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とうとうHN読谷人氏から、この人物らしい殺し文句をもらいました。
「言っちゃ悪いけど沖縄に住んでもいないのに随分と必死で沖縄県の選挙と政治に絡みたがって不思議に思いますよ。
私はあなたみたいに「挫折したー」とかいって沖縄から出ていくことの出来ない人間です
だってムートゥーヤーや亀甲墓をかついでいくことなんかできませんからね。
この土地で暮らしていくしかないんだから政治ってとても大切なことなんですよ。」
いつもいつも、これです。
最後に議論に詰まってくると、ほとんど法則的にと言っていいほどの確率で、このような人たちの口からは、決まって「腐りナイチャーは帰れ」といったむき出しの排外主義言辞が飛び出します。
そのくせ自分のたちの主張をヨイショしてくれる、鳥越氏、金平氏、佐藤優氏などのことは、おなじナイチャーでありながら、この私など比較にならないほど「島の選挙と政治」に口だししていても、都合よくスルーしているようです。
まぁ、ここまでは毎度のことだと思いながら読んできた私も、この2行にはたぶん青ざめていたことでしょう。
この人物は、こう書きます。
「まるで県外から辺野古の抗議に来ている所謂「外人部隊」と呼ばれる県外の人みたいですね。
まあ、ネットでカタカタ書いてるだけの人と実際に行動に移している人を同列な扱うのは失礼かもしれないけど(笑)。」
なにが(笑い)だ。
なにが「ネットでカタカタ書いてるだけの人と実際に行動に移している人を同列に扱うのは失礼」だ。
ふざけるな。
なにが「逃げた」だ。私の島での苦闘など、何ひとつ知らないくせに!
私がどれだけ島に残りたいと思ったのかも知らないくせに!
島に戻るために、どれだけあがいたのかも知らないくせに!
読谷人氏とやら、そんなにひとを傷つけるのが楽しいのですか。
もし読谷人氏が、私を傷つけて喝采を叫びたいのなら、おめでとう。それは充分に成功しました。
さて、私も村の住人です。
ですから、私は沖縄の地を、他人の生きて暮らしている生活の場だと敬意を払っています。
だからこそ、土足で踏み込んで、騒ぐようなまねだけはしないだけです。
百歩譲って、そこが嘉手納基地のフェンスの周辺なら、「人間の鎖」なるものを作ってナルシズムに浸るのもいいでしょう。
「腐りナイチャーの官僚・政治家、そして、島尻安伊子に呪いをかけてください!」 とのサイトから引用
http://ameblo.jp/masaminarita/entry-11913840931.ht...
しかし、そこに現実に人が働いている辺野古漁港に乗り込み、漁民をつかまえてあろうことか、「あんた方、この美しい海を売るのか」などということは私にはできません。
私が漁民ならその場で、殴りたくなるでしょう。
実践と言論は、本質的に違う次元で営まれています。
言論は「行動をしない」というその一点で、それを自制する心において、初めて成立する孤独な作業です。
だから「島の選挙と政治にからみたい」などと思ったことは、ただの一度もありません。
一方、マルクス主義を根源とする左翼思想は、「実践なき言論は無だ」と教えています。
これはマルクス主義が、キリスト教を母胎にして誕生したからです。
私はかつて、マルクス主義の強い影響下で青年時代を送りました。
しかし、最後まで帰依できなかったのが、「実践」運動を唯一無二の絶対条件とする思想のあり方でした。
実践というとなにやら知行合一のようでカッコイイがいいですが、自らの諫めではなく、要は他人に自分たちの思想を押しつけることにすぎません。
左翼用語で、それを「大衆の組織化」と言います。 遅れた無知蒙昧な「迷える羊」を導いて正しい道に連れていくことです。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/image/news/1...
沖縄から少し離れてみましょう。
この「遅れた無知蒙昧な大衆」が、どんな経路で成長しカルト化するのか、ひとつの実例があります。
かつて脱原発を唱える人たちの集団に、大量の自主避難者が生まれました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f2f9.html
多くは女性でしたが、彼女たちの手記を読むと、福島事故に対しての怒りや不安が疑似カルトに転じていく様がわかります。
※放射能パニックからの生還=ある主婦の体験から — 自らの差別意識に ...
そこには彼女が告白しているように、「脱原発を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされ」た心理的背景があります。
このSさんの場合、中年期特有の家族問題をかかえていました。
そのような時に、福島事故が起きたわけです。これはのしかかる苦しみであり不安であると同時に、彼女にもうひとつの福音を与えました。
つまり、脱原発を唱えることで、「自分探し」ができることに気がついたのでした。
当時、武田邦彦、岩上安身、上杉孝、早川由紀夫といった悪質なデマッターたちの宣伝によって、無数の主婦の脱原発サークルが生まれていました。
この小サークルの内部にいる限り、事故前に抱いていた不安心理から解放される気がしました。
サークル、「円」もしくは「環」と訳すことが可能なこの言葉は、言い得て妙です。まさにそれは閉鎖的な「環」なのです。
「居心地のいい場所で、現実の世界にはない絶対的安心感を抱けました」という気持ちの安らぎは、まさに宗教が与える法悦感そのものでした。」(手記より)
これがカルト宗教特有の絶対的帰依心理です。
もちろん一般的な宗教においても似た真理は存在しますが、オーソドックスな宗教では安易な覚醒を「生悟り」として排する歯止めが存在しています。
帰依した者のみが「救済」されるのですが、それは大変に少数のエリートに限定されます。
ここで生まれるのが、「自分たちだけが覚醒した選良だ」という、ねじくれたエリート意識です。
そして「選良」がなすべきは、無知な大衆に真理を外部注入することです。
周囲に「回心」を迫り、いままでの罪深い社会を捨てて、真理に目覚めて、共に救済されましょう、と呼びかけることになります。
これをキリスト教においては、コンバージョンconversionと呼びます。
共産主義を生んだマルクス主義もまた、実はまったく同一の内部構造を持っています。
人類解放の真理である共産主義に絶対的に「帰依」し、覚醒した同志だけで作る「選良」が党を作り、愚かな大衆を「回心」に導く、というわけです。
共産党員が、そこはかとなく新興宗教に酷似した雰囲気を持つのは偶然ではないのです。
共産党こそ疑似宗教、即ちカルト宗教の元祖だからです。
http://www.asyura2.com/15/senkyo191/msg/225.html
かくして、彼らは嬉々として国会前で布教活動をすることになります。
よく誤解されていますが、彼らはほんとうは怒っているのではありません。擬似的「自己解放」、あるいは「自己実現」の喜びに全身を浸して、法悦して布教しているのです。
読谷人氏は、沖縄の反体制人士をカルト宗教呼ばわりしますが、一回でも真面目にカルトを考えたことがあるのでしょうか。
読谷人さんは、どうやらフランスのライシテを知らずに、創価学会を揶揄していました。こう彼は書いています。
「この前の宜野湾市長選では佐喜眞を公明党が推薦していたが、それでもアレがオール沖縄の重要な一角を担っていると言えるのかね?
アレをカルトではないと言い切れるなんて管理人さんは信者に囲まれて折伏されたことのない幸せな人なんですねー」
きちんと勉強することです。勉強して批判しなさい。
別に創価学会を擁護する気はありませんが、彼らはもはやカルト宗教と非難するには難しい「既成宗教」に脱皮しています。
ライシテに関しての関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-0051-1.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-73f2.html
http://hi-hyou.com/archives/3432
今、私は江崎氏や我那覇氏たちを「反体制人士」と呼びましたが、日本全国を見渡しても、これほど苛烈な差別と言論弾圧にあう人たちはいないでしょう。
もしネット言論が存在しなかった10年前だったら、彼らの声はまったく封殺されていたはずです。
「オール沖縄」は自分たちこそが反権力だと信じて疑わないようですが、笑止です。
読谷人氏のような人は、ただの多数の「民意」に奢る体制に安住する者にすぎません。
もし違うというならば、実名で登場し、ただのひとりの人間として発言することの深甚な恐怖を味わってからにすることですね。
私は左右のカルト、即ち疑似宗教に対してきわめて冷淡です。
もし我那覇氏が突然、「ご霊言によれば」みたいなことを言い出したら、支持するのをやめますがね(笑)。
ただし、背後に宗教団体があろうとなかろうと、ひとつの言論活動としてそれをなすなら、その限りではありません。
いくらでもお話し、その議論がまっとうならば、称賛しますし、くだらなければ批判します。
ただそれだけです。
私が我那覇真子氏の活動を評価するのは、彼女の活動が徹底した言論活動であることがひとつ。
そして彼女たちの言論活動が、島全体を疑似カルトにしたかのような「オール沖縄」の同調圧力と真っ向から戦っているからです。
そして彼女が、基地問題を民族問題にすり替えた翁長氏の偽善を鋭く暴いたからです。
読谷人さん、フランスの「ライシテ」とは、他者が己が宗教を批判する<自由>を許容する苦痛に満ちた受忍のことなのです。
あなたは、それが分かっていましたか?
他者にカルトとレッテルを貼るあなたこそ、実はカルトかもしれないんじゃありませんか。
HN読谷人という人から、このようなコメントが来ています。
「琉球王」にでもなったのか、と言われるのです。
↑産経新聞、幸福実現党以外の誰が翁長を「琉球王」と呼んでいるんだよ(笑)。
自分のお仲間だけで通用する呼称が一般的だとはあまり思わない方が良いですよ今度からブログタイトルは下記に改めたらどうかね?
「基地と原発、自民党プロパガンダのありんくりん」
「琉球王」がけしからんということですが、あなた知らなかったんですか。このネーミングの名付け親は、全国応援団長の朝日新聞がつけたのですよ(爆笑)。
※http://dot.asahi.com/aera/2015052500057.html?page=5
朝日新聞が発行するAERA(2015年6月1日号)が、翁長知事誕生の集会についてこんな思い入れたっぷりな記事を書いています。
あのね読谷人さん,、こういうのを「プロパガンダ」記事とか、提灯記事って呼ぶのですよ。
しかし、すげぇな、ここまで書くか。
「百戦百勝の鋼鉄の霊将、民族の偉大なる太陽」(←全部キム首領様の呼称です)と個人崇拝する一歩前ですね。
「スタンドの人々の目がパッと見開かれ、さざ波が広がるように全員が立ち上がり、指笛と拍手が1分ほど鳴り響いた。
いささか大げさとのそしりを覚悟して言えば、「新しい琉球の王が誕生した瞬間ではないか」と感じられた。」
というわけで、「琉球王」とはもちろん私の発案でもないし、本土ではこの人が思い描くような「一定の極右勢力」が隠語了解圏の中でコソコソ使っているものではないのですよ。
少しは調べてからいいなさい。
ワシントンに「大使館」を作り、独自に政府の頭越し外交をしていて、「民族自決」を主張すれば、そういうニックネームをもらっても当然です。
翁長氏については、HN読谷氏が読んだら確実に気分が悪くなるような、こんな記事まで書いています。よかったらどうぞ。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-e327.html
さて、私の「お仲間」?一体なんのことでしょうか。
私は個人のブロガーとして発言しているだけで、何かに属したことはないし、今後もないでしょう。
青春時期には左翼運動の経験がありますが、今は左右いずれの運動にも関わることはありません。正直、運動はもうこりごりです。
要するに、私はただの「発言する人」なのです。
「基地と原発、自民党プロパガンダのありんくりん」にしろ、と言われています。
この拙いブログにおつきあいいただいている読者の皆さんはご存じでしょうが、私がもっとも嫌うのはプロパガンダ、即ち教条に基づいた宣伝・煽動です。
私はブロガーとして主張や批判はしますが、一度たりとも根拠なきレッテル貼りをしたことはありません。
つねに相応の資料とデータを提示しています。いつもさらっと書き流したいと思っていますが出来ない性分なんですね。
それは決めつけとレッテル貼りは恥ずかしい行為だと思っているからです。なぜなら、それは言論に対する棄損行為だからです。
この人でいえば、悪玉は「産経や幸福実現党」のことのようです。
嫌いなのは勝手ですが、保守の一部が、自分の意見と違うと、「お前はアカだ」というのと一緒です。
実に安直かつ、卑劣な言い方ですが、あんがい効果的な攻撃方法なのでよく使われます。
ただし、濫用すると品性下劣なことがばれてしまいますから、常識人はあまり使いません。
ところで私は保守です。特に隠してはいません。もっと厳密に自己規定すれば、「リベラル保守」です。
ただし、お断りすれば、私は右翼ではありません。
左翼とリベラルが違うように、保守と右翼は思想的にかぶる部分もありますがまったく存立基盤が異なっています。
左翼と右翼は共に、社会を変革する「革命」勢力だからです。
リベラルが左翼革命を否定するように、保守もまた右翼革命を否定します。
私は自民党に対しては消極的支持をしていますが、かつては嫌悪していました。いまでも本質において利権集団だと思っています。
ただ、その利権を保全するための知恵が、結果として今の日本を作ってきたことは事実です。
日米同盟にしても、沖縄政策にしても、場当たり的な理念なき政策でしたが、リアリズムであるが故に、空論に堕することなく済んできました。
薄ら甘い理想論ほど困るものはありませんからね。鳩山氏を思い出せばわかるでしょう。
彼は、カオスと失望しか生み出しませんでした。
というわけで、消去法で自民以外残らないから、とりあえず支持しているにすぎません。もっとましな保守政党ができてほしいものです。
今、自民を支持しているのは、最大野党が共産党と手を組むという悲惨な現状では支持しようがないからです。
共産党とは、日米地位協定や消費税などところどころ意見が一致する場合があって苦笑していますが、彼らが政権の座に着くことは、自由を失う最短距離だと思っています。
産経ですか。ひとことで言えば、「右の朝日」でしょうね。
私は思春期に朝日と赤旗で育ったので、産経を中年になって読んだ時のショックは、今でも忘れられません。こ、こんな新聞があったのかぁっ、てかんじ。
政治的主張は置くとして、外信部に傑出した特派員が沢山いるのが財産でしょうね。
幸福実現党のような特定の宗教保守に対しては、勧誘されたくないので、できるだけ距離をあけるようにしています。
ただし、個人として発言される場合には、どこに属していようと関係なくお話するようにしています。
私のブログは、原則として意見が異なっても、このHN読谷人氏のような中傷でない限り、真正面から議論することにしています。
ですから、過去記事を見ると「○○さんのコメントにお答えして」という記事が大変に多いはずです。
それが私の発言者としての、ささやかなプライドです。
安倍氏に関しては是々非々としかいいようがありません。ただ首相のリアリズムと行動力が歴代総理の中で傑出しているのは確かです。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ac5e8ad464c335...
私は原発は漸減すべきだと思っていますし、その方法については何度も書いています。私の原発に対する意見は煎じ詰めれば二つです。
ひとつは「社会経済を傷つけないために段階的に減らせ」ということ。
もうひとつは、「再稼働についての判断は、政治が介入せずに規制委員会に主導させよ」ということです。特に奇抜な意見じゃないと思いますが。
この人は私がひょっとして再稼働を支持しているから、イコール原発推進派ていどに思っているのでしょうか。こまったもんだ。
また、沖縄の米軍基地は一日も早くなくなれという立場です。そう書いて、常連コメンターから非現実的だと批判されています(苦笑)。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-ae80.html
ただ、今の中国の軍事膨張の時期に、安易にそれをするのは大変に危険だと書き続けてきました。
ここは私が私の責任で作っている発言媒体にすぎません。
ですから県内の「狼魔人」さんブログが、私の記事を無断転載していることに対しては、少々困っています。
ブログという媒体は、しょせん自分に責任を持って発言しているだけで、転載された先にまでの無限責任はもてないからです。
「狼魔人」さんの地道な言論活動には敬意を表しますが、あちらのブログがどのような人たちなのか調べようがないし、私は彼らとは一緒ではありません。
というか、どのような人たちなのか知りません。
とまれ、私は何者にも属していないし、極右呼ばわりされるのは大変に不愉快かつ迷惑です。
繰り返しますが、ここはただの「私」が、私の責任において、書いているだけのサイトです。
その「私」とは、かつて沖縄に骨を埋めようとして渡り、農民となってやんばるの赤い土の上で汗をかき、そして挫折した経験を持つ、市井の中で生きる「ただの人」です。
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[蛇足]
ああ、1週間の終わりをこういう記事で締めくくりたくはなかった。なにも新しいものを生み出さない、不毛そのものの議論だよなぁ。
今日は、このオバマ広島訪問をテーマにしようと思っていたんです。
タックスヘイブンも資料がっぽり貯めたし、米国の格差社会についてや、トランプ後の世界についても書きたいことばかり。
で、来週からテーマを沖縄から変えるかもしれません。
それにしても、昨日オバマの被爆者への抱擁という美しい光景を見て、心が清められたのに。
演説はダメだったが、あのシーンは心に残りました。
あ、こういうこと書くから、山路氏に「だからあんたは甘い」と叱られるんだよなぁ(笑)。
私、元々無理やりリアリストやっているような甘い人間なんですよ。
G7伊勢志摩サミット前夜の5月25日、現地で日米首脳会談が開かれました。
到着したばかりのオバマ大統領は時差ボケも治らないまま、安倍氏との厳しい首脳会談に臨んだわけです。
内容的にはただ一点だったと思われます。もちろん、沖縄の女性殺人事件です。
このふたりは英語でコミュニケーションできますから、かなり率直な日本側の意志を伝えたと思われます。
外務省のプレスリリースです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_002071.html
例によって例の如く、学歴エリートらしい読む気が失せるような無味乾燥さですので、飛ばしてくださってもかまいません。
「25日夜,安倍総理は,G7伊勢志摩サミットのため訪日中のオバマ大統領との間で,21時40分から約20分間,少人数の会談を行い,22時から約35分間,全体会談を行ったところ,概要以下のとおりです。
(1)少人数会合では,全ての時間を割いて沖縄で発生した事件を議論し,安倍総理からオバマ大統領に対し,
(ア)事件は身勝手で卑劣極まりない犯罪であり,非常に憤りを覚える,日本の総理として強く抗議したい,
(イ)沖縄だけではなく,日本全体に大きな衝撃を与えている,こうした日本国民の感情をしっかりと受け止めてほしい,
(ウ)自分には日本国民の生命と財産を守る責任がある,
(エ)実効的な再発防止策の徹底など,厳正な対応を求めたい旨述べました。(2)これに対し,オバマ大統領からは,
(ア)心からの哀悼と深い遺憾の意が表明されるとともに,米軍関係者の起こした犯罪に責任を深く受け止めている,
(イ)日本の捜査に全面的に協力する,正義が実現するためにあらゆる協力を惜しまないとの発言がありました。(3)両者は,日米でよく協議して実効的な再発防止策を追求することで一致し,また,日米で協力して失われた信頼を回復し,沖縄の負担軽減に全力を尽くしていくことで一致しました。」(随時改行しました)
このような首脳間の会話の詳細が公表されることはないでしょうから、会談後の日米首脳の記者会見で憶測する以外ありません。
まずは安倍氏です。
「まず冒頭、先般、沖縄で発生した事件について、私からオバマ大統領に対し、日本の総理大臣として断固抗議をいたしました。
そして少人数の会談では、全ての時間を割いて、この問題についてお話をいたしました」
「身勝手で卑劣極まりない犯行に、非常に強い憤りを覚えます。沖縄だけでなく日本全体に大きな衝撃を与えており、こうした日本国民の感情を、オバマ大統領にはしっかりと受け止めてもらいたい、と申し上げました。
その上で、実効的な再発防止策の徹底など、厳正な対応を求めました」
「地位協定のあるべき姿を不断に追求していく」(太字強調引用者)
安倍氏は「少人数会談」の20分間のすべてを使って、沖縄女性殺人事件を「強く抗議」して、「地位協定のあるべき姿を追求していく」と述べています。
一方、オバマ氏の会見ですが、彼は質問されていない沖縄の問題から語り始めています。
「心の底からの哀悼の気持ちと深い遺憾の意を表明しました。日本の司法制度のもとで捜査がなされるよう、米国は継続的に協力します」
「日米地位協定は、日本の司法体系での完全な捜査や司法に必要な措置を妨げていないことは指摘しておくことは重要だろう」(太字強調引用者)
驚いたことに、「オバマは謝罪していない」という野党の声があるようですが、文言はdeepest regrets(深い憂慮)ですから、外交用語として強い表現です。
ちなみにもっとも強い表現はapologize(謝罪)か、verry sorryで、それと同格かやや下がdeepest regretsです。
米国大統領がapologizeなどと言うことは考えにくいですから、「一民間人犯罪」の公的謝罪としては、妥当な範囲内ではないでしょうか。
通常、国家は謝罪しません。
謝罪してしまうと、謝罪された側は更なる謝罪を要求し、賠償を求め、政治問題に悪用する悪循環に入ることが多いからです。
韓国をみればわかるでしょう。謝罪すればするほど、「謝り方が悪い」「謝っていない」「千年先までこの恨み忘れない」とエスカレートしていきます。
その過程で反米ナショナリズムが台頭し、そのカウンターも生まれます。
すると憎悪対決になりかねません。「深く遺憾とする」ていどで済ませて、後は日米が実効性のある対策を考えたほうがいいのです。
さて問題はむしろ、こちらです。
「日米地位協定は、日本の司法体系での完全な捜査や司法に必要な措置を妨げていないことは指摘しておくことは重要だろう」ですか・・・。
実に意味深な言葉です。
日本のメディアは揃って、「安倍氏日米地位協定改訂を要求せず。米大統領も否定」といった薄っぺらい伝え方をしています。
毎日新聞(5月26日)はこう報じています。http://mainichi.jp/articles/20160526/k00/00e/010/227000c
「沖縄では地位協定の改定を求める声が高まっているが、首相は運用改善で対応する従来の方針を改めて表明した。」
朝日新聞も5月27日の社説で、「日米と沖縄 切実な声をなぜ伝えぬ」と題してこう述べています。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
「地位協定は米軍にさまざまな特権を与え、米側は改定には否定的だ。だからといって改定を口にしようとしない首相の姿勢は、及び腰に過ぎないか。」
まったくやれやれです。
これを読んだのか、民進党の江田憲司代表代行も、「日米首脳会談に批判相次ぐ「謝罪なし」「地位協定改定を」(時事5月26日)だそうです。
大統領は、「日米地位協定は、日本の司法体系での完全な捜査や司法に必要な措置を妨げていない」と言っています。
なるほど今回は枠外でしたから当たり前ですが、1次裁判権は原則として米国側にあるのは、オバマも知っているはずです。
それはあくまで運用上の「好意」にすぎませんから、「完全な捜査や司法に必要な措置」が日本側にできないことは、弁護士のオバマにはわかっているはずです。
にもかかわらず、この言葉を出したのは、おそらく、安倍氏の「日米地位協定のあるべき姿を求める」という表現と対になっていると考えるべきです。
私は直感ですが、ほぼ間違いなく両首脳の間で日米地位協定をめぐっての応酬があったと考えます。
ただ、安倍氏にはサミット前というこの時期にオバマに「イエス・アイキャン」と言わせることは、覇権国のメンツを丸潰しにしかねないという外交的配慮があったはずです。
ですから、今回は先の交渉につなげられる一石ていどで済ませると、安倍氏は判断したのではないでしょうか。
つまり、「日本の司法体系での完全な捜査や司法に必要な措置を妨げない」地位協定を揉む段階に至った、という共通認識が両者に生まれていると考えるべきです。
もし、私の推測が正しければ、この本格交渉はオバマの任期中に行われるはずです。
仮に時期大統領がトランプなどになった場合、「アメリカ・ファースト」(アメリカ第一主義)ですから、改訂はおろか改悪を言ってくるかもしれません。
そもそも日米安保同盟が存続するかさえ判らない、シュールな状況に突入します。
慶大准教授の神保謙さんが、「みのもんたが大統領になるようなもの」と秀抜なたとえをしていましたしね(笑)。
日米首脳会談を受け、記者団の質問に答える沖縄県の翁長雄志知事=25日夜、同県庁 | 時事通信社
いちおう翁長氏の反応も、見ておきましょうか。
最近トランプを見ているとなんか既視感があるなぁ、と思ったら、この人なんだよな~。
「翁長雄志知事は25日夜、日米首脳会談で日米地位協定の改定に言及がなかったことに「大変、残念だ」と述べた。両首脳の共同記者会見には「中身がまったく無い。運用改善では限界があることは明らかだ」と強い失望感を示した。沖縄県庁で記者団の質問に答えた。
その上で「これだけの負担があり、事件がある。再発防止と言っても、何も変わらない。地位協定に触らないことは、とても理解できない」と批判。日米安保体制を「砂上の楼閣に乗っている」と表現した。
また「首相は日本国民という言葉を使い、生命と財産を守ると述べたが、日本の中に沖縄が入っているのか疑問に思う」と述べ、沖縄に寄り添う姿勢が欠如しているとの認識を示した。」(2016年5月26日沖縄タイムス)
全否定ですね。まるで見えていません。
政局だけで、地方政界を世渡りしてきた人物の哀しさでしょうか。
首脳会談に出席させろなどという自治体首長の発言とも思えない増長したことを要求して一蹴されたためか、この会談の持つ意味深なニュアンスなどまったく掴めていないようです。
※オバマの写真と翁長氏の写真までの部分を、全面的に書き換えました。いつもごめんなさい。内容的には同じです。
ひとつに考えられるのは、米国と戦争との関係です。
昨日の米軍関係者犯罪年譜で、65年の米国のベトナム本格介入前後から、刑法犯が増えていることがわかりました。
もう一回見てみます。
65年までは演習中の事故が主流でしたが、65年から69年までは歓楽街におけるホステス殺害が激増しているのが分かりますね。
※資料ソースは沖縄県史、宜野湾市史、読谷村史などの自治体史、沖縄タイムス、琉球新報等により作成。篠原章氏『報道されない沖縄基地問題の真実』による
背景には昨日述べたように、この最大の原因はベトナム戦争の泥沼化と敗北です。
1965年から73年の間に、延べ250万人の米兵が派遣され、実に米兵だけで戦死約6万人、行方不明・負傷者約30万人が出ています。
なお、ベトナム側は南北合わせて約500万人の死者と、数百万人の負傷者を出しています。
帰還兵には、多数のPTSDや麻薬中毒患者が発生し、後方基地となった沖縄でも荒れ狂いました。
彼らには、ここが日本の沖縄だということすらわからずに、そのまま戦場の蛮行を持ち込んだものが多数いたのです。
というのは、ベトナム側が非対称戦争、つまり市民に扮したテロリストが爆弾を投げ込むような戦術を多用したために、米兵の市民と敵との識別が混乱したことにも理由かあります。
少女が笑いながら花束に隠した手榴弾を投げつけてくるような、前線と後方が明確にならない現代戦は、米兵のモラルを著しく低下させたことが分かります。
映画「グッドモーニングベトナム」にも出てきましたね。
自国を守るわけではない大義不在の戦争、PTSDと麻薬中毒、テロリストの襲撃という条件が重なって、米兵犯罪が多発しました。
つまり、当時の米軍の置かれた「空気」が、そのまま沖縄の米兵犯罪の下地となっているわけです。
さらに、これは機会があれば詳述したいのですが、米軍独特の性処理方法が絡んでいます。
米軍は表面的には、米国内の清教徒主義に配慮して、旧日本軍の慰安所のような米兵専用施設をもたない建前になっています。
しかし、現実にそれをやった結果、兵舎では性病が蔓延し、沖縄のように女性殺害・暴行事件を多発させることになりました。
http://magisan.ti-da.net/e4020115.html
そこで考えられたのが「Aサインバー」という仕組みです。これは従業員の性病管理を事業者に命じて、一定基準をクリアすれば「衛生的施設」として「Aサイン」を与えたものです。
米軍は、ただ「Aサイン」を申請してくる飲食店従業員の「衛生管理」が適切かどうかを管理しているだけで、「慰安所なんか知らないよ」という顔ができます。
いわば慰安所のアウトソーシングですが、あくまでも「自由恋愛」なのです(苦笑)。
ただし、ただのステーキ屋もありますし、売春とは無関係な店も多く、一概には決めつけられない混在しているところがミソなのです。
橋下さんが「風俗を利用したら」と言って、海兵隊司令官に激怒されたのは、かつて現実にやっていたからです。
ご想像通り、Aサインバーは売春と犯罪の温床になりました。 60~70年代にホステスが多く殺されたのは、こういう米軍のやり方が背景にあるのです。
では復帰した72年以降はどうでしょうか。再び米国の戦争との関わりで検証します。
ベトナム戦争で全軍のモラル崩壊寸前を経験した米軍は、地上部隊撤収の翌73年に徴兵制度を止め、志願兵のみによる米軍の綱紀粛清を図ります。
そして米国が戦った戦争が、湾岸戦争(1990年~1991年)とイラク戦争(2003年~2011年)でした。
湾岸戦争は、クェート解放という国連決議に基づいた軍事行動であり、正規軍同士の戦闘となりました。
戦闘期間も1年程度だったために、米軍のモラルは高く維持されています。
このベトナム戦争後の沖縄の米兵犯罪件数を5つの時期に分けて見たのが、昨日も掲載した篠原章氏によるグラフです。
ベトナム戦争末期の1972年~79年に年平均291件もあった米兵犯罪が、1990年~99年には61.9件と約5分の1弱まで低下しています。
よくメディアや運動家は、「1972年から2011年までに、米軍人・軍属による刑法犯罪 が5747件・凶悪犯は568件」(※)という表現をしますが、その大部分は1970年代に発生しているものです。
※http://tamutamu2011.kuronowish.com/okinawajikennjiko.htm
ただし、95年9月には、あのおぞましい少女暴行事件が起きて、せっかくの犯罪率の低下の努力を一瞬にして打ち消してしまっています。
下図は沖縄県の公表している米軍関係者刑事事件年表です。
※http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/documents/04ennsyuukunnrennoyobijikennjikonojyoukyou.pdf
これを永江一石氏がグラフ化したのが下図です。ありがたいことに、戦争時期を記載されています。
※https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=20429
永江氏は「信頼できるデータ(情報ソース)を探す。可視化できるように加工するというのが大事」だと述べていますが、まったく同感です。
地元紙を先頭にして、マスコミは感覚的に、「激増する米軍犯罪の恐怖」というような報じ方をしますが、これでは原因もわからないために、「基地がなくならない限り、米兵犯罪はなくならない」といった短絡した議論に陥ってしまっています。
本気で日米地位協定改定交渉したいのならば、証拠と数字を出して米側と議論せねばなりません。
こんな感覚的なやり方では、米国に通用しません。
米軍の犯罪件数を単独で見るだけではダメです。その背景と、出来るならば世界規模で展開している米軍の犯罪件数と比較すれば、実像が絞れてくるはずです。
下図を見ると、湾岸戦争時にはほとんど平均件数を越えておらず、イラク戦争時には一時的上昇を示したに止まっています。
永江一石氏作成
下図はイラク戦争における米軍戦死者数の推移です。戦死者数が跳ね上がった2004年には有意な犯罪件数の上昇が見られますが、その後は平均件数に下がっています。
これをさらに、イラク現地での米兵による市民殺害とされているグラフに重ねてみます。
https://www.iraqbodycount.org/
2007年には米軍戦死者が激増し、それに対応するようにイラク市民の犠牲者も増えています。
2014年にはイラク市民の犠牲者数は増えていますが 、沖縄県の犯罪件数には変化がありません。
かつてのベトナム戦争時には、ベトナムの戦況がそのまま沖縄の犯罪率に影響を与えていましたが、その傾向は今世紀になって終わったことがわかります。
下の沖縄の米兵凶悪犯罪の年間推移グラフと比較してみてください。 永江一石氏作成
ベトナム戦争時の74年と終結直後の77年をピークにして、米兵の凶悪事件は低下し続けています。
これを世界規模での、米軍関係者の犯罪件数の推移と比較してみます。
下図は、「3時間ごとに発生する米兵犯罪」という煽情的タイトルがつけられた反基地団体の作成したものですが、いかがでしょうか。
ちなみに「3時間ごと」とは、全世界規模の数字です。どうしてこういう表現を使うかね。
http://editor.fem.jp/blog/?p=2119
沖縄における米兵犯罪件数は、世界のそれと比較するとまったく相関関係がないことが示されています。
言い換えれば、沖縄における米兵の軍規は、私たちの予想以上に厳しくコントロールされているのかもしれません。
ではこの沖縄における米兵犯罪を、沖縄県全体の犯罪検挙者に占める割合について押さえます。 県内の米兵を含む犯罪件数の推移です。
永江一石氏作成
ピーク時は先程述べたように77年の10.3%で、2013年には1%以下です。
最後に人口比でみます。
沖縄の人口が142.3万人で、米軍関係者数は約4.5万と言われていますから、人口比率にして3.1%です。
3.1%の人口比の社会集団が、犯罪率において1.0%ということになります。
これを多いと見るか、少ないと見るかについてはお任せします。
ただ、今回のような事件があると、すべてをかき消してしまうのは確かですが、冷静に数字で押さえておく必要があるのではないでしょうか。
長くなったのでまとめておきます。
●[沖縄の米兵犯罪まとめ]
①沖縄における米兵犯罪は、ベトナム戦争末期の70年代末にピークに達した。したがって俗に「1972年から2011年まで5千件」といってもその大部分は70年代のものである。
②ベトナム戦争終結以後、軍規が改善され犯罪件数は大きく低下した。今は当時の5分の1以下である。
③中東における2回の戦争の、影響はほぼなかった。
④人口比率で3.1%の米軍の、全県の犯罪率に占める割合は1.%にすぎない。
⑤ただし、95年の少女暴行事件と、今回の事件ですべて台無しになってしまった。
⑥日米地位協定の改定は必要だが、数字と根拠を押さえずに感情的に騒いでも米国は応じないだろう。
■謝辞 「永江一石のITマーケティング日記」の資料には大変にお世話になりました。感謝いたします。https://www.landerblue.co.jp/blog/
■謝辞 井上伸「3時間ごとに発生する市民への米兵の性暴力、対テロ戦争の犯罪性に連動、少女暴行事件から21年目の沖縄女性死体遺棄、米軍基地ある限り犯罪続く」
■謝辞 篠原章 『報道されない沖縄基地問題の真実』
■写真 梅がなり始めました。
沖縄県における「米兵犯罪」の実態を、データで見てみましょう。
1960年から現在に至る、米軍関係者の刑法犯の検挙者の年譜を見ます。
米軍関係者とは、軍人、軍属、その家族のすべてを含みます。ちなみに、シンザトもこの範疇に属します。
1960年代はベトナム戦争の時代でした。米軍はこの戦争によって、軍規(モラル)の壊滅的崩壊を引き起こします。
米国のベトナムの本格介入は1965年頃からですが、沖縄はその後方基地として多くの米兵が駐留したり、戦場からの休暇で滞在していました。
彼らはすさんだ戦場の空気を、そのまま沖縄に持ち込みます。
1960年から1970年までの米軍関係者犯罪・事故の年譜を見てみましょう。
年譜はすべてクリックすると大きくなります。
追記※資料ソースは沖縄県史、宜野湾市史、読谷村史などの自治体史、沖縄タイムス、琉球新報等により作成。篠原章氏『報道されない沖縄基地問題の真実』によりました。以下年譜は同じです。
年表の中央の1966年から70年にかけては、米兵による女性殺人事件だけでなんと8件もあります。
この多くは米兵相手のAサインバーのホステスが中心でしたが、70年にはとうとう女子高校生の刺傷事件までもが起きています。
http://www.city.okinawa.okinawa.jp/kouhou/H22/12/2...
