福岡高裁那覇支部の30年間延長和解案
泥沼化するとみられていた沖縄県と政府の訴訟について、大変に面白い動きがありました。
福岡高裁那覇支部の裁判長から、「和解案」が出てきたのです。ご承知の方は引用以下に飛んで下さい。
沖縄タイムス(2月3日)はこう報じています。
「和解案は、多見谷裁判長が1月29日の第3回口頭弁論後、非公開の協議の場で提示した。裁判所の指示で公表されず、県は裁判所に公表を要求していた。
「根本的な解決案」とされる県の承認取り消し撤回は、国の計画通りの新基地建設が前提となるため、県側は受け入れない可能性が高い。期限付きで返還か軍民共用にする国と米側の交渉も不可避となる。
一方、「暫定的な解決案」とされる国の提訴取り下げは工事の中断が同時に求められ、根本的な解決策とはならず、国にとって歓迎する内容ではないとみられる。
翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しに対し、国が違法確認訴訟や「是正の指示」など、別の手段で争う可能性も残る。
翁長知事は第3回口頭弁論後、記者団に対し新基地建設は造らせない方針を示し、和解案への対応は「まったく白紙」と述べた。県側の竹下勇夫弁護士は、「行政事件訴訟の中で和解勧告は、かなりまれではないか」との認識を示していた。 代執行訴訟は、今月15日に翁長知事、29日に稲嶺進名護市長の証人尋問を終え、同日結審する。和解案を国、県ともに受け入れない場合、3月中にも判決が言い渡される見通し。」
同じく共同通信(2016年2月2日)です。いわば要約バージョンで、こちらのほうが分かりやすいかな。
「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への移設をめぐる代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部が国、県に示した二つの和解案の内容が2日、判明した。一方の案は翁長雄志知事に埋め立て承認取り消しの撤回を求め、国には移設後30年以内の辺野古返還などを米国と交渉するよう促した。別の案は、国が訴訟を取り下げて工事も中止し、県と再度協議するよう求めている。」
つまり、福岡高裁那覇支部は、こう言っているわけです。
ふたつ道があります。「根本的解決」と「暫定的解決」です。市民語で平たく言えば、「大人の解決」と「子供の解決」がありますが、どっちにしますか?と、裁判長は両者に尋ねているわけです。
暫定的解決ですが、これは両者が自分の主張を取り下げるというものです。
翁長側は承認取り消しを取り下げ、国も工事を再開せずに県と再協議する、というものです。
これがなぜ「暫定的」かといえば、これでは両者とも振り出しに戻ってしまって、和解と同時にまた大喧嘩するからです。
つまり元の木阿弥で、次の判決までメンドーを先延ばしただけです。こんなめんどくさいことは、次の判事が考えてよ、というやつです。
だから子供の解決と、私は呼びます。
公有水面法と地方自治法の、機械的解釈だけなら勝ち負けはわかりきっています。国が100%勝ちます。もし負けるなら、日本は法治国家の看板を降ろすべきです。
かといって、福井地裁の溝口裁判官のように、安全保障事案に憲法を持ち出してトンデモ判決をされてはたまったものではありません。
たとえば、「埋め立ては憲法第13条・幸福追求権に反するので、国の敗訴を命じる」、なんてやられたら目も当てられません。
実際に地裁レベルには、このテのことをやりそうな裁判官がゴロゴロしています。
しかし、この福岡高裁那覇支部の裁判官が優れた知恵者だと思ったのは、もうひとつ「根本的解決」案を出したことです。
それは一言で言えば、大岡裁きのような痛み分けです。
翁長側は承認取り消しを撤回する、国もまた30年後に米国と返還交渉をする、といった内容です。
思わず、膝を打ってしまいました。裁判官は翁長氏の言行録をよく調べています。彼は2006年に辺野古案が決定された時の沖縄側の自民党中枢だったからです。
翁長氏は、知事当選直前に朝日新聞のインタビューに応じてこう答えています。
