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2016年5月10日 (火)

HN歩兵部隊グアム移転さんにお答えして 「あるべき」と「ある」を混同するな

Dsc_2563
本来は「ドイツ帝国」の続きを書きたかったのですが、「大学でていないだろう」とまでいわれましたんで、先にこちらから(苦笑)。

HN歩兵部隊グアム移転さん。(長いので以後HNグアム移転と略記)からコメントをもらいました。 

彼とのやりとりに関心ないかたは、波線から下からどうぞ。 

いきなりこうかまされたので、びっくりしました。

「タームさんが不憫です。管理人さんは大学を出ておられない?
山の付く人たちも。」

私はこのブログを初めてそろそろ7年になりますが、「お前は大学をでていないだろう」と言われたのは初めてです。

いやー、ボク、資本論ゼミっすよ。全3部を完読したのが青春の自慢っす(爆)。 

HNグアム移転さんにご忠告しますが、さぞかし大秀才であられるのでしょうが、普通、社会ではそんなことを口走ったら、その瞬間、その御仁は負けたようなもんです。 

あとでそんなつもりじゃなかったと弁明しても、自分の論理展開の不十分さを、「学歴」で補強しようとする権威主義者と見なされます。 

特にネットでは、学歴書くバカはいませんから(まれにいて嘲笑されますが)、いわばシャバでしか通じない学歴や勤め先を自分の論理を補強するために用いることとなって、ネット言論空間ではそれだけでレッドカードでしょう。 

わきまえがありません。初歩的社会常識が脆弱だ、といわれても仕方がないでしょう。 

次に、HNグアム移転氏はこう書いています。

「原理、原則論、理論、理屈を徹底的に(理想論だ、机上の空論だといわれようと)真っ直ぐに突き進めていく。
そうすると不都合が出てくる。管理人さんのいう「現実を見ろ」ですね。
そこで初めて、原理、原則論を曲げて「現実」にあわせていく。
曲げてもいいのか。
曲げていいならどこまで曲げていいかを議論する。」

そしてこれは「科学」だそうです。なんの科学かと思ったら、「社会科学」だそうです。 

「社会科学」という括り方は、もはや死語同然です。 

現実の知の世界では、互いに乗合と変容が進行していて、こんな前世紀の概念規定をいまでも振り回しているのは、某左翼政党程度とその取り巻きの世界の中だけです。 

某左翼政党には未だ、「科学的社会主義」という19世紀の概念が生き続けています。 

この人たちにとって、「科学的見方」とは一般的な科学ではなく、「このように社会を見ることが正しい」「こう社会はあるべきだ」という<当為>のことだからです。 

かみ砕いて説明します。

Photo

たとえば、ここに本があるとします。 

一般的には、「ここに本がある」と考えるだけで、このような「本でなければならない」とは言いませんね。 

しかし<当為>の世界に住む人はそうは考えません。

この本は「こういう内容でなければならない」、あるいは「こういうことを書かねば本足り得ない」などと言い出します。

この<当為>という聞き慣れない概念は、独語のSollen(ゾレン)を邦訳したもので、英語のshallに該当します。

これに対する語は、独語はSein(ザイン)で、英語のbeにあたります。

<当為>は観念哲学や法律学の概念として日本に輸入されたために、いまでも観念哲学的発想の人は、社会を「こうあるべきだ」と断定して怒ったり、泣いたりしています。

一方、自然科学系の物理学などや、生ものの経済を扱う経済学や、これまた流動する国際社会を研究する国際関係論では、後者のザイン、つまり「こうある」という見方に立ちます。

そりゃそうでしょう。地球物理学者が「こうあるべきだ」という先見的な立場で、現象を解析されたら、たまったもんじゃありません。学問になりません。

某左翼政党は、「科学」と言いながら、本来その中に混ぜ込んではならない当為である「法則」を持ち込みました。

法則とはこの場合、「科学的社会主義」が教える「べき論」の教条(イデオロギー)です。

複雑な経済学や歴史学にもマルクス主義者は、この「主義」を「科学」の名の下に堂々と持ち込んだから困ります。

日本の戦後の東大で教える経済学とは宇野マル経であり、法学は宮澤憲法学であり、政治学は丸山政治学のことであり、国際政治学は坂本義和であり、そして歴史学といえば石母田マルクス主義歴史学でした。

いわば戦後日本の官学の「社会科学」は、ほぼすべての分野がマルクス主義の強い影響下にあったのです。

日本のエリートが薄ら赤くなって当然ですね。

たとえば、キャリア組外務官僚だった加藤紘一氏は、後に防衛庁長官となり、自民党幹事長にまでなりますが、東大生の時の60年安保では国会に突入したのはいいが、逃げ場を失って父親の部屋に飛び込んだという笑い話があるそうです。

