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2016年3月 2日 (水)

左翼ジャーナリストは放送法廃止を訴えるべきだ

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ひさしぶりに気色悪いものを見てしまいました。 ご承知の方は引用以下からどうぞ。

「田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、岸井成格氏ら放送業界で活動しているジャーナリスト有志が29日、高市早苗総務相の「電波停止」発言に抗議する記者会見を東京都内で開き、「私たちは怒っている」「発言は憲法、放送法の精神に反している」とする声明を発表した。
 呼び掛け人には、田原氏らのほかに、田勢康弘氏(会見には欠席)、大谷昭宏氏、金平茂紀氏、青木理氏が名を連ねた。
声明では、高市氏の発言が「放送による表現の自由の確保」を定めた放送法1条や「表現の自由」を保障する憲法21条の精神に反していると主張。その上で「現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく『息苦しさ』を増していないか」として、「自主規制、忖度、萎縮が放送現場の『内側から』拡がることになっては、危機は一層深刻だ」と訴えた。
 会見で、岸井氏は「高市発言にはあきれ果てた。憲法、放送法の精神を知らない中での発言であれば、大臣失格だ。仮に曲解しているのであれば、『言論統制を進めたい』と思われても仕方がない」と高市氏を批判。田原氏は「非常に恥ずかしい発言。全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、残念ながら多くの番組は何も言わない。高市さんに、恥ずかしい思いをさせなければならない」と訴えた。」(産経2月29日)
 

下の写真で全員が行儀よく同じ横断幕を持って並んでいる姿をみると、力なく笑ってしまいます。Photohttp://thepage.jp/detail/20160229-00000005-wordleaf

まぁ、こういうことを言いそうな人たちの全員集合といえばそれまでですが、そもそも私はこいう全員で同じスローガン幕を掲げるという、精神の傾き自体がすごく不健康でイヤだ。

本来、ジャーナリストという職業は孤独なものです。自分の言説には自分で責任をとるか、会社でとるべきで、集団的示威行動という次元とは一線を画さねばなりません。

私はジャーナリストは、自分の言論と集団的政治運動は、まったく同じ重さとして拮抗させるべき職業倫理を持つ者だと思っています。

つまり,安易に集団的示威をしないということにおいて、個人の報道者としての発言の重みが保障されるのです。

平たく言えば、デモの常連さんが何を書いても、それはデモ隊のシュプレッヒコールとたいして変わらないじゃありませんか。

こういうわきまえが、この人たちにはありません。

ですから、ある時は反安倍のデモ隊、ある時はそれを報じるジャーナリスト、ある時はその解説者、といったふうにその時々で立場が変身するのです。ずるくありませんか。

Photo_2http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253648

ここに顔を出している鳥越氏など、むしろ有名なジャーナリストという肩書を積極的に利用して「戦争法案」反対のデモでアジりまくっていました。

それはおかしいんじゃないかと思います。

ジャーナリストは同じ表現者であっても、作家やアーティストとは違います。対象を突き放す客観性が担保されていなければなりません。

これはいわゆる「中立性公正性」とはやや違います。

ジャーナリストが個人でどんな政治信条を持とうと自由です。しかし報道するに際してはあくまでも対象を対象として「見る」立場に徹しなければなりません。

しょせんジャナリスト、ただの「報道者」、悪く言えば傍観者であって、同伴者ではないのです。

そのわきまえを忘れて、ジャーナリストだからなにか言える、ジャーナリストだから自分の発言が高級そうに見える、それを利用して政治活動をするというのは、ジャーナリストとしての自殺行為です。

鳥越さん、そんなにデモに行きたいなら、個人でひとりの国民として静かに歩け。自分の「ジャーナリスト」という生業を付加価値にするんじゃない。みっともない。

そういうトンチキな錯覚をしている鳥越氏を、なにか英雄のように報じるのが金平さん、よいしょの時事解説をするのが岸井さんや大谷さんたちです。(別に鳥越さんのデモ参加についてこの人たちがなにか言った、という意味ではありませんので、念のため)

Photo_4
私は別にジャーナリストが、「言論の自由を守れ」というアピールをしてはいけないなどと言う気はありません。

このようにジャーナリストが「集団的自衛権」(笑)を行使するなら、そうおうに切羽詰まった状況で、これ以外に手段がないというなら、大いにおやりなさい。

ではこの人たちにお聞きしたい。今、そんな「言論統制」の時代がさし迫っているのですか?

