HN「沖縄のおばぁ」さまからのコメントを、転載させていただきます
本日は、HN「沖縄のおばぁ」さまからのコメントを、転載させていただきます。
ほんとうに、ありがとうございます。心打たれるお手紙として拝読しました。
沖縄の人たちの長くつらい戦後の歩みが折り込まれています。
一日も早いご退院をお祈りしております。
ブログ主拝
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毎日何回も何回もこのブログを読んでおりました。
年寄りにはちょっとハイレベルな管理人様の記事や、皆様のコメントにたっぷりの時間を(只今入院中)使い、ネットを使いながら勉強させて頂いております。
沖縄の自衛隊は本当に可哀想なで言い表せない程に差別されておりました。
25年程前迄沖縄の行事はおろか、お祭りにも参加ならず、ハーリーも大綱引きも米軍の参加、高官の招待はしても自衛隊は認めないのですから。
自衛隊員の家族も大変でした。特にお子様は学校ぐるみで虐めておりましたね。連絡のお手紙無し、体育祭や発表会等にもどこにも参加場所を与えていませんでしたから。
ここ20年位でしょうか?あまり気にならなくなりましたね。
私は戦時中は山口に疎開しており、昭和26年に戻ってまいりました。
小学4年の時です。沖縄の人間でありながら内地人扱いでかなり苛められた思い出があります。
首里の石嶺の実家は何にもなくなっていて父も戦死しており、母は、私達子供3人を必死で育て上げてくれました。
首里高時代に甲子園ですよ。嬉しくて嬉しくて…やっと本土並みになる、と子供心に思ったものです。
その帰りの船の上で甲子園の砂を流した時、未々日本は遠い、と感じました。あの頃は検疫事情など理解出来ませんでしたから。
国費留学という有難い制度で私達兄弟は東京の国立大学に通う事が出来ましたが、学力の差に愕然としたものです。
アルバイト先では「日本語はどこで覚えたの」「英語学習を受けていたの?」等と今では笑い話の様な思い出が一杯です。しかし苛められたり、差別されたりの経験はありません。
よく子供の頃は「戦争体験がないから同胞ではない」と言われたものです。母はもっと辛かったと思います。しかし私達は空襲の怖さ恐ろしさを知っています。
近所のおじさんやおばさん、友達と沢山の知り合いを亡くしました。毎晩のように空襲警報に怯え逃げまといましたから。
沖縄戦に比べれば微々たる悲惨差と言われたこともあります。防空壕の中で、ある人が「これが戦争なのだ」と「自分の子供も戦地で親の為子の為故郷の為頑張っている」今でもはっきり覚えております。
戦争は悲惨です。あっては成らぬ物です。しかし世の中には利害や思想や宗教等の違いだけではなく、自然も違う環境がありますものね。
永久に無くならないものだと思っております。大小の違いはあっても。
それを如何に最小限に食い止めるか、自国の国民を如何に守るか、なのでしょう。
沖縄には日本は本土と沖縄の2つしかありません。 他府県は全てひっくるめの一つの本土です。
本土で生活している時転勤先で近所の方に聞かれる「どちらから?」は前に住んでいた所、「お里はどちら?」も産まれた土地。沖縄は「内地ねぇ?」ですものね。
確かに此所と内地の環境は違いますが、同じ日本の1地方自治体なのだという自覚が薄い人が未々多いようです。
それなのに沖縄らしさが日々薄れ、おもろまちの様な何の特徴も無い街がどんどん広がり、観光用の沖縄の施設と方言が蔓延している様な気がします。
治療の合間に途切れ途切れに書いたものですから、かなり支離滅裂です。ごめんなさい。
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心打たれます!
沖縄のおばぁさん。お大事にです。
長生きして語り継いで下さい!
私のご先祖は沖縄で終戦後まで抵抗してご迷惑をかけた生き残りですから、私が存在しているのは田舎の故き爺ちゃん(あそこで死んでたら私は産まれていません)のおかげであります。
お大事に、お大事に!