それはともかく、「社会科学」のマルクス主義支配が、いかに日本の文系を歪めたのかは、知る人ぞ、知るです。

この人たちは、社会はこう「あるべき」で、それはあらかじめ決まっていると考えますが、あいにく、現実は往々にして思う通りに進行してくれません。

その都度、それは「進行しない方が間違っている。何か政府は隠しているはずだ」となります。

今回のこのグアム移転もそうです。「グアム移転せねばならない」という当為、あるいは願望を「科学の原理原則」だと前置して、そこから演繹してしまいます。

お気の毒ですが、米国も日本政府もそんな彼らの思惑とは別の世界に生きていますから、その都度裏切られては、「いやグアム移転計画はある」「こう書いてあった」と叫ぶことになります。

「べき論」を「ある論」と混同した空回りです。

                 ~~~~~~~~~~~

Photo_7http://sher.militaryblog.jp/ たまにはこういう写真もいいのでは。

さて、気を取り直してHN「グアム移転」さんの言うことについて検証して見ましょう。 

以前、この人はこう書いています。 

「タームさんの言われるように、2012年に米軍再編計画の見直しがあり2006年合意とは、まったく異なった内容となっています。
グアムに移転する予定だった部隊も変更となり、歩兵部隊(第4海兵連隊)がグアムに移転することが日米合意されています。」

 もう何回も書いてきたことなので、正直言ってまたか、という脱力感があって、答えませんでした。

米海兵隊の一部撤退計画は、おっしゃるとおり、確かに「生きて」います。 

ただし、ペーパーの上だけ「生きて」いるだけです。 

なによりの証拠に、現実に2012年に、この人が言うように「第4連隊はグアムに撤収」しましたか? 

していたら、おめでとう。海兵隊段階的削減論者の私もうれしい。 

しかし現実には、米国は06年合意をした後も10年に取り下げ、その後の12年撤収もフェードしました。 

なぜなのでしょうか?少しはその意味を考えたらいいと思います。 

つまり、はっきり言って、米国側は「海兵隊の移転」をそんなに大きなこととして考えていないということです。

米軍の世界再編計画はありますが、それは予定どおりに進行しておらず、その都度ウォッチせねばならない水物なのです。

Photo_3http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-09/2012020901_01_1.html

上図は、反基地派の情報ソースである共産党機関紙「しんぶん赤旗」(2012年2月9日)のものです。

ここでも「グアムを海兵隊の戦略的拠点にする」「沖縄には海兵隊1万人を残す」という12年当時の米軍方針を正しく使えていますが、結論が飛躍します。

「グアム移転の「条件」にしている普天間「移設」の進展から切り離し、先行して進めることについて、「公式な協議を開始した」としています。」(同上)

これは、「早期に米海兵隊が撤収せねばならない」という、<当為>が混入しています。

「普天間の移転は2020年前半だから、それまでに移動するぞ」という願望にすぎません。

本当にそうなるかどうかは、神のみぞ知る、です。ここでいう「神」とは国際社会の情勢です。

ぶっちゃけ、トランプという「衝撃的なほどの無知」(米紙の表現)が大統領にでもなれば、8千人の海兵隊移転どころか、日米安保が丸ごとどうなるかわかったものではありませんもんね。

念のために押さえておきますが、HN「グアム移転」さんのように、「第4連隊のグアム移動」なんて書くと妙に盛り上がりますが、しょせん連隊の本部が移転するだけです。 

本部というのは実戦部隊ではありません。ヘッドクォーター(HQ)、つまりエライさんと幕僚とその事務官たち、及びその家族にすぎません。

Photo_4https://twitter.com/mcipacpao/status/6418299021367...

それも連隊レベルです。第4連隊の上部組織である第3海兵遠征軍も、第三海兵師団も動く気配がありません。

もし、本気で動くのなら、師団司令部の撤退計画が出て、段階的に実施されているはずです。

しかももっと本気なら、日本側の同意なんぞ関係なく、どんどん自分から沖縄を撤収していきます。

そのていどには、米軍はミーイストで身勝手なのです。 

ですから、これは米国側のポーズでしょうね。「日本側に妥協してやったぞ」という貸しを日本政府に与えたかったのです。 

こういうことを、政治用語でマヌーバ(眼くらまし)と呼びます。 

Photo_5http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/570d3a2b9028ec235dc1ac8390889678

第2に、この人は米国の海兵隊を自衛隊と一緒にしています。 

陸上自衛隊は、一回駐屯地を構えるとジッとそこにい続けます。 

米海兵隊は、基地のことをキャンプシュワブみたいに、「キャンプ」と言いますね。 

この「キャンプ」とは、文字どおりキャンプです。あの夏休みにやるキャンプですね。 

ずっといるのではなく、「出ていくかもしれない」という含みがあるのです。 

だから、キャンプハンセン、シュワブは単なる「本籍」です。 

「沖縄海兵隊」と言っても、グルグルとローテーションしているのは、常識です。 

ある時は沖縄,ある時はフィリピン、ある時はアフガンというふうに「現住所」は変わるのです。

Photo_6 http://www.jiji.com/jc/v2?id=20100414us_marine_cor...

