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移設問題を素朴に考える その1

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移設問題について、できるだけ素直に考えてみようと思います。

あらかじめお断りしますが、今回、私はこの問題を考えるときに、政治的な保守、あるいは左翼、いずれの立場にも立ちません。

実現可能性があるのかどうか、そしてそれが誰しもが「あるていど」の納得が得られるものなのかという視点に立ちます。

「あるていど」と書くのは、誰にとってもの完全解決・完全満足などはありえないからです。

皆どこか不満ですが、落とし所を探らないと延々と今のような状況が続くことになります。

落とし所を考えるのが、大人の政治です。

紛争を始めるのは簡単ですが、相互に妥協して出口を見つけるほうがよほど大変なのです。

裁判で県が敗訴してそれで一件落着、という考えも保守の中にはありますが、火種は県民の中に「本土にやられた」感として残り続けることになります。

私はこのような強引な白黒結着を、首相が選ばなくてよかったと思っています。

一方、反対陣営は、いかなる判決が出ようと、それによる「和解」など無視して、どこまでも「全基地撤去」の日まで戦いたいのだと思います。

左翼ナショナリズムは、米軍基地の固定化を嫌う県民の心理を、うまく捉えてきました。

しかしこれ以上、対決構造が延長すれば、島の政治全体に対して共産党などの本土左翼政党の間接支配を許すだけのことです。

そもそも「全基地撤去」というスローガン自体が、日米安保全体を否定している共産党の考え方で、基地はなくなっても別のリスクを呼び込む結果になります。

というわけで、なにかしらの形で抜本的な解決を計らないと、今、県民内部に生じている大きなしこりがこのまま固定化されることになりかねません。

では、なぜ移設せねばならないのでしょうか。 

いうまでもなく、人口が密集した市街地にある普天間飛行場のリスクを取り除くことです。これに異論がある人はいないでしょう。 

ここまでがいわば総論です。

総論はえてして全員賛成、各論に入ると一気に利害が噴出するというのがお定まりですが、この移転問題もそうでした。

翁長氏たち「オール沖縄」と称する人たちは、「普天間の固定化反対」といいながら、いまだに県外、ないしは国外という線に固執するあまり、事実上「移設反対」と同じことを言う結果になりました。

県外に移動できるのは、既に移動している普天間の給油機部隊などのように、あくまでも身軽な航空部隊です。

いったん鳩山氏が妙な幻想をもたせてしまった、「国外・県外」という立場から離れてもらわないと一歩も進みません。

はっきり言っておいたほうがいいと思いますが、「国外・県外」などは、今の緊張したアジア情勢下ではまったくの夢想にすぎません。

次に昨日も書きましたが、これが半永久的な基地の建設ではない、ということを明確に政府は保証するべきです。

保守は「オール沖縄」が反日だ、親中だと思う前に、なぜ翁長陣営が県民の過半数の支持を受けたのかについて、思い致すべきです。

それはいままでの米軍基地の建設が固定化さてしまい、縮小・移転のためには別途に長期間の返還交渉をせねばならなかったからです。

それが、「新基地」という主張に、妙なリアリティを与える原因になっています。

もちろん「新基地」ではないし、面積的にも沖縄全体で見れば大きな軽減なのですが、その理屈の前に、「まっさらな土地に新たに作られる」という部分に激しい心理的な反発が生じたのです。

