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戦争目的が明確でない戦争は負ける

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ご要望にお答えして、大東亜戦争について少し書きます。 

前回イヤな予感がしたんだよなぁ。「結果として解放となった」と書くと、絶対に常連さんから総スカン食うと思っていましたもん。 

そうそう、「大東亜戦争」という表記は日本の歴史的呼称であって、それ自体は価値判断を含みませんので、念のため。 

さて、まず私のスタンスですが、あらかじめに設定された原理主義的見方を排除します。 

それは単に左翼方向に対してだけではなく、私と親和性が高いはずの保守の方に対してもです。 

理想は必要ですし、理念なき行為はありえません。 

だからこそ、理念・原理で大戦を見ると、たった一行で終わってしまいます。 

<白人帝国主義vs唯一の有色人種独立国日本>です。 

もちろんこれを説くとなると、一冊の本、いや全集が必要なことはいうまでもありません。

ですから、あえて置きます。 

「いったんは」というのは、そこから入らないというだけで、原理的な主義主張も当然視野にいれねばならないからです。 

そうでないと、ただの政治力学主義になってしまいます。 

簡単に大戦について書いておきます。 

まず、<戦争目的>を明確にすべきです。 

そもそも戦争は外交が破綻したときに取られる、国際政治の非常の手段です。 

したがって、<戦争目的>は外交によって得られなかったものを、戦争によって回収することです。

これが定まらないと、<戦争戦略>、あるいは戦争計画が立てられません。

原理的には、<戦争目的>とすべきは「アジアの解放」以外なにかありますか。あるはずがありません。 

日本はアジアにおける唯一の有色人種独立国(タイがありますが、そんな国力はありません)として呻吟した歴史があって、その中からアジアの植民地同胞を解放する義務に目覚めたのは、事実です。 

ならば、この主題を真正面から戦争の冒頭に大きく掲げるべきでした。

ただし、これを掲げるとアジア全域の植民地すべてを日本が独力で解放せねばならなくなります。

事実、それに近いことになって、日本は国を滅ぼしました。 

ところが日米戦争開戦において日本が掲げたのが、なんと「自存自衛」でした。言い換えれば、自国の存在の防衛のためだ、というのです。

これなら、全方位と戦争する必要はなくなるはずでした。

当時、政府と軍がなんと言っていたのか、検証してみましょう。

開戦当時の外相であった東郷茂徳(※)は、開戦直後の1941年12月16日にこう衆議院で演説しています。※誤記しましたので訂正しました。ありがとうございます。

「(米英政府の蒋介石政権への援助を)容認することが如きことがありせば、帝国は支那事変(※日中戦争の日本側呼称)4カ年にわたる建設的成果を犠牲とするのみならず、帝国の生存の脅威せられ、権威を失墜する」

これが、日本の外務省が作った開戦理由です。 

この演説で東郷外相は、5つの開戦事由を上げています。

①重慶政府(※蒋介石国民党政府)への米英の援助
②米国の資源輸出の禁止などの経済封鎖
③日米交渉の破綻
④米英による包囲網
⑤米英への国際社会の屈従

この東郷の演説から4年余で国を滅ぼした戦争の、国民と国際社会に向けたメッセージとしては、余りにも貧弱で、何を言いたいのかすらはっきりしません。 

 ①から④までは、すべて外務省の対米交渉が不調だったことを、ひたすら愚痴ったものにすぎません。  

②の対日石油輸出の禁輸は、日本の南部仏印(※現代のベトナム南部)進駐という武力進出に対しての米国の制裁が原因ですが、 これでは「米国の制裁に対して戦争をする」という一国的理由しか読み取れません。 

本来、ここで掲げるべき「アジアの解放」はひとことも登場しません。 

同じくもうひとりの当事者である、大本営の戦争目的についての発言を見てみましょう。 

大本営政府連絡会議(1941年11月20日)におおける、占領予定の東南アジア地域の欧米植民地の処理です。(出典「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯5」)

「南方占領地域行政実施要領」
第一 方針
 
占領地に対しては差し当たり軍政を実施し、治安の回復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。
 占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に定めるものとす。

