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2016年2月23日 (火)

その5 ICRP緊急時3原則 緊急時基準・住民参加・最適化を逸脱した民主党政権

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丸川さんの1ミリシーベルト「失言」事件から、ずいぶんとあれこれ考えてしまいました。 

なにせ、私のブログはいまでこそ「ありんくりん」やっていますが、2011年から丸々足かけ3年間、原子力問題とエネルギー問題ばかりやってきたもんで、語りだすと止まらないので、ご容赦ください。 

一気に記憶が戻って来たというかんじでしょうか。しかも怒りと苦々しさの感情と共にですから、われながらタチが悪い(笑)。 

さて天災、人災に関わらずリスクが爆発した時点で、政府の役割は決定的といっていいくらい重要です。 

一般国民は「平時」のままの状態にいます。ナニがなんだか分からない情報過疎に陥っていて、テレビの映像だけポカンと見ているだけなわけです。 

その時に政府が一緒にパニくっていたら、話になりませんが、一緒になって阿波踊りをしていたのが当時の民主党政権でした。

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この悲惨極まる状況の中で、官邸スタッフでほぼ唯一正気だったのは、実は今回丸川さんに噛みついた細野豪志首相補佐官でした。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-15e5.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-a56d.html
 

対策統合本部事務局長の細野氏は、官邸に専門家を中心とする実行部隊の知恵袋的「助言チーム」を作ることを構想し、近藤駿介原子力委員会委員長にリーダーを依頼します。  

近藤氏は、原子炉の確率論的安全評価の第一人者であり、この時期、海を隔てて同じく福島事故の分析と対応に苦慮していた米国側原子力機関トップとも人的ネットワークを持っていました。  

この官邸側近藤氏と、現場の吉田所長らの働きによって、なんとか事故は収束に向かったわけですが、ほんとうに薄氷の危機とはまさにこのことでした。 

この政権内で比較的まともだった細野氏が、後の野田政権時の環境相時代に決めたのが、この1ミリシーベルトという規制値でした。 

今回この丸川発言を真っ先に糾弾した細野氏は、このようにツイターで述べています。

「事故後はやむを得なかったが、福島にのみ「緊急時の基準」を適用し続けるわけには行かない。除染の長期的目標として、「平時の基準」を適用するのは当然。」

おいおい細野さん、自分が言っていたことを都合よく忘れたんですか。 

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当時内閣官房参与だった小佐古敏荘氏が、テレビの前でペチョペチョ泣きながら、「20ミリシーベルトを容認したと言われたら学者生命が終わりだ。自分の子どもにそうすることはできない」と訴えて辞任してしまった事件は、当時大きく騒がれたものです。

これに政府として答えたのが、補佐官時代の細野氏です。 

「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している。政府の最終判断だ」(2011年4月30日時事)

 まことに凛々しい原則的態度で、これがICRP「勧告111」に述べられた、国際スタンダードどおりの対応なのです

それに対して野党に落ちた細野氏は、「いつまでも福島のみ緊急時の基準を使うわけにはいかない」と言い出します。おいおい、すり替えてはいけない。 

なにが「いつまでも」ですか。

問われていたのは事故から4年後の現在ではなく、一般的に事故収束末期といえる5年後の2016年のことでもありません。事故直後の2011年から12年のことです。

その「時期」に1ミリシーベルトという平時の最下限の数値を使って、避難指示や除染を開始したという「時期」が適切だったのかと、私は問うています。 

この「時期」に使うべき指標は、細野さんもよく知っているはずの「勧告111」です。

「勧告111」については、政府に答申した日本学術会議のPDFにあります。国民向けに大変分かりやすく書かれていまので、ぜひご覧ください。
※日本学術会議 「
放射線防護の対策を正しく理解するために