この憤激から70年12月にはコザ(現沖縄市)で、反米暴動が起きています。
続いて1970年から1983年までです。
この凶悪な米兵犯罪は、ベトナム戦争末期に差しかかっていっそうひどくなっていきます。
71年など、女性殺害事件が2件、さらに宜野湾市では12歳の少女が暴行を受けています。
http://duckdan.jugem.jp/?eid=12
71年から復帰の75年までに、殺害事件だけで8件、暴行事件だけで4件です。
続いて1984年から2015年です。
殺人事件が3件、女性暴行事件が5件です。このうち特に県民を憤激させたのは、1995年9月に起きた3名の米兵による小学生に対するレイプでした。
http://webronza.asahi.com/politics/articles/201510...
上の写真はこの少女暴行事件に対しての抗議集会です。私も住んでいたら参加したことでしょう。
以上の米軍関係者刑事事件検挙者数を、年代ごとに分けてみます。
・70年代の平均検挙者数・・・約300人
・80年代 ・・・約200人
・90年代 ・・・約60人
・2000年~2010年 ・・・75人
・2010年~2015年 ・・・47人
これをグラフにしてみます。
この推移を見ると、米軍犯罪と時代の相関関係が分かります。
長くなりましたので、分析は次回に回します。
■タイトルから「生」をはずしました。(26日午前3時)
■謝辞 資料は篠原章氏『報道されない沖縄基地問題の真実』にお世話になりました。感謝いたします。
コメントで、「四軍調整官もシンザトを軍属といっていた」との指摘を頂戴しました。
四軍調整官は、その前に「シビリアン(民間人)だ」とも言っているようですが、同時に「軍属」だとも言っているわけです。
どちらでも間違いではないのです。シンザトは、「民間人の軍属」だからです。
というか、そもそも軍人ではないから「軍属」と呼ぶのですが。
地元紙はなにがなんでも「軍」と関わりを持たせたいために、「軍属」をまるで「軍族」 (こんな言葉はありませんよ)のような意味で使っています。
軍属とは、ただの基地の仕事をしている民間人にすぎません。その仕事の大部分は軍事関係ではなく、兵隊向けの福利厚生サービスや法務、教育サービスです。
本来は軍関係の専門職だけが該当したのですが、いつの間にか普天間基地のCOCO壱カレーの店員も、米国籍だけあれば「軍属」となってしまいました。
現地雇用の日本人もいますが、彼らは米国籍がないために、「軍属」から除外されています。
マスコミはまったくこの「軍属」という概念を説明せずに「元海兵隊員で軍属」という粗っぽい表現をしていますから、できるだけかみ砕いて解説します。
ちなみに何度も言っているように、「元海兵隊員」などという地位はありません。退役して何年たってもまるで前科者のように言われるとすれば、それは職業差別です。
別の言い方をすれば、シンザトは海兵隊員だった時のほうが、兵舎に住み、軍規に縛られて自由にならなかったでしょうから、「軍属」という民間人になれて犯罪を犯す「自由」も得たわけです。
さて「軍属」とは、このような日米地位協定の中で「シビリアン・コンポーネンツ」(civilian components)と言われる、軍隊内部のシビリアン(民間人)によるコンポーネンツ(構成要素)です。
日米地位協定第1条(b)はこのように定義しています。(欄外に原文)
●軍属の定義
①民間人である
②米軍に雇用されている者
③あるいはそれに随伴accompanying している者
④米国籍を有する者
シンザトは①④の合衆国民間人ですが、②米軍に雇用されてはいない基地出入りの民間会社社員にすぎませんから、ただの③の「随伴するもの」になります。
「随伴」って一体なんでしょうか?
外務省地位協定担当は、こういうあいまいな言葉を使うからいけないのです。
米軍の活動に「随伴」する者。ずいぶんと枠があいまいに広いのです。
これが今回のシンザト事件を分かりにくくさせている、ひとつの原因です。
彼は「元海兵隊員」なのでしょうか?これだと、昨日まで「軍人」していた人です。
それとも軍人のような任務をしている、「軍人もどきの」軍属なのでしょうか?
はたまた単なる、「民間人の基地出入り業者」の従業員にすぎないなのでしょうか?
①元海兵隊員=昨日まで軍人
②狭い意味での「軍属」=軍人もどきの軍属
③広い意味での「軍属」=基地出入りの米国籍業者
ずいぶんと受ける印象か違いますね。当然、メディアはこのなかで一番「軍人」色が強い①でガンガンやっています。
どう違うのでしょうか? もう少し細かく見ていく必要があります。
ここで出てくるのがSOFA(Japan Status of Forces Agreement)ステータスと呼ばれるものです。
SOFAとは日米地位協定の頭文字をとったもので、地位協定で与えられた特権があるステータスの者のことです。
これは日米地位協定第9条2に出てきます。
「2 合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。ただし、日本国の領域における永久的な居所又は住所を要求する権利を取得するものとみなされない。」
【日米地位協定第9条のポイント】
①第9条の具現化がSOFAステータス
②米軍は、入管法の適用除外
③米軍は日本に滞在しているだけで居住していない
④SOFAステータスは、日本国内での住民登録ができない
ね、ちょっとスゴイでしょう。米兵・軍属は堂々と嘉手納基地から入ってきて、入国審査を受けないで日本滞在ができちゃうんですよ。
そして沖縄県にも住民登録をする必要がないので、昨日書いた沖縄県在留米国人にはカウントされませんから、日本側から見れば実態が判らない一種のユーレイみたいな存在です。
ですから、よく地元紙は在沖米軍がウン万で、県民一人当たり○○人とか言いたがりますが、あれはただの「定員数」にすぎません。実際の数はよく分からないと言うべきなのです。
シュワブの海兵隊などは、だいたい1年の大半を国外にローテーション配備といって世界巡業の旅をしていますから、定員の半分もいないはずです。
それはさておき、このSOFAステータスが適用されるのは、米軍人とその家族、そして米軍に直接雇用されているシビリアン・コンポーネンツ(軍属)までです。
ここまでは、合衆国公務員に準じた扱いを受けています。
ならば、シンザトのような基地出入りの業者はどうでしょうか。
シンザトは米国と政府と雇用契約を結んだ公務員ではなく、ただの基地に出入りしているインターネット会社の社員です。いわば下請け社員のような存在です。
じゃあ、まったく「軍属」とはいえないかといえば、条文ではアカンパニング(accompanying・随伴する)範囲を明確に定義していないために、そうだとも言えてしまいます。
ここが今回のシンザトのステータスの難しさである、「軍属と言えるが、言えないともいえる」というグレイゾーンなのです。
だから、四軍調整官は別に使い分けているわけではなく、どちらも併用しているわけです。
まぁ米軍側からすれば、「米軍関係者には間違いないが・・・」ていどのニュアンスじゃないでしょうか。
まったく無関係な民間人ではないが、米軍の仕事をしている関係上、一定の道義的責任、政治的責任は認めざるを得ないといったところです。
今回の事件は、日米地位協定上はシンプルでした。
この凶悪な事件が基地近くで起きて、しかもその容疑者は公務をサボって殺人事件を引き起し、そのまま基地内に逃げ込んだ場合、米軍の対応は非常に難しくなったからです。
仮にこの容疑者が、こう言ったとしたらどうしますか。
「私は罪を犯していない。日本の警察は代用監獄だと聞いている。また判決が確定するまで加害者ではないとする推定無罪の原則も守られていないと聞く。地元マスコミは私をリンチにかけるだろう。ヘルプ!レスキューミー」
おそらく米軍の法務官は、この容疑者を保護するために、沖縄県警への身柄の引き渡しを拒否し、米国側がまず最初に裁く権利を宣言するでしょう。
これが1次裁判権です。
これは日米地位協定17条にあります。
※http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/kyoutei/pdfs/17.pdf
3 裁判権を行使する権利が競合する場合には、次の規定が適用される。
(a) 合衆国の軍当局は、次の罪については、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第一次の権利を有する。
(i) もつぱら合衆国の財産若しくは安全のみに対する罪又はもつぱら合衆国軍隊の他の構成員若しくは軍属若しくは合衆国軍隊の構成員若しくは軍属の家族の身体若しくは財産のみに対する罪
(ii) 公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪5(c)日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。
これが、この事件でよく言われる米軍人、軍属の不逮捕特権です。日本の司法当局は、「公訴を提起するまでの間」、容疑者の身柄を確保できないことになります。
取り調べができない以上、今回のような容疑者しか知りえない秘密の暴露があった場合と違って、否認されてしまったケースだと、日本側は手も足も出ません。
身柄を確保できない以上、ひたすら物証と状況証拠を積み重ねて、容疑者を包囲するしかなくなります。
その間に、外国に急遽「転勤」されたらこれでお終いです。
米軍がこのような行動に出るには、地位協定以外に理由があります。米軍の重要任務には、外国における合衆国居留民の保護があるからです。
公務中の「軍属」を保護しないとなると、「どうして米国人を助けないで、あんな遅れた人権国家のやりたいようにさせているだ」と、本国の世論や議会に叩かれてしまいます。
仮に今回の事件が公務中で、しかも身柄を米軍が押さえていたら、「軍属」規定を楯にして引き渡し交渉は難航したでしょう。
日米地位協定上は確かにシンザトは、「軍属」と拡大解釈できるからです。
しかし、今回は被害者を数時間に渡って物色し、凶器まで準備していた計画的犯行です。
言い訳はききません。しかも身柄は、沖縄県警の粘り強い捜査で押さえられています(拍手)。
ですから、米軍はどうにもしようがなかったのです。案外、「直接雇用の軍属じゃなくてよかった。だったら、こんなもんじゃ済まないぜ」と思っているかもしれません。
このように条文とその運用とは、こんな状況次第で変化するものなのです。
ですから、そもそもこんなあいまいな条文を放置している日本政府にも責任があります。
今回の事件は、枠外であったとはいえ、必然的に日米地位協定の改訂に行き着きます。
~~~~~
■追記 NHKが被害者の遺体発見現場でのマブイグミ(魂込み)まで放映していました。常識を疑います。
なぜ遺族の鎮魂の儀礼までテレビにさらすのでしょうか。彼女の霊はまだ島の上にいます。静かに魂を慰め、弔う時期です。
■日米地位協定第1条b
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdf
「軍属」とは、合衆国の国籍を有する文民で日本国にある合衆国軍隊に雇用され、これに勤務し、又はこれに随伴するもの(通常日本国に居住する者及び第十四条1に掲げる者を除く。)をいう。この協定の適用上、合衆国及び日本国の二重国籍者で合衆国が日本国に入れたものは、合衆国国民とみなす。
(b) "civilian component" means the civilian persons of United States nationality who are in the employ of, serving with, or accompanying the nationality who are in the employ of, serving with, or accompanying the United States armed forces in Japan, but excludes persons who are ordinarily resident in Japan or who are mentioned in paragraph 1 ofArticle XIV. For the purposes of this Agreement only, dual nationals,Japanese and United States, who are brought to Japan by the United
States shall be considered as United States nationals.
うるま市女性殺人事件について、いくつかの疑問点があります。
まず最大の疑問は、果たしてこの事件は「米兵犯罪」なのか、という点です。
前回までシンザトの身分が、いわゆる「軍属」であるのかどうか、考えてきました。
日本の外務省が、「軍属」という存在を、広義の「軍属」で、軍に所属しており基地で働く民間人の総称として用いられてしまっているために、あいまいなまま用いられています。
つまり本来「軍属」とは、世界通念として "military personnel"として軍の直接雇用者を指す用語 ですが、それを日本では間接雇用者"civilian worker for the military" まで拡げて用いています。
そのために、基地に出入り業者に雇用されている米国籍所有者までいわゆる「軍属」として扱ってしまっています。
しかし、日米地位協定において不逮捕特権を持つのはSOFAと呼ばれる、米軍基地に配属されている教育や行政職の米国公務員(ジェネラル・スケジュール)までで、シンザトのような基地出入り業者の米国民間人は除外されています。
つまり、現実の法の運用においてはシンザトは、「軍属」扱いされていないにもかかわらず、いわゆる「軍属」と呼ばれるという奇妙な存在なのです。これは明らかに誤用です。
では視点を変えて、このシンザトのような沖縄県在住の米国人の実態はどうなのでしょうか。
沖縄県の資料を見てみましょう。
第2章 外国人登録者数等の状況 - 沖縄県
上図でみると、1987年に4千806名だった沖縄在留の外国人は、2007年には2倍の8千914名にまで増加しています。
この沖縄在留の外国人の中で、もっとも多い割合を占めるのがやはり米国人(青線)です。
米国に次いで多いのが中国人(赤線)で、今や米国人に並びつつあるのも分かります。
この沖縄県の激増ぶりを見ると、本土での中国人犯罪の多さから考えて、今後、米国人に変わって中国人犯罪が増えることが予想されます。
地元紙はその場合「中国があるから犯罪が増えるのだ」というつもりでしょうか。
3番目はフィリピン人(緑線)ですが、彼らは「軍属」として戦後長く定住してきました。
ちみなに私がかつてファンだった南沙織の父親は、フィリピン人です(笑)。
さてこの沖縄在留の外国人の中で、外国人登録証を持つ外国人の割合は以下です。
・米国人 ・・・25%
・中国人 ・・・23%
・フィリピン・・・19%
・永住者 ・・・32%
・日本人の配偶者・・・21%
・定住者 ・・・8%
シンザトが永住許可を持っていたかどうかは不明ですが、妻が日本人なことは分かっています。
さらに彼らが居住する地域です。
県庁所在地の那覇がもっとも多く、中部にかけて分布しています。
・那覇市・・・1千982名
・沖縄市・・・1千187名(※図では切れています。すいません)
・宜野湾市・・・991名
・うるま市・・・390名
やはり基地が集中する中部にもっとも多く外国人が居住し、さらにその多くが米国人です。
沖縄市には1187名の外国人が居住していて、その35%が米国籍ですから、約400名近くはシンザトと似た立場の米国人がいることになります。
沖縄市に集中しているのは、母国語の英語を使える職場として嘉手納基地が県内最大だからでしょう。
シンザトの住んでいた与那原の資料は見つかりませんでしたが、おそらく似た傾向だと考えられます。
つまり、軍を除隊した後に、永住ないしは定住し,日本人の妻を持って家庭を持ち、基地関係の仕事をして、中部地域に多く居住していることになります。
このように見てくると、軍を辞めてシンザトのようなウチナームーク(沖縄婿)となった米国人は非常に多く、珍しくない存在だということがわかります。
米国人=米兵=凶悪犯とするかのような短絡した地元紙の論調ですが、もう少し冷静に<シンザト>のような存在を見ていかねばならないのではないでしょうか。
沖縄左翼の体質には、「基地反対」さえ唱えていればすべて許されるような、いわば「反基地無罪」という傾向がかねてからありました。
どんなに汚い言葉を米兵に投げつけても、いくら基地施設を汚しても、不法侵入してさえも、すべて「平和」のためなら許されてしかるべきだという無法的な風潮を作ってきました。
これを助長してきたのが地元紙です。
それが今回のような残酷な事件に遭遇すると一挙に、排外主義に陥る可能性がある危険な論調に変化することが危惧されます。
なにやら遠泳から上がったような気分で、日曜日を迎えています。
いや~、忙しかった。仕事が重なって疲労困憊。その上、寝不足でヘロヘロなところに、うるま市女性殺人事件が重なりました。
ひさしぶりに、こみかめから血がピュっと出たかと思うくらい怒ってしまいました。
私の中の普段は飼い馴らしてあるはずの、「反米の血」が猛然と鎌首をもたげてしまったようです。
一気呵成に金曜日の記事を書いてしまい、土曜日に読み返して愕然となりました。
シンザトという男が許せないのは当然として、私は怒りのあまり95年9月の少女暴行事件と今回の事件を重ね合わせてしまっています。
これは正しくはありません。
あの事件は現役の3名の海兵隊員が主犯でしたが、今回は地位協定上の公務中の不逮捕特権が行使できない「基地出入り業者に雇われた米国人」が容疑者でした。
地元紙が言いたげな、「米兵犯罪」ではないのです。
ですから、本質的に95年の事件とは異ります。
たしかに米軍の4軍調整官と在沖米国領事が県に謝罪に来ていますが、それはあくまでも道義上の罪を認めたのです。
92年のような現役の複数の米兵が「アニマル」(当時の米国大使の表現)と化したことに関して、直接の監督責任がある米軍司令官の謝罪とは違うことに留意してください。
95年の事件は、米側が1次裁判権特権の枠を一杯に使って、米兵の基地内への「逃亡」を許し、米側が身柄を「保護」しました。
これは日米同盟の信頼を根本から揺るがすものだったからこそ、駐日大使、国防長官、国防次官補、統合参謀本部議長、そしてクリントン大統領までもが謝罪しています。
今回の事件で米国側が行った謝罪は、あくまでも道義的、あるいは政治的謝罪であって、95年とは本質的に別なものです。
ただし、県民意識の根っこの部分において、本質的に「基地があるからだ」という意識があるために(それはそれとして間違っていないと思いますが)、米側は素早くそれ相応のポジションの人物を県に謝罪に行かせたのでしょう。
図式化すれば、「責任」には3種類あります。
①法的責任
②道義的責任
③政治的責任
95年の事件は、日本政府が「容疑者を引き渡せ」と主張した場合、それを素早く米軍が「保護」してしまった①の法的責任が問われてしまいます。
すると、②の道義的責任はもとより、③の政治的責任まで問われて、日米地位協定の改訂交渉に入らねばなりません。
一方、今回の事件は米軍の①法的責任を問うことは無理で、②と③の間で謝罪したということです。
これが昨日の記事で書いた軍の直接雇用者である米国公務員(ジェネラル・スケジュール)だったのならば、すっきりと「軍属」ですから、軍の直接責任が生じて、前回の事件と同じになります。
しかしそうではなく、かといって勤め先が基地である点がやや違うグレイゾーンに容疑者が入っていたために、ややっこしくなりました。
地元紙は何がなんでも「軍」性悪説ですから、「軍属」と一括りにして、さらに「元海兵隊員」などという職業差別的呼び方まで引っ張りだして、「全基地撤去」の方向に持っていきたかったようです。
「全基地撤去」とは、とりもなおさず日米同盟の一方的廃棄しろ、という主張です。
こんなことを本気で実現してしまったら、今の日本は核武装も含む重武装国家になるしか道はなくなります。
こういう短絡した政治主張を、悲劇の政治的利用といいます。
「元米兵」は、中部を中心にたくさん居住しています。まったく屈託なく地域社会の中で生きています。
大方は沖縄人の奥さんをもらって、サンシンなどを爪弾き、子供もウチナーグチでしゃべっています。
彼らもなにかあるごとに、「元米兵が。このヒージャーミーが」と蔑んだような視線を浴びねばならないとしたら不憫です。
この事件の傷は長く残るでしょう。
私ができるのは、せいぜいができるだけ客観的に整理することていどですが、今回、私自身が熱くなりすぎました。反省しています。
「米軍属女性死体遺棄事件で、死体遺棄容疑で逮捕された元米海兵隊員のシンザト・ケネス・フランクリン容疑者(32)が「乱暴しようと思った。首を絞め刃物で刺した」などと供述していることが20日、捜査関係者への取材で分かった。」(琉球新報5月21日)
「元海兵隊員で米軍属の男による女性遺体遺棄事件を受けて20日、沖縄県内は怒りや悲しみに満ち、幾度となく繰り返される米軍絡みの事件に抗議が相次いだ。
男の働く米軍嘉手納基地の第1ゲート前(北谷町砂辺)では午後0時すぎから、第3次嘉手納爆音訴訟原告団などが抗議集会を開催。200人以上が参加し「最悪の事件だ。沖縄から全ての基地を撤去せよ」と訴えた。」(沖縄タイムス5月21日)
琉球新報5月20日 キャプション 「人殺し基地は沖縄から出て行け」 嘉手納基地に250人、憤り頂点」
地元2紙と沖縄左翼は、この事件を「全基地撤去」、つまり日米同盟の廃棄に結びつけたいようです。
シンザト容疑者が「元海兵隊員」だったということを必要以上に強調して、「基地があるから殺人事件が起きる」という論法です。
いいですか、かつては海兵隊員であったとしても、今はただの基地に関わる民間会社の会社員にすぎません。
こういう「元○○」という表現が再三なされてきたのは、自衛隊員です。
自衛隊員は退官して十年立とうと、何か犯罪に関われば「元自衛隊員の犯罪」として報じられます。
これは悪質な職業差別ではありませんか。「元市役所職員の○○が犯罪」という表現はしませんからね。
シンザトが海兵隊に在籍していたことは事実でしょうが、別に海兵隊員がこの犯罪を犯したわけではありません。
彼らは自衛隊や海兵隊を絶対「悪」と見立てて、バッシングしたいわけです。
シンザトがいつ海兵隊を辞めたのかわかりませんが、退職後まで「元海兵隊」という肩書で書かれるのだから、たまったもんじゃありません。
※追記 シンザトの母親によれば2007~14年に米海兵隊に所属http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160521/dms1605211544013-n1.htm
地元2紙は、今回の事件と無関係な在沖海兵隊とを結びつけたいための印象操作しています。
ですから、「元海兵隊員」ということを強調したいために、シンザトの日米地位協定上の地位である「軍属」をスルーしてしまっています。
大方、「軍属」程度ではパンチがないと思ったんでしょうね。
「軍出入り業者社員」ではインパクトが薄いんで、「軍」と被せたかったようです。
シンザトの職業は、基地に勤める民間人の「軍属」(シビリアン・コンポーネント)です。もっと正確にいえば、「米軍と契約を結んだ民間会社の社員」です。
琉新はこう書いています。
「同容疑者は米軍属で、米兵と軍属の保護などを定めている日米地位協定で保護される権利を有しているが、今回の事件を巡っては(1)公務外の犯行(2)基地外に居住し、日本側当局が先に身柄を確保した-などの条件が重なり、起訴前の身柄の引き渡しなど、地位協定を巡る問題は生じていない。」(前掲)
琉新はシンザトが「軍属」だが、公務外で、沖縄県警が先に逮捕したので、地位協定の枠外だと言いたいようです。
枠外なのは確かですが、シンザトの「軍属」の地位は元々地位協定とは関係のないものです。
では改めて米軍がいう「軍属」は何か、押さえておきましょう。
日米地位協定第1条(b)は、「軍属」をこう定義しています。
日米地位協定 - Ministry of Foreign Affairs of Japan
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/
「(b) 「軍属」とは、合衆国の国籍を有する文民で日本国にある合衆国軍隊に雇用され、これに勤務し、又はこれに随伴するもの(通常日本国に居住する者及び第十四条1に掲げる者を除く。)をいう。この協定のみの適用上、合衆国及び日本国の二重国籍者で合衆国が日本国に入れたものは、合衆国国民とみなす。」
問題はこのシンザトが、この「軍属」のうちのSOFA(ソファーJapan Status of Forces Agreement)の地位かどうかです。
AGREEMENT UNDER ARTICLE VI OF THE TREATY OF MUTUAL
「軍属」という表現は実はあいまいで、米軍が直接雇用しているのか、それとも軍が契約する会社の社員なのかの違いを明確にしておらず、区別は米国籍かの違いだけです。
これでは今回のような事件が起きた場合、欠陥条文となってしまいます。
米軍は3種類の「軍属」を持っていますが、日米地位協定ではただ「軍属」とあるだけで、その区別がつきません。
米軍がいう「軍属」には3種類あります。
①米軍基地に配属されている教育や行政職の米国公務員(ジェネラル・スケジュール)
②米軍と契約のある民間会社に雇用されている米国の文民(コントラクター)
③現地雇用の日本人従業員(ローカル・ハイヤー)
つまり、①はSOFAですから地位協定内ですし、③は日本人従業員ですからもちろん枠外です。
しかしシンザトのような②の契約会社社員まで日米地位協定の枠内である、「軍属」規定が及ぶかどうかが明確にされていません。
米軍はNATOとの地位協定では、「軍属」とは「締約国の軍隊に雇用される」(who are in the employ of an armed service)と厳密に規定していますから、シンザトのような民間会社社員はただの「基地に働く労働者」にすぎず、「軍属」とは見なされません。
日本においてもシンザトは、基地のインターネット保守業務をしている会社に雇われただけの「社員」ですから地位は、米軍と契約している民間会社に雇用されている米国籍の契約文民(コントラクター)にすぎません。
当然、NATO流にシンザトを解釈すれば、日米地位協定による保護から外れるはずです。
日米地位協定の玉虫色的性格のために、この「軍属」規定もまたあいまいなまま放置されています。
及ばないとするのが、国際的通念ではないでしょうか。
もし、日米合意が②の契約文民にまで含めるのなら、この事件を受けてすっきりとNATOの国際通念に合わせるべきです。
日米地位協定第17条5(c)は、「刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意」(平成7年10月)の中で、こう述べています。
日米地位協定第17条
「合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う」
しかし、今回のケースは米国の「好意的配慮」を頂戴しなくとも、日本の司法権が100%及ぶと考えるほうが自然です。
ですから、このような翁長氏の「日本政府は当事者能力がない」という言い分は、間違いです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160520-00000012-ryu-oki
「この70年間、基地のある市町村長は訴えているが、政府は当事者能力がなくただ米軍に伝えるだけで今日まで来ている。
本当に憤まんやる方ない形で抗議しているが、今日まで残念ながら聞く耳を持たなかった。今回も多くの関係者が抗議するが、今のままではいけないということにつなげていかなければならない」(琉球新報(5月20日)
翁長氏はことさらこの事件を基地問題や普天間移転問題に結びつけたいために「政府には当事者能力がない」と言っていますが、なんかねぇ~です。
日本政府は、今、見てきたように完全にシンザトを逮捕し、裁く権利という「当事者能力」を持っています。
今回、シンザトの重大犯罪は、「基地があるから」という事自体は間違いではありません。
なるほど米軍に広義の意味での、監督責任はあるでしょう。
そしてそれの規律の弛緩を抗議する資格は、昨日首相が「今後、徹底的な再発防止など厳正な対応を米国側に求めたい」というように、とうぜん日本政府にあります。
このような米軍がらみの事件は日米同盟そのものを揺さぶってしまうために、逆に同盟国だからこそ、厳しく抗議せねばなりません。
しかし、米軍の監督責任は、あくまでも間接責任でしかないことも事実なのです。
ここで翁長氏が言う日本政府の当事者能力うんぬんは、この事件に便乗して、日本政府との交渉を有利に運びたいという下心が見え見えで、うんざりします。
翁長氏が「基地があるから危険だ」と言うこと自体は判らないではありませんが、ならば一刻も早く住宅地のど真ん中にある普天間基地を、より安全な過疎地に移転すべきなのです。
翁長氏の言うことは、「基地があるから女性殺人事件が起きたんだ。だから危ない米軍基地は移転させないぞ」というハチャメチャな言い分になってしまいます。
逆です。だからこそ、辺野古移転は進めねばならないのです。
同じように、事件が起きたから「日米同盟は廃棄だ」と短絡するのではなく、「同盟国だからこそ」その同盟関係を守るためには、より厳しく抗議せねばならないのです。
※本当に申し訳ありません。本日の記事は、「軍属」にテーマを絞るために、アップ後に全体に大鉈を振るい加筆しました。6時にごらんなったかたはビックリするほど書き換えてあります(汗)。
いつもすいません。朝のなけなしの時間で書いているもんで、焦れば焦るほどグチグチャになってしまいました。
私の夢。まったりとのんびりと記事を書くこと。(午前10時45分)
ご承知のように沖縄県うるま市で島袋里奈さんが殺害され、死体が遺棄されました。
享年20歳でした。合掌。
まだ人生の果実を何ひとつ味わうことなく、雑木林で冷たくなっていた島袋さんを思うと、この容疑者を殴り倒したいような衝動にさえかられます。
容疑者の氏名はシンザト・ ケネフ・フランクリン。32歳。おそらく新里と表記し、沖縄系米国人のようです。※追記20日午後ちがうことが分かりました。この記事は20日早朝5時以前に書かれたものです。
時事通信(2016年5月20日)が伝えるところではこの男のプロフィールはこのようです。http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jiji-2016052000002/1.htm
「沖縄県の女性不明事件で、死体遺棄容疑で逮捕された米軍属シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)が住む与那原町の住宅街では19日夜、住民らが「驚いた」「子供もいたのに」と衝撃を受けていた。同容疑者は逮捕の前日と前々日に、大量の睡眠薬を服用するなどして救急搬送されたという。
住民らによると、同容疑者は日本人の妻と生後数カ月の子供の3人暮らし。数カ月前、義父がリフォームした住宅に引っ越して来たばかりだった。自宅前には米軍人や軍属らが使用するYナンバーの乗用車があり、最近はこいのぼりが飾られていたという。」
伝わるところでは、容疑者の妻もまた沖縄の人と思われます。
元海兵隊員というところから、任期が終わった後に沖縄女性と結婚し、軍属として働いていたと思われます。
こいのぼりを立てて、自らの幼子を言祝いでいながら、なぜ女性に手をかけ殺害するのか・・・。
沖縄にはこのような、元米兵の夫婦がたくさん住んでいます。大部分はこの亜熱帯の美しい島での生活を穏やかに楽しんでいます。
沖縄系米国人が沖縄人女性を殺害するという、残酷な構図になりました。 このシンザトは、逮捕直前に自殺を計ったようです。
勝手に死なれてはたまりません。罪を償うのはこれからです。
「捜査関係者によると、シンザト容疑者は元米兵で、現在は米軍嘉手納基地内で、コンピューターや電気の配線の仕事に携わっているという。接見した弁護士によると、自身の職業について「会社員」と説明しているという。
県警はシンザト容疑者について、日米地位協定が定める「軍属」に当たると説明。ただ、事件は「公務外」で起きたといい、日本の刑事手続きに従って送検するという。
(朝日5月19日)
翁長知事の反応は予想どおりです。
「翁長知事は19日夜、米軍普天間飛行場の同県名護市辺野古への移設計画に反対する姿勢を伝えるため出張していた米国から帰国したばかり。成田空港で記者団に「連邦議会議員、有識者らに沖縄の米軍基地がいかに理不尽な形で置かれているかと話してきた。その矢先に、基地があるがゆえの事件が起きてしまった」と語った。」(朝日2016年5月19日)
今後翁長氏は、徹底的にこのうるま市女性殺害事件を政治的に利用していくことでしょう。
おそらく今週末には、県民抗議集会が開かれると思われます。
「オール沖縄」のヒビが入った結束は、一時的に強化されることになるでしょう。
翁長陣営はこの勢いで、県議選と参院選を乗り切ることができると踏んだはずです。
翁長氏のような根っからの政治的人間ならば、当然、そのように思考します。人間的感情より、政治的利得が重いのがあの人たちですから。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2777867.h...