※翁長雄志さんに聞く沖縄の保守が突きつけるもの 2012年11月24日
「――しかし県議時代には辺野古移設推進の旗を振っていましたよね。
苦渋の選択というのがあんた方にはわからないんだよ。国と交渉するのがいかに難しいか。
革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない。
稲嶺恵一知事はかつて普天間の県内移設を認めたうえで『代替施設の使用は15年間に限る』と知事選の公約に掲げた。
あれを入れさせたのは僕だ。
防衛省の守屋武昌さんらに『そうでないと選挙に勝てません』と。こちらが食い下がるから、向こうは腹の中は違ったかもしれないけれど承諾した」
ここで、得意気に朝日にしゃべっているのは、当時自民党県連のボスだった翁長氏が、2006年、移設に消極的だった稲嶺元知事を説き伏せて「代替施設」(つまり今で言えば辺野古の「新基地」のことですが)への移転を「使用は15年に限る」という条件をつけて呑ませてしまったことです。
これについて翁長氏は「ほーら、オレ様の力量を見ろ。革新の連中みたいに反対、反対だけじゃダメなんだぜ。頭使えよ」と言っているわけです。
それがまんま今回、翁長氏の頭上に降ってきたわけです(苦笑)。
さぁ、どうします、翁長さん。
「暫定的解決案」は、ただの仕切り直しですから、国は絶対に飲みませんよ。
国は黙っていても勝訴する展望があるし、ここで再交渉しても同じことの繰り返しに終わるのは目に見えています。
翁長側としてはズルズル泥沼化して、ファインティング・ポーズをとり続け散れさえすればいいのですから、こちらがお望みでしょうが、まぁ絶対に国はうんと言いません。
ここで、今、国がいったん工事再開を止めているということに配慮ください。これは偶然ではないと思います。
憶測の域を出ませんが、国はなんらかのルートで裁判所の「根本的解決案」を聞いています。
その上で、この「根本的解決案」を県と話しあう用意があるということで、再開を中止したのです。
もし、知事になる直前の翁長氏ならば、この「30年間延長案」に乗ったでしょう。
知事就任後も、官邸での会談で翁長氏は、安倍氏にこう述べています。
「普天間の一日も早い危険性の除去、撤去は、これは我々も沖縄も思いは同じであろうとそう考えています」「辺野古への移転が唯一の解決策であると、こう考えているところでございまして、これからも我々丁寧な説明をさせていただきながら、理解を得るべく努力を続けていきたいと思います」と述べました。
これに対し翁長知事は、16年前に稲嶺元知事と岸本元名護市長が受け入れを表明したのは、あくまで使用期限などの条件付きだったとして、前提条件を欠く現状では「受け入れた」とはいえないと、真っ向から反論しました。」(琉球朝日放送2015年4月17日)
これは、使用制限という条件さえ整えば移転合意も可能だということですよね、翁長さん。
一方国としても30年間ということは、22年にできたとして2052年ですか、そこまで引っ張れば東アジシ情勢も変化するかもしれないし、そもそも米国海兵隊がグアムに移転しているかもしれません。
ならば、自衛隊と共用の沖縄北部第2民間空港にするということも、十分に可能なわけです。
国が馬鹿でなければ、この「根本的解決案」を呑みますね。修正稲嶺合意ですから。
翁長氏にとっても、本来なら、選挙直前の持論であったはずの「使用期間限定論」に戻ればいいだけです。
ただ「オール沖縄」、しかしてその実態は共産党・社民党、社大党というガチガチの左翼陣営は、うんと言いますまいね。
なにせ、「いかなる新基地も反対」ですからね。「いかなる」をつけたら、交渉もクソもありませんよ。
翁長さん、悪いことは言わないから、かつての稲嶺さんを説得した調子で「全身全霊を運動しに費やしている」人たちに、「政治は結果だ」と言ってやって下さい。
そうでないと、県民からなんだ翁長は左翼陣営のパペットか、と言われます。
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コメント
