。
それまで厳格な軍規で知られた日本軍しか知らなかった台湾人は、あまりにひどい落差にびっくりしました。
これが、国府軍による「祖国復帰」の第一歩だったわけです。
この時から台湾人は、大陸から流れてきた兵隊や官吏のことを、軽蔑的ニュアンスを込めて「外省人」と呼び、自らを「本省人」と呼ぶようになりました。
これは今も残り続ける、台湾の宿痾です。
さて、それまで日本の経済圏で生活していた台湾は、その時から強引に中国大陸と統一させられます。
ちなみに台湾の農村を私は歩いたのですが、台湾の製糖業や稲作は日本の素晴らしい置き土産でした。
日本統治時代に、日本はこの島を真の「美麗島」にすべく、見事な水利システムを作り上げてきました。
それはさておき、もっとも台湾を苦しめたのが、日本円から台湾元への切り換えでした。
国民党は、大陸元と台湾元を別に分けて、台湾元を不当に交換レートを安く設定しました。
このため、中国からの輸入品はべらぼうな安値となり、今まで戦火も被らず安定した経済が運営されていた台湾は、一挙に経済破局に直面します。
そこに数万におよぶ「猿の軍隊」が流入し、乱暴狼藉を働いた上に、官吏は官吏で仕事もせずに賄賂ばかり強要するのですから、反「外省人」感情が爆発しないわけがありません。
多くの知識人たちは、先頭に立って民衆の不満を長官公署に訴えたのですが、なしのつぶてで、いっそうひどくなる一方でした。
Wikipedia
そしてついに、事件は起きるべくして起きました。1947年2月27日、台北市淡水河沿いの台湾人商店街で、心配された衝突が起きました。
取締員を名乗る広東人ら6名の官吏は、台湾人女性が売っていた密輸タバコを没収しただけでなく、所持金すべてを巻き上げました。
女性はひざまづいて現金の返却を懇願しましたが、金を返さないばかりか、あろうことか小銃の台尻で頭部を殴打したのです。
血を流して昏倒した女性に憤慨した周囲の市民たちが抗議すると、この広東人たちは銃を乱射しながら逃げ出し、それに当たって市民が殺害される事態にまで発展します。
そしてこれが、全島に広がる「2.28事件」へと発展していくきっかけになります。
当時重慶にいた蒋介石は、この台湾の暴動を文字通りの血の弾圧で潰ぶす決意をします。
それは蒋介石という人物が、今まで大陸で取ってきた「共産匪賊」地域の掃討戦の手法を、そのまま台湾で踏襲したものでした。
すなわち、白色テロ、あるいは皆殺し戦争です。
3月8日、中国から派遣された13,000名の応援部隊が高雄と基隆に到着し、上陸するやいなや、無差別に丸腰の台湾人を虐殺しまくりました。
陳儀行政長官は、応援が投入される前までは、台湾人が作った「二・二八事件処理委員会」と交渉するそぶりを見せていたのですが、直ちに豹変し、これを解散させ、国府軍の蹂躙に任せました。
この国府軍による、台湾人の無差別な殺戮は高雄・基隆から始まり、約2週間で全島を覆い尽くしました。
殺戮には機関銃が使用され、文字にすることすら憚られるような酷たらしい虐殺が大量に発生しました。
さらに、3月14日、警備総司令部により「粛奸工作」が開始され、粛清対象は、事件に直接関与していない知識人全般に及びました。
知識人はすべて危険人物と見られて、大学教授、教師、弁護士、医者、作家などが、無差別に逮捕され、そのまま裁判もなく虐殺されました。
日本の教育を受けた知識人たちは、「法治」を信じていました。
日本統治下では、台湾に対する差別はあったものの、「法の支配」はしっかりと貫徹していました。
日本統治下では、いくら政府を批判しても、悪法とは言えども治安警察法などの法によって裁判と処罰を受けていました。
しかし、国民党には「法」がありません。裁くのは「鉄砲」だけだったのです。
これは大陸の毛沢東が唱える、「鉄砲から政権が生まれる」という信条とそっくりです。
この毛沢東のセリフを、日本人は比喩的にとらえているようですが、違います。あれは文字通りに解釈すべきで、「逆らう者は殺す」という意味です。
毛沢東はこの信条を大陸で実行し、数千万人を虐殺しましたが、一方蒋介石はこの美しい島で数万人を虐殺したのです。まさによきライバルです。
この知識人粛清によって、台湾の知識階層は、一時期完全に空白となってしまうほどでした。
この前近代的粛清と虐殺の嵐は、約2年間続きました。これが止んだのは、駐台米国大使がこの蛮行に驚いて、抗議したからだと言われています。
この「2.28事件」での、台湾人の死亡者数はわかっていません。
国民党自身の発表によれば、事件後1ヶ月に殺された台湾人は2万8千名と言われていますが、こんな数字を信じる台湾人はいないでしょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/2...
そして以後台湾は、李登輝が解除するまで、戒厳令下におかれることになります。
このようなことをしてきたのが、今回致命的敗北を喫した国民党だということを覚えておきましょう。
私は、台湾が長きに渡った国民党の軛から逃れる道が開けたことを、率直に祝福したいと思います。
台湾総党選挙で国民党候補の朱立倫氏を破って、民進党の蔡英文氏が勝利しました。総統得票数、立法院議席数でも共に2倍弱の雪崩的圧勝です。
予想されたこととはいえ、習は苦りきっているでしょうが、この総統選で、東アジアの勢力図は大きく塗り替えられることになります。
岸田外相と米国務省は、談話形式で祝意を伝えました。これは今後、台湾を「一国」に準じた外交関係を結ぶという意思表示です。
(台湾の総統選挙で、野党・民進党の蔡英文主席が与党・国民党の朱立倫氏を破り、圧勝した。台湾 中央社)
「(台北 16日 中央社)総統選挙で初当選を果たした最大野党・民進党の蔡英文主席(59)は16日夜、台北市内の党本部前で勝利宣言し、史上3度目となる政権交代の実現に「台湾人は投票によって歴史をつくった。神聖なる一票を投じた人々に深い敬意を表する」と述べた。
蔡氏は、我々は今回の選挙を通じ、民主主義の価値がすでに台湾人の血液の中に深く入り込んでいることを国際社会に改めて知らせたと強調。一方、両岸(台湾と中国大陸)関係については、平和と安定の維持に力を注ぐと語った。
また、台湾出身のアイドルが韓国のテレビ番組で中華民国(台湾)の国旗を振ったことから、中国大陸で「台湾独立支持派」などと誹謗中傷を受け、謝罪に追い込まれた騒ぎに触れ、この事件はこの国を団結させ、強大にすることが、次期総統の最も重要な責任だと気づかせてくれたと述べた。蔡氏は、1956年台北市生まれ。李登輝政権時代に経済部(経済省)貿易調査委員会委員などを歴任し、民進党が政権を握った2000年には台湾の対中国大陸政策を主管する大陸委員会主任委員(閣僚)となった。2004年に立法委員(国会議員)に当選し、2006年からは行政院副院長(副首相)などを務めた。
2008年に陳水扁前総統の後任として民進党の主席に就任し、2010年には新北市長選に出馬したが、国民党の朱立倫氏に惜敗。2012年の総統選挙では、同党の馬英九氏に敗れ、再選を許した。蔡氏は敗戦の責任をとって主席の座を降りたが、2014年に返り咲いている。
今回の選挙戦で蔡氏は、最大の争点である対中国大陸政策において「現状維持」の方針を繰り返し強調。世論調査では序盤から他候補をリードし続けていた。
現職の馬英九総統は5月20日に任期満了を迎える。」http://www.epochtimes.jp/2016/01/25093.html(ハフィントン;ポスト1月16日より引用)
●2016年台湾総統選挙
総統選挙各候補得票数と立法委員比例選挙政党得票
2016年1月17日 0時15分現在 (※最終結果ではありません)・総統選挙得票数
蔡英文 6,894,744票 56%
朱立倫 3 ,813,365票 31%
宋楚瑜 1,576,861票 12%・立法委員比例選挙政党得票
民主進 5,370,953票 44%
国民党 3,280,949票 26.9%
親民党 794,838票 6.5%(※親中派政党)
時代力量 744,315票 6.1%(※「時代力量」はひまわり革命から生まれた青年の組織)Yahoo!
「台湾総統選で勝利した民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン=59)氏は1月16日、沖縄県・尖閣諸島が台湾領だと改めて主張した。中時電子報などが報じた。この日の夜の勝利会見で、記者団から「東シナ海で起こっている摩擦について、何か計画があるか。安倍政権との関係についてはどうか」などと問われた蔡氏は、「釣魚台(尖閣諸島の台湾名)は、台湾に属しています」とコメント。ただし、「日本との関係はとても重要。なぜなら、主権論争が2国の関係に影響を与えてほしくはないからです。領有権の問題は存在するが、日本との強力な関係はこのまま続きます。これには、経済や、安全保障、文化、その他の交流が含まれ、協力を続けます」と述べた。
また、南シナ海については、国際法に従って主権を主張し、緊張の原因を引き起こすものには反対の立場を取るなどと語った。」(ハフィントンポスト1月16日)
台湾の総統選は、背景に中国経済の大減速といった状況があります。
先日の日韓合意も、今回の台湾の総統選もまた、かつてのように中国経済が向かうところ敵なしの状況であったのなら、起こり得ないことでした。
特に今年に入っての上海総合指数は、サーキットブレーカーという新制度を作ってはみたが、まったく使い物にならず、どこまで続くかわからない減速のスパイラルに突入しました。
私は保守派が言うように、これが中国全体の崩壊につながるとは必ずしも思いませんが、おそらく最低で3年以上の経済低迷が続くでしょう。
これは中国経済に大きく依存してきた韓国、台湾にとって、中国経済一辺倒から、日本や東南アジアにまで視野を拡げた、経済のシフトチェンジが必要なことを悟らせたようです。
ただし、蔡英文氏は、前回の民進党陳水扁政権の時に党の首席に座っていた人ですから、陳氏の失敗をよく心得ているはずです。
馬政権の極端な中国傾斜には歯止めをかけるでしょうが、いきなり真逆の方向に舵を切ることはしないでしょう。
対日政策においても、馬政政権からの継続性を押えつつ、急ぎすぎないペースで馬政権下で冷えてしまった日台関係を修復するとみられます。
いずれにせよ、蔡氏の当選は中国にとって凶、日本にとって吉です。
ありゃ、ゼンゼン;短くないじゃないか(笑)。
韓国とのつきあい方を考えると、一番いいのはチャランポランになることです。
ある意味、いちばん日本人に向いていないのは百も承知ですが、「約束を守れ」から始まって、「なんだって、約束を守らないんだぁぁぁ」(エコーかけてね)」となるのは目に見えているからです。
あ、もちろん、慰安婦合意の話です。
韓国の伝統芸は引っ張ってウヤムヤにすることです。これを硬い表現で遷延策と呼ぶそうです。
(写真 THAADの韓国配備などが懸案となる中、4月10日に会談した韓国の韓民求国防相(右)と米国のカーター国防長官 ロイター/アフロ)
最近の例をとれば、米国の高高度防衛ミサイルシステム(THAAD)を設置してくれという米国の要求を、韓国はぬらりくらりと拒否してきました。
THAAD(サード)は、日本も持っている弾道ミサイル迎撃システムPAC3の隙間を埋めるために作られました。
https://www.defenseindustrydaily.com/thaad-reach-out-and-touch-ballistic-missiles-updated-02924/
「パトリオットPAC-3は、比較的小規模で展開しやすいかわりに、射程が短いため、高速で突入してくる中距離弾道ミサイルなどへの対処が難しく、また、迎撃に成功した場合でも地上への被害が大きくなるという問題があった。このことから、パトリオットPAC-3よりも高高度、成層圏よりも上の高度で目標を迎撃するために開発されたのがTHAADである。」
ウィキ
つまり、PAC3では射程距離が短すぎて、北朝鮮や中国が撃ってくる中距離弾道ミサイルに対抗できないケースがあるし、地上寸前で破壊するために破片が落ちてきて危ないだろう、ということです。
またPAC-3は、拠点防衛しかできません。たとえば、首都の中心部や、重要な基地周辺ていどを守る能力しかないのです。
あとPAC-3では、米国に向かう高高度を飛んでくる弾道ミサイルを落とせないのです。
これでは困る、というのが米国の言い分です。
ですから、米国は、韓国国内にTHAADを配備してくれと要求してきました。ま、同盟国ですから、当然ですな。
米国は一昨年から、「早よう、設置させろや」と要求してきましたが、ここでもまた韓流ぬらりくらりが発揮されました。
というのは、米国は現地調査も終えて、搬入するばかりだったからです。
よもや、韓国から、「まー、聞いておきましょう。しかし、なにぶんこっちにも事情があるからねぇ」と言われると思わなかったようです。
北朝鮮や中国の弾道ミサイルは韓国にとっても共通の脅威のはずですが、今回の北朝鮮の自称「水爆」実験でも、韓国民がパニックにならなかったように、韓国は自分が撃たれるとはこれっぽっちも思っていないのです。
撃たれるのは日本、あるいは米国で、兄弟から韓国が撃たれるはずないでしょう、というのが本音です。
むしろ北朝鮮が核保有すれば、やがてくる統一「大韓帝国」ができた暁は、オレたちも「核保有国クラブ」の常任理事国だぁ、などとおめでたく思っているようです。([ホント)
http://www.lockheedmartin.com/us/products/thaad.html
自分の得にならないことはベロも出さない韓国にとって、THAADなんていう明らかに中国を意識した迎撃システムを入れれば、中国サマから何を言われるかわかったもんじゃありません。
実際、中国軍副総参謀長は正式に懸念を表明しています。
というのは、韓国内にTHAAD用のフェーズドアレイ・レーダーを設置されてしまうと、中国は米国に向けて弾道ミサイルを発射した瞬間に、発射位置や軌道がバレてしまうからです。
米国は「設置させろ」、中国からは「設置したらコワイことになるぞ」というわけです。
韓国があまりに煮え切らないために、米国は当初の防衛担当者協議から、パククネさんの訪米時に、直接話して了解をとるということまでしたようです。
これで配備決定となる思っていたら大間違い。
これに対して、中国からも中韓首脳会談において、習近平から直々にパクさんが「当然、設置しないよな。わかってるよな」と念押しされてしまいました。
やれやれ。いつまでもやっていなさい、という気分ですが、現住所と本籍にふたりの旦那を持つ身もつらいものです。
出所不明
そんなこんなをしているうちに、今回の自称「水爆」実験に対応して、中谷防衛大臣が「なら、ウチで設置するわ」と言い出してしまいました。
韓国と違って、わが国が導入を明らかにしたということは、もうほとんど準備が出来ている段階なのでしょう。
これでは、米国の安全保障政策にとって、韓国はただ守るだけのまったく不要な存在になってしまいますね。いいんか、コリア(苦笑)。
まぁ、このようにダラダラと引き延ばして遷延策を取るのが、かの国の伝統芸だと覚えておきましょう。
(ロイター/アフロ)
さて12月28日の日韓外相会談では、正式な合意文書は作成されませんでした。
合意したにもかかわらず文書がつくられないという異例の形になったのは、ひとえに韓国国内の世論に配慮したからです。
ですから、韓国はソウルの日本大使館前の慰安婦を撤去する「努 力」はするが、あくまでも努力目標にすぎません。
韓国でいちばんエライ、挺対協のバァ様たちが「屈辱的 な談合だ」とお許しになるはずがないからです。
韓国のたくらみは見え見えです。
バクさんの、今年4月の総選挙を有利に進めるため、日本からの謝罪と謝罪金をぶん取って、「鬼の首を 取った女傑」になるのが目的です。
韓国は10億円が振り込まれたら、まず確実になんやかんや言い訳をしながら、合意事項を引き延ばすことでしょう。
「今日は挺対協が大反対しているから無理」「今日は若者まで加わっての座り込みをしているから無理」「今日は風水が悪くて無理」「今日は化粧の乗りが悪くて無理」と、あらゆる理由をつけて、引っ張りまくるでしょう。
そのうち「日本大使館のほうがどいてくれないか」、と言い出すでしょう(ホントにいいそう)。
そして引っ張るだけではなく、「なら、日韓スワップでさらに日韓の絆を強めましょう」などと言ってくるかもしれません。(こっちからしてもいい、などといった「政府高官」出てこい!)。
ハイ。乗ってはダメです。
ですから、私たち日本側としては、合意が守られない限り、以後のいかなるお詫び、基金の拠出、スワップも拒むことです。
私はナショナリズム的立場で言っているのではなく、今やこれらが外交カードと化しているから、安易に使うなと言っているのです。
もちろん、国会で民主党の緒方林太郎議員の要求どおり、「パク大統領に謝ったんだから、国会でも謝罪してみせろ」など論外です。
しかし、ひどいね。かつての政権党がここまで落ちたかね。(追記 緒方氏は元外交官だった!)
