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2016年3月

日本は沖縄県だけ「半主権国家」なのですか?

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コメント欄に書いたのですが、長くなったので記事欄に移します。春休みですが、特例ということで。

春休みっていいですね。ひさしぶりに朝の湖畔散歩が復活しました。春の朝って、こんなに長かったのかとびっくりしています。

もうこちらも桜は5分咲きです。

                   ~~~~~~~

knorimotoさん。
あなたの自衛隊への危惧の気持ちはよくわかります。

ただ、あなたは自衛隊がもつ矛盾をよくご存じだから、そのように考えてしまうんじゃないでしょうか。

自衛隊にとって最大の「敵」は防衛官僚と、「政治」でした。

かつて防衛庁時代は、当時の霞が関官僚の天下り場所でした。

ハト派エリートだった加藤紘一氏は、防衛庁長官が初入閣のポジションだと知ると、「なんだこんな三流官庁か」と言ってのけたそうです。

そのような伝統は、一個の省となった今も連綿と続いています。

シビリアンコントロールが、内局支配を意味しないと修正されたのは、今の政権になってからです。

そして制服組が、軍事専門家として首相にアドバイスできる地位を得たていどが、残念ながら現状です。

私は軍隊は強大になる必要はまったくありませんが、一国の中で正しい地位を与えられるべき存在だと思っています。

自衛隊を縛る多くの「掟」については、いままで記事にしてきました。過去記事をご覧ください。

では、この自衛隊が沖縄県でどのような処遇を受けたのでしょうか?

復帰後の沖縄で、これが職業差別でなければ、なにをして「差別」と呼ぶのかという仕打ちに会います。

私が沖縄に通い始めたのは、復帰後数年の時でしたが、当時の役所の前には「日本軍の沖縄上陸阻止!」と書きなぐった自治労のタテ看板があったことを思い出します。

自衛官は、職業が自衛官であるという、ただそれだけで、なんと住民票の受理までを拒否されたのです。

住民票がなければ、子供の就学ができませんし、そもそも沖縄県の行政サービスの一切が受けられなくなります。

その自衛官は、転出届けを出してきたのですから、受理行政側が受理しない以上、「いない人」になってしまいます。

言うも愚かですが、そんな権利は、窓口行政にはありません。
しかしこれが、自衛隊を迎えた沖縄の姿だったのです。

ちなみに、私が沖縄左翼の人権意識を信じていないのは、こんな住民票受理反対などという差別反対闘争ならぬ、差別闘争そのものを平然と演じたからです。

このような自衛隊に対する隠微な「差別」は延々と続きました。

それから40年。

自衛隊は、不発弾が埋まっているといえば、炎天下で命がけの処理をし、離島に病人がでたといえば、どんな悪天候もでもヘリが救出に向かいました。

殉職者も多く出ました。彼らは島を守って死んだのです。

こうして不信感で見ていた島の人も、40年たった今、自衛隊を「自分たちを黙々と守ってくれる頼もしい人たち」と認識しています。

私はこの自衛隊を、島の防人にしっかり据えるべきだと思います。

自分の島は自分で守る。自分の国は自分で守る。それが民主主義の基本ではないでしょうか。

沖縄の自衛官の多くは島人です。

確かに、米軍がいる意味はあります。今自衛隊に代置することは100%無理です。

数も、在沖米軍のほうが、自衛隊より多いのです。装備もいい。輸送展開能力も高いのは事実です。

また、中国と島の左翼勢力への奇妙な気配りから、本来は師団規模の自衛隊を置くべきなのに、軽装備の旅団に任せています。

そしてなにより、ご承知のように、与那国から本島まで、警官の腰のピストルだけで「防衛」しているようなありさまです。

この28日に、やっと与那国に沿岸監視隊という小部隊ができたばかりです。

与那国は防衛計画を、住民投票で「決定」するという悪しき事例を残しました。反対派が負けたので事なきをえましたが、ありえないことです。

宮古、石垣でも同じように小規模の警備隊を置く計画がありますが、なんとこれにも八重山日報をのぞく地元紙や左翼団体は猛烈な反対をしているようです。

この人たちは、北朝鮮のPAC3の緊急配備にも反対しており、「国はオレ達を守るな!」という世界でもきわめて稀を「闘争」をしているわけです。

目と鼻の先に隣国が牙をむき出して迫っているのですから、フツーは国に対して「守れ」という運動をするものです。

しかし逆に、「守るな」と叫ぶのですから、ここ沖縄だけの怪奇現象ですね。

このような状態を、「半主権」といいます。

国が国民を守るという、イロハのイができなくて、それが国家ですか。

しかも、たかだかといっては語弊がありますが、国ではなく「県」です。

では、このまま数十年先まで、この「半主権」状態に沖縄を置くのでしょうか?

これは日米地位協定とも重なりますが、そんな「半主権」はあってはなりません。

knorimoto さん。現状で「そうである」あるいは「そうでしかありえない」ということと、将来的に「そのような現状は変えていかねばならない」と思うことは、一緒ではありません。

保守主義はリアリズムであるが故に、変えていくということに臆病すぎます。
私は自分の国を自分で守れない状態を、「保守」とは呼びたくありません。

一地方でしかない県すら、自力で守れない国などあるのなら、そんなものは滅んだほうがいいと思います。

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お知らせ

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                                                 お知らせ

お越しいただいてありがとうございます。

現在、遅めの春休みを頂戴しております。

更新開始は、写真館は4月3日(日)から、記事は4月4日(月)とさせていただきます。

よろしくご理解下さい。

                             ブログ主拝

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knorimotoさんにお答えして 東アジアの緊張と「沖縄の反乱」

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これは復活記事ではありません。

昨日アップし、ボツにしましたが、改題して再載しておきます。後半の移転問題は割愛しました。

                     ~~~~~~~

knorimotoさんのコメントにお答えする形で、書いていきます。 

沖縄県人が「オール沖縄」という、皆んなで渡れば怖くないとばかりにやっていることは、他国なら「隣国との緊張した国境地帯における、地方政府の反乱」と理解されてしかるべき行動です。 

これを軽く考えるべきではありません。 

翁長氏を国内政治の、ましてや県内政治というドメスティックな縮尺で見るのを、止める必要があります。

本来、国際問題であることを、国内政治の、しかも目先の政局に矮小化してしまうのはわが国の悪しき伝統です。この勘違いは、右にも左にもあります。 

今回の移転問題でも、本来、国際問題であるはずの事案が、いつのまにか島の土建業者と政治家の利害対立の場になってしまいました。

翁長「反乱政府」は、単純な国内の有象無象の平和和運動の延長上にはありません。 

まったく次元の違う、きわめて危険な段階に突入していると理解すべきです。

翁長氏がやっていることは、明確に中央政府に対する「地方政府の反乱」であって、しかも重大な安全保障上の利敵行為です。 

この重さを、県民は分かっていません。それは翁長イズムのイデオロギー装置と化した沖縄タイムスと琉球新報という地元紙が、県民の唯一の情報源だからです。 

では私の危機感を理解していただくためには、やや迂遠ですが、沖縄の地理的位置を知ってもらう必要があります。 

沖縄が仮に沖縄が岐阜県の場所にあったなら、何をやってもかまいません。 

岐阜県が安保粉砕と言おう言うまいと、一国の安全保障上にとって、なんの意味もないからです。 

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 http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1510/kj00000275.htmlより転載

上の奇妙な地図をご覧ください。

これは国土地理院が出しているもので、俗に「逆さ地図」と呼ばれ、正式には「環日本海・東アジア諸国図」と言われているものです。  

一般の地図だと、なんとなく日本側からだけ見てしまいますが、中国から見ると日本列島はこう見えるというのを知るにはうってつけの一枚です。 

画面中央やや右の、朝鮮半島と山東半島に囲まれた大きな内海が渤海です。 

ここを母港として、中国東海艦隊は作戦行動をしています。 

その中国海軍から見れば、大陸に面した海が意外に狭く、しかも大陸棚のために浅く、目の前に日本列島が封をしているように立ちふさがって見えるのが分るでしょう。  

日本列島というより、琉球諸島といったほうか正確でしょう。

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上図は近年の中国海軍の動向を、この逆さ地図に重ねたものです。  

西に東に四方八方に、中国海軍が近隣諸国に軍事的圧力をかけて、膨張している様子がお分かりになるだろうと思います。  

南シナ海での人工島という領土拡張は有名ですが、実はその影で進められているのが、中国軍による東シナ海から太平洋に抜けるルート作りです。 

上図中央の黄色の矢印がその、中国海軍が太平洋に抜けようとしているルートです。 

ここが宮古海峡です。Google Earthでみると、この宮古海峡を通過すると、一気に水深が深くなるのがわかります。 

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中国海軍からすれば、この関所のようになっている宮古海峡を抜ければ、あとは深くて広大な太平洋にたどり着けるわけです。 

何をって?もちろんミサイル原潜を、です。

そうなれば、浅い「大陸棚海軍」だった中国は、一気に米国に対して大きな政治的カードを握ることになります。 

それは米国に対しての潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を発射できる、戦略原潜の潜むことが可能な広く深い海域を得られたからです。 

しかし、中国にとって目障りなことには、この太平洋方向に出ようとすると、どうしても沖縄諸島の間を縫って通過していかねばなりません。  

こういう狭い地点のことをチョークポイントと呼びます。チョークとはプロレスの反則技で聞いたことはありませんか、締めつけて窒息させることもできる急所のことです。  

世界的には、海上交通の多い狭隘な海峡のような場所のことで、有名な地点としては、マラッカ海峡、ホルムズ海峡、スエズ運河、パナマ運河、マゼラン海峡、ジブラルタル海峡、ダーダネルス海峡などがあります。 

これらすべては軍事的・政治的に、列強によって取ったり取られたりする緊張したポイントです。

わが国は地理上、幸か不幸か、たくさんのチョークポイントを持っています。一国でこれだけ多数のチョークポイントを持つ国は稀です。

北から宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡があり、これらの3地点だけで、何としてでも太平洋に出たいロシア艦隊にとって痛い急所になります。

これはかつての日露戦争の日本海海戦を思い起こしていただければ、分かるはずです。 

ちなみに、ロシアが北方領土を返さない軍事的理由は、千島列島がロシア戦略原潜の太平洋への扉に位置しているからです。  

そして南には大隅海峡、宮古海峡というチョークポイントが、中国艦隊にとって関所になっています。

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図 2012年12月11日サーチナ 

上の写真と解説図は、宮古海峡を通過する中国艦隊です。 

平時の国際法的には宮古海峡は国際海峡ですから問題はありませんが、彼ら中国が何をデモンストレーションしたいのかがよく分かる一枚です。 

刺激的表現を許してもらえば、中国からすれば宮古島を征することは宮古海峡を征することであり、ここを征すれば中国は米国に対して強い軍事的圧力をかけることが可能となります。 

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 つまり、中国にとって日本はそもそもそこにあるだけで目障りな上に、経済的にも巨大で、最先端のハイテク兵器を国産し、兵員数や武器の数は少ないながらも高度な訓練が行き届いた自衛隊を持っているといういまいましい存在なのです。  

そしてさらに、これが決定的でしょうが、米国のアジア太平洋地域の最大の軍事的拠点は日本本土と、そして沖縄にあります。 

長々と軍事的解説をしてしまいましたが、このような緊張した国境地帯において誕生したのが翁長県政です。 

翁長県政が意図したことは、ただの移転反対ではありません。この米軍がいる根拠である日米同盟そのものを倒すことです。

かつての鳩山氏の「国外、最低でも県外」というバカ特有の愚行であるチャブ台返しによって、日本が受けた被害は日米同盟そのものが揺らぐという事態でした。 

つまり、一国が基地移動ひとつ満足にできないのかという、日本政府の国内政治のハンドリングに対しての米国の深い失望、いや侮蔑でした。 

鳩山氏は、沖縄に後遺症を置いていきました。それが「米軍基地のない沖縄」という、それ自体はまっとうな県民の「気分」でした。

ひょっとして、米軍基地がなくなるのは可能ではないか、とする「気分」です。

これは「気分」だけに、真の実態を持ちません。具体的道筋もなければ、将来の展望もありません。

しかし、逆にただの「気分」だけに、様々な県民の本土に対する「やられた」感情と混ざり合って増幅されていきました。

それをひとつひとつ解いていきたいと思って書いたのが、この「島の異物としての米軍基地」という記事でした。

ここで私は、米軍基地、なかでも地上兵員が1万名以上いる海兵隊の、一定期間内の自国領内への退去を書きました。

保守の方には何を血迷っているのか、と言われることを覚悟の上です。

何度もお断りしているように、それは「今」ではありません。今、海兵隊の削減などしたら、狂喜するのが誰かよく分かっているつもりです。

同時に私は、米軍はいつまでも居ると思わないほうがいいと思っています。

これについてもそのうち詳述しますが、米軍は沖縄海兵隊の削減計画を持っています。

というか、海兵隊自体の大幅削減を何度も検討しています。

もちろん、それは常に米国の中に強くあり続ける一国孤立主義的な「気分」によります。

不幸にしてドナルド・トランプが大統領になれば、その傾向は間違いなく加速されるでしょう。

また現状でも、日本側にも誤解があるようですが、中東戦争などの実績から見て、増援の海兵隊は2~3日で紛争地域に到着することが可能です。

それは米国において、有事における民間航空機の利用が可能だからで、軍事技術的には誤解をおそれずにいえば、「沖縄にいてもらう必要はない」のです。

ですから、海兵隊が沖縄にいる理由の大部分は、台湾有事と朝鮮有事に対応したものです。

したがって、わが国の防衛のためではありません。

えっと思われるかもしれませんが、沖縄海兵隊が日本防衛のためにいるのではないことは、安全保障専門家共通の常識です。

ただ、米軍のいることによる「重さ」(ビヘイビアー)に、沖縄防衛のみならず日本全体、いやアジア全体が寄り掛かっている部分があるのは確かです。

そういった「大きな意味で」、居てもらっているだけです。

knorimotoさんはこう書いています。 

「一つには日米同盟の不対称性を解消して日米同盟を真っ当な軍事同盟にするには、自衛隊を普通の国と同じような軍事組織に増強することが不可欠ということがあります。防衛費はNATO諸国並みのGDP比1.5~2.0%にしないといけないでしょうし、若年者を中心に人員も増強することになるでしょう。」

その通りです。日本は時間をかけて、段階的にNATO諸国の水準に、法的にもコスト的にも近づけるべきです。

私はとくに自主防衛派ではありませんが、一定時間かけてヨーロッパ諸国に近づくのは必然だと思っています。

また米国とイコール・パートナーになるのはとうてい不可能ですし、なる必要もありませんが、少なくとも今のような自国民を犯した米兵の裁判権すら持たないような従属的立場からは前進すべきだと思っています。

海兵隊に代わって、自衛隊が代置することを現実問題として展望するべき時期に来ています。

そのための離島防衛のための部隊も自衛隊にはあります。練成過程にあり、まだほんのヒヨコですが水陸機動団です。

今は長崎県大浦にいますが、これが海兵隊に代わって、キャンプハンセン改め宜野座駐屯地に入ることは、将来的には可能です。

しかし、これがまともに戦える部隊となるまで、おそらく最低であと5年以上、できるなら10年は欲しいところです。

また規模も今予定されているのは、3連隊規模で、この広大な琉球諸島を守るには小さすぎます。

この間は、好むと好まざるとに関わらず、海兵隊に居て貰わねば困ります。

なお、この方が心配されているかもしれない、若年の人員補強に徴兵制などはまったく不要ですので念のため。

[以下割愛]

 

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距離を開ける知恵

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みなさま、ご心配おかけして申し訳ありません。温かい言葉、心の芯まで沁みました。ありがとうございます。

大丈夫です。ただ重度にヘコんだだけです。

な~んだ、といわれそうですが、1週間ていどで復帰する予定です。次回の更新は来週の月曜日になります。

しかしこのまま今までのスタイルで、沖縄のことを書くことは、ちょっと考えさせて下さい。

今回もある方のコメントで、「投票権も立候補もするつもりもないナイチャーがうるさいんだよ」というような意味のことを言われましたが、まさに、そういう壁があることを痛感しています。

私が、島人の皮膚感覚を探りに行けば行くほど、そのような抵抗感が増すのはよく分かりました。

これはかつて私が、骨を埋めたいとまで決意して島に渡った時にも感じたものです。

どこまでいっても、どのように島でもっとも厳しい仕事についたとしても、結局は島人にはなれないという現実がありました。

帰って来て今の茨城の村に入ったのですが、私ももう骨を埋めるとか、村人になるというような幻想からは覚めていました。

部外者として突き放して村を見て、なにが足りないのか、なにが必要なのだろうかと考える姿勢に変わっていました。

距離を開ける術を得た、といったらいいのでしょうか。

ですから私は、本土の村では一切政治に関わらず、唯一動いたのは放射能に対する自衛の時だけでした。

結局それが、一定の事業での成功を招いたのですから、思えば皮肉なものです。

今回の失敗の原因は、私がもう一度青春期と同じアプローチを沖縄にしたことによる失敗だと思っています。

今回、私は「和解」期間になんとかせねば禍根を残すという思いから、忠告に走りました。

それが一部の強い反発にあったわけですが、あらためて本土の人間が沖縄に接するルールが、厳然としてあることを感じざるをえませんでした。

それは島人にはなれないという、かつての「あきらめ」に似た立場を思い出すことです。

距離を距離として自覚する知恵を持つことです。

ですから、今後、沖縄で起きている事象に対して論評はしても、それで寸止めすることになるかもしれません。

今後、沖縄は全国政治ですから書く機会はあるでしょう。

しかし、今後の私のそれはただの論評です。こうしたほうがいいのではないか、というようなことは書かないでしょう。

復活後は、ビターな保守系ブログに戻る予定です。

・・・こう書きながら、悔し涙が止まりません。

来世生まれる時は、島に生まれます。

※コメント欄はご自由にお使いください。

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しばらくお休みします

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私は毎朝3時くらいから、3時間ほどかけてこの記事を書いています。

多くのブロガーがそうであるように、私は職業的物書きではありません。市井の庶民です。

とうぜんのこととして、仕事や日常生活をひどく圧迫しています。 

その中で6年間も書き続けられたのは、何か張りのようなものがあったからのような気がします。

張りとは気力のことです。

この間、沖縄をテーマにして、急速に気力が失われていくのが分かりました。

毎回、荒らしが登場し、その消耗感は一日ずっと続きます。

今回も沖縄の「気持ち」に接近しようとしたところ、ある沖縄県人から全面否定されました。

張っていた気力の支柱が、かすかな音をたててポキンと折れた気分です。

期限を定めませんが,しばらくお休みします。

また、土曜までのシリーズも打ち切りとさせて頂きます。

ブログ自体は復活すると思いますが、とうぶんの間、沖縄をテーマにするのは止めようと思います。

正直言って、精神肉体共にくたくたです。

昔のように、遠くに旅に出たいような気分です。

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日曜写真館 村の風景

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移設問題を素朴に考える その1

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移設問題について、できるだけ素直に考えてみようと思います。

あらかじめお断りしますが、今回、私はこの問題を考えるときに、政治的な保守、あるいは左翼、いずれの立場にも立ちません。

実現可能性があるのかどうか、そしてそれが誰しもが「あるていど」の納得が得られるものなのかという視点に立ちます。

「あるていど」と書くのは、誰にとってもの完全解決・完全満足などはありえないからです。

皆どこか不満ですが、落とし所を探らないと延々と今のような状況が続くことになります。

落とし所を考えるのが、大人の政治です。

紛争を始めるのは簡単ですが、相互に妥協して出口を見つけるほうがよほど大変なのです。

裁判で県が敗訴してそれで一件落着、という考えも保守の中にはありますが、火種は県民の中に「本土にやられた」感として残り続けることになります。

私はこのような強引な白黒結着を、首相が選ばなくてよかったと思っています。

一方、反対陣営は、いかなる判決が出ようと、それによる「和解」など無視して、どこまでも「全基地撤去」の日まで戦いたいのだと思います。

左翼ナショナリズムは、米軍基地の固定化を嫌う県民の心理を、うまく捉えてきました。

しかしこれ以上、対決構造が延長すれば、島の政治全体に対して共産党などの本土左翼政党の間接支配を許すだけのことです。

そもそも「全基地撤去」というスローガン自体が、日米安保全体を否定している共産党の考え方で、基地はなくなっても別のリスクを呼び込む結果になります。

というわけで、なにかしらの形で抜本的な解決を計らないと、今、県民内部に生じている大きなしこりがこのまま固定化されることになりかねません。

では、なぜ移設せねばならないのでしょうか。 

いうまでもなく、人口が密集した市街地にある普天間飛行場のリスクを取り除くことです。これに異論がある人はいないでしょう。 

ここまでがいわば総論です。

総論はえてして全員賛成、各論に入ると一気に利害が噴出するというのがお定まりですが、この移転問題もそうでした。

翁長氏たち「オール沖縄」と称する人たちは、「普天間の固定化反対」といいながら、いまだに県外、ないしは国外という線に固執するあまり、事実上「移設反対」と同じことを言う結果になりました。

県外に移動できるのは、既に移動している普天間の給油機部隊などのように、あくまでも身軽な航空部隊です。

いったん鳩山氏が妙な幻想をもたせてしまった、「国外・県外」という立場から離れてもらわないと一歩も進みません。

はっきり言っておいたほうがいいと思いますが、「国外・県外」などは、今の緊張したアジア情勢下ではまったくの夢想にすぎません。

次に昨日も書きましたが、これが半永久的な基地の建設ではない、ということを明確に政府は保証するべきです。

保守は「オール沖縄」が反日だ、親中だと思う前に、なぜ翁長陣営が県民の過半数の支持を受けたのかについて、思い致すべきです。

それはいままでの米軍基地の建設が固定化さてしまい、縮小・移転のためには別途に長期間の返還交渉をせねばならなかったからです。

それが、「新基地」という主張に、妙なリアリティを与える原因になっています。

もちろん「新基地」ではないし、面積的にも沖縄全体で見れば大きな軽減なのですが、その理屈の前に、「まっさらな土地に新たに作られる」という部分に激しい心理的な反発が生じたのです。

県民の心の中に、東海岸でも稀な辺野古崎という無垢な海岸線に、「新たに作る」のはたまらないものがある、ということを理解すべきです。

ならば、那覇の第2滑走路建設はどうなるんだ、という声があるのは知っていますが、あれは自衛隊と民間機が利用する施設です。

自国の防衛を担う自衛隊と外国軍隊を同列に置くのは、おかしいと思います。

あるいは泡瀬では大規模な干拓をしていますが、それは島の主要産業である観光が目的です。

私は失礼ながら、沖縄県民が海をそれほど大事にしているとは思っていませんが、「外国軍隊専用施設を作る」というためなら、お断りだという気分はよく分かります。

ですから、「外国軍隊専用施設」というトゲを抜かない限り、県民の納得は得られないと思います。

これについては、選択肢は二つしかありません。

ひとつは、自衛隊管理の施設にしてから、軍民共用空港として米軍にも貸与する。

もうひとつは、既存の米軍基地内部に作るか、既存の米軍基地と統合する。

これは共に実現可能性があります。

自衛隊の航空部隊と米軍が共用している航空基地は、本土にたくさんあります。北から千歳、三沢、厚木、岩国などです。

沖縄の自衛隊は空自・海自共に那覇の手狭さにほとほと困り果てており、一部の移動は悪い話ではないはずです。

民間空港としては、第2地方民間空港としての利用が可能です。

北部離発着の便が出来れば、過密な那覇空港を間引けるだけではなく、北部経済の活性化に大きく役立つでしょう。

次に、これは次回に詳述しますが、シュワブ陸上部に作ることによって、フェンス内の増築になります。

これによって「新基地」という汚名は返上できます。

そしてもうひとつは、トータルな日米地位協定の改定です。これについても別稿にします。

このようにやりようはいくらでもあるにもかかわらず、政府は構想だけをきちんとした説明もなしにポンっとだすだけで、後は補助金をバラまけばいいと勘違いしています。

こんなやり方では、この問題はこじれるだけです。

まがいなりとも「和解」がテーブルに乗ったのですから、いちからやり直すつもりで再検討するのも無駄ではないはずです。

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島の異物としての米軍

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私は普天間移設問題などに見られる沖縄問題の根深さは、皮膚感覚の違いにあると思っています。 

つまり、本土が経験しなかった、本土決戦は沖縄においてのみなされ、その結果沖縄の「戦後」とはそのまま米軍の直接軍政下でした。 

いわば軍事占領が継続されたわけです。この「占領」はサンフランシスコ条約によって主権国家に戻った後も継続し、実にその後20年近く沖縄は「占領下」にありました。 

私が恵隆之介氏の著作に違和感を覚えるのは、恵氏がいくら軍政下の米軍の「善政」を紹介しても、それが異民族による軍隊によってなされたということを軽く見ているような気がしていました。 

米軍基地に対する過剰な依存構造もまた、この時代に生まれたもので、沖縄にとって戦後復興とは米軍基地建設であり、米兵相手のサービス業だったのです。 

私も含めて見落としがちなのは、この生々しい皮膚感覚とでもよぶべき感覚です。 

この米軍に対するアンビバレンツな感情が底流にあることを見逃して、基地問題を語るべきではありません。 

たとえば、翁長氏という政治家の言説が、なぜ沖縄県民に響いているのか見ないと分からなくなります

たぶんそれは、島の中に連綿と続く土着的な力が、異民族の力のシンボルである「基地」という異物を排除しようとする自然の応力みたいなものではないかと思えます。

ですから、沖縄の基地を単に安全保障という外交・軍事の眼だけで見がちな私たち本土人は、根本的なことで見落としがあるのでないか、と私は思い始めています。

保守にとって守るべきは沖縄なのか、それとも基地なのでしょうか。

時として保守は、日米安保のみが「保守」すべき対象であると見てはいないでしょうか。

今回の移転問題は政策的には小学校算数のようなところがあって、移転反対ならば普天間基地は居つづけるだけです。

私たち本土人にはなんでこんな簡単なことが分からないのかと嘆きますが、それは「ここで移転を許したら、基地が永久に固定化されてしまうのではないか」という県民の恐れの感情を見落としています。

そこに米軍基地の半永久的固定化の匂いを嗅ぎ取るから、県民は翁長氏の言説に皮膚感覚でなびいてしまうのです。

ですから、今回の移転問題において異民族軍隊の半永久的基地を作るのではない、ということを本土政府はきちんと説明すべきでした。

この真正面からの説明を、本土政府はしていません。これは政治の怠惰ではありませんか。

また、海兵隊という存在に対して、県民の土着的な反感は消え去ることはないはずです。

なぜなら、米軍から様々な経済的利得を得たとしても、島の「異物」だからです。

しかも彼らが犯した数々の性犯罪は、95年の小児性愛者によるもののように、唾棄すべきものでした。

保守は単純に県民の犯罪率と米軍人の犯罪率を比較しますが、それは根本的に見誤っています。

県民がしたのと、異民族の、しかも軍人がしたのとではまったく軽重が違います。

外国軍人の異常性愛者犯罪は、日米安保の一方的廃棄通告事由になりえました。一方的廃棄を背景にして、日米地位協定の抜本的改定に進むべきでした。

ところが、本土政府はこの異常性愛者の兵隊を引き渡せとは言いませんでした。そして官僚同士で「好意で引き渡す」こともあり得るという玉虫色の合意を取り付けただけでした。

