日曜雑感 東電への憎しみなどからつらつらと
ふゆみさんのコメントにお答えしたのですが、長いのでこちらに移しました。
私の東電への不信は、風評被害で徹底的にうちのめされただけに、自慢じゃありませんが、5年前には憎悪に近いものがありました。
ある農業者の知り合いから、東電本社前抗議行動を誘われたのですが、行き損ねてテレビをみると、彼が野菜を手に声限りに叫んでいました。(下の写真の男性ではありませんので、念のため)
較べてもしかたがありませんが、農業者の抗議行動は、後に大量に登場するサンバホイッスルで踊るようなものと根本的に違って、生活と生産の基盤を同時に破壊された者特有の、みっしりと怒りと哀しみが詰まっているものでした。
納屋の壁に「原発がなければ」と書いて首を吊った老農夫の心情は、私自身のものでもあったからです。
気がつけば脱原発運動は、反原発運動と名を変えて、オスプレイ反対、特定秘密法反対、TPP反対、辺野古反対、「戦争法案」反対と、無関係な政治課題を平気で列挙するようなただの左翼運動の闇煮のようになってしまっていました。
オスプレイと原発に、一体どんな関係があるんでしょう。教えて欲しいもんです。
なにより、かつての私も飛び込もうとした当時の、切迫した具体的な「怒り」が消滅してしまっています。怒りの根源は具体性であるのに。
私が当時心底怒ったのは、自分の家族が住む土地を破壊されたと感じたからです。
だから地域の汚染の実態を知るために、自主計測運動をしました。
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研究者たちと、湖の周りの水系を測ってまわったのもこの時期です。
今回の大津地裁前の人たちを見ると、この運動の生命、あるいは肉体であるはずの「具体性」が欠落しています。
とくになんだかなぁと思ったのは、「琵琶湖が汚染される」という部分です。
これは機会があったら詳述しますが、彼らが本気でそれを恐れているなら、もっとも広域な「被曝」内水面(湖)だった霞ヶ浦に来るべきでした。
しっかりと多くの実証データを添えて、内水面被曝というのは、きわめて初期に見られる限定的な現象だと教えて差し上げました。
セシウムは、非水溶性のために水に溶けずに、沈降していきます。
ですから、湖岸や河川の泥や、その底土の泥に沈着し、封じ込められます。このような現象をセシウム・トラップといいます。
むしろこの大津地裁訴訟を起こした人たちは、あの被災地の大文字焼きに「琵琶湖が汚れる」と金切り声を上げた人たちではないかと思い当たって、その瞬間、私は脱力しました。
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そういえば、この原告団がというわけではありませんが、反原発派は福島を「フクシマ」と呼び、「もう住めない、逃げろ」と言っていたような人たちではなかったのでしょうか。
当時から脱原発を言うなら、もっとも多大な被害を受けて苦しんでいるいる「被曝地」の人々、なかでも生活と生産共に破壊された農業者、漁業者たちと向き合わないでどうする、と思っていました。
今から5年前に私はこう書いています。
「私は、それ以来、私自身も原子力を人一倍呪いつつも、この人たちとは一緒になにかできることはない、と思うようになっていました。
脱原発という目的が正しくとも、あの人たちにはそれをなし遂げるのは無理だと思いました。
この人たちがやっているのは、脱原発に姿を借りた「被曝地」差別運動、あるいは単なる反政府政治運動です。」
この当時の彼らへの感想は変わらぬどころか、いっそう強くなってしまったようです。
一方、あれから5年たってデータや事実も多数出て、東電への私の見方は批判一色ではなくなってきています。
今でも、東電への怒りは、当時の清水社長や武黒フェローなどには残っていますが、彼らと戦ったのが、他ならぬ福島第1に残った吉田所長以下69名の人々でした。
彼らが命を賭して残らなければ、今、私はここに住んでいなかったでしょう。
いったん怒りを鎮めてみれば、福島事故をもっと客観的に見られるようになります。
国は政権が変わり、当時の資料はほぼ全面的に開示されています。また事故調報告書も出揃っています。
原発事故は、つまるところ、工学的視点やリスク管理・評価の視点から見なければわかりません。
感情で裁断するにはあまりに複雑で、あまりに巨大だからです。
まぁ、そういった視点から、東電についても公平に見てやろうかな、というところです。
電気料金とのリンクですが、あれは管という稀に見るバカが引き起こしたものです。
今、原発が止まっているのは、管がなんの法的根拠もなく、危険性の有無とは一切関係なく超法規的に全原発を「お願い」して停止してしまったためです。
よくある国民の勘違いですが、東電と他の電力会社を同列にしてかんがえるのは間違いです。原発依存度も違えば、炉の形式も違います。
そしてなによりも、他社は事故を起こしていないからです。
しかも今回、事故とは関係ない関西電力で、それも規制委員会がゴーサインを出して動いているものの停止です。二重におかしいのです。
ついでにいえば、福島第1のGE-1と違って、PWR(加圧水型軽水炉)ですから三重におかしい。
私はGE-1は欠陥炉だったと思いますが、だからといって、すべてが欠陥炉というわけではありません。
PWRは日常的メンテは大変ですが、シビア・アクシデント時の緊急注水はBWR(沸騰水型軽水炉)よりはるかに楽です。極端にいえば、バケツリレーでできてしまいます。
それはともあれ、5年という月日は、私の東電や原発に対して見る眼を変えていくのに充分な時間だったということです。
ああ、休みなのに書いてしまった。
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休息日にすみません(>_<)
管理人さんの振り返りに自分の過ごした5年間を重ねつつ、拝読いたしました。
感情的な部分や個人の信条とファクトを切り分けて議論を重ねる意義を見いだす日本人は前より増えてきていると感じています。公平にみようよ、というフレーズを私は相手に使えていなかったかもしれないと気づくこともできました。ありがとうございます。
投稿: ふゆみ | 2016年3月20日 (日) 22時48分