それはともあれ、引き延ばしには引き延ばしを、です。
中国の画策する日米韓同盟の離間策に対しては、とりあえず手を打ったのですから、後は寝ていましょう。
念のためにつけ加えておきますが、私は韓国を好きでもキライでもありません。
類例なくヘンテコな国だとは思っていますが、対中関係という補助線を引いた場合、敵に追いやることはせずに、最低限の協調関係が取れる関係ていどには修復すべきだと思っているだけです。
PCの調子が戻っていないので、記事更新だけでやっとという状況で(←その割りには記事が長いけど)、コメント欄の討論に加われないでいます。残念。
まずは、先日のタイトルを、゛forced to as sex slaves゛に直しておきました。このほうが文法的にしっくりくるでしょうね。
HN山路さんの「どうしてドイツは日本を敵視するのか、今ひとつ理解出来ません」についてですが、これは日本人独特の錯覚なのですよ。
日本人はドイツ人を好きですからね。あっちはキライみたいだけど(苦笑)。
振り返ってみれば、この100年の間、ドイツと日本の関係が友好関係にあったのはごく短い時期だけなのです。
1936年の日独防共協定から、大戦が終結する1945年までのわずか9年たらずの間だけなのです。
ただ、大戦が絡んでくるので、印象が強烈で、日独は昔から同盟関係にあったなんて漠然と思っていますが、全然違うのです。
ドイツは、日本にとって難しい国なのですよ。そもそも、近代では「遅れてきた帝国主義」として競合関係にありましたしね。
第1次大戦においては、直接に戦闘を交えて中国・太平洋におけるドイツの権益を根こそぎ奪ったのが、わが国ですからね。
彼らからすれば、「ナロー、いつか見ていろよ」でしょうな。
第1次大戦から第2次大戦までの戦間期に、ドイツはなんとしても中国大陸の権益だけでも奪還したいと考えていました。
それが大爆発したのが、例の南京戦へとつながることになる第2次上海事変です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/
その前後の歴史の流れを見ていると、ドイツは想像以上に中国に深く関わっています。
まず清朝末期にまでさかのぼれば、日清戦争で日本と戦った北洋艦隊の鎮遠や定遠はドイツ製ですし、旅順要塞建設にもドイツは関わっています。
第1次大戦前に、すでにドイツは中国各地(広東、長沙、済南など)に、大砲などの工場を作っています。中国軍の小銃もすでにドイツ製でした。
ですから孫文も、軍の近代化のためにドイツを招こうとしたのは自然の流れでした。
出所不明
蒋介石はよく日本の士官学校に行ったことばかりいわれていますが(実際は、日本の士官学校には受からなかったようです)、実は第1志望はドイツ留学でした。
1936年に、蒋介石は 4月にドイツと「ハブロ条約」と呼ばれる秘密条約を締結して、ドイツに軍事顧問団派遣を要請しています。
そしてその蒋介石の要請によって中国群近代化のために送り込まれたのが、ドイツ陸軍を背負って立つと目されていたマックス・バウァー大佐です。
このバウァー大佐が本国から連れてきた30名弱の将校団が、「ドイツ師団」と呼ばれるドイツ装備の近代的軍隊を作り上ることになります。
下の写真右で、ヘルメットは独特のフリッツ式(※)、軍服から長靴までドイツ製、ライフルもモーゼルと、部隊記章以外まんまピカピカのドイツ軍しているのが、この「ドイツ師団」です。※フリッツ・英俗語でドイツのこと。
ここまでパクると、コスプレみたいでけっこう恥ずかしいゾ。
左はポーランド侵攻にも従軍し、ドイツ軍将校でもあった蒋介石の養子・蒋緯国です。 息子まで、ドイツ軍に従軍させていたわけです。
実は、蒋介石はヒトラーのディープな崇拝者で、ドイツ・フェチといっていいような人物で、ヒトラーに憧れる余り、自らの肩書をフューラーの漢訳の「総統」にしたくらいです。
ちなみに、今も台湾の大統領職は「総統」ですが、これは蒋介石のヒトラー趣味が元です。
ドイツにしてみても、「頼まれたから、ちょっと手伝った」なんてもんじゃなくて、ドイツの国家意志でした。
これは、ドイツ軍事顧問団のメンツを見ればわかります。ドイツ陸軍の中枢を担う将校たちが、大挙して中国を訪れています
パウァーの次の軍事顧問団長をしたのは、ヘルマン・クリーベル大佐で、ナチス党員です。
3代目は、ゲオルク・ヴェッツェル中将で、彼が育成したのがドイツ装備で、ドイツの戦術で戦う「ドイツ師団」でした。
ヴェッツェルは、この「ドイツ師団」の指揮をとって、1932年の第1次上海事変を戦っています。
出所不明
後に団長は、ドイツ陸軍の大物中の大物であった有名なハンス・フォン・ゼークトに任されます。上の写真の右側の怖そうな人物です。
彼は影の陸軍総司令官とまでいわれた男で、モノクル(単眼鏡)をかけて、無表情なポーカーフェイス。
漫画に出てくる怖いドイツ軍将軍のイメージどおりで、ついたあだ名がスフインクスです。
彼が、戦間期のドイツの対中政策の基本を作ったといっていいでしょう。
「ドイツ師団」は当初2万人(2個師団)ていどでしたが、1938年には60万人、60個師団という膨大な数に膨張し、さらに60師団増員するという計画が作られていました。
このドイツ軍事顧問団政治方針こそが、「日本一国だけ敵とし、他の国とは親善政策をとる」という徹底した日本敵視政策でした。
蒋介石にとっての悲願は、ドイツ軍事顧問団と鍛え上げてきた虎の子の「ドイツ師団」を使って、けしからぬ日本をたたき潰すことでした。
ドイツにとっても、ドイツ製の軍事物資を大量に売る販路としてだけではなく、蒋介石を通じて中国の権益に大きく食い込めるチャンスだと考えたのです。
また、ドイツは中国に戦略資源を依存していました。たとえば大砲の砲弾の芯になるタングステンは、中国と軍事製品のバーター取引をしています。
ちなみに、 南京事件の時に日本軍の虐殺を証言したことで有名になったジョン・ラーベは、手記ではミシンの修理をしていたなどととぼけていますが、ほんとうの仕事は中国軍に武器を売っていたシーメンスの技術者(後に中国総責任者)でした。
安全区代表にして、「中国のシンドラー」、おまけに日本の同盟国の人物みたいなナイーブなイメージで、彼を見ると間違えます。彼はまるっきり,蒋介石側の人物なのです。
まぁラーベを調べると,、当時のドイツ人の対日感情がよくわかりますね。
それはさておき、かくして中独の国家利害は一致し、ゼークトの後継となったアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン中将が指揮したのが先に述べた第2次上海事変だったというわけです。上の写真の左側がファルケンハウゼンです。
第2次上海事変で、上海を包囲し日本軍を苦しめたトーチカ網は、その名も「ゼークトライン」と呼ばれていたほどです。
この中国に対する深い介入は、日独防共協定締結以後も中国に対しての支援は継続されており、ようやくそれが終了したのは、1938年のことでした。
その後中国は、米国に頼ることになり、100万の日本軍を中国大陸に拘束できることに利害を見いだした米国との蜜月期に入っていきます。
とまぁ:なんのことはない、日本はヒトラー登場まで一貫してドイツと直接、間接に戦っていたわけです。
はい、脱力することには、それが正解のようです。
大戦期も、あまり離れすぎていて、同盟の軍事的効果はかぎなくゼロで、日本はなんのために世界を敵に回してまでドイツと同盟を組んだのか、まったくよく分かりません。
戦後は西ドイツ時代から、変わらない永遠のライバル関係です。
自動車、電子機器、精密加工機械など、ドイツが得意とする製造業分野に限って、日本の得意分野ときています。
作りの丁寧さ、信頼性の高さにおいて、今に至るも日独が世界の一二位を争うでしょう。
世界どこに行っても行く先々でバッティングします。
というわけでどこかで川口マーン恵美さんか言っていましたが「ドイツ人は日本が下目なうちは友好的。抜かされた瞬間にキライになった」そうです。
ま、勝手にしなはれ。
ジョジアーヌ・クリュゲールという、戦争の時代を生きたフランス人が書いた、『ボッシュの子』という本があります。
自叙伝形式で綴られていますが、その内容はむしろ原題の、『戦争の胎児』というほうがよく伝えているでしょう。
日本版タイトルの「ボッシュ」とは、フランス語で「ドイツ野郎」という俗語ですから、タイトルは「ドイツ野郎の赤子」ということになります。
ご承知のように、フランスは、1940年から1944年の大戦期に、カイライ政府とナチス・ドイツに直接占領されていた部分に分割されていました。
多くのドイツ兵が進駐し、それを迎えたフランス人はそれを受け入れない者たちと、受け入れて生き延びようとする人たちに自然と分かれていきました。
この4年間の間に、春をひさぐ女性だけではなく、真剣に愛し合った結果、多くの混血児が生まれました。
『Uボート』というドイツ映画にも、恋人のフランス娘の写真を宝物のようにしている若い水兵が映し出されていました。
この水兵がもっとも恐れていたのは、残した恋人がレジスタンスにひどい目にあわないか、ということでした。
彼女たちが産んだのが、「ボッシュの子」です。ボッシュの子を産んだフランス女性は、パリ解放の時にさらし者にされました。
下のパリ解放時の写真を見ると、無残にも髪をパリカンで刈られ、あろうことか幼児まで抱き抱えさせられて、罵倒と嘲笑、そして喝采の中を歩かされています。
自分の国を自力で解放出来なかったフランス人による、集団リンチと呼ぶべきでしょう。
実は、この写真に写るような「ボッシュの子」を生んだ女性の多くは、戦時売春婦でした。
日本風にいえば「慰安婦」です。ドイツ軍は、占領地域において兵士用売春宿を運営していました。
朝日新聞と並んで慰安婦問題の火付け役であった日弁連は、こう述べています。
「近代軍隊の中で、慰安婦を置いたのは日本だけであり(略)『人道に対する罪』に該当する」(1992年7月11日日弁連シンポ資料)
つまり、日弁連は、世界広く見渡しても、日本だけが類例ないほど突出した残酷な慰安婦制度を有していたという主張をしているわけです。
まったくの誤りです。
日弁連が何を根拠にそう言っているのか分かりませんが、これが国内だけでなく欧米の定説にもなっています。
昨日あえて強調しましたが、わが国が国際的に慰安婦問題で批判されたのは、「慰安婦がいた」こと自体ではありません。
こともあろうに、「一国の正規軍が当時国内であった朝鮮半島から暴力的に女性を大量に拉致して慰安婦にした」、という朝日新聞の捏造報道が世界中に流布されたからです。
結果、各国が自らが慰安所に類似するそれを有していた歴史は都合よく忘れさられて、「近代軍隊の中で、慰安婦制度を持ってたのは日本軍だけだ」という都合よい解釈が定説になってしまいました。
慰安婦問題をことさらに大きく取り上げて日本バッシングに励んだ国として、中韓以外にドイツがあります。
ドイツに恨まれる覚えはないのですが、彼らはことのほか慰安婦問題がお好きだとみえて、今回の日韓合意においてもまっさきに賛意を示しました。余計なお世話です。
彼らドイツ人の心の中には、ナチスドイツの戦争と、日本がした戦争が同じものだとした上で、「日本人は戦争についての加害者意識が欠落していて、未だに謝罪を拒んで戦後補償もしていない」という批判をし続けてきました。
たとえば、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙は1995年7月28日付で、このように書いています。
「旧日本軍の参謀本部がいわば売春宿のヒモとなって組織していた犯罪」(略)たいていは未婚の朝鮮人女性が、嘘っぱちの約束に釣られ、身代金で買われるか、あるいは誘拐されて、強姦凌辱の限りを尽くされた。(略)結局は、関係省庁の文書庫の中に、大量の証拠書類が見つかった」
よくこういう記事が書けるなというくらい、突っ込み所満載です。
いつ「大量の証拠文書が見つかった」のでしょうか。よもや吉見義明氏が1991年に「発見」したという防衛研究所にあったあの文書のことでしょうか。
出所不明
あれは「慰安婦募集において、違法行為を厳しく取り締まれ」という通達ですよ(苦笑)。
そんなものまで「強制連行の動かぬ証拠」としたくらい、証拠は皆無なのです。
もし、吉見文書と別物ならば、「関係省庁の文書箱にあった大量の証拠文書」とやらの一枚でもいいから、是非お見せ下さい。
上の写真は1940年、フランスを占領したドイツ軍が開設した慰安所の風景です。
こともあろうに、ユダヤ人の宗教施設であるシナゴーグを徴発して、売春宿に使用しています。
ユダヤ人に対する差別と迫害と重なって、きわめて悪質です。
ドイツは日本とほぼ同じ、慰安婦制度を持っていました。
慰安婦問題を研究する上での基礎文献となっている秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』によれば、ドイツにも日本のそれと酷似した慰安婦制度があり、ドイツ語文献すら存在します。
これは1977年に書かれたフランツ・ザイトラーの『売春・同性愛、自己毀損-ドイツ衛生指導の諸問題1939年~45年』という文献です。
思わず失笑するほど、日独の慰安婦制度は酷似しています。
まず 日独共に占領地においてだけ慰安所を開設したことです。国内には兵隊用慰安所は共に存在しません。
慰安婦証言に、日本国内の慰安所に送られたといった証言が出てきますが、それだけで嘘だとわかります。
というのは、慰安所とは兵士による占領地における暴行を防ぐ目的と、私娼を買って性病予防に罹ることを防ぐ目的で作られたのですから、国内にあるはずがないのです。
なお、当時は朝鮮半島と台湾は「国内」でしたし、住民は「日本人」でした。
慰安婦募集も、日独共に自国の軍隊を関与させていません。それはあえてそのような暴力的行為をしなくとも、慰安婦の定員は充足していたからです。
そもそも韓国の主張のように20万人もの女性を「国内」から狩り集めたら、朝鮮人男性が怒り狂って当然です。治安もクソもなくなってしまったことでしょう。