県民の心の中に、東海岸でも稀な辺野古崎という無垢な海岸線に、「新たに作る」のはたまらないものがある、ということを理解すべきです。

ならば、那覇の第2滑走路建設はどうなるんだ、という声があるのは知っていますが、あれは自衛隊と民間機が利用する施設です。

自国の防衛を担う自衛隊と外国軍隊を同列に置くのは、おかしいと思います。

あるいは泡瀬では大規模な干拓をしていますが、それは島の主要産業である観光が目的です。

私は失礼ながら、沖縄県民が海をそれほど大事にしているとは思っていませんが、「外国軍隊専用施設を作る」というためなら、お断りだという気分はよく分かります。

ですから、「外国軍隊専用施設」というトゲを抜かない限り、県民の納得は得られないと思います。

これについては、選択肢は二つしかありません。

ひとつは、自衛隊管理の施設にしてから、軍民共用空港として米軍にも貸与する。

もうひとつは、既存の米軍基地内部に作るか、既存の米軍基地と統合する。

これは共に実現可能性があります。

自衛隊の航空部隊と米軍が共用している航空基地は、本土にたくさんあります。北から千歳、三沢、厚木、岩国などです。

沖縄の自衛隊は空自・海自共に那覇の手狭さにほとほと困り果てており、一部の移動は悪い話ではないはずです。

民間空港としては、第2地方民間空港としての利用が可能です。

北部離発着の便が出来れば、過密な那覇空港を間引けるだけではなく、北部経済の活性化に大きく役立つでしょう。

次に、これは次回に詳述しますが、シュワブ陸上部に作ることによって、フェンス内の増築になります。

これによって「新基地」という汚名は返上できます。

そしてもうひとつは、トータルな日米地位協定の改定です。これについても別稿にします。

このようにやりようはいくらでもあるにもかかわらず、政府は構想だけをきちんとした説明もなしにポンっとだすだけで、後は補助金をバラまけばいいと勘違いしています。

こんなやり方では、この問題はこじれるだけです。

まがいなりとも「和解」がテーブルに乗ったのですから、いちからやり直すつもりで再検討するのも無駄ではないはずです。

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

いつも管理人さんのブログ記事や、ハイレベルなコメントで勉強させて頂いています。
沖縄と本土の「皮膚感覚の違い」について、出来るだけ理解したいと努力はしているつもりですが、マスコミから入ってくる情報の多くが、その差を埋めるどころか、対立を煽るものばかりなのが残念です。

ところで、本筋と関係のない質問で申し訳ないのですが、管理人さんの「保守」の定義ってなんでしょうか?

私は自称「穏健的保守派」のつもりですが、数日前の「HN蒲焼さんにお答えして」の文中にあった、
『保守は礼節とわきまえが精神的支柱です。他者の伝統的生き方や在り様を尊重することから始めます。
言論活動はしますが、物理的行為に及ぶことはほとんどありません。
だから保守は、ノイジーマイノリティと違って、まったく目立たないのでマスコミからは無視され続けています。』
の部分が非常にしっくりきますし、そうありたいと思っています。

しかし、
『保守は「オール沖縄」が反日だ、親中だと思う前に、なぜ翁長陣営が県民の過半数の支持を受けたのかについて、思い致すべきです。』
『保守は単純に県民の犯罪率と米軍人の犯罪率を比較しますが、それは根本的に見誤っています。』
『本土のバカなネット保守は、分かろうともしないで、言っている者が多すぎます。』
などの記述を見ると、管理人さんの中では「保守=ネトウヨ」なのかなと思ってしまいます。

私の中では、前述の「礼節とわきまえ」を守る(あるいは守ろうと努力している)のが保守で、守れないのが「ネトウヨ」だと考えています。

投稿: 山口 | 2016年3月26日 (土) 10時09分

まだシリーズ一回目なので、ブログ主様の論のすべてでは無い段階で申すべきではないかも知れませんが。

かつて、守屋武昌氏が陸上案でまさに決着寸前まで行きました。ブログ主様もよく御存知の事と思います。
それが一晩にて覆されてしまったのはなぜか?
その事実や経緯をよほど詳細に分析して行かないと、「解決のための陸上案」にはもって行けないと思うのです。

その経緯には東総業などの土建屋グループの暗躍があった、という事は今では明かになっていますが(そして、その事が沖縄自民党の力を著しく殺ぐ事になりましたが)、この問題を利権がらみとしてだけで見ていたのでは不十分だし、本質を見えなくさせると考えます。