ふざけるな、と沖縄県民が叫んだのはあまりに当然です。

本土政府が守ろうとしているのは日米安保なのか、それとも沖縄県民なのか、です。

日米安保が守ろうとしているのは国家で、国家の義務は国民の安全を保障することに尽きます。それができない国家は国家たりえません。

国家たりえない国家が結ぶ同盟とはなんなのでしょうか。それは単なる従属、あるいは屈従の言い換えにすぎません。

従属国家に我々を守れるはずがない、彼らがするのは金をバラまくだけだ、これが県民の本音です。

翁長氏という政治家が登場したのは、この県民自身うまく説明できない鬱屈した感情を背景にしています。

私は、米軍基地に対して「期限」をはめるべき時が来ていると思っています。

先日の高裁の「抜本的和解案」は、このことを鋭く指摘し、20年後の返還交渉と軍民共用を説いていました。

またかつての、稲嶺知事時代の期限つき移設容認論も同じ文脈です。この時に稲嶺氏に助言したのは、ほかならぬ翁長氏でした。

政府は、外国軍そのものである海兵隊に対して、なんらかの縮小計画をもっと鮮明に明示して、島の未来には海兵隊はこの島から姿を消すという道を示すべきです。

移転が固定化につながるという県民の気持ちに対しても、一笑に付すのではなく、けっしてそうはならないということを、本土政府は説明する義務があります。

その中で、島の安全を守るためには一定の米軍の存在も必要だという理解にたどり着くべきなのです。

本土のためだけに米軍がいるのではなく、沖縄防衛のためにでもあるということを、しっかりと理解すべきです。

迂遠ですが、沖縄県民に対して本土人が「同胞」と呼ぶためには、それが結局は近道ではないでしょうか。

これが、昨日、生煮えでしたが、米軍と基地の縮小計画を私なりに考えた動機のようなものです。ご理解いただければ幸いです。

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沖縄の基地問題はまだまだ揉みようがあると思う

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昨日のコメントに神奈川なんてメではない、といったような傲慢な書き込みがありました。

個別に言っても詮ないことです。不愉快でしたが、仕方がないとも思いました。

いくら説明しても、眼で見ないと他人の背負った荷物は実感ではわからないものです。「見る必要もない」と言われれば、はいそうですか、としか答えようがありません。

このような「沖縄にだけ米軍基地が集中している」、あるいは「日本の安保は沖縄が支えている」という観念は、もはや教条に近いものがあって、そう簡単に消えるものではありません。

どうしてこのような教条が生まれてしまったのかと言えば、「反日勢力のプロパガンダだ」、という言い方をする保守の人がよくいますが、正確ではないと思います。

それでは原因と結果が逆になってしまいます。

左翼運動は米軍基地を利用しただけであって、原因の根にはやはり基地の存在があることは確かなのです。

基地問題を抜本的に改善しないかぎり、結局、本土政府が補助金で押さえ込むという悪しき構造は変わりません。

さて沖縄にあって、本土にないものがひとつあります。それが海兵隊基地です。

Photo_2http://toyokeizai.net/articles/-/14172

沖縄でひんぱんに基地問題や、基地がらみの犯罪が起きるのは、海兵隊が1万7千名(※)もいるからです。※第3海兵遠征軍の定員は2万1千名

これも常に駐屯地にいるわけではなく、艦艇に乗ったり、アフガンに行ったり、米国本土に戻ったりしていますので、定員が目一杯いるわけではありません。

しかし陸上兵員が多数いることには間違いありません。それが県民の怨嗟の的になっています。

この海兵隊部隊を大幅に軽減せねば、沖縄の「恨み」は消えないと思います。

私は、沖縄の海兵隊基地は有事のための拠点として維持しながら、少数の留守番部隊と、オスプレイ緊急対応チーム十数ユニットを残して、米国内の領域に戻すべきだと思います。

あるいは、フィリピンやオーストラリア移転もありえるでしょう。フィリピンなら喜んで迎えてくれるはずです。

この場合、いままでにあったグアムへの司令部機能の移転というレベルではなく、シュワブ・ハンセンに駐屯する大部分の兵員が、移動の対象になります。

これによって、いままで米兵犯罪の大部分を占めてきたのは海兵隊ですから、実感として県民は基地負担が大きく軽減されたと感じるでしょう。

尖閣・離島防衛の穴は、今計画されている自衛隊の宮古駐屯や、本島への自衛隊部隊の増強で補強するしかないでしょう。

こう言ってはナンですが、尖閣で米軍がでてくる可能性はかぎりなくゼロだと私は思っています。トランプになんぞなれば絶望的です。

いずれにせよ、自衛隊が沖縄や尖閣を守るのが本筋ですし、朝鮮半島有事については韓国が自らの力でなんとかするしかないのです。

韓国は集団的自衛権に反対だそうですから、いずれにしても有事に米軍基地を利用することはできません。(←ホントは出来ます)自力でなんとかしなさいと言ってあげましょう。

Photo_3http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/kadena_ai 嘉手納基地

次のステップとしては、那覇空港と嘉手納基地のスワップです。

嘉手納基地を軍民共用空港にして、旅客機の利用を可能にし、米軍航空部隊は那覇空港に移動します。

一挙に民間空港は広くなり、増加し続けるアジアからの観光客を受け入れるだけではなく、さらに国内やアジアに向かってのハブ空港として大きな位置を占めるでしょう。

現在の那覇空港は、日本でも有数の旅客機の離発着回数を誇りますが、同時に空自、海自、陸自、おまけに警察、海保までが超過密でひしめきあって、非常に危険な状況です。

この超過密の現状から解放されます。だいたい、大家が超過密にあえいでいるのに、下宿人がのびのびしているというのはふざけています。

そして現在の那覇空港は軍用基地になり、一部の嘉手納の航空部隊が移動します。引き受けきらない部隊は、本土で受け入れることになるでしょう。

もうすでに、普天間の給油機部隊は岩国に移動しています。陸上部隊と違って、航空部隊の引き受けは比較的容易です。

ただし、有事においては、米軍の嘉手納の使用は認めておかねばならないのは、いうまでもありません。

そして三番目には、辺野古崎への普天間基地の移転の「中止」です。

今の移転問題が、ここまでこじれてしまったのは、翁長氏というポピュリズム政治家の登場もありますが、本土政府が米国に対して、基地ひとつの移転にここまで手こずっていると見くびられたくなかったからです。

たかだか中規模基地ひとつの移動のハンドリングに手こずるようなら、日本の国際社会の中での信用に関わるということです。

つまりは、方や政府のメンツ、方や翁長陣営のメンツ。

この不毛なメンツとメンツの張り合いから、生まれたのは、移転が「新基地」建設であって、基地の負担増だとするプロパガンダでした。

Photohttp://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/1... キャンプシュワブ

何もこんな状況で、埋め立て案に固執する必要はないのではありませんか。これが素朴な私の実感です。

私は、シュワブ陸上案(小川案)と呼ばれているプランの再検討するべきだと思っています。

上の写真はシュワブの航空写真ですが、今の埋め立て予定地の後背地にはこんな広々とした空間があるのですよ。

シュワブの兵舎を壊して、地上の滑走路を作ることは、技術的にはなんの問題もありません。

水深40メートルの埋め立て工事という金食い虫で、出来てもかんじんな海兵隊が喜ばないような中途半端なものを作る必要はないのです。

シュワブ基地内はスペースも充分ありますし、米軍側にも壊されて困るというような重要施設はありません。

なにより既存の基地内ですから、ただの基地施設の増改築にすぎなくなります。

そのことによって、「新基地」建設というプロダンダの根拠は消滅します。

もちろん、私が愛する東海岸の美しい景観は保全されます。

これについては、そのうち詳しく述べたいと思いますので、これまでとします。

4番目には、日米地位協定第17条5項Cの改定です。これについても長くなりましたので、別の機会とします。

私の案は、そここに難点があるのは承知しています。

また時期的には、今のような北朝鮮はミサイルの撃ち放題、中国は人工島の作り放題という政治的緊張が極限に達しつつある時期には無理です。

「米国は東アジア情勢にに関与しない」という間違った信号を、中国や北朝鮮に送る可能性があります。

ですから、あくまでもこの緊張が去って、10年から20年ていどの幅で段階的に実施、というふうにお考えください。

ちょうど先日、ようやく「和解」がテーブルに乗ったわけですから、ひとつのたたき台として考えていただければ幸いです。

このように、沖縄の現状はまだいくらでも揉む余地があります。一回、既存の固定観念から自由になって、考えてみるのも悪くないでしょう。

 
 

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米兵事件について考える

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沖縄で米兵犯罪が起きたということで、抗議集会が起きています。 

まずは、沖縄タイムス(2016年3月16日)の記事から見ましょう。概要をお知りの方は、引用以下からお読みください。

「那覇署は13日、那覇市内のビジネスホテルで熟睡して抵抗できない状態にある観光客の40代女性を暴行したとして、米軍キャンプ・シュワブ所属の海軍1等水兵(24)を準強姦(ごうかん)容疑で逮捕し、那覇地検へ14日送致した。同署によると「やっていない」などと容疑を否認。2人に面識はなかった。名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部での新基地建設計画に対する抗議行動が続く中、米軍への反発が一層強まっている。
 調べによると同容疑者は13日午前1時15分から同4時5分ごろまでの間に、同じ宿泊先のホテル廊下で寝ていた女性を自室に連れ込み、性的暴行を加えた疑い。
 県警によると「ずっとバーに居たので(事件の時間帯は)ホテルに居なかった」などと供述し容疑を否認。呼気から微量のアルコールが検知されたという。
 ホテルの部屋の鍵はオートロック方式。那覇署によると女性は鍵を持たずに部屋を出て戻れなくなっていた。
 複数の関係者によると同容疑者は12日午後9時ごろ、米兵とみられる5~6人でチェックイン。 市内のバーなどで飲酒してホテルへ戻った際、部屋に入れずに廊下で寝込んでいた女性を見つけて抱きかかえ、自室へ連れ込んだとみられている。
 那覇署などによると女性は複数の知人男性と県外から観光で訪れ、同容疑者は同じ階の客室に1人で宿泊していた。
 自室で寝ていた男性が別の部屋からの叫び声に気付き発覚。110番通報で駆け付けた警察官が、事件直後にいったん外出し、ホテルに戻った同容疑者を同署へ任意同行し、緊急逮捕した。」

琉球新報(3月15日)は、米国人容疑者が容疑を否認していることを伝えています。

「那覇署は13日、面識のない観光客の女性が寝ているのに乗じて性的暴行を加えたとして、準強姦容疑でキャンプ・シュワブ所属の米海軍1等水兵(24)を逮捕した。14日、同容疑で那覇地検に送検した。捜査関係者によると容疑者は「ずっとバーにいた。そこ(部屋)にはいなかった」などと話し、容疑を否認している。県警によると米軍人、軍属や家族による女性暴行事件の摘発は日本復帰後、2015年末までで129件、147人。」

準強姦罪というおどろおどろした罪名なので、私もびっくりしましたが、なにかわかったようなわからないような事件です。 

まずは準強姦罪というのがなにか、知っておきましょう。 

「女性の心神喪失や抵抗ができないことに乗じて、または暴行・脅迫によらずこれらの状態にして姦淫する罪。刑法第178条第2項が禁じ、3年以上の有期懲役に処せられる。
[補説]睡眠や、酒・薬物による
昏睡状態にある女性、知的障害や性的知識の乏しい女性をだまして性交する場合などに適用される。」(大辞林)

つまり簡単に定義すれば、「酒や睡眠薬によって意識不明になり、責任能力がない女性に対する性的暴行」ということのようです。 

状況は午前1時から4時頃までに起きたようで、暴行を受けたという女性は、カードキイを忘れて外出したために、泥酔して廊下で寝ていたようです。 

うーんな状況です。これをどうとるかです。 

整理するために、状況を箇条書きにしてみます。

①女性は、本土から複数の男性と来沖した40代中年女性。
②泥酔して廊下で寝ていた。
③女性側は米国人容疑者が自室に連れ込んで、性的暴行を加えたと訴えている。
④女性の連れの男性が朝方に警察に通報した。
⑤米国人容疑者は自分はバーにいたとして、容疑を否定している。

まず①ですが、女性は充分に分別をもった年齢で、ここがかつての1995年9月に起きた12歳の少女に対する小児性愛者による暴行事件ともっとも異なる点です。

さらに言えば、島の学童ではなく、本土からの来訪者です。

次に②ですが、問題は準強姦罪が成立する条件の、「意識不明」という部分です。

沖タイの記事には、女性が「泥酔していた」とは書いていませんが、深夜にカードキイを忘れたのなら、フロントに行けばいいだけの話で、廊下で寝るというのは泥酔していた以外かんがえられません。

③から⑤までは、容疑者と女性側の証言内容が大きく違っています。

米国人男性は嫌疑を完全否認しているようです。このような場合、法的には「推定無罪」として考えねばなりません。

「推定無罪とは、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則である。」Wikipedia

つまり、被疑者は警察から犯罪を犯したとの嫌疑を受けているものの、被疑者とされても犯人だとして取り扱わないという近代法の原則です。

これは、現実の社会において、被疑者とされたら最後、絶対に犯罪を犯したに違いないとする先入観がまかり通っているために、マスコミによる決めつけ記事によって職を失ったり、転居を余儀なくされたりするよう人権侵害が度々行われたからです。

有名な誤認逮捕事件には、松本サリン事件などがあります。

沖縄の地元2紙は、この推定無罪原則を知らないようで、連日大きく糾弾記事を載せています。

Photo沖タイ3月16日より引用 https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=158804

地元紙はこれを反基地闘争の火種として点火したいようです。こんなかんじです。

「米兵の性暴力を許さない、 辺野古ゲート前で市民ら抗議」
※沖タイ3月21日http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=159580

あるいは、「姉は米兵に暴行された そして60年後の沖縄で、弟が問う」としてこのような記事が踊っています。

「沖縄は日本ですか」。本島中部に住む60代男性は問う。約60年前、まだ10代だった姉が米兵に暴行された。その後ずっと、米軍基地があるゆえに女性の尊厳が踏みにじられ続け、今月那覇市でまた同じことが起きた。怒りを胸に、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で21日開かれる抗議集会に足を運ぶ。」(沖タイ3月21日)

少しは地元紙も頭を冷やしたらいかがでしょうか。60年前の米軍統治時代の米兵犯罪と、現在を比較すること自体がズレています。

沖タイはいつもの「沖縄差別論」に持ち込みたいのでしょうが、こんな引き寄せ方をすると、かえって事件の本質が見えなくなります。

容疑者と訴えた側で証言が大きく食い違い、被疑者は「推定無罪」の状況なのです。司法から判決を下されてもいないし、立件されてもいません。

あくまでも現状は女性側が訴えたというだけで、準強姦罪が成立するかどうかは、裁判を待たねばならないのです。

にもかかわらず、一足飛びに「犯人」扱いするのは、典型的なマスコミによる決めつけ報道そのものではありませんか。

地元2紙は、予見をもって< 米国人=米兵=凶悪=犯人>という思考回路で、報道しています。

これでは、「米兵には人権などなくていい、なぜなら悪者に決まっているからだ」といわんばかりです。

そもそもこの事件は、被疑者が米海軍に勤務していたというだけで、基地絡みの事件なのでしょうか。

観光地で深夜に泥酔して廊下で寝る、:という危険な行為をどう考えるかかです。

沖タイは「ここは日本ですか」という女性の声を紹介していますが、このような事件は東京での六本木でも大阪の十三でも起こり得ます。

深夜に泥酔してホテルの廊下というパブリックな空間で寝ているという無分別な行為をしていれば、別に日本でなくてもマドリッドでも、ブリュセルでも犯罪を誘致しかねません。

また、被疑者がたまたま米兵であっただけの話で、基地とは関係のない事件に見えます。

一部では、米兵の基地の外への外出自体を完全に禁止すべきだという主張もあるようですが、米兵が観光してはいけないような言い方には首を傾げてしまいます。

それこそ、すべての米兵は性犯罪者であるかのごとき感情論です。

また、1995年の事件は、米国が1次裁判権を持ったために、日本の司法権が及ばないことが大きな問題となりました。

いわゆる日米地位協定第17条5項Cの問題です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-43d0.html

今回の事件で、米兵が米軍基地に逃げ込み、米国が先に身柄を押さえてしまったり、出国させていたのなら日米地位協定がらみの話になりますが、そうではありません。

基地は縮小すべきですし、日米地位協定は改定すべきだということを前提にして言いますが、今回の事件は基地とも日米地位協定とも無関係な事件なのではないでしょうか。

私には、1995年の女児を誘拐し、性的暴行を加えたあの忌まわしい事件とは本質的に異なるように思えます。

まだ、事件の詳細は分かっていないので、今後新たな事実が出たらお伝えします。あくまでも暫定的とお断りした上での、私の感想です。

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またもや鼻血 朝日新聞がまき散らす脳内放射能ディストピア

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いやーさすがに驚きましたね。 

また朝日新聞は「鼻血」を放射能と結びつけてキャンペーンを始めたようです。
核の神話:20福島から避難ママたちの悲痛な叫び 2016年3月19日 

ゾンビーが、わしわしと土かきわけて、墓から手を出してくるのを眺めているような気分。いえ、もちろん、この母親ではなく、朝日新聞のほうです。 

「福島から母子避難した人たちが日本社会の中で見捨てられている」という思い入れたっぷりな書き出しで、ある自主避難の母親(記事実名)の声を紹介しています。 

やや長文ですが、引用します。

「2011年3月11日の原発事故のあと、福島県大玉村の自宅から、主人と当時4歳だった娘を連れて神奈川県相模原市の私の実家に避難しました。(略)
家族が離れてまで避難する理由があるのか、決定的な証拠を出せるような知識はありませんでした。結局、最も
放射能汚染の強かった夏休みまでの3カ月を福島で生活してしまいました。
 娘が幼稚園に行くときは、なるべく肌を出さない服を着せて、マスクをさせました。バスを待っているときに、土とか葉っぱとかを触ると、子ども同士で「放射能がついてるから、触っちゃいけないんだよー」って注意しあっていたんですね。事故前はお友達のように土や葉っぱで遊んでいたのに、それを触らないようにと子ども同士で注意しあっているのは、見ていてつらかったです。

 そうこうしているうちに、娘が大量の鼻血を出すようになりました。噴出するような鼻血だったり、30分ぐらい止まらなかったり、固まりが出たり。風邪の症状はないのに発熱が続いたり、それまでにはなかった皮膚疾患が出たり。
うちの娘だけだったら気のせいかなと思うんですけど、まわりのお母さんたちの子どもたちにも、同じような症状があるって言うんですね。だんだん私は福島で子育てをする自信がなくなりました。」(前掲)

まずは、この女性が自主避難したという、福島県大玉村の場所を確認しておきましょう。 

PhotoGoogle Earth

画像右上に南相馬や双葉が見えますね。この女性のお子さんが鼻血を出して避難したという大玉村は、福島第1の西側にあり、約80キロ離れています。
 

ご承知のとおり、事故当時は東に風が吹いており、放射性物質の大部分は海の方向に吹き流されています。 

ですから、内陸部の被曝はほとんどありませんでした。

Photo_2図 福島県モニタリング検査調査 福島県HP

大玉村の拡散図です。こ覧のように、0.1マイクロシーベルト以下です。 問題にならない放射線量です。

セシウムが検出された大豆が少し出たようですが、何度も書いてきているように、農産物のリスクはその地形によって決定される要素が強いので、そのままその土地のリスクを現しません。

ところがこの田井中雅人記者は、子供に鼻血が出たと言う女性を、まるで福島事故と関連がある「社会に見捨てられた」被害者として描いています。 

Img_3797

この鼻血については、私が答えるより専門家に回答してもらったほうがいいでしょう。 

日本保健物理学会の『専門家が答える 暮らしの放射線Q&A』は、鼻血について一節設けて、こう答えています。 

「まずお子さんの鼻血と下痢について説明します。
放射線被曝によって鼻血が出るとすれば骨髄が障害されたことによる血小板の減少か、皮膚粘膜の障害によって出血しやすくなっていたかのいずれかです。
骨髄の障害による血球数の減少は500ミリシーベルトくらいから起きますが、それによる症状が出るのは1000ミリシーベルト以上です。
また皮膚粘膜の障害は数千ミリシーベルト以上の被曝がないと生じません。
下痢がおきるのも数千ミリシーベルト以上で、それも1万ミリシーベルトに近い線量を被曝しないかぎり生じません。
これらの情報は、放射線治療をはじめとする医療被曝や、過去の原子力・放射線事故の経験など、多くのデータの積み重ねによって得られたものです。
福島第1原発事故による被曝の実態が明らかになりつつありますが、どんなに過大に見積もっても、お子さんにこれほど高い被曝を受けたとはかんがえられません。
(略)
今回の事故による被曝は、身体の一部に限定したものではなく、全身被曝です。
放射能の影響だとすれば症状が鼻血だけに限定されることはなく、そもそも、全身が数千ミリシーベルトの被曝を受けています。
その場合、生死に関わる様々な症状が現れます。そしてお子さんだけではなく、大人にも症状が出るはずです。」
 

整理しておきましょう。

①放射線被曝による鼻血の発症は、1000ミリシーベルト以上の放射線を、一度に浴びたことによる骨髄障害による血小板減少
②数千ミリシーベルト以上の被曝による皮膚粘膜障害
③もしこれたけの放射線をあびたのなら、症状は鼻血などの局所にとどまらず生死に関わる全身被曝になり、他の深刻な症状を伴う。
④子供だけではなく、大人も同様の症状を発症する
⑤今回の福島事故の放射線量では、どんなに過大に見積もってもありえない
 

つまり、この母親のお子さんの鼻血の原因が放射能であったのなら、生命に関わるほどの放射線を一時に浴びた以外考えられず、その場合この母親にも同様の症状がでているはずです。

しかも子供のみならず、この地域で大人も含めて、多数の急性被曝を訴える症状が多発したはずです。

寡聞にして大玉村でそのような事例があったという話は聞きませんし、この女性自身もこう言っています。

「当時は放射能がどれだけ体に影響があるのかなんて分かりませんでしたし、そういう村の空気を感じて、私は言い出せなくなってしまいました。」(朝日前掲)

「そういった村の空気」とは、私も分かる気がしますが、騒がずに行政の指示を待つべきだという考えです。

残念ながら事故当時、民主党政権の遅れに遅れたリスクコミュニケーションの失敗によって、行政機関への信頼感は崩壊していました。

この女性をもし「被害者」と呼ぶのなら、まさにこのリスクコミュニケーションの失敗の犠牲者です。

パニックになったこの女性は、夫の制止を振り切って、家族が解体することを覚悟で、神奈川県まで自主避難してしまったわけです。

「外で遊べないストレスも強かったんで、車を2~3時間運転して山形県米沢市までわざわざ行って、娘に外遊びをさせました。福島から山形に入って、やっと車の窓を開けて深呼吸をするような状態でした。山形に入って私が車の窓を開けたら、寝ていた娘が起きてパニック状態になったんです。「ママ、なんで窓あけるの! 放射能あるのに!」って泣き叫ぶ。」(朝日前掲)

ここまで、子供を脅かしたのは、親の責任です。親の動揺が、常に親を見ている年頃の子供に増幅されて伝わったのです。

そして子供までも、どんな安全な場所でも「放射能がある。窓を開けないで」と泣き叫ぶ脳内放射能地獄に導いてしまった責任は、親にあります。

そしてこの子供の恐慌を見て、さらに親は恐怖にかられます。果てることがない、恐怖のキャチボールです。

気の毒にと思うと同時に、親として踏みとどまるべき時期を逸してしまった母親の責任も問われるべきです。

そしていまや、今の朝日が言う「社会から見捨てられた」境涯に置かれたわけです。

この女性に対しては、冷静さを失ったことによる行動とはいえ、気の毒な側面があります。

むしろ問題は、朝日新聞です。

私は事故後5年もたって医学的には完全否定されて鼻血を、ことさらに騒ぎ立てる負のエネルギーに、ある種の狂気を感じてしまいます。

かつて私は鼻血問題でこう書きました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-dda8.html

「ここに二種類の人間のグループあります。恐怖に脅えたところまでは一緒でした。
それからが違いました。
ひとつは自分の恐怖を他人で伝染させ声高にパニックを拡げることが「天命」たと思う人間たちであり、一方は黙々と目の前の脅威と正面から戦った人たちです。
どちらが人間としてまっとうな生き方なのかは言うまでもないでしょう。」

この私の思いは、今もまったく変わりません。

この母子が脳内放射能ディストピアから自由になり、早く自らの村に還って再び家族と一緒に住む道を選ばれることを祈ります。

一回解体しかかった家族の修復は、それを作った以上に大変でしょうが、それがお子さんにとってももっともいいことだと思います。

そして、朝日新聞、いいかげんにしろよ!