もちろん、慰安婦は貧しさから「売られた」ケースも多く、自分の意志に反して恥辱をなめた女性も少なくはなかったでしょう。
しかし、それにも増して、彼女たちには、一般兵士の何十倍ものを高額な報酬が保証されていました。
最初に名乗り出た金学順さんも、貯めた金は現代に換算すると億の単位となります。
ただし、その一部が軍票だたために使えないということで、怒って日本政府を訴えたのです。
ところで、兵士に性病を罹患させないのが目的ですから、厳重に衛生管理がなされていました。
これはドイツも同じで、ザイトラーは、衛生管理、軍医による検診、アルコール類の持ち込み禁止、料金の統制、慰安婦の登録制度、避妊具の使用の強制、暴力の禁止、憲兵による監視など、厳重な内規があったとしています。
日本も瓜二つです。
唯一日独が異なるのは、日本が現地部隊指揮官の判断だったのに対して、ドイツは軍地区司令官という高位の指揮官が設置許可を与えていたことくらいです。
「国防軍慰安所と親衛隊(SS)用の慰安所は占領地に開設され、地区司令官の監督下て、前線の中隊長が軍医と相談して運営した」 (同書)
ドイツの場合、地区司令官という最高位の司令部で管理していたために、日本以上に「国家の関与」が強まっています。
ザイトラー文献を読んだ歴史家の秦郁彦氏をして、「どちらかが見習ったのではないか」と言わしめたほどです。
案外、これはほんとうかもしれません。
ドイツ占領下で500カ所あったと言われる慰安所が設立されたのが1939年で、日本とほぼ同年代ですので、同盟関係にあった両国はなんらかの影響を与え合った可能性すらあります。
わが国の「人権団体」の常套句に、「ドイツを見習え」というものがありますが、確かに日本はドイツに「見習った」のかもしれません。
ただ唯一大きく異なるのは、ドイツが大戦の歴史すべてナチスの蛮行として全面否定したことでした。
戦前と戦後で、あたかも「違った国」であるかのような自己欺瞞をすることで、ドイツ人はg;戦後の欧州社会を延命しようとし、そして今や欧州の盟主の地位にあります。
わが国は、そんなドイツのように都合よく、「ヒットラーの時代」と戦前を切り捨て、勝者に向けてのいい子ちゃんの顔を取り繕うことが出きるほど、器用に立ち回れなかったというだけのことです。
かつてEUとのSPA(戦略的パートナーシップ協定)交渉を行った時、その協議項目の中に「人権条項」があったそうです。
このSPA人権条項は、EUが発展途上国と交渉する際に持ち出すもので、先進国同士の交渉において登場することは絶無といってよいでしょう。
不愉快であると叫ぼうと、不当だと言おうと、日本は欧米からは「人権途上国」の範疇に入れられている事実を、しっかりと認識しておいたほうがいいでしょう。
わが国は未だ女性の人権擁護や少数民族差別が残存する、人権の遅れた国として国際的に認識されています。
去年、翁長知事が国連人権委で「抑圧され差別されている先住民族」として発言しましたが、それを受け入れる共通の価値観が国際社会に厳然と存在しているということです。
国連人権理事会が日本政府に勧告してきたヘイトスピーチ禁止条項などや、同じく慰安婦報告最終報告書をみれば分るはずです。
よく国連人権理事会などは実効性がない組織だという人がいますが、問題はそこではなく、この国連人権理事会の認識と同様の認識を欧米も共有しているということです。
この原因は、かつてはいわゆる「連合国史観」から発していましたが、近年においては直接に慰安婦問題から発生しています。
(ビルマで保護された20人の朝鮮人「慰安婦」http://fightforjustice.info/?page_id=2356)
゛Japanese army
Main article: comfort women
The term "comfort women" is a euphemism for the estimated 200,000, mostly Korean, Chinese, Japanese, Taiwanese and Filipino women who were forced to serve as sex slaves in Japanese military brothels during World War II In Nanking Massacre, Japanese soldiers sexually assaulted civilian women of their defeated areas゛「従軍慰安婦」は、約20万人と推定される、大部分は韓国人、中国人、日本人、台湾人、フィリピン人たちであり、第二次世界大戦の間の日本の軍の売春宿の性奴隷となることを強制された女性である。南京虐殺の後に、日本兵は彼らの支配地域で一般人の女性を性的に襲った」
そしてこの英語版ウィキでは、日本軍の慰安婦問題は、90年代初期に起きたユーゴ崩壊の後のコソボにおける民族浄化と並べられています。
゛Yugoslav Wars
It has been estimated that during the Bosnian War between 20,000 and 50,000 women were raped. The majority of the rape victims were Muslim women raped by Serbian soldiers. Although men also became victim of sexual violence, war rape was disproportionately directed against women who were (gang) raped in the streets, in their homes and/or in front of family members. ゛「ボスニア紛争の間、2万人から5万人とみられる女性がレイプされたと見積もられている。
大部分のレイプ被害者は、セルビア人兵士によって強姦されたイスラム女性だった。
男性も性的暴行の被害者になったが、多くは女性で、彼女たちは通りや家、あるいは家族の前で強姦された。」
2014年8月5日付朝日新聞は、自社の慰安婦記事の検証記事でこう書いています。
「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳をふみにじられたことが問題の本質なのです。
90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦事件に国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈で捉えられています。慰安婦問題はこうした今日テーマにもつながるのです」
朝日の主張は、今さら指摘するまでもなく、朝日が吉田証言の捏造が破綻するごとに変化させてきた言い訳の現在形である「女性の人権」、あるいは「戦時性暴力」へのすり替えですが、半分だけは事実です。
それは、慰安婦問題をこのようなボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の民族浄化と絡めて国連に持ち込んだ人達がいて、この人たちが朝日の言う「国際的注目を集める」役割をしたからです。
国際社会に「性奴隷」というおぞましい用語を持ち込んだのは、日弁連の戸塚悦朗氏たち「人権団体」ですが、今日は触れません。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-d3cf.html
(出所不明 セルビア人勢力のリーダーとされるカラジッチ)
では、この日本軍慰安婦と並べられた、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の集団レイプとはいかなるものだと言われているのでしょうか。簡単に押えておきます。
これは、『ユーゴスヴィア民族浄化のためのレイプ』(※)という本に詳述されています。
※この本の信憑性には、多くの疑問が提出されています。
この本によれば、ボシュニャク人(ボスミア系ムスリム)女性を拉致して集団で強姦し、中絶できない時期になって元の村に返します。
すると、敵対する民族の子を産んだということで、その村の中で亀裂が走ります。これが大量に組織化された形で行なわれ、敵対する民族の血を絶やすために行なわれたとされました。※「民族浄化」
つまり、朝日新聞は、わが国が戦時中に当時「日本人」だった朝鮮民族を「民族浄化しようとした」主張しているわけです。
実際、韓国政府はそのように国際社会に発信しています。
さて、慰安婦合意の後に、私たちは何ができるでしょうか?
まずは慰安婦問題の核心は、一体なんなのかを改めて認識することです。
現時点でできることと、できないことがあります。やがてやるべきだが、今は手をつけられないことも多くあります。
あくまで「現時点では」という前置きをしたうえで言いますが、大戦においての日本の名誉を回復することは不可能に等しいことだと思ったほうがいいでしょう。
戦勝国史観によって戦後秩序が作られてしまっているわけで、その上に乗った日米安保が日本の基軸同盟関係である以上、歴史認識だけ変えることは不可能です。
ですから、今、できることは、慰安婦において事実認定を淡々と積み重ねることです。
まずなによりも緊急に明確にせねばならないことは、合意文書英訳版にあった、゛with an involvement of the Japanese military authorities at that time゛のうちの、゛an involvement、(関与した)の部分です。
これが韓国政府や英語版ウィキがいうような、゛forced to serve as sex slaves in Japanese military ゛(「性奴隷となることを日本軍によって強制された女性」だったのかどうか、そこを明らかにする義務が外務省にはあります。
朝日新聞界隈や左翼陣営からは、「強制連行があろうとなかろうと広義の強制性はあった」という類の反論があるだろうと予想されますが、かまいません。 無視してください。
今テーマにしていることは、時代によって変化するような恣意的「解釈」ではなく「事実」なのです。
<日本軍による暴力的徴発行為、あるいは強制的連行があったのか、否か>、それだけにテーマを絞りましょう。
その上で、強制連行の証言の根幹となった吉田清治証言を、国として歴史史料として認定するのかどうか、外務省は明らかにする必要があります。
その上で「関与」の内容を、明らかにしていただきます。それは慰安所の「運営」なのか、女性を徴発することまで、日本軍が「関与」したのか、どうか明らかにしていただきます。
私たちは、朝日新聞好みの「女性の人権」うんぬんなどといった自己弁護と議論する必要はありません。
何度も言いますが、そんなことはただの後出しジャンケンの「解釈」でしかないのです。
大事なことは、事実をしっかり国民が広く認定し、共有することです。
国際社会への発信もするべきでしょうが、その前に国内で結着をつけましょう。
国内で明確にしないと、必ず「人権団体」が、「おそれながら」と国連人権委員や外国有力紙などに直訴することになります。
そのためには慰安婦プロパガンダを社業としてきた朝日新聞が所有する膨大な吉田証言についての原資料を、一切合切ぜんぶ提出させます。
これらの作業をするために、朝日新聞の参考人招致は当然として、国会に特別委員会を設置する必要があるでしょう。
あるいは、「慰安婦問題臨調」のようなものを設置してもよいでしょう。
長くなりましたので、それについては次回に続けます。
全面的勝利となることは希有であって、多くが代償を払うことになります。
今回の代償は、昨日ふれたようにやり方次第では、今まで日本政府がとってきた「日韓基本条約によって請求権問題は解決済」という原則的立場が崩れかねないことです。
ここが崩れると、後は応用問題ですので、韓国が次に準備しているといわれる「強制徴用」というカードに、利用される可能性があります。
では昨日、日本文で見ましたので、英訳を読んでみることにしましょう。
まず、事実認識の部分です。これは外務省HPで読むことができます。※http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001667.html
「岸田外務大臣による発表
ア 慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。」
これに対しての英文訳も、外務省HPで見ることができます。(太字引用者)
※http://www.mofa.go.jp/a_o/na/kr/page4e_000365.html
(i) The issue of comfort women, with an involvement of the Japanese military authorities at that time, was a grave affront to the honor and dignity of large numbers of women, and the Government of Japan is painfully aware of responsibilities from this perspective. As Prime Minister of Japan, Prime Minister Abe expresses anew his most sincere apologies and remorse to all the women who underwent immeasurable and painful experiences and suffered incurable physical and psychological wounds as comfort women.