一方、岸田外相はケネディ駐日大使を呼んで抗議しています。
「冒頭、岸田氏は「将来ある若き女性に対する、卑劣な行為による残忍な事件が発生したのは極めて残念。日本国代表として抗議する」と発言。ケネディ氏は「私たちは被害者やご家族の皆さんに思いを寄せている。沖縄県警と日本国に協力し、再発防止に一層の努力を惜しまない」と語った。
ケネディ氏は「私たちは被害者やご家族の皆さんに思いを寄せている。沖縄県警と日本国に協力し、再発防止に一層の努力を惜しまない」と語った。」(朝日5月19日)「中谷元防衛相も防衛省で在日米軍のドーラン司令官と会い、「あってはならないことだ。深刻に受け止めている」と抗議した。ドーラン氏は遺憾の意を表する一方、「逮捕されたのは、現役の米軍人、国防総省の職員、米軍に雇用されている人物ではない」と説明した。」(時事5月20日)
私はサミット直前という微妙な時期だということを考えても、これではまったく不足だと思います。
こんなもので、沖縄県民の怒りが鎮まると思うのが、そもそも間違いです。なにが「再発防止」ですか。何度、そのセリフを米国から聞いたことか。
岸田外相は、逆にサミットを人質にするような気構えで、徹底した抗議を米国に叩きつけるべきでした。
「残念」などというあいまいな言い方ではなく、「来日するオバマに頭を下げさせろ」、と要求すべきです。
サミットにおいて、オバマに「核なき世界」などという寝言を垂れさせるのではなく、今、米国の世界戦略の犠牲になってひとりの女性が無残に殺害された、という事実を分からせるべきです。
一度くらい日本は米国に対して尻をまくって、「貴国の世界の盟主の座を支えていたのは、私たち日本ではなかったのですか」と厳しく問うべきです。
「軍属であって、任務中でなくてよかった」というふざけた雰囲気が日本政府の中にあります。
特に問題は、外務省の腰抜け官僚たちです。
このように双方の国益をこの事件が大きく棄損しかねない危機感を、米国にも共有してもらわねばなりません。
1995年9月の少女暴行事件が、単なる日米地位協定の運用の技術論に終始したことによって、今に至る沖縄県民に植えつけられた不信感の巨大さを思い出すべきです。
あの事件の収拾の失敗は、あげて当時の政府と外務省にあります。反米感情の爆発を恐れて日米地位協定の小細工に走ったからです。
犯人の米兵の身柄引き渡しを要求すべきでした。
その対応の失敗の結果、反米ナショナリズムに火がついたのです。
米軍にとって、大きな犠牲を払って占領した沖縄は、彼らの「永遠のトロフィ」です。
ですから、いまだ基地名に沖縄戦の英雄の名をつけているほどです。
シュワブ、ハンセン、キンザー・・・、すべてそうです。本土で、こんな名称の基地がひとつでもありますか。
岩国基地は同じ海兵隊基地ですが、キャンプ・ジョンソンみたいな名がついていたら、日本人はどう思うでしょうか。
こういう無神経がいまだまかり通っているのが、この沖縄なのです。
沖縄の「戦後」は終わっていないのです。
だから、意識の上では、今なお「占領軍」意識がいつまでも抜けきりません。日本人はこんな彼らの奢りを、どこかで断ち切らねばならなかったはずです。
それをいつまでも腰が引けているために、なにひとつ前進しません。
何をされようと、どんなひどい仕打ちを受けようと、少女が犯され、女性が殺害されようと、米国に怒りをぶつければ日本から引き上げられてしまうから大変だ、と怯えてしまう。
なんとか米国を怒らせないように、法の運用の技術論でうやむやにしようとする。
思えば、辺野古問題のルーツは、こんな外務官僚の腰抜けぶりにあったのです。
日本が正当な対応を米国に要求して、その結果、日米関係が冷え込むならいた仕方ありません。
いずれにせよ、トランプ「次期大統領」は、日米同盟の全額負担を求めてくるようですから、いい機会です。
しっかりと日米同盟がいかなる働きを世界秩序維持の上で果たしているのか、わが国が沖縄に顕著なように、いかにその負担に耐えているのか、しっかりと米国民にも知ってもらいましょう。
問題は負担金の額だけではないのです。
なにが「日本は守られているだけだ」ですか。冗談ではない。
辺野古移転問題は、このうるま市女性殺害事件の処理を謝れば、完全に不透明となりました。
外相レベルではなく、首相が決断すべき事態です。
■写真 本日は、島袋さんの霊に蓮の花一輪を捧げます。
■追記
「安倍晋三首相は20日午前、沖縄県うるま市で行方不明となっていた女性の遺体を遺棄した容疑で米軍属の男が逮捕されたことに関し、「非常に強い憤りを覚える。今後、徹底的な再発防止など厳正な対応を米国側に求めたい」と強調した。
首相官邸で記者団の取材に応じた。
首相は「(亡くなった女性は)さぞ無念だったと思う。ご家族のことを思うと、言葉もない」とも語った。」(時事5月20日)
日本ではメルケルが、世界最初に脱原発政策を始めたように思われていますが、もちろん違います。
メルケルは東独の物理学畑出身であるだけに、原子力については肯定的でした。むしろ、脱原発政策を進めていた社民党政権には批判的だったほどです。
この社民党(SPD)の党首にして、後に首相となり、さらに、メルケルに破れたのが、下の写真でいかにもドイツ人ドイツ人した風貌のゲアハルト・シュレーダーという人物です。
2005年の政権交代で、アンゲラに4議席足らずに首相の座を譲った当時のシュレーダー
http://www.newsdigest.de/newsde/features/7649-angela-merkel.html
なかなか興味深い人物で、マルクス主義的革命観が残る党内左派を押さえるために、環境左派である「同盟90/緑の党」との連立を決めて、1998年に政権党の党首となります。
シュレーダーがとった政策が、ロシアと中国への接近政策と労働市場改革、そして脱原発路線でした。
政権ナンバー2となったのが、連立相手の「緑の党」出身のヨシュカ・フィッシャーで、外相を勤めることになります。
1998年、シュレーダー率いるSPD・緑の党の連立政権が誕生。 中央のフィッシャーは外相に就任した。 左はシュレーダー首相、右はラフォンテーヌ財務相(フランス系ドイツ人)http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/3119-eintritt-der-gruenen-in-die-hessische-landesregierung.html
上の写真ではワイン片手にワ、ハハと笑っていますが、それぞれ党内事情は深刻でした。
緑の党の綱領は、「反戦・反核・反原発」です。日本の野党と酷似していますね。
フィッシャーは政権に入るために、こういう「反戦・反核」という左翼反体制的方針をバサバサと切り飛ばし、「脱原発」一本に絞り込んでいきます。
と同時に、初めてのNATO域外出兵となるコソボ紛争にドイツ連邦軍を出します。
ヨーロッパ最強と言われていたドイツ軍が、再び目を覚ましたのです。
http://www.asahi.com/topics/word/%E3%82%B3%E3%82%B...
私は、フィッシャーのような現実主義的左翼政治家がいたら、日本も多少違ったのではなかろうかと思って、リスペクト記事を進呈したことがありました。少し褒めすぎたか(笑)
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ddfa.html
まぁ、日本じゃシュレーダーやフィッシャーみたいなタイプの政治家は、生まれませんでしょうな。
日本の左翼政党は「脱原発元祖」と自称していますが、原発反対は、その多くの反対メニューのうちの一品でしかありませんでした。
だから、ひとつひとつ真面目に政策立案するのではなく、自民の言うことにはまとめて全部反対です。
これでは何一つ解決しません。というか、そもそも解決など初めから望んでおらず、政治と社会を混乱させてそのどさくさに政権を取るのが基本方針だからです。
それはさておき、シュレーダーとフィッシャーは、脱原発で共闘することになりました。
このシュレーダーを川口マーン恵美氏は、「大国にすり寄ることによって、自分を大きく見せようとする姑息なところがある」と評しています。
シュレーダーが「脱原発」政策の裏でとったのが、ロシアへの異常接近でした。
全任期中に、徹底してロシアの気に入らないことは言わない、という親露的態度を取り続けます。
シュレーダーがかつて左翼運動家あったために、日本の親中派のように「労働者の祖国」への郷愁があったためではありません。
その目的は、ロシアの天然ガスでした。
シュレーダーがやったエネルギー路線は、ひとつは先程から述べている脱原発政策ですが、同時にこれはエネルギー源の転換を意味しました。
2000年6月に「アトムコンセンサス」と呼ばれる原子力漸減政策が、政府と大手電力会社の間で結ばれます。
続いて2001年12月には脱原発法が通過し翌年の4月から施行されます。これがメルケルに先立つこと14年前の第1次脱原発政策です。
シュレーダーとシュミットは、日本の管センセと違ってリアリストでしたので、当時、17基ある原発が33%のエネルギーをドイツの経済と社会に供給していることをよく知っていました。http://www.de-info.net/kiso/atomdata01.html
これをなくすという意味は、3割のエネルギー源を失うことです。
ふたりが考えたことは、ロシアから天然ガスパイプラインを、ドイツに引っ張ってくることでした。
現在、ロシアからの天然ガスは、ベラルーシ⇒ポーランドか、あるいはウクライナ⇒スロバキア⇒チェコ経由のいずれかでドイツに到達する仕組みです。
下図の中央の黒線がそれです。
シュレーダーがことのほか力を入れたのが、バルト海の海底パイプライン(ノースストリーム)でした。
これが完成されれば、天然ガスが、東欧・中欧地域を経ずにドイツに直輸入されることになります。
下図のトッドが作った地図の中央上に見えるオーーブ色の線が、それです。
つまり、シュレーダーは、2010年の第1期完成(完工は2020年)を見越して、脱原発に舵を切ったわけです。
ただし、その副作用として、ドイツのエネルギー源の極端なロシア依存体質が生まれました。
原油に占めるロシアからの全輸入は33%、天然ガスで35%(2009年現在)で、支配的です。
一方ロシアにとっては、国内価格の実に8倍もの高値でドイツに輸出できるので、国内向けは原発にしてしまおうということで、ここにドイツとロシアの共通の利害、ハッキリ言えば、強依存関係が生まれたのです。
ドイツの脱原発への転換で、もっとも潤ったのがロシアでした。
結果、ロシアはエネルギーの飢餓輸出によって外貨を稼ぎ、再びソ連帝国の再興を視野に入れました。
いわばドイツの脱原発政策で、プーチン・ロシアは帝国再興の手がかりをつかんだと言えます。
この独露の強依存しながら、反発し合う矛盾した構図は、後のメルケル政権時のウクライナ紛争で火を吹くことになります。
と同時に、ロシアは国内向けのエネルギーに原発を当てました。皮肉にも、ドイツの原発分のエネルギーの落ち込み分を他国の原発が補填したことになります。
よく、フランスばかりいわれますが、これだけ大きな工業国のエネルギーシフトは、かくも大きく周辺国の状況を塗り替えるのです。
一方、しばらくしてドイツ人は、ロシアとのパイフラインが新たな戦略的価値を持つことに気がつきました。
フランス人のエマニュエル・トッドは、こうシニカルに評しています。
「存在するガスパイプラインのすべてをみてほしい。ウクライナを通っていることだけが共通点ではないよね。ドイツに通じているというのも共通点だ。
したがって、ロシアにとってのほんとうの問題は、ウクライナだけではなく、ガスパイプラインの到着点がドイツによってコントロールされているということなのだ。それは同時に南ヨーロッパ諸国の問題でもある」(前掲)
メルケルは、サウスストリームと呼ばれる(緑色点線)に対して賛成していません。
その理由をトッドは、こう述べています。
「サウスストリームが建設されないことがドイツの利益でもあるということが分かる。それが建設されと、ドイツが支配しているヨーロッパの大部分のエネルギー供給が、ドイツのコントロールからはずれてしまうだろう。」(前掲)
つまり、ドイツは自らの国に直行するノースストリームの建設は急ぐ反面、ドイツのコントロールから外れるサウスストリームには反対だということです。
このようにドイツの脱原発政策は表向きの理想主義とは違って、シュレーダーの衣鉢を継いだメルケルによって、ヨーロッパ諸国のエネルギーの首根っこを押さえる武器に転じていくことになります。
メルケルの前任者だったシュレーダーが残したものは、二つあります。
ひとつはNATO域外出兵によって、ドイツはNATO、すなわち「ヨーロッパ統合軍」の盟主として軍事的に関与すること。
二つ目は、脱原発政策と一体となったロシアからの天然ガスパイプラインによって、ヨーロッパ諸国のエネルギー源をコントロールすることでした。
東西両ドイツを再統一したコールが、安価な国内労働者を旧西ドイツの企業に提供することになるとは思っていなかったように、シュレーダーもまた、ロシアからの天然ガスパイプラインをドイツがコントロールすることになるとは意図しなかったことでしょう。
NATO域外派兵もまた、渋々せざるをえなくなるていどのスタンスだったはずです。
ところが、メルケルはこれらの前任者たちの残した遺産を巧妙に、きわめて意識的に「ドイツ帝国」の版図拡大に利用していきます。
そしてそれは同時に、「ロシア帝国」の復活と、確執の始まりでした。
ひとつひとつ説明が必要ですが、とりあえず箇条書きにしておきます。
①安価な旧東側労働力の獲得
②ユーロ・共通貨幣による恒常的マルク安を利用したどしゃぶり的輸出
③EUの関税なき内国化を利用した近隣窮乏化政策
④ロシアからのパイプラインよるエネルギーコントロール
⑤NATOの旧ソ連圏への膨張・拡大
⑥米国の没落と、ヨーロッパの米国圏からの離脱の動き
⑦復活した「ロシア帝国」との確執の開始
かくして延々と数世紀に渡って続く、伝統的<ゲルマン帝国vsスラブ帝国>の争闘の構図が、21世紀の今また再現したわけです。 では、一句。
■トッドの地図から下を大幅に加筆しました。
HNふゆみさんのご質問です。
「原発の非常用電源の設置場所は、今はもう日本中どこも皆地上の安全な場所に移されているのでしょうか」
この予備電源問題は、大変に重要なことなので、できるだけ丁寧にご説明します。
2013年に出した、原子力規制委員会の新安全基準ではそれが最初の項目に入っており、これをクリアしないと再稼働は不可能です。
すべての原発において、発電所より高い場所への予備電源の設置はなされいます。
たとえば下図は、中国電力の対策を示したものです。
島根原子力発電所の安全対策について - 中国電力(Adobe PDF)
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上図の右真ん中て黄色に塗られているのが、非常用ディーゼル発電機のバックアップ電源です。
なお、ディーゼルなのは、送電線が倒れたりして外部電源がブラックアウトした場合でも、発電所内で軽油によって非常発電が可能だからです。
島根の場合、1万2千kW 級ガスタービン発電機×2台を発電所敷地内の40m高台に設置します。
40m高台まで津波が到達する恐れはありえませんし、万が一それも浸水した場合でも、海水による冷却が可能なように予備の予備の海水ポンプを水密区に設置し、さらにそれもアウトした場合は、予備品を常時保管します。
ここまでしなくっても、と思いまが、これが規制委員会が命じている新基準の深層防御(多重防御)の考え方です。
上図を説明しましょう。右から順に
①防波壁の強化。発電所の主要設備への浸水を防止するため、発電所構内の海側全域について防波壁を海ばつ15メートルに強化する。
②建屋の浸水対策強化。建物内の機器を保護するため、水密性を高めた扉への取替などにより、建物内への浸水を防ぐ対策を強化する
③非常用電源の高台への移設
④海水による冷却ポンプの水密化のために、ポンプエリアに防水壁等を設置する
⑤④が浸水した場合の、冷却ポンプの予備部品・代替品の保管
もう一カ所見てみましょう。四国電力伊方原発です。
・原子力発電所を運転したり、停止時に原子炉等を安定的に冷却したり ...(Adobe PDF)
上図に付けられた説明によれば
①1号機から3号機まてに各2台の非常用ディーゼル電源を設置(図中○0)
②単独の非常用電源が破壊された場合に備えて、各原子炉間を電源ケーブルで接続し、融通できるようにする(図中④)
③2台の非常用ディーゼル発電機を7日間使用できるだけの燃料を確保(図中⑤)し、必要電力に最小化すれば14日間もつ
④以上が破壊された場合に備えて、海抜32mの高台に大型の空冷式非常用発電装置を4台配備しているほか、電源車も3台配備(図中①)
⑤海抜15mの高台に非常用外部電源受電設備(図中⑧)、海抜32mの高台に非常用ガスタービン発電機(図中⑨)を設置
⑥大規模災害時に比較的短期間での復旧に優れる配電線2ルート(3回線)を至近の亀浦変電所から敷設するなど、電源の多様化を図った(図中⑦)
ところで、このように十重二重の多重防御をしていますが、例によって例の如く、反原発主義者の皆さんはこう叫んでいます。
※http://www.mynewsjapan.com/reports/1403
「近くに中央構造線という巨大活断層があり、 南海地震・大津波の危険が迫っている。
フクイチは地震で破壊されたんだ。津波で壊れたなんて大嘘だァ!