ここにも「アジア解放」のひとこともありません。

あるのは、「資源の急速獲得」であって、 「植民地の最終的帰属、将来は別途処理」という言い方で、植民地解放はあいまいにしています。 

植民地の資源を押さえればいいのだ、日本の植民地として残すか、独立させるかは後から考えよう、ということです。

おいおい、「アジア解放」ならば、そこから発想しろよと思います。

外務当局は、外交の失敗のツケをまわし、大本営は資源確保しか言わない、残念ですが、これが大東亜戦争の開始の実相です。 

それでは、東郷が開戦の原因とした、②④の「米英の包囲網」はどうでしょうか。

東郷によれば、「この包囲網は米国、英国、中国、オランダが参加していて、日本に資源や原油を輸出させないようにして、オレたちを締め上げているんだ。だからこれを軍事力で突破するんだ」ということです。 

結論から言いましょう。ただの幻想です。いかに当時の政府と軍が視野狭窄に陥ってテンパっていたかを示すものでしかありません。 

なぜなら、輸入資源は枯渇していませんでしたから。

閉ざされていたのは、唯一米国から輸入だけなのです。

ウソをつけ、日本は米国から原油を禁輸されて干上がっていて、これ以上制裁されたら自慢の海軍も動かなくなるのを恐れていたんじゃないか。

残念ですが、違います。原油も資源も、米国ルート以外に別に存在しました。

それがオランダ領インドネシアです。当時の言い方で「蘭印」です。

実はあまり知られていませんが、日本は蘭印と2回にわたって資源交渉をしています。

1940年11月、つまり開戦1年前に日本はオランダ領インドネシア(蘭印)と、資源をめぐる貿易の交渉をしています。これを「日蘭会商」と呼びます。 

Photo_4オランダは日本の要求をほぼ丸飲みしています。「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯4」によれば以下です。
日蘭会商 

・生ゴム  ・・・2万tの日本側要求に対してオランダ側回答1万5千t 75%
・錫・錫鉱石・・・同3千t 同3千t 100%
・パーム油 ・・・同1万2千t 同1万2千t 100%
・ボーキサイト・・・同40万t 同24万 60%

このような正常な貿易が成立しているにかかわらず、日本側から交渉を打ち切ってしまっています。

では当時、蘭印はどのような立場にあったのでしょうか。
オランダ領東インド - Wikipedia

この日蘭会商のあった半年前の40年5月に宗主国オランダは、既にドイツによって侵略を受けて亡命政府となっていました。

蘭印はこの亡命政府の下に入ったのですが、いかに弱い立場かわかります。日本包囲網など夢想もしなかったはずです。

英米が蘭印に圧力をかけ不調に終わらせようとしたことは事実ですが、英国がこの交渉に圧力をかけた理由は、日本を経由して戦略物資の天然ゴムなどがドイツに渡ることを恐れたからです。

こんなことにまで三国同盟の悪しき影響が出ています。

結局日本側は、この日蘭会商が不調だからという理由で、世界で誰も言っていない「ABCD包囲網」というイリュージョンを妄想し、その一角にオランダを位置づけてしまいました。

ちなみに、このオランダ領インドネシアこそ、当時世界有数の産油地帯で、その中心のパレンパン油田だけで、日本の1年間の石油消費量を生産したほどです。
パレンバン - Wikipedia