う~ん、非常に問題のある訳文ですね。日本語ですっと読むと、単なる河野談話の焼き直しですが、英訳すると別の顔が浮かんできます。
まず問題にせねばならないのは、゛the honor and dignity of large numbers of women゛の部分です。
どうして゛large numbers゛ という表現にしたのでしょうか。これは研究社新和英辞典によれば、「巨大数」を表します。
韓国政府は公式に、「20万人の韓国女性が、日本軍によって「挺身隊」という名で強制連行された」と言っているのです。
これではこの韓国の言い分を、゛large numbers ゛という表現で、認めてしまったことになります。
いくらでも替わりの表現はあります。゛Of most、でもいいし、゜a lot of゛でもよかったはずです。
なにも最上級の表現に近い、゛large numbers ゛という訳文にすることはなかったはずです。
弁護すれば、強制連行そのものも認めておらず、具体数を書き込んでないのが救いでしょうか。
では、その強制連行を韓国が認めろと主張していた部分です。
゛with an involvement of the Japanese military authorities at that time゛となっています。
゛with an involvement゛は「関係で」ていどに訳しますから、「日本軍当局が関係して」、ないしは「日本軍当局が参加して」と訳すことができます。
非常にまずい英訳です。これだとどのような方法で゛an involvement゛したのかわかりません。
ですから、これを読む国際社会、言い換えれば欧米社会は、クマラスワミ報告のように日本軍が韓国女性のドレイ狩りに、゛with an involvement゛したととらえるでしょう。
三番目に、゛the women who underwent immeasurable and painful experiences and suffered incurable physical and psychological wounds as comfort women.゛という部分です。
このセンテンスの肝は、゛immeasurable゛という表現です。この単語は「果てしない」「広大な」「計測できないほどの」という意味です。
したがって、直訳すれば、「計り知れなくつらい経験を経験して、どうしようもない身体的、かつ心因性傷を負った慰安婦にさせられた女性」という意味になります。
外務省和訳は、「慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々」ですから、英訳は大きく和訳から乖離して、まさに韓国政府の常套句である「性奴隷」゛Sex slave゛という表現に近いものになっています。
繰り返しますが、私はこの日韓合意について、今、それをせねばならない絶対的理由があったと思っています。
それは今まで何度か書いてきたように、対中国、対北朝鮮の最前線に位置する韓国を、これ以上あちら陣営に追いやらないために必要な合意でした。
この日韓合意によって、中国は対日歴史戦線から、韓国を失いました。また時同じくして起きた北朝鮮の核実験によって、彼らは舎弟を失いつつあります。
中国は、東アジアの国際的政治関係の中で孤立してしまったのです。
そして今回の合意は、崩壊寸前だった米国をブリッジとする日米韓同盟に新たな息を吹き込んだとも言えます。
これらは、とめどなく膨張しようとしている中国にとって、極めて不愉快な一撃となったはずです。
当分悔しい日々が続くでしょうが、その間にやれることだけはやって、目前の中国という巨大な脅威に備えるべき時期です。
■お断り 後半はややテーマがズレるこことと、長くなりすぎたためにカットして明日に回しました。毎度すいません。
本来、慰安婦問題自体が人工的に作られたフェイクなのですから、いったん日韓政府の間で「最終的、かつ不可逆的に解決されることを確認」されてしまった以上、どう騒ごうとオシマイなはずですが、そう思わない人も多いようです。
(出所不明)
韓国内では予想どおり、「日本が法的責任を認めていない」「新たな財団に日本が10億円支出しても賠償にならない」と叫んでいるようです。
この挺対協のオバさんたちは、職業的運動家という珍しい「職業婦人」たちです。
ですから、「解決」などされてしまえば、この団体も解散しなきゃならないし、そうなったら大イバリできた韓国社会のステータスもなくなって、失業です。
だから永遠の日本批判のネタとして、慰安婦問題を握りしめ続けていたいのです。
上の韓国紙のものだと思われる映像をみると、もはや韓国人たちは老いも若きも、慰安婦像を拝むヘンな新興宗教にかぶれているようです。
(http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/201409/article_4.html)
そういえば、北のほうは、チャールトンヘストン版の「続猿の惑星」に登場する核ミサイルを拝む地底人になっちゃっていますしね。
さすが同族だ。北は核ミサイルを拝み、南は慰安婦像を拝む、か(苦笑)。
一方、日本に眼を転じれば、昨日、日本でも在特会系の皆さんがデモをしたようです。
(http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/より引用)
それを伝える、ハフィントンポスト(1月10日)です。
「2015年末に日韓の外相が慰安婦問題で合意したことに抗議する団体が「慰安婦問題での日韓合意を糾弾する国民大行進」と称して、銀座付近を練り歩いた。告知のホームページには「この合意で日本は『国家』として慰安婦問題を認めたことになり、当時の日本兵の名誉を自ら貶めたことになります。自分のご先祖の名誉に泥を塗って何が保守か!恥を知れ!!」と書かれている。正確な人数は不明だが、「在日特権を許さない市民の会」前代表らの参加者は「安倍政権はご先祖様たちを侮辱するな」「日本を守らない安倍晋三」などとするプラカードを掲げて行進した」
在特会みたいな極右から「政権打倒」と言われるのは、安倍氏にとってむしろありがたいことでしょうね。
おっと、枕が長すぎた。閑話休題。
日本の保守派が問題にしているのは、「そもそも賠償問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」「なんでまた10億円も払うのか」という点です。
そのとおりです。払う必要はありません。
私も政府が税金から支出することには抵抗感があります。
外務省http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html
整理してみましょう。
まず、今回の日韓合意における岸田外相の発言ですが、おおよそこのようなものです。
「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」
これはかつての河野談話のリピートにすぎません。ただ、河野談話が「強制性」を認めたのに対して、ただ「関与」という表現にとどまっています。
安倍さんは、香山リカさんたちには極右扱いされていますが、政権当初から河野談話と村山談話は継承すると明言している以上、特に驚くことはありません。
世界遺産でも「徴用」を認めた時から、日韓合意の伏線は張られていたと思うべきです。
保守の人たちは、あまりに第1次安倍政権時の「戦後レジュームからの脱去」というメッセージが強すぎたために、彼にナショナリズム的カタルシスを求めようとしています。
第2次政権の安倍氏は、キャロライン・ケネディ大使がオバマに言ったように、「ライトウイングではなく、現実主義者」なのです。
第1次政権と明らかに変貌していることに、いいかげん左右は気がつくべきです。
さて次に外相はこう述べています。
「日本政府は上記を表明するとともに、上記の措置を着実に実施するとの前提で、今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」
これが成果の部分です。
「下手に出すぎだ」「なぜ謝らねばならないんだ」というのは止めましょう。振り出しに戻ってしまいます。
これも日本人の自尊心の問題にすぎません。
ただ謝りつづけて、いっそう深みにはまってしまった歴代政権と違って、これは「最終的かつ不可逆的解決」という重要な文言を韓国から引き出すための差し水のような言葉にすぎません。
そうである以上、「謝罪」と「不可逆的解決」はワンセットであって、どちらかだけ取るのは外交的に不可能です。
問題の肝はむしろここです。
「日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする」
つまりここで日本政府は、韓国政府との合意において以下のことを述べているわけです。
①韓国政府が慰安婦支援の財団を設立する。
②日本政府の予算で資金を一括拠出する。
③日韓両政府が事業を実施する。
これは大変にまずいと思います。
これは、村山政権の「アジア女性基金」が、政府は出資金だけの支出に止まり、原則は日本国民からの寄付で運営されていたことに較べて後退しています。
日本政府が予算で支出してしまえば、事実上の「賠償」です。
回避するためには、村山政権に学ばねばなりません。政府は出資金の一部を少しだけ出して、残りを国民の寄付で賄うことです。
払うべきではない、という議論は止めましょう。日本国を代表する外相がいったん国際社会の前で明言した以上、払うのが責務なのです。
だから、「国民」が払うべきです。
その「国民」、言い換えれば民間とは、当然のことながら、無から有を錬金術して見せて、日本国に打撃を与え続けた張本人である朝日新聞、及び福島瑞穂議員です。
このお二方には、9億9千990万ほど寄付して頂きましょう。
まだ時間があります。
ここで安易に政府が税金を投入する意味を、もう一回考え直したほうがいいでしょう。
※朝日新聞の社会的責任についてはこちらから
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2064.html
なんか気分は遠泳からヨタヨタで浜にたどりついた、という気分です。
続く時は続きますね。まず手始めにパソコンが壊れました。
これがイカれるとブログも更新できないので、慌ててパソコン屋にかついでいったら、法外な修理代がかかりそうです。
私、パソコンは、「親指シフトキイボード」という富士通が30年以前に作ったヘンタイ機種を使っているのです。聞いたことないでしょう。
パソコン屋の店員すら、実物は初めて見たという珍品です。
とうぜん絶滅危惧種で、いつ富士通がかつてのソニーのベーターのように、「すんません。もう、ライン閉めますよって」なんて言われたら最後、私たちはキイボード難民と化します。
打つだけならメチャクチャに早いんですよ。たとえば「し」などJISは「shi」と3回打ちますが、親指シフトはたった一回「し」のキイを押せば終わりです。
その代わりの代償はデカイ。これ以外のキイボードがまったく使えないのです。
不便だぞォ、融通効かないぞォ。自分が悪いんじゃないのに、肩身が狭いぞォ(泣く)。
その合間に、眼医者に行ったり、内科に行ったり・・・、結果が思わしくなかったりという時に起きたのが、あの思いだすのも忌まわしい「照屋事件」でした。
実はあの後、記事にはしませんでしたが、メールを使っての延長戦が続いて、もうショーモーの極です。
著作権についてはおかげで勉強しました。今、ネットの著作権は法律界でも完全に定まったものがないのです。
今まで紙や電波媒体の著作物だけに対応していたのが、ネットやSNSという巨大な世界が誕生し、追いついていません。
たとえば、今回指摘された画像ひとつにしても、頑固派は、「著作権だから全部ダメ」と言えば、柔軟派は「ならば引用もできないのか」という反論をするわけです。
実際、厳密に著作権を適用すると、既存の媒体世界のものとネット媒体の融合は不可能になります。
ネット社会は、既存媒体であるマスメディアを、放送法や大新聞の特権の上にあぐらをかいた言論界の既得権者と見ていますから、非常に批判的です。
思想的なこともあるでしょうが、それ以上に、あの慢心ぶりがたまらなく嫌われています。
かく言う私もそのひとりです。 「マスゴミ」などというお下品な言葉は使いませんが、「最悪のメイド・イン・ジャパン」だとかねがね思っています。
一方、既存メディアの側は、ネット言論を「ネトウヨ」「便所の落書き」呼ばわりしているようですから、私のようなマイルド(と自分では思っている)、ニュートラル(と自分では思っている)なブログも、ゴマメの歯ぎしり、蠅の足摺ずりていどに思って忌み嫌っています。
毎日新聞知的財産センターのFAQを見ると、自社の知的財産は、「個人には許諾を与えない」ということのようですから、マンマ適用すれば、うちの新聞の写真や記事は一般ピープルは一切引用するな、シッシ、ということになりかねません。
第一、実際にネット界を既存メディアが「知的財産権」で規制したくとも、星の数ほどサイトがあるんですから、できる道理がありません。
まぁ、中国みたいに千名を超える監視要員の部隊でも作れば、別でしょうが(笑)。
ですから結局、「摘発」といっても、恣意的な密告に頼るしかないのです。
そして密告の性格上、その大部分は恨みつらみの逆ギレ、つまり私怨です。
実際に、あのHN「照屋」氏は、私の記事が自分の意見と違うから気に食わない、ひとつ懲らしめてやれというのが、この一件のモチベーションだったようです。
これでは、一切の批判や批評を受けないということと同じですから、媒体のコンプライアンスのあり方としていかがなものでしょうか。
朝日新聞はデジタル化がいちばん遅れた新聞社で、自社のコンテンツが読めるのは冒頭だけ。後は会員になれと書いてあります。
ずいぶんと狭量な話で、こういう姿勢が唯我独尊的で「ワレこそが正義」とするあの新聞独特の体臭を作り出しています。
ネット配信する以上、一定の幅の知的財産権の開放が前提です。
さもないと、今回のようにたかだか(といってはナンですが)社会面の記事につけられた写真一枚にも、「知的財産権」を主張して排除命令を出すことになります。
これは、メディアにとって、事実上、自社のコンテンツを批評させないということにつながりかねず、まさに自殺行為そのものではないでしょうか。
一方、今や既存媒体に拮抗しつつあるSNSの現状に沿って、無秩序に盗用やコピーはいかんが、一定のルールを設けていこうじゃないか、という流れもあります。
そのひとつがクリエーティブ・コモンズ・ライセンスです。
※ http://creativecommons.jp/licenses/
これは沢山のジャンルがあるのですが、私はこの三要件に着目しました。
それは、「引用先明示・非営利・非加工」です。今後、私のブログはこの考え方でいくつもりです。
しかし、まだ何か起きそうな予感がするなぁ。
というわけで、ブラックな1週間でございました。
北朝鮮の核実験について、もう少し考えていきましょう。
まずは、「日本列島に放射能が飛んでくる」とおびえている脱原発ママに朗報です。
北朝鮮が言うように、核実験が水爆とすれば、爆発させるためにコアの部分に原爆を使う必要があります。
ですから、必ずセシウム137、クリプトン85、キセノン33などが検出されねばなりません。
拡散するなら、1月6日午後から、偏西風に乗り日本海側に向けて拡散し、それは日本列島付近でも計測可能なはずです。
「北朝鮮の核実験実施を想定した WSPEEDI-Ⅱによる放射能拡散予測結果」
慌てないで下さいね。上図は、原子力規制委員会の北が核実験した場合の拡散シミュレーションですから、実際ではありませんよ。
北が原爆実験した場合には、最悪の場合、このような影響が出るということです。
(出典 http://newspointz.blogspot.jp)
しかし、ご安心下さい。実にクリーンな「核実験」だったようです。
日本上空の放射性物質を採集している空自からも,特に人工放射能は検出されていないようです。
空自は、防衛大臣指示と放射能対策連絡会議の要請を受けて、百里のT-4と小牧のC-130Hが飛行しました。
出典 http://www.gonavy.jp/bbs1/index.cgi?page:285=v
1月6日、北朝鮮での核実験を受け、機体下部に調査のための集じんポッドをつけたT4練習機が離陸した。航空自衛隊百里基地)
「T-4は放射能じん収集を行うもので、西部空域、中部空域、北部空域などを飛行し、ゲルマニウム半導体検出器で測定します。C-130は日本周辺空域で高空のキセノンを収集、ガスフロー式比例計数装置でキセノン測定を行います」
※http://flyteam.jp/news/article/58560
結果は、防衛省は、「6日には人工的放射能の測定はみられなかった」(同上)と発表しています。
一方、原子力規制委員会は、「一般的に、地下核実験の場合は大気中に放射性物質が放出されることは想定されず、仮に放出があったとしても放出源情報が不明である」としながらも、このようにプレスリリースしています。
※北朝鮮による核実験実施発表に対する放射能 影響 ... - 原子力規制委員会
「現在得られている測定結果は以下のとおりであり、特別な変化は見られませんでした。
1.空間線量率の測定結果
47都道府県、環境省及び公益財団法人日本分析センターが実施しているモニタリングポストによる空間線量率の測定結果(1月8日8時~1月8日13時)について、特別な変化は見られませんでした。
なお、空間線量率の連続の測定値については、原子力規制庁のホームページ
(http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/)でご覧いただけます。
2.降下物(降水を含む)の採取・測定結果
47都道府県及び財団法人日本分析センターにおいて、降下物(降水を含む)の採取(平成28年1月6日13時頃~平成28年1月7日15時)を行い、核種分析を実施した結果、人工放射性核種は検出されなかった。」
朝鮮半島も同様のようです。
「ソウル 6日 ロイター] - 韓国の聯合ニュースによると、韓国の情報機関は、北朝鮮が水爆実験を実施していない可能性があると指摘した。
また、韓国気象庁によると、北朝鮮が水爆実験に成功したと発表してから、放射能は検出していないと明らかにした。」(ロイター1月6日)
すんばらしい!