投稿: 山形 | 2016年4月 1日 (金) 08時37分
沖縄のおば-さんのお話し、典型的なあの時代の方々の体験だと思います。私は昭和20年の生まれですが、おあば-さんは、私より少し年上の方。私が生まれたのは、昭和20年の5月20日ですが、この20日という日は、牛島中将が首里の32軍司令部(現首里城の地下)から南部への撤退を始めた頃なのです。ですから、私は戦中生まれの一人になるわけです。
私は、しかし三重県の生まれなんです。大阪から三重県伊賀上野市に疎開していてそこで生まれたのですね。私も首里高校の出身ですが、クラスの友人たちの出生地調査をしたことがあります。沖縄生まれが多いのですが、本土各地(奈良、大阪など)の生まれの者も結構おりました。中には、朝鮮や満州の奉天(瀋陽市)台湾、ブラジル、テキサス生まれまでいるのです。ブラジル生まれという人は移民の子でしょう。テキサス生まれの友人は親がペル-に移民で行ったのが、敵国国民だというのでテキサスの日本人収容所に強制的に連れていかれたたそのテキサスで生まれたのでしょうね。クラスの半分以上は沖縄以外の土地で生まれていたのです。驚いたのですが、沖縄の土地柄をよく表しております。
私の同級生の女性には「時子」という名前の方が2名おりますが、変わった名前だと私すら思うのですが、何故そのような名前を付けたのか、その理由はなにかが皆さんにはお分かりになりますか? 当ててみてください。
おば-さんのような境遇の方は多いですよ。この方は、国費制度に合格していますので、勤勉な家庭の子供だったのが分かりますね。
投稿: ueyonabaru | 2016年4月 1日 (金) 09時29分
改めて拝読しました。深く、重く、それでいて光明も感じる文章です。混乱を生き抜いてこられた方の強さと優しさが窺えます。こういった方々の踏ん張りのおかげで自分がぬくぬくと生きてこれたのだと感じます。私もそうですが沖縄の人はとかく沖縄は特別と思いたがりますが、日本の一自治体であるという自覚を持つべきですね。一日も早いご回復を願ってやみません。もっともっと、広く(私をふくめて)いろいろな人々にお話を聞かせてください。本当にお大事になさってください。
このブログは大先輩が多いですね。私は若くないと思ってましたがまだまだ小僧です。
投稿: クラッシャー | 2016年4月 1日 (金) 10時09分
沖縄のおばぁ様、
たいへん感動いたしました。
同じ島の後輩として、貴女様を誇りに思います。
お身体お大事になさってください。
1日も早いご回復をお祈りします。
投稿: ミィ | 2016年4月 1日 (金) 14時55分
管理人様、皆様、お心遣い本当にありがとうございます。
「時子」さんと言う名前、近所にもいらっしゃいましたよ。その時子さんのお母様が「今この時に生きて産まれてくれた子供」と言う様な事を…思いだします。
私は然も沖縄だけが戦争被害者だとは思っておりません。
防府に疎開しておりましたから
終戦1日前の光海軍工場の空襲で亡くなった沢山の女学生や学生達を子供ながら 覚えております。ひめゆりと何ら変わらない悲劇です。
あと1日だったのに、と今でも悔しく、涙が出ます。
学校に行くと親を亡くした友、兄弟を亡くした友、家を無くした友、亡くなった友も多くいました。
親を無くした友は、小学1年生なのに、仕事をしているのです。
そんな事は日本中で、当たり前の事だったのですよね。
沖縄に戻った時全て無くした母が私達兄弟に言った言葉があります。 「何も無くしていない。貴方達がいる。貴方達は頭も手もある。これは財産だ。」この言葉が今でもずっと私達兄弟の財産です。
大学生になり日本の復興を目の当たりにした時、日本人の財産はこれだったのだと、母の言葉をしっかりと思い知りました。
本土の人達と沖縄の人達の戦後の差はこれだと思います。
何も無い所からの復興はどちらも同じです。
しかし沖縄の人達は基地のせいにするのです。米軍支配下のせいにするのです。
誤解や非難を覚悟で書いております。
所得が低いのは日本政府のせいでしょうか?
学力が上がらないのは日本政府のせいでしょうか? 本土出身の人達が沖縄て成功すれば、本土が儲けをみんな持っていく。なら どうしてそれ以上に努力しないのでしょうか?
