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2016年3月30日 (水)

日本は沖縄県だけ「半主権国家」なのですか?

Dsc_9790
コメント欄に書いたのですが、長くなったので記事欄に移します。春休みですが、特例ということで。

春休みっていいですね。ひさしぶりに朝の湖畔散歩が復活しました。春の朝って、こんなに長かったのかとびっくりしています。

もうこちらも桜は5分咲きです。

                   ~~~~~~~

knorimotoさん。
あなたの自衛隊への危惧の気持ちはよくわかります。

ただ、あなたは自衛隊がもつ矛盾をよくご存じだから、そのように考えてしまうんじゃないでしょうか。

自衛隊にとって最大の「敵」は防衛官僚と、「政治」でした。

かつて防衛庁時代は、当時の霞が関官僚の天下り場所でした。

ハト派エリートだった加藤紘一氏は、防衛庁長官が初入閣のポジションだと知ると、「なんだこんな三流官庁か」と言ってのけたそうです。

そのような伝統は、一個の省となった今も連綿と続いています。

シビリアンコントロールが、内局支配を意味しないと修正されたのは、今の政権になってからです。

そして制服組が、軍事専門家として首相にアドバイスできる地位を得たていどが、残念ながら現状です。

私は軍隊は強大になる必要はまったくありませんが、一国の中で正しい地位を与えられるべき存在だと思っています。

自衛隊を縛る多くの「掟」については、いままで記事にしてきました。過去記事をご覧ください。

では、この自衛隊が沖縄県でどのような処遇を受けたのでしょうか?

復帰後の沖縄で、これが職業差別でなければ、なにをして「差別」と呼ぶのかという仕打ちに会います。

私が沖縄に通い始めたのは、復帰後数年の時でしたが、当時の役所の前には「日本軍の沖縄上陸阻止!」と書きなぐった自治労のタテ看板があったことを思い出します。

自衛官は、職業が自衛官であるという、ただそれだけで、なんと住民票の受理までを拒否されたのです。

住民票がなければ、子供の就学ができませんし、そもそも沖縄県の行政サービスの一切が受けられなくなります。

その自衛官は、転出届けを出してきたのですから、受理行政側が受理しない以上、「いない人」になってしまいます。

言うも愚かですが、そんな権利は、窓口行政にはありません。
しかしこれが、自衛隊を迎えた沖縄の姿だったのです。

ちなみに、私が沖縄左翼の人権意識を信じていないのは、こんな住民票受理反対などという差別反対闘争ならぬ、差別闘争そのものを平然と演じたからです。

このような自衛隊に対する隠微な「差別」は延々と続きました。

それから40年。

自衛隊は、不発弾が埋まっているといえば、炎天下で命がけの処理をし、離島に病人がでたといえば、どんな悪天候もでもヘリが救出に向かいました。

殉職者も多く出ました。彼らは島を守って死んだのです。

こうして不信感で見ていた島の人も、40年たった今、自衛隊を「自分たちを黙々と守ってくれる頼もしい人たち」と認識しています。

私はこの自衛隊を、島の防人にしっかり据えるべきだと思います。

自分の島は自分で守る。自分の国は自分で守る。それが民主主義の基本ではないでしょうか。

沖縄の自衛官の多くは島人です。

確かに、米軍がいる意味はあります。今自衛隊に代置することは100%無理です。

数も、在沖米軍のほうが、自衛隊より多いのです。装備もいい。輸送展開能力も高いのは事実です。

また、中国と島の左翼勢力への奇妙な気配りから、本来は師団規模の自衛隊を置くべきなのに、軽装備の旅団に任せています。

そしてなにより、ご承知のように、与那国から本島まで、警官の腰のピストルだけで「防衛」しているようなありさまです。

この28日に、やっと与那国に沿岸監視隊という小部隊ができたばかりです。

与那国は防衛計画を、住民投票で「決定」するという悪しき事例を残しました。反対派が負けたので事なきをえましたが、ありえないことです。

宮古、石垣でも同じように小規模の警備隊を置く計画がありますが、なんとこれにも八重山日報をのぞく地元紙や左翼団体は猛烈な反対をしているようです。

この人たちは、北朝鮮のPAC3の緊急配備にも反対しており、「国はオレ達を守るな!」という世界でもきわめて稀を「闘争」をしているわけです。

目と鼻の先に隣国が牙をむき出して迫っているのですから、フツーは国に対して「守れ」という運動をするものです。

しかし逆に、「守るな」と叫ぶのですから、ここ沖縄だけの怪奇現象ですね。

このような状態を、「半主権」といいます。

国が国民を守るという、イロハのイができなくて、それが国家ですか。

しかも、たかだかといっては語弊がありますが、国ではなく「県」です。

では、このまま数十年先まで、この「半主権」状態に沖縄を置くのでしょうか?