さすがに偉大な指導者同志におかれましては、人体に有害な放射能類をまったく放出しない「核物質を使わない核兵器」の開発という人類の偉業に成功されたようです(パチパチ)。
今までも、北朝鮮は2009年の第2回、2013年の第3回「核実験」においても、放射性物質を検出されていません。
その時には、このような地震波形が観測されています。
・2006年10月9日 第1回核実験 マグネチュード4.9
・2009年5月25日 第2回核実験 マグネチュード5.3
・2013年2月12日 第3回核実験 マグネチュード5.1
・2016年1月6日 第4回核実験 マグニチュード4.8
この第2回核実験の際に観測された地震波形は、自然地震とはまったく異なります。人工地震はいきなり冒頭の強震から始まるのが特徴です。
一方、下が自然地震波形です。
まず伝わる速度が速く、エネルギーが小さいP波が到着して、小さな縦揺れが発生し、その後、速度の遅く大きなエネルギーを持つS波が到達し、横揺れが発生します。
報道機関で発表される「震度」とは、主にこのS波によるものです。
(出典 http://www.jjjnet.com/jishin_PwaveSwave.html)
ですから、大きなエネルギーを放出した爆発があり、地震になったことだけは確かです。
おそらく、今回も同じく「何かしらの爆発物」を爆破したことだけはホントでしょう。それが何かは、ほぼ解明されています。
憶測の域を抜けませんが、フェイクの手法は、TNTなどといった高級なものではなく、中国からの支援でもらった硝酸アンモニウム系肥料を大量にかき集めて、油脂とまぜてチュドーンとかましたものだと思われています。
TNTより硝酸油脂バクダンはガス量が多いために、地下の洞窟で数百トン爆発させた場合、数キロトン級の原爆そっくりの地震波形を作ることが可能だと言われています。
第1回は実際に核分裂までもっていった結果、放射性物質が検出されています。
これに味をしめて、第2回、第3回では、よせばいいのに、より高度な技術が必要な爆縮型原爆に挑戦しましたが、核分裂自体には失敗し、爆縮用のTNTと硝酸爆薬だけが爆発した結果、「放射能なしの核実験」という珍しいものになってしまっていました。
あの国の精神発達度は中二ていどですから、ほんとうに核爆弾を実用化したのならば、「ほら見ろ。すげぇだろー」と誇示するはずです。
そして、かつて兄貴分だった中国と同じで、人命の価値や人権意識という概念そのものが欠落しています。
かつて中国は自国内のウイグル人居住区付近で、地上すれすれで原爆を爆破させ、膨大な人命を奪いました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-cd1f.html
世界ウイグル会議はこうべています。
※http://www.uyghurcongress.org/jp/?p=131 上写真も同じ
「中国政府は長年、現地を公開せず、核実験の事実や被害の実態を公表してこなかった。長年隠蔽され続けた中国の危険極まりない核実験の実態は、札幌医科大の高田純教授の科学的調査研究によって明らかになってきた。
高田純教授は、世界で最も不透明な中国の核実験災害の科学的な分析・評価を行い、ロプノルで実施された核実験の影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼるほか、急性の放射線障害(特に白血病、甲状腺がんなど様々ながん、死産や奇形児)など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果をまとめている。
しかも、これはメガトン級の大型地表核爆発がもたらした被害状況を反映している調査結果であり、ほかの核実験もあわせると犠牲者数はそれ以上となるという。中国共産党機密情報では核実験で75万人死亡説も流れているほどである」
その時には、人民解放軍部隊を原爆実験エリアに突入させることまでして、「放射能にも負けない無敵ぶり」を誇っています。(似たことは米国もしていますが)
北朝鮮ならば、まず間違いなく自信作ならば、地上実験を選ぶでしょう。人民軍兵士も数百人ほど突撃させれば、「素晴らしい」プロパガンダになったはずです。
ただし、彼らの大部分は急性被曝で死亡するでしょうが、そのようなことを気にする国ではありません。
それをしないのは、地上でやぐらを組んで行う核実験の場合、偵察衛星から丸見えになるために、失敗した場合、すぐにバレて恥をかくからです。
洞窟ならバレませんもんね。
お前ら、もらった化学肥料爆発させてんのか、と脱力します。
また、百歩譲って北朝鮮がいずれの核兵器実験に成功していたとしても、まだ超えねばならない壁はいくつもあります。
核兵器は「持っている」だけではダメなのです。実用段階に入っていなければ、国際社会から保有国と見なされないのです。
それは航空機からの投下実験、あるいはミサイルに搭載した投射実験、水中発射実験、核兵器を運用する部隊の演習などです。
これらにはまるで手が届いていない以上、北朝鮮が「相互確証破壊」(MAD)の初期に達したという私の昨日の評価は下方修正します。
一斉にマスメディアを通じて、いろいろなことを言う人が現れました。
典型的な意見は、「北朝鮮の目的は、米国との対話だ。米国が中東ばかりに気が行っているので、核実験を起こして振り返ってほしかったんだ」といいます。
失礼ながら、思わず笑ってしまいました。北朝鮮は好きな女の子に振り向いてもらうために教室で騒ぐ中坊かって(笑)。
もちろん違います。 一昔前まで、そのような説はありましたが、「対話を求める」というようなヤワなものではないことが、今回ハッキリしました。
確かに、金一族の「家業」としての北朝鮮という国の体制保証が、核武装の最終的な目的であることは確かです。
だからといって、今の段階で仮に米国から、「そうか、金坊や、体制保証してほしいのか。もうこれ以上暴れないって約束するなら、考えてみてもいいかな」なんて言われて、北朝鮮が信じるものでしょうか。
わけはありません。なぜなら、北は、しっかり自分の実力を知っているからです。そのていどには「正気」です。
あ、そうそう。ずっと気になっていたのですが、よく「狂気の独裁者」のような表現で金一族を表現しますが、ほんものだったらとっくに破綻しています。
北朝鮮という国は、毒蛇のように聡く国際社会を国際社会をペテンにかけたり、メンドリのように神経質なくせに、雄山羊のように逆ギレのマネができる、器用な目的合理主義者なのです。
もちろん褒めているわけじゃないですからね、念のため。
その意味で、国家方針がグチャグチャな南の某国よりはるかにクリアな脳味噌を持っています。
米国国務省の最初の反応は意外にも、「特に驚くことはない」という平然としたものでした。
というのは、おそらく米国のみは数か月前から察知し、既に2週間前には北朝鮮上空に無人偵察機グローバルホークを飛ばしていたからです。
このグローバルホークは、自衛隊すらなしえなかった、福島第1原発の事故直後の映像を真上から撮った機体です。
「北朝鮮が水爆実験に成功したと表明したことについて、アメリカ・NBCニュースは、「アメリカは実験準備の兆候を2週間前から確認していて、空気のサンプルを得るため実験場近くで無人機を飛ばしていた」とのアメリカ軍の高官の話を伝えた。
また、実験のあった6日にも無人機を飛ばしたということだが、どのような種類の核実験が行われたのかを知る手がかりとなる物質、三重水素が含まれていないかどうかを分析しているという」(NNN1月7日)
おそらく米国は去年の半ばから、4回目の核実験が行われることを察知していたはずです。
というのは、いままでもそうですが、核実験をするためには膨大な機材を動かさざるをえません。
米国は、核実験場を搬入車両の轍ひとつ見逃さない監視下に置いています。こんな米国が寝耳に水なわけがありません。
今回メディアは、米中もわからなかったと言いますが、中国はほんとうに寝耳に水だったようです。
それは情報統制国家の中国が、中国地震当局の発表をまんま流してしまったことでもわかります。
北朝鮮からの慣例となっている事前通告を受けていれば、そんな発表を許すはずがありません。
米国は一枚上手で、とうにその徴候に気がついていていました。そして、その危機的徴候を韓国と日本に伝えたはずです。
今のような日韓冷戦を続けていれば、朝鮮半島有事には、米軍は半身不随になるのはわかりきっているからです。
いや、有事にならずとも、それを食い止めるための日米韓のブロック体制すら組めなくなります。
これが、年末の慌ただしい中での、日韓の手打ちの背景です。
さてもちろん米国は、今回の核実験が「水爆」ではないのはとっくに見抜いています。
もし、水爆ならば、あの程度の爆発力では済まず、その数百倍から千倍に達したことでしょう。
(写真 朝鮮中央テレビが公開した、水爆実験に関する文書に署名する金正恩第1書記 ironnaより)
北朝鮮は嘘つきですが、根も葉もない嘘は言いません。根がちょとだけついた嘘のほうが真実味があるからです。
5年前の2010年5月に北朝鮮は、既に「核融合に成功した」と発表していています。
核融合とは、水素、リチウムなどの質量の小さい原子核を融合させて大きな原子にする現象のことですが、その際に巨大なエネルギーを放出させます。
これは北朝鮮が核融合炉でも作るつもりなら別ですが、水素爆弾を作る以外に使い道がない技術です。
同時期、米国のシンクタンク、科学・国際安全保障研究所(ISIS)は、北朝鮮が延辺の核団地でトリチウムを生産していた可能性を指摘していました。
この高純度の液体トリチウムもまた、水素爆弾の原料のひとつです。
つまり、水爆を作る気はムンムンで、実際に作ってはいるでしょうから、ただの嘘より迫真力があります。
実際は、韓国も認めるようにブースト型強化原爆ではないかと見られています。ただし、それも失敗したと韓国はみています。
この破壊力は広島型の6倍に達し、大都市を一発で破壊するだけの能力を持ちます。
また重量は、約400㎏前後といわれており、米国にギリギリに到達するテッポドン2号に搭載可能です。
では、現実に北朝鮮が米国まで射程に入れた核ミサイルを持っているのか、と言えば違います。
それはあくまでも理論的にはていどで、昨日お話したように、現実には液体燃料型ミサイルなど飛ばす前に、発射基地ごと米国に破壊されるのがオチです。
北朝鮮が欲しているのは、アジア域内に届く飛翔力と、必要充分な破壊力、そして秘匿性をもった核弾道ミサイルです。
この三つの条件を満たすのは、テッポドンのような巨大なそれではなく、はるかに小型化された潜水艦発射型ミサイル(SLBM)しかありません。
ですから、今回の実験で問題なのは、水爆ではなく小型化だったのです。
長くなりそうなので、そのうちまとめて記事にしますが、これは「相互確証破壊」、英語略語でなんとMAD(Mutual Assured Destruction)と呼びます。
名前からしてイカレていますが、これが、現代の核兵器に対する基本的な考え方ですから、がまんして下さい。
核兵器を知る上で極めて重要な概念なので、定義を押えておきます。
「核戦略に関する概念・理論・戦略。核兵器を保有して対立する2か国のどちらか一方が、相手に対し核兵器を使用した場合、もう一方の国が先制核攻撃を受けても核戦力を生残させ核攻撃による報復を行う。
これにより、「一方が核兵器を先制的に使えば、最終的に双方が必ず核兵器により完全に破壊し合うことを互いに確証する」ものである。
理論上、相互確証破壊が成立した2か国間で核戦争を含む戦争は発生しないことになる。また歴史上も米国とソ連の間に相互確証破壊が成立した冷戦後期以降、この2カ国間で戦争は発生していない」Wikipedia
専門用語のばかりで難解ですが、要は子供のケンカを大きくしたものだと思って下さい。
米国や中国が、いたいけな北朝鮮坊やを捕まえて、「お前、言うこと聞かないと、核ミサイルブチこむぞ」と脅したとします。
その時に、北朝鮮が丸腰なら、言うことを聞くしかありません。
しかしこの時、北朝鮮がニタリと笑って、「なら、そっちが撃ったらこっちも撃ち返すもんね。うちは負けるだろうが、お前もひどい目に会うよなぁ」と言ったら、そうそう簡単に大国の脅しは効かなくなります。
第一撃は、もっとも危険な飛び道具である、敵の核ミサイル基地を標的にします。いくら地下に隠しても、核兵器の破壊力の前には無力だからです。
ではどうしたらいいのでしょうか。地球の7割を占める広大な海の中にミサイル発射基地を隠してしまうことです。
しかも移動できて、捕まえられないならいちばんいいわけです。これが潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM・submarine launched ballistic missile)です。
そしてそれを搭載する艦のことを、弾道ミサイル原子力潜水艦、略して戦略原潜といいます。
下図は、中国の戦略原潜「長城201」です。
(出典 http://defence.pk/threads/the-jl-2-slbm-is-now-fully-revealed.322305/page-2)
この仕組みが完成して、お互いに核兵器で縛りあった結果、先制核攻撃をしようと考えても、相手が核で報復するのが分かっていますから、皮肉にも核戦争は起きにくくなりました。
冷戦時代に米ソがあれほど緊張しても、ほんとうの熱戦である核戦争にならなかったのは、そのためです。
これは、今なお核保有国の恐怖の均衡として、維持されています。これが哀しい現実です。
これに割り込もうとしているのが、この北朝鮮という国だったわけです。
北朝鮮は、既に相互確証破壊(MAD)の初期の段階に達していると考えられます。
(出典 http://blogos.com/article/59583/)
