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2016年1月19日 (火)

なぜ蒋介石は台湾の実効支配を急いだのか?

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昨日記事を書きながら、素朴なあれ?と思うことがありました。 

降伏後、台湾の主権はどの国にあったのでしょうか。日本?中国(国府)?それとも無協定?

日本が正式に降伏したのが1945年9月2日ミズーリ号の甲板の上だったことは、ご存じのとおりです。 

実は、この時の日本の海外領土の処遇はあいまいでした。たとえば、樺太の南半分や朝鮮半島、台湾などの処遇です。 

たとえば日本の降伏時には、樺太の南半分は1905年7月のロシアとのポーツマス条約によって北緯50度以南は正式に日本領になっていました。 

Photo_5(降伏時の日本領 出所不明)

降伏した1945年8月の時点においても、南樺太には多くの日本人が居住していました。 

その後、あたりまえのような顔をしてロシアが南下して樺太全域を実効支配しますが、実はこれには法的根拠がありませんでした。 

だって、日本領の処遇を正式に再定義したのは、敗戦6年後の1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約だったからです。 

このような無協定時期に、勝手に軍隊を動かして領土化するような行為は火事場泥棒と呼びます。

確かにこの会議の場で、日本は台湾や朝鮮半島に並んで南樺太も放棄していますが、なんとこれにロシア(当時ソ連)は調印していないのです(苦笑)。 

ですから、「国際法上は未定なはずだ。ロシア領にしているのなら、ちゃんと協定を結べ」というのが、今に至るもわが国の立場です。 

ただし、この協定は当然のこととして北方領土全域も交渉対象になりますから、ロシアは分割2島だのなんだの、四の五の言って返してくれません。

Photo(サンフランシスコ条約に調印する吉田茂全権と委員たち Wikipedia)

では、台湾はどうなのでしょうか。
 

1945年9月のミズーリ号での調印の時点では、まったく白紙のはずです。正式に国際社会が認知したのは、南樺太と同じくサンフランシスコ条約が締結される1951年9月まで待たねばなりませんでした。 

ところが蒋介石はさっさと1945年8月には、台湾への侵攻を開始しているのです。 

なんとなく、私たち後世の者は、「台湾は元々中国領だったんだから」なんて思ってしまいがちですが、当時の中国政府(中華民国)には、法的になんの権利もなければ、ただの一度も実効支配したことすらなかったのです。

このようなものを、「領土」とは呼びません。 

それを蒋介石は、日本の降伏のドサクサに紛れて押えてしまおうと思いました。 

この時、蒋介石の兵隊を運んだのは、実は米海軍でした 

ですから、当然米国が台湾の蒋の領有を了承しています。それはカイロ会談の蒋介石とルーズベルトの談合があったからです。

Photo_2(1943年11月25日カイロ宣言 Wikipedia)

ルーズベルトは、日本が敗色濃厚になった1943年11月のカイロ会談で、中華民国の蒋介石に台湾の領有を認めています。 

そしてその時、ついでに沖縄まで差し上げようとまで口走っています。 

この時、驚いた蒋介石が、「沖縄までは要りません。台湾だけで十分です」と腰が引けたために、沖縄は日本領として保全されました。 

しかし、よかったですね。

あの時、蒋介石が、「はい、台湾だけじゃなくて、沖縄もちょうだい」などと言ったら最後、戦後、沖縄を支配したのは「猿の軍隊」と呼ばれた国府軍だったのです。

ゾッとします。おそらく間違いなく沖縄でも、昨日見た「2.28事件」のような大惨事を招いたことでしょう。 

ちょっと待てよ、日本人として、なんの協定も条約も結ばずに勝手に2人の談合だけで決めていいのかと言いたいところです。 

残念ながら、日本が米国に戦争に破れた段階で、海外領土を実効支配してしまったほうが「勝ち」なのです。 

歴史上、軍事占領に伴う実効支配ほど、有効な領土化の手段は存在しません。 

それは現代のクリミア半島や南シナ海の埋め立てを見れば分かるでしょう。軍隊で押えれば「勝ち」、それが国際社会の力のルールであることは事実です。

Photo_6(開戦時の日本領 https://hizen.nagoya/news/2614)

しかし、ちょっと待って下さい。そう簡単ではありません。

実は、このカイロ宣言は、現在、中国が台湾を領土とする口実に使われているとなると、そう簡単に、しょうがないとばかり言っていられなくなります。

「国民党政府の後継国家は中華人民共和国のオレ様なんんだから、台湾は当然オレのもんだよな」、これが北京の言い分なのです。

蒋介石・国民党もこれについてはまったく同じ意見だったはずです。

Photo_4(陳水扁http://magazine.sina.com/bg/newtaiwan/648/20080822/001771513.html)

いや違うと、台湾独立派は考えています。

2008年、独立派の民進党・陳水扁が政権を取ると、直ちに「カイロ宣言は外交的に有効な宣言ではなかった」とする主張がなされました。

2008年3月14日、事実上の台湾駐日大使館である台北駐日経済文化代表処はこう述べています。
※http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=52675&ctNode=3591&mp=202