極論すれば、ここだけ押さえれば他に何もいらないのです。

ただし、ここは当時、蘭印全産油量の74%を英国系資本が、残りの26%を米国系スタンダードオイルが支配していました。

米英両国は、蘭印に対日石油交渉を引き延ばし、契約の量と期限を制限させる圧力をかけていました。

また、日本軍進入の際は、全ての石油備蓄と精油所・油井を完全に破壊するということも、蘭印に命じていたようです。

結局、この圧力に屈して日本はこの日蘭会商から撤退してしまいます。

後に日本軍は1942年2月に精鋭のパラシュート部隊により確保しています。

Photo_3藤田嗣治

本国が亡国の淵にあって根無し草状態だった蘭印と、事を構える必要があったのか、はなはだ疑問です。 

軍事力を背景にして外交的に処理できる案件であって、日蘭会商を粘り強くつづければ、原油は充分に入手可能だったのです。 

仮に軍事力を最小限行使するなら、この交渉決裂時のスタンダードオイルの油井に限定した確保です。理由は「米英の破壊工作からの予防措置」です。

蘭印が原油を売れば、塀を直ちに引き上げればいいのです。

当然、米英は怒るでしょうが、戦争事由にはなりません。

まぁ、それならばそもそも仏印進駐などせねば、米国の制裁を回避できたわけですが。

ここまでさかのぼると、第2次上海事変以降の日本の対中政策の失敗が問題となってくるので、キリがないのでここで止めることにします。

というわけで、後の東南アジア諸国は、とりあえずクールに突き放して見て下さい。日本が原油を得れば、後はどうにでもなるのですから。

当時の独立勢力に裏から支援するなりなんなり、やりようはいくらでもあります。特にフィリピンなどはなんの資源もありませんから、侵攻する理由がありません。

フィリピンは米国領でしたから、ここへの侵攻は米国にとって開戦事由足り得ます。

そもそも、資源獲得が戦争目的ならば、なぜ米国と戦端を開いたのでしょうか?

政治的に敵対関係にあったのは事実ですが、やりようはいくらでもありました。

米国を敵に回したのは下策の極みです。

真珠湾攻撃という愚作を止め、フィリピンさえ攻撃しなければ、米国の日本に対する開戦自由は消滅します。

英国や中国は米国に泣きつくでしょうが、放っおけばいいのです。

Photo_2
しかも真珠湾攻撃という投機的作戦に、みごとに失敗してしまいます。

え、大成功ではないかと。

とんでもない、あそこで沈んだのは老朽戦艦ばかり(後に引き揚げて復活)、空母はおらず、軍港施設は丸ごと残りました。

日本海軍の全員教官クラスの熟練の操縦士の見事さ、極北の海上ルートを大艦隊で隠密に航海した海軍将兵の熟練度に対しては、称賛以外の言葉はありませんが、真珠湾攻撃そのものが無意味でした。

結局、開戦したくてたまらなかったルーズベルトに開戦の口実をあたえたにすぎなかったからです。

つまり、資源だけを見れば、蘭印さえ押さえればいいのであって、日米戦争は不要どころか、せっかく蘭印で獲得した資源を日本に輸送できなくなるという意味でも、下策の極でした。

原油や鉱物資源が、ことごとく米潜水艦の餌食となって沈められたのは、ご承知の通りです。

日本は民間船舶のほぼすべてを、この海上ルートで失いました。

軍事的解決を考えたのなら、なぜ輸送まで考えないのか、なぜ海上護衛を発想していないのか、いかにやっつけで日本が戦争に突入してしまったのか分かります。

しかも、資源輸送のみならず、広大な太平洋に兵隊と航空機をばらまき、その上やらなくていい米豪遮断作戦などに手を出してしてしまいました。

結果,ガダルカナルを日本海軍航空隊の墓場にし、孤立した島への増援はできず、餓死者が続出しました。

日本軍兵士は銃弾に倒れた数より、餓死とそれによる病死が上回るという説すらあるのです。

最後には、戦闘艦のはずの潜水艦や駆逐艦に米俵を積んでのネズミ輸送に頼る始末です。

話になりません。ロジスティクをまったく考えずに、戦争をした罪は重いのです。

当時のエリートたちの、吐き気がするほどの無能さに歯ぎしりしたくなります。

作演出はメチャクチャ、役者は超優秀、これが当時の日本軍です。

思えば、世界最低の日本の学歴エリートと、世界一の現場力というのが、いまに至るも日本の宿痾です。

もうひとつの「戦争目的」だったアジア解放ですが、開戦という絶好のタイミングをはずして、ようやく大きく掲げだしたのは、もはや戦局が確実に日本敗北に傾いた1943年の大東亜会議あたりからでした。
大東亜会議 - Wikipedia

PhotoWikipedia

致命的に遅いとしかいいようがありません。

シンガポール陥落時期あたりでやれば、まったく様相は違ったはずです。 

このように俗にいうABC包囲網などは、被害妄想であって、ひとつひとつ個別の国のパーツに分ければ、外交的手段、ないしはミニマムの軍事行動で解決可能なことを、あえてひとつにして四面楚になったと思い込み、頭に血が昇って自滅したのが、わが国です。 