「勧告111」は、被曝の防護基準を「平時」と、事故後の「緊急時」に分けて考えています。 

年間1ミリシーベルト以下という基準はあくまでも「平時」で、事故直後の収束過程は年間20ミリシーベルト以下です。

そして「長期的にこの平時の値である1ミリシーベルトにしていきなさいね」、とICRPは述べています。

つまり何も起きていない平和な「平時」と、事故が起きた直後の「緊急時」では、適用する基準自体が違うのです。

それを事故直後から、平時の基準値を適用してしまうという大きなミスをしたのです。

では20ミリシーベルトを超えたら、人体に健康被害が出るかと言えば、そんなことはありません。

先日述べたように、世界の自然放射線量の平均は2.4ミリシーベルトです。

中国広東省陽江、インドのケララ、ブラジルのガラパリなどが有名で、中でもイランのラムサールが最も高く、平均で日本の24倍です。

さすがびっくりしますが、この放射線量は、福島の高放射線地区以上の自然放射線に常時さらされていることになります。

しかし住んでいる人は、だからナニというかんじで、住民のガンの発生率は世界平均です。

もちろん、放射線に人工も自然の区別もなく、人体への影響は一緒ですし、人体には放射能耐性などありませんので、念のため。

つまり20ミリシーベルトでも、100ミリシーベルトでもよかったわけですが、リスク管理は最小限リスクが「哲学」ですから、とりあえず1ミリ~20ミリシーベルトということにしたのです。

なお、今回の福島事故では幸いにも、20ミリシーベルトにさらされた住民はいませんでした。

仮にいたとしても、健康被害は限りなくミニマムだったでしょう。

ですから、細野氏が補佐官時代に言っていた、「年間20ミリシーベルト」という考え方はたっぷりとマージンをとったリスク管理です。

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さらに当初政府は、「5ミリシーベルトを目指して除染する」という方針まで立てていました。

これも収束過程基準としては厳しすぎますが、まぁ妥当といえます。

実際に、前回取り上げた『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』によれば、スウェーデンでも同様に、事故前まで1ミリシーベルトの射線量の防護基準を採用していましたが、事故直後からの1年間は5ミリシーベルトの被曝も許容しています。 

これは事故直後において、いきなり平時の1ミリシーベルトに戻せというほうが無理だからです。

無理にそうすることによって、かえって社会的摩擦がより大きくなると考えるからです。これはチェルノブイリの避難による悲劇を教訓にしています。

さてICRP「勧告111」は、緊急時に政府がとるべき対応を定めたもので、3つの原則があります。

①緊急時・収束過程基準
②住民参加
③最適化

簡単に説明しましょう。

まず緊急時・収束過程基準(※)ですが、これは空間線量や食品基準値に適用されますが、このとき政府の説明がいいかげんだとかえって混乱を深めてしまいます。
※「緊急時・収束過程基準」は私の表現です。ICRPは使っていません。

事故直後に出たコメの暫定基準値500ベクレルといったものがそれにあたります。

特にうちの国だけが高く設定しているわけではなく、どの国もICRPの指導に沿って実施している国際スタンダードです。

しかし政府が満足な説明もなくそれを出したために、「輸入食品基準値よりなぜ国産のほうが高いのか。こんなものを食べて大丈夫なのか」などの憤激の声が多く国民、特に主婦層から上がってしまいました。

そしてさらに政府が、「レントゲン1回分より低い」などというバカ丸出しの比喩を使ったために、多くの消費者が東日本の農産物の買い控えに走りました。 

あのね、こういう比喩はよく概説書に書いてあるけど、国民はそういう言われ方したら、「あたしは毎日レントゲンを浴びているの」ってなります。

ましておや、小さな子供もがいれば、「子供に毎日、レントゲン検査させることはできない」とかんがえて当然です。

これが脱原発運動の論拠に成長していくことになる、低線量内部被曝脅威論の始まりです。

おまけに、事故翌年に政府は一気に500ベクレルを、一気に5分の1の100ベクレルにするという「快挙」を演じます。

たいしたタマです。こんなことは5年かけてやるべきことです。これで一気に農業者は地獄に叩き落とされました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f9e2.html

2番目にICPOがいう「住民参加」ですが、政府は原発事故直後に年間被曝基準を、1mSvから20mSvに引き上げました。

これまた当然のこととして、突如20倍になったことに多くの住民は驚き、恐怖しました。

これも正しい措置なのですが、ここでも充分な政府の説明ケアが欠落していました。

こうなるともう誰も政府を信じなくなります。国民は、政府の公式発表より週刊誌やネットの流言蜚語を信用するようになります。

その時期から、数万人規模の避難区域以外からの県外避難者が発生し始めます。

また食品規制値も平均500ベクレルに上げたために、平時と緊急時規制値の違いがわからない国民に恐怖が蔓延しました。

ありとあらゆる量販店には、「放射能計測済」とか「当店は東日本の食品は取り扱っていません」などというポスターが張られることになります。

また2012年2月には、政府は福島県の事故周辺20キロメートルを警戒区域とし、福島県飯館村などを計画的避難区域に設定しました。

ここで、政府の指示による大量の認定避難者が出ます。

これについてのリスクコミュニケーションもまた、おざなりでした。

政府は、区域の設定時点において、放射能と健康に関して正しい情報を出して、避難することが妥当かどうか、住民自身にいったんボールを戻して、話あって決定させるべきでした。

