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2016年1月20日 (水)

「中国はひとつ」イデオロギーvs「台湾人」アイデンティティ

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気まぐれなマスコミは、台湾の総統選挙を取り上げたのはいいのですが、もうバス転落事故へと飛んでいってしまいました。 

まったくあの人たちは軽い。現地まで行って、あの美しい島を二分して戦われた選挙戦が何に根ざしているのか報じようとしません。 

あれは「中国イデオロギー」と、「台湾人アイデンティティ」との戦いなのです。 

言い換えれば、1945年に上陸し、「2.28事件」という大虐殺事件を引き起し、その後半世紀にわたっていかなる政府批判も許さなかった「征服民族」たちに対する、台湾人の戦いでした。 

もちろん勝利を手にした台湾人たちはしたたかです。前回の陳政権の轍は踏まないでしょう。 

逆に大事にするがゆえに、「独立」という言葉には状況が許すまで、鍵をかけてしまうことでしょう。 「独立」などといえば、中国に介入の口実を与えてしまいますから。

さて先日私が、中国共産党と中国国民党は、共に中国大陸で生まれた「革命政党」で、双子の兄弟のようによく似ていると書いたことを覚えていますか。 

このふたつの支配政党に共通するイデオロギーこそが、「中国はひとつ」という思想です。 

毛沢東は、台湾を「神聖;な領土」と呼び、「侵攻して、蒋介石匪賊一味を根絶やしにしてやる」と叫んでいました。 

実際に、国共内戦末期に共産党軍は軍事侵攻を試みて、あえなく撃退されたことがあります。 

下の写真は、金門島に今も残る古寧頭戦役の跡です。 

ちなみに、この戦いの指揮を執ったのは、蒋介石から懇願された根本博以下の旧日本軍将校たち「白団」でした。 

4http://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/kinmen_island_tw/kankospot/10339012/

一方の蒋介石は、大陸への反攻を常に考えていました。 

こちらも実際に1950年6月の朝鮮戦争勃発に際し、蒋介石は米国のトルーマンに、大陸への武力反攻を許すように要請しています。 

蒋は、中国共産党が朝鮮に出ばっている背後を突こうとしたのです。 

トルーマンはこの蒋の要請をにべもなく拒否し、むしろ国民党の侵攻を押えるために、「台湾海峡の中立化」を宣言して、台湾海峡に米海軍艦隊を入れました。

まぁ、名目は共産党軍の阻止でしたが、朝鮮半島に100万の大兵力を送っていた共産中国にそこまでの力があるはずもなく、トルーマンが恐れたのは蒋介石の暴走だったのです。 

その後米国は冷戦期に渡って、国民党の国内恐怖政治に眼をつぶって、西側陣営に組み、「生かさぬように、殺さぬ」ていどの軍事支援を継続することになります。 

この、「つかず離れず、生かさず殺さず」という米台関係は、1979年の米中国交回復後も続き、今も台湾有事に米国が支援を与える根拠法として「台湾関係法」が残っています。 

私が台湾へ貧乏旅行した時には、駅やバスには「光復大陸」「共匪防諜」のというスローガンが溢れていました。 

5http://blog.kajika.net/?eid=591501

それは機会さえあれば、大陸に攻め上がって再び大陸を支配するのだという蒋介石の意地のようなものでした。 

やがてその意地は、時が立つに連れて現実性を失ってから後も生き続け、実に半世紀にわたってドグマ化していきます。 

それが「中国はひとつ」という、国民党政権の根本イデオロギーです。 

Photo_3馬英九 http://moogry.com/index.php?req

国民党主席となった馬英九がそれだけでは勝てないとして言い出したのが、08年総統選前に掲げた「国民党の台湾化」路線です。 

しかし、その馬が政権を取ると更に進めたのが、「台湾の中国化」でした。 

たとえば、その最たるものが、「ひまわり革命」が起きるきっかけとなった「台中サービス貿易協定」でした。 

これは台湾が中国に対して、金融、広告、印刷、通信(ネットも含む)、卸売、小売、運輸など、恐ろしく幅広いサービス分野について、台湾が中国に市場を開放するというものです。 