本気でそう思っているなら、ジャーナリストなんか廃業したほうがいいでしょう。

むしろここで共同会見を開いたのは、今、安倍を叩いておかないと衆参同時選挙で勝たれたりすりゃ、改憲されちまうという政治的危機感の現れにすぎません,。

今まで言いたい放題で、報道とは政治的主張の言い換えにすぎないと錯覚してきたのが、この人たちでした。

この人たちが「報道が萎縮している。自主規制している」などと世迷いごとを言うのを聞くと、吹き出してしまいます。9割の時間を安保法案反対で報道しておいて、どこがぁ(爆)。

しかし、それを判定するのはあくまでも視聴者たる国民であって、国ではありません。

岸井氏や古館氏の降板は国家権力の介入のためではなく、視聴者の苦情が絶えなかったからにすぎません。

私は先だって書いたように、高市氏の発言は国が放送法がいう「不偏不党」を解釈する判定権者であるのは間違いだと思っています。

しかし現行法では、あくまでも判定権者が国にあるとされている以上、仮に悪法でも法なのです。

それは総理も答弁するように、平成22年に時の民主党政権・平岡総務副大臣が高市氏とまったく同じ発言をしたことでもわかります。

だからよいのではなく、その放送法自体がそもそもおかしいのです。

政治的な公平性を欠く報道」などを、国家権力には判定できませんし、するべきではありません。

もしこのジャーナリストたちが抗議するなら、それは高市氏にではなく、現行放送法を変えろ、と要求すべきことなのです。

それを政局絡みで、「高市氏に恥をかかせる」(田原氏)などという、言わなくていいことを口走るから、あなたは老害と言われるのです。

このジャーナリストたちが持ち出したのは、放送法第1条2と3の「放送による表現の自由を確保することと「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」という文言です。

では、その放送法第1条をみてみましょう。

●放送法第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

はい、このとおりです。

確かにこの人たちが言うように、「放送による表現の自由」は述べていますが、その条件として「不偏不党」であれと述べています。

また「健全な民主主義の発展に資する」ためには、「放送に携わる者の職責」の重い責任を自覚しろ、と放送法は述べています。

つまり、現行法は「不偏不党」という枠内で、「職責の重さ」を自覚してやらないと4条で「電波を停止」することも可能だ、と言っているのです。

これがイヤで今後も左翼運動家的ジャーナリズムをしたいのなら、放送法をつぶしす運動をするしかないではありませんか。しかし、なぜかこの人たちにはできません。

Photo_3出所不明 この人の沖縄報道は素晴らしく偏っている。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-a26b.html

なぜならそれは民放局はこの放送法と電波独占がトレードオフな関係だと知っているからです。特に現役TBSの執行役員である金平さんが、それを知らないはずがありません。

ですから放送法を変えろと主張すれば、いいよ、その代わりに電波の配分方法も考え直させてもらう、と政権党に言われるのが怖くて黙っているだけです。

国が電波の割り当て権を持つのは仕方がないとしても、そこから放送の内容まで干渉すべきではありません。

その意味で、彼らに「放送法を遵守させろ」という意見がネット界には強いようですが、私はそうは思いません。

問題のありどころが違うのです。彼らの偏向報道は、あくまでこの地上波の独占の上にアグラをかいているからこそ可能だということを、きちんと押さえたほうがいいでしょう。

地上波を入札制にして、新規参入を認めて通常の市場競争を回復させることです。

その中でおのずと、報道姿勢にも淘汰がかけられるでしょう。

それにしても、電波は独占したい、その独占した電波を使って「報道の自由」はめイッパイ満喫したい、ちょっと与党から文句を言われるとキレて横断幕をもって記者会見をするというのですから、ホントにまったく中学2年生みたいな人たちですね。

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-1aef.html

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コメント

かつての輿石のあからさまなテレビ脅迫。
松本ドラゴンの新聞脅迫。
石井ピンのフィリピンゴルフツアーでの「お前ら、あんま変なこと書くなよ!」

なんであの時には集団的自衛に走らなかったのでしょうね?露骨に偏っているのがわかります。

書き忘れました。

こういうことを言うじゃあな!リストさん達って、「放送法の精神として、不偏不党とか政治的公平性はあくまで『努力目標だ!』」と騒ぎ立てる一方で(そんなことどこに書いてありますか?)、
こと憲法9条になると突然「原理主義」になるんですよねぇ。全くもって不可解です。