頭も手もあるのにね。
母はよく「貴方達は御上の子供」と私達に言っておりました。国の税金をたっぷりと使わせて頂いているのだから、国の為になる人となれ。と。
今沖縄で国の為に動く人達が非難を受けます。
どこか頭も手も使い方違うでしょ、と。
沖縄にも色々な考え方の人達がいます。
それぞれの違う考え方がお互いを認めあい、切磋琢磨に伸びて行く様にと願っております。
おばぁは結構しぶといので後少しで復帰出来ますよ。ありがとうございます。
投稿: 沖縄のおばぁ | 2016年4月 1日 (金) 18時17分
沖縄のおばぁ 様
当時の国費合格者は、年間 数十名だった
と聞いています。凄い ! 沖縄県、大手企
業のリーダーとして活躍された事とおも
います。お身体を大事にして下さい。
私は、戦争を経験したおじーおばー方を
基地があるから戦争になり、子や孫を戦
争に送る事になる。阻止するには、安保
破棄、全基地撤去しか無いと騙している
革新左翼の活動家と、沖縄のマスコミが
嫌いです。
復帰後の自衛隊配備反対や、那覇市の成
人式への隊員参加阻止運動での若きリー
ダー達が今、辺野古ゲート前で又同じ事
を繰り返している。
投稿: 宜野湾市民 | 2016年4月 1日 (金) 18時27分
沖縄のおばぁ、さん。私の両親と歳が近いです。母の昔話を思い出しながら拝読いたしました。
空襲を受けながら疎開先での敗戦、大阪の家は空襲で街ごと全焼、祖父は死亡。焼けた街では暮らせなくて和歌山で田んぼをやりながら姉弟3人を祖母が必死の思いで育て大学まで出しました。
祖母が健在の頃に、そして母も私や弟に「心も身体も元気な者が精一杯働くように」と言っていたのと同じですね。人は宝ですね。
快方に向かわれているとの事何より嬉しく思います。ご自愛くださいませ。
投稿: ふゆみ | 2016年4月 1日 (金) 20時29分
「沖縄のおばぁ」さん
お元気そうでなによりです。
終戦1日前の光海軍工場の空襲・・・無念ですね。
私のとぅじ(妻)は、光出身でその母が戦前電話交換手をしていたそうです。(今でも甲高い大声で、これはその娘にも遺伝してます)詳しいことは、よく分かりませんが、今度行った時に訊いてみるそうです。
さっき、ちょっとググってみたら、悲劇だったようで心痛みます。
戦争は起こってしまったら確かに悲劇ですが、これも外交の一つの手段(最後の)で「妻や・子・親を守る覚悟」は必要でしょう、男子たる者は。
「戦争が起こりそうになったら如何に防ぐか」を考える事が重要だ。と、云うのが我が師匠「比嘉さん」の答えで、いまも心に刻んでいます。
「沖縄の声」→ http://myfrontier.info/blog/page-1254
をコピペさせてもらいます。
投稿: 譲二 | 2016年4月 1日 (金) 21時16分
「沖縄のおばぁ」さまのコメント、ただのコメントで終わらせるのはもったいないと思っていましたので、まずは、記事にしていただいた管理人様に感謝致します。
また、今回のコメントも、今をよりよく生きることについて考えさせられるコメントです。実体験に裏打ちされたことをベースに未来を見つめて今を生きる、語ることの重みを再認識させていただきました。
ありがとうございます。
私は、那覇近郊での飲食の帰りには、大抵タクシーを使います。その際、6割程度の運転手さんは、密室であるから気を許してくれるのか、政治に関する話をしてくれ、翁長県政となった以降に話したほとんどの運転手さんが、知事、中国に対して嫌悪感を持っている印象で、翁長知事支持を支持するとした人は、現時点、一人だけです。タクシーは、30回以上利用しているはずです。
一方、先月、友人が内地より来たため、友人と一緒に久しぶりに首里城に行ってみると、琉球国王が臣下の者と謁見する大部屋では、前回行った時にはなかった中国宮廷音楽らしきBGMが流されており、違和感を覚えました。
未来を選ぶための水面下でのせめぎ合いは、既に、身近なところまで来ているようです。
「沖縄のおばぁ」様のものと比べると瑣末な私の実体験ではありますが、付記させていただきました。
投稿: ゆるゆーるゆる(ゆるゆーるは、ググってみたらそこらじゅうに溢れていましたので改名いたします) | 2016年4月 2日 (土) 14時13分
>自衛隊員の家族も大変でした。特にお子様は学校ぐるみで虐めておりましたね。連絡のお手紙無し、体育祭や発表会等にもどこにも参加場所を与えていませんでしたから。
私はのほほんと生きてきましたのでこのことが信じられません。
沖縄の10代や20代の若者も知らないでしょうね。
私の地元でも自衛官の住民票を受理しないことがあったらしいですが、古いことで知りませんし調べたこともない。
私の中学校では自衛官の子弟がたくさん通っていましたが普通に接してましたね。
本土へ疎開したら本土人扱い、驚きです。(疎開先でも差別やイジメがあったでしょうに)
本土が忌み嫌われる理由は何だろう、薩摩侵攻や琉球処分?
仮に時は流れてもなお脈々と受け継がれてるとしたら隣国みたいで寒気がします。
沖縄のおばぁさん、早く退院出来ますように!