それが潜水艦から発射が可能なムスダンです。
ムスダンは、1990年代半ば以降に、北朝鮮が旧ソ連の技術者を招いて潜水艦発射型弾道ミサイル・R-27をベースにミサイル開発を進めたもので、既に地上発射実験は終了していると見られています。
最大のネックだったはずの海中発射も、自称「成功」したとしています。
このムスダンは、アジア全域とグアムにまで達します。 グアムこそが、米国のアジア戦略の要であることはご存じのとおりです。
このムスダンが現実に潜水艦に搭載されて、実戦配備につく時が、北朝鮮の核開発の一応の終点、というか中締めなのです。
そこまで、北朝鮮はこの「狂気の正気」を突き進むはずです。
長くなりましたので、今日はここまでとします。
中東においては、サウジとスンニ派諸国がイランと外交的断絶関係に入り、一触即発の様相を呈しています。
一方アジアにおいては、上海総合指数は絶望的落下を再度開始し、それをあざ笑うかのように北朝鮮が核実験を行いました。
(写真 平壌で昨年10月撮影(2016年 ロイター/Damir Sagolj)
この核実験の第一報は、中国の地震観測当局からの発表でした。中国への事前通知もなかったようです。
中国と北朝鮮は、去年暮れ12月にモランボン楽団が公演を急遽中止した時から、危険ゾーンに入っていました。
「【北京=城内康伸】北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第一書記の指示で結成された女性音楽グループ「牡丹峰(モランボン)楽団」と朝鮮人民軍の「功勲(コンフン)国家合唱団」が十二日、同日夜に予定していた中国・北京での公演を急きょ中止し、メンバーの一部は空路、帰国の途についた。理由は不明だが、両団体が北京入りした十日、北朝鮮のメディアは第一書記の水素爆弾関連発言を伝えており、中止との関係を指摘する声がある。中朝関係修復を象徴する公演が土壇場で水泡に帰し、中朝関係には再び暗雲が立ち込めそうだ」(東京新聞 2015年12月13日)
金正恩はモランボン楽団が北京に到着したその日を狙って、朝鮮中央通信を使ってこう述べています。
「わが国は今日、自衛の核爆弾、水素爆弾の巨大な爆音を響かせることができる強大な核保有国になった」
これに怒った中国共産党指導部は、幹部の公演参観中止を決定し、それに北朝鮮が反発した形で楽団撤収という報復に出たようです。
そしてそれからわずか1か月もたたぬ内に、北朝鮮はこれ見よがしに、事前通告なし、無警告で核実験をしたわけです。
このような行為を、ツラ当てと言います。
その中国の驚きぶりを、毎日新聞(1月6日)はこう伝えています。
「【北京・井出晋平】中国外務省の華春瑩副報道局長は6日の記者会見で「情勢を悪化させるいかなる行動も停止するよう求める」と北朝鮮に自制を求めた。また、在北京の北朝鮮大使を呼んで抗議する方針も明らかにし、強い不満を示した。だが、踏み込んだ制裁措置については明言せず、「(朝鮮半島の安定は)6カ国協議が唯一実現可能で有効な道筋だ」と従来の方針を繰り返した。
中朝関係は北朝鮮の3回目の核実験(2013年2月)で急速に悪化したものの、昨年10月の朝鮮労働党創建70周年には中国共産党の劉雲山政治局常務委員(序列5位)が訪朝。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の初訪中に向けた調整が水面下で進むなど、関係改善の兆しが見えていた。習近平指導部は、弱まっていた北朝鮮への影響力を取り戻す思惑があったとみられるが、今回の核実験も中国側は事前に知らされておらず、メンツをつぶされた形だ。」
中国はなにひとつ制裁措置をとることなく、「(朝鮮半島の安定は)6カ国協議が唯一実現可能で有効な道筋だ」と言っていますが、北朝鮮がこの枠組みに復帰することは、いまの段階では相当に高いハードルとなりました。
日本国内にも従来から漫然とあった、中国だけが北朝鮮に物資を供与しているパトロンだから、中国の言うことだけは聞くはずだと思う錯覚は、この際きっぱりと捨てたほうがいいようです。
そして、北朝鮮軟化による日朝国交正常化という淡い期待も、一瞬で吹き飛びました。
非常に悔しい思いで一杯ですが、拉致被害者奪還交渉は、ここで事実上終了したと見るべきでしょう。
さて、北朝鮮は水爆といっていますが、正体は不明です。もしほんとうならば、いままでと違って強力な核爆弾を得たことになります。
「北朝鮮が初の水爆実験を行ったとの発表は驚きをもって迎えられたが、韓国の国防省次官は6日、北朝鮮の核実験について、水爆を使用したとは考え難い、との認識を示した。同省のキム・ミンソク報道官も記者団に対し、「詳細に分析した後に判明するだろうが、われわれは4回目の核実験で(デバイスに)少量の水素が加えられた可能性があると理解している」と述べた。」(ロイター1月6日)
また、真相は分かっていませんが、北朝鮮は既に核爆弾の小型化と、海中発射型ミサイルの実験も行っています。
下はそれを伝えるCNN(2015年5月9日) ですが、ただしご安心下さい。これはそうとうに眉唾モノだと言われています。
(写真 出所不明)
とはいえ、彼らが指向しているものははっきりと分るでしょう。
実戦的な核武装能力の獲得による、独裁体制の維持を目的とした、日本、韓国そして中国といった周辺国に対する核による軍事的恫喝です。
これは北朝鮮の立場に身を置けば、分かりやすいはずです。
北朝鮮という新興宗教国家にとってもっとも怖いのは、人民が餓死することでも、凶作になることでもありません。人民の代わりはいくらでもいるし、食料や燃料などは中国が渋々分けてくれるに決まっているからです。
彼らがもっとも恐れるのは、金一族による支配体制の変革です。
しかし、核保有国が「お前の国の独裁体制、なんとかなんねぇの」とスゴまれたら、なすすべがありません。
核を保有していなければ、当然やられっぱなしであり、反撃の余地はありません。
そこで、毛沢東よろしく「パンツを履かないでも原爆を作る」というのが、金日成以来の国家的悲願でした。
そして人民などいくら飢えて死のうと、河が年中氾濫しようと知ったことかと作ったのが、有名なノドンやムスダンなどの核爆弾を搭載できる弾道ミサイルでした。
(写真 2012年4月に打ち上げられ、失敗した人工衛星(事実上の弾道ミサイルjp.wsj.com)
しかし、これには致命的欠点がありました。地上固定型といって、核ミサイルの発射台があり、そこからしか核ミサイルが発射できないのです。
しかも液体燃料式です。
もし、仮に本気で北朝鮮が核ミサイルを発射したいと考えても、お宝のノドンミサイルは液体燃料方式といって、燃料には腐食性があって、ミサイル内に注入したまま長時間保存できません。
撃とうと思ったら、延々と燃料タンク車からミサイル内に注入する必要があります。これではすぐに米国の偵察衛星に発見されて、巡航ミサイルで簡単に叩きつぶされてしまいます。
そこで考えられたのが、旧ソ連から導入したR-27弾道ミサイルを使うことです。これは固形式ロケット燃料で飛びます。
北朝鮮はこれに「北極星-1」というロマンチックな名前をつけて実験しています。
ミサイルを拡大すると、確かにR-27のように見えます。
http://aviation-space-business.blogspot.jp/2015/05/slbm.html#!/2015/05/slbm.html
これはムスダンといううまそうな朝鮮料理もどきの名前をつけられて、既に彼らはなんどか実験しています。
「北朝鮮は1991年ソ連崩壊後の経済混乱期に本ミサイル開発関係者を招聘して、本弾道弾をベースに同一射程の移動式中距離弾道ミサイルを開発した。2007年4月の北朝鮮軍創設75周年記念パレードで配備が確認されている。(ムスダンと呼ばれる。イランへも輸出されている)。これまでの固定式テポドン1号から続く、北朝鮮の対米大陸間弾道ミサイルは、衛星での監視・先制攻撃による破壊が可能な旧式の固定式が想定されていただけに、北朝鮮が射程9,100kmのR-29の1代手前のR-27を、射程4,000kmの中距離「移動式」弾道ミサイルに仕立て上げたことは驚きを呼んだ」Wikipedia
個体燃料型ミサイルですから、実用的であり、おまけに潜水艦からを運用可能です。
これを水中に隠して、下の写真でさわやかな笑いを見せている世界一危ない少年が、「ボクを怒らせると、ほんとうに撃っちゃうからね」と言えば、そうそう簡単に他国は、核ミサイルを背景にした脅しができなくなるという寸法です。
この水中発射型ミサイル実験に「成功」したことは、日本ではほとんど報道されませんでしたが、東アジアのパワーバランスを大きく変化させました。
北朝鮮は、私たちには出来の悪いマンガのように見えるのですが、いたって正気です。いや正確にいえば、狂って正気です。
このR-27弾道ミサイルを使用し、彼らが保有していることが確認されているゴルフ級潜水艦に、たぶん1発だけ積んでぶっ放すということを考えているようです。
(図 ゴルフ級潜水艦 出典不明)
「ソ連では1990年までに全艦退役したが、1993年に10隻が北朝鮮に解体するために売却されており、北朝鮮はこれらを運用したことはないが、艦の弾道ミサイル発射システムなどを学習した可能性がある」Wikipedia
実は、ミサイルと潜水艦だけあってもダメで、それに付随する発射技術は山ほどあるのですが、とりあえず、北朝鮮は発射することだけはできたと考えるべきです。
北朝鮮は、中国と違って米国を標的にしていません。実力的に1光年ほど追いついていないからです。
彼らが現実にやるとしても、中国がさせないでしょうし、日米は阻止するでしょう。
ですから、とりうる手段は北朝鮮領海内から、一発勝負で発射する自殺攻撃です。
撃った瞬間に米海軍によって撃沈されることを覚悟で、日本、あるいは韓国の米軍基地ddaitoshiめがけて発射することです。
いまや彼らの選択肢の中には、中国の北海艦隊の司令部もあるかもしれません。
これなら一発芸ですから、あるいは可能かもしれません。ISの自爆攻撃の潜水艦版だと思えばいいでしょう。
そして今回、再び核実験を行いました。
北朝鮮にとって、合理的な兵器運用などできなくていいのです。
「核爆弾とその投射手段を持っている」「ヤケのやんぱちになると核爆弾を持った自殺攻撃をするかもしれない」というだけで、充分な恫喝になるのです。
かくしてわが国は、中国による尖閣から南シナ海方面にかけての圧力だけではなく、日本海側からの圧力も受けることになり、日本は2方向からの軍事的脅威にさらされることになりました。
厳重な備えをする必要が生れたわけですが、別稿に回しますが、海自にはそれだけの対応能力はありません。
このような時期に、韓国と冷戦などという悠長なことをしていることができないのはわかりきった話です。
民主党と共産党が狙っている、安保法制の廃案など話の外です。
日本人は「嫌韓」というカタルシスではなく、現実の脅威を見つめねばなりません。
なぜ、安倍氏がこれらを急いで仕上げたのか、それは国内政治だけ見ていても到底理解できないのです。
これらの忌まわしい出来事はわずか数日のうちに、ほぼ時を同じくして起きた出来事です。
大乱の一年が始まりました。
新しく状況が変化しました。
まず、この「毎日知的財産管理センター」は実在します。またそこがSNSなどの画像使用に対して著作権を宣言しているのも、事実です。
ただし、どうやら真実はそこまでのようです。
HN山形氏によって、以下のことが判明しました。
HN山形氏は直にその財産管理センターに電話をして、担当部局の方と会話をしています。
以下、氏の私宛てメールです。
「電話担当のお姉さんに丁寧に(あくまで具体名は出さず現象を)説明したら、しばらく待たされて(後ろでガヤガヤやってるのが丸聞こえだよ!)、『毎日新聞知財権利センターでは、そのように名乗っての削除要請は一切しておりません』」
HN山形氏の、ご尽力に深く感謝します。
そして、続いてHNは記されていませんでしたが、このようなコメントが2016年1月5日18時58分に投稿されました。
「毎日新聞グループホールディングス知的財産管理センターを名乗る方に警告します。
あなたは毎日新聞グループホールディングス知的財産管理センターとは全く関係ありません。
写真の削除を求めた事実もありません。
訴訟対象となるかどうかもふくめて審議させて頂きます。」
このコメントは同センターからのものではないと思われますが、HN山形氏の直電との平仄は合っています。
ただしこれも含めて、ネットの性格上、これ以上の追跡は不可能です。
もし心当たりで、このコメントにHNを入れ忘れた方がいらっしゃれば、名乗り出てください。
おそらくこれらから推測されることは、ひとつです。
すなわら、2016年1月4日 17時44分に投稿された以下のコメントは偽装コメント、ネットでいう「なりすまし」です。
「毎日新聞グループホールディングス(東京)の知的財産管理センターといいます。
このブログの「昨日の記事について HNくるみさんに再度お答えして」には、当社の子会社である毎日新聞社が著作権を持つ写真(「全基地撤去」などのプラカードを手に辺野古移設反対を訴える住民ら)が、同社の許諾を得ずに掲載されています。これは毎日新聞社の著作権を侵害する行為です。
ただちにこの写真を削除するよう求めます。」
流れを追っていきます。ご存じの方は、ここから波線の下の「さて」という部分まで、読みとばして下さってかまいません。
この「なりすまし」をしたと推測されるHN照屋氏は、、2015年12月30日4時27分に、過去記事の普天間2小問題を取り上げてきました。
この問題については、論点がそれるので置きます。
続いて、その直後の4時29分、同一のHNでまったく別な論点で噛みついてきました。
「また今回の記事に限らずですが、写真の撮影者や転載元を記さないことには何か理由があるのでしょうか?