そんなことを言うなら、憲法9条も努力目標ってことでいいんじゃね?(笑)と思いますがね。

私、今回のこれらの方々は嫌いなわけではないのですが(むしろ金平は大嫌いだけど田原や鳥越には割と好意的なんですわ)、とてつもない矛盾を感じます。
高市大臣の発言は確かに軽率でした。普通はテキトーにボカシておくとこでしょう。

だからって高市に恥をかかせるべきだなんていうのは「阿倍総理を不眠症にさせよう!」と言った議員と同じレベルの低俗で馬鹿馬鹿しく醜い旧き左翼根性丸出し(旧きといいながら『新左翼』ですが)ですね。
救いようの無いバカです。バカがダメならキ〇〇イですね。

東京のテレ朝の午前の番組内に、そもそも総研という掘り下げコーナーがあり先日放送法と憲法の専門家を取材していました。
それによれば。放送法は報道の自由を担保する為にあるもので、不偏不党の偏る方面は政権や権力の側のみに限って制限するのが目的だ。平等に取り上げろという意味ではない。
戦前の大本営発表のような言論統制を防ぐ為の項なので、テレビは公平中立でなくていい。
しかしながら地上波は免許制で既得権益であるので4条の倫理規定はこれを守って視聴者から支持を得ないとね、というものだ。ジャッジは国民に委ねられている。
アメリカではテレビ局が増え視聴者が情報を選別できるようになる過程で、放送における公平性の条項は憲法違反として削除され、テレビ局も新聞社も何を主張してもよい。
これを受けてまとめには、報道とは本来反権力であるべきで自民が嫌いでやっているのではない、時の権力者を監視して報道する事を統制で封じるべきではない。という流れを報じていました。

取り上げた以上、地上波独占と偏向報道はトレードオフだと言わざるをえないのだけど、言いたくないからシャラっと口走る程度にとどめて米国の現状を殊更に伝える。でもその米国では新聞社とテレビ局は結託できないよう法規制されてる事は報じない。
テレビ局って国民から見たら、反権力の報道機関というより既得権益を持つ横暴な権力者集団なんですけどね。新聞社よりずっとスポンサーにおもねるし。
不偏不党がそんな意味なら尚更放送法、免許制とセットでやめちゃっていいと思いました。

書き忘れました。番組中でアナが「私達が本当に思い通りに作ったら放送されない」とも口走っていました。要するに今のこの番組も何かの抑圧を受け続けていると言いたいようでした。巨大な権力者ジャニーズに抑圧されてますね、確かに。

「闘争」という商売のためのネタが無くなっては困る、と言う点で、安保や普天間や原発などと根っこの同じ問題でしょうね。

ふゆみさん。そのとおりです。
新聞社系列とテレビ局という系列が完成した今、もはや、真に自由な言論空間は、われらがこのジャングルのような玉石混淆のネット言論しかないわけです。

私はリーマン時代に出版業界の末端で生きていたので、彼らの被害妄想は分かります。
私は若造の頃、先輩から「権力は戦争をしたいときに言論から締めるから気をつけろ」と教わって来ました。

今の時点で思うと、ほんとうはメディアの方からが戦争をけしかけたのが事実ですが、メディアはそう思っていません。
このようなやられた気分から、メディアによる権力監視という発想が生まれます。

ただ、少なくとも出版に関しては50人も社員がいれば「大企業」(笑)と呼ばれるような零細独立がほとんどなので、その恐怖は理解できますが、独占メディアである新聞-テレビ・ラジオの連中が同じことをいうのは笑止です。

彼らの基盤は電波免許制という安楽椅子の上にあります。そこから黙っていても巨利が生じます。

一口でマスコミといってもいろいろあるので、一括りで言う気はありませんが、民放とNHKが言うと、体中こそばゆいですがな。

管理人さん、元ご同業でしたか(^^)。
ネット言論が巷に溢れ始めた頃、紙媒体とテレビ人の知人達の大方は「金にならないコンテンツ」「低予算で質が落ちる」「看板背負ってない奴らは適当な事が書ける」と懐疑的に見下してました。今では何もかもがネットの後記事で、記者がネットサーフィンで情報収集するのが仕事のやり方です。その新聞早刷りを追うテレビ局のワイドショー。己の存在理由の無意味さを知れ、です。
私のイラスト料金は下がりましたが、嘘の片棒をいつの間にか担ぐ羽目になるのとトレードオフなら今を歓迎します。

2枚目の写真、「いかにも」という感じのメンバーがずらりと並んでいて、笑ってしまいました。

私はむしろ、こういうことをどんどんやって頂いた方が、彼らの本性を世間に知らしめるためにも良いのではと思っています。

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