元々、海兵隊は陸軍と違って機動軍ですから、俗に「沖縄海兵隊」なんていっても、定員1万8千(1万2千~1万3千説あり)がじっと沖縄にいることはありえません。

沖縄基地所属というのは、ただの「本籍地」でしかないのです。 

「現住所」は、クルクル変わります。 

ですから、シュワブの海兵隊は、いつも定員の半分ていどしかいません。常にどこかに行っていて、1万人以上いることは稀です。

なんのことはない、「グアム移転」後の兵員数と一緒じゃありませんか(笑)。 

つまり、海兵隊「グアムに一部移転」しようがしまいが、ほんとうのところは、米国にとってどうでもいいことなのです。

仮に「グアム全面撤収」となっても、基地施設は残すつもりですから、常に一定数の連隊規模の兵員はローテーション・シフトでシュワブにいることになります。

ですから、こういう書き方をすると身も蓋もありませんが、いつもいるわけではない海兵隊の、しかも事務方と家族を「グアム移転」して見せて、「ほら、こんなに日本政府の負担軽減に協力していますよ」という慰撫策にすぎません。 

まんまとそれに引っかかっているのが、基地反対派だというのも皮肉ですね。

さて、トランプがかなりの確率で大統領になりそうです。その場合、日米同盟は鳩山氏以上のすさまじい大打撃を受けます。 

初めて、日米安保が一方的廃棄されることに、直面することになったのですから。

私はその場合、初めて改憲を国民に投票で問うべき事案が発生したと思っています。

 

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

はーい。山がつく人ですがなにか。

私がタームさんに言ったのは、それこそ「こうなっているはずだ」「こう書いてある」では意味が無いよと。実際に現状を認識するところから考えなければダメですよ、ということだったんですが、残念ながら結局はぐらかされましたね。

歩兵部隊グアム移転さん、
あなたが繰り返し仰る論理では、あなたこそタームさんの親衛隊やそのお仲間という認識でよろしいですね?
それにしてもイキナリ学歴持ち出して暴れるって、正気かね。

繰り返し、わたしのコメントを読んでくださいとだけ書いておきます。
なお、他の話題も読んでの感想を書きましたよ。

なお、「キャンプ」について
「本籍地」の移転として、多額の費用は日本は要求されています。
「本籍地」の移転は、役所に届出書を1枚書くはずでいいところを、この費用はどう説明されますか。

わたしも「本籍地」の「グアム移転」をしても、部隊は今のまま沖縄に「現住所」すると考えていますよ。なにせ北部訓練場(ゴンザルベス)はそのまま残るのですからね。
移転費用は詐欺だと思っています。
実際は千人しかいないものを4千人移動するという点でもおかしい。

あら、あなた、「在沖海兵隊のグアム移動は本部だけです」の記事で、2006年合意(司令部だけ)に固執していて、タームさんの意見を無視していたはずのに、いつの間にか訂正してありますね。

歩兵部隊グアム移転さん。

うん、読んだ。だから何?ということしか書いてませんね。
竹竿がどうとかに例えて、ただの批判と中傷ですね。都合よく接着剤、あーハイハイ。そのまんまあなたにブーメランです。
櫻井よし子さんどうこうと勝手に言ってるのはあなたですから。

ただの荒し認定を乞うてるようにしか思えない内容と連投ぶりですな。


ところで、歩兵部隊グアム移転さんはどちらの大学出身で、ご自分がどの程度優秀な人間なのだとご自覚なのでしょうか?
ま、冗談ですよ。それこそあなたがのっけから言い出したことですが、私は学歴など気にしませんから。友人にはそれこそ東大や早稲田やらを出たエリートのヤツから地元でも偏差値最低クラスの高校ですら中退したのもいますけど。人それぞれで面白いものですよ。たまに会うけど仲良いです。

この類のサイトを訪問するとコメント欄に汚い言葉が並んでいることが多いのですが、管理人さん主催の記事は実に真面目でコメントも真摯なものが多いようで好感を持てます。

管理人さんの理路整然とした論調には、一日中パソコンの前に陣取り薄ら笑いを浮かべながら荒らしをしているプロ市民や工作員も歯が立たないのでしょう。

学歴問題を持ち出して他を誹謗することはルール違反ですし、社会のマナーにも反します。もう少し真面目にお行儀よく日本の将来に対する提言をして欲しいものです。

海兵隊がグアムに行こうが行くまいが、安保が堅持されようが破棄されようが、これらは米国の意思に大きく影響されることです。状況は常に変化します。このような変化を敏感に肌に感じ取り、将来起こり得るあらゆる事態に備える能力、今や学歴や理論に依らない直観力や洞察力が必要とされているように思います。

HNグアム移転さんの言い方は実に不快です。
学歴云々の話しもそうですが、「山のつく人」などという言い方を何故する必要があるのか?