大戦は避けることが可能な戦争でした。

山路さん。私は当時に生きていたら、できる限りの知恵を絞って戦争に突入せぬ道を探ったことでしょう。

それでもなお、力及ばず戦争に突入したら、兵役に就きます。それが仮に「犬死」だとしても、です。

なんどもいいますが、あの大戦は回避可能でした。アジア民族の解放も、軍事侵攻以外の方法で可能だと思っています。

しかし、いったん戦端をこちらから開いた以上、その大義であるアジアの解放をなぜ全面に掲げなかったのか、その曖昧さに腹がたつのです。

アジアの解放を信じて散った将兵は大勢いました。

それは後の東南アジア住民の証言からも明らかです。 

英霊に報いるためにも、私は開戦当時の政府・軍中枢を許してはならないと思っています。 

彼らは裁かれねばなりません。それは敗戦責任という、国民に対する罪です。

もっとも強く敗戦責任を感じられておられたのが、昭和天皇陛下でした。

そしてもっともそれから逃れようとしたのが、当時の政府と軍の指導者たちの戦後でした。

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コメント

先の大戦のことについては論じれば論じる程、腹立たしい思いをします。戦前の学校で使われていた地図帳を持っていますが、赤く塗られた日本領が大陸や太平洋にまで大きく広がっています。当時の日本は非白人国家としては大国であり、欧米からも一等国として一目置かれていました。

それが今やどうでしょう。悔しく無いですか。原因を作ったのは、米国ではありません。日本人自身です。

江戸末期の開国以来本格的な戦争と言えば、日清、日露位であり、いずれも戦地は外地でした。先の大戦以前は、日本人は天下泰平を謳歌していた訳です。当時の官僚も軍部も頭の中が完全にお花畑状態で、国際情勢を冷静に分析し、これにしっかりと対処する能力を失っていたようです。

海軍を例に取ると、戦艦は金食い虫でありながら、その主砲の対艦命中率は極度に低く、実用的には静止目標相手の艦砲射撃程度にしか使えませんでした。ところが巨大軍艦は国威発揚の象徴であり、当時はマスコミも大騒ぎしてこれを煽り国民も熱狂しました。

大平洋に広く展開する信託統治領を持ちながら、シーレーン防衛への関心は低く、商船を守るのは海軍の仕事では無いと言う空気が支配的だったようです。まさに太平洋は日本の海であり、平和な海でした。

このまま米国と戦争しなければ、それで良かったのです。また、戦争をする必然性もありませんでした。ドイツとの同盟がなければルーズベルトの恫喝もなかったでしょう。

国際情勢が読めなかった当時の官僚や軍部の馬鹿げた舵取りには呆れますが、一度、戦争を選択した以上は、絶対に負けてはいけないと言う覚悟はあったのでしょうか。

日米開戦後に米国の潜水艦が大平洋に進出し通商破壊に出てきても日本海軍はなすすべもなかったようです。商船で運ばれていた兵隊や民間人も簡単に潜水艦の餌食となり多くの人命が失われました。ガダルカナル防衛のためにアジア全土から船を徴用したために、アジア地区の通商はめちゃめちゃになってしまいました。

長くなってしまうので、ここらで止めますが、エリート役人の頭とはこの程度のものなのです。東大出ていようが、海軍大学、陸軍大学の秀才だろうが、記憶力重視では、昔の栄光にしか考えが及ばず、実務能力はほとんどゼロであることが露呈してしまったようです。

組織は腐敗する。エリートが必ずしも優れたリーダーでは無い。今の日本の大企業の凋落ぶりを見ていると、東大出を重用するエリート主義に原因を見出せるのでは無いでしょうか。

国も企業も勝たなければ意味が無いのです。

投稿: 愛国命 | 2016年5月12日 (木) 09時39分

おはようございます

本文中に「東郷秀徳」とありますが「東郷茂徳」の間違いではないでしょうか?

その他、本文の趣旨には概ね賛同します。
また、アメリカを触らずに南方資源地域の獲得のみを図っていればどのような結果になったのかという点については、30年近く前に故小室直樹氏が指摘しているのを知って以来、「歴史のif」問題として関心を持っています。
ちなみに現在ハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』を読み始めているのですが、1941年8月の大西洋会談の際に「ルーズベルト大統領と、アメリカが攻撃されない場合でも、アメリカが 東アジアで参戦できるか否かを打ち合わせた」と1942年1月27日にチャーチルが英議会で証言しているそうです(同書21頁。なお打ち合わせの結果はチャーチルにとって好ましいものだったようです)。
フィッシュはルーズベルトの政敵でしたから無条件に信用していいのかどうか、私の能力を超えていますが、米英が「日本がアメリカを攻撃せずに英蘭のみを相手に開戦する場合」も想定していたというのは、大変興味深いことだと思いました。