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f2f9.html

 

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関西電力、損害賠償の可能性に言及 

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関西電力が、大津地裁判決が覆った場合、損害賠償請求する構えであることを明言しました。 

「関西電力の八木誠社長は18日、大津地裁による高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止め仮処分決定に対し、「極めて遺憾で到底承服できない」と強く批判した。その上で「現時点では何も決めていないが、一般的に逆転勝訴した場合、損害賠償請求は検討対象になる」と述べ、仮処分決定が覆った場合、仮処分を申請した住民らに対し損害賠償請求する可能性について言及した。会長を務める電気事業連合会の定例記者会見で語った。」(産経2016年3月16日)

 昨日の続きではありませんが、公平に見てこの電力会社の方針はまったく当然の判断です。

むしろ遅すぎたくらいです。訴訟を起こされる前の事前法的抑止としてやるべきでした。 

大津地裁という裁判所はどうやら「壊れた裁判所」なので、次回の保全裁判も同じ山本善彦判事にやらせるようですから、まったく同じ内容に終わるでしょう。 

通常このような、一方が異議申し立てをした場合、別の裁判官に担当させるのが法廷の慣例ですから、いかにこの大津地裁の運営自体が常軌を逸したものかわかると分かると思います。 

そりゃ同じ山本さんにやらせたら、同じもの出すに決まってますよね(苦笑)。

それはさておき、当然関西電力は上告するので、大阪高裁に舞台は移ります。 

問題は、ここで出るはずの高裁判決ではありません。高裁レベルの上級審で、最高裁伊方判例を無視することは不可能だからです。 

むしろ問題となるのは、高裁判決がでるまでの間、高浜3、4号機は停止したままだということです。

その間、おそらく2年間。被る損害は、仮に1日5億円だった場合、停止期間730日として、約3650億円です。

なお1日に3億(東経)という異論もありますし、いや5億より多いという説もあります。

どちらにしても電力会社の経済損失を概念として把握するための数字ですので、そのつもりで。

今から言っても遅いのですが、そもそもなんの「抑止」もしないで、止まる可能性がある仮処分訴訟に臨んでしまった、関西電力がマヌケなのです。 

ちなみに、九州電力は川内原発2号炉の仮処分訴訟に対して、キッチリと事前に抑止しています。 

「仮処分が認められた場合、再稼働は遅れ、現在続いている運転差し止め訴訟で住民側が敗訴すれば、九電は仮処分の申立人に損害賠償を請求できる。
九電は仮処分の審尋で「再稼働が遅れれば、1日当たり約5億5千万円の損害を被る」との準備書面を提出。申立人が賠償に備えて担保金を積み立てるよう命じることを地裁に求めた。地裁は命令を出していないが、住民側の弁護団が申立人に賠償請求の可能性を説明した結果、約10人が申し立てを取り下げた。」(静岡新聞2015年月17日)

 川内は勝訴したので、実際に損害賠償請求はなされていないようですが、大津地裁判決のようなものが出た場合、ほんとうに請求に踏み切ったことでしょう。 

一般市民である原告にこんな超巨額な賠償請求をさせていいのか、という同情論がありますが、私は冷酷なようですが、するべきだと思っています。 

仮処分は遊びではありません。バーチャルにされては大変な迷惑を社会に与えてしまいます。

原告団は、自らが望む「原発の絶対的安全性」と、それによって生じる巨額の損失はトレードオフ(引き換え)の存在だということを、しっかり認識してから、仮処分という「凶器」を握るべきだったのです

山本裁判官もそういう覚悟をもって、この「凶器」を振り降ろすべきでした。

さて社会保障経済総研の石川和男氏によれば、関西電力のコストは、このように推移しています。 

●関西電力の電気料金値上げに係る費用の増減(2010年度→2014年度)
(1)人件費:2387億円→1970億円(▲417億円(▲17%))
(2)燃料費・購入電力料:7656億円→1兆8070億円(+1兆414億円(+136%))[燃料費のみ:3874億円→1兆2230億円(+8356億円(+216%))]〔原子力利用率:78.2%→0%)
(3)設備投資額:3610億円→3200億円(▲410億円(▲11%))
(4)修繕費:2758億円→1900億円(▲858億円(▲30%))
(5)諸経費等(消耗品費、賃借料、委託費、普及開発関係費、養成費、研究費、諸費の合計値):2756億円→2380億円(▲376億円(▲14%))

 石川氏はこう述べています。

「これを見ると、 ①原子力利用率の低下による燃料費の追加分が大きな圧迫要因であることがわかるだけでなく、②経営努力と称して人件費その他の費用をいくら削減しても、この燃料費の追加分を吸収することはできないこともすぐにわかる。」

これは、関西電力の原子力エネルギーへの依存度が高いからです。

Photohttp://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/cat_159930...

関西電力は、半分のエネルギー源を原子力に頼っています。

事故を起こした東電は約3割というベストミックスを実現しているのに対して、依存率が高すぎる結果が、関電の今の苦境を招いてしまっています。

この構造についての批判は大いにありますが、とりあえずは置きます。

というのは、眼前の関西地方の電気料金は、安全を規制委員会によって保証された原発から動かしていく以外に、解決がありえないからです。

東日本大震災をきっかけにして、国内の原子力発電所は一斉にストップしました。これは一切の法律に基づかない、当時の管首相の「お願い」によります。

結果、2011年から延々と5年間に渡って、原発は停止状況にあるのは、ご承知の通りです。

本来は、ドイツでメルケルがやったような、半分を止めて半分を動かし、その間に安全性検査をする段階的な方法を取るべきでした。

一挙に原発と名のつくものは、一切止めるという暴挙を管氏が独善的にやった結果がこうです。

Photo_2http://www.asahi.com/topics/word/%E7%87%83%E6%96%9...


原子力依存が関西電力のよりはるかに低い、東電ですらこうです。

Photo_3http://thepage.jp/detail/20140808-00000012-wordleaf

好むと好まざるとにかかわらず、原子力発電は燃料コストが少ないことで知られていますが、原子力発電で電力を供給できなければコストの高い石油や天然ガスで電気を作るしかなく、燃料費が莫大にかかりました。

それが先程の関西電力の費用にみえる燃料費の急上昇の原因です。

その結果、:国内の電力会社の燃料費負担が大きくなり、そのため電力会社が大幅な値上げを実施することになります。

電力会社は、かつて田中規制委員長が、「安全基準のハードルは世界一高くしますから、電力会社が経済的に合かどうかはわかりませんね」と言っていた安全基準に合致させようと努力しました。

巨額の安全対策をした結果、ポツリポツリと再稼働が可能になったわけですが、実はそれを楽観的に見越して、電力会社は現在の電気料金を設定してしまいました。

北海道電力は値上げ申請をしましたが、これは3年以内に泊原発3基が稼働することを期待しての料金設定です。

九州電力も同様に、川内原発などの計4基の再稼働を見越した料金設定にしています。

関西電力もまったく同じで、2013年5月に料金を値上げした際に、大飯原発など計4基の再稼働を見越した料金設定にしたと明言しています。

つまり電力各社は、かねてから「3年以内に原発が動く見通しに立って、新たな料金体系を作ったので、再稼働できなければ無理です」と言っていたわけです。

このように見てくると、大津訴訟のような仮処分が各地で連発すれば、電力会社は大震災前の電力料金に戻すことは、永久に不可能になってしまいます。

二度とこのような「法の名の下の無法」をさせないために、賠償請求をあらかじめ起こすことは、思いつき的な乱訴をさせないための重要な手段なのです。

仮処分訴訟は、一般的なデモ集会とは異なった、相手方に物理的損害を与えることを目的とした法を使った一種の「実力闘争」である以上、電力会社が防衛措置を講ずるのはあたりまえです。

判決を聞いた関経連の角副会長は、「今後このようなことができないような法改正を望む」と言っていますが、今の安倍政権はこと原子力政策にはポピュリズムを決め込んでいますから、時間がかかるでしょう。

それまでに電力会社が、電気事業法に定められた安定供給の義務を果たすためには、とりあえず賠償金の担保などのような対処療法しか方法はないのです。

原告団のみなさん、そこまでしてやりたいのなら、自分の全財産だけじゃなく、親兄弟の家屋敷や田畑まで全部担保に入れる覚悟でやりなはれ。

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日曜雑感 東電への憎しみなどからつらつらと

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ふゆみさんのコメントにお答えしたのですが、長いのでこちらに移しました。

私の東電への不信は、風評被害で徹底的にうちのめされただけに、自慢じゃありませんが、5年前には憎悪に近いものがありました。

ある農業者の知り合いから、東電本社前抗議行動を誘われたのですが、行き損ねてテレビをみると、彼が野菜を手に声限りに叫んでいました。(下の写真の男性ではありませんので、念のため)

較べてもしかたがありませんが、農業者の抗議行動は、後に大量に登場するサンバホイッスルで踊るようなものと根本的に違って、生活と生産の基盤を同時に破壊された者特有の、みっしりと怒りと哀しみが詰まっているものでした。

納屋の壁に「原発がなければ」と書いて首を吊った老農夫の心情は、私自身のものでもあったからです。

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気がつけば脱原発運動は、反原発運動と名を変えて、オスプレイ反対、特定秘密法反対、TPP反対、辺野古反対、「戦争法案」反対と、無関係な政治課題を平気で列挙するようなただの左翼運動の闇煮のようになってしまっていました。

オスプレイと原発に、一体どんな関係があるんでしょう。教えて欲しいもんです。

なにより、かつての私も飛び込もうとした当時の、切迫した具体的な「怒り」が消滅してしまっています。怒りの根源は具体性であるのに。

私が当時心底怒ったのは、自分の家族が住む土地を破壊されたと感じたからです。

だから地域の汚染の実態を知るために、自主計測運動をしました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-cb0c.html

研究者たちと、湖の周りの水系を測ってまわったのもこの時期です。

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今回の大津地裁前の人たちを見ると、この運動の生命、あるいは肉体であるはずの「具体性」が欠落しています。

とくになんだかなぁと思ったのは、「琵琶湖が汚染される」という部分です。

これは機会があったら詳述しますが、彼らが本気でそれを恐れているなら、もっとも広域な「被曝」内水面(湖)だった霞ヶ浦に来るべきでした。

しっかりと多くの実証データを添えて、内水面被曝というのは、きわめて初期に見られる限定的な現象だと教えて差し上げました。

セシウムは、非水溶性のために水に溶けずに、沈降していきます。

ですから、湖岸や河川の泥や、その底土の泥に沈着し、封じ込められます。このような現象をセシウム・トラップといいます。

むしろこの大津地裁訴訟を起こした人たちは、あの被災地の大文字焼きに「琵琶湖が汚れる」と金切り声を上げた人たちではないかと思い当たって、その瞬間、私は脱力しました。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-5e46.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-8ced.html

そういえば、この原告団がというわけではありませんが、反原発派は福島を「フクシマ」と呼び、「もう住めない、逃げろ」と言っていたような人たちではなかったのでしょうか。

当時から脱原発を言うなら、もっとも多大な被害を受けて苦しんでいるいる「被曝地」の人々、なかでも生活と生産共に破壊された農業者、漁業者たちと向き合わないでどうする、と思っていました。

今から5年前に私はこう書いています。

「私は、それ以来、私自身も原子力を人一倍呪いつつも、この人たちとは一緒になにかできることはない、と思うようになっていました。
脱原発という目的が正しくとも、あの人たちにはそれをなし遂げるのは無理だと思いました。
この人たちがやっているのは、脱原発に姿を借りた「被曝地」差別運動、あるいは単なる反政府政治運動です。」

この当時の彼らへの感想は変わらぬどころか、いっそう強くなってしまったようです。

一方、あれから5年たってデータや事実も多数出て、東電への私の見方は批判一色ではなくなってきています。

今でも、東電への怒りは、当時の清水社長や武黒フェローなどには残っていますが、彼らと戦ったのが、他ならぬ福島第1に残った吉田所長以下69名の人々でした。

彼らが命を賭して残らなければ、今、私はここに住んでいなかったでしょう。

いったん怒りを鎮めてみれば、福島事故をもっと客観的に見られるようになります。

国は政権が変わり、当時の資料はほぼ全面的に開示されています。また事故調報告書も出揃っています。

原発事故は、つまるところ、工学的視点やリスク管理・評価の視点から見なければわかりません。

感情で裁断するにはあまりに複雑で、あまりに巨大だからです。

まぁ、そういった視点から、東電についても公平に見てやろうかな、というところです。

電気料金とのリンクですが、あれは管という稀に見るバカが引き起こしたものです。

今、原発が止まっているのは、管がなんの法的根拠もなく、危険性の有無とは一切関係なく超法規的に全原発を「お願い」して停止してしまったためです。

よくある国民の勘違いですが、東電と他の電力会社を同列にしてかんがえるのは間違いです。原発依存度も違えば、炉の形式も違います。

そしてなによりも、他社は事故を起こしていないからです。

しかも今回、事故とは関係ない関西電力で、それも規制委員会がゴーサインを出して動いているものの停止です。二重におかしいのです。

ついでにいえば、福島第1のGE-1と違って、PWR(加圧水型軽水炉)ですから三重におかしい。

私はGE-1は欠陥炉だったと思いますが、だからといって、すべてが欠陥炉というわけではありません。

PWRは日常的メンテは大変ですが、シビア・アクシデント時の緊急注水はBWR(沸騰水型軽水炉)よりはるかに楽です。極端にいえば、バケツリレーでできてしまいます。

それはともあれ、5年という月日は、私の東電や原発に対して見る眼を変えていくのに充分な時間だったということです。

ああ、休みなのに書いてしまった。

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日曜写真館 ご神体筑波山に至る郷 その名も神郷

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トリチウム「汚染水」の処理は、国際条約に則った海洋放出しかない

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福島第1原発の現状について、どこをもって「事故を収束」とするか、ということですが、最長で廃炉まで40年です。 

しかし、それまでなにもしないわけではありません。 

今、とくに問題とされているのは、昨日取り上げました「汚染水」です。 

NHK(2016年3月16日)が整理してくれています。

東電の最新の現状報告書「福島第原子力発電所の最近の状況」(2015年12月11日)と共に見ていきます。 

「1号機から3号機では溶け落ちた核燃料を冷やすため原子炉に水を注ぐ必要があり、これが高濃度の汚染水となって建屋の地下にたまっています。
さらに地下水が建屋に流れ込んでいるため、当初、建屋内の汚染水は毎日400トンずつ増え続け、東京電力はこの汚染水をくみ上げて1000基に上るタンクで保管しています。」(NHK前掲)
 

この福島第1が立つ場所は、そもそも安達太良山系の湧水を集めて、大変に地下水が豊富な地点なのです。 

もちろん、建屋の下にたまっている汚染水もありますが、どちらかといえばこの毎日400トンも流入するハンパでない量の地下水に手を焼いています。 

Img_3781図 東電前掲 クリックすると大きくなります

施設を上図の左手から、崖を掘って作ってしまったために地下水に悩まされているわけですが、事故後に崖の上に地下水を汲むポンプ(青い太線)を設置しました。 

それでもなお、崖下に流れる地下水は、3カ所の「くみ上げ」と書いてある井戸からくみ上げていきます。 

とくに重要なのが崖下の井戸で、ここで止めないと、原子炉に流入して「汚染水」となってしまいます。ですから、ここでくみ上げて、なおその先に凍土壁を作っています。

「東京電力はこれまで、建屋への地下水の流入を抑える対策に取り組んできました。おととしには建屋の上流側で地下水をくみ上げて海に流す「地下水バイパス」と呼ばれる対策を始めたほか、去年9月からは「サブドレン」と呼ばれる建屋周辺の井戸で地下水をくみ上げ、浄化したうえで海に放出する対策も始めました。東京電力の試算では、こうした対策によって建屋に流れ込む地下水の量は1日およそ200トンまで減ったとしています。」(NHK前掲)
ところが、やはり問題は起きています。
ひとつは、東電は原子炉に接触しないようにした上で、浄水装置にかけて放射性物質を除去して海に放出するつもりだったのですが、せき止めた地下水の濃度が想定を上回ったため、放出が見送られたことです。

Img_3785図 東電前掲 クリックすると大きくなります
また、事故時の緊急対策として設置したタンク群の劣化も進んでいます。
福島民友新聞(2016年3月3日)によれば
「現在の汚染水発生量は1日当たり約500トン。内訳は地下水流入分が約150トン、護岸から移送した地下水分が約350トンとなっている。
 また2月25日現在、1~4号機などの建屋内には計約8万1000トンの高濃度汚染水がたまっている。」
NHKによれば、トリチウム問題が足かせになって、1日に新たに500トンの汚染水が発生し、60万トンもの「汚染水」がたまったままになっています。

「 東京電力福島第一原発では、1日におよそ500トンの汚染水が発生し、浄化設備で放射性物質を取り除いて いますが、トリチウムという放射性物質は取り除くことができないため、およそ60万トンが敷地内のタンクにためられたままになっています。 」(NHK前掲)

こうして、足止めを食っているうちに、「汚染水」は日に日に増加して、溢れんばかりになっています。
もはや、福島第1の復旧作業は、タンクのお守りではないかという自嘲すら生まれている昨今です。
Photo写真 朝日新聞2013年8月1日

そして貯めているタンクや、ホース、ポンプの劣化も進んでいます。
「東電は4年前の事故時に急増したフランジ型の貯蔵タンクが耐用年数を迎えて相次いで劣化しつつあることから、貯蔵汚染水の入れ替え作業を進めているが、設備の劣化はタンクだけではなく、今回のホースやポンプなど多くの応急的に投入された部材の劣化が随所で顕在化しつつあることがうかがえる。」F(inance GreenWatch 2015年5月19日 )

つまり、貯めておくという方法は、あくまで事故直後の浄水装置もなく、遮蔽壁もない状態でやむを得ず取った緊急措置だったにもかかわらず、事故後5年たってその限界を迎えつつあるということです。

「 こうした汚染水の処理方法について、東京電力福島第一廃炉推進カンパニーの増田尚宏代表はNHKの取材に対し、 「国の議論では希釈しての排水や、濃縮しての管理など、いろいろ案が出ている。4月以降、地元の方々と話し合い、  どういった形がいいのか決めていきたい」と話し、薄めて海に排水することを含め、どのように処理を進めるべきか、 来月以降、福島県など地元と議論を進めていく考えを明らかにしました。
トリチウムを含む汚染水の処理については、国の専門家チームで検討が進められ、薄めて海に排水する案や 地下に注入する案などが候補とされていて、地元の理解を得ながら、どのように汚染水の処理を進めるかが大きな課題となっています。 」(NHK前掲)

ここで上げられている地下注入などは、別の地下水脈に流入してしまい汚染を拡大しかねない下策です。

これ以上貯めておけない、そしてトリチウムだけに問題が絞られてきて、しかもトリチウムはそもそも非力なエネルギーしかもたない放射性物質である上に、検出量も微量です(下図参照)

ならば解決法は、世界にひとつしか存在しません。海に放出することです。これ以外にありえません。

Img_3788図 東電前掲 クリックすると大きくなります

下図は、世界の原子力施設で液体廃棄物として海に放出した、トリチウム量のグラフです。

 

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 図 海産生物と放射性物質(海洋生物環境研究所 この論文はトリチウムと海洋との関係で教示されるものをたくさん含んでいますので、必読です。

上図のトリチウムは、原子炉の運転・整備、核燃料再処理時などで発生したものが、施設外に排出されたものが大気圏や海洋へ残留したものです。

英国が最大放出国で、実に2500兆(2.5×1015)Bq/年程度、日本は6分の1の400兆(4×1014)Bq/年程度です。

このグラフには再処理施設からの放出量は含まれていないために、英仏はさらに多くなります。 

このように現在でも各国の原子力施設からは、日常的に海にトリチウムが放出されています。 

●各国のトリチウム海洋放出量
・英国(セラフィールド再処理施設)・・・年間1390兆ベクレル(2010年値)
・フランス(ラ・アーグ再処理施設) ・・・年間9950兆(2010年値)
・カナダ(ブルース原発)       ・・・年間1180兆(2012年値)

 これはロンドン条約で認められた、唯一のトリチウム解決法です。ロンドン条約を押さえておきます

「ロンドン条約 1972年は、海洋の汚染を防止することを目的として、陸上発生廃棄物海洋投棄や、洋上での焼却処分などを規制するための国際条約。」
ロンドン条約 (1972年) - Wikipedia

なお、放射性物質の放出は同条約で禁止されているという反原発派の説がありますが、正確ではありません。(欄外参照)

ロンドン条約は、船舶からの海洋へ処分する行為等を禁じていますが、原発施設からの放射性排水の海洋への計画放出は対象に なっていません。

ロンドン条約で許されたトリチウム濃度は6万ベクレル/ℓで、これ以下ならば放出することが国際的に認められいます。

よくある勘違いに、福島第1で事故処理に失敗したから漏れだしているのだろうという誤解がありますが、まったく違います。 

他の国内原発でも、以下の放出がなされています。
 

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図 各原発からのトリチウム海洋放出の年平均値(2002年度~2011年度)平成23年度  原子力施設における放射性廃棄物の管理状況(2012年8月) 

沸騰水型の最大放出施設は、大飯です。全原発の合計では年間で380兆(3.8×1014)Bq/年で、世界では少ない方に属します。  

放射線の専門家である海洋生物環境研究所の御園生淳氏、富山大学水素同位体科学研究センター長松山政夫教授の意見を紹介しておきます。

①水として摂取しても10日くらいで半量が排泄されてしまうので内部被曝の可能性は低い。
②トリチウムの出す放射線量のエネルギーが低いので、外部被曝はありえない。
③毎日100ベクレル/㎏のトリチウムを含む食物を1年間食べた場合の摂取量は、0.0015ミリシーベルトで、,セシウム137の約千分の1ていどで比較にならない。
④トリチウムは何かに濃縮することがないために生物濃縮は考えられない。

もし、今後、福島第1から、トリチウムを含んだ「汚染水」を放出するなると、以下のルールに則って行われことになります。  

原子力施設のトリチウムを告示濃度限界の6万ベクレルまで希釈してから、海に計画放出し、拡散させます。  

これは先の述べたロンドン条約の国際ルールに則っていますから、文句を言ってくる国は韓国以外にないでしょう。

いや韓国も重水炉を持っているために、アジア最大のトリチウム放出国でしたっけ(笑)。 

漁業関係者は風評被害に痛めつけられて来ましたから、粘り強い説明が必要でしょう。  

外国の専門家は、このわが国の汚染水対策に同意しています。  

訪日したスリーマイル島事故を経験したNRC元専門家も、「直ちに海へ放出すべきだ」と助言しています。  

いずれにせよ、完全廃炉になり、使用済み燃料棒の処分が終了する時まで、冷却水は止められませんから汚染水は出続けます。

私はかねがね常に言ってきたことですが、事故処理に原発賛成も反対もまったく関係ありません。

もはや反原発はイデオロギーになってしまったようですが、願わくばイデオロギーの眼鏡で事故処理を見てほしくはありません。

広く世界でどのようなトリチウムの処理がなされているのかを知ってから判断すべきなのに、原発反対だから汚染水処理を止めろと言っているようにすら聞こえます。

というか、実際そう言っています。 近視眼も極まれりです。

どうも、彼らの声を聞いていると、凍土壁が失敗しそうだと手を打って喜び 、タンクが漏れると万才を叫んでいるようにすら見えます。 破滅願望なのでしょうか。 

反原発主義者にしても、このままタンクが溜まるだけ溜まって処理不能になり、炉の冷却水の循環もできなくなることが望みではないと思うのですが。

 

福島第一原子力発電所における汚染水の放出措置をめぐる国際法(西本健太郎 東大特任講師)
「海洋と放出とロンドン条約ロンドン条約は1975年に発効し、高レベル放射性廃棄物の海洋投棄が禁止された。以後この条約の下で実施されていたが、1982年の第6回の会議で、海洋投棄に関する科学技術問題を再調査し、その結論が出るまで投棄を一時停止するという提案が行われたことから海洋投棄は一時中止することになり、この年以降は実施されていない。その後、1993年の第16回会議で、放射性廃棄物の【船からの】海洋投棄は全面的に禁止となり、1996年には海洋投棄規制を強化するための議定書(1996年の議定書)が採択され、2006年3月に発効、日本は2007年10月に批准している。」

※参考文献 
ポストさんてん日記 トリチウムとは?危険性は?海洋放出量の基準値は?
海産生物と放射性物質(海洋生物環境研究所
トリチウム流出の影響  福島第一の地下水(安井至教授の市民のための環境学ガイド2013/8/10)
・原子力資料室
http://www.cnic.jp/knowledge/2116?cat_id=1
・医療での自然放射線安全にお答えします
http://trustrad.sixcore.jp/tritium-2.html

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福島事故が「収束」していないってホント?

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今回の大津地裁山本判決のバックグランドになっているのは、東京新聞(2015年9月20日)によれば、この3点セットのようです。

①原発の安全対策、とくに事故時の原発の安全対策、事故時の住民避難などの防災対策が不十分
②原発から出る核のごみの処分方法が決まっていない
③福島第一原発事故が収束していない

この③の「福島第1の事故は収束していない」という人たちのサイトへ行くと、明日にでもハルマゲドンが来ると泣き叫んでいます。 

たとえば、衝撃! 福島原発第一の怖い現状! - NAVER まとめなんかだけ見て生きている方にとって、福島第1の現状は、「もうお手上げ原発汚染水」「再臨界している」ということのようです。

この人たちにとっては再臨界=核爆発を意味していますから、都知事選に出た細川氏が言っていたように、「ロシア軍の情報によれば、福島で事故後に再び核爆発があった事実がある」そうで、おおコワ。

いえ、再び起きた「核爆発」ではなくて、言っている人の脳味噌のほうがですが(笑)。

まぁ、細川さんのいう「核爆発」は論外として、確かに「汚染水」の流出は止まっていません。河北新報(2015年12月19日)です。※河北新報を福島と表記してしまいました。もちろん宮城です。ご指摘に感謝します。

「東京電力福島第1原発で発生する汚染水が1日300トンから600トン程度に増加していることが18日、分かった。汚染地下水の海洋流出を防ぐ海側遮水壁の完成後、岸壁に近くトリチウム濃度が高い井戸「地下水ドレン」の水位が想定を超えて上昇。くみ上げて原子炉建屋に移送する量が増えたのが原因という。」

Photo河北新報前掲

汚染水の出所は3カ所です。

①原子炉の冷却系の循環水
②汚染水貯蔵タンクからの漏水
③流入する地下水

これら3ルートはいずれも汚染の濃度の差があっても放射性物質を含んでいる可能性があるので、浄化装置にかけねばなりません。

やっかいなのは、福島第1が、地層を15メートルほど掘って作られているために、施設近辺に豊富な地下水脈があることです。

1日約1000トンの地下水が流入し、それを井戸を掘って施設に行かないようにバイパスさせても、その8割から9割は施設地下に流入し汚染水となりますから、ALPS(多核種除去装置)を稼働して浄化を続けねばなりません。

施設を囲む凍土壁で止めようとしていますが、私はうまくいくか疑問に思っています。

いずれにしても、原子炉の冷却は止めるわけにはいかないので、完全廃炉の日までALPSを稼働させ続けねばならないことになります。

脱線しますが、山本裁判官などは、再稼働をとめればなんか「安全」だと勘違いしているようですが、運転停止しても原子炉は休みなく冷却し続けねばなりません。

また、使用済み燃料プールもおなじように、稼働せねばなりません。

ですから、再稼働停止で、原発のリスクをなくしたことにはまったくならないのです。念のため。

それはさておき、このALPS浄化装置が除去できない唯一の核種が、トリチウムです。

したがって、汚染水問題は詰まるところ、トリチウムの問題に帰結します。

どうやら反原発派の皆さんに言わせれば、トリチウムは放射能汚染水としてドバァ~と毎日でているので、「事故は収束していない」ということのようです。

では、「反原発の巨人」・小出裕章さんにご登場ねがいましょう。
※小出裕章ジャーナル2014年12月13日http://www.rafjp.org/koidejournal/no101/

「ALPSが動いたとしても、取り除けない放射能というのはありまして、例えばトリチウムという名前の放射性物質はALPSは動こうと、他の浄化装置が動こうと、全く取り除けません。ですから、結局そのトリチウムに関しては、何の対策もとりようがありませんので、いつの時点かであれ「海に流す」と必ず彼らは言い出します。」

その通りです。ALPSでもトリチウムは除去できません。

しかし例によって、運動家的学者特有の、「嘘は言っていないが、隠していることがいっぱいある」という類の言辞です。

小出さんはトリチウムなんか、その気になれば飲めるくらい安全なことを知っているはずです。知らなければ、原子力学者の同業者からバカ扱いを受けます。

しかし、それを言えば、事故は山場をとうに乗り越えて、いまや後始末に入っていることを認めねばなりません。すると反原発運動がしぼんでしまいます。

だから運動をダラダラするためには、「汚染水が止まらない以上、福島第1はまだ危険な状態なんだぁ」と叫びつづけにゃならんのです。

無知なマスコミも同調してくれますしね。(テレビ局や新聞社には科学記者がいないのか)

では検証してみましょう。

ALPSは核種のほぼすべてを除去します。

下図は対策会議のデータです。全部ND(検出されず)です。

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・γ核種(45核種)・・・検出限界値(ND)未満にまで除去
・β核種(8核種)・・・5核種までが検出限界値(ND)未満にまで除去
・Sr-89(ストロンチウム)、Sr-90、Y-90(イットリウム)については、告示濃度以下

しかし、唯一例外があります。それがトリチウムです。これだけはどうしても除去できないのです。

なぜなら、トリチウムは微量の放射性を帯びた「水」で、水の中の「水」はとりようがないからです。

だから小出さんか鬼の首をとったように言うとおり、汚染水浄化装置では、「対策のとりようがない」ところまではほんとうです。

もちろん、除去する以外の解決方法はあるのですが、もちろん小出さんは知っているくせ巧妙に沈黙しています。このあたりが運動家だなぁ。

その解決方法については後述しますが、その前に、トリチウムとはどんな存在なんでしょうか?