やや長いですが、実に興味深いので引用します。

「陳総統は「1943年12月1日の『カイロ宣言』についてはっきりしているのは、時間と日付が記されておらず、蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
これはそもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に過ぎないのだ」と指摘した。 

陳総統は「12年後の1955年2月1日、チャーチル首相は国会質問で、『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できないと答えたように、当時3人にはそもそもコンセンサスなどなく、そのため署名もなかったのだということが見てとれる」と述べ、「こんなに重要な文書が英国の国家ファイルでも原本が見つからない。

歴史は歪曲、改竄されることはよくあることで、以前われわれが学んだ歴史の中の『カイロ宣言』の部分は、完全にだまされていたのであり、これはきわめて厳粛な問題である」と訴えた。 

陳総統は「中国はいまも『カイロ宣言』をもとにして、中国は台湾の主権を有していると宣伝しているが、『カイロ宣言』は事実上問題がある」との認識を示し、「歴史を書き改めなければならない。われわれ台湾は主権国家であり、台湾の主権は中国大陸13億の人民には属していない。台湾の国家主権は台湾2,300万国民に属している。これは事実であり、現状でもある」と強調した。」

うーん、すごく面白いですね。

日本人がこんなことを言うとすぐに歴史修正主義といわれそうですが、当の台湾人の発言です。

Photo_3出所不明

ここで陳氏が指摘しているカイロ宣言の矛盾点は3ツです。

①時間と日付が記されていない。
②3人の首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。
③したがって、カイロ宣言とは、共同声明ではなく、単なるプレスリリースか、声明書に過ぎない。

なるほどね。眼からウロコです。

この陳氏の主張を頭に置いて、上のカイロ宣言の写真をもう一回見て下さい。ルーズベルトの横に座っているのは、チャーチルです。

当時ルーズベルトはそうとうにモーロクが進んでいたと言われていますが、チャーチルはシャッキリしていました。

その彼が横にいながら、ルーズベルトと蒋だけで、日本領の分割談合をしていることに黙っているはずがないじゃないですか。

事実、チャーチルは勝手に台湾の領有を2人で決めたことに腹が立っていたようで、サンフランシスコ条約締結後に彼は英国議会で、「台湾の中国(当時国府)の主権を認めた覚えはない」と発言しています。

おそらく、英国はこの米国主導の領土分割に不満であって、この2人のやりとりに異議を挟んだのだと思われます。

そして、決着がつかったために、チャーチルは怒りを込めて署名を拒んだのだと推測されます。

なお、独立派系「台湾の声」は、国立国会図書館に対して、「各国代表がカイロ宣言へ署名した」という記載について、「署名はなかった」という訂正を求め、後に国会図書館側もそれを確認して「署名」部分を削除しています。
資料と解説 1-1 カイロ宣言 1943年12月1日 のテキスト

いずれにしても、カイロ宣言は、内実は「カイロ密約」にすぎず、中国が台湾に主権があるという主張には無理があるのは確かなようです。

だからこそ、蒋介石はミズーリ号調印の前日に台湾侵攻を開始するといった荒技を使って、台湾の実効支配を急いだのです。

これは、冒頭に見たロシアと同じ、無協定時期における火事場泥棒でした。

ではなぜ、ここまで蒋は急ぐ必要があったのでしょうか。それについては次回に続けます。

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コメント

陳さん、正論過ぎて潰されたのでしょうね。
二度目の民進党政権が現実路線で行けるかどうかですね。
日本は上手くやっているようですが。

ひまわり学連から発し今回5議席を獲得したフレディ・リム氏らの時代力量も台湾独立派の歴史解釈をとっているようです。これが若い知識層のスタンダードになることを米中が受け入れるのかどうか。今日経ビジネスオンラインで読める福島香織氏の記事と併せて今朝も面白く拝読いたしました。
国庫がからっぽに近い、というのが最も痛いですね。

ムラ社会人である大多数の日本人は、国連を含む国際
的な機構や会議は大義ある組織や会合でありその意思
や決定は絶対なので、各国は他国の迷惑にならないよ
うにそれに従わなければならない、などと信じているよう
に見えます。

国際法は事実上罰則が無い(嫌がらせはできる)ので、
国民国家同士の関係は、ムラ社会に似るのじゃなくて
ヤクザ社会同様の仁義なく戦う社会になります。罰則
が無い(できない)ので、対立する国々の最後の解決は
軍隊という暴力で白黒つけてケリをつけます。逆に言
えば、リクツを砕いて相手をブチのめしたモン勝ち。

次の戦争には絶対に負けたらアカン。その為には法の
整備や武器の整備やら国民の理解が不可欠。それは
台湾の人達にとっても同じです。平和ボケしていない
彼等には期待していますわ。一抹の不安もありますけど。

あっ、私は平和が一番ですよ。その平和がヤバくなっ
てきたらの、備えの話ですわ。

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