投稿: ポッペリアン | 2016年5月12日 (木) 10時31分

私は今日のような見方にシンパシーを感じます。
資源調達の芽が完全に摘まれていた訳でなかった事は知りませんでした。驚きました。

>作演出はメチャクチャ、役者は超優秀、これが当時の日本軍です。
>思えば、世界最低の日本の学歴エリートと、世界一の現場力というのが、いまに至るも日本の宿痾です
軍事でこれだと良い解決点に至れない、つまり最期に勝てないと思うので、安全保障で日本より経済的に劣る国に組もうと誘う際にはこれは超マイナスポイントだと思います。

それとは全く別に、私は当時死力を尽くして戦われた方々に感謝しています。死ねというかの司令と共に後付けされたアジア解放大東亜共栄の名分を心に、祖国のために命をかけられた、その死に様にこうべを垂れて心から感謝しながら私達の時代に相応しい次へのプランを今の頭で構築できたらと願います。
中共はそれを嫌って話を都合よく繋げ端をつついてどんなプランもぐっちゃぐちゃにする名人ですね。

投稿: ふゆみ | 2016年5月12日 (木) 10時33分

> <白人帝国主義vs唯一の有色人種独立国日本>です。

 これが当時の実情でした。

> まず、<戦争目的>を明確にすべきです。

 戦争目的を内外に宣明すべきだったと思いますが、当時そのようなことが日本にできたのかとも思います。日中戦争を戦っており、これを米英が支援していた状況下、戦争の大目的を掲げる余裕はなかったのかもしれない。自存自衛を言うのが関の山だったのではないでしょうか。目先の日中戦で頭がいっぱいだったのでしょう。

> 原理的には、<戦争目的>とすべきは「アジアの解放」以外なにかありますか。あるはずがありません。

 そうですね。

> ただし、これを掲げるとアジア全域の植民地すべてを日本が独力で解放せねばならなくなります。
 事実、それに近いことになって、日本は国を滅ぼしました。

 最初から大東亜解放と宣言してしまうほどの勇気がなかったのかな。それは、難しかったのかもしれない。

> 植民地の資源を押さえればいいのだ、日本の植民地として残すか、独立させるかは後から考えよう、ということです。

 そんなものだったのでしょう。

> このような正常な貿易が成立しているにかかわらず、日本側から交渉を打ち切ってしまっています。

 ここの事情はよく分かりませんが、連合国側の一員として立つオランダ亡命政府はは早晩米英と結んだのではないでしょうか。なにしろ、世界を二分しての世界戦争だったのですから。

> そもそも、資源獲得が戦争目的ならば、なぜ米国と戦端を開いたのでしょうか?
 
 戦争目的は「自存自衛」なのですから、自存のため資源の獲得をする。

> 米国を敵に回したのは下策の極みです。

 世界で一番強い国と戦うべきではありませんね。しかし、あちらさんは日本と戦いたいと長年思っていたのは事実。戦争準備も万端整っていたのではないでしょうか。

> 真珠湾攻撃という愚作を止め、フィリピンさえ攻撃しなければ、米国の日本に対する開戦自由は消滅します。

 真珠湾攻撃をしたのは愚策ですし、フィリッピンへの侵攻もアメリカ領土への攻撃となってしまいます。

> 結局、開戦したくてたまらなかったルーズベルトに開戦の口実をあたえたにすぎなかったからです。

 そうとしか言えませんね。

> 日本は民間船舶のほぼすべてを、この海上ルートで失いました。

 「あ-あ-堂々の輸送船」と国民は謳っておりましたが、これがあえなく沈没です。残念、無念、悲劇だ。

> 思えば、世界最低の日本の学歴エリートと、世界一の現場力というのが、いまに至るも日本の宿痾です。

 そうですね。

> 大戦は避けることが可能な戦争でした。

 私は不可避だったように思っております。これは、具体的な処方箋はたしかにあったのですが、日本人はこれを選択できなかったのですね。今後は、この大戦争の経験から何を学ぶかということですが、この作業がまだなされていないのですね。