トリチウムとは、三重水素(H3)です。昔は重水と呼ばれていました。水素の同位体ですから、人体の中では水素の化学形である「水」の形をとっています。(※炭素結合形態もあります)

とくに流出した「汚染水」を飲まなくても、既に地上生物の体内の水にはトリチウムが含まれていて、およそ1ベクレル/ℓだといわれています。

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図  自然放射線による日本人の平均被ばく量2.1mSv/年の内訳

トリチウムは自然界にあるものなので、人体内にもわずかですが存在します。人体内には50ベクレのトリチウムが存在しています。

そして、毎日オシッコで10日間ほどで、体外に排出されています。

このようにトリチウムは、水や大気に取り込まれて存在します。

ただし「存在」していても、セシウムやストロンチウムのように特定の食物や内臓諸器官に残留せずに、水や大気に混ざって存在しているところが、他の放射性物質と大きく異なる点です。

これは大気圏上層で、一次宇宙線という高エネルギーによって生成されて地上に降り注ぎ、その過程で二次放射線に含まれる中性子が窒素(空気)と反応してトリチウムが生成されるからです。

この量はバカバカしく多く、127.5京といわれており、海、湖、川など以外にも水蒸気にも含まれています。

まぁ要するに、人類の生存圏のありとあらゆる「水」に含まれるといっていいでしょう。

さて、ALPS除去設備が除去できなかったのは、凶悪だったからではなく、要するに限りなくただの「水」だったからにすぎません。 

なんでこんなもんを怖がるのでしょうか。ストロンチウムならまだ分かりますが。

確かにトリチウムが「放射能汚染水」というのはウソではありませんが、正確ではありません。

除去できずに出ているのは、限りなくただの「水」ですから。

では、小出さんが批判するように「海に流す」のはまずいのでしょうか。

いや、逆です。小出さんが知らないはずがありませんが、それが正しい解決方法なのであって、むしろ海への放出する方法こそが、世界のルールなのです。

これについては、長くなりましたので、明日に続けます

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リスク管理は「事故は必ずまた起きる」が大前提だ

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素朴な問いから始めます。 

いったい原発事故というのは、「人為的ミス」なのでしょうか、それとも「天災」なのでしょうか? 

実は、ここにはヘンなねじれが存在します。 

人為説とは、東電主犯説のことです。 

たとえば、この立場をとる人たちが口を揃えて言うは、東電は869年の貞観地震がまた来るという専門家の意見を無視して、なんの調査もせずに宮城県沿岸に原発を建てたのだからとんでもない奴らだ、というものです。

一例を上げます。毎日新聞(2011年3月26日)はこう主張しています。

「東京電力福島第1原発の深刻な事故原因となった大津波を伴う巨大地震について、09年の経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたことが分かった。
東電は「十分な情報がない」と対策を先送りし、今回の事故も「想定外の津波」と釈明している。専門家の指摘を軽んじたことが前例のない事故の引き金になった可能性があり、早期対応を促さなかった国の姿勢も問われそうだ。(略)東電の武藤栄副社長は3月25日の会見で「連動地震による津波は想定し
ていなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電の対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスクも考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。
『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す」

ちなみにこの記事が出た2011年3月といえば、まだ事故の真っ只中で、原因究明もなにも実態さえよく分からない時期です。 

既にこの段階でマスコミの一部は、東電が主犯だという世論誘導を始めていたことがわかります。 

ならば、事故人為説なんですから、東電のような「悪人ども」にやらせずに、「正義の人」が運転すれば、原発はいきなり安全なものになってしまうという逆説にたどり着いてしまいます。

ひと頃の反原発派の主張は、このカン氏の煽動もあって東電悪玉説一色でしたが、さすがにどこかでまずいと気がついたのでしょうね。 

事故後しばらくして、原子力規制委員会が出来、反原発派の色彩の強い田中俊一委員長が仕切るようになると、これはまずい、このまま人為説を取っていると、新安全基準をクリアした原発から再稼働始めてしまうぞ、と気がついたわけです。 

そこで出てきたのが、現行バージョンの「天災不可避論」です。 

東日本大震災規模以上の災害が起きたら、新安全基準なんかコッパミジンだぞ、というわけです。 

そうなったら、1000ガルを超える振動が来るんだから、原発なんかグチグチャに壊れて、日本は誰も住めなくなるゾ、というわけです。 

法律的にもっともらしく書いていますからだまされますが、樋口判決も山本判決も大同小異で、「ハルマゲドンが来たら、原発があったらみんな死ぬんだぁ。死にたくなかったら原発を止めろぉぉぉ!」ということにすぎません。

Photohttp://www.athome-academy.jp/archive/engineering_chemistry/0000000155_all.html

話を戻しましょう。 

では、改めてお聞きします。福島事故は人為でしょうか、天災でしょうか? 

私はどちらでもないと思います。強いて言えば、天災的要素8分、人災的要素2分といったところでしょうか。 

事故は必ず起きます。それはヒューマンエラーかもしれないし、大天災かもしれません。

いずれにせよ、各々のケースでシミュレートしていけばいいのであって、大前提として「必ず事故はある」という前提から、議論を進めないとダメです。 

さて事故から4年たった2015年4月に、朝日が畑村洋太郎・元政府事故調査委員長のインタビューをとっています。
http://webronza.asahi.com/science/articles/2015032600003.html 

ちなみにこの時期は、吉田所長証言歪曲報道に対して、政府が調書を公開してしまったために、朝日が七転八倒していた時期です。
※吉田証言歪曲報道については関連記事全4回
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-f908.html 

畑村氏はまず、議論の前提から語り始めます。

「僕は原発について、事故は必ず起こるものだと思っていました。それほど確信があったわけではないけれど、薄々思っていました。そしたら、やっぱり起こったな、という感じがするんです。
 大事なことは、どんなに考えても、考えられない部分というのが残るんだ、ということです。どんなに考えても気付かない領域が残る。これを別の言葉で言えば、事故は必ずまた起こります、と言うことです。
事故が起こるから原発がいけないとか、そんなことをいいたいんじゃない。
ものの考え方の上で、事故は起こりませんと言い切ってしまうようなあのやり方、それを国民もテレビも新聞も今も求めているけれど、それは間違いだと思っているんです。」

まさに「失敗学」の泰斗・畑村氏だけあります。そのとおりです。 

福島事故は多様な総括がありますが、私はもっとも問われなければならないのは、「原発は事故を起こさない」という偽りの原発神話です

それについて、畑村氏はこう述べています。

「みんな自分の見たいところだけを見ていて、全体として考えなくてはいけないことをすっかり忘れていた。
そういうものの見方でやっていると、1番大事なことを見損なうぞ、と僕は思っていました。そしたら、ちゃんとその通りになったんですよね。それが、福島第一原発事故なんです。
僕の結論は、原子力の人たちって、自分の見たいところだけを見ているということ。全部を見ることには全く無頓着だったと思います。」(前掲)

「原発は安全である」という思想、あるいは病は実は、当時の立地反対を叫ぶ反原発運動に悩まされていた電力会社が作り出した虚像でした。

Photo_2http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c10e70ccb1b0d546ed7a4720072c020c

当時私は、高木仁三郎氏に強い影響を受けた反原発派サークルを主宰していました。

福島事故後の今と違って、当時の反原発運動は、政治党派の介入もなく、妙な煽りをしないでコツコツと原子炉について学ぶという「高木学校」運動をしていたわけですが、既に建設反対運動はそこここで燃え上がっていました。

皮肉にも、かつては極初期の反原発派だった私は、福島事故後に徐々に彼らから離れ、いまやご承知のとおりです(苦笑)。

今でも高木氏が事故当時ご存命なら、あんな反原発派のファナティックな暴走はなかったのに、と悔やまれます。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-98c1.html

それはともあれ、建設反対運動の中で出てきた主張が、「原発は絶対に危ないに決まっているから、断固反対」というものでした。

するとどうなるかと言えば、原発を立地したり、原子炉を動かす立場の電力会社は「絶対に安全です」と言い続けることになります。

そのあたりの雰囲気を示すエピソードがあります。

1999年9月30日の茨城県東海村JCOの臨界事故では、作業員のミスによって死亡者2名、重症者1名を出す大事故でした。

JCOは住宅地にありながら、周辺に安定ヨウ素剤を配布していないことが後日の調査でわかります。

私の住む地域にも近く、私も、近隣のモニタリングポストに走った記憶があります。

後に来日したフランスの原子力関係者が、わが国の関係者にこのことを問うと、このように答えたそうです。

「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。

このフランス人原子力技術者が、激しくのけぞったのは言うまでもありません。

これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが、完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。

日本原子力技術協会の前最高顧問だった石川迪夫氏が、こんな話を述べています。 

1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。

「そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」

とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるように、日本において「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちていたのです。

これが日本の原子力村の支配的「空気」でした。

これは「事故を言葉にしただけでも事故になる」、という言霊信仰である「原発安全神話」へとつながっていきます。

畑村氏はこう言います。

「原子力をやろうと思う時に、原子力は反対ですということだけを言う人たちがいたら、その人たちを黙らせるのには何がいいのか。安全ですというのしかない。だから、原子力は安全ですっていうのを言い出したのでしょう。
 でも、面白いよ。原子力は安全でしたって、誰が言い出したかって、ふた開けてみると、らっきょうの皮のようなもので、芯がない。俺が言い出したって言う人は誰もいない。安全だから事故はないのかと言うと、事故はありませんとは誰も答えていないんだよ。
 でも結局、事故はありますと言った専門家のところには、チャンスとかお金が行かない。干されちゃう、という格好で、安全神話が作られていったという気がしますね。」(前掲)

原子力事故が起きたらどうするか綿密に積み重ねて初めてその先に「安全」があるのであって、あらかじめ「原発は事故を起こすはずがない」では、個別具体の安全性対策が改良・進化していくはずもありません。 

そしてこの「原発安全神話」を後押ししたのが、先程述べた逆な立場から「絶対安全」を掲げる反対運動でした。

反対運動は、この樋口裁判官や山本裁判官のように、完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスを生む結果になってしまいました。

つまり、原発推進派と、反原発派は共犯関係にあるのです。

この奇妙な相互依存関係について畑村氏はこう述べています。

「-推進側だけでなく、社会の共同作業としてつくったと。
そうに決まっているよ。だから、推進派だけが言い出したことだと片付ける人は、自分は加担していなかったと言いたいから、推進派がやっていたことのように言っているだけ。どちらも原発の危なさを自分の問題として捉えようとしなかったという意味では、推進派も反対派も僕には同じように見える。
事故はこれからも必ずあります。今まで起こったものと同じものを繰り返すような愚かなことはしないという、決意をしなくてはいけない。だからといって事故がないというのは言い過ぎです。」(前掲)

 福井地裁判決と、今回の大津地裁判決は、また新たな「ゼロリスク神話」を作りだすことによって、福島事故後にようやく芽生え始めた「原子力のリスク管理」そのものを全否定しようとしています。

この人たちは、「いかなる安全対策も無効」という絶対的「天災不可避説」を取る以上、原子力規制や、対策などは考慮する余地なく、「説明・疎明が足りておらず、信じるに値しない」のです。

このような「ゼロリスク論」は、いまや「原発安全神話」が自滅した後の現在、きわめて危険な考え方なのです。

■追記 保全審理も山本裁判官のようです。うひゃー。最高裁事務総局、なんとかしろよ。司法の信頼が吹き飛ぶぞ。

「関西電力高浜原子力発電所3、4号機(福井県高浜町)の運転差し止めを命じた大津地裁の仮処分決定で、関電が決定の取り消しを求めて申し立てた保全異議の審理を、決定を出した山本善彦裁判長が引き続き担当することがわかった。
 仮処分を求めた住民側の弁護団が16日、明らかにした。
 大津地裁によると、裁判官は3人で、山本裁判長ら2人が継続して担当する。同地裁には民事部が一つしかなく、一般的に裁判長を務める部総括判事は山本裁判長のみという。山本裁判長は、関電が申し立てている仮処分決定の執行停止も判断する。
 民事保全法によると、仮処分は、暫定的な措置を決める民事上の手続き。保全異議審は、当事者双方が立ち会うことができる審尋などを経なければならず、より厳格な立証によって審理されることになっている。
 ただ、裁判官の人選については同法にも規定がない。過去には裁判所の事情によって同じ裁判長が担当した例もあるが、裁判所関係者によると、別の裁判長に代えるのが通例という。」(読売3月16日)

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大津地裁運転差し止め判決 その4 法衣を着た放射脳オバさんと化した山本裁判官

065

「安易な再稼働」という人が、マスコミを中心にしてよくいます。 

再稼働というと、対語のように「安易」をかぶせないと気が済まないようです。

東京新聞(2015年9月20日)は世論調査の形を借りて、この3ツを「安易な再稼働」の原因だとしています。

①原発の安全対策、とくに事故時の原発の安全対策、事故時の住民避難などの防災対策が不十分
②原発から出る核のごみの処分方法が決まっていない
③福島第一原発事故が収束していない

さて問題は、①の原発の安全対策ですが、山本判事がもっとも力点を置いたのは地震対策でした。 

山本裁判官は判決の「争点3」でこう述べています。
※http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/b6c5742c4f89061d95ceb8a0675877e2.pdf 

「基準地震動Ss-1の水平加速度700ガルをもって十分な基準地震動としてよいのか、十分な説明及び疎明がされたとは認められない」(50頁) 

Ssと書いてあるのが基準地震動のことです。

まずは、用語から押えておきましょう。基準地震動の定義は以下です。

「原発の設計の前提となる地震の揺れで、原発ごとに異なる。周辺の活断層などで起こりうる大地震を想定して、地盤の状態を加味し、原発直下の最大の揺れを見積もる。
これをもとに原子炉、建屋、配管などの構造や強度を決める。単位はガルで、1ガルは1秒ごとに1
センチずつ加速すること。地球上で物が落ちる時の加速度(重力加速度)は980ガルで1Gともいう」  (2011年6月14日  朝日新聞)    

つまり、原発施設によって異なる地盤を考慮して、起こりうる大地震の最大の揺れの基準値のことです。

え、全国一律ではないのって。はい、そりゃそうでしょう。原発建屋が立っている場所の地層は、場所により異なっています。  

地層が軟弱な場所では、地震の揺れは大きいでしょうし、岩盤の上に立てられれば地震には強いでしょう。  

ですから、個別の原発によって想定される最大震度は違っています。  

この基準地震動は、2006年の耐震設計審査指針改定から適用されており、原発の耐震性能を評価する揺れの大きさを加速度で表現したものです。

Photo入倉孝次郎京都大学名誉教授http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/taisaku/katsudo.html

原子炉の耐震工学が専門の入倉孝次郎京都大学名誉教授は、『原子力発電所の耐震設計の中でこう述べています。
原子力発電所の耐震設計のための基準地震動 - 入倉孝次郎研究所

「地震動の策定については、「『施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があり、施設に大きな影響を与えるおそれがあると想定することが適切な地震動』を適切に策定し、地震動を前提とした耐震設計を行うことにより、地震に起因する外乱によって周辺公衆に対し、著しい放射線被爆のリスクを与えないようにすることを基本とするべきである」としている。
さらに、「残余のリスク」の存在について、「地震学的見地からは、上記のように策定された地震動を上回る強さの地震動が生起する可能性は否定できない。このことは、耐震設計用の地震動策定において、『残余のリスク』が存在することを意味する」と記されている」 (1頁)
 

例によって、専門家の技術論文は、私たち一般ピープルには暗号ですが、この部分は明解です。 

ここで、入倉教授が言っていることはこうです。 

「仮に基準地震動を策定しても、それを上回る強さの限界的地震動が来る可能性は否定できない。だから、そのような『残余のリスク』を想定して耐震設計している。」 

つまり、基準値地震動=耐震限界値ではありません。かならず倍数の安全率をかけて耐震設計されています。  

これを知らない山本裁判官や樋口裁判官などは、「基準地震動にあってはならない地震が来たらどうするんだ。だから、新安全基準は緩すぎる」と言い出しています。 

まったくの素人考えにすぎません。入倉氏はこう答えています。

「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われることがあるが、そうではない」
「平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある」
(福井新聞2015年4月15日)

事実、4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が、2005年以後10年足らずの間に到来しています。  

福島第1原発においても、基準地震動を越える揺れが襲いました。 

001 図 宮野廣法政大学教授による 単位ガル クリックすると大きくなりますhttp://www.gepr.org/ja/contents/20140630-02/

上図は、宮野廣法政大学教授『福島原発は地震で壊れたのか』から引用したものですが、最大の加速度は、いずれも基準値地震動の平均460ガルを超えています。 

最大に超えたものは、2号機で南西方向に550ガル、3号機で507ガル、5号機で548ガルです。

さらに震源域に近かった女川では基準値580に対して636ガルで、ここも実測値が基準地震動を上回っています。

実は東日本大震災以上の大きな振動が発電所を襲ったケースに、2007年の中越沖地震動があります。

東電は地層の褶曲構造によって、施設内に大きな影響が出たと説明しています。

Photo_2 地質調査と基準地震動|柏崎刈羽原子力発電所|東京電力

実際に柏崎刈羽原発を襲った実測震度です。カッコ内が基準地震動です。比較してみてください。

002_3 宮野教授による 前掲

 

Photo_3 東電資料 前掲

いずれの原子炉も基準地震動に対して約50%、最大の2号炉では273ガルの基準値に対して、実に3倍の680ガルが襲っています。

この激震に対して、各原子炉は正常にスクラム(緊急運転停止)しています。後の配管の調査でも破断は認められていません。

しかし公平にみれば、東電はこの柏崎刈羽の教訓にもっと学ぶべきでした。

柏崎刈羽では、2700カ所以上の機器類の破損があり、3号機の起動変圧器は炎上し、外部電源も一時的に失われています。

ただし、非常用ディーゼル発電機が正常に起動したために、事なきを得ています。 

しかし起動後も電力不足状態が続き、タービン駆動給水ポンプを動かすために補助ボイラーが起動しましたが、1から5号機と6,7号機でそれぞれ一台しか使用できないようなシビアな状況でした。

そのため4号機の冷温停止には、丸2日かかっています。

東電はこの柏崎刈羽で経験した地震による全交流電源の停止(ステーション・ブラックアウト) という事態を、もっとシビアに総括して、今後に生かすべきでした。

そうしていれば、福島第1で簡単に水没する場所に予備電源エンジンを置くなどという失態をせずに済み、福島事故は起きなかったことでしょう。

このように、柏崎刈羽の例をみればわかるように、原発施設自体は基準地震動の3倍の振動にも耐える能力で設計されているのです。

原因はひとえに、外部電源の停止と、予備電源の水没による全交流電源喪失です。

福島第1原発の調査報告はこう記しています。

① 政府事故調報告書では、原子炉圧力容器、格納容器、非常用復水器(IC)、原子炉隔離時冷却系、高圧注入系等の主要設備被害状況を検討している。津波到達前には停止機能は動作し、主要設備の閉じ込め機能、冷却機能を損なうような損傷はなかったとしている。

② 民間事故調報告書では、津波来襲前に関して、地震により自動停止し未臨界を維持したこと、外部電源を喪失したが非常用ディーゼル発電機(EDG)により電源は回復したこと、その間にフェールセーフ(安全装置)が働きMSIV(非常用炉心冷却装置)が閉止したこと等、正常であったことが述べられている。

③東電最終報告書では、1号機~3号機について地震による自動停止と、自動停止から津波来襲までの動きに分けて評価している。前者は各プラントとも地震により正常にスクラムしたこと、外部電源喪失したがEDGにより電圧を回復したこと、EDG起動までの間に原子炉保護系電源喪失しMSIVが自動閉したこと等の結論を得ている。(宮野論文前掲)

 唯一、反原発派が主導権を握った国会事故調のみが、「配管の損傷に起因すると考えられる直接的なデータは認められないものの、可能性はないとはいえない」という文学的なことを言っています。

「可能性はないとはいえない」ですか、笑っては悪いが、工学系の論文が書くこっちゃないね(笑)。まるで不可知論だ。

そりゃ確かに、リスク評価において0はありえないから「可能性はないとはいえない」ですが、それ以上に大きな原因があったでしょう。

そう、デーゼル予備電源の水没です。とくに配電盤がやられて、全交流電源がオシャカになったのです。

この反原発志向の人たちはどうしていつまでも、未練がましく地震説をとるつもりなのでしょうか。

そもそもこの基準地震動など、しょせんは人間が定めたひとつの「数字」にすぎません。

斑目さんが安全委員会の委員長だった時に、国会で「いちおうの目安で決めた」といっているくらいに腰だめな数字です。

しかし、これがないと設計ができないので、とりあえず設定しているていどのニュアンスの基準値です。

ですから当然のこととして、人間の知見という狭い幅で決めたのですから、山本判事がいうように「超える場合もある」でしょう。そんなことは、あたりまえです。

超えるから、安全率をかけて設計されているのです。  

だからこそ、原子炉の格納容器、配管などが現に基準地震動を超える地震に耐えたのか、耐えなかったのか、という事実認定のほうが重いのです。

何度言っても、反原発原理主義者の硬化した頭脳には分からないようですが、福島事故の原因はあくまでも津波による予備電源の水没です。  

それは4つある事故調報告書が、国会事故調を除くすべてで一致して出した結論です。

なにが「原因究明は道半ば」だってーの。読んでから言え。  

この山本裁判官は、法衣を着た放射脳オバさんにすぎません。

けっきょく、彼が仰々しく書いている判決文など、こんなていどのものでしかないからです。

「うわー、また地震か来るゾォ!700ガルなんかぬるい。いや1250ガル超が来るかもしれないんだ。それに耐えるゲンパツなんかありっこない。だから全部止めろ。いや、このオレが止めてみせるゾ!」  

リスクは常にあります。すべての事象には、何事につけ「想定外」はつきものです。

入倉さんが「残余のリスク」といっているのがそれで、耐震設計などはまさに、この「残余のリスク」をいかに管理するかの設計哲学によって作られているといって過言ではありません。

だからこそその「残余のリスク」をいかにして減らしていくか、「想定外」が来た場合それをどのようにして極小化できるのか、というリスク管理が大事なのです。

これが工学系の考える万が一事故が起きても、さまざまな方法でシビアアクシデントにならないようにブロックする深層防御です。

この方法は今回の安全基準に盛り込まれています。 

一方、山本判事のような「ゼロリスク論」は、津波だろうと、地震だろうと、はたまた人為的ミスであろうと、初めから「危険性が万が一でもある」からダメだ、ダメだからダメだ、という循環論法的な考え方をします。 

「ダメだからダメ」という全否定の考え方に立つ限り、現実に原子炉を運営する立場の専門家や、電力会社とは「会話」そのものが成立しないでしょう。

だからいくら電力会社が何万ページもの文書で説明しようとも、「説明及び疎明は不十分」で終わってしまうのです。

そもそも、山本さんは、聞く耳をがないんですから無駄です。

こんな判決によっては、日本の原発の安全性は一歩も進化しません。

それは、かつてあった「原発は絶対に事故を起さない」という原発安全神話の、単純な裏返しとしての「原発絶対危険神話」でしかないからです。

 

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大津地裁運転差し止め判決 その3 日仏原子力規制を比較してみると

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大津地裁山本判決を、「規制委員会の独立性」に対しての侵害行為という視点で見ています。 

どうもよく分からないのですが、反原発派の皆さんは原子力規制委員会なんて、しょせんは政府の犬だから、こんなもの要らないと思っているようです。

だから、この山本判事のように「700ガルは低い」みたいなことを平気で言い出します。

こういう規制委員会の独立性を、ひんぱんに司法の名の下で犯すことが常態化すれば、規制委員会もその安全基準も空洞化していくことになります。

だって、仮に2年3カ月の審査を経て、4万頁におよぶ膨大な資料を積み上げ、巨額な安全対策をして運転が認められても、一瞬で運転停止できちゃうわけですからね。

それもサラ金が債務者を追い込む武器にしていた「仮処分」なんてもので、止められてしまうことができるのですから、もう規制委員会も安全基準もいらない、ということになっていきます。

このような反原発運動からの規制委員会の独立性への侵害行為が続けば、当然、推進派のカウンターが生じます。

今の田中委員長体制はそれでなくても、審査期間が長すぎる、地震について思い入れが強すぎる、ひょっとして隠れ脱原発派の巣窟じゃないのか、というブツブツ言う声が、経産省資源エネルギー課あたりから聞こえてきそうな存在なのです。

経産省の「長い手」が伸びてきても少しも不思議でない時期に、こんな判決が続けばどうなるかは目に見えています。

あのね、反原発派の皆さん、あんたらのやっていることは、逆に原子力の安全性監視・規制体制を揺るがしているのですよ。分かってやっているのかな。

まず、そのためには、規制委員会-規制庁の仕組みを知らねばなりません。

私は、かねてから原子力監視規制機関は、徹底的な独立性を担保されなけれダメだと思っていました。

原子力エネルギー推進機関と、規制機関は完全に分離され、いかなる支配も受けてはいけません。

さもないと、審査に手心が加わるからです。

結論からいえば、現在の原子力規制委員会-規制庁は、福島事故前の経産省の外局でしかなかった安全・保安院よりはるかに独立性は高いとはいえ、まだまだ完全独立を果たしたとは言い難い過渡期にあります。

原子力大国のフランスの「原子力の番人」であるフランス原子力安全機関「原子力安全機関ASN)と、比較してみましょう。

フランスASNは、どの省庁の下にも属さない完全に独立した国家機関で、院長以下4名のコレージュ(委員)による官房があります。

いわばASN自体一種の、「政府内政府」のような組織構造になっています。

政府にはASN長官と委員の任命権すらなく、唯一それを持つのは元首の大統領のみです。

ASNは国会への報告義務を負う完全に独立した国家機関なのです。

ASNは外部に「放射線防護原子力安全研究所」(IRSN)という専門家による補佐機関をもっています。 

ASNの職員数の77%、IRSNで85%が博士号を持つ専門家集団で、どこぞの国の規制庁のようにボスが警官出身で、その部下の警官たちを引き連れてやって来ました、というようなことはありません。