伊方3号機が事故を起こせば、猛毒のプルトニウムを含む放射性物質で四国が汚染されるぞぉ!」
昨日書いたとおりのワンパターンです。
「大地震が来るぅぅぅ!活断層があるからだぁぁぁ!フクシマ(←なぜか、この人たちはカタカナ表記)は地震で壊れたんだゾぉぉぉ(棒)」
もう事故から5年も立っているのに、まだ言ってんのですかね。あのすいませんが、この福島事故地震原因説はとうに破綻しています。
一時は国会事故調のみが地震説を出していたので、事故調の結論が混乱していましたが、2014年7月に原子力規制委員会が事故原因中間報告書の中で、地震説をバッサリと否定して、既に決着済みです。
東京電力福島第一原子力発電所 事故の分析 中間 ... - 原子力規制委員会(Adobe PDF)
この反原発原理主義者にかかると、「安倍ヒトラーのポチの規制委員会がなんといおうと信じるもんか」のようですが、私たちも改めて福島事故の原因を押さえておくことは意義があります。
事故報告書は、4種類(独立、国会、政府、東電)ありますが、この中で唯一、「じつは地震で壊れていたんだぜ」と述べているのは国会事故調のみです。
理由は簡単で、国会事故調で主導権を握った田中三彦委員(サイエンスライター)が、ゴリゴリの反原発運動家だったからにすぎません。
田中三彦氏
放射能デマッターの岩上安身のサイトに行くと、仮処分申請の司令塔である反原発弁護団の河合弘之弁護士との記者会見などが大量にでてきます。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B8%89%E5%BD%A6
このようなどう見ても公平性を欠く人物が主導権を握ったのが、この国会事故調だったのです。
それはさておき、この国会事故調こそがいま流布されている、反原発原理主義者の地震破壊原因説のルーツです。
国会事故調はこう書いています。
「基準地震動に対するバックチェックと耐震補強がほとんど未了であった事実を考え合わせると、本地震の地震動は安全上重要な設備を損傷させるだけの力を持っていたと判断される」(同報告書)
ここで国会事故調がいう「重要施設の破壊」とは、「津波到達前に格納容器から数十tの冷却剤が流出して、これが炉心融解・損傷につながった」というものです。
この国会事故調の意見について、このように規制委員会は明解に否定しています。
「『基準地震動に対するバックチェックと耐震補強がほとんど未了』であったことは事実である。しかし、そのことをもって、「本地震の地震動は安全上重要な設備を損傷させるだけの力を持っていたと判断」できる訳ではなく、損傷させる可能性があると考えることが妥当」
ではほんとうに、国会事故調の主張する格納容器からの冷却剤流出はあったのでしょうか。
下は規制委中間報告書にある、地震の震度と発生時刻です。15時31分~40分にかけて震度2~3です。
意外に震度が低いのに、驚かされます。
この15時31分~40分にかけて、もし地震で原子炉圧力容器が破壊されていたのなら、国会事故調が言うように、地震発生とほぼ同時に格納容器に亀裂が走り、そこから大量の冷却剤が漏れだしたというシナリオも成り立ちます。
次のグラフは、原子炉圧力容器の圧力を示すグラフです(前掲)。
地震発生から津波到達までの45分間は(非常用)電源が生きていたのでメーターの記録があります。
それを見ると配管破断を示すような圧力ロスや、原子炉水位の変化はありません。
即ち、地震によって原子炉に亀裂は入っていなかったのです。
これについて規制委員会はこう説明しています。
「地震発生から津波到達までの原子炉圧力容器の圧力の測定値は、原子炉スクラム
後に一旦約6.0 MPa まで低下した後に上昇し、非常用復水器(IC)起動後に5.0 MPa
以下まで急激に低下した後、IC の起動・停止に応じて約6~7 MPa の間で増減が繰
り返されている。」
「この期間に炉心の露出・損傷に至らしめるような冷却材の漏えいはなかった。」(前掲)
また国会報告書は、風聞を収集した三面記事的報告書なために、格納容器の破損の根拠は、現場にいた作業員が地震発生後、津波が来るまでの間に「ゴーッという音」を聞いたと程度のことです。
ならば既に津波到達前の45分前から放射能漏洩が生じて、所内の放射線モニタリングに記録されているはずです。
それもないと規制委員会は述べています。
「地震発生から津波到達までは直流電源及び交流電源が利用可能であったことから、地震により原子炉圧力バウンダリから原子炉格納容器外の原子炉建屋内への漏えいが生じれば、プロセス放射線モニタ、エリア放射線モニタ等の警報が発報すると考えられるが、これらの警報は発報していない。」
津波が到達する時刻は、波高計により、第1波襲来15 時27分頃、第2波襲来15時35分頃です。
この二つの津波が到達したのが、「15 時35 分59 秒~15 時36 分59 秒までの間で、この瞬間に原子炉の電圧は、ほぼ0 V に低下して、その後は電力供給ができない状態に至った」(前掲)わけです。
上のグラフの右隅の緑色枠内でも明らかのように、津波到達と同時に全交流電源が停止した結果、原子炉が冷却不能となったのです。
この電源停止についても、国会事故調はこう言っています。
「国会事故調報告書では、「ディーゼル発電機だけでなく、電源盤にも地震により不具合が生じ、その不具合による熱の発生などによって一定時間経過後に故障停止に至ることも考えられる。」としている。」(前掲)
規制委員会中間報告書は、これについても完全に否定しています。
「非常用交流電源系統は、本震が発生してから約50分間は正常に機能しており、これが震度1~2 の揺れの影響により損傷したとは考え難い。したがって、余震によってD/G1A受電遮断器を開放させるような不具合が発生したとは考え難い。」(前掲)
もういいでしょう。
詳細は、この中間報告書をご覧ください。完璧に地震原因説が否定されているのが分かるはずです。
それにもかかわらず、おかしな裁判官が、「想定以上の地震が来て、原発がバクハツするぞぉ。仮処分で止めてやる」などと叫ぶのですから困ったものです。
この人たちはきっと受信機が地震によって壊れていて、脳内冷却剤が流出しているのでしょう。
5年前には定番だった、ガツンっと来る震度5が来ました。
例の地震を経験した人だけには分かるゴーっという地鳴りとともに、ひさぶりで縦揺れでした。
ただ振動時間が短かったですね。3.11の時は延々と揺れていました。それに30分後にさらに大きいのが来ました。
ご心配をおかけしましたが、無事です。 本の山が崩れて書籍流になった程度です。
なんと震源は私たちの地域の直下だそうで、比較的42㎞と深かったために広域にひろがったとのこと。
私たちの地域は、あの東日本大震災と、その後の延々と数カ月間続いた震度4ていどの余震を経験しています。
なんとういうのかナァ、「地震馴れ」しているのです。そんなもん馴れたくはないよ、と思うのですが、仕方がない。
居酒屋でも棚にホイっと酒瓶などを乗せたりしません。3.11の時にはポンポン落ちて、大変に危なかったのです。
テレビや書棚が倒れるのならまだしも、食器棚が倒れた場合も、後片付けが大変です。
ですからわが地域では、天井につかい棒を渡して厳重に固定している家が多いようです。
屋根瓦も、前回の地震で多くが崩落したために、ふき替えたときに地震瓦に替えた家が増えました。
ところで、関係はわかりませんが、わが茨城県南部地域は、今回の熊本地震の原因だと推定されている中央構造線の東の端に当たります。
国土交通省中部地方整備局HPより
中央構造線とは、中生代ジュラ紀末から白亜紀に、日本列島が作られる時に出来た横ズレ断層のことです。
これの西の端が今回の熊本地震の震源となった、布田川断層帯と日奈久断層帯です。
これが、中央構造線に沿って大分県にかけての群発地震となったようです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-8d94.html
これが、心配されている南海トラフ地震とつながるのか、あるいは東京直下になるのか、心配しても仕方がありません。
だって、来るか、来ないか、そんなこと誰一人判らないんですから。
私は予言者ヅラをして、「見えます、見えます。あたしには活断層がズレているのが見えます。もうすぐ大地震が来ま~す」な~んて言う学者がいたら、大いに眉に唾をつけて眺めることにしています。
彼らの多くは地震学者ですが、地震学者とは「起きた」ことを研究する学問で、「当てる」ことを研究する人たちではありません。
ロバート・ゲラー氏https://www.youtube.com/watch?v=4FG2Q8o1AqE
地震学のロバート・ゲラー東大教授はこう言っています。(英誌「ネイチャー」電子版2011年4月14日)でこう述べています。
「残念ながら、現代科学では地震を予知することはできません。
私は首都直下型地震が起きない、と言っているのではありません。たとえば1000年以内には確実に東京で大地震が起きるでしょう。
しかし短い間(たとえばこの4年間)の発生確率の正確な予測は困難です。私たちが地震について把握している観測データはせいぜいが100年ていど。
地球誕生から46億年が経過していることを踏まえれば、このデータは一瞬に等しい。要するにサンプル数がすくなすぎるのです。」
ゲラー教授が言うように地震予知の最大のネックは、研究対象が地下なために、極端にサンプル数が少ないことです。
今回の熊本地震の折りに、反原発派の皆さんが火事場泥棒よろしく、中央構造線を偽造して川内原発直下まで引っ張って、大騒ぎを演じました。
平時なら「またこんなバカ言って」で済みますが、今回のような大災害時にそれをするのは、流言蜚語の類で、悪質にすぎます。
反原発派はこう主張していました。
※http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11126762026
「川内原発の北から西側、また南側に大きな活断層帯が走っていて、実はそれは、中央構造線が延びてた西端に当たるところだ。
しかし、活断層地図には、どういうわけか、川内原発周辺だけがぽっかりと活断層が無い状態で、それは長らく九電が粗雑な調査ばかりやっていて、規制委がなぜかしかとしたからだ」
彼ら特有の、「政府は必ず嘘をつく」(by堤未果)という陰謀説と、誤って学んでしまった生かじりの知識が不味そうな雑炊になっています。
下が彼らが流布したニセ断層図です。
正しくは、上の国交省の地図が正しいので、中央構造線は鹿児島まで南下せずに、熊本に抜けているのです。
どうして、そんな南にまで不自然に延ばすのか、すぐにバレて相手にされなくなったのは幸いでした。
反原発派が捏造した中央構造線図。勝手に川内原発下まで勝手に延長(笑)。恥ずかしいなぁ。
ところで原発の再稼働で最後までもめたのも、この活断層の問題でした。
原発下の地層が活断層であるのか、破砕帯なのか、それともズレなのか専門委員の間で意見が真っ二つに割れました。
結局、最後には座長の島崎邦彦委員が、えいやとばかりに、「いや、どちらでもやっぱりズレには違いない」という、学者とも思えないことを言い出す始末でした。
下の写真はなんの大工事かと思いますが、大飯原発再稼働の時の、地層調査のものです。 http://blog.goo.ne.jp/torl_001/e/ffec5624a1b2f84b3
これだけ地層がはっきりと分かるまで深く掘り下げて、しかも同じ地震学を共有する研究者の中ですら、このように意見が二分されるのが、活断層問題の現実なのです。
こんな大きな穴は、再稼働がかかっているから電力会社の負担で掘れたわけです。ビンボーな大学や研究所ごときが、活断層ごとに.ポンポン掘れる仕事ではないのです。
だから、何かの工事をしてわかったとか、下の写真のように今回の熊本地震で段差や地崩れが起きて露出した、など言った偶然で活断層の存在がわかるのが一般的です。
故に、サンプル数が極端に少ないのです。
朝日新聞4月21日より引用 http://www.asahi.com/articles/ASJ4M6DZPJ4MULBJ022
ご承知のように、日本列島は掘れば活断層に当たるようなだらけです。
ここ掘れワンワンではありませんが、一定の地域で掘ればなんらかの活断層や破砕帯が見つかるのです。
それに縁がないのは、関東平野のような沖積層といって、かつての河口デルタ地帯か、江戸期以降の埋め立て地だけです。
ただし、地層のズレがない代わりに、地盤がゆるくて液状化しやすいのですが。
要は、地球科学者の山城良雄氏が言うように、「地震時以外の断層の動きは無視してかまない」のです。
いくら活断層だといっても、地震の時に動かない限り問題にはなりません。
ですから、「ここに活断層がある」という断層評価だけでは意味がありません。いつどのように動いたのかが問題となります。
さて、ここから冒頭に紹介したゲラー氏の批判する、「地震予知」ワールドに入っていきます。
この地震予知を考える三要素は、 先ほどの山城氏によれば、「時間」・「地域」・「規模」だそうです。
これは「周期」で判定します。
つまり、いつどこで起きた地震が、どれだけのスパンの周期で巡ってくるのかを、歴史文献で調べるわけです。
東電は、貞観地震を知っていながら無視したと批判されましたが、それが起きたのは869年のことで、1142年前です。
古文書でやっと確認できたような昔で、しかも推定される貞観地震の周期は約1100年です。
はい、脱力しましたか。地球物理学とは、天文学と一緒でケタが違いすぎるのです。
仮に推定周期が1100年だとすれば、42年早く周期が巡って来たわけですが、もはや占いの類です。
この11世紀周期という説も、「たぶんそんなもんだろう。何十年か、百年くらいはズレるよ」という前提で言った仮説にすぎません。
ですから、貞観地震が再び到来する、30年内確率は0.1%でした。
統計学上、0.1%の誤差は、ノイズとして処理されます。
東電を0.1%確率をハズしたといって責めるのは、気の毒ではないでしょうか。
東日本大震災に並ぶ、巨大地震だった阪神大震災に至っては、予測確率ゼロです。
この阪神地域においては、地震周期はおろか歴史的資料すら皆無でした。
起きる周期だけではなく、「規模」、つまりマグネチュードはもっと分かっていません。
マグネチュード予測はまったく未開拓の分野で、将来、仮に予測が可能となったとしても、「一定の広い地域で、いつかなにかが起きるでしょう」ていどのものだそうです。
「いつかどこかで何かが起きるでしょう」では、地震学者は商売にならないので、もっともらしく、「あそこの活断層は前から怪しいとにらんでいたんですよ。そうですか、やはりねぇ」などと、したり顔でテレビに出てはため息などついて見せるわけです。
もっとシャバっ気のある学者は、「○○に大地震が○年以内に来る!」なとと言って週刊誌に登場したりします。
そりゃ、今回の熊本地震などは、起きた後は、地質学的意味づけはできますが、あくまでもそれは「起きた後」のことです。
元国立極地圏研究所所長の島村英紀氏は、『地震予知はウソだらけ』の中でこのように述べています。
「地震の予知は短期の天気予報と違う。それは地震は、地下で岩の中に力が蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える方程式は、まだないからである。つまり天気のように数値的に計算しようがないのである。その上、データも地中のものはなく、地表のものだけである。これでは天気予報なみのことができるはずがない」
「わからない」ということを前提にしている以上、「わからないがリスクはゼロではない」ていどのリスクと、しかしそれによって享受している社会的利益をどうバランスするのが、リスク評価という大人の知恵なのです。
こう書くと、「そうか、やっぱりリスクはゼロじゃないんだな。やっぱり地震は原発を襲うんだぁぁぁ。逃げろぉぉぉ」みたいな短絡したことを言う運動家が多くて困りますが、リスク=被害規模×発生確率なのを知らないのでしょうか。
※http://pe.techno-con.co.jp/technovision/series/back9_1411d.html
ですから、直下型地震が来るかどうかで、心配しても仕方がありません。
東京都の場合、備えをしっかりすること、万が一起きたらどうするのか、それを最小限にするにはどうしたらいいのかを、考えましょう。
地震予知などという科学もどきに金をかけるのではなく、観測体制の充実と、非常時の備えに金を投資すべきです。
マスゾエ氏のようなタイプの人物が、不幸にして直下型地震が来たら、護民官として的確な指示を出して都民を守ってくれるかどうか、まぁ考えないでも分かりますね。
ああいう時に、政治家は器量が試されるんです。
ヤフオクや回転ズシより、はたまたスパリゾートより、あるいは超ゴーカ田舎大名旅行より(くどい)、そちらを心配なさったほうがいいと思います。
次の都知事は、いざという時に眼が泳がないで、しっかりした危機管理できる人を選びましょうね。
もう少しドイツについて書いていきます。
このブログに長くおつきあい頂いた方はご存じだと思いますが、私が本格的にドイツと向き合ったのは再生可能エネルギーの検証の時でした。
当時、社会を覆い尽くした脱原発運動の人たちは、メルケル・ドイツをことのほかお気に入りで、あれほど「ドイツに学べ」の大合唱がかまびすしかったことはなかったほどです。
http://globe.asahi.com/feature/article/2013013100007.html
再生可能エネルギーについては、我ながらよーやるよと思うほど論じたものです。
2013年頃に私のブログと出会った方は、ここが反・反原発運動のサイトだと思ったかもしれません。別にそういうわけじゃないんですがね(笑)。
右脇下のカテゴリー「原発を真面目に終わらせる方法」をご覧ください。ごっそり過去記事が出てきます。
※10回シリーズ「ドイツの脱原発は隣の家の青い芝」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-4c56.html
私は、ドイツの精神不安定な民族体質が目一杯出たのが、この福島事故直後の脱原発・再生可能エネルギー問題だと考えています。
私は当時、このドイツ人の日本人以上のパニくりぶりを、「ドイツ的憂鬱」(ジャーマン・アングスト German Angst )と評したところ、直接私の記事に対してではありませんが、ドイツ大使館が否定する記事をアップしてきました。
※私たちは150年の日独関係から何を学べるか - ドイツ大使館 ドイツ総領事館
東日本大震災から福島事故緒後に至る欧米の諸国の反応は、そのままその後のエネルギー政策決定を象徴しています。
たとえば、ドイツの尻を追っていち早く脱原発を決めたイタリアは当時、「渋谷では放射能で死んだ死体が山積みになっている」という見てきたようなトンデモ報道で煽りまくりました。
バカですねぇ。まぁイタリアならばチョイ悪オヤジの国なんだから、ぬるく見守ってあげようかという気になりますが、さすがドイツだと笑えません。眼がつり上がっています。
(2011年3月16日ドイツ紙「ヴェルト」1面 三好範英『ドイツリスク』より引用)
上の写真は、事故直後のドイツ紙のものです。1面タイトルは、「死の不安にある東京」です。
確かに日本においても、一部に放射能パニックが発生したのは事実です。しかし、ほんとうに首都が「死の不安」にありましたか?
冗談ではない。私たち東日本の住民は、この危機に際してどうにか持ちこたえようと勇気を振り絞っていた時期です。
この写真のマスクも、日本人なら珍しくもない花粉症対策にすぎません。
「南ドイツ新聞」は、同じく2011年3月16日付け1面トップでこう書いています。
「数百万の人口の首都が放射能汚染を恐れている。制御不能となった原発-東京は不安の中にある。
高い放射線量のため、東電は作業員を避難。外国企業は首都から避難した。」
「多くの住民が東京を離れようとしている。成田空港には避難者が殺到しており、多くの駅で乗車券を買い求める長い行列ができている。」
「これだけは確かだ。東京からの逃走か始まったのだ。」(三好範英『ドイツリスク』)
見てきたようなウソをつき、です。「東京からの逃走」?なんです、それは。
そりゃ確かに震災の影響で、帰宅困難者の大群がでましたが、別に「東京から逃走」していたわけじゃないのは、日本人なら分かりきった話です。
ただ面白いのは、こんな極初期から「原発作業員避難」誤報が、ドイツで流されていたことです。
ひょっとすると、朝日の誤報はドイツが原型だったのかもしれませんね。
※吉田調書関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-9f0f.html
その後にドイツ・メディアは、福島第1が再爆発すると報じました。
ARDはドイツの3番目の公共放送ですが、2011年3月30日の報道番組はこう伝えています。(前掲)
「炉心融解の結果、圧力容器から落下した核燃料が水と接触して、新たな大爆発を起こすかもしれない」としてCGによってその状況を見せた後に、東京が核物質の雲に覆われる様子を生々しく報道した。」(前掲)
またARDはこの番組の中で、チェルノブイリの甲状腺ガンの治療を受ける子供たちと、福島の避難所で遊ぶ子供を思わせぶりでカットバックでつなぐことで、それを強く示唆しました。
日本のメディアもそうとうにおかしかったが、さずがここまでイッてはいませんでした。
そして、状況が落ち着いてきた2012年10月11日には、お定まりの定番である「奇形の発生」が報じられます。
ARDは特集番組の中で、
「福島近辺のシジミチョウに奇形が発生していると、琉球大学の研究者が発表した」として、「福島の人々にはまだ影響は出ていないが、蝶には現れた」とコメントしています。」(前掲)
こんな情報は日本の有名なトンデモサイトである「NAVERまとめ」などに行かなければ、決してお眼にかかれないようなヨタ情報です。
ドイツメディアの情報源は、どうやら、岩上安身や武田邦彦のような職業的デマッターか、「NAVERまとめ」などのようですね。
この「蝶の奇形」を発表したのは琉大の大瀧准教授ですが、これに対して他の生物学者から厳しい批判が続出しました。
チョウの羽や目に異常=被ばくで遺伝子に傷か−琉球大: 時事ドットコム
この大瀧氏は福島事故の2年前から、北方の蝶類に奇形が多く発生すると言っていた当人で、それがなぜ、福島事故の後になって原子力事故との因果性があるかのような言い方に変化するのだという疑問です。
もし比較するならば、放射能の影響がなかった青森の蝶と、福島の蝶を比較するべきです。
しかし、当然のここととして、ドイツ・メディアはこんなディテールは省略して、「フクシマに奇形発生」と印象報道に徹しています。
そして、2013年3月11日の震災2周年に対して、「同盟90/緑の党」は悲痛に満ちた表情でこうご託宣を垂れます。
「2年前の今日、フクシマの壊滅的な原発事故か起きた。この大事故において、1万6千名が死亡し、2700名が行方不明である。
フクシマの原発事故は、非常に危険な原子力がいかに制御不能で、命に関わるものであるかを示した。
したがって我々はドイツだけではなく、ヨーロッパ、そして世界中でできるだけ速く脱原発を実現し、エネルギー政策の転換を前進させねばならない。」(前掲)
この表現だとまるで、福島事故で1万8千名の死者・行方不明者がでたような書き方です。
さすがに日本の脱原発派も、この彼らの師匠筋の緑の党のようなことは書きませんでした。
これがドイツ人の一般的な福島事故に対する認識です。
「ニューズ・ウィーク」(2013年10月30日)によれば、今でもドイツでは福島事故で日本人が数千人死んだということをまともに信じている人が大勢いるそうです。
このようにドイツメディアは、東日本大震災の報道より、福島原発事故報道のほうが圧倒的に多く、震災に立ち向かう被災者への共感が大きく欠落している反面、ドギつい煽り報道が主体でした。
これに対して英仏メディアは、被災者の勇気に対する賛辞と冷静な事故報道をしています。
英国は、大使館がいち早く在日英国人に対して安全情報を伝達し、避難する必要はないと冷静な対応に徹しました。
フランスもまた、同じく在日の民間人に退避勧告は出しませんでした。
一方ドイツ人の在留者のほとんどは放射能に恐怖して尻に帆をかけて成田空港に殺到し、そのまま再来日しない人も多かったそうです。
ドイツの原子力発電所
ちなみに、福島事故後にドイツとイタリアは脱原発に走りましたが、かつて脱原発を唱えたスウェーデンは同調せず、フランスは現状維持(社会党政権は漸減)、英国は増設です。
まさに「ドイツの憂鬱」が全開、というところでしょうか。
ドイツ人は環境保護や自然愛好の精神が高いことを自慢していますが、それが故に環境や健康の保護に過度にナイーブな側面も持っています。
ナイーブというのは、神経過敏で情緒不安定、すぐに悲観的心理に陥りやすい行動パターンに陥るということです。
その結果、当人たちはリスクを最小限にするために行動しているつもりでも、それが極端なためにかえって大きな悲惨を招く結果になりがちなドイツ人気質を生みました。
しかも、ドイツ人はこれを絶対的真理だと勘違いしているために、周辺国のみならず、世界にモーゼの十戒よろしく普遍化しようとするからタチが悪い。
このモーゼが敬うヤハウェ神は旧約聖書の絶対神ですが、極端に短気で怒りっぽいのですからたまりません。
民が崇拝していた黄金の子牛像を粉砕して水に撒き、「子牛を求めた者は、この水を飲め。飲まぬ者は、私の杖にかかって死ぬ」と脅迫するんですから、スゴイ。
このような無茶苦茶な暴言を吐く神がいること自体に、温和な神々しかしらない日本人は驚きますが、ドイツ人はこのような過激なキャラをよく生み出しました。
古くは宗教改革で、ヨーロッパを宗教戦争の血の海に叩き込んだルターはドイツ人。
20世紀を革命と戦争の世紀にして、数億人殺害したマルクスもドイツ人。
そして第1次大戦後のハイパーインフレから生まれ出たのが、あのヒトラーでした。
これは何かの偶然でしょうか。
そして現代。「ドイツ帝国」を復活させたメルケル女帝は、フクシマ事故で脱原発に急旋回したわけです。
他のヨーロッパ人は、慎重にリスク評価を行い、原発を維持するリスクと原発ゼロの場合 のリスクを比較しました。
そしてこの両端の間に、いくつものシナリオを用意して対応していきます。
それが大人の政治というもので、思春期の子供ではあるまいに、「生か死か」なんて、フツー立てませんよ。
ドイツ人は、「原発のリスクが不明なほど大きい」と設定して、「人類絶滅か、廃棄するか」だという方向に突っ走ってしまうことになります。
かつてこの国から人類史上最大の怪物であるアドルフ・ヒトラーが誕生し、ドイツ人が足並みを揃えて雪崩をうって崖から海へ飛び込んでいった姿を、いまのドイツに重ねてしまうのは、失礼というものでしょうか。
日曜日なのでというか、なのになのか、マスゾエという人について軽く考えてみましょう。
結論から言えば、ダメですね。あの人。もう完全にテンパッています。眼がキョトキョトして、いっそうネズミ男顔がひどくなりました。
しかし、やつれたねぇ。もはや死相がでています。もちろん政治家としてですが。
でも、まったく同情心か起きないのは、気の毒ですが、この人のキャラ故なのでしょう。
まず、今回の一件ですが、危機管理がダメすぎます。
やってはいけない記者会見というのを佐々淳行氏がどこかで書いていましたが、「精査する」というのは、言ってはいけない禁止ワードです。
それをこの人は、12日夜のBSフジ「プライムニュース」に生出演した約40分間に、「精査」を20回、「調べる」を24回も繰り返したそうです。
さぞかし見ていた都民はイライラしたろうな。
回答の引き延ばしだからです。引き延ばして何か利益があればいいのですが、おそらく今や全メディアがマスゾエ氏の埃叩きでフル回転しているはずですから、引き延ばしは蟻地獄に陥るだけです。
これはこのような、家族旅行がどーたらという政治資金がらみのケースで、逃れようもない時に発すべきセリフではありません。
なぜなら、一回目に持って来るべき対応は、謝罪するか全面否定するに足りる材料を用意してくるかの、いずれかしかありません。
素直に「ごめんなさい。悪ぅございました」と懺悔するか、「いや、あれは純然と都知事選に臨むための極秘会議で、ただ家族旅行と偽装しただけだ。証人はこの人だぁ」とやるしかないのです。
「政治活動だと認識している」なら、政治活動だという証拠をしっかり揃えるのですね。
第三者も呼んだと言っている以上、この人を会見に連れてくるていどの芸のひとつは欲しいものです。
つまりですね、マスゾエというお方は、危機に際してまず保身を考えてしまうタイプなんですよ。
仮に東京直下型地震がくれば、都知事専用トイレにこもって逃げまどい、後であれが臨時都知事室だ、というタイプです。(ほんとうに言いそう)
危機のレベルをきちんと測定できないから、「説明責任を果たしていないのでは」という記者の質問に、「都民1350万人の声を聞き、何百万対何百万なのか」というような馬鹿丸出しの答え方をします。
あのね、マスゾエさん。世論調査している場合じゃないの。あんたって根からの学歴エリートなんだね。
あなたの所業とキャラの卑しさに対する嫌悪感は、しっかりと都民の中に根付いてしまっているのですから、それをどう解きほぐすのかがテーマなのです。
石原さんも三期め都知事選はズタボロ状態でしたが、「反省しろよ慎太郎。でもやっぱり慎太郎」という佐々さんが作った名コピーで救われました。
そしてあの傲岸不遜を絵に書いたような慎太郎さんが、ペコリと頭を下げたのですから、これで風向きが完全に変わりました。
マスゾエさんの場合、「やっぱり要一」というだけの実績がゼロで、やったのはただの田舎大名の超豪華公費旅行だけだから、いた仕方がありませんね。
謝るしか選択肢はあるはずがないのに、謝ったら「オレみたいな超優秀な男のメンツが傷つく」なんて思っちゃうし、謝るほどの胆力も欠如しているようだから、最初のカードの出し方に失敗するのです。
それを指導するべき軍師、いや番頭すらいないんでしょうね。
こういう元の奥さんからもマムシのように嫌われているキャラだから、軍師も盟友もいない孤独な人なのでしょう。
危機管理は初動が命です。これをハズした以上、マスゾエさんの命運は決定しました。
あ、そうそう蛇足ですが、この人、誰かに似ていると思ったらカン元首相に似たところがありますね。
首相や都知事に上り詰めるまでの、嫌ったらしいコウモリぶりなんか妙に既視感がありました。
そしてトップに立つと、いままでのこっちを見ては媚を売り、あっちを見てはもみ手をするというのが一転して、ゴーガンを絵に書いたようになって、あんた何様状態になるわけです。
とすると、大地震なんかがきたら、トイレに籠もるより、キレまくって部下を蹴飛ばしまくるタイプかもしれませんね。
まぁとまれ、政治主張含めてなんの関心も抱けないようなお二人です。
誇り高いマスゾエさんは、百条委員会に引きずり出されて恥をかく前に辞任されるでしょうが、引退の後はカンセンセの轍を踏むことなく、もう政治活動なんぞせずに、湯河原の別荘で浮世絵でも愛でていて下さい。
どうもこの「ドイツ帝国」シリーズは弾みません。要は、私が好きではないんでしょうな、このドイツという国自体を。
私がこの国に深い不信を持つようになったのは、あの忌まわしい福島事故でした。
私にとって人生観が変わるほどの体験だったのですが、私は今もってあの時に何を発言したのか、どのように行動したのかが、その人や国を判断する大きな基準になっているところがあります。
この時、ドイツのテレビ局のTDZ(第2ドイツテレビ)は、わざわざ福島現地にまで押しかてて、一本のセンセーショナルな報道番組を作ります。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-0a22.html
そしてTDZはこの取材を基にして、本格的ドキュメンタリーの「フクシマの嘘」を作り、国際エミー賞にノミネートされました。
つまり、TDZ報道が、ヨーロッパの「フクシマ」観を作り上げ、後にメルケルの脱原発政策を生み出すきっかけだったといえるわけです。
こちらからTDZのフルテキストが読めます。(TDZ「フロンタール21」2011年8月9日放映)
http://memo-no-memo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/zdffrontal21-8e.html
ところが、これはテキストを見ればわかるように、少なくとも当時「被曝現地」で戦っていた私の眼からみれば、全編デタラメのオンパレードで、プロパガンダ特有の印象報道を、これでもかとばかりに視聴者に叩きつけます。
「80km離れた水田で5万3千ベクレル/kgの土壌汚染」
「自宅庭の空間線量90マイクロシーベルト/h」
「人間の想像力を超える惨事」
「人類史上最悪の惨事」
やれやれ、1000ベクレル(Bq)を超えているのは、このシイタケとタケノコだけですって。
100Bqを超えているのさえ、ブルーベリーなどごく一部で、しかもそれらはすべて政府によって出荷停止になっていました。
ほとんどの野菜は、20~100Bqの範囲で、検出限界以下(ND)の20Bq以下も少なからずありました。
取材において、TDZはあらかじめドイツから持ってきた、「チェルノブイリを上回る人類史上最大の惨事」という予見に合うものだけを恣意的に選んで取材しました。
たとえば、同じ地域で作られた農産物のうち、あえてもっとも放射性物質が蓄積しやすい地衣類のシイタケのみを選んで報道しています。
そしてそれらの農産物が出荷停止になっている事実をよく知りながら、ナレーションからあえてはずしました。
この福島農産物の放射能値は、当時もっとも騒がれていた問題で、TDZから取材を受けた現地の放射能測定グループは、丁寧に説明したと証言しています。
もし「被曝地福島」を客観報道したいのならば、シイタケとブルーベリー以外の農産物は検出限界以下だったことを平等に報じなければなりません。
報道とは、事実の積み重ねによる「思想」表現媒体です。
「思想」を言いたいがために事実を歪曲してしまっては本末転倒で、事実を無視してやるならただのファンタジーです。
ちなみに、これはドイツ人に限ったことではありませんが、当時、関東に住んでいたヨーロッパ人は文字通りひとり残らず、大慌てで帰国しています。
私がある放射能問題のシンポジウムでお会いした女性は、ドイツ人の夫が、自分を置いて後ろも見ずに逃げたと苦笑していました。
ところで、このようなドイツ人の「日本の不幸は鴨の味」趣味は、「鴨」が皿から消えそうな時にもはしなくも現れます。
ドイツ人はことのほか、日本の「従軍慰安婦」問題を愛好していました。おそらく韓国人といい勝負であったでしょう。
まるで、これこそが日本の恥ずべき戦争犯罪で、自分たちはこんなものからとっくに手を切って、清く正しく美しく生きているんだ、というのがドイツ人の自慢でした。
日本人の歴史認識の不誠実さが、あたかも自分の高潔さの証明であるかのようにです。
ドイツ人自慢のヴァイツゼッカー演説の偽善は、とうにバレているというのにね。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-d286.html
ちなみに日本に1回来る間に、中国には7回行っています(苦笑)。去年3月に訪日したメルケル女史は、こんなことを日本でくっちゃべっていきました。
「メルケル首相は講演で、ヴァイツゼッカー独大統領(当時)の1985年のスピーチ「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を引用。ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか、との質問に対して「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った」と述べた」(ロイター3月9日)
あのねメルケルさん、自分の国がどうやってようと知ったことじゃないが、他人様の家に来て自慢たらしく、説教垂れるんじゃないよ、余計なお世話だ、つうの。
ドイツは戦後、西と東に別れた分裂国家となりました。そのために正式の講和条約はドイツ統一まで待つという理由で、国家間の賠償は行なわれませんでした。
また、ドイツは、自由主義陣営にとっても、共産主義陣営にとっても重要な前線国家だったために、賠償を課すことをしなかったともいわれています。
このような歴史条件があったために、ドイツの戦後賠償のすべてがナチスに迫害された人達への個人補償の形を取らざるを得ませんでした。
ドイツ連邦補償法は補償対象をこう定義しています。
「ナチス迫害により、生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業経済上の不利益を被った者への補償」
つまり、ドイツはナチス関連しか責任を認めていないのです。
ドイツは同法に基づいて、710.5億マルク(現在換算約3兆5951億円)が支払われました。
ベルリンを分割した連合国主要4カ国は賠償を放棄し、あとの諸国については各種の二カ国間協定で処理していったようです。
一方日本はドイツのように分割されることなく、1951年にサンフランシスコを締結し、55カ国中44カ国と講和しました。
その結果を踏まえて、それらの国々とは二国間協定で賠償を行いました。
総額で借款含めて、6523億円(現在換算20兆971.42億円)支払っています。これは当時の国家予算の3割に達しています。
ちなみに韓国は、当時は日本であったために、別枠で1965年の日韓基本条約として処理されています。
お気の毒にも、当のドイツ人が知らないだけで、ドイツ軍は日本とほぼ同時期に占領各地で、現地の女性やユダヤ人女性による慰安所を設けていました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-91ca.html
Wikipedia 慰安所としたシナゴーグ(ユダヤ教会)に入るドイツ兵たち
秦郁彦氏は、むしろ日本がドイツから慰安婦制度を教わったのではないか(「慰安婦 戦場における性」)と述べています。
そのドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙のカーステン・ゲルミスは、朝日新聞が誤報と認めて謝罪した事件の直後にこんな記事を発信しています。
ちなみにフランクフルター・アルゲマイネは、知識人向けの高級紙とされているそうです。
出典不明
なかなかシブイ内容で、こういう朝日新聞謝罪に対しての報道もあるのだと、たまげた記憶があります。
「安倍政権の閣僚たちは朝日新聞のこの誤報問題を、政府に批判的なリベラルな新聞に効果的な一撃を加えるに利用しただけではなく、慰安所で若い女性に性的暴力を加えた事実そのものを否定するために利用している。
ドイツの閣僚が、後に嘘だと分かるひとつの証言のためにホロコーストそのものがなかったと主張するようなことなど考えられるだろうか!