私のわかる範囲で言えば、乳母車デモの写真はフリージャーナリストの田中龍作氏が撮影したものであり、「NO」と書かれたプラカードを持つ男性の写真は幸福実現党の矢内筆勝氏のブログに掲載されていたものです。特に、プラカードを持った男性の写真のキャプションに「写真はこの普天間2小とは関係ありません」とありますが、関係ない画像をわざわざ無断転載してまで使用したい理由は一体どこにあるのでしょう。」
それに対して私は、このように答えています。
「写真についてですか。引用もとがわかるものはつけています。それは最近の記事をよく読めばおわかりなはずです。
ただし、ネット上で流れている写真はすべて引用元がはっきりしないものもありますので、その場合はどうしようもありません。
私は反原発の人が、自分の写真を使ってもなんとも思いません。いったんネット上で流れたものは、いかなる使用をされても文句を言えないからです。
ただし、著作権を宣言されたものに関しては、引用を控えています。
次になんですって、嗜眠症じゃない。だからなんなんですか。
あんな38度の炎天下に幼児を連れ回すのは、常識的にいかがなものかと言っているだけです。
逆に、あれを「幼児までが安保法制に反対」というキャプションをつけてしまうほうが、いかがなもんでしょうか。
子供の顔が出てしまったのはまずいので、当該写真は削除します。」
そして、私は指摘された子供炎天下デモの写真を削除しています。
それは子供の顔が出てしまったという人権上の配慮ですが、抗議したいのなら、まずは「照屋」氏は、これを撮ってアップした田中龍作氏に抗議すべきじゃないかとは思いますが。
私があっさりと削除したので拍子抜けしたのか、「照屋」氏は別の写真を取り上げます。
長々とよー書くよという内容です。
私がコメントルールで禁止している「演説」に入りますが、私が削除したためにご覧になるのは初めての方もいらっしゃると思いますので、あえて再録しておきます。
わかりきったことをくどくど書いているだけなので、読みとばしてくださってかまいません。
「最近といえば先週の月曜日の記事はどうでしょうか。
『武蔵野市議会・移転反対意見書 市議会意見書をプロパガンダの道具に使うな!』
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-a079.html
この記事で使われている「全基地撤去」等のプラカードを掲げている人たちの写真は、毎日新聞の 2015年10月9日 の『続報真相 本土「常識」の誤解 辺野古移設は仕方な
い?』という記事の写真で撮影者は須賀川理氏です。
http://mainichi.jp/articles/20151009/dde/012/010/004000c
少し調べれば誰でもわかるのに何故、撮影者や転載元を記載しないのか不思議です。
ちなみに毎日新聞の無断転載についての認識を長くなりますが重要なことなので書いておきましょう。
「営利を目的とせず、個人として楽しみで作っている」にしても、インターネット上のホームページには、世界中のどこからでもアクセスすることができます。家族とか親戚、友人といった狭い範囲にはとどまらず、見知らぬ人も含めて大勢の人がホームページに接してきます。インターネットで発信するということは、活字の世界に当てはめれば本や雑誌を出版することと同じ意味合いをもちます。多数の人に読んでもらうことを目的に情報を発信しているわけですから、私的使用とは言えません。電子メールでも、大勢の人を対象に送信する場合は私信とは言えません。
また、ホームページに他人の著作物を転載することは、著作権法では「公衆送信権」や「送信可能化権」に触れることになります」
http://www.mainichi.co.jp/toiawase/chosakuken202.html
お分かりですね。
端的に言って貴方がしていることは著作権の侵害です。
>私は反原発の人が、自分の写真を使ってもなんとも思いません。いったんネット上で流れたものは、いかなる使用をされても文句を言えないからです。
その伝で言うならば「俺のものは盗んでもいい。そのかわり俺も盗むけど文句を言うなよ」ということでしょうか。
「ネット上で流れたものは、いかなる使用をされても文句を言えない」とありますが先にもあげた様に、無断転載に対する毎日新聞の見解が一般的な常識であり日本国の法律にも適うものです。
今後トラブルに巻き込まれない為にも無断転載はお止しになった方がいいでしょう。
>子供の顔が出てしまったのはまずいので、当該写真は削除します。
私が指摘するまで他人の子供を晒し者にすることが「まずい」ことだとは思わなかったのですか?
あるいは「まずい」ことだと知りつつも写真を無断転載して載せていたのでしょうか?
「幼児を政治の道具に使うな」と仰るのであれば写真を用いなくても主張を展開することは可能に思えるのですが。
どちらにせよ私は貴方の認識にかなり驚かされました。
とりあえず、指摘した写真ついては転載元を記載されてはいかがでしょうか?」
言葉使いは馬鹿丁寧ですが、異様に粘着質、かつ陰湿で、この人物の屈折した性格が偲ばれます。
この人物の主張する「著作権侵害」指摘については、昨日私の見解と対応を述べてありますので、そちらをご覧ください。
「照屋」氏はここで聞き捨てならないことを言っています。ゴチック体で記した「俺のものは盗んでいい。その代わり俺も盗むけど文句を言うなよ」という部分です。
私が言ったことは単に、ネット上で転載されたものは、「クレジットは原則つけるようにしているが、出所がわからない場合がある場合は致し方がない」ということに対して盗人呼ばわりです。
私はこれを暴言として削除対象としました。
すると、来たのが12月30日10時24分のこのようなものです。
「使用している写真の著作権侵害に対する指摘や、年端のいかない子供を晒し者にすることへの批判がよほど都合が悪かったようですね。
コメント欄を閉鎖することはあるまいに。
貴方の慌て方が少し憐れです。」
もはや独善的としかいいようのない捨てぜりふです。しかもここまでつきあった私が、「憐れ」だそうです。
これをもって私は打ち切りを宣言し、「照屋」氏に対してアクセス禁止としました。
その後に来たのが冒頭に見た、今年1月4日の「毎日新聞知的財産管理センター」名義の警告文です。
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さて、この問題はブログも含む「言論の自由」問題と、大きく関わってくることだと思います。
今回の事態は、ただの「荒らし」の範疇を超えた、言論妨害事件です。
私はこのブログをやってきて放射能問題と沖縄問題において、しばしば激しい罵倒と攻撃を被ってきました。
※関連記事関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-77aa.html
これは私に限らず保守派と見られるブログにおいて、ひんぱんに発生しています。そのためにコメント欄を許可制にしたり、閉鎖してしまうブログも相当数あります。
良質なコメントを読もうとすると、イヤでも不愉快な攻撃的コメントを大量に読まねばならないのは、ブロッガーにとって充分すぎるほどの自主規制の原因になります。
というのは、攻撃を受けそうなテーマは、あらかじめ記事としなくなるからです。
これがブロッガーの心の中で行われ、表面に出ない場合、それは見えない言論抑圧と化します。
ましてや、今回のケースのように、大新聞の知的財産管理センター名義を偽ってまで、攻撃をくりかえすのならば、それはまがうことなく言論の封殺行為そのものです。
ウォールストリートジャーナル(2015年11月13 日)に寄稿したマイケル・オースリン氏は、オピニオン欄で同志社大の村田学長が、「平和を希求する教員」たちによって、学長選に破れたことについて、このように述べています。
※http://jp.wsj.com/articles/SB11021942449448864116004581352352070995620
「村田氏をはじめとする用心深い多くのウオッチャーは、日本に必要なものに対する安倍首相の判断に同意した。首相の安全保障政策に同意した人を平和に対する敵だと批判することは、国益に関する責任ある真剣な議論を避けていることになる。同志社大の教職員が行ったことはこれだ。(略)
国内外のメディアは反対意見を強制的に封じようとしていると日本政府を非難するが、日本の文化的エリート層は、活動家に劣らない姿勢や、反対意見を黙らせる強い手段を使おうという意志を見せている。村田氏を学長の座から引きずり下ろす中で、同志社大の教職員らは日本での自由な言論に伴う代償について身も凍るようなメッセージを送ることになった。」
オースリン氏がいうとおり、「国益に関する責任ある真剣な議論」について、「平和を希求する人々」と異なる意見を述べれば、今回はしなくも露呈したようなさまざまな手段を使って圧力をかけられています。
「平和を希求する人々」は常々、自分たちはヒトラーのような「独裁者」が支配する国に住み、国と右翼によって自由な言論が妨げられていると主張しています。
私はこの言葉を、そっくりそのままこの人たちに進呈します。
自分たちの意見が、選挙や世論調査で有利になろうものなら、ふた言めには「民意に従え」と叫び、具体的な議論のはるか手前で「民意」を振りかざして、個別具体論に入る事すらさせませんでした。
今回の安保法制でも、ほとんどの放送局はまったくといっていいほど賛成意見を報道しませんでした。
また、沖縄においては、かねてから共産圏まがいの言論統制が日常化しており、「平和を希求する人々」の意見に反するようなことなど、いちどとして報道されたためしはありません。
そして、いまや国民的討論の場に成長したSNSにおいてら、今回のような機関を偽装してまで、言論妨害をする者が現れる始末です。
「平和を希求する人々」にお聞きしたい。このような言論妨害行為は、あなた方が常に憂慮して止まない全体主義そのものなのではないでしょうか。
●追記
1月7日付で毎日新聞知財センター名義で、以下のメールが参りました。また別の写真についても、削除要請がありましたので応じました。(1月11日記)
「(略)貴ブログに毎日新聞社の写真の削除を求めたコメントは当センターからのものです。また、当センターはその後、このコメントについての問い合わせを、どなたからも受けていません。(以下略)」
憂鬱なことから新年が始まりました。
コメントをご覧いただければ分かりますが、おそらくHN照屋氏の通報によって毎日新聞ホールディングスから警告がきました。
直ちに当該の指摘のあった画像が2カ所ありましたので、すべて削除してあります。毎日新聞様にはお詫びいたします。
さて調査してみた結果、ブログの私的、かつ非商業的使用においても著作権は存在します。
クリエーティブコモン・ライセンス(CCライセンス)を提唱する、国際的非営利組織クリエイティブ・コモンズの見解を参考にしながら考えていくことにします。
※http://creativecommons.jp/licenses/
詳しくはこのサイトをご覧いただくとして、結論から言えば私のブログの場合、「表示と非営利と改変禁止」に属すると思われます。
よく問われる「営利目的」という概念ですが、クリエイティブ・コモンズでも明確には定義されていないようです。
というのは、その「非営利」と「営利」の線引きが難しいからです。
たとえば、このような場合はどうなるのでしょうか。
私が、インターネット上で取得した画像を販売目的で使用すれば、これは明らかに「営利目的」ですが、この画像をこのブログのように一般的記述内における説明目的として使用した場合はどうなるのでしょうか。
もしこれまですべて禁じられるならば、ブログ空間の自由性は極めて狭まることになります。
また、報道機関と違って、ブロッガーには自前の写真部などあるわけはありませんので、メディアの写真を使えないとなると、画像説明が事実上できなくなります。
実際、HN照屋氏との一件以来、ランキング上位の時事ブログを見て回りましたが、多くはクレジットなしで掲載してあるのが現状です。
というのは、この私の毎日新聞の写真のケースもそうですが、転用がくりかえされたために出所がわからなくなっていた画像だったからです。
クリエーティブコモンズは、このようなケースそのものについては見解を出していませんが、一定の配慮をすることによって著作権侵害を回避できると思われます。
改めて私のブログの立場を明確にします。
第1に、非営利目的です。
第2に、画像内容を改変していません。
したがって、「表示」(クレジット)をつけることによって、クリエーティブコモンズがいう三要件である「表示・非営利・改変禁止」のカテゴリーに入ると解釈可能です。
今後の対応としては、画像の出所を調べてクレジットを表記をすることにします。
また、キャプションも明確な規定がないようですが、拡大解釈すれば「画像内容の改変」に相当するととられる可能性もありますので、元々のキャプションをつけることにします。
仮に、写真が載った記事が反対派に肯定的で、私は懐疑的だった場合、著作権所有者のメディアはキャプションまで含めて一体のものだと主張して、私を「画像内容の改変」で訴えることも考えられます。
ですので、写真内容の論評をしたい場合、地の文で行います。
なお、私のブログ記事、扉写真、写真館などには著作権を宣言していませんので、転用は自由ですが、コメント欄でも使ってひとことお知らせください。
たまにまったく与り知らぬ所で私の記事を見かけますが、正直イヤな気分になるもんですよ。