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翁長県政というのは、一言で言って「県民不在」。
何が県民の利益、将来にわたる幸福につながるのかを考えない。
やがて完全敗訴の山を見て県民も気づくでしょうが、ここまでやると、県と国の信頼関係を構築し直すのには相当の時間を要する事になります。
国と地方との間には相当に曖昧な判断を要する事案が山ほどあり、これを地方にとって好意的に対処してもらう事にどこの県も非常に腐心しているのです。
これは何も、国が恣意的に沖縄県に悪さをするとか、意趣返しをするだろうという事ではなくて、政治家と異なり個々の官僚の本能として「危なくて近づけない」のです。
同じ理由で国からの積極的な提案も控えられる事になるでしょう。
ここが革新首長を要する地方が経済的に伸び悩む、主な原因なのですが。
「翁長後」の沖縄のリーダーが相当苦労するのが目に見えるようです。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年2月 4日 (木) 09時44分
法政で昔活動していた知り合いと再会しました。昨今また国会前や都内各地の無言プラカード立ちなどにも精を出しているのですが、彼曰く↓
今、僕らの目に見えない何かとてつもなく大きな力が僕らを押しつぶそうとしている。沖縄しかり、安保法制しかり。選挙の結果をかさにきて国家権力を発動し民意を覆い隠し押しつぶそうとしているんだ。それを余生で少しでも止めるように力になりたい。
彼にとって選挙結果は民意ではなく裁判所の判決も正体不明な大きな手による圧力にしか見えず、それはひょっとしたら己の世界観自体に無理があるのだとは解りたくないのだなあ、と先日痛感しました。でも、これを誠実な人柄で切々と言われると心を打たれて協力する人は一定数いるなあ、とも苦々しく思いました。すみません、きっとこうやって本土から沖縄に旅行がてら集まりに行くリタイア組がいるのです。
判決が出てもこう言い返してどかない人達を殉教者に祀らせないような退去法…難義ですね。
投稿: ふゆみ | 2016年2月 4日 (木) 16時51分
ふゆみさん。私の友人は8割は今もリベラルです。
だから去年の「戦争法制」の時も、「再稼働止めろ」の時も、かならずお誘いがきました。
私は、友情に政治と宗教は持ち込まない主義ですので、このブログのことも教えていません。
みんな底抜けに善人ですよ。まじめに今の日本を憂いています。
ただし、きわめて視野狭窄であり、国際政治を突き放してみることが出来ません。
しかも、きわめてエモーショナルです。論理を積み上げて思考することになれておらず、あらかじめある安倍憎しの感情にすり替えていってしまっています。
ただし彼らは現実の世界では、いっぱしの実業家だったり、音楽家だったり、大学の教師だったりして、物質的にはなんら不満のない境遇のはずです。
ですから、彼らの「怒り」は具体的な自分の生活や経済とは関わりのない、きわめて抽象的なものです。
これは彼らが長い時間、立場が違う人とまともな議論をしなかったせいだと思っています。
若い頃から身内でしか討論をしないために、安保は粉砕するもので、原発は止めてあたり前なのです。
論証不要のテーゼです。ジンテーゼもクソもしりません。
特に歳をとるとダメですね。かたまっちゃって。
前にひさしぶりの飲み会をやった時、テレビでちょうど安倍氏が第1次内閣の辞任を表明した夜でした。
その時の友人たちの歓声は忘れられません。
皆、大歓声を上げて、肩をたたき合いながら乾杯、乾杯ですよ。
これで「改憲は10年はないぞ」と言っていましたっけね。
私はトイレに行って、その輪に加わりませんでしたがね。
あれ以来、政治向きの話が出る旧友たちとの酒飲みには出ません。
青春という一時期に、あれだけ語り合い、苦楽をともにしたのに、いかに彼らと今の私が遠く離れた地点にいるのか、まざまざと分かりました。
残念ですが、友人のなかから辺野古へ「現地闘争」に出かける友人がでても驚かないでしょう。
今や辺野古は、全国の行き場を失った元左翼、現左翼の最後の砦なのです。
