日本は沖縄県だけ「半主権国家」なのですか?
コメント欄に書いたのですが、長くなったので記事欄に移します。春休みですが、特例ということで。
春休みっていいですね。ひさしぶりに朝の湖畔散歩が復活しました。春の朝って、こんなに長かったのかとびっくりしています。
もうこちらも桜は5分咲きです。
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knorimotoさん。
あなたの自衛隊への危惧の気持ちはよくわかります。
ただ、あなたは自衛隊がもつ矛盾をよくご存じだから、そのように考えてしまうんじゃないでしょうか。
自衛隊にとって最大の「敵」は防衛官僚と、「政治」でした。
かつて防衛庁時代は、当時の霞が関官僚の天下り場所でした。
ハト派エリートだった加藤紘一氏は、防衛庁長官が初入閣のポジションだと知ると、「なんだこんな三流官庁か」と言ってのけたそうです。
そのような伝統は、一個の省となった今も連綿と続いています。
シビリアンコントロールが、内局支配を意味しないと修正されたのは、今の政権になってからです。
そして制服組が、軍事専門家として首相にアドバイスできる地位を得たていどが、残念ながら現状です。
私は軍隊は強大になる必要はまったくありませんが、一国の中で正しい地位を与えられるべき存在だと思っています。
自衛隊を縛る多くの「掟」については、いままで記事にしてきました。過去記事をご覧ください。
では、この自衛隊が沖縄県でどのような処遇を受けたのでしょうか?
復帰後の沖縄で、これが職業差別でなければ、なにをして「差別」と呼ぶのかという仕打ちに会います。
私が沖縄に通い始めたのは、復帰後数年の時でしたが、当時の役所の前には「日本軍の沖縄上陸阻止!」と書きなぐった自治労のタテ看板があったことを思い出します。
自衛官は、職業が自衛官であるという、ただそれだけで、なんと住民票の受理までを拒否されたのです。
住民票がなければ、子供の就学ができませんし、そもそも沖縄県の行政サービスの一切が受けられなくなります。
その自衛官は、転出届けを出してきたのですから、受理行政側が受理しない以上、「いない人」になってしまいます。
言うも愚かですが、そんな権利は、窓口行政にはありません。
しかしこれが、自衛隊を迎えた沖縄の姿だったのです。
ちなみに、私が沖縄左翼の人権意識を信じていないのは、こんな住民票受理反対などという差別反対闘争ならぬ、差別闘争そのものを平然と演じたからです。
このような自衛隊に対する隠微な「差別」は延々と続きました。
それから40年。
自衛隊は、不発弾が埋まっているといえば、炎天下で命がけの処理をし、離島に病人がでたといえば、どんな悪天候もでもヘリが救出に向かいました。
殉職者も多く出ました。彼らは島を守って死んだのです。
こうして不信感で見ていた島の人も、40年たった今、自衛隊を「自分たちを黙々と守ってくれる頼もしい人たち」と認識しています。
私はこの自衛隊を、島の防人にしっかり据えるべきだと思います。
自分の島は自分で守る。自分の国は自分で守る。それが民主主義の基本ではないでしょうか。
沖縄の自衛官の多くは島人です。
確かに、米軍がいる意味はあります。今自衛隊に代置することは100%無理です。
数も、在沖米軍のほうが、自衛隊より多いのです。装備もいい。輸送展開能力も高いのは事実です。
また、中国と島の左翼勢力への奇妙な気配りから、本来は師団規模の自衛隊を置くべきなのに、軽装備の旅団に任せています。
そしてなにより、ご承知のように、与那国から本島まで、警官の腰のピストルだけで「防衛」しているようなありさまです。
この28日に、やっと与那国に沿岸監視隊という小部隊ができたばかりです。
与那国は防衛計画を、住民投票で「決定」するという悪しき事例を残しました。反対派が負けたので事なきをえましたが、ありえないことです。
宮古、石垣でも同じように小規模の警備隊を置く計画がありますが、なんとこれにも八重山日報をのぞく地元紙や左翼団体は猛烈な反対をしているようです。
この人たちは、北朝鮮のPAC3の緊急配備にも反対しており、「国はオレ達を守るな!」という世界でもきわめて稀を「闘争」をしているわけです。
目と鼻の先に隣国が牙をむき出して迫っているのですから、フツーは国に対して「守れ」という運動をするものです。
しかし逆に、「守るな」と叫ぶのですから、ここ沖縄だけの怪奇現象ですね。
このような状態を、「半主権」といいます。
国が国民を守るという、イロハのイができなくて、それが国家ですか。
しかも、たかだかといっては語弊がありますが、国ではなく「県」です。
では、このまま数十年先まで、この「半主権」状態に沖縄を置くのでしょうか?
これは日米地位協定とも重なりますが、そんな「半主権」はあってはなりません。
knorimoto さん。現状で「そうである」あるいは「そうでしかありえない」ということと、将来的に「そのような現状は変えていかねばならない」と思うことは、一緒ではありません。
保守主義はリアリズムであるが故に、変えていくということに臆病すぎます。
私は自分の国を自分で守れない状態を、「保守」とは呼びたくありません。
一地方でしかない県すら、自力で守れない国などあるのなら、そんなものは滅んだほうがいいと思います。
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