引用画像についての転用は、トラブルの原因となりますのでお止め下さい。
ああ、住みにくい世の中だなぁ。
といっても、去年首相が年末に特大のお年玉を落としていったために、ネット言論界は年末からワーワー大騒ぎです。
安倍さん自身は涼しい顔で、奥さんとメシ喰ったり、映画みたりして年末年始を楽しんでいるようですが、韓国政府は大汗をかいているようです。
確かに首相の投げたボールは、低め内角のシュートみたいなものですから混乱するのは分かります。
左にケッペキな人たちは、「独裁者」が日頃の自分たちの主張に近い線にボールを投げ込んだために、自分の正義を証明するには、なにがなんでも否定せねばならないのは、厳しいところだとお察しします。
逆に右にケッペキな人たちは、首相の公約反故の罪状を並びたてて、気の早い人はもう「安倍政権打倒」も叫んでいるようです。
失礼ながら、私は右と左の極端な人たちの意見が奇妙にも一致した場合、「それってやっぱり、正解だったんだ」、と考えることにしているんですよ。ごめんね。
時事通信(12月31日)は、韓国政府の涙と汗の状況をこう伝えています。
「韓国大統領府は31日、慰安婦問題をめぐる日韓合意に関して国民向けメッセージを発表し、「合意を受け入れず、白紙に戻せと言うなら、政府には元慰安婦の存命中にこれ以上何もする余地がないということを分かってほしい」と理解を求めた。
28日の合意直後に朴槿恵大統領が国民向けメッセージを発表したものの、元慰安婦や支援団体を中心に合意への反発が強いことから重ねて訴えた。
メッセージは金声宇大統領府広報首席秘書官が読み上げた。金氏は、歴代政権は慰安婦問題を放置してきたが、現政権は「銃声のない戦場のような外交の現場で、国益を守るため、崖っぷちに立った心情で(交渉に)臨んだ」と強調。「日本政府の責任認定、公式の反省、謝罪を得るために努力を尽くし、可能な範囲で十分に進展したと判断し、合意した」と説明した」
自分で「崖っぷち」と言うくらいですから、さぞかし、おつらいのでしょう。
しかしまぁ、当然でしょうな。慰安婦うんぬんという前に、一国の政府や公的機関が「正義」を押し立てること自体が誤りなのです。
パククネさんは「慰安婦と植民地支配に謝罪しろ」の一本槍で就任以来ツッバしってきたわけで、あのね、そんな狭い道に飛び込んだら翁長さんみたいになるんですよ。
だってそんなこと言ったら、日本側は謝罪するか、シカとするか二者択一しかないわけで、中間項の道を全部自分で塞ぐ結果になるからです。
そして今回のように微妙な解決をすれば、いままで自分の支持基盤だった人たちから袋叩きに会うことになります。
政治は落とし所だって、パククネさんは父親の高木正雄さん(韓国名・朴正煕)から習わなかったんでしょうか。
翁長さんはもうテンパっています。
翁長さんができる政策の範囲は、たったふたつしかありません。「辺野古反対」と「オスプレイ反対」の二枚です。
あのひょっとして保守政治家として希代の大タヌキに成長するかもしれないアベさん相手に、たった二枚じゃ勝てっこないって。
なぜ、そういうハメになったのかといえば、翁長さんが保守政治家だったくせに落とし所を忘れて、選挙に勝ったからです。
「オール沖縄」なんて言い出すから、これしか合意がなくなってしまったのです。
選挙は争点を作るもの。別の言い方をすれば、利害対立の場なのです。
それを見て見ぬふりをして、「オール沖縄」という網をかければ、身動きができなくなるのは自分です。
「オール沖縄」と言えば、なんか壮大な感じがしますが、内実は呉越同舟の脱走保守+左翼陣営といった烏合の衆ですからね。
それが統一戦線を組んだら、合意事項はこの「反対」というカードしかないわけで、翁長さんがその範囲を超えようとしたら、支持基盤はバラバラになって内輪もめを始めます。
今のパクさんの政府と同じです。
慰安婦で謝るか、謝らないかという二者択一のカードを切った場合、一見強力に見えますが、「呑むか呑まないか」のオール・オア・ナッシング以外の交渉ができないために、こうなるのは初めから分かりきっていたのです。
翁長さんの場合、訴訟、訴訟で飽きられないようにしていくしかないわけですが、政府は勝つことは分かりきっていますから、県を無視して頭越えで振興策をどんどんぶつけていくことでしょう。
たとえば、宜野湾のディズニーランド構想です。
何?返って来るのはインダストリアル・コリドーだけだから狭いって。
イヤだなぁ。政府は普天間基地が丸々返って来ることを想定しているに決まっているじゃないですか。
政府は、翁長政権の頭越しに、「こういうスゴイ構想も、普天間基地があると何もできないんだぜ」、と県民に直接問いかけています。
具体的、かつ夢がある提案で、こういう線で行きたかったら、普天間移設の現実性を追及するきゃないわけです。
翁長さんの絶対反対闘争の最大の弱点は、この普天間基地移設という所なのです。
口先だけでは「普天間固定化反対」といっても、実は自分たちがやっているのは移設させないための闘争です。
こういう口先と実際の動きがバラバラなことを、なんとか言いくるめるために「新基地反対」なるわかったようなわからないようなことを言い続けているのです。
一度、翁長さんに素で聞いてみたいものですが、「新基地」でもなんでもいいけど、結局、普天間基地はどうしたいの?
そのままでいいの。ズッと普天間基地があってほしいの。あなたが言うままにするとそうなっちゃうよ。
さて、韓国のオナガ・クネさんは、3月にオバマの前で証文を書かねばならないようで、それまでに挺対協のオバさんたちをなんとしてでも説得せにゃなりません。
気の毒ですが、このままだと100%無理です。
なぜなら、挺対協とは他ならぬ韓国の「民意」であって、それを煽って利用していたのが当のパククネさんだからです。
汗を垂らして説得すればするほど、あの狂信的なオバさんたちはいっそうここが攻め時とばかりに、野党と一緒になって「クネ政権打倒」を叫ぶことでしょう。
これまた理由は簡単。挺対協にとって慰安婦問題が、沖縄の平和ナンジャラセンターとやらと一緒で、職業的運動家のメシの種だからです。
そこまで、私たち日本人はややシニカルにそれを眺めていればいいんです。
翁長さんは、クネさんの現状を見て、何を考えているのでしょうか。
●コメント投稿のルール
①HNは必須です。
②誹謗中傷、罵詈罵倒は禁止です。
③原則として、記事の内容に対して投稿してください。
④演説は自分の家で壺に向かってして下さい。
⑤連投は好ましくありませんが、討論が盛んな証拠でもありますので、管理人のその都度の判断によります。
⑥荒らしに対しては毅然と対応します。
以上を守らない場合、削除対象となる可能性があります。
改めまして、明けましておめでとうございます。多くの方々から賀詞を頂戴し、大変にありがとうございます。
さて、今年初の写真館です。
さすがに今は、いちいち騒がなくなりましたが、当時は画像に転換される眼前の風景に圧倒されていたような気がします。
これはどちらもの意味があって、おお、なんと奇麗なことよと自惚れてみたかと思うと、逆に10分の1もこの美しさを伝えられない拙劣さにがっくりきていたものです。
今の眼で見ると、数年前の写真はけっこう構図に縛られていますね。3分の1がどーしたとか、日の丸構図はいかんとか、黄金分割がどーたらといった古典的セオリです。
今はまったくといっていいほど、いわゆる「構図」を意識しなくなりました。感動の中心に自分の眼を追い込んでいくという感じでしょうか。
ある写真家が、これを「構図を追い込む」という表現をしていました。いい得て妙です。
「構図」学というのはいわばドラ焼みたいなもので、何も考えないでも、お手軽にそれらしくできてしまいます。
しかし、致命的な欠陥は、なにぶん飽きるんですよ。誰が撮っても同じですから。
技巧も一緒です。ナンとかのひとつ覚えのように、滝や急流を見ると超スローシャッターで撮って雲のようにモワモワにしてみたり、バカじゃないかと思います。
あんなふうに見えるわきゃないしょ。見えたら眼科に行きなさいって。ああいう姑息な自然の加工は嫌いです。
逆に、街角やゴミの山をデッカク撮っている写真も雑誌には幅をきかせていますが、どうしてあんな風景でシャッターが押せるのか分かりません。
あんた、ジャンクの山に共感できんの、と聞きたいくらいです。
私にとってカメラを構える対象は、あくまで美しくなければダメです。破壊されようとしていようとも、うなだれていようとも、そこに美しさが存在するのが大前提です。
感嘆や憧れがなければ、シャッターを押せません。
私たちはせいぜい、自然のごく一部を切り取って、その美しさの100分の1ていどを画像としてながめているにすぎないのです。
いわば花盗人です。
といいつつ、写真はやはり好きですね。書くという作業より好きです。
書くのは、私にとって大げさに言えば、社会や世界を真正面から受け止めている部分があって、つらい時のほうが多いのですが、写真はほんとうに無条件に楽しめてしまいます。
こういう無条件、かつ、無報酬の喜びを道楽というのでしょうかね。
今年もまた、私の道楽につきあわせて申し訳ないのですが、気楽にご笑覧ください。
※写真、全部取り替えました。たまにはモノクロで。しかし、新年そうそう総入れ替えすっか。今年を暗示させますなぁ(自分で言うな)。
皆様と、わが瑞穂の国に、安らぎと豊穣が訪れますように。
今年こそ汚れなき大地を取り戻し、未来への種を蒔きましょう!
平成28年元旦
管理人
正月三賀日はお休みさせて頂きます。開始は4日からです。
さて今年の抱負はといえば、正確に書きたいというシンプルなことです。
叶うならば、私の中にある、「こうあって欲しい、こういうはずだ」という「願望」を抑え込んで書いていければと思っています。
というのは、去年の「戦争法案」反対デモを覚えていますか。
笑えるほど醜悪でした。いや、私はデモに来ている人たちをそう呼んでいるのではなく、マスコミや文化人の人たちが醜悪だと言っているのです。
彼らは、シールズの坊やたちを絶賛しました。世界的音楽家は、「フランス革命だ」と叫び、昭和史研究で高名な歴史家は、「民主主義の新時代だ」というようなことを言ったのを覚えています。
メディアは20を超えたばかりの青年をヒーローに仕立て上げました。流行語大賞までがはしゃいだのには、失笑しました。
彼らが見ているのは、デモに来ている若者そのものではなく、彼らが表象しているように見える「願望」なのです。
彼らにとって、この法案がなんのために、どうしていま提出されたのか、その法案には何が書かれているのか、その背景や客観的理由などは、どうでも良いのです。
ただ、自分の奥底にある心を熱くさせる青年の日の「願望」が、今の世界の中で一瞬でも再度輝いてみせた、そのことにこの人たちは感動しているのです。
しかし、世の中は見たいようには動いてくれません。
彼らが「ヒトラーだ。叩き斬ってやる」と叫んで憎悪の限りをぶつけた首相は、今度は韓国相手に左腕で変化球を投げて見せました。
韓国と原則的ながらも、一歩歩み寄って、こちらから手を差し伸べたのです。
なぜでしょうか。それは、今の時期、それが必要だったからという冷厳な判断があったからです。
韓国と冷戦しているような悠長な時期ではなく、中国や北朝鮮をめぐる東アジア情勢は転がるようにして悪化の一途を辿っているからです。
元の冊封国に戻ろうとしている韓国をこの時期、これ以上中国の側に追いやってしまっては、東アジアの政治と軍事の天秤があちらに大きく傾いてしまうからです。
安保法制もまたそのために作られました。これは日米安保という、日本のみならず、アジア全域に提供している安全保障インフラをさらに強固にせねば、中国と対峙できないから生れたのです。
70年談話も、その前段の米国議会演説も、まったく同じ指向から生れています。
その意味で、今回の私も驚いた慰安婦問題の「解決」は、既に世界遺産登録時の日本側の対応からも予想がついたことでした。
私も不明にも見逃してしまっていましたが、これは安倍氏が復古的歴史観の持ち主ではなく、米国を中心とする戦後国際秩序の強化の中でしか日本が生き延びられないという、現実主義的認識をもっていることを表しています。
日本国民は、保守の人々は彼に歴史認識を正してほしいと「願望」し、リベラルの人たちは、彼が血を飢えた独裁者であってほしい「願望」があるようです。
どちらも間違いだったようです。
自分の価値観を投げかけているから見えなくなるのです。自分の価値観とは別に、世界は動いています。
歴史は自分の思う通りに動いてくれないからこそ、突き放して冷静に観察せねばならないのではないでしょうか。
今年も、できるだけ捻らないで分かりやすく書いていこうと思っています。専門用語や外来語には、解説をつけるなど読みやすくしていきます。
解りにくいことを解りにくく書くのは簡単なんですが、平明に書くというのはけっこうシンドイんですよ。
ああ、新年から気合の入らない話になっちゃったぞ(笑)。
しかし、まぁ、できるだけ正確に客観的に書いていこうと思っています。
ただし、それはよく誤解されますが、中立的立場を意味しません。
私は、今の日本を取り巻く情勢に「中立」などというあいまいな言葉は通用しないと考えています。
私は学者ではありません。客観性は重んじますが、あくまでそれは日本を守り、日本の国民が平和で生きられることを念じる立場に立つからです。
おそらく、去年以上にしんどい一年になると思いますが、熱い心と醒めた頭で向かっていきましょう。
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