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2016年3月17日 (木)

リスク管理は「事故は必ずまた起きる」が大前提だ

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素朴な問いから始めます。 

いったい原発事故というのは、「人為的ミス」なのでしょうか、それとも「天災」なのでしょうか? 

実は、ここにはヘンなねじれが存在します。 

人為説とは、東電主犯説のことです。 

たとえば、この立場をとる人たちが口を揃えて言うは、東電は869年の貞観地震がまた来るという専門家の意見を無視して、なんの調査もせずに宮城県沿岸に原発を建てたのだからとんでもない奴らだ、というものです。

一例を上げます。毎日新聞(2011年3月26日)はこう主張しています。

「東京電力福島第1原発の深刻な事故原因となった大津波を伴う巨大地震について、09年の経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたことが分かった。
東電は「十分な情報がない」と対策を先送りし、今回の事故も「想定外の津波」と釈明している。専門家の指摘を軽んじたことが前例のない事故の引き金になった可能性があり、早期対応を促さなかった国の姿勢も問われそうだ。(略)東電の武藤栄副社長は3月25日の会見で「連動地震による津波は想定し
ていなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電の対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスクも考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。
『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す」

ちなみにこの記事が出た2011年3月といえば、まだ事故の真っ只中で、原因究明もなにも実態さえよく分からない時期です。 

既にこの段階でマスコミの一部は、東電が主犯だという世論誘導を始めていたことがわかります。 

ならば、事故人為説なんですから、東電のような「悪人ども」にやらせずに、「正義の人」が運転すれば、原発はいきなり安全なものになってしまうという逆説にたどり着いてしまいます。

ひと頃の反原発派の主張は、このカン氏の煽動もあって東電悪玉説一色でしたが、さすがにどこかでまずいと気がついたのでしょうね。 

事故後しばらくして、原子力規制委員会が出来、反原発派の色彩の強い田中俊一委員長が仕切るようになると、これはまずい、このまま人為説を取っていると、新安全基準をクリアした原発から再稼働始めてしまうぞ、と気がついたわけです。 

そこで出てきたのが、現行バージョンの「天災不可避論」です。 

東日本大震災規模以上の災害が起きたら、新安全基準なんかコッパミジンだぞ、というわけです。 

そうなったら、1000ガルを超える振動が来るんだから、原発なんかグチグチャに壊れて、日本は誰も住めなくなるゾ、というわけです。 

法律的にもっともらしく書いていますからだまされますが、樋口判決も山本判決も大同小異で、「ハルマゲドンが来たら、原発があったらみんな死ぬんだぁ。死にたくなかったら原発を止めろぉぉぉ!」ということにすぎません。

Photohttp://www.athome-academy.jp/archive/engineering_chemistry/0000000155_all.html

話を戻しましょう。 

では、改めてお聞きします。福島事故は人為でしょうか、天災でしょうか? 

私はどちらでもないと思います。強いて言えば、天災的要素8分、人災的要素2分といったところでしょうか。 

事故は必ず起きます。それはヒューマンエラーかもしれないし、大天災かもしれません。

いずれにせよ、各々のケースでシミュレートしていけばいいのであって、大前提として「必ず事故はある」という前提から、議論を進めないとダメです。 

さて事故から4年たった2015年4月に、朝日が畑村洋太郎・元政府事故調査委員長のインタビューをとっています。
http://webronza.asahi.com/science/articles/2015032600003.html 

ちなみにこの時期は、吉田所長証言歪曲報道に対して、政府が調書を公開してしまったために、朝日が七転八倒していた時期です。
※吉田証言歪曲報道については関連記事全4回
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-f908.html 

畑村氏はまず、議論の前提から語り始めます。

「僕は原発について、事故は必ず起こるものだと思っていました。それほど確信があったわけではないけれど、薄々思っていました。そしたら、やっぱり起こったな、という感じがするんです。
 大事なことは、どんなに考えても、考えられない部分というのが残るんだ、ということです。どんなに考えても気付かない領域が残る。これを別の言葉で言えば、事故は必ずまた起こります、と言うことです。
事故が起こるから原発がいけないとか、そんなことをいいたいんじゃない。
ものの考え方の上で、事故は起こりませんと言い切ってしまうようなあのやり方、それを国民もテレビも新聞も今も求めているけれど、それは間違いだと思っているんです。」

まさに「失敗学」の泰斗・畑村氏だけあります。そのとおりです。 

福島事故は多様な総括がありますが、私はもっとも問われなければならないのは、「原発は事故を起こさない」という偽りの原発神話です

それについて、畑村氏はこう述べています。

「みんな自分の見たいところだけを見ていて、全体として考えなくてはいけないことをすっかり忘れていた。
そういうものの見方でやっていると、1番大事なことを見損なうぞ、と僕は思っていました。そしたら、ちゃんとその通りになったんですよね。それが、福島第一原発事故なんです。
僕の結論は、原子力の人たちって、自分の見たいところだけを見ているということ。全部を見ることには全く無頓着だったと思います。」(前掲)