Dsc_1665(BSフジ「プライムニュース」より)

ちなみに、規制庁発足時の出身官庁をみます。 

●原子力規制庁の官僚出身内訳
・経済産業省・・・312名
・文科省   ・・・ 84
・警察庁   ・・・ 16
・環境省   ・・・ 10
 

7割を超える圧倒的人数を送り込んで来た経済産業省からの出向組は、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁出身者です。

なんのことはない資源エネルギー庁とは、政-財-官-学にまたがる「原子力村」の司令塔のような所ではないですか。  

他は、文科省、環境省、内閣府原子力安全委員会の出身ですが、とくに環境省は原子力規制庁を組織系列下にした上で、ナンバー2の次長ポストを押し込んでいます。  

出向者数こそ地味ですが、原子力規制庁を組織系列化においた環境省はCO2削減を旗印にして、「地球にやさしいクリーン電源・原子力」(笑)をエネルギー比率50%まで増やすという今思えばトンデモの政策を作った役所です。 

福島事故に際してもその動きは鈍く、空間線量や土壌放射線量などの測定も文科省に遅れをとり続けてきました。

当時私は、環境省に無作為の悪を感じたほどです。経済産業省が「原子力村」の村長なら、環境省は助役です。  

つまり原子力規制庁は、原子力安全対策を風当たりが強い経済産業省から、環境省という裏の司令塔の下に系統をすげ替えただけの問題を多く含んだ組織だといえるでしょう。  

どうして完全にすべての省庁から独立させなかったのでしょうか。

モデルにすべきは、あの鬼の会計検査院です。

会計検査院は、徹底的な独立性が保証されています。

「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。(日本国憲法第90条)。また、内閣に対し独立の地位を有する。」(会計検査院法1条)」

 この会計検査院法の、「国の収入収支」の部分を原子力発電に読み替えて下さい。

「国の原子力発電の安全監視・規制・再稼働は、すべて原子力規制委員会がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。また、内閣と政府諸機関に対し独立の地位を有する。」

原子力の規制・監視も、この「内閣からの独立の地位」、言い換えれば政治からの独立性こそが肝だったはずです。 

しかし発足当時、反原発派の人たちは、規制委員会の委員長が原子力村出身だからドータラなどにどうでもいいことに目を奪われて、肝心の原子力規制庁の「独立性」の部分が骨抜きになったことを見逃してしまいました。

つくづくどうして反原発派の皆さんは、こうも近視眼なのかと思いますよ。

たぶんこの人たちは、規制委員会のトップに坂本龍一氏のような音楽家になってほしかったのでしょうね。

Photo
さて、日本の原子力規制庁とあらゆる意味で対照的なのがフランスです。  

フランス原子力委員院長はラコスト氏ですが、彼は「フランスでもっとも怖い男」と言われているそうです。上の写真のいかにもガンコそうな親父が、アンドレ・ラコスト委員長です。

首相に対してもまったく物おじせずに正論を吐くので、脱原発派からも一目置かれている人物です。  

Photo_2http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=14-05-02-03

ラコスト氏はフランスの理系の最高学府である国立理工科学院(ポリテクニック)を卒業後一貫して原子力畑を歩み、原子力安全施設(DSIN)や独立機関になる前のASNの責任者をつとめました。  

ラコスト氏は原子力の専門家としてフランス原子力庁や、原発所有者のフランス電力公社からの独立を訴え続け、2006年に法令によって独立を勝ち得た後は初代院委員長に就任しました。  

ASNは福島事故直後の3月12日に仏政府より早く声明を出し、同月23日には早くも「仏全土の全原発の安全性に対する監査」を実施しています。  

同時期に日本の原子力安全委員会の斑目春樹委員長が、菅首相から連日子供のように叱り飛ばされてうろたえていたのとは対照的です。

安全委員会が内閣の顧問組織だからしかたがなかったというのが斑目氏の言い訳ですが、それにしてもこの人のダメぶりはひどかった。 
※斑目さんの爆笑漫画はこちらから。この人妙な才能があったんだとびっくり。特に事故マンガは抱腹絶倒。http://ponpo.jp/madarame/lec5/list.html

おそらくフランスで福島事故と同様の事故が起きた場合、ASNは政府とはまったく独立した判断をしたうえで、即時に事故対策を「命令」したことでしょう。  

もちろん政府にです。ASNは政府からあごで使われる組織ではなく、政府に命令できる権限を持つ独立機関だからです。  

ですから、菅首相のように外部者からの意見に左右されて、事故現場の指揮に直接介入するなどという国を滅ぼしかねない蛮行は、フランスではやりたくてもできません。 

もし首相がそのようなまねをしたら、ラコスト委員長から、「閣下、原子力事故において、素人に出番はありません。閣下ができるのは、現場への弁当の差し入れと責任をとること程度です。誰か閣下を部屋の外にお連れ申せ」と一喝されたことでしょう。

ましてや、一介の地裁が、「仮処分」命令で運転停止などしようものなら、 ラコスト氏の「大バカヤロー」という雷が落ちることは必定です。

というか、そんなことが出来る余地など、フランスにはそもそもありません。

わが国の福島事故の悲劇は、ASNのような独立した原子力規制機関がなかったこともさることながら、ひとりのラコスト委員長もいなかったことでしょう。  

このように「監視規制機関の独立性」ということをキイワードにしてフランスと日本の原子力規制行政を比較すると、わが国は福島事故を学んでおらず、おざなりの改革でお茶を濁してしまったことがはっきりと分かります。

山本裁判官、あなたのやったことは、原子力行政の安全に寄与したのではなく、規制委員会の独立性を侵犯したことで、かえって安全性を揺るがしたのです。

罪深いことだと思いませんか。  

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大津地裁運転差し止め判決 その2 電力会社は今後の抑止のために損害賠償訴訟をすべきだ

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一昨日の記事に対して、名無し氏からもらったコメントは、このようなものでした。

「立法も行政もあまりにもめちゃくちゃだから仕方なく司法がとりあえずなんとかしてやった、というが正確です。」  

まぁ、こういうコメントが来るだろうとは思っていました。たぶん反原発派の方でしょうが、私の言ったことが、この人たちの祝杯に墨汁を垂らしてしまったようです。 

ならば大津地裁は「とりあえずなんとかして」くれたわけですが、それはあくまで「とりあえず」なんで、次の審理で覆えるまでの一時の「意趣返し」ってわけですか。

しかしその代償は大きいですよ。関西電力の原発停止による1日5億5千万円(九電)といわれる損害と、それによる管内の電気料金値下げの中止です。

私は、このような「基準外的圧力」による原発停止に対しては、電力会社はその失われた損失の対価を原告団に請求すべきだと思っています。

これはたんなるシッペ返しではありません。「仮処分」は本来、このような時に使用されるべき民法上の概念ではないからです。

「仮処分とは、債権者からの申立てにより、民事保全法に基づいて裁判所 が決定する暫定的処置である。」(Wikipedia)

つまり、「仮処分」とは、民法上の権利に関する紛争のことで、金銭債権者が倒産しそうな債務者の財産を、急いで差し押さえる時になど使われる法律です。

なんだ仮処分というから仰々しいですが、なんのことはない、倒産、夜逃げ、ローン破産などで使ってきた法律なのですよ。

しかも正式な判決による強制執行(差し押さえ)が行われるまでの、緊急、かつ暫定的なもので、正式なものが出たら消滅します。

だから「仮」という字が被っているわけですね。これが一義的な仮処分です。

かつてサラ金などが乱発していた法律です。こんなものを公共エネルギーの運転の中止に使おうという根性がまちがっています。

もうひとつ二義的意味に、「紛争によって債権者に生じる現在の危険や不安を取り除くための、仮の地位を定める仮処分」(知恵蔵)があります。

どうやら、今回の市民団体は後者の「債権者に生じる危険や不安の除去」を使ったようです。

Photo福井から原発を止める裁判の会サイトより  http://adieunpp.com/

いずれにしても、仮処分の法の本旨から大きくはずれた拡大解釈です。

もし、このような恣意的な拡大解釈による仮処分で、政府、あるいは行政機関の行政判断や執行に横やりを入れられるなら、なんでもできちゃいます。

たとえば、辺野古移設工事停止仮処分なんかやればできそうですし、なんなら沖縄米軍基地使用差し止め仮処分、安倍首相執務執行差し止め仮処分なんかも可能かもしれません。

もっとも、カウンターで政府から、翁長知事執務停止仮処分とか、共産党活動差し止め仮処分なんかでてくるかもしれませんが(冗談)。

沖縄地裁に、山本氏や樋口氏みたいな法匪判事がいさえすれば、案外、仮処分がもらえるかもしれませんからやってみたらいかがでしょか。

誰が地裁の人事権者かしりませんが、お願いですから、こういうトンデモ裁判官を、原発や米軍基地がある県に派遣しないで下さい。

なにせ原告らが、自分の脳内地獄によって「生じる危険や不安の除去せよ」って言い出せば、人権保護を理由に差し止めが可能かもしれないのですから、ある意味、超法規的です。

「オレがコワイから人格権を認めろ。差し止めだ」では、なんのために膨大な時間をかけた安全基準審査があったのか、そもそもなんで規制委員会が存在し、安全基準ができたのか、まったく無意味になります。

こういう人たちが、今回の大津地裁判決で味をしめてしまったのですから、ひじょうにコワイ。

ですから、ぜひ関西電力はこの原告団に対して、断固として損害賠償請求をするべきなのです。

この「市民」グループは、十数人らしいですから、ひとりほんの数千万ていど払えばいいだけですよ。

これは、今後同じ「法の名の下の無法」を封じる抑止として有効になります。

全国の原発訴訟をまとめた脱原発弁護団全国連絡会という組織がありますが、それによれば、福島事故の後に39の訴訟が提訴されています。

内容的には大同小異で、以下の3点です。

①基準地震動を超える振動はあってはならないが、東日本大震災ではあったから安全性に疑問があるという基準地震動論。
②冷却装置の破損の可能性。壊れないとはいえないというゼロロリスク論。
③「原発は危険だから怖い」という感情論。個人利益の保護の観点から裁判所は直接的に危険性の有無を判断できるという「人格権」。

以上ですが、どれもこれもうりふたつ。まるで金太郎飴のようにどこを切っても同じ論理がでてきます。

それもそのはず。出所はメディアにひんぱんに登場する左翼文化人、マスコミ左翼、自称研究者、脱原発弁護団の弁護士などで、彼らはどこの裁判にも登場します。

この人たちがいわばイデオロギー装置で、同じことを発信して各地に原告団を作っているようです。

だから異様に同じ内容の原告の訴訟内容と、これまたそれに対応したかのような異様に同じ判決文が出てくることになります。

また、共産党は表立って出てきませんが、これらの人の多くはその支持者です。

こうした反原発訴訟に対して、九州電力は去年4月に結果が出た川内原発をめぐる訴訟において、申立人23人に本訴で原告の市民団体側が敗訴した場合に、再稼働が遅れたことで「1日5億5400万円の損害を被る」として、地裁に申立人に賠償に備えた「妥当な金額」の担保金を積み立てることを求めました。

それを警戒し、訴訟から下りる人が10名出ました。この人たちは、「意趣返し」はタダではないことに、やっと気がついたようです。

個人の安全・安心を言い立てるのは自由ですが、政府や規制委員会のような行政、あるいは電力会社のような公共事業体の役割は、社会の最大限利益を守ることであって、個々人の安全・安心ではありません。

経済的に巨大な損害を被る電力会社にとって、規制委員会の安全基準に合格していた原発を動かすのは、公共事業体として当然の社会的責務であり、通常の経済行為です。

しかも扱うものが公共エネルギーであるために、今回のように停止させられた場合の損害は、管内の電力消費者すべてが被ってしまいます。

この春に予定されていた関西電力の電気料金値下げも、中止に追い込まれました。管内の事業者や市民は、この原告団に対して損害賠償請求したらいかがですか。

ですから、個人の安全・安心を対置して妨害する勢力からの救済を求めて、電力会社が裁判制度を利用するのもまた、あたりまえなのです。

裁判制度を使って「実力阻止」を試みる以上、電力会社が同じく裁判制度を使ってそれを阻止するのは、当然のカウンターなのです。 

関西電力は、今回も多くの不手際を残して裁判所の心証を悪くしています。少しは罪滅ぼしとして、今後同じ手口を使われないような法的措置を取るべきです。

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日曜写真館 蘭に首ったけ

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大津地裁運転差し止め判決 その1 山本裁判官の「法の名の下の無法」

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今回の大津地裁の差し止め判決が出ました。大変に問題がある判決です。判決内容をご存じの方は引用以下からお読みください。

「関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)は安全性が確保されていないとして、滋賀県の住民29人が再稼働差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁は9日、関電に運転差し止めを命じる決定を出した。山本善彦裁判長は「過酷事故対策などに危惧すべき点があるのに、安全性の確保について関電は主張や証明を尽くしていない」と判断した。仮処分決定は直ちに効力が生じるため、関電は運転中の3号機を10日に停止させる。
 高浜3、4号機の差し止め決定は昨年4月の福井地裁に続き2件目。運転中の原発を止める仮処分決定は初めて。
 関電は決定を不服とし、異議と執行停止を申し立てる。3号機は10日午前10時から出力を落とす作業を始め、同日午後8時に停止する予定。
 山本裁判長は決定で「東京電力福島第1原発事故の原因究明は道半ばだ」と指摘。事故を踏まえた新規制基準の過酷事故対策について、「関電の主張や証明の程度では、新規制基準や(原子力規制委員会が審査で与えた)設置変更許可が、直ちに公共の安寧の基礎になると考えることをためらわざるを得ない」と述べた。 (時事3月9日)

これを原告団は「画期的判決」などと歓喜していましたが、確かに「画期的」なことには違いありません。

Photo_2http://news.ameba.jp/20160309-632/

原告団がたいそうお喜びなところを、水を差して申し訳ないのですが、いいでしょうか、落ち着いて考えてみて下さい。 

そんなに手放しで喜べることか、どうか。 

上級審は保守的だから覆るさ、という人がいますが、そういうことではありません。 

仮に下級審の裁判官が別の人で、その人がこの山本善彦裁判官や、かつての樋口英明 裁判官のような反原発思想を持たない場合、どうなります? 

規制委員会は活断層に注目していて、それを再稼働承認の指標にしていることは、ご存じの通りですね。 

その是非は置いて、敦賀や志賀原発の下に活断層があることは間違いありません。 

規制委員会が、この活断層を理由に再稼働停止を命令したとします。 

これは原子力規制委員会の行政権限による正当な行政行為です。 

これに対して、電力会社が猛然と抗議し、地裁に行政措置取り消しの仮処分申請を出すかもしれません。

たまたまその担当判事が、モーレツな原発推進派で、彼は「オレは断固としてこんな理不尽な再稼働禁止なんか、認めないゾ。ファック、規制委員会!」と秘かに思っていた人物だとします。 

彼はたった4回の審理で、ろくに専門家も呼ばず、安全基準の検証などきれいさっぱりスルーして、出した判決はこうでした。 

①安全基準は地震について不必要に厳しすぎて合理性を欠き、適合しなくても安全性は確保される。
②安全の立証は電力会社にあるが、電力会社はその立証責任を果たしていると認める。
③電力会社の主張及び疎明のていどは、新規制基準及び本件原発に係わる設置許可は、直ちに公共の安寧の基礎を脅かすとは考えられない。
④耐震性能に関しては、当裁判所には充分な資料が届けられていると認める。
⑤大規模な津波が発生するとする科学的根拠は疑問なしとはいえない。
⑥避難計画は充分に練りあげられており、自治体との連携も信頼に足りる。

Photo_3http://www.asahi.com/topics/word/%E5%A4%A7%E6%B4%A... 樋口判決に喜ぶ原告団

気きづきになりましたか。この架空判決は、大津地裁山本判決をそっくりそのまま裏返したパロディです。
※大津地裁判決はこちらから。
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/e9782c2ea5fefaea7c02afd880dd3bfc.pdf
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/b6c5742c4f89061d95ceb8a0675877e2.pdf

ね、おかしいでしょう。裁判官の思想の色合いごとに、原発は動いたり、止まったりするもんなのでしょうか。 

どこがおかしいのかと言えば、本来、原子力安全行政の権限を持つはずの原子力規制委員会や規制基準の頭越しに、裁判所が原発の運転の是非を決めていることです。 

これでは、まるで原発の再稼働権限は、ただの裁判官の個性や思想に左右される属人的なものになってしまいます。 

今回、山本裁判官がやったことは、再稼働について唯一権限を与えられた行政機関の規制委員会の決定を、地裁が簡単に覆したことです。 

規制委員会の決定は、政府はおろか、国会ですら取り消せません。それをただの地裁が、短期の審理で覆したのですから、確かに「画期的」ではあります。

福島事故の時の、素人政治家の事故処理介入による混乱を反省して、政府は任命権者であっても、指導することはできない独立した機関を作ったのです。

それをなぜ下級審の一裁判官が、いとも簡単にできてしまうのでしょうか。このような行為を、越権行為、あるいは「法の名の下の無法」と呼びます。

山本裁判官は、規制委の独立性を侵害することで、せっかく出来た福島事故以降の大事な総括をひねり潰したのです。 

ですから、山本裁判官にとっては、規制委員会の新安全基準など「緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない」と簡単に退けてしまっています。 

おいおい、なんという素人のゴーマンさだ。 あきれてものが言えない。

原子炉の専門家が営々と2年3カ月間かけて10万ページに及ぶ審査をしたものを、素人でしかない裁判官がたった4回の審理で全て「理解」し、「全否定」して、もう一度やり直せとでもいうのでしょうか。

これなら、安全基準もその審査もいりません。初めから山本裁判官がひとりいればいいのです。

規制委員会も必要ありません。全部、地裁だけでやりなさい。

Photo_6http://www.datsugenpatsu.org/bengodan/news/15-04-2... 川内原発訴訟判決に怒る原告団

ではここで、別な裁判所の意見も聞いてみましょう。

同じく川内原発の再稼働差し止め訴訟を持ち込まれた鹿児島地裁はこう判決文で述べています。

「専門的知見を有する原子力規制委員会が相当期間、多数回の審議を行うなどして定めたもの」で、「最新の調査・研究を踏まえており、内容に不合理な点は認められない」

「安全基準の適否など裁判所が判断すべきではなく、規制委員会の判断に任せるべきことだ」と言っているのです。

あまりに常識的で、逆になんでこんな簡単なことが山本裁判官にわからないのか不思議なほどです。

実はこの鹿児島地裁は、最高裁判決に準拠しています。

最高裁は既に、原発稼働についての司法権限について判断を下しています。 

それが1992年の四国電力伊方原発の原子炉設置許可取り消しを求めた訴訟です。

ここで最高裁は、訴えを退けてこう述べています。

「裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである」

例によってまわりくどい法律的表現ですが、こういうことです。

裁判所の判断は、当該の行政機関の判断が正しくなされたかどうかを判断するだけなのですよ、ということです。

別な箇所で、最高裁はこうも言っています。

「現在の科学技術水準に照らし、(略)調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の判断に不合理な点があるものとして、(略)違法と解すべきである」

市民語に翻訳します。行政機関の判断が違法だと言える場合とは、調査や審議のプロセスで著しい過誤があった場合だけです、ということです。

この伊方判決について反原発派は、「現在の科学技術水準」を超えた事態が起きたのが福島事故だったんだから、伊方判決なんかダメだと批判しているようです。

すいません。別次元の話を混同しています。

最高裁が言っているのは、司法の権限の及ぶ範囲の話で、科学技術水準の知見ではありません。ゴッチャにしないで下さい。

当然、科学的知見は将来さらに拡大するでしょう。しかし、それは司法がうんぬんできることではなく、あくまでも専門家たちが考えて、規制委員会という行政機関が判断すべきことなのです。

しょせん、法律だけしか勉強してこなかった専門バカ、失礼、世間知らずの裁判官にそんな「現代科学技術水準」などとやかく言う資格はないのです。

裁判官ができるのは、最高裁が言うように、「専門機関の審議の過誤」だけにすぎません。

どういうわけか、弁護士とか裁判官という種族は、よほど自分が賢いと思っているのか、何にでもエラソーにくちばしを突っ込みたがる悪癖があります。

今回でいえば、規制委員会の安全規制基準が緩いかどうかなど、誰も聞いていません。

あくまでも司法に可能なことは、規制委員会の審議に過誤かあったかどうか、というプロセスに対する判断です。

裁判は属人主義であってはなりません。あくまでも司法が判断できる範囲をキチンと定めて、その範囲内での判断に徹するべきです。

さもないと、反・反原発の裁判官が出ると、いくら危険な原発なので規制委員会がノーと宣告しても、裁判官の一存で自由に動かせることになってしまうからです。

原告団の皆さん、裁判官が替わるごとに「司法は生きていた」と感涙したかと思えば、「私たちは屈しない」と怒ったりしなければならないわけで、これでは身体が持ちませんよ。

■今日は、ウインドウズのアップデートが突然行われて再稼働、じゃなかった再起動。3部の2まで書いていた原稿が一瞬でパー。むごい!

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福島を忘れてください

054

福島についてかんがえましょう。こう書くだけで、重くならないで下さい。私が言いたいことは、おそらく思っておられることの真逆です。

日本人にとって、忘れようもない3月11日の春がまた巡ってきました。

「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は、2万人以上に登ります。

合掌。安らかに。今なお、身体は海の底にあろうとも、あなた方の霊は、私たちと共にあります。

被災地、そして「被曝」地の末席に連なる者として、何を書くべきなきか、この一か月悩んできました。

あえて、去年の福島について書いたことを再掲します。

なぜなら、本質的になんら変わっていないからです。

福島の復興は、とくに被災3県の中でもひどく遅れたままです。

その最大の理由は民主党政権時に作られた1ミリシーベルト除染という軛から自由になれないからです。
※関連シリーズ「1ミリシーベルトに根拠があるのか?」全6回
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/1-8301.html

この歪んだゼロベクレル主義、あるいはゼロリスク主義は、日本社会にすっかり定着してしまいました。

それは今回の「1ミリシーベルト失言事件」、あるいは関電仮処分判決など見るとはっきり分かります。

仮処分訴訟団は、「もし事故になったら琵琶湖が汚染される」と叫んで妙な共感を呼んでいました。

私は呆然としました。セシウムが非水溶性で、底土の粘土に固定され無害化されるために水質汚染はきわめて限定的なものだということも知らないで、反原発運動などしているのか、と。

この人たちは実際に、「被曝」した福島県阿賀野川水系や、茨城県霞ヶ浦水系の少しでも検証したのでしょうか。

霞ヶ浦水系などは100万人がそこから取水していますが、茨城でガンが増えたなどというデータは一切ありません。知っていましたか。

少なくとも、知ろうという努力をしましたか?現実を知る努力をしていたら、こんな発言はできるはずがありません。

これら「被曝」地水系の調査は地元大学によって既に5年前から綿密になされており、水質汚染は初期を除いて急減し、数年前から検出限界値以下になっています。

これほどまでに自然は強いのです。自然の自浄作用を見ないのは、恐怖心の煽りにすぎません。

一方、この仮処分命令を出した大津地裁の裁判長は、「原因究明は道半ば」などということを平気で言う始末です。
仮処分決定1(HP用)

この裁判官は政府事故調を読んだことがないのでしょうか。あるなら原因は地震ではなく、その後の津波による全交流電源停止だとわかりそうなものです。

また、地震についても福島第1は、基準値振動の438ガルを大きく超える548ガルに見舞われても、配管の破断はありませんでした。

それを700ガルの基準値でも低いというのは、何か科学的根拠があるのでしょうか。

そもそも、裁判所は高度な専門性を持つ原子力防護を判定する機関ではありません。

裁判所ができるのは、あくまでも規制委員会や国の審査方法が適法であったか否かです。

司法の権限を飛び越えて、安全性審査をすること自体がおかしいのです。

こういう、凝り固まったまま時間が停止しているような人たちは未だマスコミを中心にして健在であり、むしろいっそう悪化しています。

この人たちに共通するのは、極端な説を信仰して、そこから一歩もでずに脳内地獄の中に今なお生きていることです。

自閉的サークルの中で静かにしているだけならともかく、日常的にあらぬデマをまき散らし、訴訟沙汰まで引き起こすことで、「被曝」地住民を傷つけ、復興を遅らせているのです。

年数など一部は書き換えてありますが、原文ままです。

なお、大津地裁判決批判は別記事で詳細にする予定です。

                         ~~~~~

語弊を承知したうえであえてこう言います。

<福島を忘れて下さい>

福島を変な象徴に祭り上げないでください。福島にカッコを付けたり、片仮名でフクシマと言わないで下さい。

ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ・フクシマなどと、安易な並列をしないで下さい。

福島をひとり歩きさせて、おかしな同情をしないで下さい。それは今、普通の歩みを始めている福島の人間にとって、逆に重荷であって、むしろ迷惑だからです。

福島の農業をしている友人が、笑いながらこうぼやいていました。

「福島の作物をあえて食べることが支援だと思ってくれている人がいるんだ。ありがたいがズレている気がする」

福島事故の後、「被曝」地農業は大打撃を喰いました。福島、茨城、宮城などの地の農産物はまるでウイルスが感染しているように、手を触れただけで「放射能がうつる」として捨てられました。

