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2016年3月10日 (木)

HN蒲焼さんにお答えして

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HN蒲焼さんという、昔から私のブログに批判的な方からコメントをいただきました。この人とは大分いさつがあります。

※当該記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-0ff4.html

今日は関電訴訟のバカな判決についてやる予定でいたのですが、こちらからいきます。

今回もらったものは、ある意味で、単純な荒らし以上に腹に据えかねました。なんでこんなことを言われなければならないんだ、これが最初の私の感慨です。

お読みいただければ分かるとおり、私が訴えたのは、本土政府と県が穏やかに話しあいをして、お互いに折り合って円満和解に導きませんか、というだけです。

誰かを批判したのでもなければ、くさしたわけてもありません。むしろ言葉遣いには私なりに細心の注意を払ったはずです。

ところが、この人にかかると、「県民の皆さん」と呼びかけただけで「上目線」だそうです。

怒るというより、情けなくなってしまいました。 

上目線か、この私が。いちばん聞きたくない批判の言葉だ・・・。

私のブログは他のジャンルに関しては、感情を押し殺して冷静に書いています。

素の気持ちがあふれてしまう唯一の分野は、この沖縄だけです。 

それがなぜなのか、自分でも分からなくなる時があります。

私が島を愛しているからといえばそれまでですが、島のダメさも矛盾も知っていながらなおも語りかけたいのはなんなのでしょうか。自分でもよく分かりません。 

私の中にある、沖縄への寄り添いたい、苦悩も喜びも共に考えたいという思いを「上目線」と言いたいなら、どうぞご自由にとしか答えようがありません。 

ここでこの人は、「首相が呼びかけてもそう言われる」と書いています。

そりゃ言われるでしょうね。最高権力者だから。権力者は上目線でいいのです。政治家の平場の視線など、国民におもねる擬態でしかありませんから。 

私は市井のただの人です。「上目線」になりたくても、何ひとつ権力を持ちません。

一般の国民が、他県に忠告する。しかもブログという私的言論空間を使ってすることが「いくらなんでも傲岸」なら、本土人はなにも言うな、黙っていろ、ということになります。

蒲焼き氏のような人にとって、耳に快いであろう金平氏や鳥越氏などの言葉ばかり聞いていたいなら止めません。

しかしそれこそ、「いくらなんでも傲岸」、いやむしろ、甘えじゃないでしょうか。

私ができることは、心で島に寄り添うことです。できるならば、その苦悩の一部でも分けて欲しいと思って、書いています。

それしかできないことを悔やみながら、書くことしかできない自分をいつも責めています。

かといって、本土の左翼老人の一部に見られるように、島に渡ってゲート前の座り込みなどする気になどなれません。

沖縄はこの人も書いていましたが、生活と生産の場です。本来、辺野古や普天間は闘争の場ではありません。

基地に無縁な南部の県民が、北部まで来て反対運動をするのを地元は眉をしかめているのです。

政治的立場の違いではなく(それもありますが)、他人の生きる場であるという自覚と配慮がなさすぎます。まして本土人においておや、です。

まったく同様に、私はこのコメント氏が出していたおもろ街などで騒々しい音を出して街宣している本土右翼にも、きわめて批判的です。

これも、ゲート前の左翼本土老人と同じで、他人の土地を土足で荒らすような行為だからです。

共に節操がなさすぎます。

ちなみに、この人は街宣右翼を保守と呼んでいますが間違いです。街宣右翼は、ただの右翼ですから混同しないようにして下さい。

保守は礼節とわきまえが精神的支柱です。他者の伝統的生き方や在り様を尊重することから始めます。

言論活動はしますが、物理的行為に及ぶことはほとんどありません。

だから保守は、ノイジーマイノリティと違って、まったく目立たないのでマスコミからは無視され続けています。

このように、保守は他者への物理的影響を与えることを前提とする「運動」ではありません。

まれにやると、「作る会」のように左翼転向組に乗っ取られて散々な目に合います。

むしろ政治的立場というより、個々人の心の持ち方、精神のあり方なのです。

ちょうど、リベラルと左翼の違いに酷似しています。リベラルは他者の言論の自由を尊重しますが、左翼は気に食わない連中のデモに押しかけて中指を立てて妨害し、トラメガでガナったりします。