投稿: 多摩っこ | 2016年4月 2日 (土) 23時25分
すべて繋がっている。
現状の基地の過剰負担、被害への不満の声。
それは、過去の戦争から積もり積もった不満からくるものだと解している。
本土決戦の為の時間稼ぎの捨て石として沖縄を住民ごと特攻させた不満。
戦後沖縄を切り離し、米軍統治下におかれた不満。
本土の反米運動を鎮静化させ、米軍基地を不可視化させる為に米軍基地を沖縄に移設させた不満。
今もなお、日米の安全保障の為に沖縄に犠牲を強いている不満。
それら沖縄の不満に対して異論はあるかもしれないが、そんな異論で沖縄の現状の不満を解消する事はできないでしょう。
沖縄は、たしかに日本の1地方自治体だが、理不尽な差別に声を上げる権利がある。
1地方自治体が国に一切主張するなというならば、極端な話、米軍基地はおろか核廃棄物処理場等の迷惑施設を
1地方自治体に集中させるような差別を国家権力がやっても文句を言うなという事になる。
最近の沖縄県調査による県民の意識調査では辺野古移設反対58%であり、賛成の2倍を超えています。
翁長知事は、移設賛成派から攻撃の的となっていますが、意識調査の結果からも、翁長知事は、沖縄県民の希望を背負っていることがわかる。
翁長知事は、極左とは違い、日本にとって日米安保の重要性に理解を示しているが普天間基地の県外移設以外認められない。
そこは県民を含めて譲れない線なのです。
日米両政府が、重い腰を動かし米海兵隊基地の県外移設へとすすむことを願う。
投稿: | 2016年4月 2日 (土) 23時29分
不満を繋いでいきたいのですね。
あなたに名前がないように、残念ながらその言葉の向こうに顔や前を向いた人生が見えないのです。
ここに書かれている一人ひとりのコメントには、名前はHNですが、それぞれに懸命に生き、前向きに暮らしに向かい合われている姿が私の心に浮かび上がります。
投稿: ふゆみ | 2016年4月 3日 (日) 00時11分
「あの、名無しさん」
「辺野古や普天間で旗振ってる方じゃーないでしょうか?」
復帰闘争以降、頑張った、かたがたで自己改革できずに、そのまま凝り固まってしまった。のでしょうか?(バリバリの左翼だった「平井修一」さんは、見事に転向されましたね → http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-11810486982.html )
そーいえば、サヨクのシンボルのお一人、芥川賞作家:目取真俊氏が逮捕されたそうでご愁傷様です。また、シンボルが消えた・汚れた、、、あらんたん、ハクがついた。のかなー?
投稿: 譲二 | 2016年4月 3日 (日) 00時54分
つっこむのもヤボかと思ったけど、
沖縄を住民ごと特攻云々の下りで
「ああ、これは笑うトコだよな」と。
投稿: 山形 | 2016年4月 3日 (日) 06時07分
日本の国土で唯一地上戦が繰り広げられ、ひめゆりを初めとした悲劇の数々があり、そしてアメリカの統治下におかれた。
その事実は変わりませんし、沖縄の方々の言う内地の人もそれは認識しています。
ですが、沖縄の方の声の大きい方々は自分たちだけが被害者と思い込んでいる、或いは多くの一般の方々に、沖縄だけが被害者だと思い込ませようとしている様にしか思いません。
長崎、広島の原爆をはじめとして、各県の主要都市はほとんどが空爆を受け一般人、そして建物等の被害を言えば沖縄以上の被害を受けた所も少なくありません。
私の母も終戦数年前にうまれていますので「沖縄のおばぁ」様とほぼ同年代です。
祖父は母が生まれる前に軍人としてフィリピンなど南方の戦場に赴き転戦しました。
幸いにして生きて帰ってきましたが、私が小さい頃、戦場の事は聞いても教えてくれませんでした。
投稿: 種子 | 2016年4月 3日 (日) 14時40分
「ふゆみ」さんが名無しさんに対しておっしゃったことと、にありイコールと思いますが、(違ってたらごめんなさいm(_ _)m)「沖縄のおばぁ」様がおっしゃる「頭も手もあるのに」「所得が低いのは日本政府のせいでしょうか?学力が上がらないのは日本政府のせいでしょうか? 本土出身の人達が沖縄て成功すれば、本土が儲けをみんな持っていく。なら どうしてそれ以上に努力しないのでしょうか?」というくだり、私は、大好きです。
「沖縄のおばぁ」様、次のコメントも楽しみにしています!
投稿: ゆるゆーるゆる | 2016年4月 4日 (月) 00時42分