え? 中国は開放しないのか、と思われるかもしれませんが、はい、しないのです。 

中国は、福建省のみの開放にとどまっています。 圧倒的に台湾に不利な不平等条約です。

これは、中国からみれば、台湾との関係など、間違っても国と国の関係ではなく、単なる省と省の関係でしかないからです。 

このような経済協定ひとつ見てもわかるのが、中国政府と国民党政府に共通する「ひとつの中国」というドグマです。 

このような、中国側が主導権を握る形で開放を容認してしまえば、そうでなくとも大陸経済に大きく依存している台湾は、完全に大陸の支配下に入ってしまいます。 

6http://togetter.com/li/878791

これに危機感をもった、学生たちによって戦われたのが「ひまわり革命」(太陽花學運)でした。 

この選挙でも、ここから生まれた「時代力量」というグループが、立法院に5議席を獲得しています。

念のため言いますが、ひまわり革命と日本のシールズや翁長知事が似ているという声がありますが、主張を聞いてから言いなさいって。

表面的に見て形態だけ較べてもナンの意味もありません。中国の現実的脅威という補助線を引くとよく見えてくるでしょう。

日本のシールズや翁長氏には、「中国は脅威ではない」という薄ら甘い時代認識があって、日米同盟を強化して中国に対抗しようとしている政府を糾弾します。

一方台湾の学生たちが立ち上がった背景には、中国の軍事膨張が存在します。

実は彼らは、馬政権を突き抜けて、中国の圧力と直接に対峙していたのです。

ほぼ同時期に起きた香港の雨傘革命も、民主主義の約束を守らない中国への抵抗運動でした。

この東アジアで同時期に起きた三つの学生運動で、なぜか日本のそれだけが、「中国軍が上陸したら酒を飲み交わして理解し合おう」という間抜けなものになったのは、まことに異様な光景でした。 

Photo_4出所不明

それはさておき、馬がレームダックとなった去年にとうとう踏み込んだのが、習との中台トップ会談でした。 

ここでも馬はひとことも自らを、中華民国総統だと名乗らないまま、習と共に「中台はひとつの家族」となごんでいました。

最後に、台湾政治大学選挙研究センターが行った、2014年の国民意識調査をみてみましょう。

●自分は何人だと思いますか」という質問に答えて
・台湾人である・・・60%
・中国人である・・・56.5%

このような傾向は、大陸が圧力を強めれば強めるほど、中国共産党と国民党が「統一」を叫べば叫ぶほど強まりこそすれ、弱まることはないでしょう。

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コメント

投票の開票結果に16歳の台湾人のK-POPアイドルが台湾の旗を持つ写真を公開したら中国から叩かれて謝罪をしてましたね。
台湾出身から中国台湾出身にプロフィールを書き換えられたり、中国は1つですと言わされたり、自己否定ですよ。
謝罪したら今度は台湾から何故謝罪するんだと叩かれて可哀想に。


とても敏感な問題なんですね、日本の報道も危うきに近寄らずの立場なんでしょう。
ドタバタのSMAPが台湾の旗を振ったらどうなるのか試して欲しいけど。


シールズが日本共産党やしばき隊に師事し、台湾のニューパワーとは真逆なことはわかりそうなもんですが不思議ですな。

バス転落ならまだしも国会までSMAPコメになった時には溜息が出ましたが、まだ平和なのですね日本は。
蔡英文氏の事を中学生の娘に聞いてみたところ、萌えキャラの人でしょーいいよねー麻生とかよりいい感じのノリでしかもちゃんとしてるし。との事。ニコ動などに没入している大人予備軍は学生運動思い入れ過多な中高年よりもsealsとひまわりの区別もついているようです。
彼等が客観的に拾い出せるような一次データや論説をネットに撒いていくのは今の大人達の役目なのだと思いました。

はじめてメールさせて頂きます。
ありんくりんさんの所には、口蹄疫の時から、度々お邪魔させていただいています。入念な調査と豊富な情報から導く記事の速さには、いつも感服しています。
昭和天皇の「潜在主権」の話では、分かりやすくて、でもそういう話に使われる言葉の難しさに常々つまづいていましたので、「国」や「主権」などの話とこの沖縄に託された「潜在主権」をつなげてまとめてみました。その中でいくつか貴ブログから引用させていただいております。
自然と台湾の話も出てきて(当たり前ですが)、こうじゃないかなという辺りをはっきり示してくださったので嬉しくてお便りしました。
よろしければ、拙ブログを覗いてくださり、何か変なところがあれば御指摘してくだされば幸いです。

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