> 当時の日本の政府と軍の指導者には、戦争責任があります。それは敗戦責任という、国民に対する罪です。
 もっとも強く敗戦責任を感じられておられたのが、天皇陛下でした。
 そしてもっともそれから逃れようとしたのが、当時の政府と軍の指導者たちの戦後です。

 まったく賛成です。

投稿: ueyonabaru | 2016年5月12日 (木) 10時50分

 「ありんくりん」さんがおっしゃる「戦争目的が明確でない戦争は負ける」の意味が分かるような気がします。

 大きな目標、大義があっての戦争でなければやはりどこかおかしいのでしょうね。大きな目標の観点から見て政策を実行すべきでしょう。目先の政策、戦術があまり成果を生まないとしても、長期的な目的の観点からみれば間違ってはいないとなればこれもOKなんでしょうし、長期的な観点からの未来投資などもありますね。

 日本の進むべきグランド ビジョンをつくらねばならないと思いますね。

投稿: ueyonabaru | 2016年5月12日 (木) 11時24分

つくばのデコイチの初期型(ナメクジ)のボックス動輪の写真ですかね!

愛国命さん。
先日のコメントにあったように、南満鉄や満州の利権を「なあなあのやり取りで」上手く米国資本を捲き込んでいたら、歴史は変わっていたのではないかと私は以前から考えていました!
ところが対米開戦時点で航空用ハイオクガソリンは戦前にアメリカから輸入した在庫だけ。そんなんで真珠湾攻撃なんてバクチを打つなと。

真珠湾に関してはそれこそアホンダラ1号さんが言いそうですが、同時に外務省の怠慢こそ批判されるべきですね。


ふゆみさんには同意。
どれだけの優秀な将兵が名も知らないような太平洋の小島で餓死したのやら。
遊兵化して小さな環礁で自給自足するしかなかったタラワやマキンなど、畑作りが実を結んで後期には餓死・病死がむしろ減っていたりします。
ハワイに近いウェーク島なんかは悲惨だったようですね。
戦後は太平洋横断線の航空補給基地。ジェット化されてからは非常用滑走路と弾道ミサイル試験基地になってます。


Ueyonabaruさん。
米英どころかドイツまで蒋介石シンパでしたからねえ。
開戦するならやはり『アジアの解放』を錦の御幡にするしかなかったでしょうが、当時の日本首脳は野蛮な中国を倒せ!さらには鬼畜米英!に走ってましたから、流れは止められなかったことでしょう。
ですが大東亜会議なんて1943年ですから。
もう当然読んでなさるかもしれませんが、メジャーどころでは大井篤の「海上護衛戦」あたりがお勧め。
大本営が輸送・兵站をいかに軽く考えていたか。そして敗色が濃くなった状況で「そんなに言うならお前がやれ!」ですよ。
因みに員数外のタンクの底を漁って大和出撃を満タンにするために駆けずり回ったり、
緒戦での駆逐艦雷「敵兵を救助せよ!」の工藤俊作艦長と同期で、戦後埼玉で隠遁生活を送っていた工藤にたまに合いに行っては様子を気遣ったりしてた人でもあります。

インドネシアでは今村均の軍団があっという間に占領しまたが、当所は良好な関係でしたが、戦局悪化で『占領軍』色が濃くなっていきました…。当時のオランダの状況を鑑みれば、もうちょっと上手くやれたのではないかと。
パレンバン空挺降下は私は戦術的には高く評価しています。戦略的に必要だったかは別ですが。
トラックとラバウルに拠点を作ったのは妥当ですが、そこからソロモンやダーウィン空襲はどう見てもやり過ぎ。
自ら無用な消耗戦に飛び込んだだけ。MOとかFSとかアホかと。
まあ、MI作戦惨敗とガダルカナルですべて終わったわけですが。