これは日米地位協定とも重なりますが、そんな「半主権」はあってはなりません。

knorimoto さん。現状で「そうである」あるいは「そうでしかありえない」ということと、将来的に「そのような現状は変えていかねばならない」と思うことは、一緒ではありません。

保守主義はリアリズムであるが故に、変えていくということに臆病すぎます。
私は自分の国を自分で守れない状態を、「保守」とは呼びたくありません。

一地方でしかない県すら、自力で守れない国などあるのなら、そんなものは滅んだほうがいいと思います。

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

沖縄自衛隊Q&Aにも下記のように載っていました。↓
曹士採用の場合、幹部採用に比して地元勤務の可能性は高くなります。
 なお、県出身者で沖縄に勤務している自衛官は1,440名です。(25年1月1日現在)
(沖縄に勤務する自衛官の総数は約6,320名)
もっと少ないのかと思っていました。
地理的に守りを固くすべき地域なので、誰がどいても軍が居なくなる事はありえないです。
住みたいところに住んで明日の暮らしを考えられる国って案外少ないし、今どんどん減ってきている中、それを棄てるリスクを冒してまで望むのは何なんだろう?と沖縄左翼の感覚を疑います。
離島の方々の危機感が声となって本土にも届くようになったので、さらに一歩進めた話ができるようにしたいですね。

重要なのは、「最前線=宮古・八重山の感覚」でしょう。

いくら本島(私は南部ですが)から思って見ても、実感・リアリティーが薄いのです、頭の中では分かっているつもりでも左脳しか働かなくて無念です。実感を伴って、初めて打てる対策が有るかも知れません。

先のコメントについて記事にしていただきありがとうございました。

自衛隊が沖縄で受けた困難は仰る通りのものと思います。そして、1970年代には本土の一部地域でもそれは同様で、自衛官の子弟というだけで人格と人権を否定されていました。

ですから、沖縄については復帰後自治労と沖教組が本土左翼のコントロール下に入ってしまい、悪い意味で「本土並み」になってしまったように思っていました。ただ1980年代以降本土では左翼が急速に衰えたのですが、沖縄だけは逆に左翼の集積場になってしまったように見えます。

そして、今の日本が主権国家のあるべき姿から離れてしまっている現状は好ましいものでない、という問題意識は変わりないとは思いますが、ご指摘の通り、変化に対して臆病になり過ぎているのだと思います。そうでなければ、抵抗勢力を意識し過ぎているのでしょう。

厳しい指摘ですが、正鵠を得ていると感じました。

譲二さん。わかりますよ。私も那覇に住んでいましたから。

本島南部は県の中でも、もっとも基地を観念的にしか見ていない地域だと思っています。
米軍基地や米兵にしても、ほんとはピンっときていないはずです。
だっていないんだもん。せいぜいがペイデイの時にリクレーションで国際通りに遊びに来る私服の米兵くらいか、空高く飛ぶ米軍機ていどでしょう。

今回の米兵事件のほうが特別で、那覇は県庁所在地であって、政治の中心でありながら、米軍の匂いがまったくしない、希有な街なのです。

だから地元2紙の、米軍=悪、米兵=鬼畜という洗脳教育が気持ちよく染み渡るのです。
毎日毎日、何頁もあんな紙面読んでいれば、知らないうちに染まらないほうがおかしいほどです。

本土のマスコミは、何かあると必ず国際通りでインタビューしていますが、南部の人に米軍のことを聞くこと自体ピンボケ。

本島でリアルに米軍を感じられるのは、中部の西海岸側と、北部東海岸側の一部でしょうか。名護ですら西海岸側はまったく基地の匂いすらありません。
ところが山ひとつを超えた辺野古や金武に行けば一転します。

こういう島の南北問題、東西問題が複雑に絡んでいるのが沖縄の基地問題なのです。
しかし本土人は一括して沖縄全体がベタ一色で、全島が悲惨な基地密集地帯で、米兵が毎日のし歩いてレイプしまくっているような錯覚をしています。

その勘違いを意識的に作ってきたのが、沖縄左翼なのですが、いまや自分で作った幻想に自分で呪縛されているから困ります。
いわゆる「74%伝説」です。
虚像もここまで長期間固定化されると、実像か虚像か自分でも判別がつかないようで、批判されると必ずキレます。
かつて「74%伝説」を取り上げただけで、佃煮にしたいくらい左翼がおしかけてきました。