街宣右翼といい勝負です。私から見れば、左右共に常識がありません。

失礼ながら蒲焼さんは、こんな初歩的認識もできないで政治を語っていたのかと嘆息しました。

さて、私が「癒しの島」と表記したことについても批判を受けました。

かつて島の人すら行きたがらない北部の東海岸の過疎の村で農業をしていた私が、そんな単純な理解なはずがないでしょう。

矛盾だらけの島であることは、今まで散々書いてきました。シリーズも2つあるほどです。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/1-6fb7.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-f1f9.html

だから名実共に、「癒しの島」と言われる県になるには、どうしたらいいのか共に考えませんか、というつもりでお話しているつもりです。

どうやら私が「観光で食っている」と書いたことにカチンと来たようですが、観光は島の観光業は機軸産業です。どこが悪いのでしょうか。

またもうひとつの経済の車輪は土建業です。土建業から、観光業が生まれ、観光業からサービス業が生まれ、伝統民芸も育まれています。

そのようなことは世界共通で、先進国のフランスやイタリアなどは、モロに「観光で食って」います。

だから労組が大規模ストをすれば、国民から営業妨害するなとばかりにケチョンケチョンに批判されます。

あの美しい伝統的家並みや、ワインなどは、観光客を念頭に置いたものです。伝統と観光は対立概念ではなく、伝統を育み今に生きる糧にしているのが観光なのです。

沖縄はこの点が弱く、米国流の安価なツアーを中心にした大量消費型観光になりかかっています。

それはさておき今回の「休戦」は、さまざまなことを洗い出すいいチャンスだと思っています。

だから、書きました。

シュアブ陸上案は、私が知る限り移設方法としてほぼ唯一の解決法です。なお、勝連案は、海上埋め立てがあるために受け入れられないでしょう。

仲井真氏がどういう状況で、「理解不能」と言ったのか分かりませんが、おそらくここまで話が煮詰まってしまって、話を蒸し返すなという意味だと思います。

こういう時だけ仲井真氏を引き合いに出さないで下さい(苦笑)。

それがそんなに空想的かどうかは、近々やります。その時は「上目線」などという感覚的非難じゃなくて、具体的に反論してください。

日米地位協定の改定を、県がずっと要請してきたのは事実です。もっとして下さい、今回はまたとない機会です。

単に移設問題だけでなく、首相は紛争の根を切る覚悟でいるようです。

安倍氏という政治家が特異なのは、目先の勝ち負けにこだわらず、日韓合意や70年談話でわかるように、「損して得とる」ような政治姿勢があることです。

今彼がヒトラーならこんなまわりくどいことはしません。あえて「和解」に持ち込んだのは、ボールを沖縄側に投げているのです。

このボールをごみ箱に捨てるのも自由。活かすのも自由です。地元紙のように「和解は一方的に廃棄された」と怒鳴るのも勝手です。

私は捨てるのは惜しいから、日米地位協定改定まで含めて、パッケージ(詰め合わせ)で解決を目指すべきだと提言しました。

今なら、本土政府に対してパッケージが効く状況にあるからです。

投げ返されたボールは翁長氏向けではなく、広い意味での沖縄県民全体に向けられています。

だから私はあえて「上目線」を承知で、「沖縄県民の皆さん」と呼びかけただけです。

最後にひとこと。この人は、「日本国民」という表記にカッコをつけています。

この部分です。

「日米地位協定だって、沖縄県以外で理不尽が目立たなくなっただけであり、今まで私たち『日本国民』は米軍とその地位協定に散々泣かされてきたじゃないですか。」

正直、ヒデェな、と思いました。この場合のカッコは、「いわゆる言われているが」という意味です。それは現状ですか、それとも歴史的怨念ですか。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-f380.html

蒲焼さん、いつから自分の国民という立場にカッコをつけるような態度になったんですか?

それは本土への怨念を糧とする、典型的沖縄左翼の発想です。そのような半身では何事も一歩も前に進みませんよ。

少なくともこんな括弧付き「日本国民」の言うことなど、私は聴く耳をもちません。

今回、私が書きたかったことはシンプルです。

いきさつは多々ありましたが、いったん「和解」プロセスに入ったのですから、まともに沖縄側の要求をぶつけてキチンと交渉しろ、ということに尽きます。

ああ、朝から怒ったら疲れました。さぁ仕事だ。

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コメント

HN蒲焼さんのコメントを読み、改めて
【オール沖縄】と、あたかも 全てが沖縄
の多数派だと勘違いしている 左翼活動家
の、元教員と連想してしまうのはわたし
だけでしょうか。那覇市で、沖縄二紙へ
の抗議と街宣右翼とは別物でしょう。
蒲焼さんは、大山ゲート前や、野嵩ゲー
ト前、そして 辺野古ゲート前の反対活動
家の行動を 同等に見えるのか、不思議で
す。お願いだから、今回の協議の場で 落
とし所を模索する それが陸上案であり
地位協定改定案じゃ無いですか。
蒲焼さんは、翁長さんを支持するより
伊波さん指示を勧めます。
何せ、伊波さんは沖縄革新のヒーローで
すから。