ブログ主様は「県民の肌感覚」、「土着的な(心)」という言葉をお使いになられましたが、私はまさに、この事の正体が沖縄の為政者をして海上案にもたらしめたのだと考えています。
(ブログ主様が使った意味と異なるかもしれませんが、借用させていただきます)
合理的で理知的な頭脳を持った仲井眞知事でさえ、就任早々沖合いへ数十メートル出す全然意味のない要求を突きつけました。
その結果V字案というかえって埋め立て面積が増える結果になりました。
そして翁長知事はついに「ちゃぶ台返し」を敢行しようとしています。
本土から見れば「甘え」にすぎないと考えられる無謀な要求も、沖縄の為政者には県民の歓心をかう上で必要だったのです。
「県民の歓心をかう」とは、「沖縄世論に配慮」とほぼ同義で、それはまさに「県民の肌感覚」や「土着的な(何か)」に基づいたものと思います。
つねに沖縄の為政者は、為政者たる条件として本土との距離感を一定以上に保たなければならないのです。
それを沖縄では「県民の心に寄り添った」という説明をしていますが、全く不合理なものです。
ですが、本土に何も言わないで唯々諾々と従う政治家と見られる事のリスクは今でも相当大きいのです。
しかし、翁長知事の革新に寄ったやり方は行き過ぎたもので、多くの沖縄県民は本土との「明確な対立」までは望んでいません。

沖縄県の主人公は今や、ソテツを煮て食べた沖縄戦で戦ってキズついた人達ではなく、米軍政時代に反逆した人達でもありません。
今の主人公は、娘時代に職が無く、やむなく本土に出て繊維産業や製造業で出稼ぎを経験した人達、意気揚々と本土に就職の為に出ていって夢やぶれて故郷にかえって来た経験を持つ、50代後半から60代の人達です。
これらの人達に共通するのは、本土での経験が良いものでなかった事です。
差別というほどのものではありませんが、習慣や勤勉、スピードの違い、あたたかい風土といったものに抱かれる事のない日々は、自然に沖縄県出身者だけのサークルになりました。
私は現在の沖縄県の政治におけるマジョリティーはこれらの人々であり、沖縄の為政者の方向性に強く反映していると考えています。
一例ではありますが、これが現在の「肌感覚」であり、不合理で漠然としたものの正体だと思います。
(特に沖縄だけに限らず、政治は何時でもどこでも老人の域のかかった人達の感覚に則したものになります。)
たぶん、クラッシャーさんの時代になればこういう事はなくなるでしょう。

辺野古移設で基地面積か確実に減る、しかし辺野古は反対だという事の本質は、何やら漠然として不合理なもので、本土との乖離を愉しむような、垣根を自身から築くような気分的なもの(情緒)に負う部分が大きいと思います。

なので、ブログ主様の言われる事は至極合理的で「よりよい案」である事は同感ですが成就はしません。
国側から譲歩してこの案を出した場合、その時点で蹴られます。
情緒が本当の理由であるとすれば、一切の妥協は不可能だからです。
国連で翁長知事は「自己決定権」をいいましたが、沖縄県には「決定する自己」というものはありません。
唯一、沖縄県側から陸上案を切りだす事だけが残された道です。
しかし、知事であれ県全体であれ交渉が成り立つような主体性がありません。
主体性がないにもかかわらず、「沖縄の自主性を最大限にせよ」と言っているのです。

なので、私には国側から陸上案に変更する事が県民の大方の満足に資する事が出来るとは全く思えません。
また、そこまでやる事がヒューマニズムと言っていいかどうか疑念がありますし、県民の何かの権利を侵しているとも思いません。
一方、裁判の決着がついて工事をすすめる場合、予期された一定の反対運動は当然あるでしょうが、少なからずの県民の心にはきりがつき、気分的な不満は多少残るものの、粛々として進められる事になるだろう、と考えています。


投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年3月26日 (土) 10時38分

 新参者の譲二です、よろしく。

山路さんのご意見に大賛成で、矛盾を感じません。

「危険性の早期除去」は、反論できない命題で「非常に危険な普天間基地を→比較的安全な辺野古基地に統合する」のは当たり前の事で、これに反対することは「人道問題」と言われても仕方がないと思います。

中共の断末魔、そこから派生する沖縄へのとばっちり・危機が、すぐ目の前で起こりそうで「のんびりと構えてやって行こう」って考えには、焦りを感じます。


「皮膚感覚」だけでは、ちょっと摑みにくいので、私の永年の友人を観察してみた結果をもう1点書かせてもらいます。と、

「沖縄の基底文化・魂がヤマトの商業主義(文化?)に侵され・消滅の危機にあると、いう事への、「怒りと苛立ち」があります。良い例か、どうか定かではありませんが、

「比嘉康雄の写真と東松照明の写真」・「フェリックス・ナダールとポール・ナダールの写真」・「ヒューバート・サムリンとエリック・クラプトンのブルーズ」みたいな感じがします。