まさにそれと同じことを日本の右翼、歴史修正主義者たちはしているのである。彼らは日本軍の関与を証明する記録はないと主張し、多数の韓国・朝鮮の女性たちの証言を「信頼できない」として無視している。拉致された女性の中には15~6歳の少女たちも多数含まれていた。」(訳 川口マーン恵美氏)
さすがいつもは弱腰の外務省から抗議を受けるとゲルミスは、「5年前にありえなかった新しいことといえば、日本の外務省からの攻撃にさらされるようになったことだ」とまで書いています。
こんどは「歴史修正主義の独裁者安倍」が、政府機関を使って自分の言論を封じ込めようとしているのだ、と言いたいようです。
自分は言いたい放題、ウラも取らずしゃべり散らして、政府が反論すれば、すぐに言論抑圧だと泣きだすような鳥越氏、岸井氏、金平氏たちみたいですね。
フランクフルター・アルゲマイネ紙カーステン・ゲルミス記者http://www.2nn.jp/seijinewsplus/1430176376
もはや脱力します。ホロコーストと慰安婦問題を並べること自体、イっちゃっています。
ゲルミスさん、お聞きしたいのですが、貴国はいまでも売春制度は残されていたはずです。
しかも確か、40万人もいますね。わが国の韓国人慰安婦は20万人だそうですから2倍です。
ドイツの場合、その多くは東欧からの「移民」に名を借りた出稼ぎ女性たちです。
また、ドイツの中に構造化されている、危険な仕事・汚れ仕事・ドイツ人がやりたがらない単純労働、そして売春は、今や東欧の人間たちがやることですね。違いますか。
こういうことを、私の国では「差別」、あるいは二重規範と呼んでいます。
もしゲルミスさんが、日本の戦時娼婦を「性奴隷」と否定するなら、自分の頭の上のハエを追ってからにしなさい。
ただ、ドイツ人が常日頃言うように、唯一、日独の戦時慰安婦が異なるのは、日本のそれがドイツとは異なり軍の「強制連行」によって、あたかもアフリカの奴隷狩りのように拉致されたといわれている、その一点のはずです。
ドイツの現在の、あるいは過去の戦時娼婦は自由意志だったが、日本は憲兵が駆り立ててトラックに乗せてレイプしたものだと、そういうことですね。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-d3cf.html
100%嘘です。
アングレーム漫画祭の韓国政府出展作品より。韓国人少女が兵隊に拉致されてレイプされ、慰安婦にさせられている。日本兵は涎を垂らした野犬として描かれている。
この「韓国人女性強制連行」説を世界に喧伝していた、もっとも大きな媒体が朝日新聞でした。
そして、朝日自身、これを否定せざるをえなかったのが、まさに朝日新聞誤報事件の本質なのですよ。
そもそもナチスドイツは、ユダヤ系ドイツ人、ジプシー、あるいは、優生学的に抹殺すべしとした精神障害者、ホモセクシャルなどの皆殺しを計画しました。
その結果、600万人が虐殺されました。これは戦闘行為とはなんの関係もありません。
前線のはるか後方で、計画的に、精密に行われた抹殺事業です。
だから、ドイツが犯したことは戦争犯罪ですらありません。平時で数人殺したならば、殺人嗜好者がなした異常犯罪です。
根本的に違うのは、その虐殺した数がヨーロッパの一国の人口に相当するような数で、しかもそれを国家事業として計画して、淡々とそれを遂行したという度はずれた狂気です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-aaee.html
私たち血を嫌う農耕民族には想像もつかない、まさに狂気です。真の狂気です。
いや、狂ってもいない普通のドイツ国民がそれに加担していたということに、背筋が凍ります。
ゲルミスさん、大丈夫ですか。あなたは、日本が「同じだ」と言いたいのですか。それとも「わが国のほうが倫理的に上だ」とでも。失笑以前です。
自己正当化の情熱のあまりに発熱したのでなければ、ゲルミスさんたちドイツ人は、自分たちの民族が犯した大罪を、日本人も同罪とすることで転化しているだけの話です。
この人は、その「多数の拉致された少女たちの証言」とやらを、しっかりと眼をとおしたのでしょうか。
よもや韓国政府がいうような、逆らった慰安婦がソルロンタンにして煮られたとか、終戦時に20万人全員が処刑されたとかいう、壮大なファンタジーを信じているんじゃないでしょうね。
到底、右翼とはいえない近代史家の秦さんにインタビューしましたか。たぶん話を聞いたのは韓国マスコミか、ミズホさんか日弁連のご一党からだけでしょうね。
まるっきりの彼らの脳内電波のデッドコピーですもんね。
そもそも「15、6歳の慰安婦」なんて言い出すこと自体、この朝日謝罪事件の本質の、勤労挺身隊と慰安婦の混同すら理解できていないことが分かります。
「女子挺身隊」を慰安婦と混同したのは、読売も産経も同じですが、2紙は早期に訂正を出しています。
しかし、朝日のみが、(社内的には知り得ていたにもかかわらず、執拗に「従軍慰安婦」キャンペーンを貼り続け、世界に発信し続けました。
「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」によれば、朝日、毎日、読売とNHKの慰安婦報道を調べた結果の報道分量は以下です。
・1985年から89 年までの5年間のメディア全体に占める朝日新聞慰安婦記事の独占率 ・・・74%
・90年・・・77%つまりこ、の植村記事が出たのが91年ですから、それまでに既に朝日は社の総力を上げて「従軍慰安婦」キャンペーンを張っており、日本人は朝日によって慰安婦問題を初めて知ったといってよいのです。
その結果が、この植村記者の大誤報を生み出します。
すなわち
①朝日は植村記事の前から、吉田清治偽証を信じて日本軍が韓国人女性を暴力的に強制連行したと報じていた
②植村記者は慰安婦証言を取るために渡韓し、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、慰安婦にさせられた」という記事にした
③植村記者は当時から女子挺身隊と慰安婦は別だと知っていた。韓国の「混同」をそのまま踏襲した
④植村氏はだまされたとは書いたが、暴力的に拉致されたのではないと知っていた
⑤「性奴隷」にした揚げ句、朝鮮半島から20万人、中国から20万人、合わせて40万人の女性のうち75%の28万人を殺害した
⑥朝日新聞はこれを歴史認識問題の最重要テーマと位置づけて、韓国と共に世界中に喧伝してまわった慰安婦については、おそらく数十本書いてきているので、これがまとまっているかな。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-d4d9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-0aec.htmlこのようにドイツという国は、馬鹿なくせに気取り屋で、精神不安定、しかも致命的なことには偽善者です。
わが国の大戦参加は大きな間違いでした。
なぜなら、負ければいつのまにか涼しい顔をして、戦争裁判の検事席にちゃっかりとすわり、かつての同盟国をありもしない罪まで着せて弾劾する。
そんな国と手を組んだのですから。
■4時30分 ゲルミスの写真以下の部分を大幅加筆しました。
またもやシリーズの危機に陥りそうなので、あわてて「ドイツ帝国」に戻ります。
大東亜戦争、そしてその前段だった日中戦争は、本気でやりだすと2週間で納まるかどうか、というほど巨大なテーマなのです。
これを1回でやろうとした、私が馬鹿だった(反省)。通説とそうとうに違うかもしれませんが、そのうち腰を据えてやります。
さてエマニュエル・トッドは、<EUという装置>を使って、ドイツ人が自分の「生存圏」と無意識に信じている東方への拡大をしていると述べています。
トッドは歴史人口学という、国や地域ごとの家族の作り方の違いを比較して、どのような人口動態が生じているのかを調べるのが専門です。
たとえばロシアについて、フランス知識人は一般的風潮として、強烈な反プーチンですが、トッドはそうではありません。
「ロシアは立ち直り始めている国なのであって、主成立の上昇や乳児死亡率の低下にもそれは現れている。失業率も低い水準である。」(『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』)
これはソ連で1976年頃に起きた現象と逆です。
1976年当時ソ連は、コスイギン政権が終了し、82年まで続くことになる、あの重厚、かつ尊大にして退屈なソ連帝国末期のブレジネフ政権が始まろうとしていました。
当時、ソ連帝国は永久に続くと思われ、冷戦という形で国際社会の秩序を作っていました。
ソ連国民の誰ひとり、いや世界の誰ひとりとして「ソ連帝国」に終わりが来るなどとは夢想すらしていなかった時代です。
私の恩師はマル経の研究者でしたが、ソ連崩壊の時に、「生涯であれだけ驚いたことはない」と漏らしておられました。
いまのバルト3国や、ウクライナ、ベラルーシ、ジョージア(グルジア)までが、「ソ連帝国」の本国部分です。
これに「ソ連帝国」の属国(衛星国)の地図を重ねてみます。
東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、アルバニアなどが、「帝国」の外周をズラリと取り囲みます。
この磐石に見えた「ソ連帝国」の崩壊の予兆を、トッドはこう捉えていました。
「1976年に、私はソ連で乳児死亡率が再上昇しつつあることを発見しました。
その減少はソ連の当局者たちを相当面食らわせたらしく、当時彼らは最新の統計を発表するのをやめました。
というのも、乳児死亡率(1歳未満での死亡率)の再上昇は社会システムの一般的劣化の証拠なのです。私はそこから、ソビエト体制の崩壊が間近だという結論を引き出したのです。」(前掲書)
かつての重厚長大なソ連型社会主義の社会で、国民の保健・衛生・福祉・雇用といった社会生活のインフラが崩壊していたことを、トッドは人口動態から見破ったのです。
さて、さらにこの「ソ連帝国」版図に、トッドが作った現在のヨーロッパの勢力圏地図を重ねてみます。
「ソ連帝国」の崩壊を受けて、ロシアがほとんどポツネンと丸裸になったことがわかるでしょう。
かつての「本国」だったウクライナとジョージアすら、茶色に塗られた「ドイツ帝国」への併合途中です。
プーチンはかねてから、旧「ソ連帝国」本国には手を出すなと、NATOに警告してきましたが、メルケルとオバマは聞く耳を持ちませんでした。
そこで起きたのが、あのいかがわしいウクライナ騒乱と、その後に始まるロシアのカウンターとしてのクリミア簒奪でした。
http://qnanwho.blog.so-net.ne.jp/2014-02-19
私は案外プーチンに同情的です。
ウクライナ紛争のきっかけは、EU加盟問題でした。EUに加盟すれば、ほぼ自動的にその軍事部門のNATOに属することになります。
ウクライナは、「ソ連帝国」の軍事産業を中心とする重化学工業の拠点でした。
ソ連はロシア人中心主義と単純に言うわけにはいかない部分があって、「帝国」内部での水平分業に力を注いでいました。
ですから、ウクライナにはスホーイや、チャイナのバッチモン空母の「遼寧」を作った造船所などがあります。
それはさておき、かつての「帝国本国」部分であったウクライナまで、ネオナチまで使って暴力的に親露政権が倒されると、プーチンが冗談じゃねぇや、と言いたくなる気分だけは分かります。
このウクライナ紛争についてトッドはこう述べています。
「ドイツの外政を歴史的に特徴づける精神的不安定と、ロシアとの関係における精神分析的な意味での二極性を知る者にとって、これはかなり心配なことだ。
目下私は容赦のない語り方をしていると自覚しているけれども、今、ヨーロッパはロシアとの戦争の瀬戸際にいるのであって、われわれはもはや礼儀正しく穏やかでいるだけの時間に恵まれていない。
言語と文化とアイデンティティにおいてロシア系である人びとがウクライナ東部で攻撃されており、その攻撃はEUの是認と支持と、そしてすでにおそらくは武器でもって実行されている。」(前掲)
元米国家安全保障顧問ズビグネフ・ブレジンスキーhttp://www.presstv.ir/Detail/2015/10/06/432288/US-Syria-assets-
と、同時にトッドはロシアの敗北は、ドイツ帝国の台頭を許し、それは西欧社会の従来のシフトチェンジにつながり、結果として米国システムそのものの崩壊に連鎖するだろう、と述べています。
「ウクライナ危機がどのように決着するかは分かっていない。しかし、ウクライナ危機以後に身を置いてみる努力が必要だ。最も興味深いのは「西側」の勝利が生みだすものを想像してみることである。
そうすると、われわれは驚くべき事態に立ち到る。
もしロシアが崩れたら、あるいは譲歩をしただけでも、ウクライナまで拡がるドイツシステムとアメリカとの間の人口と産業の上での力の不均衡が拡大して、おそらく西洋世界の重心の大きな変更に、そしてアメリカシステムの崩壊に行き着くだろう。
アメリカが最も恐れなければいけないのは今日、ロシアの崩壊なのである。」(前掲)
またこのNATOの東方拡大の図面を書いたのは、ズビグネフ・ブレジンスキーだと、トッドは指摘します。
トッドはこう述べています。
「彼(ブレジンスキー)はロシアのことで頭がいっぱいでドイツの台頭を見落とした。
彼が見落としたのは、アメリカの軍事力がNATOをバルト海沿岸諸国やポーランドや、かつての共産圏諸国にまで拡大していることにより、ドイツにまるまるひとつの帝国を用意したことということだ。
その「ドイツ帝国」は最初のうちはもっぱら経済的だったが、今日では既に政治的なものになっている。」(前掲)「NATOの東ヨーロッパへの拡大は結局、ブレジンスキーの悪夢のバージョンBを実現する可能性がある。
つまり、アメリカに依存しない形でのユーラシア大陸の再統一である。」(前掲)
私達日本人は、ドイツとよく比較される立場にいます。
しかし、この日独は違った大戦の結果により、違った戦後を歩み始め、その「戦後」、即ち冷戦が終焉するに従って別ルートを歩むことになります。
ドイツの歴史を研究する野田宣雄氏は、『二十世紀をどう見るか』の中でこう書いています。
「だが、実際には、冷戦の終結を境として、日独両国は決定的に異なる道を歩みはじめるようになったと考えた方がよい。(略)
統一後のドイツが明らかに『中欧帝国』形成の道を歩もうとしているのにたいして、日本には、東アジアで『帝国』を形成しようとする意志もなければ、そのための地政学的あるいは歴史的な条件も乏しいからである。
結論を先にいえば、ヨーロッパにおけるドイツと同様に東アジアにおいて『帝国』を志向しているのは、中国であって日本ではない。(略)
もちろん、ドイツのめざす『中欧帝国』と中国が志向する『中華帝国』とでは、その内容も性格も大いに違う。
しかし、重要なのは、地域の中心部における『帝国』の建設にともなって、周辺の諸国家が深刻な影響を受けるという点では、ヨーロッパも東アジアも同じだということである。(略)
その意味では、現在の日本がおかれている国際的な位置は、ヨーロッパにおけるドイツのそれよりも英、仏、伊といった諸国のそれと比定すべきであろう。」(前掲)
トッドもまた、こう書いています。
「ドイツはもうひとつの世界的な輸出大国手ある中国と意思を通じ合わせ始めている。
果たしてワシントンの連中は覚えているだろうか。
1930年代のドイツが長い間、中国との同盟か日本との同盟かで迷い、ヒトラーは蒋介石に軍備を与えて彼の軍隊を育成し始めたことがあったことを。」
そして致命的なことに、この時期、米国は覇権国から退場しようとしています。
再びトッドです。
「今日まで、この危機におけるアメリカの戦略はドイツに追随することだった。
そうしていれば、アメリカはもはやヨーロッパの状況をコントロールしていない、ということが露見しないからだ。
こんな体たらくのアメリカ配下の国々がそれぞれの壊でおこなう冒険的行動をもはやコントロールできず、むし是認しなけれぱならない立場のこのアメリカは、それ自体として一つの問題となっている。」(前掲)
ヨーロッパにおける「ドイツ帝国」の復活、そしてアジア大陸における「中華帝国」の復活、そしてこのふたつの新たな帝国圏の同盟が現実になろうとし、米国は退場しつつあるように見えます。
前回イヤな予感がしたんだよなぁ。「結果として解放となった」と書くと、絶対に常連さんから総スカン食うと思っていましたもん。
そうそう、「大東亜戦争」という表記は日本の歴史的呼称であって、それ自体は価値判断を含みませんので、念のため。
さて、まず私のスタンスですが、あらかじめに設定された原理主義的見方を排除します。
それは単に左翼方向に対してだけではなく、私と親和性が高いはずの保守の方に対してもです。
理想は必要ですし、理念なき行為はありえません。
だからこそ、理念・原理で大戦を見ると、たった一行で終わってしまいます。
<白人帝国主義vs唯一の有色人種独立国日本>です。
もちろんこれを説くとなると、一冊の本、いや全集が必要なことはいうまでもありません。
ですから、あえて置きます。
「いったんは」というのは、そこから入らないというだけで、原理的な主義主張も当然視野にいれねばならないからです。
そうでないと、ただの政治力学主義になってしまいます。
簡単に大戦について書いておきます。
まず、<戦争目的>を明確にすべきです。
そもそも戦争は外交が破綻したときに取られる、国際政治の非常の手段です。
したがって、<戦争目的>は外交によって得られなかったものを、戦争によって回収することです。
これが定まらないと、<戦争戦略>、あるいは戦争計画が立てられません。
原理的には、<戦争目的>とすべきは「アジアの解放」以外なにかありますか。あるはずがありません。
日本はアジアにおける唯一の有色人種独立国(タイがありますが、そんな国力はありません)として呻吟した歴史があって、その中からアジアの植民地同胞を解放する義務に目覚めたのは、事実です。
ならば、この主題を真正面から戦争の冒頭に大きく掲げるべきでした。
ただし、これを掲げるとアジア全域の植民地すべてを日本が独力で解放せねばならなくなります。
事実、それに近いことになって、日本は国を滅ぼしました。
ところが日米戦争開戦において日本が掲げたのが、なんと「自存自衛」でした。言い換えれば、自国の存在の防衛のためだ、というのです。
これなら、全方位と戦争する必要はなくなるはずでした。
当時、政府と軍がなんと言っていたのか、検証してみましょう。
開戦当時の外相であった東郷茂徳(※)は、開戦直後の1941年12月16日にこう衆議院で演説しています。※誤記しましたので訂正しました。ありがとうございます。
「(米英政府の蒋介石政権への援助を)容認することが如きことがありせば、帝国は支那事変(※日中戦争の日本側呼称)4カ年にわたる建設的成果を犠牲とするのみならず、帝国の生存の脅威せられ、権威を失墜する」
これが、日本の外務省が作った開戦理由です。
この演説で東郷外相は、5つの開戦事由を上げています。
①重慶政府(※蒋介石国民党政府)への米英の援助
②米国の資源輸出の禁止などの経済封鎖
③日米交渉の破綻
④米英による包囲網
⑤米英への国際社会の屈従
この東郷の演説から4年余で国を滅ぼした戦争の、国民と国際社会に向けたメッセージとしては、余りにも貧弱で、何を言いたいのかすらはっきりしません。
①から④までは、すべて外務省の対米交渉が不調だったことを、ひたすら愚痴ったものにすぎません。
②の対日石油輸出の禁輸は、日本の南部仏印(※現代のベトナム南部)進駐という武力進出に対しての米国の制裁が原因ですが、 これでは「米国の制裁に対して戦争をする」という一国的理由しか読み取れません。
本来、ここで掲げるべき「アジアの解放」はひとことも登場しません。
同じくもうひとりの当事者である、大本営の戦争目的についての発言を見てみましょう。
大本営政府連絡会議(1941年11月20日)におおける、占領予定の東南アジア地域の欧米植民地の処理です。(出典「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯5」)
●「南方占領地域行政実施要領」
第一 方針
占領地に対しては差し当たり軍政を実施し、治安の回復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。
占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に定めるものとす。
ここにも「アジア解放」のひとこともありません。
あるのは、「資源の急速獲得」であって、 「植民地の最終的帰属、将来は別途処理」という言い方で、植民地解放はあいまいにしています。
植民地の資源を押さえればいいのだ、日本の植民地として残すか、独立させるかは後から考えよう、ということです。
おいおい、「アジア解放」ならば、そこから発想しろよと思います。
外務当局は、外交の失敗のツケをまわし、大本営は資源確保しか言わない、残念ですが、これが大東亜戦争の開始の実相です。
それでは、東郷が開戦の原因とした、②④の「米英の包囲網」はどうでしょうか。
東郷によれば、「この包囲網は米国、英国、中国、オランダが参加していて、日本に資源や原油を輸出させないようにして、オレたちを締め上げているんだ。だからこれを軍事力で突破するんだ」ということです。
結論から言いましょう。ただの幻想です。いかに当時の政府と軍が視野狭窄に陥ってテンパっていたかを示すものでしかありません。
なぜなら、輸入資源は枯渇していませんでしたから。
閉ざされていたのは、唯一米国から輸入だけなのです。
ウソをつけ、日本は米国から原油を禁輸されて干上がっていて、これ以上制裁されたら自慢の海軍も動かなくなるのを恐れていたんじゃないか。
残念ですが、違います。原油も資源も、米国ルート以外に別に存在しました。
それがオランダ領インドネシアです。当時の言い方で「蘭印」です。
実はあまり知られていませんが、日本は蘭印と2回にわたって資源交渉をしています。
1940年11月、つまり開戦1年前に日本はオランダ領インドネシア(蘭印)と、資源をめぐる貿易の交渉をしています。これを「日蘭会商」と呼びます。
オランダは日本の要求をほぼ丸飲みしています。「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯4」によれば以下です。
日蘭会商
・生ゴム ・・・2万tの日本側要求に対してオランダ側回答1万5千t 75%
・錫・錫鉱石・・・同3千t 同3千t 100%
・パーム油 ・・・同1万2千t 同1万2千t 100%
・ボーキサイト・・・同40万t 同24万 60%
このような正常な貿易が成立しているにかかわらず、日本側から交渉を打ち切ってしまっています。
では当時、蘭印はどのような立場にあったのでしょうか。
オランダ領東インド - Wikipedia
この日蘭会商のあった半年前の40年5月に宗主国オランダは、既にドイツによって侵略を受けて亡命政府となっていました。
蘭印はこの亡命政府の下に入ったのですが、いかに弱い立場かわかります。日本包囲網など夢想もしなかったはずです。
英米が蘭印に圧力をかけ不調に終わらせようとしたことは事実ですが、英国がこの交渉に圧力をかけた理由は、日本を経由して戦略物資の天然ゴムなどがドイツに渡ることを恐れたからです。
こんなことにまで三国同盟の悪しき影響が出ています。
結局日本側は、この日蘭会商が不調だからという理由で、世界で誰も言っていない「ABCD包囲網」というイリュージョンを妄想し、その一角にオランダを位置づけてしまいました。
ちなみに、このオランダ領インドネシアこそ、当時世界有数の産油地帯で、その中心のパレンパン油田だけで、日本の1年間の石油消費量を生産したほどです。
パレンバン - Wikipedia
極論すれば、ここだけ押さえれば他に何もいらないのです。
ただし、ここは当時、蘭印全産油量の74%を英国系資本が、残りの26%を米国系スタンダードオイルが支配していました。
米英両国は、蘭印に対日石油交渉を引き延ばし、契約の量と期限を制限させる圧力をかけていました。
また、日本軍進入の際は、全ての石油備蓄と精油所・油井を完全に破壊するということも、蘭印に命じていたようです。
結局、この圧力に屈して日本はこの日蘭会商から撤退してしまいます。
後に日本軍は1942年2月に精鋭のパラシュート部隊により確保しています。
本国が亡国の淵にあって根無し草状態だった蘭印と、事を構える必要があったのか、はなはだ疑問です。
軍事力を背景にして外交的に処理できる案件であって、日蘭会商を粘り強くつづければ、原油は充分に入手可能だったのです。
仮に軍事力を最小限行使するなら、この交渉決裂時のスタンダードオイルの油井に限定した確保です。理由は「米英の破壊工作からの予防措置」です。
蘭印が原油を売れば、兵を直ちに引き上げればいいのです。
当然、米英は怒るでしょうが、戦争事由にはなりません。
まぁ、それならばそもそも仏印進駐などせねば、米国の制裁を回避できたわけですが。
ここまでさかのぼると、第2次上海事変以降の日本の対中政策の失敗が問題となってくるので、キリがないのでここで止めることにします。
というわけで、後の東南アジア諸国は、とりあえずクールに突き放して見て下さい。日本が原油を得れば、後はどうにでもなるのですから。
当時の独立勢力に裏から支援するなりなんなり、やりようはいくらでもあります。特にフィリピンなどはなんの資源もありませんから、侵攻する理由がありません。
フィリピンは米国領でしたから、ここへの侵攻は米国にとって開戦事由足り得ます。
そもそも、資源獲得が戦争目的ならば、なぜ米国と戦端を開いたのでしょうか?