当時、私のブログに来た罵詈雑言のつぶての痛みは、今でも思い出すと悔し涙が出ます。

私の農場も重度の経営難に陥り、いまなおその打撃から回復していません。正直に言って、今後の展望を考えられないような心が折れた状態が続いています。

多くの農家が農業から去って行きました。その理由は、表面的には老齢だったり、後継者がいないことです。

あるいは今年の米価が採算に合わない低価格だったせいもあるでしょう。しかし、真の理由は、震災と福島事故によって「心が折れた」からです。

心が折れる、つまり心が乾き、悲鳴を上げ、痛んだゴムのようになって復元力がなくなったのです。

実際に福島と茨城の稲作は激減しています。

その福島の知人は続けてこう言います。

「支援で食べてくれるならもういいと言いたくなる時がある。ほんとうにただの農産物として食べてほしい。無理なのかな、オレの言っていること。失礼なのかな」。

支援はありがたいものです。私も震災直後に頂戴した何人もの方々の温かい物資、カンパは今でも一生忘れません。

ただ、すでに5年という月日がたち、農業は農業の論理で、一個の食べ物として評価されるべき時期にとうに入っているのです。

福島の農業を支援したいと思う方々は、間違いなく善意で、心優しい人たちです。

しかし、実際の福島の農業を見ないで、その人の頭の中にある観念の中の「フクシマ」で見てはいませんか。

それは時に、現実を生きる人を傷つけているかも知れないのです。

その観念は多くの場合、現実とズレています。その人達にとって4年前の時間で止まってしまっていることが多いからです。

たとえばこんなふうなイメージです。

農地は放射能にまみれ、山野には積もった放射性物質が堆積していて、常に川に流れ込んでいる。

作物は放射能で汚染され続け、今でも多くの作物が秘かに捨てられている。

除染をやってももきりがない、除染しても救われないほど放射能がしみ込んでしまっている。

子どもたちにガンが出ていても、政府は隠している。実際は数万人がガンだという噂だ。

そして、トドメはあの雁屋某の言うように、「福島から逃げろ」です。あるいは、室井某のように「福島に子どもを行かせない」です。

ため息が出ます。怒りさえ湧いてきます。

3・11から2年たっても、こんなことを深刻そうな顔で言うコメンテーターがいました。

「福島から出て行ったは若い人は帰ってきません。若い人がどんどんいなくなって、残っているのは除染の仕事にありついた人か、親がいるから逃げられない人ばかりです」

嘘をつきなさい。普通に福島の若い人たちは働いて、結婚し、子どもを生み、育てていますよ。

ため息が出ます。怒りさえ湧いてきます。

農業で心が折れた人が出たのは、過剰な放射能危機を煽ったこの人のようなデマッターたちのせいです。

このような人達は、一見同情的で、自分こそが「福島」に寄り添っているような顔をしていますが、実際はただ反原発運動のダシにしているにすぎないのです。

薄汚い政治的利用主義者たち。

もう5年たった、とあえて言うことにします。日常を生きる者にとってずっしりと長い時間でした。

当時小学校だった子どもが、高校生になる時間がたったのです。

その間に、様々な原発事故の実態が明らかになり、かつては永遠に存在し続けるとすら思えた放射性物質すら自然界で急激に減少していくのがわかってきました。

そしてなにより、耕し、植え育てる人の営みがあるかぎり、放射能に克つことができることが実証されてきています。

福島の人々が新しい現実と戦っている今、いつまでも2011年3月11日から前に進まないのは一体誰なのでしょうか。

いい意味で「福島」を忘れましょう。心の中でゆっくりとフェードさせていって下さい。

それが福島と共に歩むことなのです。

 

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HN蒲焼さんにお答えして

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HN蒲焼さんという、昔から私のブログに批判的な方からコメントをいただきました。この人とは大分いさつがあります。

※当該記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-0ff4.html

今日は関電訴訟のバカな判決についてやる予定でいたのですが、こちらからいきます。

今回もらったものは、ある意味で、単純な荒らし以上に腹に据えかねました。なんでこんなことを言われなければならないんだ、これが最初の私の感慨です。

お読みいただければ分かるとおり、私が訴えたのは、本土政府と県が穏やかに話しあいをして、お互いに折り合って円満和解に導きませんか、というだけです。

誰かを批判したのでもなければ、くさしたわけてもありません。むしろ言葉遣いには私なりに細心の注意を払ったはずです。

ところが、この人にかかると、「県民の皆さん」と呼びかけただけで「上目線」だそうです。

怒るというより、情けなくなってしまいました。 

上目線か、この私が。いちばん聞きたくない批判の言葉だ・・・。

私のブログは他のジャンルに関しては、感情を押し殺して冷静に書いています。

素の気持ちがあふれてしまう唯一の分野は、この沖縄だけです。 

それがなぜなのか、自分でも分からなくなる時があります。

私が島を愛しているからといえばそれまでですが、島のダメさも矛盾も知っていながらなおも語りかけたいのはなんなのでしょうか。自分でもよく分かりません。 

私の中にある、沖縄への寄り添いたい、苦悩も喜びも共に考えたいという思いを「上目線」と言いたいなら、どうぞご自由にとしか答えようがありません。 

ここでこの人は、「首相が呼びかけてもそう言われる」と書いています。

そりゃ言われるでしょうね。最高権力者だから。権力者は上目線でいいのです。政治家の平場の視線など、国民におもねる擬態でしかありませんから。 

私は市井のただの人です。「上目線」になりたくても、何ひとつ権力を持ちません。

一般の国民が、他県に忠告する。しかもブログという私的言論空間を使ってすることが「いくらなんでも傲岸」なら、本土人はなにも言うな、黙っていろ、ということになります。

蒲焼き氏のような人にとって、耳に快いであろう金平氏や鳥越氏などの言葉ばかり聞いていたいなら止めません。

しかしそれこそ、「いくらなんでも傲岸」、いやむしろ、甘えじゃないでしょうか。

私ができることは、心で島に寄り添うことです。できるならば、その苦悩の一部でも分けて欲しいと思って、書いています。

それしかできないことを悔やみながら、書くことしかできない自分をいつも責めています。

かといって、本土の左翼老人の一部に見られるように、島に渡ってゲート前の座り込みなどする気になどなれません。

沖縄はこの人も書いていましたが、生活と生産の場です。本来、辺野古や普天間は闘争の場ではありません。

基地に無縁な南部の県民が、北部まで来て反対運動をするのを地元は眉をしかめているのです。

政治的立場の違いではなく(それもありますが)、他人の生きる場であるという自覚と配慮がなさすぎます。まして本土人においておや、です。

まったく同様に、私はこのコメント氏が出していたおもろ街などで騒々しい音を出して街宣している本土右翼にも、きわめて批判的です。

これも、ゲート前の左翼本土老人と同じで、他人の土地を土足で荒らすような行為だからです。

共に節操がなさすぎます。

ちなみに、この人は街宣右翼を保守と呼んでいますが間違いです。街宣右翼は、ただの右翼ですから混同しないようにして下さい。

保守は礼節とわきまえが精神的支柱です。他者の伝統的生き方や在り様を尊重することから始めます。

言論活動はしますが、物理的行為に及ぶことはほとんどありません。

だから保守は、ノイジーマイノリティと違って、まったく目立たないのでマスコミからは無視され続けています。

このように、保守は他者への物理的影響を与えることを前提とする「運動」ではありません。

まれにやると、「作る会」のように左翼転向組に乗っ取られて散々な目に合います。

むしろ政治的立場というより、個々人の心の持ち方、精神のあり方なのです。

ちょうど、リベラルと左翼の違いに酷似しています。リベラルは他者の言論の自由を尊重しますが、左翼は気に食わない連中のデモに押しかけて中指を立てて妨害し、トラメガでガナったりします。

街宣右翼といい勝負です。私から見れば、左右共に常識がありません。

失礼ながら蒲焼さんは、こんな初歩的認識もできないで政治を語っていたのかと嘆息しました。

さて、私が「癒しの島」と表記したことについても批判を受けました。

かつて島の人すら行きたがらない北部の東海岸の過疎の村で農業をしていた私が、そんな単純な理解なはずがないでしょう。

矛盾だらけの島であることは、今まで散々書いてきました。シリーズも2つあるほどです。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/1-6fb7.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-f1f9.html

だから名実共に、「癒しの島」と言われる県になるには、どうしたらいいのか共に考えませんか、というつもりでお話しているつもりです。

どうやら私が「観光で食っている」と書いたことにカチンと来たようですが、観光は島の観光業は機軸産業です。どこが悪いのでしょうか。

またもうひとつの経済の車輪は土建業です。土建業から、観光業が生まれ、観光業からサービス業が生まれ、伝統民芸も育まれています。

そのようなことは世界共通で、先進国のフランスやイタリアなどは、モロに「観光で食って」います。

だから労組が大規模ストをすれば、国民から営業妨害するなとばかりにケチョンケチョンに批判されます。

あの美しい伝統的家並みや、ワインなどは、観光客を念頭に置いたものです。伝統と観光は対立概念ではなく、伝統を育み今に生きる糧にしているのが観光なのです。

沖縄はこの点が弱く、米国流の安価なツアーを中心にした大量消費型観光になりかかっています。

それはさておき今回の「休戦」は、さまざまなことを洗い出すいいチャンスだと思っています。

だから、書きました。

シュアブ陸上案は、私が知る限り移設方法としてほぼ唯一の解決法です。なお、勝連案は、海上埋め立てがあるために受け入れられないでしょう。

仲井真氏がどういう状況で、「理解不能」と言ったのか分かりませんが、おそらくここまで話が煮詰まってしまって、話を蒸し返すなという意味だと思います。

こういう時だけ仲井真氏を引き合いに出さないで下さい(苦笑)。

それがそんなに空想的かどうかは、近々やります。その時は「上目線」などという感覚的非難じゃなくて、具体的に反論してください。

日米地位協定の改定を、県がずっと要請してきたのは事実です。もっとして下さい、今回はまたとない機会です。

単に移設問題だけでなく、首相は紛争の根を切る覚悟でいるようです。

安倍氏という政治家が特異なのは、目先の勝ち負けにこだわらず、日韓合意や70年談話でわかるように、「損して得とる」ような政治姿勢があることです。

今彼がヒトラーならこんなまわりくどいことはしません。あえて「和解」に持ち込んだのは、ボールを沖縄側に投げているのです。

このボールをごみ箱に捨てるのも自由。活かすのも自由です。地元紙のように「和解は一方的に廃棄された」と怒鳴るのも勝手です。

私は捨てるのは惜しいから、日米地位協定改定まで含めて、パッケージ(詰め合わせ)で解決を目指すべきだと提言しました。

今なら、本土政府に対してパッケージが効く状況にあるからです。

投げ返されたボールは翁長氏向けではなく、広い意味での沖縄県民全体に向けられています。

だから私はあえて「上目線」を承知で、「沖縄県民の皆さん」と呼びかけただけです。

最後にひとこと。この人は、「日本国民」という表記にカッコをつけています。

この部分です。

「日米地位協定だって、沖縄県以外で理不尽が目立たなくなっただけであり、今まで私たち『日本国民』は米軍とその地位協定に散々泣かされてきたじゃないですか。」

正直、ヒデェな、と思いました。この場合のカッコは、「いわゆる言われているが」という意味です。それは現状ですか、それとも歴史的怨念ですか。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-f380.html

蒲焼さん、いつから自分の国民という立場にカッコをつけるような態度になったんですか?

それは本土への怨念を糧とする、典型的沖縄左翼の発想です。そのような半身では何事も一歩も前に進みませんよ。

少なくともこんな括弧付き「日本国民」の言うことなど、私は聴く耳をもちません。

今回、私が書きたかったことはシンプルです。

いきさつは多々ありましたが、いったん「和解」プロセスに入ったのですから、まともに沖縄側の要求をぶつけてキチンと交渉しろ、ということに尽きます。

ああ、朝から怒ったら疲れました。さぁ仕事だ。

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国と県の「和解」を平明に解説します

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沖縄地元紙によれば、「県民唖然」だそうです。 

まぁ、自分の県が国と結んだ「和解条項」が真っ先に報道されないから、県民が「唖然」とすることになります。 

よく読めば、沖縄タイムス(3月8日)もそれなりに報道しています。 

「是正指示は地方自治法に基づく手続き。指示に不服があれば、県は1週間以内に国の第三者機関の係争委に審査を申し出ることになっている。翁長知事は近く審査を申し出る見込みだ。
 その後、係争委が是正指示を違法ではないと判断し、県が不服なら1週間以内に是正指示の取り消しを求める訴訟を提起。逆に係争委が是正指示を違法と判断したにもかかわらず、国が期間内に指示の取り下げなど必要な措置を講じない場合、県は1週間以内に是正指示の取り消し訴訟を起こす。
 和解条項では、判決が確定するまでの間、国と県は「円満解決」に向けた協議を行うとしている。和解からわずか3日での是正指示は「辺野古が唯一の選択肢」とする安倍政権のかたくなな姿勢を鮮明にした格好で、「辺野古は認めない」とする県側との協議はかなり難航しそうだ。 」

※http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=157507

なんのことか分かりましたか。たぶん地元紙しか読まない県民には、チンプンカンプンなはずです。 私だってなんかよーわからん。

紛争を煽った当事者にしては、粗っぽい上に不親切な解説ですから、これで理解できたらそのほうがえらいと思います。 

地元紙は「怒りの声」には紙面を大量に使っているのですから、少しは新たな事態に対して、分かりやすい報道をするべきでしょう。

しかし地元2紙は、国と県がの紛争がこじれればこじれるほど望ましいと思っているようですから、このようにわざわざ分かりにくく書きます。

「県民が唖然としている」のは、地元紙がこの「和解条項」を、主観を交えずに正確に報道していないからです。 

報道していないから県民が「唖然」となって怒ると、「ほら見ろ、県民はみな政府に怒っているぞ」と報じるわけです。ひところの朝日が多用した、中韓へのご注進報道とそっくりです。

お願いですから、こういう大事ことは主張とは別にして、キチンと報道してください。

そもそも「和解条項」全文くらいは掲載するのが、報道機関としての筋だと思います。
※「和解条項」 県HP 欄外に全文を転載しました。
 
http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/h280304wakaiseiritu.pdf  

Photo琉球新報より引用

多くの県民は、あんな難解な条文読みませんし、そもそもそんなものがあることすら知らないでしょう。
 

だから、多くの県民は和解=妥結だと勘違いしていますが、まったく違います。 

和解は私たち一般ピープルが思うような「円満解決」という結果そのものではなく、そこに向かうプロセスにすぎません。

では、できるだけかみ砕いて平明に説明します。 

まず今回、ひんぱんに登場する「和解」という表現は、法律用語の「和解」と呼ばれる種類のものなのです。 

たとえば民法695条にはこうあります。 

●民法695条の「和解」
「和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。」
 

法律的表現ですのでかったるいですね。説明します。 

当事者が紛争を起こしている場合、どうしても力と力の対決になりがちです。 

たとえば、反対派は辺野古ゲートにブロックを積んだり、座り込みをしたりして工事を実力阻止しようとしました。 

すると、国も機動隊で対応したり、県が承認拒否をすれば、代執行という強権を使うことになります。 

こんな解決方法は、国、県の双方にとって決して望ましい形ではありませんね。 

そこで裁判所が中に入って仲介したわけです。裁判所はこう言っています。 

まず、ガチンコ勝負になっている双方のゲンコツの部分を取り下げて下さい。 

国は代執行による工事をいったん取りやめて下さい。県は国を訴えている訴訟を取り下げて下さい。 これが「和解条項」の2です。

「2 利害関係人沖縄防衛局長(以下「利害関係人」という。)は、被告に対する行政不服審査法に基づく審査請求(平成27年10月13日付け沖防第4514号)及び執行停止申立て(同第4515号)を取り下げる。利害関係人は、埋立工事を直ちに中止する。」

次に、お互いに主張は変わらないようですが、もう一回協議して落とし所を探って下さい。 

ここからが若干ややっこしいのですが、ステップの流れは次のようになります。 

①[国が県に「是正」を命じる 

なんだ、また国が県に命令かよ、と思って多くの県民が怒ったのでしょうが、これはいわば決められた踊りの振り付けのようなものです。 

ですから、菅さんが「合意事項の通りです」といったのですが、「和解条項」をちゃっんと報道しないから、「和解すると言っていて、また強権発動か」となります。

翁長さんが「怒った」そうですが、いうまでもなく芝居です。本気で怒ったら、知事としての能力を問われます。

それはともかくとして思い出して頂きたいのですが、国と県は考えに差があります。あるから紛争になっているわけです。 

ですから、裁判所は仕切り直ししてくれ、と言っています。 

初めのボタンを掛け違っているから混乱したのですから、もう一回初めからしてください、ということです。これが「和解条項」の3です。

「3 原告は被告に対し、本件の埋立承認取消に対する地方自治法245条の7所定の是正の指示をし、被告は、これに不服があれば指示があった日から1週間以内に同法250条の13第1項所定の国地方係争処理委員会への審査申出を行う。」

 国が「是正」を命じると、県は当然拒否するために「国地方係争処理委員会」に訴えますね。 

どのような結果が処理委員会で出るかわかりませんが、どちらが勝っても相手は不服ですから次のステップに進みます。 

②[指示取り消し訴訟を提起し、判決まで協議する 

はい、結局また裁判です。なんだ~と思わないで下さい。この裁判は、一味もふた味もちがうのです。

和解条項の8はこう述べています。

「8 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定まで普天間飛行場の返還及び本件埋立事業に関する円満解決に向けた協議を行う。」

今回の裁判は今までと違って「和解」して、それに双方が従うすることを目的とした裁判だということが、決定的に今までの裁判と違うことなんです。 

今までの裁判は、気に食わない判決が出れば、控訴することが前提でした。すると、最高裁までいくことになり、ゲート前ではいつまでも揉み合いが続くことになります。 

これじゃあ不毛でしょう、と福岡高裁は言っているのです。 

これが民法695条の「和解」の考え方です。 

対立する主張を互いに譲歩し合って、紛争当事者間の話し合いによって解決することを約束する「契約」です。 

ここでいう「契約」も法律用語です。 

重要なことなので、概念規定しておきましょう。

「●民法における「契約」の概念
二人以上の当事者の意思 表示が合致することによって成立する法律行為のこと。 合意の うち、法的な拘束力を持つことを期待して行われる.。」
※..Wikipedia

③[判決には、双方従い、協力し合う] 

この時、国と県は和解へ向けての話あいをしつつ、裁判の判決を待っている状態です。 

この期間に協議、つまり国と県の再協議が行われます。いままでは主張のぶつけ合いでしたが、今回は真剣に解決、すなわち落とし所を見つける話しあいになります。

沖縄政界の寝業師といわれた翁長さんの本領発揮の時が、やっときたわけです。

今までのように共産党でもいえるようなことを無表情に言うだけなら、誰だってできますもんね。

 そしてこの協議の結果丸く納まればよし、納まらなければ、新たな判決に従うことになります。 

え、なに?気に食わなければ、「いかなる手段を使ってでも阻止する」って翁長さんが息巻いているって。 

困りましたね。「オール沖縄」の中核の共産党に向けて、「オレは日和っていないからな」とイキがらねば、かれらから突き上げられるからですよ。真に受けてはいけません。 

もちろん、民間人がやる分にはかまいませんが、県という行政機関がそれをすることはできません。 

なぜなら、それは先ほどから述べている「和解に向けた契約」に対する重大な違反行為だからです。 

もちろん控訴は不可能ですし、今までのような砂利条例を作ったり、アンカーがどうしたというような手段も不可能です。 

なぜなら、判決が出たら絶対に従って下さいね、そう福岡高裁は言っているわけで、これを国と県の双方が合意して、あの「和解条項」ができたのですから当然です。 

「和解条項」の9にはこう述べられています。

「9 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する。」

これが法律用語でいう「誠実条項」です。これも重要ですから押さえておきます。

民法第1条2項が誠実条項をうたっています。

「●民法第1条(基本原則)
1 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。」

この「誠実条項」のうち、今回は「禁反言(エストッペル)の原則」と「クリーンハンドの原則」に当てはまると思われます。

●民法の誠実条項
「禁反言とは、自分の言動に矛盾した態度をしてはならない、という原則のこと」
「クリーンハンドの原則とは、自ら法を尊重し、義務を履行する者だけが、他人に対しても、法を尊重することと義務を履行することを要求ができる、という原則のこと」
※http://www.minnpou-sousoku.com/category/article/1/1_2.html

何を言っているかといえば、この場合判決による決定事項に対して矛盾した態度をしてはならず、それが国に対して法を尊重しろといえる条件なのだ、ということです。

ですから、この誠実義務に忠実ならば、県と国の双方は判決以後、県は「あらゆる手段で阻止する」などと言うことすら問題視されることになります。そりゃそうでしょう。

「円満解決」をした後になって、別な手段で攻撃してやるなんていうことを許したらもう法治国家ではありませんからね。

翁長さん、以後このようなヤクザまがいのことをことを言うのは謹んで下さい。あなたはいやしくも行政官なんですから。

逆に、国も「いつか工事再開してやる」などと言うことはできません。国が敗訴したら潔く現行埋め立て案は放棄し、別な方法を模索することです。

私はかねがね、そのほうがいいと思っているのですが、また別の機会に。

長くなりましたが、こういう内容で「和解」したのです。県民の皆さんの理解の足しになれば幸いです。

                       ~~~~~~~

■【国と県の両者が受け入れた暫定和解案】(2016年3月4日)

1 当庁平成27年(行ケ)第3号事件原告(以下「原告」という。)は同事件を、同平成28年(行ケ)第1号事件原告(以下「被告」という。)は同事件をそれぞれ取り下げ、各事件の被告は同取下げに同意する。
2 利害関係人沖縄防衛局長(以下「利害関係人」という。)は、被告に対する行政不服審査法に基づく審査請求(平成27年10月13日付け沖防第4514号)及び執行停止申立て(同第4515号)を取り下げる。利害関係人は、埋立工事を直ちに中止する。
3 原告は被告に対し、本件の埋立承認取消に対する地方自治法245条の7所定の是正の指示をし、被告は、これに不服があれば指示があった日から1週間以内に同法250条の13第1項所定の国地方係争処理委員会への審査申出を行う。
4 原告と被告は、同委員会に対し、迅速な審理判断がされるよう上申するとともに、両者は、同委員会が迅速な審理判断を行えるよう全面的に協力する。
5 同委員会が是正の指示を違法でないと判断した場合に、被告に不服があれば、被告は、審査結果の通知があった日から1週間以内に同法251条の5第1項1号所定の是正の指示の取消訴訟を提起する。
6 同委員会が是正の指示が違法であると判断した場合に、その勧告に定められた期間内に原告が勧告に応じた措置を取らないときは、被告は、その期間が経過した日から1週間以内に同法251条の5第1項4号所定の是正の指示の取消訴訟を提起する。
7 原告と被告は、是正の指示の取消訴訟の受訴裁判所が迅速な審理判断を行えるよう全面的に協力する。
8 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定まで普天間飛行場の返還及び本件埋立事業に関する円満解決に向けた協議を行う。
9 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する。
10 訴訟費用及び和解費用は各自の負担とする。

 

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国が県に「是正」を指示 翁長氏が怒るのは筋違いだ

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国が県に是正指示を出したことで、県が怒りだし、民主党は得たりとばかりに騒いでいます。

「菅義偉官房長官は7日の記者会見で「是正指示は裁判所の和解勧告に従って出した。沖縄県とは和解条項に基づいて話し合いをしていく。事務、政務レベルで行っていきたい」と述べた。
沖縄県側は直接協議を経ずに政府が是正指示を行ったことに反発。翁長氏は県庁で記者団に対し「大変残念な気持ちだ」と述べたが、菅氏は「そういうことを含んだ上で沖縄県が和解したいということだった」と強調した。
是正指示は文書を郵送した。沖縄県は不服であれば、文書到着の翌日から休日を除き5日以内に国地方係争処理委員会に審査を申し出る。」(産経3月7日)

あのね、枝野さん。あんたら鳩山政権の時の閣僚には、移転問題で発言する資格は一切ないので、分をわきまえるように。

また メディアも、「和解したのにその直後に是正を指示するっておかしくないか」という素朴な国民の疑問にたいして、なんの解説もしないことで国への不信感に結びつけようとしているようです。

外野はさておき、「和解」の当事者の県が怒っているのは、ただのポーズにすぎません。

菅さんが言うように、そんなことは裁判所の和解条項に盛り込まれていて、承知のうえで「和解」したのでしょうに。  

では「和解条項」を流れに沿って見てみましょう。和解条項は県のHPから閲覧できます。
※http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/h280304wakaiseiritu.pdf  

「しんぶん赤旗」(3月5日)がご親切にもバカデッカイ図を載せてくれたので、これを見てみましょう。いかにもワード使って書きましたというのが、新聞社と違って微笑ましいですね。

Photo
「しんぶん赤旗」3月5日  

まず今回、和解判決を受けて政府は、知事の埋め立てを中止するように中谷大臣に指示しました。

「和解条項」の2にはこうあります。

「2 利害関係人沖縄防衛局長(以下「利害関係人」という。)は、被告に対する行政不服審査法に基づく審査請求(平成27年10月13日付け沖防第4514号)及び執行停止申立て(同第4515号)を取り下げる。利害関係人は、埋立工事を直ちに中止する。」

国も県も基本的姿勢は変わっていませんから、国が是正を求めるのは当然ですので、国は県に承認取り消しを撤回するように「是正」を指示を出しました。

これも、「和解条項」の3にはそうキッチリ書いてあって、いまさら翁長氏が驚いたような顔をする方が分かりません。

「3 原告は被告に対し、本件の埋立承認取消に対する地方自治法245条の7所定の是正の指示をし、被告は、これに不服があれば指示があった日から1週間以内に同法250条の13第1項所定の国地方係争処理委員会への審査申出を行う。」

市民語でいえば、政府はこう言っているにすぎません。

「翁長さん、分かってらっしゃる思いますが、和解のための手続きなんで指示出しましたが、どうせ不服なんでしょうから、次の処理委員会審査の段階に行きましょうね」

和解条項どおりにやっているのに、翁長氏や地元紙が和解を蹴飛ばしたみたいに騒ぐのでしょうか。

ああ、たまらんっち。訴訟提起後の協議期間を少しでも有利に運ぼうというセコイ魂胆が丸見えじゃありませんか。

県は「指示の前に事前の話あいがなかった」と言っているようですが、事前に裁判所でじっくり話あった結果の「和解条項」でしょうが。 

本当に知らないのなら、知事が恥をかくから、県の役人の誰か、「和解条項」をちゃんと教えてやれよ。

「協議」する期間はあくまでも、国地方係争処理委員会が、県に不利な結果を出して、それを不服として県が不服訴訟をしてからの話です。時期を間違えないで下さい。 

処理委員会に出す前に協議しろなどとは、裁判所はひとことも言っていません。

「協議」するのは、あくまでも県が出した係争処理委員会の結論が出て、それが不服な場合の判決が確定するまでの一定期間です。

「指示」を出す前ではありません。勘違いしているのか、勘違いしているふりをしてカマトトしているのか。ただの馬鹿なのか。 

「協議」の期間については「和解条項」の8項にこうあります。

「8 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定まで普天間飛行場の返還及び本件埋立事業に関する円満解決に向けた協議を行う。」

ですから、今回、国が県に「是正」を指示したのは、「和解条項」の合意に沿った取り決めどおりなのです。 

国が話しあいを拒否して、強権発動をしたといわんばかりの被害妄想は、今後の「円満解決に向けた協議」(8項)の雰囲気を壊すので止めていただきたいものです。
メディアも民主党と似た論調でしたが、この人たちはこの移転問題を解決したいのか、破壊したいのか、どっちなのでしょうか。
 
なお、「和解条項」の9にはいったん判決が出た場合の、誠意義務についても一項あります。 
「9 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する。」 
はい、このとおりです。
 
あいかわらず共産党は、「翁長知事は他のあらゆる行政権限を行使して新基地阻止の公約を果たす立場に変わりはない」(しんぶん赤旗3月5日)と述べて、判決に勝とうと負けようと翁長氏に永久闘争をさせたいようです。
まったく困った人たちだ。物事には始まりがあって、終わりがあるのです。
大は戦争、小は隣人との諍いでも、始めるのは簡単ですが、終わりにするには大変な努力が要ります。
判決が出ても戦いたいのなら、共産党員だけでやっていなさい。迷惑です。
まぁ山城さんや糸数さんなんかは、いくら県が和解しようと暴れ続ける、失礼、戦うつもりなのでしょうが、やってみたらいいと思います。
しかしそれでは自分が裁判も和解合意も守らない、ただの無法者だと言っているのも同然なのですよ。
 