それと、「沖縄の新聞に依って埋め込まれた反日・反米・僻み(ひがひ)」は、特に60代前後の方々、根が純粋だった?だけに、おいそれとは抜け出せない心持でしょう、彼らに今更、世界情勢などの、お勉強を望んでも徒労に終わる事でしょうし、

手っ取り早く事を進めるには、「左傾化で日本1・2を争う沖縄の新聞2社」を、1社解体して「産経新聞・八重山日報」あたりがタッグを組んで起業してもらえれば「世論の改革・サイレント・マジョリティーの救済」が可能ででしょう。この狭い県内に「赤旗が2社も成り立つはずがない」の、ですから・・・


以上・ロングになりましたが、書かせて頂きました。

投稿: 譲二 | 2016年3月26日 (土) 15時27分

山路さん。まだ第1回なのに突っ走るなよ(ため息)。
私が書いているのは、ほんの試案にすきないなのに、どうしてそうムキになるのかね。
議論もなにも、初めから全否定じゃないですか。

お書きになっていることは分かっていますよ。
当時の名護市長は私の産直の相手でしたしね。

この問題を始めるときに火中の栗を拾うのかというようなけっこう悲壮な気分だったんですよ。
山路さんがおっしゃるのはそのとおり。本土政府も言い出しません。県はなおさら言わない。
百も承知です。

この移転案でもっとも優れていて、しかも実現可能性が高かった守屋(小川)案を葬ったのは、沖縄側です。

そのいきさつはどこかて余力があれば書くけれど、島の政治家と本土の政治家、業者と業者のしがらみと相剋です。
いわば古い壺を覗き込むようなものですよ。

結果、こんなふうに「オール沖縄」が生まれ、裁判所の白黒を待つ「和解」になったわけです。

いいのでしょうか、というのが私の思いです。
おそらく守屋(小川」案が検討される最後のチャンスです。
このまま葬っていいのなら、まぁ仕方がありませんね。
山路さんがいうようにそのほうがすっきりするなら、なんとも言いようがありません。
私は別に県の世論を喚起するなんてだいそれたことは思っていませんが、最後のチャンスで、もう一回過去のしがらみから離れて、考えてみたらどかと言って居るだけです。

次に、「皮膚感覚」ですか。なんとなくですが、私と同世代のUターン組がそうでしたから、分かる部分と分からない部分があります。

本土に行って、なじめずに島に帰っても仕事がない、かといってハルサーにもなれず・・・、みたいな宙ぶらりんな。
しかし、こればかりは、なんともしようがありません。共感を持ちようがない。
だって、私はそのような島人がたむろする那覇の印刷という底辺で働き、その後にヤンバルでハルサーとなったのですから。

ですから私が、「皮膚感覚」で接近できるのは、島の戦後史と不可分な部分にだけです。
しょせん大和衆ですから、私は。

だからわからないなりに、本土の保守の沖縄に対する決めつけをなんとかしたいと思っているだけです。

山口さん。保守=ネトウヨじゃもちろんありません。
最近、私なりの「保守」の定義みたいなものを書いたつもりでしたが。
なにより私は保守ですから。ただし、伝統を重んじながら、個々の思想や哲学を尊重するのが保守だと思っています。

ただ本土保守が、単純に沖縄を見すぎているという思いは募る一方です。
その違和感を舌足らずですが、書いています。
とくに、「オール沖縄」に敗北した総括がきちんとなされていないままに、徒に時間だけたっているような気がしています。
ある意味で、翁長陣営のほうが、もやもやした県民の気分をスッキリ代弁した部分があることを、どう評価するかです。
これを反日・親中みたいな色分けで見ると、見誤ると言いたいのです。

譲二さん。ようこそ。
ウチナーの部分がヤマト化して、すり減ってくるという危機感はわかります。
私はヤンバルの過疎の村でディープな日常を送っていために、那覇に用があって出ると目がくらみましたよ(笑)。ここはヤマトかって。
沖縄にもうひとつ普通の新聞は、絶対に必要でしょう。