投稿: 山形 | 2016年5月12日 (木) 11時53分

独自の理論、面白く拝見しました。

ただ、米国との戦争を回避する手段というのは満州国建設の頃ならばともかくも、事ここに至っては可能性はなかったでしょう。

>軍事力を背景にして外交的に処理できる案件であって、日蘭会商を粘り強くつづければ、原油は充分に入手可能だったのです。

これも疑問です。
最大事には170万トンくらい欄印から輸入していた実績はあったんでしょうが、米国からの輸入分を欄印で穴埋めしようとすれば、400万トン必要です。
オランダ政府がそれを了解する見込みはない、とする当時の判断は妥当です。
「パレンバンだけ抑えれば」といいますが、東アジア最大の英国の軍事基地シンガポールの鼻先を通らねばなりません。
しかも、パレンバンとシンガポールは、東京=大阪間くらいしかない。
それならボルネオのタラカン油田はどうか、といえばフィリピンの南を回り込み、セレベス海です。もっと危険でしょう。

いずれにしても英米は禁油政策の遥か前から、日本の石油備蓄量の見当をつけ、ゆっくり慌てず、じりじりと締め上げる事にしたんです。
その間、ワシントンも実に「芸」が細かかった。
オランダをして日本の要求を適当にあしらわせているあいだは、アメリカは日本向けの石油供給を削減したり、断ち切ってしまわない事をオランダに約束していました。
アメリカから石油が入ってさえいれば、ずるずる交渉を引き延ばしても、日本が欄印に侵攻する事はない、という読みでしたからね。
そして次はタンカーです。
日本のタンカーが運ぶ分だけでは、日本の需要を賄いきれない事に着目して、外国籍のタンカーを使えないように画策しました。
そのうえで、日本に古くから関係の深い、スタンバックス石油とアジア石油をたらし込みます。

交渉に行き詰まりをみせ、オランダ側は当事者間の交渉にまかせる、と言い出した。
勇躍、日本側は「道がひらけた」とカン違いしました。
そこでスタンバックス石油とアジア石油両者首脳は「供給量を増やそうにも、タンカーを傭船出来ないのだ」と答える。
パナマ船籍もノルウェー船籍も米英の圧力がかかっていて、まったく使えない。
陸軍はそれでも細々と貨物船で運ぶ(全然間に合わないが)事にし、実際ドラム缶を米国に発注し、尾道あたりに集積する計画をたてました。
今度は、三井物産がドラム缶を買い集めていることを察知し、米政府に「タンカーだけでは不十分」と御注進に及んだのはスタンバックの首脳です。
2/4新たな禁輸品目「石油タンク、ガスタンク、鉄管と並べ、石油その他の液体用鉄ドラム缶および容器」が追加されたのです。
それでも日本の商社はかけずりまわって、木樽を調達しようとしましたが、そんなもの残っていません。

日本との妥協を望み弱気だったオランダを、背後からしっかり支えていたのがアメリカです。
最初は日本に気をもたせ、ずるずると交渉を引き延ばさせ、最後に強硬態度をとらさせ日本側を激怒させたのは、すべてアメリカがやらせた事でした。
そうして完全に逃げ道をふさいだうえで、その三日後(6/21)、アメリカは日本に対する石油の全面禁輸に踏み切ったのです。

米国を相手にしたのは日本の間違いでしたが、この時はすでにルーズベルトの「魔の手」から逃れるすべはなかった、と見るのが妥当じゃないでしょうか。

投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年5月12日 (木) 12時07分

山路さん、石油を求めての日本らしい工夫が全て摘み取られていった話、並べて読む事ができ感謝します。
日本人は工夫名人ですがこの智慧は平時と災害時には役に立つけれど防衛には全く違うフォーメーションが必要だと思いました。
これしか無い、という位置に詰められない為に今から打つべき布石は、なにでしょうね。
韓国にその昔おいた石はどうやら無駄石でしたが、リスクヘッジとして必要だったのです。ASEANへの中古機器提供も地味ながら好感あります。
外からの攻めだけでなく、EU内のような内から崩壊の危機を迎えないように、エスニック同化と移民制限の大義名分も、そろそろ浸透させていくべきだと危機感がつのってきています。

投稿: ふゆみ | 2016年5月12日 (木) 14時00分

山路さん。私、今日のテーマは、前回のあなたの言説に沿って「大義のために大戦を始めたのか」です。
ちがうというのが、私の意見です。

「自存」のために開戦したのであって、資源確保がテーマだということをはっきりさせたかったのです。
大義ならばどうしようもありませんが、資源問題ならば揉みようがあるというのが、私の考えです。

日蘭会商が破綻した原因は、いうまでもなく英米の横やりです。
ほとんどすべての資料がそう書いています。
申し訳ないが、私もその辺は読んで知っています。
貴兄のおっしゃった日本側の苦闘もよく知っております。