和解調書は確定判決と同じ効力があり、和解が成立した現在できる最善の交渉案を管理人さんは提起されているのだと思います。
公職者が司法に則らない事を政治家も警察もマスコミもスルーするというのは、上とか下とか目線に関係なくやはり異様な事態です。
私も、出身地大阪の欠点を他府県の人間にとやかく言われると嫌な気持ちになります。自分らで言うのとは違いますよね。おそらく世界中が都市単位でそうだと思います。イタリア人だってシチリアとナポリで違う違うって嬉しそうに悪口言っていますが国を憎んで得がない事は承知しています。
沖縄県民の暮らしとって利のある交渉になる事を、私もそしておそらく管理人さんも他の他府県の方々も願っているのだと思いますよ。同じ日本国民として。

初めてコメントします。
いつも「なるほど」と思いながら拝見しています。
他のサイトなどと違い、沖縄や原発関連の内容をキッチリとソース元を乗せながら紹介して意見を述べられていてとても勉強になります。
是非とも今後も続けて欲しいと思っています。
今回の記事をみて応援したいと思ってコメントいたしましたので、乱文にて失礼致しました。

管理人さんのあげられたような「(あまり使いたくない表現ですが)「本土」のジャーナリストや運動家の根底に、「自分達はこんなに沖縄のことを思いやっているんだぞ」という意識が垣間見えるのが非常にイヤです。右翼も同様ですが。

宜野湾市長選挙では40代以下の若年世代が明らかに現職支持でした。この世代は上の世代よりも学生時代をとおして本土の方々と普通に交流しているでしょう。本土との分断には抵抗に無理があるのではないでしょうか。自分の近い招来の生活を現実的に考えるということもあるでしょうし。

数年沖縄で過ごして、本土に戻られてからも何度も沖縄リピートされる友人が複数います。彼らは沖縄在住の間に観光地や有名所は制覇してます(その辺は地元の者より詳しいです、気合がちがいます)。ダイビングのように沖縄でこその趣味の人もいます。それとは違い、沖縄にきて私を含めたかつての知人・友人と飲み食いしたいというの目的の方がいます。沖縄で沖縄の友人(出身は沖縄以外様々)と沖縄のなじみの店で、というのがいいそうです。沖縄の様々な問題点・矛盾を理解しながら、それでも沖縄で沖縄の料理を食しオリオンビールを泡盛を飲み「沖縄の空気感」に癒しがあるととらえているのだと思います。私にとってはこのような々こそ沖縄の擁護者です。

私は返野古移設は断固支持だし騒ぎたいだけの左翼は大嫌いです。
でも今回は左翼だけど蒲焼きさんに同意します。
私も何様なんだと思いました。
言葉の使い方って大切だとおもいます。

北中城の人さん。わかりました。今回読み直してみると、妙な気配りというか、配慮が露わになっててっているような気もします。
こういう腰の引けた態度こそが失礼だと思いました。

ふゆみさんの言うようにヨソ者には言われたくない、というのも分かりますが、私は県民性についてあれこれ言っているわけではありません。

オスプレイから移転問題にかけて、一貫してこの問題を全国政治闘争化してきたのは翁長氏たちです。
そうなってしまった以上、もう後戻りは難しいのです。

ただし、今回やっと「和解」の芽が吹いたのですから、大事にしましょうといっているだけです。

このテーマはここで打ち止めにします。ご意見ありがとうございました。

●追記
蒲焼氏からコメントがいまごろ来ました。内容にはふれず、討論を回避して、今度は私の記事がアップした後に修正をかけるのはやめろ、といってきました。
余計なお世話です。自分で自分の記事を修正することのどこが悪いのでしょうか。

毎度のことながら、かつての照屋氏もそうでしたが、このての人たちは最後になるとこういう論点のすり替えをします。
照屋氏も最後になると、写真の著作権問題にいきなり変化しました。

こういうことをするような人には、討論に参加する資格がありません。
君にはたびたびつきあってきましたが、いつも揚げ足取りばかりで、まったく不毛でした。

HN蒲焼氏に管理人として通告します。もう二度とこないで下さい。きみはアク禁です。

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