このシリーズ、クソミソな反響で出発で、どうしようかな・・・。

投稿: 管理人 | 2016年3月26日 (土) 16時14分

管理人さん
私の下らない質問にお答え頂きありがとうございます。
確かに単純に沖縄を見過ぎているきらいはあるかもしれませんね。

このシリーズですが、正直、戸惑いながら読んでいます。
今までの管理人さんの論調と異なっているので・・・
ただ、左側のメディアも右側のメディアも対立を煽るかのような報道ばかりの中で、敢えて溝を埋めるようなアプローチを模索されているのかなと受けとめました。
個人的には、このシリーズを続けて頂きたいと思っています。

投稿: 山口 | 2016年3月26日 (土) 16時58分

山口さん。このシリーズはいままでの読者の皆さんからボロボロだなと思って書いています(笑)。
私がいままで心がけてきた、すっきりとした回答や分析の前に、私の思いが先に出ているからです。

そのくらい沖縄は私の中で重いのです。迷いながら、書くと思います。
自分で書きながら、そりゃゼッタイに無理だよ、といいながら書くことになります。

というのは、さっきも書きましたが、この「和解」期間が最後のチャンスだからです。
単なる移転案だけではなく、いままで解決できなかった諸問題を包括的にパッケージで考えていく、またとないチャンスなのです。

それにおそらく官邸は気がついています。さもなくば、工事の中断を伴う譲歩はしません。
むしろボールは沖縄側にあります。


投稿: 管理人 | 2016年3月26日 (土) 17時13分

沖縄は、歴史的に琉球王国があったなど、元々独立性が
高かった。当然、貿易などで周辺国との関係もあった。

文化的には、もう廃れた上代の日本文化と思われるもの
と親近性がある。どちらが鶏で卵かは、今では不明だけど。
ただ残念な事は、私の在住県に負けず劣らず周辺県
としてのムラ文化が強く残っているよう。土俗土着的。
都会的な、個人的自由や個人主義や市民文化は薄い。

近代、アジアで最初に西洋文明を輸入してブイブイ言い
始めた大日本帝国は、沖縄を正式に日本とした。

無能(悲しい)な帝国の上層部により、日本は負けるべく
して負けた(結果論だと擁護したいけど)が、米国の取っ
た侵攻経路が、フィリピン(マ帥の個人的意地?)、沖縄、
九州・本州のようだったので、必然的に順に前線は悲惨
な戦場となった。(核兵器の使用も含めて)

職業軍人はいざ知らず、徴兵された日本兵の死亡原因は、
飢餓や病気などの非戦闘原因が死者数の半分を占めた。
兵はブラック軍隊に虐待されていて、虐待を受けている
人は、他人をも虐待する。彼等は、国民を守る軍隊では
なかった(陛下を守る軍隊でもない、軍を守る軍隊だった)。
現在の自衛隊とは性質が違う。

私は、資本主義がチ卿のリクツで最善だと思う。多分み
んな(独裁政権のエライさん除く)そう。だから、みんな
お金儲けが、好きか大好き。現在の日本において北海道
~沖縄、ゼニの為にほとんどの人が生きている。お金は
キタナイなど言う人は、生涯ビンボー人確定なくらい。
利権は悪くない。それが公正に機会平等になっていれば。

あっ、文長げー、人様のブログなので迷惑千万。以下は
略します。「オール沖縄」なんてケツの穴の小さい事に
縛られそうにならずに「オールジャパン」でどうよ?
その為にも基地問題は、超クールな頭でもって、合理的
に最善策を取ろうという、結論までは遠かった・・・

後は管理人さんが、そこの具体策まで連れて行ってくれ
るハズ。


投稿: アホンダラ1号 | 2016年3月26日 (土) 23時51分

個人的にボロボロだとは思わず今回もシリーズを拝読しています。
心情や感情、気質といったものが土台の多くを占める話では、違いや他者との距離感をうっとくる重さで感じる瞬間があるのは当然で、重苦しさも込みで読んでいます。
保守というのは、それぞれがその場所で継ぐ善き文化や営みを保ち、次世代に継承を望む立ち方だと私は考えています。そういう意味で私の心には、五穀豊穣・子孫繁栄 という言葉が魂にまでしみるのです。次世代に夢物語のユートピアでない地味だけど有難いほんの少しの豊穣を、保守も革新も今の沖縄政治&経済のマジョリティの方々が提示できているのかな。とは最近保守系のネット配信も活発になってきた分、気になっています。
40代以若の世代が魅力を感じ継ぎたいと思えるように、保守側は襟を正す義務があります。管理人さんの言われる礼節に通じると考えています。
ただ、私のような半端な転勤者には、ここを読んでいるかぎり沖縄は十分過ぎるほど日本です。違いって相対的なものですね。