また離島も、別の意味でまっさらなのです。ここにも「軍」の影はありませんから。
米軍基地もないから、利害関係もありません。
県単位で与えられる振興予算の恩恵には浴していますが。
振興予算自体が日常化してしまって、県民にはまったく見えませんからね。
だから助かっていると思う県民は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。

おまけに狭い島でもっとも組織化されている集団はお役人さんと教師の労組だけです。

このような状況から、一回眼を東アジアの政治・軍事地図に移すと、前回書いたような中国の脅威が眼と鼻の先まで来てきているわけです。

尖閣ばかり言われていますが、もっとも危険なのは中国の圧力正面である宮古海峡を持つ宮古島です。

ここまで長いコメントへのアンサー書いておいて春休みかよ、と自分でも苦笑しています。


我が息子が通う学校からも
春から自衛隊へ進む、頼もしい子供達が数名おります
交通量の多い島の裏通り交差点には最近
大きな手作り風立て看板「自衛隊絶対反対」が
たてられましたが
内容ともかく、見た目のセンスの古臭さが
いかにもといった感じで不快です
私個人の周囲に、自衛隊に不快感を持つ人はいません
どちらかというと好意的です
先日、安保法制が施行を迎えた日の街頭インタビュー
○HKのお昼のニュースをたまたま見ていましたが
本島でも石垣でも、肯定の意見する方が多く
○HK沖縄らしからぬ感じがして、ちょっとこそばゆい気持ちになりました

それと、文中「八重山新報」は「八重山日報」
だと思います(^^)日報ガンバレ!

石垣のおばちゃんさん、ありがとうございます。修正しました。
島の青年が、島を守る仕事に就くのはほんとうに見ていて清々しいですね。
チバリヨ、ニセター。

ある資料作りで たまたま各県ごとの犯罪率をみましたけど、婦女暴行などはやはり沖縄多いですね?やはり南国というのも関係性あるのでしょうかね? と同時に話題の米兵絡みの事件が意外に少ない。やはり沖縄マスコミの仕事ですね?是非興味がある人は年次統計見て下さい。結構アメリカも厳しくしてるのでしょう。また飲酒運転事故は沖縄凄いよ。全体的な犯罪傾向は意外と高いのので 南国の楽園とはいいにくい現実があるのか かなり生活環境が荒廃した面もあり、なぜ?と感じます。穏やかな印象は観光客向けなのかなと思いました。

主宰の仰るように


「基地の負担感」は、その基地の現場でしか感じ得ないのが原状でしょう。


言って見れば「なんの負担もしていない・感じてないのに、振興資金をシコタマ頂いたうえに、反日・反米の文句ばかり言っている」のが、「サヨクと同列の県民」でしょうか。


だから、一番の現場=普天間(宜野湾市)と辺野古地区で話し合って決める。のが、筋であとは、戯言(たわごと)ってことでしょう・・・ハショレバ。


「酷いですね沖縄マスコミ」さん


確かに「飲酒運転・成人式のメチャクチャ」は多いですね。「県民の純情可憐?な性格が、原状の矛盾に反応して自然と迸る(ほとばしる)ワザ」なのかも知れません??


沖縄の文化とかいって、王朝時代の文化のようなものが、持て囃され、好い気になっているキライが、ありますが、そーなんでしょうか?