「原発は安全である」という思想、あるいは病は実は、当時の立地反対を叫ぶ反原発運動に悩まされていた電力会社が作り出した虚像でした。

Photo_2http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c10e70ccb1b0d546ed7a4720072c020c

当時私は、高木仁三郎氏に強い影響を受けた反原発派サークルを主宰していました。

福島事故後の今と違って、当時の反原発運動は、政治党派の介入もなく、妙な煽りをしないでコツコツと原子炉について学ぶという「高木学校」運動をしていたわけですが、既に建設反対運動はそこここで燃え上がっていました。

皮肉にも、かつては極初期の反原発派だった私は、福島事故後に徐々に彼らから離れ、いまやご承知のとおりです(苦笑)。

今でも高木氏が事故当時ご存命なら、あんな反原発派のファナティックな暴走はなかったのに、と悔やまれます。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-98c1.html

それはともあれ、建設反対運動の中で出てきた主張が、「原発は絶対に危ないに決まっているから、断固反対」というものでした。

するとどうなるかと言えば、原発を立地したり、原子炉を動かす立場の電力会社は「絶対に安全です」と言い続けることになります。

そのあたりの雰囲気を示すエピソードがあります。

1999年9月30日の茨城県東海村JCOの臨界事故では、作業員のミスによって死亡者2名、重症者1名を出す大事故でした。

JCOは住宅地にありながら、周辺に安定ヨウ素剤を配布していないことが後日の調査でわかります。

私の住む地域にも近く、私も、近隣のモニタリングポストに走った記憶があります。

後に来日したフランスの原子力関係者が、わが国の関係者にこのことを問うと、このように答えたそうです。

「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。

このフランス人原子力技術者が、激しくのけぞったのは言うまでもありません。

これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが、完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。

日本原子力技術協会の前最高顧問だった石川迪夫氏が、こんな話を述べています。 

1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。

「そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」

とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるように、日本において「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちていたのです。

これが日本の原子力村の支配的「空気」でした。

これは「事故を言葉にしただけでも事故になる」、という言霊信仰である「原発安全神話」へとつながっていきます。

畑村氏はこう言います。

「原子力をやろうと思う時に、原子力は反対ですということだけを言う人たちがいたら、その人たちを黙らせるのには何がいいのか。安全ですというのしかない。だから、原子力は安全ですっていうのを言い出したのでしょう。
 でも、面白いよ。原子力は安全でしたって、誰が言い出したかって、ふた開けてみると、らっきょうの皮のようなもので、芯がない。俺が言い出したって言う人は誰もいない。安全だから事故はないのかと言うと、事故はありませんとは誰も答えていないんだよ。
 でも結局、事故はありますと言った専門家のところには、チャンスとかお金が行かない。干されちゃう、という格好で、安全神話が作られていったという気がしますね。」(前掲)

原子力事故が起きたらどうするか綿密に積み重ねて初めてその先に「安全」があるのであって、あらかじめ「原発は事故を起こすはずがない」では、個別具体の安全性対策が改良・進化していくはずもありません。 

そしてこの「原発安全神話」を後押ししたのが、先程述べた逆な立場から「絶対安全」を掲げる反対運動でした。

反対運動は、この樋口裁判官や山本裁判官のように、完全なゼロリスクを求めて運動したために、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというバラドックスを生む結果になってしまいました。

つまり、原発推進派と、反原発派は共犯関係にあるのです。

この奇妙な相互依存関係について畑村氏はこう述べています。

「-推進側だけでなく、社会の共同作業としてつくったと。
そうに決まっているよ。だから、推進派だけが言い出したことだと片付ける人は、自分は加担していなかったと言いたいから、推進派がやっていたことのように言っているだけ。どちらも原発の危なさを自分の問題として捉えようとしなかったという意味では、推進派も反対派も僕には同じように見える。
事故はこれからも必ずあります。今まで起こったものと同じものを繰り返すような愚かなことはしないという、決意をしなくてはいけない。だからといって事故がないというのは言い過ぎです。」(前掲)

 福井地裁判決と、今回の大津地裁判決は、また新たな「ゼロリスク神話」を作りだすことによって、福島事故後にようやく芽生え始めた「原子力のリスク管理」そのものを全否定しようとしています。

この人たちは、「いかなる安全対策も無効」という絶対的「天災不可避説」を取る以上、原子力規制や、対策などは考慮する余地なく、「説明・疎明が足りておらず、信じるに値しない」のです。