政治的に敵対関係にあったのは事実ですが、やりようはいくらでもありました。
米国を敵に回したのは下策の極みです。
ルーズベルトとチャーチルが対日戦を熱望していたのは有名な史実ですが、きっかけがなければ開戦できません。
ですから、挑発に乗らず脇を締めてきっかけを与えなければよいのです。
真珠湾攻撃という世紀の愚作を止め、フィリピンさえ攻撃しなければ、米国の日本に対する開戦理由は消滅します。
英国や中国は米国に泣きつくでしょうが、放っおけばいいのです。
しかも真珠湾攻撃という投機的作戦に、みごとに失敗してしまいます。
え、大成功ではないかと。
とんでもない、あそこで沈んだのは老朽戦艦ばかり(後に引き揚げて復活)、空母はおらず、軍港施設は丸ごと残りました。
日本海軍の全員教官クラスの熟練の操縦士の見事さ、極北の海上ルートを大艦隊で隠密に航海した海軍将兵の熟練度に対しては、称賛以外の言葉はありませんが、真珠湾攻撃そのものが無意味でした。
結局、開戦したくてたまらなかったルーズベルトに開戦の口実をあたえたにすぎなかったからです。
つまり、資源だけを見れば、蘭印さえ押さえればいいのであって、日米戦争は不要どころか、せっかく蘭印で獲得した資源を日本に輸送できなくなるという意味でも、下策の極でした。
原油や鉱物資源が、ことごとく米潜水艦の餌食となって沈められたのは、ご承知の通りです。
日本は民間船舶のほぼすべてを、この海上ルートで失いました。
軍事的解決を考えたのなら、なぜ輸送まで考えないのか、なぜ海上護衛を発想していないのか、いかにやっつけで日本が戦争に突入してしまったのか分かります。
しかも、資源輸送のみならず、広大な太平洋に兵隊と航空機をばらまき、その上やらなくていい米豪遮断作戦などに手を出してしてしまいました。
結果,ガダルカナルを日本海軍航空隊の墓場にし、孤立した島への増援はできず、餓死者が続出しました。
日本軍兵士は銃弾に倒れた数より、餓死とそれによる病死が上回るという説すらあるのです。
最後には、戦闘艦のはずの潜水艦や駆逐艦に米俵を積んでのネズミ輸送に頼る始末です。
話になりません。ロジスティクをまったく考えずに、戦争をした罪は重いのです。
当時のエリートたちの、吐き気がするほどの無能さに歯ぎしりしたくなります。
作演出はメチャクチャ、役者は超優秀、これが当時の日本軍です。
思えば、世界最低の日本の学歴エリートと、世界一の現場力というのが、いまに至るも日本の宿痾です。
もうひとつの「戦争目的」だったアジア解放ですが、開戦という絶好のタイミングをはずして、ようやく大きく掲げだしたのは、もはや戦局が確実に日本敗北に傾いた1943年の大東亜会議あたりからでした。
大東亜会議 - Wikipedia
シンガポール陥落時期あたりでやれば、まったく様相は違ったはずです。
このように俗にいうABC包囲網などは、被害妄想であって、ひとつひとつ個別の国のパーツに分ければ、外交的手段、ないしはミニマムの軍事行動で解決可能なことを、あえてひとつにして四面楚になったと思い込み、頭に血が昇って自滅したのが、わが国です。
大戦は避けることが可能な戦争でした。
山路さん。私は当時に生きていたら、できる限りの知恵を絞って戦争に突入せぬ道を探ったことでしょう。
それでもなお、力及ばず戦争に突入したら、兵役に就きます。それが仮に「犬死」だとしても、です。
なんどもいいますが、あの大戦は回避可能でした。アジア民族の解放も、軍事侵攻以外の方法で可能だと思っています。
しかし、いったん戦端をこちらから開いた以上、その大義であるアジアの解放をなぜ全面に掲げなかったのか、その曖昧さに腹がたつのです。
アジアの解放を信じて散った将兵は大勢いました。
それは後の東南アジア住民の証言からも明らかです。
英霊に報いるためにも、私は開戦当時の政府・軍中枢を許してはならないと思っています。
彼らは裁かれねばなりません。それは敗戦責任という、国民に対する罪です。
もっとも強く敗戦責任を感じられておられたのが、昭和天皇陛下でした。
そしてもっともそれから逃れようとしたのが、当時の政府と軍の指導者たちの戦後でした。
本日は2本立てです。メーン記事は、同時にアップした「復活するドイツ帝国」の続きです。
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名無しさんから、「今回の安保法は違憲だから従う必要がない」、とのコメントをもらいました。
初めコメント欄に書きましたが、記事に移しかえます。1日2本ですが、まぁいいか。
ほー、つまり、「国民によって政党な手続きを経て選ばれた議会が可決した法律でも違憲なら従う必要がない」、ということをですね。
そりゃまぁ、また政権交代して民進党と共産党が政権をとったら理論的には可能です。
ただ、この人の言うことは多少違うようで、<違憲の法律⇒自衛隊員が抗命⇒裁判で違憲として政府が敗北⇒白紙撤回>というプロセスだそうです。
ではそもそも「違憲」というこを、誰が決めるのですか。
憲法学者がそういったからですか?
はたまた、国会前の人たちが叫んだからでしょうか?
なんのことはない、おそらくそれはあなたが反対だからにすぎません。
こういうことを、個人の恣意・主観と呼びます。
国会で審議して通過すれば、法律です。あたりまえでしょう。
でなければ、日本は法治国家ではありません。
いったん成立した法律を違憲を理由に覆すには、それなりに大変なのです。
あなたが気楽に書くように、「間違いなく違憲判決をする」なんて、その確信はどこからくるんでしょうね。不思議です。
まず、内閣法制局が合憲判断をしました。
私はこのような官僚が違憲立法審査をするのはおかしいと思っていますが、現状では審議される法律が違憲かどうかを判断するセクションは法制局しかないので、しかたがありません。
法制局は合憲判断をしました。気の毒ですが、これで決まりです。
つまり、法制局がお墨付きを出し、国会が2院とも可決したら、民主的手続において法律として成立する要件を充たしていますから、お終いです。
あなたは「自衛隊員が抗命したら」といっていますが、その場合、自衛隊の警務隊に拘束されて、解雇されます。
それで終わりです。
このような隊員がないとは言いません。
共産党は隊内のパワハラや待遇改善の窓口をも作っていますから、隊内にシンパをもっている可能性は充分ありえるからです。
しかし、私の知る限りそのような「反戦自衛官」は全体で3名いたらめっけもんのウルトラ極少派ですから、一般隊員の支持は受けられないでしょう。
隊員がパワハラ自殺したというような事件ならともかく、このような政治的なことで、広い共感を得ることは無理だからです。
大昔70年安保の頃ですが、某過激派に属していた小西某が、反戦自衛官として「決起」しました。
後に、小西某は党派活動家として運動し、やがてそこからも除名され、あまり幸せとは言い難い人生を迎えます。
また通常の世界の軍隊は、軍内部の規律違反に関しては独自の法体系(軍法)と、裁判組織(軍法会議)を持っています。
しかし、自衛隊は「半分軍隊」のために持たされていません。
ですから、さらに不服なら地裁に、解雇不服で提訴することも可能です。
ただし、先にも言いましたが、そのようなハネた隊員に対して、元同僚の見る目は険しいはずです。
というのは、この安保法制を審議する段になって、左翼勢力は急に自衛官の命を心配し始めましたが、それを心底バッカじゃないか、と思っているのが当の自衛官だからです。
いままで散々差別の限りを尽くしてきたのに、いまダシにつかえるからと勝手なことを言うな、それが自衛官の最大公約数的意見です。
ご都合主義もいいかげんにしなさい。
しかしがっかりしないで下さい。地裁は大津仮処分判決のような裁判官のような人もいますからね。
つまり、その裁判官の「自由心証主義」によって決定されますから、芽がないわけではありません。
しかし、上級審で、このような現行法を否定する判決を期待するのはお止めなさい。
ではさらに、違憲立法審査権をとりあえず与えられているのは、最高裁判所でしょうか。
99%最高裁は訴えを却下します。
というのは、統治行為に関わる判断に関して介入しないというのが、最高裁の基本方針だからです。
私は、「違憲立法審査裁判所」のようなものを最高裁とは別に作るべきだと思いますが、それも改憲する必要があります。
ては、そこまで徹底して憲法を守りたいのなら、9条2項に従って自衛隊そのものも否定し、集団的自衛権の行使である日米安保も否定すべきです。
結果、自衛隊がない状態など国民の9割は冗談じゃないと思うでしょうから、「日米安保なき自衛隊」ということになります。
そうなった場合、日本は自立した独立国として自己保全するためには、核武装まで視野に入れた独自軍備の増強をするしか選択肢はないと思われます。
ここまで考えない憲法原理主義は、軍拡を招きかねない危険な発想なのだと、いいかげん気がつくべきです。
ここに戦争で大敗した国が二つあります。
ひとつは言うまでもなく、わが日本、そして日本を戦争に引き込んだ当事国である、ドイツです。
戦った戦争もまったく異なっていました。
ドイツの<戦争>は、ヒトラーというモンスターによるヨーロッパ全域の侵略と、そしてドイツ系ユダヤ人という自国民の大量虐殺でした。
1943年のワルシャワのゲットー(ユダヤ人隔離地域)。ユダヤ人の一般市民を追い立てるナチス親衛隊。
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/archive/20110127
前者の侵略の過程で数々の戦争犯罪を犯しましたが、後者のホロコーストがあまりにも大規模、かつ、残忍だったために帳消しになってしまったほどです。
ドイツは、ユダヤ民族を消滅させた後には、ロマ(ジプシー)を消滅させ、次にはポーランド人も地上から消し去る計画を持っていたのですから、背筋が凍ります。
一方、日本の<戦争>は、白人植民地国家と、その力に頼った中国との真正面からの殴り合いでした。
フランス領インドシナ(ベトナム)における日本軍
ニュールンベルク裁判においてドイツの将官たちは、「自分たち国防軍は、あくまでも一般的戦争を戦っただけであって、ヒトラーと親衛隊のようなまねはしていない」と、無罪を主張しました。
この言い方のひそみに習うと、日本は東京裁判でこう主張すべきでした。
「日本軍は、あくまでも一般的戦争を戦っただけであって、ナチスドイツのようなまねはしていない」
このように、日本とドイツはまったく異なった戦争をしたのであって、同列に並べること自体が誤りです。
念のために申し添えますが、私は日本によるアジア植民地解放は、あくまでも結果にすぎないと思っています。
日本はドイツのような壮大な「生存圏」構想は持ちませんでしたが、エネルギーと資源確保のための「自存自衛」のために、東南アジア圏に侵攻したのです。
経済封鎖され、資源が底をつき、資源確保が戦争目的なはずにもかかわらず、戦線を拡大し続け、資源と兵士の命を乱費した愚かさには、舌打ちしたくなります。
結果として、民族独立を求めるアジアの人たちと、一時的に利益が共通していたにすぎません。
ですから、「アジアを解放した」という保守の一部に見られる言い方には、自分にとって都合のよい部分のみを見ているように、私には感じられます。
これについては、そのうち機会があれば詳述します。
それはさておき、日本はドイツと「同盟」(なんの実益もありませんでしたが)を結んだというただそれだけの理由で、戦後の長い時間を生きねばなりませんでした。
さてドイツが取った戦後の「処世」は、このようなものです。
①もっとも強い復讐心に燃えるロシアに対しては、東半分の国土を属国として提供する
②もっとも強い糾弾者であるポーランド、チェコに対しては、平謝りする
③もっとも強い怒りを持つユダヤ民族に対しては、永遠の懺悔をする
④ドイツの近隣国であるフランスなどとは、和解する
⑤最大の交戦国だった米国には平伏して、NATOという拘束衣を着せられて、同盟国に変身することを許される
ではこれになぞらえれば、日本の戦後はどうだったでしょうか。
①もっとも強い復讐心に燃える中国に対しては、平謝りして巨額のODAをむしらり取られる
②もっとも執拗な糺弾者である韓国に対しては、平謝りして巨額の経済支援をむしり取られる
③最大の交戦国だった米国には平伏して、日米同盟という拘束衣を着せられて、同盟国に変身することを許される
当然のことながら、ドイツの③に当たるものは、日本にはありません。
ないからこそドイツは「永遠の共犯者」を求めて、中韓に次ぐ反日常習国となっています。
それはさておき、日本にとっての米国、ドイツにとってのフランスとどうして和解できたのでしょうか。
ハッキリ言って、どっちもどっちだったからです。
独仏二国は常に歴史的に戦争をくりえかしてきた仲で、第1次大戦ではドイツが負けてフランスに巨額な賠償金を支払うことを命じられた結果、その怒りからナチスを生み出すことになりました。
そのことについてフランスは、戦争馴れした大人ですから理解していました。
そしてドイツとフランスは、ドイツを新たな拘束衣であるNATOに組み込むことで、完全な和解を果たしたのです。
長くなりましたので、次回に続けます。
本来は「ドイツ帝国」の続きを書きたかったのですが、「大学でていないだろう」とまでいわれましたんで、先にこちらから(苦笑)。
HN歩兵部隊グアム移転さん。(長いので以後HNグアム移転と略記)からコメントをもらいました。
彼とのやりとりに関心ないかたは、波線から下からどうぞ。
いきなりこうかまされたので、びっくりしました。
「タームさんが不憫です。管理人さんは大学を出ておられない?
山の付く人たちも。」
私はこのブログを初めてそろそろ7年になりますが、「お前は大学をでていないだろう」と言われたのは初めてです。
いやー、ボク、資本論ゼミっすよ。全3部を完読したのが青春の自慢っす(爆)。
HNグアム移転さんにご忠告しますが、さぞかし大秀才であられるのでしょうが、普通、社会ではそんなことを口走ったら、その瞬間、その御仁は負けたようなもんです。
あとでそんなつもりじゃなかったと弁明しても、自分の論理展開の不十分さを、「学歴」で補強しようとする権威主義者と見なされます。
特にネットでは、学歴書くバカはいませんから(まれにいて嘲笑されますが)、いわばシャバでしか通じない学歴や勤め先を自分の論理を補強するために用いることとなって、ネット言論空間ではそれだけでレッドカードでしょう。
わきまえがありません。初歩的社会常識が脆弱だ、といわれても仕方がないでしょう。
次に、HNグアム移転氏はこう書いています。
「原理、原則論、理論、理屈を徹底的に(理想論だ、机上の空論だといわれようと)真っ直ぐに突き進めていく。
そうすると不都合が出てくる。管理人さんのいう「現実を見ろ」ですね。
そこで初めて、原理、原則論を曲げて「現実」にあわせていく。
曲げてもいいのか。
曲げていいならどこまで曲げていいかを議論する。」
そしてこれは「科学」だそうです。なんの科学かと思ったら、「社会科学」だそうです。
「社会科学」という括り方は、もはや死語同然です。
現実の知の世界では、互いに乗合と変容が進行していて、こんな前世紀の概念規定をいまでも振り回しているのは、某左翼政党程度とその取り巻きの世界の中だけです。
某左翼政党には未だ、「科学的社会主義」という19世紀の概念が生き続けています。
この人たちにとって、「科学的見方」とは一般的な科学ではなく、「このように社会を見ることが正しい」「こう社会はあるべきだ」という<当為>のことだからです。
かみ砕いて説明します。
たとえば、ここに本があるとします。
一般的には、「ここに本がある」と考えるだけで、このような「本でなければならない」とは言いませんね。
しかし<当為>の世界に住む人はそうは考えません。
この本は「こういう内容でなければならない」、あるいは「こういうことを書かねば本足り得ない」などと言い出します。
この<当為>という聞き慣れない概念は、独語のSollen(ゾレン)を邦訳したもので、英語のshallに該当します。
これに対する語は、独語はSein(ザイン)で、英語のbeにあたります。
<当為>は観念哲学や法律学の概念として日本に輸入されたために、いまでも観念哲学的発想の人は、社会を「こうあるべきだ」と断定して怒ったり、泣いたりしています。
一方、自然科学系の物理学などや、生ものの経済を扱う経済学や、これまた流動する国際社会を研究する国際関係論では、後者のザイン、つまり「こうある」という見方に立ちます。
そりゃそうでしょう。地球物理学者が「こうあるべきだ」という先見的な立場で、現象を解析されたら、たまったもんじゃありません。学問になりません。
某左翼政党は、「科学」と言いながら、本来その中に混ぜ込んではならない当為である「法則」を持ち込みました。
法則とはこの場合、「科学的社会主義」が教える「べき論」の教条(イデオロギー)です。
複雑な経済学や歴史学にもマルクス主義者は、この「主義」を「科学」の名の下に堂々と持ち込んだから困ります。
日本の戦後の東大で教える経済学とは宇野マル経であり、法学は宮澤憲法学であり、政治学は丸山政治学のことであり、国際政治学は坂本義和であり、そして歴史学といえば石母田マルクス主義歴史学でした。
いわば戦後日本の官学の「社会科学」は、ほぼすべての分野がマルクス主義の強い影響下にあったのです。
日本のエリートが薄ら赤くなって当然ですね。
たとえば、キャリア組外務官僚だった加藤紘一氏は、後に防衛庁長官となり、自民党幹事長にまでなりますが、東大生の時の60年安保では国会に突入したのはいいが、逃げ場を失って父親の部屋に飛び込んだという笑い話があるそうです。
それはともかく、「社会科学」のマルクス主義支配が、いかに日本の文系を歪めたのかは、知る人ぞ、知るです。
この人たちは、社会はこう「あるべき」で、それはあらかじめ決まっていると考えますが、あいにく、現実は往々にして思う通りに進行してくれません。
その都度、それは「進行しない方が間違っている。何か政府は隠しているはずだ」となります。
今回のこのグアム移転もそうです。「グアム移転せねばならない」という当為、あるいは願望を「科学の原理原則」だと前置して、そこから演繹してしまいます。
お気の毒ですが、米国も日本政府もそんな彼らの思惑とは別の世界に生きていますから、その都度裏切られては、「いやグアム移転計画はある」「こう書いてあった」と叫ぶことになります。
「べき論」を「ある論」と混同した空回りです。
~~~~~~~~~~~
http://sher.militaryblog.jp/ たまにはこういう写真もいいのでは。
さて、気を取り直してHN「グアム移転」さんの言うことについて検証して見ましょう。
以前、この人はこう書いています。
「タームさんの言われるように、2012年に米軍再編計画の見直しがあり2006年合意とは、まったく異なった内容となっています。
グアムに移転する予定だった部隊も変更となり、歩兵部隊(第4海兵連隊)がグアムに移転することが日米合意されています。」
もう何回も書いてきたことなので、正直言ってまたか、という脱力感があって、答えませんでした。
米海兵隊の一部撤退計画は、おっしゃるとおり、確かに「生きて」います。
ただし、ペーパーの上だけ「生きて」いるだけです。
なによりの証拠に、現実に2012年に、この人が言うように「第4連隊はグアムに撤収」しましたか?
していたら、おめでとう。海兵隊段階的削減論者の私もうれしい。
しかし現実には、米国は06年合意をした後も10年に取り下げ、その後の12年撤収もフェードしました。
なぜなのでしょうか?少しはその意味を考えたらいいと思います。
つまり、はっきり言って、米国側は「海兵隊の移転」をそんなに大きなこととして考えていないということです。
米軍の世界再編計画はありますが、それは予定どおりに進行しておらず、その都度ウォッチせねばならない水物なのです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-09/2012020901_01_1.html
上図は、反基地派の情報ソースである共産党機関紙「しんぶん赤旗」(2012年2月9日)のものです。
ここでも「グアムを海兵隊の戦略的拠点にする」「沖縄には海兵隊1万人を残す」という12年当時の米軍方針を正しく使えていますが、結論が飛躍します。
「グアム移転の「条件」にしている普天間「移設」の進展から切り離し、先行して進めることについて、「公式な協議を開始した」としています。」(同上)
これは、「早期に米海兵隊が撤収せねばならない」という、<当為>が混入しています。
「普天間の移転は2020年前半だから、それまでに移動するぞ」という願望にすぎません。
本当にそうなるかどうかは、神のみぞ知る、です。ここでいう「神」とは国際社会の情勢です。
ぶっちゃけ、トランプという「衝撃的なほどの無知」(米紙の表現)が大統領にでもなれば、8千人の海兵隊移転どころか、日米安保が丸ごとどうなるかわかったものではありませんもんね。
念のために押さえておきますが、HN「グアム移転」さんのように、「第4連隊のグアム移動」なんて書くと妙に盛り上がりますが、しょせん連隊の本部が移転するだけです。
本部というのは実戦部隊ではありません。ヘッドクォーター(HQ)、つまりエライさんと幕僚とその事務官たち、及びその家族にすぎません。
https://twitter.com/mcipacpao/status/6418299021367...
それも連隊レベルです。第4連隊の上部組織である第3海兵遠征軍も、第三海兵師団も動く気配がありません。
もし、本気で動くのなら、師団司令部の撤退計画が出て、段階的に実施されているはずです。
しかももっと本気なら、日本側の同意なんぞ関係なく、どんどん自分から沖縄を撤収していきます。
そのていどには、米軍はミーイストで身勝手なのです。
ですから、これは米国側のポーズでしょうね。「日本側に妥協してやったぞ」という貸しを日本政府に与えたかったのです。
こういうことを、政治用語でマヌーバ(眼くらまし)と呼びます。
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/570d3a2b9028ec235dc1ac8390889678
第2に、この人は米国の海兵隊を自衛隊と一緒にしています。
陸上自衛隊は、一回駐屯地を構えるとジッとそこにい続けます。
米海兵隊は、基地のことをキャンプシュワブみたいに、「キャンプ」と言いますね。
この「キャンプ」とは、文字どおりキャンプです。あの夏休みにやるキャンプですね。
ずっといるのではなく、「出ていくかもしれない」という含みがあるのです。
だから、キャンプハンセン、シュワブは単なる「本籍」です。
「沖縄海兵隊」と言っても、グルグルとローテーションしているのは、常識です。
ある時は沖縄,ある時はフィリピン、ある時はアフガンというふうに「現住所」は変わるのです。
http://www.jiji.com/jc/v2?id=20100414us_marine_cor...
元々、海兵隊は陸軍と違って機動軍ですから、俗に「沖縄海兵隊」なんていっても、定員1万8千(1万2千~1万3千説あり)がじっと沖縄にいることはありえません。
沖縄基地所属というのは、ただの「本籍地」でしかないのです。
「現住所」は、クルクル変わります。
ですから、シュワブの海兵隊は、いつも定員の半分ていどしかいません。常にどこかに行っていて、1万人以上いることは稀です。
なんのことはない、「グアム移転」後の兵員数と一緒じゃありませんか(笑)。
つまり、海兵隊「グアムに一部移転」しようがしまいが、ほんとうのところは、米国にとってどうでもいいことなのです。
仮に「グアム全面撤収」となっても、基地施設は残すつもりですから、常に一定数の連隊規模の兵員はローテーション・シフトでシュワブにいることになります。
ですから、こういう書き方をすると身も蓋もありませんが、いつもいるわけではない海兵隊の、しかも事務方と家族を「グアム移転」して見せて、「ほら、こんなに日本政府の負担軽減に協力していますよ」という慰撫策にすぎません。
まんまとそれに引っかかっているのが、基地反対派だというのも皮肉ですね。
さて、トランプがかなりの確率で大統領になりそうです。その場合、日米同盟は鳩山氏以上のすさまじい大打撃を受けます。
初めて、日米安保が一方的廃棄されることに、直面することになったのですから。
私はその場合、初めて改憲を国民に投票で問うべき事案が発生したと思っています。
NATOが出てきましたから、その中軸国であるドイツについて、少しお話してみたいと思います。
でできるだけ平明に書きますので、おつきあいください。
ドイツは既に<ドイツ帝国>となっている、それを初めて言ったのは、フランス人のエマニュエル・トッドでした。
トッドは、ドイツが<帝国>化しており、いまや東欧、南欧を飲み込み、フランスを「金ぴかの檻に閉じ込め」(トッドの表現)、さらには中国と同盟を結ぼうとしていると指摘しています。
『ドイツ帝国が世界を破滅させる』という本の中でのことで、やはり薄々ドイツ帝国の復活を感じていた世界の人々に衝撃を与えました。
この本の中で、トッドは要約すれば、こんなことを書いています。
「ドイツは帝国化している。は東へ東へと膨張している。ロシア嫌いのポーランド、バルト三国、スウェーデンは既にドイツ圏に入り、ウクライナもそこに入りたがっている。
他方スペインやイタリア、ギリシャといった国々はドイツのいうとおりににせざるをえなくなってきている。
イギリスとハンガリーはドイツ圏から抜け出そうとしている。」
1991年12月25日、奇しくもクリスマスの日にソ連は崩壊しました。これがすべての始まりでした。
その引き金となったのは、ドイツの再統一でした。
「再統一」というのは、1871年にドイツ帝国として統一していますから、分断を経て2回目という意味です。
看板「ここは、ドイツとヨーロッパが、1989年12月10日10時15分まで分断されていた所です。」Wikipedia
今思えば、ソ連崩壊というのは、パンドラの箱を開けたようなものでした。
人類は核戦争による世界破滅という悪夢から解き放たれた代わりに、民族紛争、宗教対立、内戦、難民、テロなどという災厄のデパートに直面することになります。
そしてもうひとつ、冷戦が集結することにより、これらに優るとも劣らない亡霊が目覚めます。
それが<ドイツ帝国>です。
冷戦はヨーロッパにおいては、<NATOvsワルシャワ条約機構軍>という構図で角を突き合わしていました。
ちなみにアジアでは、<日米同盟vsソ連・中国>となります。
冷戦終結後も米国は、NATOを維持し続けました。
日米同盟が継続されているのは、未だ中国という自称「共産主義国家」が残存しているからですが、ではなぜソ連の脅威が払拭されたはずのヨーロッパで、NATOが残されたのでしょう。
その理由は、集団安全保障体制を解体してしまうと、大戦前の複雑なパワーゲームが再び始まってしまうからです。
オレはこの国と枢軸を結ぶ、いやオレはこの国と同盟だ、という力のバランスを求めての紛争が、こんどは西側諸国内部で起こりかねなかったからです。
そしてもうひとつ。米国は絶対に本音をいわないでしょうが、<ドイツ帝国>の復活を極度に恐れていたからです。
東西ドイツの統合に成功したドイツは、独自の外交路線で米国と対抗しようとするに違いない、と米国は考えました。
そしてその力の裏付けに、核兵器を持つかもしれません。
ならば、NATOという名の集団安全保障体制の拘束衣がまだ必要だ、と米国は考えたのです。
ちなみに日米同盟にも、似たような要素があるのは、不愉快ですが事実です。
そう考えると、NATOには、二つの役割があったことに気がつきます。
ひとつはいうまでもなく、ソ連が率いる社会主義陣営から自由主義諸国を守るということです。
これが建前だとすれば、もうひとつは、二度と金輪際、ドイツによって世界大戦を起こさせないために、ドイツから個別的自衛権を剥奪してしまうことでした。
NATO条約第5条、別名自動介入条項は、ドイツが万が一戦争を単独で開始した場合、加盟国すべてによって自動的に制裁を発動される仕組みになっています。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-2d24.html
ドイツは独自の核武装も禁じられました。ニュークリア・シェアリングという核爆弾は貯蔵していても、コードを解除するキイは米国が握っています。
このようなNATOという安全装置をしっかりとかけて、米国は「ポストソ連」に備えたわけです。
ドイツはこの米国の思惑に、EUという新たなシステムで対応しました。
EUについて話だすと長いのではしょりますが、要はユーロの為替相場をドイツにだけ有利にするように仕組むことで、ドイツはヨーロッパ随一の輸出国になったのです。
その手口については下の記事をお読みください。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-42f1.html
そして、ヨーロッパ随一の経済的成功を勝ち取った後に、ドイツはひょっとしてEUは経済以外につかえるんじゃないかということに気がつきました。
ドイツが単独で何かを言えば、かつてのナチの悪行によって角が立つことでも、EUの名で言えば「ヨーロッパ全体の意志」となってしまうのです。
これなら、米国に対して一国で自立路線を走ったド・ゴール主義(ゴーリズム)の轍を踏むことなく、国際社会で大きな力を得ることが可能じゃないか、とドイツ人は思ったようです。
そしてこれは、米英というアングロサクソン圏に、ドイツが率いるゲルマン圏を対峙するという、伝統的なドイツの野望に沿ったものでした。
かくしてドイツは、冒頭にトッドが述べたように、東へ東へと「版図」を拡大することを開始します。
これはドイツのいわば本能みたいなものです。
第1次大戦の原因を作ったドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世もそうでしたし、悪名高いヒトラーも揃って東方志向でした。
ヒトラーなどは、東方はドイツ民族の「東方生存圏」(Lebensraum im Osten※)とまで言う始末で、ヨーロッパを征服した暁には、スラブ民族は全部奴隷にして、ドイツ人の植民地にしてしまうんだと妄想していたほどです。
※東方生存圏 - Wikipedia
トッドは、この「ゲルマンの東方拡大本能」を、EUという手段で、三度実現しようとされているのだと言っています。
トッドはこう言います。
「最近のドイツのパワーは、かつて共産主義だった国々の住民を資本主義の中の労働力とすることによって形成された。
つまり、とイツ経済のダイナミズムは単にドイツのものではないということだ。
ドイツ人の成功背、部分的に、かつての共産圏諸国が大変に教育熱心だったという事実に由来している。
いずれにせよ、ドイツはロシアに代わって東ヨーロッパを支配する国となったのであり、そこから力を得ることに成功した。
ロシアはかつて、人民民主主義諸国(注・社会主義諸国)を支配することによってかえって、軍事的コストを経済的な利益によって埋め合わせることが出来なかったからだ。
アメリカのおかげで、ドイツにとって、軍事的支配のコストはゼロに近い。」(『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)
それはトッドがこの本に掲載した、下図を見るとより鮮明になるでしょう。
約5億人を越える巨大な人口を、ドイツ圏は持つに至ったというわけです。
これがメルケル率いる、<ドイツ帝国>なのです。
「アジアでの集団的安保体制ではなく、日本もNATOのオブザーバーを抜けて正式加入では、だめですか?」とのことです。
メルケルさんが前回来た時に、安倍さんに「入んない」と言ったことで日本とNATOなんて組み合わせを、つい真剣に考えた人もいたかと思います。
すいません。結論から言いますと、意味がありません。
日本がNATOに加入することによるベネフィト(利益)はミニマムで、加盟することによる脅威はないでしょうが、「やりにくさ」は非常に増えてしまいます。
なんといっても致命的に、遠いのです。
安全保障の方程式というのを小川和久氏が唱えていて、<脅威=能力+意志>というものです。
<攻撃能力+攻撃意志>と言ったほうがいいかな。
これに<距離>を加えたらいかがでしょうか、と言うのが私の考えです。
<脅威=攻撃能力+攻撃意志+距離>です。
ちなみに、核保有国同士だとこれが、< 脅威=核報復能力+核報復意志>となりますので、距離は関係なくなります。ICBMは地球の裏側まで届きますからね。
仮にNATOに加盟しても、NATO軍が来援に来てくれるかどうか、怪しいものです。
NATO理事国で、尖閣諸島を知っているものなどゼロでしょう。