沖縄は、観光客のリピーターが非情に多いのですが、あんなもの?に惹かれて何度も来られるとは、思えませんね。


沖縄の文化とは「現在の沖縄人の気持ちとか・レトロチックな環境に依るもの」、即ち、今の沖縄のコンテンポレーティングなモノが、本当の文化のような気がしますが。・・・

毎日何回も何回もこのブログを読んでおりました。
年寄りにはちょっとハイレベルな管理人様の記事や、皆様のコメントにたっぷりの時間を(只今入院中)使い、ネットを使いながら勉強させて頂いております。
沖縄の自衛隊は本当に可哀想なで言い表せない程に差別されておりました。25年程前迄沖縄の行事はおろか、お祭りにも参加ならず、ハーリーも大綱引きも米軍の参加、高官の招待はしても自衛隊は認めないのですから。
自衛隊員の家族も大変でした。特にお子様は学校ぐるみで虐めておりましたね。連絡のお手紙無し、体育祭や発表会等にもどこにも参加場所を与えていませんでしたから。
ここ20年位でしょうか?あまり気にならなくなりましたね。
私は戦時中は山口に疎開しており、昭和26年に戻ってまいりました。小学4年の時です。沖縄の人間でありながら内地人扱いでかなり苛められた思い出があります。首里の石嶺の実家は何にもなくなっていて父も戦死しており、母は、私達子供3人を必死で育て上げてくれました。
首里高時代に甲子園ですよ。嬉しくて嬉しくて…やっと本土並みになる、と子供心に思ったものです。その帰りの船の上で甲子園の砂を流した時、未々日本は遠い、と感じました。あの頃は検疫事情など理解出来ませんでしたから。
国費留学という有難い制度で私達兄弟は東京の国立大学に通う事が出来ましたが、学力の差に愕然としたものです。
アルバイト先では「日本語はどこで覚えたの」「英語学習を受けていたの?」等と今では笑い話の様な思い出が一杯です。しかし苛められたり、差別されたりの経験はありません。
よく子供の頃は「戦争体験がないから同胞ではない」と言われたものです。母はもっと辛かったと思います。しかし私達は空襲の怖さ恐ろしさを知っています。近所のおじさんやおばさん、友達と沢山の知り合いを亡くしました。毎晩のように空襲警報に怯え逃げまといましたから。 沖縄戦に比べれば微々たる悲惨差と言われたこともあります。防空壕の中で、ある人が「これが戦争なのだ」と「自分の子供も戦地で親の為子の為故郷の為頑張っている」今でもはっきり覚えております。
戦争は悲惨です。あっては成らぬ物です。しかし世の中には利害や思想や宗教等の違いだけではなく、自然も違う環境がありますものね。永久に無くならないものだと思っております。大小の違いはあっても。
それを如何に最小限に食い止めるか、自国の国民を如何に守るか、なのでしょう。
沖縄には日本は本土と沖縄の2つしかありません。 他府県は全てひっくるめの一つの本土です。
本土で生活している時転勤先で近所の方に聞かれる「どちらから?」は前に住んでいた所、「お里はどちら?」も産まれた土地。沖縄は「内地ねぇ?」ですものね。
確かに此所と内地の環境は違いますが、同じ日本の1地方自治体なのだという自覚が薄い人が未々多いようです。
それなのに沖縄らしさが日々薄れ、おもろまちの様な何の特徴も無い街がどんどん広がり、観光用の沖縄の施設と方言が蔓延している様な気がします。
治療の合間に途切れ途切れに書いたものですから、かなり支離滅裂です。ごめんなさい。

沖縄のおばぁさん、お大事になさってくださいね。ご快癒されますようお祈りしています。
私の中学の同級生も卒業前、将来の夢を言う際に「防大に行って親と同じ自衛官になりたい」と言った男子に担任が「親子で人殺しになる気なんか」と蔑みの言葉を叩きつけていましたが、流石に学校ぐるみで虐めたりということはなかったです。
隊員とそのご家族が何十年も我慢を重ねコツコツと積まれてできた信頼が、沖縄にも育まれてきていると聞くと安堵いたします。
個人的に、案外自分の土地とそこ以外という概念は是なのだと思います。そこ以外の土地と人への「恨み辛み」に取り憑かれた気持ちを鎮めるのは、年月なのでしょうね。だから左翼が騒ぎ、あるいは他国では歴史を書き換える。

「沖縄のおばぁさん」

さすがですね!胸にジンときました。思えば「疎開組み」で同世代かと思います。


まだまだ若いですね。正しい原状把握と、この国の未来に向け頑張りたい。との意欲を感じ取れましたー・すばらしい!

この間、息子の嫁の兄弟の結婚式で「九十何歳で現役のお医者さん」の方とお会いしました。見た目も然る事ながら、精神も溌剌としていて、皆・すごい!の連発。沖縄の巨人(ジャイアンツじゃーなくて・・)の、お一人だなーとと実感しました。


私を含め、歳食うと、持病の一つや二つ背負い込んで病院通いに勤しんでいますが、あまりヘコタレた様子は、ありませんね、皆、元気です。


「岡本太郎」の本「沖縄文化論」は、傑作ですね。


彼が宮古で講演の時、地元の方々に「人頭税」の事をさんざん言い回されて、頭に来て、その時切った啖呵


『私も、人頭税払ってこんな宮古くんだりまで来ているのに、人頭税・人党税と錦の御旗みたいに振り回されちゃー、かなわない!』と言ったら、皆黙ってしまった。そうです。


この沖縄の地の現場で、子や孫の未来の事をよくよく、考えたなら「地獄のような、中国領になる」事が、一番避けなければならない事。だと思います。

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