投稿: ふゆみ | 2016年3月27日 (日) 00時38分

私のコメントは、またまた狷介にすぎましたね。
申し訳ないです。

ただ、独特の考えかも知れませんが、私は米軍不在の沖縄には住んでいられない、という考えを強く持っています。
妻が私にいつも言うのですが、「世田谷の家をなぜ処分しないの? あれを売ればこの古い家を建て直せるし、生活もぐっと楽になるのに」と、至極もっともな事を言います。
とてもそんな気になれませんが、妻にも理由は話していません。

安倍総理が総理に就任して始めて仲井眞知事に会った時、「政府は本気で沖縄を守るつもりがあるのか?」と言ったそうです。
まったくその通りです。
北朝鮮はミサイルを沖縄の上を通過させるのではなしに、皇居の上空を通過させればよかった。
その場合、沖縄のように何事もなかったようにはならなず、大騒ぎでしょう。
宮古水道には中共の軍艦が行き来し、入れ食いの尖閣周辺での漁を当て込んで魚船を購入した友人は破産寸前です。
沖縄は自衛隊だけでは守れません。たとえ年23兆円の国防費をかけても「専守防衛」では抑止力にならないのです。
その面からも米軍、とりわけ自己完結型の前衛部隊である海兵隊の存在は非常に大きいのです。

それでも、米軍は尖閣を守らないのではないか、という疑念は私にもあります。
しかし、たとえ沖縄に同情する意味からでも、米軍を頼るしかない現状の中で、これ以上米軍の一部撤退や足かせをすすめるのは疑問です。
米軍を排除する以外ないのが前提なら、翁長氏が中共にすり寄って行くのは致し方のないことです。
しかし、中共は本当におそろしいです。
いま中国での沖縄に関する報道の仕方は「日本政府に虐げられた我が同胞」「琉球回収」です。
目的へのステップとして、まず国内世論を固めているのは明瞭です。
また、将来の事としても、今のこの情況をかかえた状況で県民に「基地は半永久的ではない」などと無責任な、うすぼんやりした約束をすべきではないと思います。

確かに海兵隊の訓練は平時の我々からみれば異様な感じがします。
ですが、沖縄の米軍をまるで余計物、戦争を思い出させる不快な存在であるかのように「異物」扱いにするのは間違いです。

ブログ主様の沖縄に対する思いは尊いもので、かつての山中貞則氏や梶山静六氏などが強く意識した、沖縄戦や米軍施政下での苦労を思いやったものと拝察します。
たしかに本土の人は沖縄戦をあまり良く知らないし、知りたくもないようです。
また米軍施政下時代の沖縄について、「異民族に統治された経験」というものは異常な体験であり重要な視点でしょうが、単一的視点では言い表せません。
米国は当初、沖縄を返還するつもりなど毛頭なく、未来永劫米国領としたかったに違いありません。
それだけに沖縄県世論を喚起するため、逆に沖縄県民を非常に大切にしたし、豊かにしたのも事実です。間違いなく終戦からしばらくは本土より物質的には豊かだったでしょう。
本土が豊かになるにつれ、沖縄県での祖国復帰運動が盛り上がりました。

ああ、またやってしまいましたかね?
ブログ主様に於かれては私のコメントなど無視していただいて結構ですから、中断する事無く思うところを存分に書いて下さい。
ご不快は良くわかりますので、私はこれから3~4日は自主的に謹慎いたします。(合掌)

投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年3月27日 (日) 00時53分

山路さん。
あなたのメンタルが心配です。

私から見て辛うじて保っている『元左翼の尻尾が、切れない』けれども保守的な考えは理解している。
主張の、固まりですが、しゅち

投稿: 山形 | 2016年3月27日 (日) 09時39分

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