日本代表がいくら力説しても、「そんな岩礁をめぐって、中国と局地戦争をしたがるお前が悪い」と言われて、逆に「東アジアの緊張を増すつもりか」と怒られたりします(涙)。
つまり、日本を防衛する<意志>なんかミジンもないのです。
これが冒頭で書いた「やりにくさ」です。
なんやかんや言っても、ヨーロッパよりはるかにアジア情勢に精通している米国なら了解してくれることを、NATO理事会のお歴々が納得してくれるか、はなはだ怪しいもんです。
特に中国には英仏独が経済的利害関係を強く持っていますから、日本の立場なんて斟酌してくれそうにありません。
かつてのように植民地利害が絡まれば、がぜん関心を持つようになりますが、その海外植民地を根こそぎ「解放」してしまって、いまでも恨みを買っているのは、かく言うわが日本です。
大英帝国の崩壊も、フランス共和国の没落も、小規模植民地国家だったオランダの没落も、すべてやったのはうちの国ですよ。日本人は都合よく忘れているけど。
ドイツは、戦前、中国大陸に食い込む戦略を持って、蒋介石に入れ込んだ時期がありました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-2.html
その時の中独の仮想敵国は、もちろん日本です。
その後には、ヒトラーが日独伊三国同盟などという黒魔術で日本をたらしこんで、戦争に引きずり込もうとしました。
ヒトラーはウルトラ・レイシストですが、ありがたくも名誉白人として、ロシアと沿海州で戦端を開いてくれることを期待していたのです。
結局、日独同盟は、あまりに遠すぎて、潜水艦で行き交うだけがやっとで、まったく軍事的には無意味で、米国と緊張関係をつくっただけに終わりました。
というか、そんなこと初めからわかりきったことだろうって。
ドイツにだまされて日独同盟作った中心人物の板垣陸軍大臣、外務省を飛び越して駐日ドイツ大使館と直接連絡をしていた大島駐独大使(陸軍少将)、民間ではドイツの提灯記事を書き続けて煽りまくった朝日新聞などの頭の中には、絶対にオガクズが詰まっています。
それはさておき、第2の<能力>ですが、NATOには限定的な戦力投射能力しかありません。
NATOにおいて、英仏のみが空母や強襲揚陸艦などの戦力投射能力をもっていますが、あれは日本防衛に使うためのもんじゃありません。
ありていに言えば、彼らの残り少ない海外領土の防衛のために備えているだけで、米国に比較すれば大人と子供ていどの能力しか持ちません。
3番目に<距離>です。NATOには、能力と意志がないのは見た通りですが、それは<距離>によって絶対的に規定されているからです。
ヨーロッパ.は地球の反対側といっていい距離にあります。
ですから、日本はヨーロッパ諸国と彼らのお宝だった植民地をめぐって英仏蘭と戦争をしましたが、本国間の戦争は起きていませんね。
というか、遠すぎて戦争にならないんですよ。
逆に言えば、攻守同盟をNATOと作っても、遠すぎて機能しません。これは先に述べたドイツの例でわかるでしょう。
もしNATO諸国がインド亜大陸当たりにあったら、一も二もなく、「いれてくれぇ」でしょう。
というか、そんな近距離に西欧があったら、日本の歴史が変わっちゃいますがね。(笑)。
安全保障において、距離とは最大の物理力なのですよ。
日本がヨーロッパの難民問題や、クリミア問題にどこか他人ごとなように、ヨーロッパ人はアジアでなにがあろうと、知ったことではないのです。
上図は中国の貿易関係ですが、中国を最大の貿易相手国とする国が124、米国を最大の貿易相手国とする国が56です。
特に中国がヨーロッパと、強い貿易関係で結ばれているのがわかるでしょう。
ヨーロッパにとって、日本はなまじ同じ先進工業国であるだけに、多くの工業製品でバッティングする憎い競争相手であっても、いい顧客とはいえないのです。
一方、中国は気前のいい買い手であり、かつ安価な工業製品ですから競合関係になりにくい輸出国です。
フランスは中国にレーダーなどの武器を売り、イギリスはシティの利益のために、AIIBに真っ先には飛び込むわけです。
メルケルは中国にいれあげていて、何回訪中したかわからないほどです。
VWも危なくなると、中国が買うという話がすぐにささやかれるほどです。
どの国も自分の財布しか考えていない、そんなもんなのです。国際社会とは。
今月のサミットでも、ヨーロッパ勢にとって、南シナ海には上品に「懸念」を表明すしてくれるでしょうか、名指しはしないはずです。
ああ、夢がないが、仕方がない。
NATOは集団安全保障体制のモデルとして実に興味深いものですが、加盟などはできないし、しても意味がありません。
日本という国家の永年の悩みは、アジアに同盟国足り得る独立国がなかったことです。いまもそれは変わりません。
だから、戦前はロシアに対抗するために日英同盟を作り、戦後はソ連、いまは中国と対峙するために日米同盟を結ばざるをえませんでした。
かつての英国、そして現代の米国、共に時代の覇権国でした。
覇権国とハブ&ホイールの関係を結ぶことで、なんとか凌いできたわけです。
いま、その米国が大きなセットバック(後退)時期に差しかかっています。
さぁ、どうしたもんでしょうか。皆さんと一緒に考えていきましょう。
長くなりそうなので、今朝はこのていどで。
それにしてもこの間、ワタシのブログ、安全保障問題のブログみたいですね(苦笑)。特にそういうわけじゃないんですが。
円山さんはこう書いておられます。
「沖縄が中国に侵攻する、っていう捉え方には違和感を覚えます。」
「私も文章中に武力侵攻とは一文字も書いたつもりはないのですが」
日本はヨーロッパと違って近代において、「侵攻」されたことは一回だけですから、妙にナイーブなところがあります。
円山さん、「侵攻」とは武力侵攻のことなのですよ。「平和的侵攻」などという概念自体が存在しません。
押さえておきましょう。
「ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して攻撃を仕掛けて、その領土・勢力圏を侵す行為を指す軍事学上の用語」Wikipedia
危機感には濃淡がありますが、ひとことだけいえば、中国は歴史的に50年、100年のレンジで政治工作が出来る国家です。
ですから、「自発的に」沖縄から来るように仕向けていこうとしています。
私が描く最悪シナリオは、親中派の扶植⇒親中派による県政の掌握⇒先住民の高度の自治権要求⇒一国二制度要求⇒沖縄特別区⇒琉球共和国樹立⇒中国の属領化、です。
今は第2段階から第3段階の間という時期です。
ここで糸数慶子氏の提唱する「先住民の高度の自治権要求」が通れば、次の沖縄特別区要求に進むことになります。
ここまで来ると、相当に元に戻ることは困難になるでしょう。
ですから、今の時点が分岐点です。
円山さんとの議論はここで置きます。
さて、近代において、日本が受けたたった1回の「侵攻」とは、言うまでもありませんが、米国によるものです。
上の写真は空襲後の仙台市の模様です。 日本の主要都市は、例外なく焼け野原になりました。
本土空襲による市民の犠牲者は、広島、長崎に対する原爆の犠牲者24万5956人を除けば、約30万人とされています。
区役所まで焼けて戸籍が消失したために、市民の死者の正確な人数すら不明です。
そして全島が戦場と化した沖縄でも、市民約10万人が亡くなっています。
つまりわが国は民間人を、実に約64万人も殺されていることになります。
戦争は無法状態のことではありません。なにをやってもいいわけではありません。戦争にもルールがあります。
戦争においてやっていいこと、悪いことを取り決めたのが、1899年にオランダのハーグで採択され、1907年に改定されたハーグ陸戦規定(ハーグ陸戦条約・戦時国際法)です。
この条約には、交戦者の定義、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術、降服・休戦などが細かく規定されています。
こ第1次大戦までは、毒ガスなどの戦争犯罪はありましたが、かろうじてギリギリでこの戦時国際法は遵守されていました。
しかし、第2次大戦で、完全にやり放題となります。
なぜでしょうか。それは近代戦は国の総力を上げた戦いとなるために、前線と後方、あるいは戦地と国内の区別が消滅してしまったからです。
通常「後方」とは兵站地といってロジスティク拠点を指しますが、第2次大戦においては敵の国土そのものが「後方」だという考え方が生まれました。
米国は、日本には小さな町工場が都市部にたくさんあって武器の部品を作っているという理由で、これを爆撃することは「後方」を攻撃することだと正当化してしまいました。
これが、米国の「戦略爆撃」です。
B29による爆撃は、当初は軍事工場のみを狙った精密爆撃でしたが、後にそれでは効率が悪いと焼夷弾を無差別に都市部に投下する絨毯爆撃に変わりました。
焼夷弾はナパームやテルミットの油脂を詰めたもの で、それを撒き散らして木造家屋などを燃やしました。多くの無辜の市民が生きながら焼き殺されました。
日本人を最も多く殺したのは、この米国が開発した焼夷弾で、2番目はこれも米国が開発した原子爆弾でした。
1945年7月3日の姫路大空襲の焼夷弾による無差別爆撃http://blogs.yahoo.co.jp/digital_devil0611/11833235.html
これは明確に戦時国際法が定める、「非戦闘員の殺害」に該当します。
非戦闘員についての禁止行為の定義をみます。
「非戦闘員とは、軍隊に編入されていない人民全体を指し、これを攻撃することは禁止されている。また、軍隊に編入されている者といえども、降伏者、捕獲者に対しては、一定の権利が保障されており、これを無視して危害を加えることは戦争犯罪である。」
また、非戦闘員とその財産の保護の人道的保護は義務づけられていて、砲爆撃は軍事目標のみに限定されなければならないと規定しています。これを「軍事目標主義」と呼びます。
ハーグ陸戦条約は後に1977年にジュネーブ諸条約第1追加議定書で補強され、3ツの原則が決められました。
①軍人と文民、軍事目標と民用物との区別なき無差別攻撃の禁止
②文民と民用物への被害の最小化のための努力
③同一の軍事的利益が得られる2つの攻撃目標がある場合、文民と民用物の被害が少ないと考えられるものを選択する義務
戦時国際法が禁じる、非戦闘員への行為を整理しておきます。
①一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない
②軍事目標以外を攻撃してはならない
③不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならない
米国による空襲はまさにこの、①から③までの非戦闘員への戦争犯罪のすべてに該当します。
①米国は一般住民、非戦闘員のみを攻撃目標にして爆撃しました。市民の殺戮が、戦意を削ぐとわかったからです。
②百歩譲って、軍事目標を町工場まで広げるとしても、それすらない住宅地、あるいは軍事目標すらない地方都市のすべてを爆撃対象としました。
③焼夷弾(ナパーム弾)を使用し、生きながら焼き殺しました。
ナパーム油脂は、身体に付着すると粘性を持つためにとれなくなります。防空壕に避難していても、火災により空気が吸い出されて窒息死します。
時には1945年3月10日の東京大空襲のように風下の退路を断って、避難を不可能にすることまでしました。
こうして見ると、広島・長崎への原爆は、①から③までの非戦闘員への戦争犯罪の集大成であったにすぎないことがわかります。
ではなぜ、追及されなかったのでしょうか。
簡単です。勝ったからですよ。
国連の常任理事国、すなわち戦勝国である米英露はいずれも非戦闘員殺害に手を染めていますが、大戦の勝者によって戦後秩序が作られたために、不問に付されただけの話です。
いまだ米国では、広島に対する核攻撃を戦争犯罪と呼ぼうものなら、歴史修正主義者(リビジョニスト)といってネオナチ同然の扱いを受けます。
あ、そうそう、今私は「核攻撃」と書きましたが、「原爆投下」という表現はなんなんです。
それはただ「原爆を落とされた」というだけで、これは「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という石碑の文言と対になっています。
主語をあえて欠落させることで、米国の犯した戦争犯罪を「見ないように」しています。
敗戦直後、日本にはこのような米国の「侵攻」を戦争犯罪も含めて、それを美化する勢力が渦巻いていました。
共産党までもが、米軍を「解放軍」と呼びました。
上の写真で左2人目が徳田球一共産党委員長(当時書記長)、ひとりおいて志賀義雄常任幹部会委員です。後にこのふたりは熾烈な路線闘争を演じることになります。
微苦笑を禁じ得ないのは、釈放された彼ら共産党員500名は、GHQ司令部のあった第一生命ビルの前に駆けつけ、「解放軍司令官、マッカーサー元帥、バンザーイ」と三唱したそうです。
これを聞いたマッカーサーのほうは、降伏を拒んだ日本軍兵士の「バンザイ・アタック」だと勘違いして仰天したそうです(笑)。
フィリピンでマッカーサーは、「万歳」の鬨の声と共に、米軍陣地に殺到する日本兵を散々見てきていますからね。
これにたまげたためか、マッカーサーは後にレッドパージをして、共産党員をあらゆる職場、公共機関から追放してしまいました。
共産党は哀れ、「解放軍司令官」に裏切られたわけです。
昨日の宮澤俊義教授の「八月革命」説は、この空気の中で生まれました。
宮澤は米国の侵攻を、「いや、あれはマッカーサー元帥閣下が、日本人民に代わって革命をしてくれたんですよ」と言いくるめて、米軍支配を日本人に飲み込み易くさせたのです。
卑屈・保身、阿諛追従もここまでくると芸です。
多くの戦没者の遺骨すら遺族に還ることができない中、こんな男が東大学派として戦後憲法学の法王として君臨し、文化功労者まで授かってしまうというのが、我が祖国・日本という国です。
■午後5時、非戦闘員への戦争犯罪部分を加筆しました。
「神聖不可侵の最高法なるぞ。けしからん」、と言われそうですが、だってそもそも憲法って伸びたラーメンみたいな代物なんですから。
まずは、出生が怪しいのは昨日書いたとおりです。
毎年5月3日頃によく聞く、保守系の人たちの使う「自主憲法」なる表現は、おそらく世界唯一の奇妙な表現でしょうね。
英訳すればIndependent Constitutionですもん。
憲法ってそもそも独立国家が自分で起草して、「皆の衆、これがわしらのケンポーじゃあ」とやるのが当然で、あえてインディペンデント(独立)と被せねばばならないのが哀しい。
ならば、今の憲法はsubordinate Constitution(従属憲法)ということになります。
もう少し言葉遊びをすれば、 Under American Occupation Constitution (米国占領下憲法)、略してUAOC(ウァオック)なんていかが、ちょっとカッコイイかも。
Bayonet and Bulldozer Constitution(銃剣とブル憲法) なんて、「オール沖縄」風でいいかも。
基地の「銃剣とブル」は許せないが、憲法は大好きというのがあの人たちの不思議。
閑話休題。
この日本国憲法の成立がいかがわしさに満ちあふれているのは、戦後日本の憲法学の権威であらせられる元東大教授・宮澤俊義教授に説明していただくのが一番妥当かと思われます。
宮澤教授はこう発言しています。発言日時も、1996年の小委員会「筆記要旨」の情報公開で判明しています。1946年10月1日のことでした。
「憲法全体が自発的にできているものではない。重大なことを失った後で、ここで頑張ったところで、そう得るものはなく、多少とも自発性をもってやったという自己欺瞞にすぎない」
宮澤が「ここで」といっているのは、貴族院帝国憲法改正案特別小委員会(←長い)の席上です。
また 「重大なことを失った後」とは、マッカーサーの憲法原案がでて、もう日本案がムリだという状況を指します。
ここで宮澤は、「議員諸公よ、憲法は自発的に作ろうなどというは、自己欺瞞だ。GHQに帰順せよ。無駄な抵抗はやめよう」と言っているわけです。
面白いことに、この宮澤は、その5カ月前の46年 5月に「八月革命説」を出していることです。
後述しますが、日本側改正案が葬られたのがさらに8カ月前の46年2月下旬ですから、大勢がGHQ案の修正に傾いた時期のものでした。
簡単にいえば、宮澤は既に「八月革命説」で、GHQ案の道を掃き清めているわけで゛とっくに勝ち馬に乗っていたのです。
宮澤は「八月革命」という言い方をすることで、GHQから押しつけられたものではなく、日本国民の内側からフツフツと沸き起こった憲法改正なのだ、という形式を作ってみせました。
ただし、もちろん1945年8月に起きたことは、「革命」ではなくただの軍事占領にすぎないのは常識であって、フィクションでしかありませんでした。
そんな男にとって、まだなにか自主憲法が作れると夢想している貴族院議員は度し難いバカに見えたことでしょう。
ところで後に宮澤は、後に護憲派憲法学者の世界に絶対神のごとく君臨することになりますが、敗戦直後も一貫して「護憲派」でした。
ただし、帝国憲法の「護憲」、ですが。
この「自己欺瞞」発言の一年前、1945年9月28日の外務省での発言をみます。
「大日本帝国憲法は、民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで充分である」
これは宮澤は、彼の師であった美濃部達吉と共に「帝国憲法は部分改正でいい」と述べて、「護憲」の立場に立ちます。
ところが、それからわずか8カ月後に、「改憲派」に転向してしまいます。
彼が外務省で「帝国憲法護憲論」をのどかにしゃべっていた背景で、実はナント「八月革命説」が起きていたことが、後にわかったというのですから、びっくり仰天します。
後になってわかる「革命」って一体ナンダと思いますが、1946年5月、宮澤は「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』第1巻第4号。後に『憲法の原理』として岩波書店刊)の中でこう言っています。
かみ砕いて市民語超訳にしましょう。
「キミ、8月にポツダム宣言受諾したんだから、これは帝国憲法の天皇主権から国民主権への移行の同意・承諾と解するべきなんだよ。
8月に国の主権が移行したんだから、これを革命っていわずしてなんと言う。え、いつ革命が起きたのかって。馬鹿者!
マッカーサー閣下が、ありがたくも日本人民の代わりに革命を起こして下さったのだよ。
この「八月革命」の時点で、帝国憲法はお終い。ジ、エンド。
法としての効力を失ったと見るべきなんだ。
だから、帝国憲法の部分改正なんて言っている反動分子がいるが、あいつらはクズ。
帝国憲法と一緒にこう言ってやろうぜ。
『お前らは既に終わっている』ってね。ああ、気分いい。ま、ワシも1年前まではクズの仲間だっけどな。おっと口がすべった。
帝国憲法は根本的にリニューアルせにゃなんのよ。
わかった、キミ。わかったら、日本の民主革命の完遂に向けて共に進みましょうぞ!」
立命館大学非常勤講師・頴原(えばら)善徳は、『八月革命説再考のための覚書』の中でこの「八月革命説」をこう評しています。
※http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_02.pdf
多くの憲法学者が、「八月革命説」を学説として捉えていることに対して、頴原はこのように言い切っています。
「学説ではなく、第90回帝国議会における審議を前にしていかに「憲法改正草案要綱」を理解したうえで審議するべきかを訴えた政治的文書とみなすべきものである。」「1945年10月19日の『毎日新聞』紙上では、ポツダム宣言履行のために憲法の民主化をする必要があると述べている。」
つまり、頴原によれば、占領軍が力づくで進めた「民主化」の障害物である帝国憲法を変えることが「革命」なんだ、ということです。
この帝国憲法が「障害物」だとする認識は、実はマッカーサーの認識でした。
彼は1945年10月11日に、幣原首相に対して帝国憲法を改正するように命じています。
間接統治ですから、あくまでも軍事力をバックにした「示唆」であって、ウムを言わせないものでした。
幣原は、松本烝治国務大臣を憲法改正の責任者に指名します。彼が東大法学部で商法の教授だったからです。
この松本は、憲法改正に向けた「松本委員会」を作り、わずか4カ月後の1946年2月に「憲法改正要綱」という日本案をマッカーサーに提出しました。
松本案(日本案)は、統帥権の廃止、臣民の権利の拡充、貴族院の廃止と参議院の親切、議員内閣制の導入、憲法改正への議員の参加などといった民主的改革をすることで、充分にポツダム宣言に対応できると考えたのでした。
しかし、マッカーサーはこの日本案の内容の骨子を、2月1日の段階で既に知っており、日本政府案の提出を待たずして.ホイットニーの民政局に憲法案を急遽作らせていたのでした。
米国側にこれは「暫定憲法」だという意識があったために、こういうヤッツケをしたのだという説もあります。
なら、改憲不能につくるなよ、と言いたくなりますがね。
これが、「たった1週間で民政局の素人をかき集めて作った」理由です。いかにマッカーサーが焦っていたのかがわかります。
一方松本らはこのマッカーサーの動きをまったく知らされておらず、2月13日に吉田外相と一緒に、ホイットニーから手渡された案を見たふたりは衝撃を受けます。
その衝撃の原因が、前文と第9条にあったのは自明です。
防衛力を放棄してスッポンポンになれという条項に何も感じない独立,国の統治者がいたら、そっちのほうが異常ですって。
ここで、一気に「自主憲法」の流れはついえて、いかにこの占領軍案を「脚色」するかにテーマが移っていきます。
その焦点となったのは、いうまでもなくスッポンポン条項の9条2項でした。
憲法学者西修氏は、こう書いています。
「この日をもって、日本人の自発性を発揮する場が完全に失われたともいえる」(『日本国憲法を考える』)
この流れに乗って登場したのが、同年5月の宮澤の「八月革命説」だったというわけです。
まさに占領軍の走狗、激動期にありがちな風見鶏というにふさわしい憲法学者こそが、この宮澤だったのです。
宮澤は76,年に亡くなりましたが、戦後憲法の法王として君臨し続け、いまだに憲法学界に大量の弟子、孫弟子、曾孫弟子を再生産し続け、憲法学界の主流に君臨しています。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-dcd9.html
論じるというほどのことはできませんから、ただの雑感と思ってお読み下さい。
まず、この<憲法>をGHQから渡された時の、日本政府の驚きの表情は記録されています。
今、「渡された」と書きましたが、多くの人がご承知のようにこの「憲法」という文書は、GHQの職員25名が1週間で作り上げました。
当時司令部にいたユダヤ青年が、「やはり法律の専門家を入れたほうが」と言った瞬間、彼は外されたそうです。
いえ、正確にいえばひとりだけ法律の専門家はいました。戦前に弁護士をやっていたドイツ系のコートニー・ホイットニー准将です。
下の写真どおり、軍服より背広のほうが似合いそうな男です。部内のあだ名は「白い脂肪」だそうです。
彼は将官といっても士官学校もでていませんし、ましてや二等兵からたたきあげたわけでもありません。
戦前に弁護士などしていると、戦時にはそのキャリアが認められて、いきなり高級将校に任官できる仕組みが欧米にはあるからです。
准将とは、将軍クラスのヒラで、佐官のひとつ上です。会社でいえばヒラ取ですね。
日本にはない階級で、欧米で旅団という小規模の師団を率いるために作られた階級です。
ただし、彼は戦争のプロではなく、戦闘が終わった後に、占領地に軍政を敷く専門家です。
当時の彼のポジションはGHQ民政局(GS)局長、つまり、この男こそ「日本国憲法作り大作戦」のプロジェクトリーダーでした。
この男と、部下のケーディス大佐が日本国の作者です。 ホイットニーは第11条を執筆したそうです。※指摘どおり11条です。10条はGHQ草案のナンバーです。
正式名称は、「憲法草案制定会議」と言います。敵国の100年先まで支配できる憲法を書けるなんて、なんてステキな仕事でしょう。
チャールズ・ウィロビー少将
ホイットニーはユダヤ系らしくリベラリストのニューディーラーです。
親共的スタンスなのに対して、明瞭に共産主義なんか大キライな参謀2部(G2・諜報部門)のチャールズ・ウィロビー少将とは、ことごとく対立します。
一方ホイットニーは、日本解体⇒民主勢力バンザイ路線ですが、ウィロビーは、日本帝国解体までは一緒ですが、「民主勢力」の中で共産党が主導権を握っていることを知っていました。
http://ima.goo.ne.jp/column/article/3249.html
ですからウィロビーは、共産主義に対する歯止めとして締めるべき公安警察は残しておけ、日本をホイットニーのようにバラバラにしてどうするんだ、と批判的でした。
ウィロビーは東京裁判に対してすらもこう言っています。
「この裁判は史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。
なぜ不信をもったかと言うと、日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に戦争に出たに違いないと思うからだ」
(東京裁判オランダ判事ベルト・レーリンクへの発言)
では、この日本解体=民主化論者のホイットニーは、どんなところで働いていたのでしょうか。ちょっとそれを見てみましょう。
それを知る貴重な米国のニュース映像に残されています。作ったのはTIME、LIFE、Fortuneの三大誌です。
この貴重な映像を発掘したのは、脚本家の服部淳氏です。
謝辞http://ima.goo.ne.jp/column/article/3249.html
US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)
タイトルからして、「JAPAN AND DEMOCRACY(日本と民主主義)」ときています。
この映像はなかなか興味深く、未開人に民主主義のイロハを教えている善きアメリカ人という感じに仕立てられています。
なにか日本には民主主義がなかったような言い方ですが、もちろん戦前から普通選挙は行われており、政党政治は確立していました。
憲法もアメリカン・レフトのホイットニーのお口には合わなかったようですが、当時の国際的水準のものを有していました。
こういう日本の歴史や風土についての雑駁な知識しか持たない人たちによって、「日本の民主化」がなされたわけです。
アジアを知らない傲慢な態度が、のちにブッシュjrをして「イラク占領は、日本でうまくいったから大丈夫だよ」という勘違いを生み、大火傷することになります。
上の写真が、敗戦後の日本を統治していたGHQの本部のあった東京日比谷第一生命ビルです。
おや、この司令部の主が現れましたよ。誰あろう、「連合軍最高司令官」(Supreme Commander for the Allied Powers)であらせられるダグラス・マッカーサーです。
階級はこれ以上、上の階級はない元帥です。
Allied Powersとは、「連合国」と訳します。
別な英訳ではUnited Nationsです。これだと「国連」になりますが、まだ存在していなかったために、特に当時は使い分けはしていません。
国連の本質的性格を知るには、なかなか興味深い名称ですね。
GHQ(ジェネラル・ヘッドクォーター)は、訳せば「連合国軍最高司令官総司令部」のことですが、事実上、米軍が独占していました。
上の映像が、Allied Council for Japan(ACJ 対日理事会)のあった東京丸の内の明治生命館です。いまでも現存します。
この映像につけられたナレーションはこう述べています。
「米国と英連邦(英国、オーストラリア、ニュージーランド、インドが参加)、中国、ソビエト連邦(現・ロシア)の代表が集まり、マッカーサー将軍らへのアドバイスや占領政策について話し合われましたが、この会議は明らかに短すぎで効果があるものではありませんでした。」(訳 服部氏)
米国も認めるように、建前では米、英、ソ、仏、中華民国、豪など11カ国で構成する「極東委員会」の指揮下にGHQはありました。
GHQは組織上はただの執行機関にすぎませんでしたが、もちろんそんなことはただの紙切れにすぎず、日本を叩き潰した立役者の米国の唯我独尊状態でした。
GHQのスタッフは、ほぼすべてが米軍人・軍属で占められていました。言い換えれば、マッカーサーの命令が、イコールGHQの意志だったわけです。
なかなか米国の軍政が憎いのは、これを間接統治形態にしたことです。
GHQから出る命令のすべては日本政府に伝えられ、日本の統治機構を通して実施される仕組みでした。
ですから、国民は米軍の命令ではなく、日本政府の政策と思っていました。
典型的な傀儡政権、パペット(操り人形)ですが、負けた以上仕方がないと日本人は涙を呑んだわけです。
ちなみに、「占領軍」という呼称はあまりにそのものズバリなために、「進駐軍」に改名しろ、と命令したのもGHQです。
当時のバスには「オキュパイド ジャパン 」(占領下日本)と表記されたものも、多くあったという証言があります。
服部淳氏による http://ima.goo.ne.jp/column/article/2642.html
このような間接統治形態にしたのはGHQが、本来国際法で禁じられているはずの「軍事占領下での内政干渉」をしたからです。
あくまで建前は、GHQが日本政府に助言して、日本政府が自分の意志でしたことにしたかったのです。狡猾ですね。
まぁやったことは、「内政干渉」などという生易しいものではなく、徹底した日本解体と米国流魔改造でした。
軍隊の解体から始まり、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、特高の廃止、政治犯の釈放、財閥解体、農地解放、政教分離などでした。
そしてこの総仕上げとして登場するのが、帝国憲法の改定としての新憲法だったわけです。
ホイットニー准将は、こうしてインスタントに作った<憲法.>法案を、東京白金にあった外 相公邸で、吉田茂外相に手交します。
その時にホイットニーはこう言ったそうです。
「日本政府がこの原案を呑まなければ、天皇の一身の安全を保障することができない」
米軍の作った憲法を丸呑みしなければ、天皇を処刑するぞ、という露骨な威嚇です。
ホイットニー回想録には、その憲法原案を読んだ吉田の表情が書かれています。
「吉田は目を通すと、顔色がたちまち黒 い雲によって包まれたように変わった」
結局、天皇の命を人質にされた日本は、1946年3月に<憲法>を受諾します。
その時の閣議の模様も芦田均(当時厚生大臣・後首相)日記に残されています。
「閣議終了の直前、幣原首相は特に発言を求め、次のようにいわれた。 『かような憲法草案を受諾することは、極めて重大な責任である。
おそら く、子々孫々に至るまでの責任であろうと思う。この案を発表すれば、一部の者は喝采するであろうが、また一部の者は沈黙を守るであろう。
しか し、深く心中、われらの態度に対して憤激を抱くに違いない』閣僚の中には、涙をふいたものが多かった。」
この幣原の予言どおり、それから70年という時間が経過した現在においても、「一部の者は喝采」し、「一部の者は沈黙を守り」、そして「深く心中憤激を抱く」に至ったというわけです。
かくて、<憲法>誕生と共に、国民の分断が始まったのです。
このように<憲法>の産湯とは、涙だったのです。
■6時 ウィロビー部分を加筆しました。
昨日は憲法記念日だったそうで、知らなかった。仕事がら祝日には縁がないもので、ああ、寂しい人生。
なにやら護憲集会で岡田氏、志位氏、小沢氏、あと社民党のなんとかいう影が薄い人が手を握ったという微笑ましいニュースも伝わってきています。
彼らは、次の参院選は共闘して、「改憲策動と戦争法を潰す」のだそうです。
時事5月3日より引用http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050300214&g=pol
「民進党の岡田克也代表は安保法廃止などを主張した上で、「われわれ野党は力を合わせて参院選を戦い抜く」と表明。
共産党の志位和夫委員長は「市民運動に背中を押され、野党共闘が大きく前進していることは日本の未来にとっての大きな希望だ」と述べた。
社民党の吉田忠智党首は、衆院選でも4党による候補者調整を進める意向を示し、生活の党の小沢一郎代表は「憲法の理想を守るには選挙に勝たねばならない」と強調した。」(時事同上)
野党は改憲が参院選のテーマだと言っているようですが、ホントそうなんでしょうか。
そもそも今が、憲法改正か否かの判断を問われるべき時期なのでしょうか?