このような「ゼロリスク論」は、いまや「原発安全神話」が自滅した後の現在、きわめて危険な考え方なのです。

■追記 保全審理も山本裁判官のようです。うひゃー。最高裁事務総局、なんとかしろよ。司法の信頼が吹き飛ぶぞ。

「関西電力高浜原子力発電所3、4号機(福井県高浜町)の運転差し止めを命じた大津地裁の仮処分決定で、関電が決定の取り消しを求めて申し立てた保全異議の審理を、決定を出した山本善彦裁判長が引き続き担当することがわかった。
 仮処分を求めた住民側の弁護団が16日、明らかにした。
 大津地裁によると、裁判官は3人で、山本裁判長ら2人が継続して担当する。同地裁には民事部が一つしかなく、一般的に裁判長を務める部総括判事は山本裁判長のみという。山本裁判長は、関電が申し立てている仮処分決定の執行停止も判断する。
 民事保全法によると、仮処分は、暫定的な措置を決める民事上の手続き。保全異議審は、当事者双方が立ち会うことができる審尋などを経なければならず、より厳格な立証によって審理されることになっている。
 ただ、裁判官の人選については同法にも規定がない。過去には裁判所の事情によって同じ裁判長が担当した例もあるが、裁判所関係者によると、別の裁判長に代えるのが通例という。」(読売3月16日)

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コメント

ずいぶん前にも同じことを書いたことがありましたが…
岡村先生の指摘から経産省で審議されたのが09年、もしも「そりゃヤバイ!すぐに対策をしよう!」となっていたとしても地質調査して予算付けて防潮堤工事などとなると、いくら早くても2011年度開始になったでしょう。
つまり、どうにも震災に伴う福島第一津波被災事故には間に合いません。

それ以前から貞観地震のボーリング調査で警告(原発云々ではなく沿岸部の危険性)を発していられた先生には、バブル期の土地高騰に乗っかった反社会的勢力からの脅迫や嫌がらせがあったということも併記しておきます。

今朝の記事に全面同意します。
失敗学の畑村氏のインタビュー中にある
「今まで考えもしていないような別の事故というのはあり得ます。それでも破滅的なことにならないような対応の準備ができているかどうか、を、審査しなくてはいけない」
をゼロリスクで司法がぶった切り、次の裁判も山本裁判長とのこと。
裁判は長期化し、原子力専門家は無言になり、日本の知力が原発コントロールに注がれなくなり、電気料金は値上がっているのに安全部分でコストカットされて現場が悲鳴を上げる未来図が目に浮かびゾッとします。そうやって事故のリスクが上がるのです。
また、ひとつの技術を安全に駆使するまでに200年位かかる、初期の頃に被害者が増えた後、学習対策してグッと減っていく、ボイラーもエンジンも飛行機もみな同じプロセスを辿った。現代ならば過去よりも被害者少なく短期で出来るはずだ。
という畑村氏の論も納得いくものです。
こういう現実的具体的な話題になると「…そんな話を聞きたいわけじゃない。それじゃ結論が出ない」と、ぷいっと話を切り上げられる事がありますが、それこそ見たいものしか見ず聞きたいことしか聞かない態度です。

皇軍は神国の軍隊であり、神風に守られているので
絶対に負けない。不敗神話です。

なので転進を重ねた末に玉砕したとしても、決して
負けてはいないのです(絶対に負けないのだから)。
現場から大本営への報告書には「敵を大いに消耗さ
せしむ」「今後の、より効果的な攻撃方法と認むる」
とかナントカ書かれているだけ。

「負けちゃったよん!ボロ負け連続で、全滅しちゃ
ったわ。これを報告する義務のある私だけが、ホウ
ホウの体で生き残ったアリサマであります」のよう
な報告書は、絶対に大本営には届かない。

ネジれるのはココで終わらない。それを聞いた大本営
は、負けてると判っていても「負けちゃった」という
報告書が一切無いのだから、大本営内部では「負けて
いる」という認識が存在してはいけない事になる。

何故、そんな事になるかというと、受売りで書くと、
自分の所属する隊(共同体)の名誉を守るためらしい。
絶対に負けない皇軍にあって、自分の所属する隊が負
けたなどとは、口が裂けても言いたくない。隊の戦友
や世話になった上官の顔にドロを塗って、裏切ること
になってしまう。

広島・長崎ときても「負けない!?」マジ???」。
その体制がひっくり返るようなカタストロフでも来な
いかぎり目が醒めない。

安全神話も日本的な心象現象かも知れん。誰も本当は
信じちゃいないが、皆がそうだと言うから信じた。信
じないと、村八の空気なんだもん。

120%安全じゃないと認めないという神話世界の住人
達は、そのうち地学的断層じゃない経済的断層がズル
ズル10m程もズレると、神話では現実に立ち向かえな
いと悟るでしょう。皇居前広場で膝まずき、項垂れて
下さい。

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