それは「和解条項」の8及び9の「円満解決」の精神に違反するばかりか、国民の前で「判決には従う」と誓約した翁長氏の言を覆すことになります。

 

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ひとつひとつ具体的に解決に向かっていきませんか

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政府の「和解」提案を受けて、いろいろなことを言う人がいます。 

典型的なものは、「参院選対策だ」というものです。民主党の反応がこれでしたが、いわゆる政界の玄人筋の発想です。 

すべてを政局でしかとらえられないのです。哀しくはないでしょうか、こういうふうにしか考えられないことって。 

今回最長で1年間もの「休戦」期間が到来したのです。今まで頭に血が昇って怒っていた人も、一回どうやったらこの紛争を解決できるのか、真剣に考えてみませんか。 

まず、とりあえず、お前が悪い、なにをお前のほうが悪い、というのはやめましょう。勝った負けたもよしにしましょう。

今までの歴史に遡り始めると、言い分はお互いに山ほどあるでしょうから。 

アベなんか信用できないという人も共産党周辺には大勢いるようですが、ならば誰を対話の相手にしたらいいのでしょうか。

そもそもこの「休戦」を呼びかけたのは安倍氏で、保守層内部には「なぜ勝てる裁判を和解したんだ」という声も多いのですよ。

一回好き嫌いの感情から離れないと、何ひとつ進みません。

大事なことは終わりを見つけることです。永久闘争なんてありえませんから。 

妥協して納めることです。打ち負かすのではなく、歩み寄ることです。

私は下のような雰囲気が苦手です。全員で揃いのプラカードを出すってダサくないですか。

だって、ひとりひとりが考えて、考え抜いてこの場にいるってかんじじゃありません。ただ「空気」で叫んでいるみたいに見えてしまいます。

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もし、真剣に島の現状を考えるなら、もっと他にやりようはありそうなものです。 

これをニュースで見させられる他県民は、正直辟易しています。

最新のNHKの世論調査(2015年11月10日)を見てみましょう。

「NHKの世論調査で沖縄のアメリカ軍普天間基地を名護市辺野古に移す計画を進めるという政府の方針への賛否を聞いたところ、「賛成」が29%、「反対」が25%、「どちらともいえない」が39%でした」

ご覧のとおり、賛成が反対をひっくり返しました。「わからない」か40%です。そうです。分からないのですよ。

だって、普天間基地が動かせというのに、移転反対だなんて、普通は何を言っているのか意味かわかりません。いわば「動かせ、動かすな」と言っているようなものですから。

ょっと前までは、メディアが回れ左でしたから、なんとなく「地元は反対なんだろうな。沖縄は苦労しているからな」ていどで反対運動に与していた本土人も、宜野湾市長選以降は、賛成か、あるいは「分からない」になってしまいました。

合わせて今や7割です。宜野湾市長選以後はもっと増えたでしょう。

このような、「もういいかげんにしないか」というのが、偽らざる本土の気分なのです。

ちょっと前に本土のラジオにひさしぶりに登場した仲井真さんが、「沖縄を嫌いにならないで、遊びにきてください」と訴えていました。

仲井真さんはなにを心配しているのでしょうか。

本土人の沖縄離れです。

今まで沖縄県は、ケンミンショーでよく取り上げられる魅力度ランキングで常に3位以内に入る恐ろしく強力な地域ブランドでした。

たとえば、2013年は北海道、京都、そして沖縄でした。4位がなんと東京です。東京に勝っているんですから、なんともスゴイ。

ところが去年2015年は、ひとつ落として3位から4位です。
http://tiiki.jp/news/wp-content/uploads/2015/09/15pref_ranking.pdf

この2年間になにがあったのでしょうか。

ひとつ考えられるのは、仲井真知事の穏健な県政から、闘争至上主義の翁長氏に政権交代したことです。

本土のニュースで、沖縄が取り上げられるのは、常に下の画像のような風景ばかりです。

数えたことはありませんが、沖縄のいいニュースなんて報じられるのは皆無で、沖縄といえば条件反射みたいにこれです。

Photo
この座り込む老人たちの平和を祈る気持ちは痛いほどわかりますが、糸数女史と島袋のオバーだけが、島人の気持ちのすべてではないはずです。

ところが、地元紙も本土のメディアも、反対派を押し潰して進む基地建設というふうにしか報道しませんでした。

観光地の沖縄県にとって、こういう「闘争の島」というイメージはマイナス以外何者でもありません。

「怒号の島」に行くのなら、ハワイや台湾に行くわ、という本土の人が増えているのです。

逆に中国、台湾、韓国からの訪沖者は激増しています。彼らは沖縄が「闘争の島」だと知りませんからね。Photo_2

本土の国民にとって、沖縄は既に「癒しの島」ではなく、荒れたてすさんだ怒号の地になりつつあります。

だから同じ沖縄でも本島は素通りして、初めから離島にいく人が増えているようです。

もうこんなことは終わりにしませんか。まじめに「解決」を模索しませんか。元の癒しの島に戻りませんか。

永久に戦っていることなどありえないのです。

一回、今までのいきさつを離れて、どうしたら解決できるのか、じっくり話あってみませんか。

いくつか、ポインがあるはずです。

ひとつめはこれが最大の問題ですが、今ある普天間基地をどうするか、です。

これは二つしか選択肢がありません。移転するか、このまま居るかです。これについては先日の宜野湾市長選で、地元の意志が明確にされました。

「出ていってほしい」です。

ではその行き先です。政府が言う辺野古の海でなくてはならないのか、どうか。

こういう時に、共産党のように「すべての基地反対」というのはやめましょうね。そういうオール・オア・ナッシング的発想だと、絶対に解決しませんから。

1か0ではなく、お互いが納得できることを探らねば、「解決」に近づきません。

私はシュアブ陸上案もありえると思っています。これは小川和久氏が提案したものですが、惜しいことには、名護市と建築業界の御家の事情で立ち消えて、現行案になってしまいました。

この小川プランについては近々詳述します。

そして三番目に、日米地位協定第17条5項Cの改定です。この米軍人のみに日本の司法権が完全に及ばない取り決めはぜったいに変えないとダメです。

今回はいいチャンスです。この地位協定改定も、県からテーブルに乗せたらいかがでしょうか。

他にも、基地がらみではいいたいことはいくつもあるはずです。

「安保粉砕、すべての基地撤去」では、言われた方の政府は答えようがありません。

県民の皆さん、ひとつひとつ具体的に解決に向かっていきませんか。

 

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日曜写真館 蘭ほどすごい花はない

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国はなぜ沖縄県と「和解」したのか

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昨日の国と沖縄県との「和解」は、一気に翁長氏との官邸での会談で内容が固まりました。

「工事中止、国と県の再協議焦点に安倍晋三首相は4日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部が示した工事の中止を含む和解案を受け入れる方針を表明した。県側も受け入れ、和解が成立した。国、県双方の対立が続けば、移設計画も危うくなるとして受け入れを決断した。今後は沖縄県との再協議が焦点となる。
 首相は官邸で記者団に「辺野古移設が唯一の選択肢であるという国の考え方に変わりはない」としながら「国と沖縄県が訴訟合戦を繰り広げている関係が続けば、結果として(普天間飛行場が)固定化されかねない」と強調。工事中止を関係閣僚に指示したと明らかにした。」(共同3月4日)

内容的には、私がよもや受け入れることはないと踏んでいた「暫定和解案」に、少々の修正を加えたものです。 

Photo_2時事3月4日 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる代執行訴訟で、国と県の和解が4日、成立した。写真は、沖縄県の翁長雄志知事(左)と握手する安倍晋三首相=同日午後、首相官邸) 

かねてからささやかれていたことですが、福岡高裁那覇支部は、国の代執行という強権発動にも似た手法に批判的であったようです。 

一方、県に勝たせるのは法理論上、無理筋なのはわかりきったことでした。 

裁判官としては、行政法上は国が勝つのは動かせないとしても、県民感情を逆撫でしたくはないという気持ちにはさまれてしまったわけです。 

これが地元の空気を反映しやすく、トンデモ裁判官が多い地裁レベルだと、あんがい県の勝訴だったりしたかもしれません。 

この裁判官の苦慮から生まれたのが、いわゆる「暫定案」と呼ばれる和解案でした。 

簡単に言えば、「双方とも自分の主張を引っ込めて、仕切り直ししてくれませんか。県は訴訟を引っ込めて、国もその間工事は中止して下さいね。そしてなおも協議がまとまらないなら、県が訴訟を提起して、その判決に双方従って下さい」、というものです。 

お分かりのように文字どおり「暫定的」で、司法の判断を避けて、当事者同士でもっと話あえという内容です。

しかし、かならずしも中立的ではなく、むしろ工事差し止めを求めている県に有利な内容です。

これを呑むと、おそらく最長で1年間ていど工事が中断されるために、国にとって不利な和解だと思われていました。

もうひとつ「根本案」も双方に提示されていましたが、これは事実上建設を容認する内容ですので、県が受け入れる可能性はゼロでした。 

Photo(琉球新報2月29日 沖縄県名護市辺野古の埋め立て承認をめぐる代執行訴訟の弁論が開かれた福岡高裁那覇支部の法廷) 

ところがこの私が呑むまいと思っていた暫定案をすんなり呑んでしまったのが、今回の首相の決断です。いや、たまげましたね。

ここで問題となるのは、この一見妥協に見える「和解」を選んだ首相の意図です。

翁長氏との官邸での会談を終えて、首相はこう述べています。

「国と沖縄県が訴訟合戦を繰り広げている関係が続けば、結果として(普天間飛行場が)固定化されかねない」と強調。」(共同前掲)

一言で言えば、首相はこの移設反対闘争を泥沼化はさせる気はないということです。

実はこの言葉には、「オール沖縄」の意図を分断する意志が込められたものです。

「オール沖縄」、とくに共産党は参院選に向けての戦闘モードに入っています。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-ff38.html

共産党の戦略は「国民連合政府」です。「戦争法案反対」・反安倍で、野党をまとめきろうとしています。Photo_9

日本共産党赤嶺候補サイトより引用
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-12-11/2014121101_01_1.html
 

この共産党にとって全国最大の拠点が沖縄であり、そこで成立させたミニュチア版「国民連合政府」が、この翁長県政だったのです。

上の写真を見ると「オール沖縄」の中心にいて、その指揮をとっているのが翁長氏ではなく、共産党だと分かってしまいます。

翁長氏はただ担がれて神輿に乗っている、使い捨ての裸の王様にすぎません。

これは前回の宜野湾市長選の時の選挙運動員の大部分が、共産党員によって占められていたことでも分かります。

共産党の好物は闘争です。これなくしては共産党は存在理由をなくしてしまいます。

したがってこの「沖縄県版国民連合政府」を維持するためのエネルギーも、ひとえに政府と戦うことから生み出されています。

Photo_6http://genron-cafe.jp/event/20150819/

そのためには共産党にとって、上の写真のように、常に沖縄は「怒号の島」であり、「差別に泣く島」であり続ける必要があります。

常識的に考えれば、観光で食っている沖縄が「怒号と差別の島」では、ブランドイメージが下がる一方なのですが、共産党にはかまわないのです。(かりゆしの平良さん。いいんですか?)

今回の「和解」に対して、間違いなく共産党は、「オール沖縄」の会議の席上で翁長氏サイドに対して強い批判をしたはずです。

その理由はもはや県民の利害ではなく、共産党の都合です。

というのは、この合意によれば、とりあえず協議は続きますが、.;双方とも立場にまったく変化がない以上、一定時期をもってこれを切り上げて、違法確認訴訟に移らざるをえません。

あるいは、その間に別の訴訟の結果が出てしまうこともあり得ます。

その場合翁長氏は、「これに従う」と明言してしまいました。

この結果が、県に厳しく、国に有利なものになる可能性はきわめて高く、その場合、ここで移転阻止闘争はジ・エンドになってしまいます。

少なくとも、「オール沖縄」=「沖縄版国民連合政府」にとっては、もはや為す術がありません。

なにせ、翁長氏は「判決には従う」と国民の前で言ってしまったのですから。

この判決が、参院選前に出されるかどうか分かりませんが、いずれにしてもこの「合意」でケツが切られたことになります。

いずれにしても、共産党としては、「新基地」が完成する10年先くらいまでグチグチネチネチとやりたかった辺野古闘争は、この「和解」でお気の毒にも年内で幕となります。

こうして、今でもそうとうにグラつきが出ている「オール沖縄」の内部分解が本格化します。

すなわち、この「和解」合意を、「一時的にでも工事を止めた。成果は出た」、として評価する翁長側や経済人たち保守くずれ層と、あくまで完全勝利まで戦うべきだとする共産党などの左翼陣営との温度差が顕在化するでしょう。

前者にとって、反対闘争はしょせん県内の政界・経済界の主導権争いの産物でしかありませんでしたが、後者にとっては確固たる「生きがい」です。

本来、相いれない立場の二つが、たまたま利害が一致したのでかついでいるのがこの「沖縄版国民連合政府」なのです。

この両者は元来の価値観がまったく違う呉越同舟だった以上、利害対立が起きれば自ずと自然崩壊へと向かっていきます。

おそらくは、次の参院選にゴリゴリの左翼の伊波洋一氏を立てるか、宜野湾市長選の志村氏のような保守くずれの候補を立てるかで、熾烈な争いになるでしょう。

Photo_7ウォールストリートジャーナル2014年7月18日より

一方、首相としては、無理に眼の前の勝利にこだわる必要はない、今、勝ちを急げば遺恨が残る、そう考えたはずです。

孫子が面白いことを、述べています。第三篇謀攻で、孫子はただ勝つのは下策だと言っています。

敵軍を物理的に負かしてみても恨みが残ります。国は荒れ、多くの人が死にます。

もっとも良い勝ち方は、相手が負けたと思わないが、実は負けてしまっている状況を作ることです。

今回の沖縄においては、国が県を「秒殺」をしてしまえば、県民にどうしても「司法まで裏切ったのか」という恨みやしこりが残ります。

この恨みから、闘争は激化するかもしれないし、政治日程的には県議会選や参院選にも影響が出るでしょう。 

恨みを持たせないために、いったん「和解」して話あいを続け、その結果、司法の判断を仰ぐなら、まったく状況は違ってくるはずです。

そしてもうひとつは、これを国の主導権で行うことです。

同じことでも、県や裁判所にイニシャチブを握られてすることでは、まったく力関係の持つ意味が違ってきます。

今の状況は、いかにも県が押しているようにみえても、そうではありません。

客観的に見れば、県は乱訴という無茶苦茶な手段しか残されていない手詰まりの状況なのです。

ここで、不利な判決がひとつでも出ればそれで投了です。本来、リアリスト政治家だっだ翁長氏にとって勝利の展望などまったくないはずです。

方や国のほうは、今後いかようにでも工事を行えますが、県はそれを阻む手段は事実上なきに等しいのです。

いってみれば、いかに「カッコよく負けるか」ということが頭をよぎっていると思います。

こういう絶対的に強い力関係を背景にして、今回の「和解」の手が国から差し伸べられたということを知るべきでしょう。

つまり国にとってもはや勝つ負けるという次元ではなく、その「勝ち方」が問われ、一方県はその「負け方」が問われているというのが、あからさまな力関係なのです。

Ls

このように見てくると、もはや首相にとっては、沖縄県に対する対応は内政と外交のグレイゾーンに位置しているようです。

今回安倍氏がとった手段は、韓国に対してとった慰安婦「和解」と似た手法でした。

一見相手の言い分を呑んで譲歩したようにみせ、今後二度と同じことを言わせない言質を取る、という姿勢です。いわば肉を切らして骨を断つ政治手法です。

そして、グレイゾーンにいる沖縄を、これ以上中国の方向へと押しやらず母国の方にと引き戻すための「和解」だったと思います。

そのために1年ほど工事が伸びたとしても、それは想定内なはずです。

米軍はもともと普天間にいたいのですから異議がないはずですし、政府は既に米国のNSCに日本NSCの谷内氏を派遣してまで完成の延期を打診していました。

この周到な米国への根回しに基づいて、今回の県との「和解」がなされたわけです。

私としては、ぜひこの協議において日米地位協定第17条5項Cの改定と、シュアブ陸上案の復活を望みたいものですが、今日はこのくらいに。 

※大幅に加筆しました。とほほ。

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速報 国、県と「和解」へ 慰安婦日韓「和解」の沖縄版か?

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正直、驚きました。

なるほどね・・・。本当にうちの国の首相は、私のような凡人の考え及ばぬ手を打ってくるご仁だ。

これが今回の「和解」の報道に接しての率直な感想です。おそらく翁長氏もびっくりしているはずです。

まずはもっとも的確なNHKからみます。

「■首相 辺野古埋め立て巡る裁判で和解案受け入れる方針
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、国と沖縄県双方が訴えた裁判で、安倍総理大臣は、工事の中止を含む裁判所が示した和解案を受け入れる意向を固め、関係閣僚に伝えました。沖縄県側は、和解案を受け入れる方針をすでに裁判所に伝えていることから、国と県との和解が成立する見通しとなりました。
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、国と沖縄県との間では3つの裁判が行われていて、このうち沖縄県の翁長知事が、移設先の名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消したことに対し、国が知事の代わりに取り消しを撤回する代執行を求めた行政訴訟で、裁判所は先に和解案を示しました。
裁判所の和解案は当初、暫定的なものと根本的なものの2案がありましたが、裁判所はその後、先月29日の弁論に合わせて、沖縄県側が前向きに検討するとしてきた暫定案を修正した新たな和解案を示しました。
新たな和解案では、国と沖縄県の間で行われている裁判をすべて取り下げ、工事を中止したうえで、国が、翁長知事が行った埋め立て承認の取り消しの是正を指示するよう求めています。そして、沖縄県側がこれを不服とする場合には、国の是正指示を取り消す裁判を起こし、この裁判の結果に双方とも従うとしています。あわせてこの裁判の判決までに、国と沖縄県は、円満な解決に向けた協議を行うことなどが盛り込まれています。
政府は当初、工事の中止は受け入れられないとしてきましたが、安倍総理大臣は、国と県とのいわば訴訟合戦が続くような事態は好ましくなく、対立が長引けば普天間基地の危険性の除去や移設計画の実現も危うくなりかねないとして、新たな和解案を受け入れる意向を固めました。
そして安倍総理大臣は4日昼すぎ、総理大臣官邸で、岸田外務大臣や中谷防衛大臣ら関係閣僚らに対し、こうした方針を伝えました。
また政府は、外交ルートを通じてアメリカ政府に対し、この方針を伝えました。
関係者によりますと、工事の中止を盛り込んだ新たな和解案について、沖縄県側は受け入れる方針をすでに裁判所に伝えていることから、国と県との和解が成立する見通しとなりました。

 一方、沖縄県の安慶田光男副知事は「辺野古に新基地を造らせないという姿勢は変わらない」と表明。翁長知事は、辺野古移設が唯一の解決策と首相が繰り返したことに対し、「大変残念な発言だ」と述べた。 」(NHK3月4日)

「■辺野古訴訟が和解=普天間移設工事は中止-国と沖縄、主張変わらず
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる代執行訴訟で、国と県の和解が4日、成立した。移設工事を中止した上で、国と県が問題解決に向けて協議するとした福岡高裁那覇支部の和解案を双方が受け入れた。政府は県との訴訟合戦の長期化回避を重視し、従来の強硬姿勢を改めた。ただ、辺野古に移設する現行計画が「唯一の解決策」との立場は崩しておらず、移設阻止を掲げる県側との協議は展望が開けているわけではない。
 和解を受け、安倍晋三首相は4日、移設工事の中止を中谷元防衛相に指示した。この後、沖縄県の翁長雄志知事と首相官邸で会談。工事の中止を伝えた上で、移設計画に関する政府の立場を説明、接点を探るとみられる。
 和解に当たり、首相は記者団に「国と県が延々と訴訟合戦を繰り広げる関係が続けば、結果として普天間の現状が何年も固定化されかねない」と理由を説明。「司法判断が下された場合には、国も沖縄県もその判断に従い、互いに協力して誠実に対応する」と述べた。
 ただ、首相は同時に「辺野古移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはない」とも明言。米政府当局者も、現行の移設計画が「唯一の解決策だ」と重ねて強調した。」(時事3月4日)

「■沖縄県、国交相に対する抗告訴訟を取り下げへ
沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、埋め立て承認取り消し処分の効力を一時停止した国土交通相の決定は違法として、県が決定の取り消しを求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日午後、那覇地裁で開かれた。
 辺野古移設を巡る代執行訴訟の和解が同日成立したことを受け、県側が今後、今回の訴訟を取り下げる意向を表明した。
 原告の県側は代執行訴訟の和解内容に基づき、防衛省が行政不服審査法に基づく効力停止の申し立てを取り下げ次第、追って訴訟を取り下げるという。」(読売3月4日)

                         ~~~~~~

Photo_2
詳しい分析は明日にまわしますが、国が新たに出した「修正案」です。

●「根本案」
・県・・・承認取り消しを撤回する
・国・・・辺野古建設後30年で軍民共用空港にすることを米軍と協議する

●「暫定案」
国に対して
①代執行訴訟を取り下げる
②県の違法性を確認する裁判を提起する
③工事は一時中止となる
県はこの判決に従う
●「修正案」

国と沖縄県の間で行われている裁判をすべて取り下げ、工事を中止したうえで、国が、翁長知事が行った埋め立て承認の取り消しの是正を指示する
沖縄県側がこれを不服とする場合には、国の是正指示を取り消す裁判を起こし、この裁判の結果に双方とも従う

私はこの段階で根本案以外国が呑むことはありえないと考えていたので、大きく私の予想ははずれたことになりました。

一見、暫定案に近い内容で、翁長側に「一時的勝利」の顔をたてさせながら、巧みに完全解決へと導こうとしています。

県も無理やり「顔を立てさせられた」ということを分かっていると見えて、「不服」だそうです。何を言っているのか。

諸君らが永続的反基地闘争をしたいという魂胆は、見え透いているのですよ。

おそらくこの人たちは、次の県議会選、参院選までドロドロネチネチといくつもの訴訟が並行して続き、その都度知事が反権力のヒーロー然として登場する絵図を描いていたはずです。

強権を押しつける国家権力=安倍vs戦う沖縄のヒーロー=翁長という図式を県民のみならず、国民全部に見せるのが戦略だったはずです。

勝ち負けとは関係なく、これこそが最大の反基地・反安保のプロパガンダになるパン種のはずでした。

この国の「和解」で、その夢は半分吹き飛んだわけです。

国は約1年間の工事中止と引き換えにして、県にこの新たな訴訟による判決以降、二度と文句を言わせない道を選んだわけです。

もちろん、この訴訟で完全に合法性を獲得することが目的であると同時に、二度と金輪際、未来永劫、県に移設計画で横やりを入れさせていための選択です。

大変に似た首相の決断に、昨年末の韓国との慰安婦問題和解があります。

ここでも首相は、大きく譲って、その見返りとして、二度と蒸し返さないという確約を韓国から取り付けています。

韓国との「和解」の場合、国際社会、すなわち米国が保証人となりましたが、今回の場合、この役割は裁判所となります。

おそらく、今回の国の決断は、韓国を沖縄県に置き換えれば、そのまま通用するでしょう。

これで、いったんは振り出しに戻ります。

国がこの決断をしたことは、県が乱訴と呼ぶにふさわしい訴訟の飽和攻撃をしかけていることを、いったんは整理して、一本に絞ることです。

従来どおりだと、仮に国が緒戦で勝利したとしても、数年先、最高裁までだとさらに先までずるずると泥沼化し、反基地闘争の温床となることが予想されていました。

この危惧が、これで消滅します。

翁長側が不服としているように、国は根本的には従来の移設計画を放棄したわけではない以上、承認拒否に対する違法訴訟が提起されることになるでしょう。

これで17日の判決を待たずして、違法訴訟に決戦の場が移ることになります。

 

 

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日米地位協定第17条5項Cを改定せよ

031
もう遠い過去のような気がするので不思議ですが、本土政府との話し合いで移設承認を決めて、島に戻った仲井真知事は、すさまじいバッシングに遭遇します。 

その時に地元を差し置いて、知事に向かって「あんた日本語ができるのか」とやったのがTBSの金平茂紀キャスターだったことをよく覚えています。 

クールな知事が珍しく色をなして怒っていました。この後、地元2紙を先頭にして、「金で島を売った」というリンチが始まります。 

さて、その時も(今もなおですが)とりあげられなかったのは、仲井真氏の背中を押したのが何だったのかということです。 

たぶん、地元紙がいうように振興予算の上積みではなかったはずです。

そんなものは、この切羽詰まった状況で本土政府が上積みするのは見えています。タフネゴシエーターの仲井真氏がそれだけでこの重い決断に踏み切るはずがありません。 

私は、その大きな理由のひとつに日米地位協定改定に向けて努力するという言質を、首相から引き出したからだと思っています。 

しかし、それから翁長氏に変わって、もはや日米地位協定改定は進まず、まるで辺野古に移設することこそが、最大の問題であるかのような別の流れが作られてしまいました。 

私は日米地位協定をきちんと改定しないで、沖縄県民の基地に対する理解を得るのは難しいと思っています。 

今まで現行協定では、米軍人の「柵の外」、つまり日本の主権内で起きた犯罪に対しても、米兵に限ってわが国の司法がこれを裁くことが出来ませんでした。

いや、正確に言えば、裁判自体はできますが、まず最初に裁判する権利は、米兵に限ってまず米軍が裁く権利を有します。  

これを「1次裁判権」といいますが、これを日本はこと米兵に対してだけは例外として持ちません。

同様に、被疑者の身柄の確保も、現行犯で日本警察が米軍より先に身柄を押さえない限り出来ません。 

ですから、いったん「柵の中」に逃げ込まれたら最後、身柄の返還は米軍が裁いた後に「返してもらえるかもしれない」ことになります。 

この地位協定によってどれだけ沖縄が悔しい思いをしてきたことか。この日米地位協定の改定は、いわば沖縄の悲願だったといっていいでしょう。 

単なる基地移設だけではなく、このような踏み込んだ政府の取り組みに、仲井真氏は心打たれたようです。 

日米地位協定第17条5項Cにはこのように述べています。
※外務省HPhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/rem_keiji_01.html

日米地位協定第17条5項C
「日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。」

(c) The custody of an accused member of the United States armed forces or the civilian component over whom Japan is to exercise jurisdiction shall, if he is in the hands of the United States, remain with the United States until he is charged by Japan.