そこに行けば、青春の時に信じた「正義と情熱」の輝かしさが戻って来るみたいなね。
そう思うと、哀しくもあり滑稽でもありますが、現地の人にははなはだ迷惑なことでしょう。
勝手に他人が大事にしている経済と生活の場を、てめーらの感傷的な「砦」にするなと怒鳴りたくなります。
そのことは本土の人間として、ほんとうに申し訳なく思っています。
投稿: 管理人 | 2016年2月 4日 (木) 17時13分
生まれも育ちも沖縄な友人の何人かがSNSで辺野古移設反対の立場でメッセージを発信していました。中には辺野古での反対運動に実際に行って来た者もおります(どの友人も面と向かって政治の話しをすることはありませんしたが)。現実世界の友人でもある彼らが昨年の後半あたりから、一切SNS上で政治を話題にしなくなっています。推察にすぎませんが、何一つ成果を出せない翁長知事の政治姿勢やオール沖縄を名乗る団体の行動等にげんなりしてしまったかなと考えています。流石に過激で幼稚な反対運動を擁護するわけにはいかないというくらいの感覚はもっている人達だと思いますので。宜野湾市長選の結果はそういった人々が増えてきたことの一面を反映しているのかもしれないと思うところです。
投稿: クラッシャー | 2016年2月 4日 (木) 17時52分
クラッシャーさん、そんな方々が一歩ずつ引いていって地元の人からも正直もう終わりにして欲しいよと伝える事が出来れば、後は運動家がもうここは終わりにしようと手を打って去るしかなく、町の暮らしを住民が第一に考えられる日が来やしないか。
そう願いつつ、上記した知人の気持ちを変える言葉を伝えきれなかった自分の無力さを感じた次第です。
本当、善人なんですよねみんな。心から願っているのです、全ての人達がいつか気持ちを寄りそわせ分かり合う日が来る事を。その為に異国や異教徒の気持ちを第一に思い続ける事こそが思いやりなのだと信じているのです。
宗教を担がずに素でそう思い切るのは、日本人以外にいないかもしれません。他国の人々は、分かり合えないからこそ合意した瞬間を祝うのですから。
投稿: ふゆみ | 2016年2月 4日 (木) 20時23分
私は知事選の前に辺野古へ行きました。
辺野古の漁港、癒されます。漁師のおじさんに聞いたら埋め立てたら三月の浜降りが出来なくなるのが残念だと話してました。浜降りの時は潮干狩りしに基地の中から海へ行けるんだそうです。一人でうろちょろしてたから、「ねえさんは運動の人?」って聞かれちゃいました。
投稿: 那覇市民 | 2016年2月 4日 (木) 22時00分
>ふゆみさん
「全ての人達がいつか気持ちを…」私の遥か彼方の学生時代にゼミの先生が(恥ずかしながら国際政治なんぞでありましたが)そうした考えは理想であるが、現実化すると考えるのは、単なるユートピアンであり、思考する上で排除しなければならない、現実を直視せよ、と繰り返し私達に仰っておりました。
しかしながら、昨夏以来、学生時代の友人たちから少なからずの数のメールでも年賀状でも「辺野古新基地反対」「戦争法案阻止」など、溜め息の出るような内容が展開されておりました。
先生の教えはなんだったのやら、と思いつつも、体制転覆やら共産革命を企むわけで無し、只の好い人なんだよな、と感じたことでした。
どう接したものか、今も呻吟中です。
投稿: 元南相馬 | 2016年2月 4日 (木) 22時55分
誠実な人柄
正義と情熱
只の好い人
自分の回りもそんな感じです。
お題目で世界を救えるか。
そんなものが現実に通用しないことは、自分は子供時代にいじめを受けていたことで骨身に染みています。
暴力反対と100回叫ぶより、1度チクった方が断然効果的だったからです。
現実を支配する強い力にどう対応あるいは利用していくか、それに尽きると思うのです。
そういうことをあまり考えなくても済むような地位にある人に、所謂リベラルが多いのではないでしょうか。
投稿: プー | 2016年2月 5日 (金) 11時19分
共産主義思想とは恐ろしいですなぁ。
投稿: 米田 | 2016年2月 7日 (日) 15時44分