私は憲法なんてこの60年間グチャグチャやってきて、いまやお互いに教義と化したテーマですから、焦って結論を出す時期じゃないと思っています。
私は改憲はするべきだと思っていますが、問題はその「時期」と「手段」です。
去年に国政選挙が行われていたのなら、集団的自衛権がらみで、「やっぱりすっきりと改憲すべきかどうか」という議論はありえたでしょう。
実際、反対派の人たちは、何かといえば「やるなら改憲してからやれ」と言い続けていましたね。
国会に呼ばれた憲法学者たちがこぞって、「ワタシたちは違憲は許しません」とやったために、「憲法とはかくも高いハードルなのだ」ということが国民に改めて知れ渡りました。
この時点で野党が尻をまくって、「やるなら改憲してからやれぇ。そのために解散しろ」というところまで政権を追い込んだのなら、ある意味面白かったかもしれません。
改憲という一見抽象的テーマが、リアルな「戦争法」を前にして是非の判断を問われたわけですからね。
解散総選挙をして、政権が勝てば国民投票、負ければあと10年は改憲の「か」の字も言い出せないというわけです。
しかし、安保法制は憲法改正を問うにはふさわしいとはいえないテーマでした。
あまりにも内容が多岐にわたっており、憲法と関わりある集団的自衛権そのものとは無関係な要素もたくさん入っていました。
こんな安保関係の法律盛り合わせセットで、憲法改正を問うことは焦点ボケとなって、そうとうに困難です。
もしやるなら、単一の政治課題で、しかもイエス、ノーの判断を国民に直接問わねばならないケースが発生した場合です。
言い換えれば、憲法学者の言が絵空事にしか聞こえないような重大なテーマでなければ、ダメなのです。
こういう言い方はナンですが、「米艦が攻撃を受けたら自衛艦も反撃できる」ていどでは、まったく弱い。
いかにも米国の忠実なポチに勤しみます、という風に見る人見れば見えてしまいます。
だから、安保法制審議が、野党によって「米国の核兵器も運ぶのか」などという宇宙空間にふっ飛んで行ってしまいました。
もちろん徴兵制がどーたらと言い出す野党のほうが馬鹿なのですが、それ以前に政府の拙劣さも目立ったのが、安保法制審議でした。
これではとても、憲法を錦の御旗に立てた憲法官軍には勝てません。
ですから、もっと日本にとって死活的な安全保障の非常事態に対して、国民の憲法判断を求めるべきなのです。
いわば「、憲法を守って死ぬ気ですか?それとも改憲して生き残りますか」という問いが必要なのです。
このような迫力が政権側になかったために、朝日新聞の世論調査によればこのような白けきったことになっています。
※http://www.asahi.com/articles/ASJ4X6487J4XUZPS001.html
・改憲不要・・・55%
・改憲必要・・・37%
もちろん朝日という札付き媒体のバイアスは承知の上ですが、私から見てもかつてのフィフティ・フィフティから改憲派がかなり押されている実感はあります。
ただし、この「必要がない」という中には、「今のままでも自衛隊が活動できる」が35%含まれていたそうです。
安保法制も通ってしまって、「これで動くのだからいいんじゃない」っていうのが、国民の気分のようです。
安保法制は既にもう通ってしまって、現実に施行運用されているわけですから、ある意味諦観的平和主義ということになるでしょうか。
念のために言い添えますが、野党は「戦争法案の廃止」といっていますが、現実に部隊レベルで施行・運用が開始されている防衛法制を白紙撤回することなど、あり得ませんし、していいはずがありません。
蒸し返しはありえないし、政府は相手にしていません。
ですから、首相が今、今回の参院選であえて改憲を国民に問わねばならない意味がまったくわかりません。
今は、一に経済、二に経済、三、四がなくて五に経済です。 改憲など、デフレが完全に終わってからにしてほしいものです。
一方、野党の皆さんが改憲を焦点化したい気持ちは、痛いほどよくわかります。
さきほどの朝日は、この数年で国民の平和志向が強まったとして、この安保法制反対を理由にあげています。
「調査からは、昨年9月に成立した安全保障関連法の影響もうかがえる。
安保関連法の賛否は「賛成」34%、「反対」53%。同法が憲法に「違反している」は50%、「違反していない」は38%だった。ここで安保関連法に「反対」とした人で、9条を「変えない方がよい」は93%、同法が憲法に「違反している」とした人で「変えない方がよい」は83%と、こちらも圧倒的多数に上った。」(同)
朝日は、「安保法案の影響で改憲反対が増えた」と見立てています。
民進党と共産党は、この波に乗りたいと思っています。
その国政選挙の実験台が北海道5区補選だったわけですが、結果はあれだけ強力な女性候補を立てても負けました。
これで岡田さんの眼が覚めないんですから、これは厳しいですね。
世論調査における政党支持率です。まずは16年4月のNNNのものです。
こちらはNHKが合流前に取ったものです。
ソースが違うことを含んだとしても、民進党は1.9%の減です。
この傾向は他の調査でも明らかです。フジテレビの調査では、より明瞭に民進党減少トレンドが現れています。
・民進党の支持率(3月19〜20日調査)・・・12.8%
・同 (4月23〜24日調査)・・・7.3%
では民進党との共闘を望む共産党の、同じ調査における支持率推移です。
・共産党の支持率(同上)・・・3.0%
・ (同上)・・・5.2%
ひとことで言えば、共産党が民進党のパイを食ってしまったことがわかります。
つまり、民共共闘といっても、躍進したのはあくまでも共産党であって、民進党ではありません。
これは、北海道5区補選において、旧民主の屋台骨だった連合の選挙マシーンが、ともすれば共産党にせり負けて、うまく動いていない疑いが出たことからもわかります。
これと似たことは、つい先日の沖縄の宜野湾市長選でもありました。
連合=旧社会党系労組と、全労連=共産党系労組は、共に天を戴かざるような敵対的関係なのです。
私から見ればただの左翼内部の近親憎悪ですが、連合からすれば、共産党に秋波を送る岡田氏を許しがたく思っているはずです。
共産党が民進党を支援した場合、保守票や従来の支持層票、浮動票が逃げるということはかねてから言われてきました。
岡田氏自ら去年までは、「共産と組めば1万もらって3万逃げる」」といっていた時期もあります。
しかし、いまや旧社会党に等しい抵抗政党に逆戻りしてしまった民進党には、共産党との境目がなくなりつつあります。
共産党は綱領で安全保障政策で、日米安保条約の廃棄、自衛隊の解消を目指しています。
※日本共産党綱領http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/
民進党は、日米同盟と自衛隊は認めているものの、具体的な安全保障政策においては、今回の安保法制のように党内でてんでんばらばらです。
無理にひとつにまとめようとすると分裂するから一緒にいるしかない、「ともかく反自民だけが唯一の綱領だ」というのが民進党の実態です。
ならば、「政権交替可能なもうひとつの保守党」を止めてしまった民進党にとって、共産党との政策上の違いなどはないに等しいのです。
そもそもも安保法案廃止を掲げて、共産党と手を組むような民進党に入れる人のいい保守有権者など、いまや世の中にいるのでしょうか。
連合票が逃げるといっても、連合はしょせん組合内候補しか応援する気がありません。
彼らが離れるのは想定内なのです。
ならば、もう既に離れてしまっている民主党支持の保守層や連合などは切り捨てて、共産党の鉄板の固定票と、選挙マシーンが欲しい、これが岡田氏の偽らざる気持ちのようです。
東京維新の会のやながせ裕文氏は、北海道補選の後にこう述べています。
「競争に勝つためには、「相手候補者の強さ」や「日常活動で培ってきた基礎票」なども関係しますが、共産党のもつ「○万票」の動向が大きな差を生むことは明らかです。もし共産党の票が2万票だったとして、小選挙区で共産党の候補者が立候補したところは、マイナス2万票。共産が出ず、支援を貰えればプラス2万票。あわせると4万票もの差となります。この票差が惜敗率の順位に大きな影響を与えることは誰にでもわかります。」
というわけで、野党は「戦争法案廃止・改憲阻止」で足並みを揃えることにしたようです。
一部週刊誌や新聞などは、全野党共闘の場合、野党圧勝と占っていますから、さてどうなりますことやら。
これで勝てば、次の衆院選もこの「オール野党」方式は完全に定着するでしょうから、当然共産党は政権の一角に赤旗を立てることができます。
いずれにしても、共産党のささやきに乗った岡田民主の運命は、これで決したようです。
改憲は、日本がまともな国家であろうとする限り、いつか必ず避けて通ることのできない道です。
それは日本人が経験したことのない、1億人の国民投票という気が遠くなるハードルがついてきます。
改憲発議してもこれで負ければ、あと半世紀は次のチャンスはないものと思うべきです。
だからこそ,くれぐれも慎重に、「時期」と「手段」を慎重に選択しましょう。
改憲はワンチャンスですから。
「国連人種差別撤廃委員会」とやらが、沖縄県民を「先住民族」だとした「最終見解」を出したことに対して、日本政府が抗議しました。
この14年の「勧告」については、欄外に琉球新聞の記事をスクラップしておきました。
要点は以下です。
①彼らの権利の促進や保護に関し、沖縄の人々の代表と一層協議していくこと。
②琉球・沖縄の言語や歴史、文化についても、学校教育で教科書に盛り込むなどして保護するよう対策。
③2010年の「米軍基地集中」についての勧告が、今回は消えた。
④日本政府が沖縄の人々を「先住民族」と認識していないとの立場に「懸念」を表明。
⑤消滅の危機にある琉球諸語(しまくとぅば)の使用促進・保護策が不十分。教科書に琉球の歴史や文化の繁栄が不十分。
また、自由権規約委は同じく14年8月に、「先住民族の天然資源の権利保護」勧告までだしています。
これはまた、ずいぶんとキナ臭いことを平気でいうものです。
「コミュニティーの伝統的な土地や天然資源に対する権利を十分保障するためのさらなる措置をとるべきだ」などと日本政府に法改正まで求めている。」(産経4月28日)
尖閣を領有しようとしている中国は沖縄県との「共同開発」を提案していますから、この「先住民族の資源保護」の概念はそのためにあつらえたような概念です。
そういえば、かつて政権党だった当時の民主党県連の会長だった喜納昌吉氏が「中沖共同開発」を唱えたことがありましたっけね。
ナバホ族のような外国との資源の競合がありえない内陸の先住民と違って、隣国の係争関係がある尖閣を持つ沖縄に対してそれを言ったら、国家間紛争の種をまくようなことだと思わないのでしょうか。馬鹿じゃないか。
政府が内政干渉と抗議するのもむべなるかなです。
(産経4月28日)
これについて反応を、沖タイが報じています。(4月28日)
※http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160428-00000002-okinawat-oki
なんと県民ではなく、ヘイトスピーチ報道で名を上げた左翼ジャーナリストの安田浩一氏が登場したのには微苦笑しました。
安田氏はこう述べています。
「ヘイトスピーチなどの問題を取材し、昨年9月には翁長雄志知事の国連演説も傍聴したジャーナリスト安田浩一さんも、沖縄の人々の人権が侵害されてきた歴史や、過重な基地負担をめぐって国と県が対立する現状を踏まえ「先住民と主張する意見はもっともだ」と理解を示す。
今回の政府の姿勢を「本土の意見に逆らうな、国益に反するようなことはするなという極端な同化主義だ」と批判し「沖縄の人は、復帰以降も変わらない過重な基地負担の軽減を訴えているにすぎず、政府は沖縄側の気持ちを無視している」と指摘。
さらに「政府は同じ日本人というのなら、沖縄の基地負担を本土も分かち合う方策を積極的に模索するべきではないのか。安全保障の名の下に不公平な立場に置かれ続けている沖縄の現状を、政府は理解していない」とした。」
毎度おなじみの「過重な基地負担」を:「沖縄差別」とする左翼陣営の定番的考え方ですね。
彼らの基地問題を、安易に,「差別」という取り扱い注意の問題に転化してしまう分別のなさがたまりません。
「ナショナリズムは少量の毒のようなものだ」という箴言がありますが、少量なら甲子園を応援するノリですが、大量に摂取したら最後、死に至ります。
こんなことを言い出せば基地問題だけにとどまらなくなり、さまざまを解決不能な事態を惹起するのはわかりきっているでしょうに。
ちなみに、沖縄左翼が「差別」と言い始めたのは、本土の部落解放同盟との交流を通してです。
沖縄左翼は、解同の永久差別論、つまり差別者と被差別者の立場は、永久にかわらないという理論を密輸したのです。
基地問題は根気よく縮小していくしか方法がないにもかかわらず、それを本土の差別だということで、沖縄県民の怨念を煽ろうするものです。
結果、かえって収拾不能の混乱を生むことになります。まったく愚かなことです。
左翼は、紛争を起こすことが存在理由だからいいでしょうが、巻き込まれた一般県民はどうなるのでしょうか。
基地の縮小という、それ自体はまっとうな要求が、いつしか本土政府との民族対決に変質してしまいました。
そして、その結果うまれたのが、「差別」からの完全解放を唱える沖縄自決論・沖縄独立論だったというわけです。
かつての復帰闘争の折りに、毛沢東主義の某過激派が「沖縄民族解放」「琉球独立」を唱えて、「沖縄民族解放戦線」などをデッチあげた故事を思い出します。
よもや、こんな亡霊がよみがえるとは思いませんでした。
彼らにかかると、今回の普天間移転問題も、「「本土の意見に逆らうな、国益に反するようなことはするなという極端な同化主義だ」ということになります。
「先住民族」の定義について、簡単に押さえておきます。
※Greller, 1997
①非支配的地位
②エスニック・アイデンティティの共有
③先住性
沖縄県民が「先住民族」であるかどうかについては、今回は置きます。(そのうち余裕があればやります)
それについては::国連人権委員会の我那覇真子氏の国連スピーチをごらん下さい。(欄外参照)
というのは、これをやりだすときりがないからです。結局は観念的な歴史認識の違いに突き当たって、立場の違いを確認するだけになります。
今は、このような「国連先住民」勧告が、現時点で政府と沖縄の間でどのような新たな紛争を生み出すのかを考えたほうが意味があるでしょう。
あ、そうそうその前に、ご承知だろうと思いますが、ここで出てくる「国連人種差別撤廃委員会」なるものは、別に「国連」そのものではありませんから誤解しないで下さいね。
今は改組されて消滅しましたが、あの悪名高いクワラスラミ報告を出した国連人権委員会は正式な国連機関ですが、こちらの「人種差別撤廃委員会」はその補助機関、下請けにすぎません。
人権委員会は、人権意識のかけらもない中国やアフリカの独裁国が理事になっているなど、大変に問題が多い組織でしたが、「人種差別委」のほうに至っては、それに輪をかけてNGO、つまりは各国の活動家たちがメンバーになって、勝手なことを言い合っているようなところです。
さて、今回の「国連勧告」を興味シンシンで見ていた国があります。中国です。
中国は、沖縄を自国領土だと宣言しています。
中国がやったことは、沖縄県に馬英九のような親中派カイライ首長の翁長知事を作るのが第一歩でした。
青山繁春氏は、中国領事館が工作していると名指ししていますが、私には裏を取りようがありません。
しかし、「オール沖縄」の背後に中国の姿が見え隠れするのはよくあることなので、充分にあって不思議はありません。
「オール沖縄」がいままでの左翼系革新勢力と一線を隠して「進化」したのは、保守寝返り組を取り込んで、「沖縄ナショナリズム」を統一イデオロギーとして押し出したことです。
というのは、従来の対立軸は<沖縄県vs本土政府>でしたが、これだけでは弱いのです。
結局、問題が解決すれば元の<日本>という鞘に納まってしまいます。
それは当然です。なにせ、沖縄県民も本土人も同じ日本民族なのですから。
彼らからすれば、納まってしまっては、その「先」にいきません。その「先」とは日米安保の廃棄と「独立」です。
元々水と油の野合勢力を接着する目的のために、<日本vs沖縄>という新たなエスニック紛争の構図を作ったのですが、この構図はいまや「国連勧告」の力を得て、一人歩きし目指すのは「その先」です。
ではその「先」とはなんでしょうか?
沖縄は米軍と自衛隊によって強固に防衛されています。外からこれを崩すのは容易ではありません。
崩そうと思うなら、城の内側から城門のカンヌキを引き抜く者が必要です。
その役を今回仰せつかった人物が、翁長氏でした。
そのために用意されたイデオロギーが、「沖縄は差別されているマイノリティだ」という「沖縄差別論」でした。
「沖縄人」というエスニックと、「日本人」というエスニックの民族対立を、人工的に作り出したのです。
民族対立の図式に持ち込むために考案されたのが、虐げられた「沖縄先住民」と、差別し暴虐の限りを尽くす支配者「日本人」という二項対立の図式です。
この図式によれば、日本人は、琉球王国という理想の平和国家を破壊し、皇民化教育で洗脳して戦争の捨て石にし、住民虐殺に狂奔したあげく、沖縄を捨てて、復帰後も沖縄にだけ米軍基地を押しつけている悪玉としてだけ描かれます。
※琉球王国についてはこちらからの記事からどうぞ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-2d1a.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-85e9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-bc55.html
これが「沖縄差別」イデオロギーです。
その「先」は、プーチンが使ったクリミア方式が参考になるでしょう。
まずいきなりの中国への併合ではなく、いったん「一国二制度」というクッションを置きます。
手段は「民族自決」による県民投票です。しかしいきなり独立国にはなることはしません。
それをやると、「琉球共和国」ができたのはいいものの、財政的に持たないからです。
「高度な自治」をもった、「沖縄特別区」のようなものにします。おそらく外交・防衛を本土政府に預けるかどうかが焦点となるはずです。
糸数慶子議員は既に、「高度の自治権」を沖縄に与えるように主張しています。
今回の国連人種差別撤廃委員会の「最終勧告」は、まさに糸数女史の主張を100%トレースしたものでした。
(写真 2014年、先住民族世界会議に参加した糸数慶子参院議員。札に書いてあるIndigenous peoplesとは、当該国の主要構成民族から みて「原住民」と呼ばれることの多かった者で、当該国に編入する以前から住んでいた者の ことを指す。)
この両者を預けてしまうと、「全基地撤去」ができなくなりますが、財政的には安定します。
仮にいきなり完全な分離・独立をしてしまえば、3割以下の自主財源しかない沖縄は財政的に一瞬で崩壊します。
その場合、左翼政権のギリシヤと同じコースが待っています。
公務員と公共事業の大幅削減、年金・福祉などの一時凍結・切り下げ、そして消費税の音幅増などの増税をしないことには、深刻な財政危機に見舞われるはずです。
実はユーロに加盟していたことで、国力以上の福祉・厚生を得ていたギリシャと、日本に属している沖縄はよく似た内部構造を持っています。
公務員天国、製造業の弱体、観光中心の産業構造、左翼が強い政治構造などです。
沖縄県はユーロの代わりに、基地を引き受ける見返りとして、本土からの累積10兆円の振興予算で、県の経済力以上の財源を得ていました。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-1599.html
ですから、皮肉なことに、この「沖縄特別区」も、基地は維持せねばならないことにてります。
米軍基地を撤去するために始めたのにナンダということになりますので、独立勢力の中で分裂含みの争いになることでしょう。
しかし考えてみれば、その「沖縄特別区」の後に予定されている、「琉球共和国」に向かう場合もまた、基地問題は同じように蒸し返されるはずです。
米国と「琉米安保」でも結ぶ腹芸が彼らに可能ならば、「独立」の目がないわけではありません。
しかし、「独立勢力」の裏オーナーはなにせ中国の大人ですから、どうなりますか。
米国と基地温存を条件にする程度の外交力があれば別ですが、今の翁長氏たち「オール沖縄」の貧弱な政治能力をみていると、まったく無理な相談でしょう。
やると分裂し、分裂を食い止めるるほどの絶対的カリスマがいませんからね。
結局、至り着くところは、「一国二制度」の美名による香港型でしょう。
そして・・・、「琉球共和国」は、中国から送り込まれる大量の中国系移民によって、社会・経済と政治のことごとくを支配され、独自の首長を選出する権利すらも奪われて、中国全人代の決めた「総督」を戴くことになります。
そして数十年後には、「中華人民共和国琉球自治区」となって、嘉手納基地に五星紅旗が翻ることを、旧沖縄県民は見ることになります。
その時、中国政府が琉球民族の「先住民自決権」などを容認するかどうかは、チベットやウイグルをみれば、特に考えないでもわかりそうなものです。
「先住民族論」や「民族自決論」、あるいはそれから発生する「琉球独立論」こそ、自由を失うための最短距離なのです。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-1dbe.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-d7ca.html
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■琉球新報2014年9月24日
「国連の人種差別撤廃委員会は29日、日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を発表した。「彼らの権利の促進や保護に関し、沖縄の人々の代表と一層協議していくこと」も勧告し、民意の尊重を求めた。琉球・沖縄の言語や歴史、文化についても、学校教育で教科書に盛り込むなどして保護するよう対策を促した。
委員会は日本政府に対し、勧告を受けての対応を報告するよう求めている。
同委員会は2010年に、沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別だ」と認定し、差別を監視するために、沖縄の人々の代表者と幅広く協議を行うよう勧告していた。今回は米軍基地問題に言及しなかった。
最終見解は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めているにもかかわらず、日本政府が沖縄の人々を「先住民族」と認識していないとの立場に「懸念」を表明。「彼らの権利の保護に関して琉球の代表と協議するのに十分な方法が取られていない」ことに対しても懸念を表した。
また、消滅の危機にある琉球諸語(しまくとぅば)の使用促進や、保護策が十分に行われていないと指摘。教科書に琉球の歴史や文化が十分に反映されていないとして、対策を講じるよう要求した。
最終見解は今月20、21日にスイス・ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所で開いた対日審査の結果を踏まえ、まとめられた。
対日審査では沖縄の米軍基地問題に関して、委員から「地元に関わる問題は事前に地元の人たちと協議して同意を得ることが大変重要だ」「政策に地元住民を参加させるべきだ」といった指摘が相次いだが、最終見解では触れなかった。
日本に対する審査は、日本が1995年に人種差別撤廃条約の締約国になって以来、2001年と10年に次ぎ、今回が3回目。」
■国連人権理事会における我那覇真子氏スピーチ全文
スピーチは英語 和訳は本人による
http://hi-hyou.com/archives/3368
2015年9月26日
被差別少数琉球民族は存在しない
~デマゴーグとプロパガンダは21世紀の国際社会には通用しない~
昨日皆様は、沖縄は紛れもない日本の一部であるにも関わらず、「沖縄県民は日本政府及び米軍から抑圧される被差別少数民族である」とお聞きになられたと思います。
それは全くの見当違いです。
私は、沖縄生まれの沖縄育ちですが、日本の一部として私達は世界最高水準の人権と質の高い教育、福祉、医療、生活を享受しています。
人権問題全般もそうで すが、日本とその地域への安全保障に対する脅威である中国が、選挙で選ばれた公人やその支援者に「自分達は先住少数民族である」と述べさせ沖縄の独立運動 を煽動しているのです。
我々沖縄県民は先住少数民族ではありません。
どうかプロパガンダ(政治宣伝)を信じないでください。
石垣市議会議員の砥板芳行氏からのメッセージです。
「沖縄県の現知事は無責任にも日本とアジア太平洋地域の安全保障におけるアメリカ軍基地の役割を無視しています。翁長知事はこの状況を捻じ曲げて伝えています。中国が東シナ海と南シナ海でみせている深刻な挑戦行為を知事と国連の皆様が認識をすることが重要 です」
ありがとうございます。
今日は週の始まりですが、まとまった記事ではなく、雑感としてお読みください。
タームさんとの議論はいったん区切りをつけた上で、移転問題についてやはりもう少し書いておこうと思います。
HNやすさんという方から。「責任や権限がない立場で言う以上、それは個人の自由だ」といった意見がありましたが、まぁそりゃそういう言い方をしたら、そうだと思います。
私は、先週、ターム氏と議論してきました。
私なりに誠実に対応したつもりですが、最後にデッドロックになったなと感じたのは、タームさんが最後まで防衛局の机上の計画から出てこようとしなかったことです。
06年合意が「ある」、「米軍再編は計画されている」、そのとおりですが、では12年までに9千名の海兵隊が引き上げましたか?寡聞にして聞きません。
「20年代前半まで」と防衛局は書いていますが、結局、それも防衛局の期待値にすぎません。
20年代前半には、普天間の移設には一定のめどが立っているはずですので、なにかそれとの関わりがあるのかもしれません。
日米当局者の議事録でも出てくればわかるでしょうが、国際交渉において、そのような情報開示は数十年後ならともかく、現状では不可能です。
なぜこう延び延びになるのでしょうか。それは現在の東アジア情勢が安定期ではなく、流動期だからです。
その原因は、大きくは米国の覇権国家からの凋落と、それに代わって中国が軍事大国として台頭する時期にあたっているからです。
そして望むと望まざるとに関わらず、沖縄は地理的に中国の正面に位置しています。
私たちはこういう時期に生きており、この諸条件に規定されて議論するしかないのです。
「なんだ責任も権限もない連中の議論か」といわれますが、蟷螂の斧だとしても淡々とやり続けるしかないのです。
ごまめの歯ぎしりによってまれに歴史が動くことがあることを、私たちブロガーは慰安婦問題朝日誤報事件で知りました。
そもそも、もし植村事件が発生する90年代初期に、SNSに今程度の力があれば、慰安婦聞問題など起こりようもなかったはずです。
オスプレイについても、これがもし10年前なら、マスメディアの偏ったデマゴギーが事実として国民に定着していたはずです。
今回の熊本地震でも、オスプレイ危険デマを朝日が性懲りもなく蒸し返えそうとしましたが、国民の多くからは相手にされませんでした。
岸井成格氏は、「メディアの本分は権力の監視にある」なんて言っていますが、ならば、私たちブロガーは「SNSの本分はメディア権力の監視にある」と言えなくないこともありません。
ただし、それはあくまで結果としてメディア批判になってしまうのであって、本来はSNSの集合知による真実の探索だろうと思いますが。
それはさておき、私にとって沖縄問題など、まさに「こうあってほしくない」ことばかりです。
辺野古の海は、かつて私のもっとも愛した海でした。
牛にやる草を刈った後に、汗だくになって共同売店で買ったオリオンを飲みながら、テンプラを齧ったのもこのヒヌクの浜辺でした。
誰が、この海を埋め立てたいものか。冗談ではない、と常に思っています。
夜、東海岸を走ると、崖の上にオレンジ色の照明にたたずむヒヌク弾薬庫が見え、底知れぬ恐怖を感じたものです。
私は米軍基地などひとつ残らずさっさと出ていって欲しいし、その代替は完全に自衛隊にやって欲しいと思います。
キャンプ・シュワブが陸上自衛隊宜野座駐屯地になれば、私は心の底から乾杯します。
と同時に、他にどうありようがあるのか、どうしてこんな答えしかないのか、他に解決方法はないのか、という気持ちに苛まれていました。
しかし、ではそれかどうしてそれができないのか、私の「個人の自由」意思とは別にして、突き放しておかないと、原因となるストラクチャー(構造)が見えてきません。
私が神保謙氏や三浦瑠麗氏などの国際関係論学者に注目するのは、そのためです。
米軍は今、沖縄から出て行けない理由があるし、自衛隊には海兵隊に代替する能力がありません。
そもそも担っている任務が違います。海兵隊はアジア全域の紛争に「面」的に対処するために沖縄にいます。
自衛隊はいまだに憲法の縛りによって、そのようなことはまったく不可能です。
土曜日の記事でアジアの安全保障インフラを大屋根にたとえましたが、大屋根を維持するのが米国の役目なら、日本は少なくとも現在は、その大黒柱という黒子に徹するしかないのです。
このように状況は悔しいですが、タームさんが言うのとは違った意味で、「個人の自由」にはなりません。
しかし人間という生き物は、この重い歴史的現実と、「個人の自由」な希望との狭間で生き続けてきたのではないのでしょうか。
次回、もう少し具体的に書きます。
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