1995年9月に沖縄での少女暴行事件が起きています。12歳の少女に対する小児性愛者による暴行事件でした。

思い出すだけで、歯ぎしりしたいような、日本人として絶対に許してはならない事件でした。
※事件についてはhttp://blog.livedoor.jp/jimennoana/archives/1039079022.html

ここでその詳細には触れませんが、この時の県民の怒りは保革の別なく大きなものでした。

9月13日には県議会米軍基地対策関係特別委が地位協定改定意見書と抗議決議を全会一致で可決したのを始め、10月までには県下53すべての議会で抗議決議が可決しました。

Photo
私は、未成年の政治活動に対しては冷やかですが、ことこの事件に関してはこの壇上の少女と怒りを共有します。

この世代の女性たち、もっとも保護されねばならない子供が、故無き性的暴行を受けたことに対して、怒りをぶつけ抗議する権利はあなたたちにあります。

しかし、本土政府の対応は鈍く、9月18日に衛藤征士郎防衛庁長官が地位協定見直しを示唆する発言をしたところ、それを20日には当時外相だった河野洋平氏が、「日米協定があって地位協定がある。この問題で見直しうんぬんを言うのは議論が走りすぎている」と拒否しています。

河野氏の鈍さには度し難いものを感じます。

言うまでもなくこの河野氏は1993年に官房長官時に、あの悪名高き河野談話を出した人と同じ人物です。

彼は朝鮮人慰安婦に対してはこう述べています。脱線しますが、引用しておきます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

「当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」

どうして朝鮮人の職業的娼婦に対してはかくも優しい河野氏が、自国民の少女にはこんなにも冷淡でいられるのでしょうか。

この犯人3名に対して、米国高官すら「ビースト」(野獣)と吐き捨てるように呼んでいるのにかからわず、当の日本の外務大臣がこれではどうしようもありません。

私が河野という人物を信じられないのは、こういう二面性があるからです。

まさに沖縄の少女は、「その意志に反して」暴行を受け、「名誉と尊厳を傷つけられた」のではなかったのですか。

ならば、外相として真っ先にやるべきは、犯人の身柄引き渡しだったはずです。

また、政府高官として、沖縄の少女に「お詫びと反省」を言わねばならない立場でした。

ところがこの事件を受けた外務省は、10月の「刑事裁判手続に関する日米合同委員会合意」で、こんな合意でお茶を濁そうとします。

刑事裁判手続に関する日米合同委員会合意
「一 合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う。
合衆国は、日本国が考慮されるべきと信ずるその他の特定の場合について同国が合同委員会において提示することがある特別の見解を十分に考慮する。

二 日本国は、同国が一にいう特定の場合に重大な関心を有するときは、拘禁の移転についての要請を合同委員会において提起する。」

まさに官僚の作文です。
このような条文解釈で終始すれば、結局は問題の所在を条文解釈に限定してしまい、かえって温存することになります。
まず、このような許しがたい犯罪が行われた場合、日本政府が求めるべきはひとつです。
可及的速やかに日本側に被疑者の身柄を引き渡せ、と米国に要求することしかありません。

上記の日米合同委員会合意では「被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う」で止まってしまっています。

基地内に逃げ込んで身柄を押さえられた被疑者を、日本側の強い「要請」があったからといって、米国側がその場で日本警察に引き渡す「好意」を示してくれるものかどうか、少し考えてみればわかるはずです。

米軍司令官の立場に立って考えてみましょう。

米軍司令官は、自国民を保護することが義務です。それは犯罪を犯したとしても同じで、自国の法によって裁くのが「自国民保護」です。

もし、この時司令官が当該国に対して「好意」を示したりすれば、彼は米国民から見れば自国民の保護をせずに外国に引き渡したということになってしまい、非難を受けるでしょう。

だから、米国側が先に取り調べて事実を知りたいと思うのは、彼らの立場とすれば当然なのです。

この「好意」は、文書原文ではsympathetic consideration で、直訳すれば「同情的細やかな配慮」です。

なに言ってんだか。どうしてこういうあいまいな言葉で、かくも重い罪を犯した被疑者の引き渡しを取り決めたのでしょうか。

明確に、日本国内で基地の「柵の外」で行われた米兵の犯罪に関しては、いかなる理由があれ例外なしに日本警察に司法権がなければなりません。

したがって、仮に被疑者が基地内に逃げ込み、米軍に取り押さえられて「好意」によって引き渡された場合においても、日本警察は基地から連行し、日本警察の中で取り調べを受けさすべきです。

これが対等の同盟関係というものであって、それを相手側の「好意」にすがらねば凶悪犯の身柄ひとつ押さえられないという不平等性こそが、問題なのです。

 

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電波利権をなくせば、放送法はいらなくなる

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昨日、今の電波の独占状況に乗って、「正義」のジャーナリスト諸氏が、「統制反対」を叫ぶのはお笑い草だと書いてきました。今日はその続きです。 

さて、一見方向違いなことからみていきましょう。 

去年の9月のことでしたか、首相は経済諮問会議で、「携帯料金が高いから安くしてほしい」というようなことを述べています。 

アベさん、無理いいなさんな。 携帯各社も、冗談じゃないという反応だったようです。

なるほど日本の携帯料金が、世界でも高いクラスなのは事実です。各国の料金比較見てみましょう。 

あらかじめお断りしておきますが、料金体系は日本でも各社かなり違う上に、国によっても違いがありますので、あくまで目安です。

Photo_2OECD調査における携帯電話料金の国際比較(出典:OECD「Digital Economy Outlook 2015」)
https://www.icr.co.jp/newsletter/icte20150811-kubota.html

上図はOECD各国の料金です。日本は高い方から3番目に入っています。 

このグラフを出した情報通信総研も、この比較は日本に不利な条件でなされていると断っていますが、それでもなおロンドンやソウルよりかなり高い水準にあることは事実です。 

この携帯の高い料金は、首相が指摘しているように家計を大きく圧迫しています。 

総務省家計調査によると、2人以上世帯の通信費は2014年が年間18万8000円で、家計支出に占める割合は10年前と比べて、約2割上昇しているそうです。 

Photo_6http://www.garbagenews.net/archives/2065470.html

電話通信料の金額の消費支出に対する比率がここまで高いと、家計に対するプレッシャーが大きくかかるのも無理がないところです。 

では、この携帯料金の高止まりの原因はなんでしょうか。 

この首相の要請は、テレビ局各社が報道しましたが、絶対に言わなかったことがひとつあります。 

それは携帯の国に支払う電波利用料が、もっとも高いということです。 

最近ようやく知られて来ましたが、日本の電波は国(総務省)が割り当てをしています。

テレビ局や携帯各社はその電波利用料を国に支払っているわけですが、その額には大きな差があります。 

Photo_7

上のグラフは総務省の資料から作られたものですが、携帯各社で実に85.7%を負担していることに対して、テレビ局(放送事業者)はたった5.8%しか負担していません。 

この図より去年13年度はさらに増えて、携帯各社の負担率は歳入額は約806億円のうち87%にも達しています。 

こんな極端な隔たりがあると、携帯会社が電波を支えているのに、「冗談じゃねぇや。オレにいうな」という携帯各社の気分も大いにわかりましす。 

具体的に電波料金を比較してみましょう。

●2013年度の携帯・PHS等の通信事業者8社の電波利用料支払総額・・・約700億円

一方テレビ局の電波使用料はといえば、下図をご覧ください。 

Photo_8週刊ポストより

携帯会社は大手のドコモだけで、電波利用料として実に244億支払っています。NHKの10倍以上、民放各社の実に平均60倍です。

そして電波利用料に対して事業収入が占める比率も、民放各社わずかに0.1~0.5%にすぎません。

●2013年度のテレビ局放送事業者の電波使用料支払い総額
・NHKも含めた全国128局の電波使用料の総額・・・約56億6200万円(7%)

テレビ局の売り上げを見てみます。全体で約2兆8490億円あります。 

Photo_92010年度テレビ局売り上げhttp://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-122.html

つまり、テレビ局は約2.8兆円売り上げて、その電波の仕入れ値はたった60億ていどなのです。

原価でもっとも大きな割合を占めるべき電波利用料がたった0.2%!もうこりゃ、論評以前にヘナヘナしてきますな。 

これなら古館氏には年俸12億、テレビ局社員は新人でも1000万やるのは軽いはずです。

ちなみに、テレビ局員の年収は、フジテレビの社員の平均年収は軽く1500万円を超え、TBSも1500万円弱、テレ朝、日テレも1300万円超えでいます。

世界に誇る日本のハイテク・メーカーの社員の年収は、テレビ局の社員の半分にも達していません。

こうなるともうひがんでいると思われてもしかたありませんが、フジの会長は年収1億7千万ですぜ。ははは。まさに電波貴族です。

Photo_11出所: 会社四季報 2010年04月号年収プロ

民放がタダなのは当然。NHK、受信料返せ。

ああ、だんだんむかっ腹が立ってきたゾ。どこの世界に原価のうち最大を占める要素が、たった0.2%などという馬鹿にしたようなことがあるもんですか。 

こういうハッチャメチャな安値を世間では、「ただ同然」とか「持ってけドロボー」、あるいはそのままズバリで「暴利を貪る」と呼びます。 

ちなみに同じメディアの出版社の利益率と比較してみましょう。 

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もうバカバカしくて涙も出ませんが、出版社がわずか1割の粗利で食っていることがわかります。 

同じメディアでも、出版社は原価率90%、方やテレビ局は0.2%です。もちろん番組制作費や管理費などもあるでしょうが、ケタが違いすぎて比較になりません。

テレビがいかに優遇されたメディアであるか分かります。

こういうベラボーな安値の秘密は、その発信局のカウントの仕方にあります。

なんとわが国では電波利用料は、各社が保有する無線・中継局の数によって決めているのです。 

携帯の末端1台でも一局とカウントされますから、な、なんと原理的にはテレビ局一局も携帯1台も、一台は一台なのです。わ、はは!もう笑うっきゃないぜ。

これに携帯各社は200円の電波使用料を支払っています。これがさきほど掲げた円グラフで、携帯の電波使用料だけで85%にもなってしまう最大原因です。

そしてさらにこのテレビ局の「持ってけ、ドロボー」状態はまだあります。

あざといことには、テレビ局はこの2.8兆円売り上げて、60億で主要原価が納まってしまう「電波利権」を、わずか7局で独占していることです。

電波の専門家によれば、このUHFだけで30局は軽く取れる帯域を競売制にすれば、数十局が入るといいます。

現実に米国はそのような競売制にして、その代わりに日本の放送法のようなものは一切ありません。

これが普通の電波のあり方で、日本のような戦時中の電波統制の名残のような電波行政を根本から改めるべき時なのです。

そうすれば、巨額な電波利用料が国庫に入りますから、消費増税の必要もありません。

おまけに携帯料金はグッと安くなり、視聴者はさらに多くのコンテンツを安く見られるようになります。

6時のニュースで、くだらないラーメン特集や名物女将の奮闘記なんか見なくてもよくなります。(ああいうのを「ニュース」と呼ばないでね)

CNNのような報道専門局が地上波にあってもいいのです。

はたまた、怒りの青山繁春氏がキャスターをするニュース番組が、岸井成格氏のニュース23の裏番にあったりすると、視聴者の選択の自由の幅が拡がるというものです。

何か競売制にすることによる不都合があったら、逆に教えてほしいほどです。

なに?放送法をなくしたら、国が放送内容をチェックできなくなるって。だから、そんなことは国民がやることなの。放送法そのものが不要なの。

もっとも電波貴族、失礼、「正義」のテレビ言論人諸氏には、困った事態でしたか。

そうなったら彼らは、「政府は放送法を守れ」という記者会見でもするのでしょうか(苦笑)。

 

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左翼ジャーナリストは放送法廃止を訴えるべきだ

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ひさしぶりに気色悪いものを見てしまいました。 ご承知の方は引用以下からどうぞ。

「田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、岸井成格氏ら放送業界で活動しているジャーナリスト有志が29日、高市早苗総務相の「電波停止」発言に抗議する記者会見を東京都内で開き、「私たちは怒っている」「発言は憲法、放送法の精神に反している」とする声明を発表した。
 呼び掛け人には、田原氏らのほかに、田勢康弘氏(会見には欠席)、大谷昭宏氏、金平茂紀氏、青木理氏が名を連ねた。
声明では、高市氏の発言が「放送による表現の自由の確保」を定めた放送法1条や「表現の自由」を保障する憲法21条の精神に反していると主張。その上で「現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく『息苦しさ』を増していないか」として、「自主規制、忖度、萎縮が放送現場の『内側から』拡がることになっては、危機は一層深刻だ」と訴えた。
 会見で、岸井氏は「高市発言にはあきれ果てた。憲法、放送法の精神を知らない中での発言であれば、大臣失格だ。仮に曲解しているのであれば、『言論統制を進めたい』と思われても仕方がない」と高市氏を批判。田原氏は「非常に恥ずかしい発言。全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、残念ながら多くの番組は何も言わない。高市さんに、恥ずかしい思いをさせなければならない」と訴えた。」(産経2月29日)
 

下の写真で全員が行儀よく同じ横断幕を持って並んでいる姿をみると、力なく笑ってしまいます。Photohttp://thepage.jp/detail/20160229-00000005-wordleaf

まぁ、こういうことを言いそうな人たちの全員集合といえばそれまでですが、そもそも私はこいう全員で同じスローガン幕を掲げるという、精神の傾き自体がすごく不健康でイヤだ。

本来、ジャーナリストという職業は孤独なものです。自分の言説には自分で責任をとるか、会社でとるべきで、集団的示威行動という次元とは一線を画さねばなりません。

私はジャーナリストは、自分の言論と集団的政治運動は、まったく同じ重さとして拮抗させるべき職業倫理を持つ者だと思っています。

つまり,安易に集団的示威をしないということにおいて、個人の報道者としての発言の重みが保障されるのです。

平たく言えば、デモの常連さんが何を書いても、それはデモ隊のシュプレッヒコールとたいして変わらないじゃありませんか。

こういうわきまえが、この人たちにはありません。

ですから、ある時は反安倍のデモ隊、ある時はそれを報じるジャーナリスト、ある時はその解説者、といったふうにその時々で立場が変身するのです。ずるくありませんか。

Photo_2http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253648

ここに顔を出している鳥越氏など、むしろ有名なジャーナリストという肩書を積極的に利用して「戦争法案」反対のデモでアジりまくっていました。

それはおかしいんじゃないかと思います。

ジャーナリストは同じ表現者であっても、作家やアーティストとは違います。対象を突き放す客観性が担保されていなければなりません。

これはいわゆる「中立性公正性」とはやや違います。

ジャーナリストが個人でどんな政治信条を持とうと自由です。しかし報道するに際してはあくまでも対象を対象として「見る」立場に徹しなければなりません。

しょせんジャナリスト、ただの「報道者」、悪く言えば傍観者であって、同伴者ではないのです。

そのわきまえを忘れて、ジャーナリストだからなにか言える、ジャーナリストだから自分の発言が高級そうに見える、それを利用して政治活動をするというのは、ジャーナリストとしての自殺行為です。

鳥越さん、そんなにデモに行きたいなら、個人でひとりの国民として静かに歩け。自分の「ジャーナリスト」という生業を付加価値にするんじゃない。みっともない。

そういうトンチキな錯覚をしている鳥越氏を、なにか英雄のように報じるのが金平さん、よいしょの時事解説をするのが岸井さんや大谷さんたちです。(別に鳥越さんのデモ参加についてこの人たちがなにか言った、という意味ではありませんので、念のため)

Photo_4
私は別にジャーナリストが、「言論の自由を守れ」というアピールをしてはいけないなどと言う気はありません。

このようにジャーナリストが「集団的自衛権」(笑)を行使するなら、そうおうに切羽詰まった状況で、これ以外に手段がないというなら、大いにおやりなさい。

ではこの人たちにお聞きしたい。今、そんな「言論統制」の時代がさし迫っているのですか?

本気でそう思っているなら、ジャーナリストなんか廃業したほうがいいでしょう。

むしろここで共同会見を開いたのは、今、安倍を叩いておかないと衆参同時選挙で勝たれたりすりゃ、改憲されちまうという政治的危機感の現れにすぎません,。

今まで言いたい放題で、報道とは政治的主張の言い換えにすぎないと錯覚してきたのが、この人たちでした。

この人たちが「報道が萎縮している。自主規制している」などと世迷いごとを言うのを聞くと、吹き出してしまいます。9割の時間を安保法案反対で報道しておいて、どこがぁ(爆)。

しかし、それを判定するのはあくまでも視聴者たる国民であって、国ではありません。

岸井氏や古館氏の降板は国家権力の介入のためではなく、視聴者の苦情が絶えなかったからにすぎません。

私は先だって書いたように、高市氏の発言は国が放送法がいう「不偏不党」を解釈する判定権者であるのは間違いだと思っています。

しかし現行法では、あくまでも判定権者が国にあるとされている以上、仮に悪法でも法なのです。

それは総理も答弁するように、平成22年に時の民主党政権・平岡総務副大臣が高市氏とまったく同じ発言をしたことでもわかります。

だからよいのではなく、その放送法自体がそもそもおかしいのです。

政治的な公平性を欠く報道」などを、国家権力には判定できませんし、するべきではありません。

もしこのジャーナリストたちが抗議するなら、それは高市氏にではなく、現行放送法を変えろ、と要求すべきことなのです。

それを政局絡みで、「高市氏に恥をかかせる」(田原氏)などという、言わなくていいことを口走るから、あなたは老害と言われるのです。

このジャーナリストたちが持ち出したのは、放送法第1条2と3の「放送による表現の自由を確保することと「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」という文言です。

では、その放送法第1条をみてみましょう。

●放送法第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

はい、このとおりです。

確かにこの人たちが言うように、「放送による表現の自由」は述べていますが、その条件として「不偏不党」であれと述べています。

また「健全な民主主義の発展に資する」ためには、「放送に携わる者の職責」の重い責任を自覚しろ、と放送法は述べています。

つまり、現行法は「不偏不党」という枠内で、「職責の重さ」を自覚してやらないと4条で「電波を停止」することも可能だ、と言っているのです。

これがイヤで今後も左翼運動家的ジャーナリズムをしたいのなら、放送法をつぶしす運動をするしかないではありませんか。しかし、なぜかこの人たちにはできません。

Photo_3出所不明 この人の沖縄報道は素晴らしく偏っている。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-a26b.html

なぜならそれは民放局はこの放送法と電波独占がトレードオフな関係だと知っているからです。特に現役TBSの執行役員である金平さんが、それを知らないはずがありません。

ですから放送法を変えろと主張すれば、いいよ、その代わりに電波の配分方法も考え直させてもらう、と政権党に言われるのが怖くて黙っているだけです。

国が電波の割り当て権を持つのは仕方がないとしても、そこから放送の内容まで干渉すべきではありません。

その意味で、彼らに「放送法を遵守させろ」という意見がネット界には強いようですが、私はそうは思いません。

問題のありどころが違うのです。彼らの偏向報道は、あくまでこの地上波の独占の上にアグラをかいているからこそ可能だということを、きちんと押さえたほうがいいでしょう。

地上波を入札制にして、新規参入を認めて通常の市場競争を回復させることです。

その中でおのずと、報道姿勢にも淘汰がかけられるでしょう。

それにしても、電波は独占したい、その独占した電波を使って「報道の自由」はめイッパイ満喫したい、ちょっと与党から文句を言われるとキレて横断幕をもって記者会見をするというのですから、ホントにまったく中学2年生みたいな人たちですね。

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-1aef.html

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代執行訴訟が結審しました

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翁長知事の承認取り消しをめぐって争われていた代執行訴訟が、昨日結審しました。3月17日に判決言い渡しになります。 

高裁那覇支部の今までのニュアンスだと、明確な白黒ではなく、和解案で折り合いをつけてくれないか、という線でまとめたかったと思われます。 

この高裁が示した和解案は二つあります。

●「根本案」
・県・・・承認取り消しを撤回する
・国・・・辺野古建設後30年で軍民共用空港にすることを米軍と協議する

 ●「暫定案」
国に対して
①代執行訴訟を取り下げる
②県の違法性を確認する裁判を提起する
③工事は一時中止となる
県はこの判決に従う

お分かりのように「根本案」は建設それ自体を認めていますから、政府に有利です。 

もちろん軍民共用空港ということや、30年後という時限が現実的かどうかという細部の修正はありえるでしょうが、国として呑めない案ではありません。 

一方県にとっては、逆に建設自体は進むのですから事実上の敗北です。県が呑む可能性はないと言っていいでしょう。 

では「暫定案」はといえば、国に対する要求の色彩が強いものです。 

政府は代執行という強権的な方法ではなく、違法確認ていどで済ますべきだったという高裁の見解が覗いています。

どうやら高裁は、この代執行そのものには否定的で、こんな国と県がガチンコで衝突するのではなく、もっと穏便な方法をとれよ、と言いたいようです。

しかし、高裁の気分は分かりますが、法的に正しかろうとどうしようと力攻めしているのは翁長氏側な以上、この高裁の穏健な良識は通用しないでしょう。

ただし、工事は代執行という手続きでしているために、違法性確認訴訟に切り換えた場合、建設続行の法的根拠がなくなります。 

となると、違法性確認の判決がでるまで、一時的に工事は中止されることになります。 

まぁ、翁長氏にとって完全勝利とまではいかないにしても、一時中止を勝ち取ったと触れ回るでしょうね。 

ただし、それも一時的勝利で、「暫定」と裁判所が言うとおり、違法訴訟に転換したとしても、この秋までにはその判決も出るはずで、一時の「勝利」感に酔うだけとなります。

ただ、これも国が暫定案を拒否すればそれまでです。 

この承認取り消しの違法性について翁長側は、高裁審理の中でいくつもボロを出しています。 

「第4回口頭弁論が15日、福岡高裁那覇支部で開かれ、翁長氏に対する本人尋問が行われた。翁長氏は行政処分の取り消しが極めて例外的にしか行えないとの判例について「よく分からない」と述べ、認識しないまま承認を取り消していたことを認めた。
 国と県双方の弁護士が質問し、翁長氏は過重な基地負担を強調したが、国は取り消しの経緯をただした。
 国は、取り消しの根拠となる報告書をまとめた県有識者委員の1人が委員会設置直後に承認の瑕疵(かし)を確実に見つけると発言していたとの報道を示し、委員会の客観性に疑問を呈した。翁長氏は委員の主張を把握していなかったとした。」(産経16年2月15日)

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つまり、まず翁長氏が根拠としている「第三者委員会」の委員は、審議の前から「瑕疵を見つける」と発言している人物を委員にするような偏った人選でわかるように、中立性客観性に大いに欠けるものでした。 

これについてはかつて記事にしました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-03a3.html 

ヒアリングがまるで委員の職員へのつるし上げのような状況だったことも、承認取り消し後に暴露されています。

たとえばこんな風景です。

・当真 「環境保全などで知事が提出した意見をどういう形で検討したか」
・職員「5百数十件の意見を出し、意見に対する防衛省の見解ということで全部示されている。知事意見を受けて補正した部分がどうなっているかはすべてチェックした」
・当真 「防衛省の見解をチェックした。それでもう全部OK、500をクリアしたから大丈夫と。そこで出ていないものは問題ないという判断だったのか」
・職員「約9カ月、(埋め立て)申請書の内容を詳細に調べ、関係部局にも意見を照会した。意図的にわれわれにミスがあるかのような言い方をされることは心外だ。審査の結果、環境保全上の支障を見つけられなかったというのが現状だ。

ここで職員は怒りを込めて「意図的に我々にミスがあるような言い方は心外だ」と抗議しています。

万事この調子です。

瑕疵があるから承認取り消しをしたのではなく、承認取り消しをしたいから瑕疵をみつけているのです。

このようなバイアスのかかった第三者委員会を作った理由は、知事の職務権限からの超越を合理化するためです。

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行政訴訟法には行政の裁量権について、こんな一項があります。

■行政事件訴訟法
(裁量処分の取消し)
30条 行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる。 

翁長知事が使っている行政法の根拠はこの条項です。仲井真知事が「行政庁の裁量処分についてその濫用があった」と言いたいわけです。

どう見ても私には、「行政の裁量権」を濫用しているのは翁長氏のように見えますが、翁長氏は前知事だと言い張って、それを是正するために承認取り消しをしたのだ、といいたいようです。

ここで問題になるのは、この「裁量権の濫用」の判断基準は何かということです。

何をして、「裁量権の範囲」と定め、何をして「濫用」と呼ぶのか、です。

知事が持つ権限は公有水面法に基づいての審査です。

翁長氏は、今回の心理でも、「米軍基地は抑止力にならない」というような前泊氏から聞いたような左翼的安保論議に耽っていましたが、そんなことは知事権限とはなんの関係もありません。

知事に唯一認められているのは、公有水面の埋め立てが環境に悪い影響を与えないかという建設工法の審議です。

翁長氏は、あくまでも前の行政の「裁量権の濫用」に引っかけてやりたいのなら、シンプルに「環境保護」一本槍でいくしかないのです。

しかし、翁長氏はこの第三者委員会においても、決定的な環境保護上の瑕疵は見いだせませんでした。

だから第三者委員の桜井氏はこのような言い方で職員を責めています。

「県民の観点からそれではいかがなものかなと思う」  

これについて、桜井氏自身の解説を聞いてみましょう。
※メールマガジンオルタ第133号(2015.1.20)辺野古新基地容認すれば永久基地化 

「名護市長選に始まり、知事選を経て衆院選に至るまで昨年の一連の選挙で繰り返し示された辺野古反対の民意にある。辺野古新基地の建設を容認するならば、沖縄は永久基地化する。それに対して県民は明確にNOという意思表示をしたのだ」

この辺野古基地を作れば「永久基地化するから、県民がノーいう意思表示をしたのだ」と書いています。

つまり、ここで桜井氏が言う「県民の観点」とは「永久基地化にノーという声」なのです。

これは、環境保護とどのように関係があるのでしょうか?桜井氏は環境の専門家で呼ばれたはずです。

それがこんな運動家丸出しの発言をしていいのか大いに疑問です。

こんな「視点」しか持たない人物が、承認の瑕疵を検証するといっているのですから、初めから結論があることは明白です。;

さて、この違法訴訟の判決次第ですが、県が承認取り消しの違法性を認められた場合、自ら承認取り消しをする必要があります。 

それについては、翁長氏も分かっているようです。

2月16日の琉球新報にはこういう翁長氏の裁判の中での発言が記録されています。

「国側 求めているのはあなたが出した取り消し処分を取り消せという主文になるほけで、たとかば取り消しを取り消せという判決文が下された場合、それに従ってあなたは自ら取り消せということなんですか。
知事 はい 
国側 そうすると、あなたが出した取り消し処分が違法で取り消されるということは、基本的には前知事の仲井真さんが出した、あなたは瑕疵があるというけれども、瑕疵があると言っていた仲井真さんの承認には瑕疵がないということか、その場合司法的に確定することになる」

この翁長氏が国に問い詰められて吐いた、この「はい」は今後に大きな意味を持つことになるでしょう。

仮に県が有利だと思われる「暫定案」でいったとしても、違法訴訟になって、県側が敗訴することになれば、その瞬間に承認取り消しの撤回を迫られることになるからです。

もちろん撤回などすれば、即座に「オール沖縄」のみなさんから袋叩きに合いますから、裁判所との約束どおり撤回したくともできません。

きっとズルズルと引き延ばして、「民意」の一点張りでねばるのでしょうね。

まり、翁長側にとっては「暫定案」も「抜本案」、いずれをとっても進むも地獄、退くも地獄となります。

いずれにせよ、今月17日には判決が出ます。何本も裁判はされていますが、この最初の判決でほぼ大勢は決まります。

私たちも判決に注視しましょう。

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