ですから、私は「あえて異論を唱えれば」という気持ちで書いています。
最後の軍事的オプションも添えておいたつもりです。
私の提案は、当時の特殊部隊であったパラシュート部隊による、油井・精油所のピンポイント確保です。

オランダとは戦争になるでしょうね。
避けたいですが、しかたがありません。

海上ルートがらみで、シンガポール軍港のことは当然おっしゃって来るであろうな、と思っていました。
英国との戦闘も回避できません。
それも折り込み済です。
ただ、英国側からいきなり開戦を仕掛けてくることができないようにするには、どうしたら良いのかということです。

オランダ領ですから、いくら英国籍の石油会社がかんでいても、英国だって石油会社のための戦争は開戦事由にはなりえません。

真珠湾だ、マレーだ、仏印だ、アッツだ、果ては、米豪連絡線の遮断だと言ってガダルカナル、ニューギニアにまで兵を進める。
馬鹿かと思います。

戦略として間違っているだけではなく、四方八方にたこ足のような戦線拡大をするから、戦争目的も大義もわからなくなります。

そんな四面楚歌をやれば、日本がどのようにみえるのか少しは考えてやったらどうなのか、ということです。

まずは蘭印との粘り強い交渉、それが破綻したら蘭印との開戦。

そして英国がシンガポール軍港から、海上ルートにプリンスオブウェールズでも出してくれば、まずは向こうに一発撃たせるのですね。
撃ってこなければ粛々と航海自由の原則を貫くことです。

英国と戦争にならないこと、これが大事ですが、残念ながらそうなった場合は、史実どおり勝利するでしょう。

そして、以降は現実の史実通りとなります。
1941年12月の第25軍のマレー進撃が開始されます。
そしてシンガポール要塞を落とした段階で、大東亜会議の開催。
インド洋に連合艦隊派遣。
大東亜会議と真珠湾とフィリピン攻略がない以外は、ほぼ史実どおりです。
ここで英国と和議に入ります。

問題は英国ではありません。
もちろん既に本国が失陥しているオランダでもありません。
言うまでもなく、米国です。
米国をアジアの戦いにいかに介入させないか、に尽きます。
彼らは、英蘭と違ってアジア権益と無関係なのです。

つまり、おら印は蘭印と、英国は英国と問題をひとつひとつ片づけて、彼らの「連合国」化を防ぐことです。
つまり分断することによる、リスクの最小限化です。

「ただし、ことここに至っては不可避だ」という貴兄の意見に、じつは私も同意しています。
ここまで煮詰まってくると、戦争回避は相当に困難だという説には賛成です。

最大の問題は、米国の制裁を呼んだ仏印進駐の原因である中国との戦争を終結できなかったことです。
これはこれで巨大なテーマであり、絞め殺してやりたいようなA級敗戦戦犯である近衛のことにふれないわけにはいかなくなりますので、止めた次第です。

ですから今回の私の記事は、中国との戦争を終結させるということができなくなった場合の、二枚目の予備シナリオにすぎません。
その前に勝利が不可能となった中国との戦争を、和議は無理でも停戦に持ち込むことです。
その機会は2回ありました。

アジアの大部分は、英国植民地でした。
ですから、英国を相手にした場合、もっとも有効なカードは、「アジア植民地の解放」です。
逆にいえば、もっとも英国から憎まれるカードともいえます。

だから、この大義をきちんと使え、資源問題とゴッチャにするな、と私は言いたいのです。

投稿: 管理人 | 2016年5月12日 (木) 17時18分

誰も書いていないけど、尾崎秀実のようなコミンテルンのスパイによって戦争を炊きつけられたという背景を忘れてはいけません。

投稿: あかんそすてが | 2016年5月12日 (木) 22時23分

あかんそすてがさん。すいません、それは朝日の記者で、政権中枢にいた風見章の日記がらみのことですね。

はい、私もあの林千勝氏の風見日記の暴露には驚きました。
風見は、近衛の政権中枢にいて、明確に日中戦争の長期化をさせることで、日本を敗北させ、米国を引き込み、敗戦後には天皇制の打倒まで考えていたようです。

このテーマは後日、機会があればやります。

投稿: 管理人 | 2016年5月16日 (月) 17時46分

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