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2016年1月15日 (金)

ドイツは一貫して「敵対国」だった?

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PCの調子が戻っていないので、記事更新だけでやっとという状況で(←その割りには記事が長いけど)、コメント欄の討論に加われないでいます。残念。 

まずは、先日のタイトルを、゛forced to  as sex slaves゛に直しておきました。このほうが文法的にしっくりくるでしょうね。 

HN山路さんの「どうしてドイツは日本を敵視するのか、今ひとつ理解出来ません」についてですが、これは日本人独特の錯覚なのですよ。 

日本人はドイツ人を好きですからね。あっちはキライみたいだけど(苦笑)。 

振り返ってみれば、この100年の間、ドイツと日本の関係が友好関係にあったのはごく短い時期だけなのです。 

1936年の日独防共協定から、大戦が終結する1945年までのわずか9年たらずの間だけなのです。 

ただ、大戦が絡んでくるので、印象が強烈で、日独は昔から同盟関係にあったなんて漠然と思っていますが、全然違うのです。 

ドイツは、日本にとって難しい国なのですよ。そもそも、近代では「遅れてきた帝国主義」として競合関係にありましたしね。

第1次大戦においては、直接に戦闘を交えて中国・太平洋におけるドイツの権益を根こそぎ奪ったのが、わが国ですからね。

彼らからすれば、「ナロー、いつか見ていろよ」でしょうな。 

第1次大戦から第2次大戦までの戦間期に、ドイツはなんとしても中国大陸の権益だけでも奪還したいと考えていました。 

それが大爆発したのが、例の南京戦へとつながることになる第2次上海事変です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/ 

その前後の歴史の流れを見ていると、ドイツは想像以上に中国に深く関わっています。 

まず清朝末期にまでさかのぼれば、日清戦争で日本と戦った北洋艦隊の鎮遠や定遠はドイツ製ですし、旅順要塞建設にもドイツは関わっています。

第1次大戦前に、すでにドイツは中国各地(広東、長沙、済南など)に、大砲などの工場を作っています。中国軍の小銃もすでにドイツ製でした。

ですから孫文も、軍の近代化のためにドイツを招こうとしたのは自然の流れでした。 

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 出所不明 

蒋介石はよく日本の士官学校に行ったことばかりいわれていますが(実際は、日本の士官学校には受からなかったようです)、実は第1志望はドイツ留学でした。

1936年に、蒋介石は 4月にドイツと「ハブロ条約」と呼ばれる秘密条約を締結して、ドイツに軍事顧問団派遣を要請しています。

そしてその蒋介石の要請によって中国群近代化のために送り込まれたのが、ドイツ陸軍を背負って立つと目されていたマックス・バウァー大佐です。 

このバウァー大佐が本国から連れてきた30名弱の将校団が、「ドイツ師団」と呼ばれるドイツ装備の近代的軍隊を作り上ることになります。 

下の写真右で、ヘルメットは独特のフリッツ式(※)、軍服から長靴までドイツ製、ライフルもモーゼルと、部隊記章以外まんまピカピカのドイツ軍しているのが、この「ドイツ師団」です。※フリッツ・英俗語でドイツのこと。

ここまでパクると、コスプレみたいでけっこう恥ずかしいゾ。 

左はポーランド侵攻にも従軍し、ドイツ軍将校でもあった蒋介石の養子・蒋緯国です。 息子まで、ドイツ軍に従軍させていたわけです。

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実は、蒋介石はヒトラーのディープな崇拝者で、ドイツ・フェチといっていいような人物で、ヒトラーに憧れる余り、自らの肩書をフューラーの漢訳の「総統」にしたくらいです。 

ちなみに、今も台湾の大統領職は「総統」ですが、これは蒋介石のヒトラー趣味が元です。 

ドイツにしてみても、「頼まれたから、ちょっと手伝った」なんてもんじゃなくて、ドイツの国家意志でした。 

これは、ドイツ軍事顧問団のメンツを見ればわかります。ドイツ陸軍の中枢を担う将校たちが、大挙して中国を訪れています

パウァーの次の軍事顧問団長をしたのは、ヘルマン・クリーベル大佐で、ナチス党員です。 

3代目は、ゲオルク・ヴェッツェル中将で、彼が育成したのがドイツ装備で、ドイツの戦術で戦う「ドイツ師団」でした。 

ヴェッツェルは、この「ドイツ師団」の指揮をとって、1932年の第1次上海事変を戦っています。
Du出所不明 

後に団長は、ドイツ陸軍の大物中の大物であった有名なハンス・フォン・ゼークトに任されます。上の写真の右側の怖そうな人物です。 

彼は影の陸軍総司令官とまでいわれた男で、モノクル(単眼鏡)をかけて、無表情なポーカーフェイス。 

漫画に出てくる怖いドイツ軍将軍のイメージどおりで、ついたあだ名がスフインクスです。 

彼が、戦間期のドイツの対中政策の基本を作ったといっていいでしょう。 

「ドイツ師団」は当初2万人(2個師団)ていどでしたが、1938年には60万人、60個師団という膨大な数に膨張し、さらに60師団増員するという計画が作られていました。 