そうとうの地域で屋内にいればまったく問題のない空間線量だったはずです。じっくり、政府や行政が説明し、ひとたひとりの意志を確認できる時間的余裕はあったはずです。

お仕着せの半強制避難では、かえって問題が隠されてしまって、解決が遠のいてしまいます。

このように大震災に耐えた日本社会の秩序は、原発事故収拾過程のたび重なる政府の失敗によって、まさに崩壊の危機に瀕していたのです。

このような国民全体に拡がった大規模な放射能パニックを背景にして、福島県の規制値の引き下げと除染要請が出たわけです。

このような場合、政府のとるべき態度はひとつしかありません。

パニック心理に膝を屈することではなく、政府のいうことに耳を貸してくれるようにすることでした。

つまり、正しく情報を公開し、正しく説明し、充分な住民の議論をしてもらうことてす。

したがって、ここで細野氏は福島県の要請をしっかり説明して、突っぱねるべきでした。

政府は、「皆さん、ひたすら規制値を下げればいいというのは間違いですよ。そうすることによって別の社会的弊害が起きるのです」と福島県に説明すべきでした。

これがICRPがいう「最適化」です。「勧告111」はこう述べています。

「最適化とは、被曝のもたらす健康被害と、それをなくそうとする防護対策の不利益のバランスを取ることだ。例えば、避難によって地域社会の崩壊、また経済活動の停滞などが起こる可能性がある。」

やみくもな安全配慮は、かえって復興の妨げになってしまうのです。

かくして政府は、このICRPの「勧告111」に述べられた、「緊急時規制値」「住民参加」「最適化」という事故処理の3本柱すべてから逸脱していくことになります。

長くなりましたので、今日はこのくらいに。

※大幅に加筆しました。一発で決められる他のサイトをみるともうひれ伏します。

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コメント

タイトルにある三要素に向かって
「緊急時を作り出した奴は誰だ」「人が規則に合わせて最適化を図るのは本末転倒、基準を変えろ」「住民なんてもう居ない、帰れない人々の怒りを見ろ」
と、本来民主を支持していた層が大騒ぎしたのですが、民主政権は自分達がいつも使ってる論法ですもんね。まともな話をさせない為の。
挙足取りとデマばっか煽ってきた者はデマを抑えられないどころか対応を誤ったとすら自覚してないと見えます。未曾有の災禍を国民生活に寄り添って補填と被災民へのケアという実績を残した、誰がやってもあれ以上無理だった、って思ってる筈です。今度の選挙で言えばいい、落ちますよ。

>世界の自然放射線量の平均は2.4ミリシーベルトです。
>中国広東省陽江、インドのケララ、ブラジルのガラパリなどが有名で、中でもイランのラムサールが最も高く、平均で日本の24倍です。
>さすがびっくりしますが、この放射線量は、福島の高放射線地区以上の自然放射線に常時さらされていることになります。
>しかし住んでいる人は、だからナニというかんじで、住民のガンの発生率は世界平均です。
>もちろん、放射線に人工も自然の区別もなく、人体への影響は一緒ですし、人体には放射能耐性などありませんので、念のため。
この反論(になってないのですが)としてありがちなのが、体外と体内の被ばくリスクは違う、という話で低線量被ばくパニックのベースにいつも置かれています。
先日も朝日が福島の有機農家の方のインタビューを引っ張って掘り起こしていました。この方が語っていた農家自身が土から取り込むリスクと消費者が作物から取り込むリスクをいっしょくたに考えては被害妄想に走るばかりなのに、奇妙な投げかけ調のルポで終わっていて朝からむかむかしました。
数年前もおそらく今も、低線量で1ミリシーベルト分を体内被曝すると無意識に勘違いしている消費者がいます。会うたびに個別に言ってますが、私を何かの回し者だと思っているかも…。この件私もしつこく書き込んですみません。

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