このドイツ軍事顧問団政治方針こそが、「日本一国だけ敵とし、他の国とは親善政策をとる」という徹底した日本敵視政策でした。 

蒋介石にとっての悲願は、ドイツ軍事顧問団と鍛え上げてきた虎の子の「ドイツ師団」を使って、けしからぬ日本をたたき潰すことでした。 

ドイツにとっても、ドイツ製の軍事物資を大量に売る販路としてだけではなく、蒋介石を通じて中国の権益に大きく食い込めるチャンスだと考えたのです。

また、ドイツは中国に戦略資源を依存していました。たとえば大砲の砲弾の芯になるタングステンは、中国と軍事製品のバーター取引をしています。

ちなみに、 南京事件の時に日本軍の虐殺を証言したことで有名になったジョン・ラーベは、手記ではミシンの修理をしていたなどととぼけていますが、ほんとうの仕事は中国軍に武器を売っていたシーメンスの技術者(後に中国総責任者)でした。

安全区代表にして、「中国のシンドラー」、おまけに日本の同盟国の人物みたいなナイーブなイメージで、彼を見ると間違えます。彼はまるっきり,蒋介石側の人物なのです。

まぁラーベを調べると,、当時のドイツ人の対日感情がよくわかりますね。

それはさておき、かくして中独の国家利害は一致し、ゼークトの後継となったアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン中将が指揮したのが先に述べた第2次上海事変だったというわけです。上の写真の左側がファルケンハウゼンです。 

第2次上海事変で、上海を包囲し日本軍を苦しめたトーチカ網は、その名も「ゼークトライン」と呼ばれていたほどです。 

この中国に対する深い介入は、日独防共協定締結以後も中国に対しての支援は継続されており、ようやくそれが終了したのは、1938年のことでした。

その後中国は、米国に頼ることになり、100万の日本軍を中国大陸に拘束できることに利害を見いだした米国との蜜月期に入っていきます。

とまぁ:なんのことはない、日本はヒトラー登場まで一貫してドイツと直接、間接に戦っていたわけです。

はい、脱力することには、それが正解のようです。

大戦期も、あまり離れすぎていて、同盟の軍事的効果はかぎなくゼロで、日本はなんのために世界を敵に回してまでドイツと同盟を組んだのか、まったくよく分かりません。

戦後は西ドイツ時代から、変わらない永遠のライバル関係です。

自動車、電子機器、精密加工機械など、ドイツが得意とする製造業分野に限って、日本の得意分野ときています。

作りの丁寧さ、信頼性の高さにおいて、今に至るも日独が世界の一二位を争うでしょう。

世界どこに行っても行く先々でバッティングします。

というわけでどこかで川口マーン恵美さんか言っていましたが「ドイツ人は日本が下目なうちは友好的。抜かされた瞬間にキライになった」そうです。

ま、勝手にしなはれ。

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コメント

>日本はヒトラー登場まで一貫してドイツと直接、間接に戦っていたわけです。

そうだったですね~。
第一次大戦後の結果として、ドイツは日本に南洋諸島や中国権益も日本に奪われているわけですし。
にもかかわらず日本は、ドイツの大陸との関わりを断つ発想もなかったですからね。
それが結局、中国戦線の長期化、米国との対立を呼び込むんですからね。
記事のような事実を歴史の流れに沿って確認して行けば、ドイツの日本嫌いは当然ですね。

どうも日本人は「憎悪」について淡白で、「トラウトマン工作さえ成功していれば」などと自分がどうすべきだったかだけに考えを収斂して行く傾向が強く、歴史の評価を誤りますね。

マルサス主義から発展した「黄色論」の発生もドイツ震源地で、欧米社会に広まりました。
まかり間違えば、ユダヤ人の災禍は日本人のものになった可能性もあったと思いますね。
現在の中共のプロパガンダ戦の手法もドイツが手本です。
一方、中国とドイツ。これは歴史的にみて現在のような蜜月は必然かも知れませんね。

実に勉強になりました。

こうやって振り返ると仲が良かったのは一瞬といっていい短さですね。
<「ドイツ人は日本が下目なうちは友好的。抜かされた瞬間にキライになった」
個人差はあっても子どもから大人まで、そうですねー(^^)
負けるのも損するのも大嫌いなんです。ワーゲンの不正もシェアNo. 1の方が環境保護よりずっと輝いて見えての事で、日本人より中国人との方がメンタリティが近いかもしれません。
日本人がユダヤ人と海外でよくつるんでJ&Jとかよばれているのも嫌な一因なんだろうなと考えたりします。

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