ブログ主様がHNグアム移転さんのような意見を取上げるのはおそらく、ネットの特性である「同じ空気感を持つ人々のみ集まりやすい」という欠点や、より広範に議論する意義を意図しての事でしょうが、それにも限界があろうかと思います。
(私にはブログ主様ほどリベラルな心性が発達していないから、こう考えるのかも知れませんが)
しかし議論の相手としてのHNグアムさんは、最低限の基準に達していません。

こういう人には、相手の意見対して「わかった」とか、「理解した」は決してないのです。
一点々々、段階を追って懇切丁寧に説明しても、経時的な承認の反応をする事は決してなく、次に来るのは、際限のない論点ずらしと細部にわたる「重箱の隅つつき」です。
そして最終的には「感情」への依存です。
こうした不毛の議論を途中から見た人や、漫然と読む人から見ると意味がわからず、「どちらにも言い分があるな」とカン違いする。
もっとも、それこそが目的です。
(私事ですが)かつて、このような方法は経営者側との団交のコツでもありました。
削除するなり無視されるのが相当と思料します。


それはともかくとして、
ブログ主様の「社会科学とマルクス主義との接着が、いかに文系の学問を歪めてきたか」~「原則論と当為の問題」には面白かったし、深く同意します。

「社会科学」のために誤解のないように言っておきますと、近年は行政の中では(良い悪いはともかくとして)、「社会科学」は重宝されています。
各種審議会において、社会科学者の席が必ず確保される傾向にある事をもってもそれはあきらかですね。
しかし、「社会科学」は学問であることは疑いを入れないとしても、それ自体で一本で成立しない不思議な学問でもあります。
「分野が広範にわたる」と言えば聞こえがいいですが、「専門的分野がない」という立場なんですね。
それがアカデミックには「格下の学問」と影で揶揄される所以でもあるでしょう。

各種審議会などで社会科学者が期待されるのは、「分野を横断した総合的知識から、発想の仕方の提示や問題点、現象を適切(科学的に?)に分析し解説してみせる事」その事にあります。
もともと結果を追求する学問でもないし、結論というか実効性という面では非常に弱いんですね。
だから、結果的には「参考程度」ということで、参加した社会科学者の先生方には不満も多々あるようです。

それでも社会科学の役割は必要にして十分、と私は思いますが、社会においての役割を執拗に追及する派が存在する事が社会科学にとって不幸です。
もともとマルクス主義と縁戚関係にある学問ですから、社会への、より明確な反映という方向に向かいたい潜在的欲求を孕んでいるのでしょう。

「発想の提示」という役割から、どう発想するか=「原則重視・原則論への回帰」という本質論に行かざるを得ないのもまた社会科学の宿命的な問題です。
また、その過程で社会科学が一定の実効性ある結論を導き出そうとした場合、本質を重視するあまり、どうしても現実の状況や他者の立場を切り捨てる面が出てくる。
これは単なる選択の問題ではなく、実際において思考段階で選択時に何を捨て何を重視するか、これを科学的に行なえる、というのは馬鹿げた神話にすぎません。
しかし、こうした社会科学本来の学問から飛び出た「本質論」「原則論」の過度な重視の姿勢は、運動体の行動原理にはかなり寄与しているのは言うまでもありません。


途中まで書き込んでましたが、山路さんのコメントを見てやめました。
危うく、グアム移転さんに小学校出てるのと
言われる所でした。(^^ゞ

グアム移転さんのコメントみてると、ちょっとした知り合いだった全共闘世代のオヤジを思い出します。一応有名大学出身とのことで、貫徹という言葉が大好きなようでした。何か成し遂げたわけでもなさそうでしたけど。

元本部町民さん

どうか、思ったとおりのコメントお願いします。
私のせいのようで気が引けてしまいますよ~。(泣)

私のこのブログの楽しみは、記事の内容だけでなく、コメント欄を読むのがまた楽しみなんです。
継続的に拝見していると、意見の相違は別にして皆さんそれぞれの個性や人となりがうかがえて、これがまた大変暖かいんですね。
だから、度々ページを開けてしまいます。
なので、よろしくお願いします。(合掌)

管理人さん
昨日の「ドイツ帝国」の記事、たいへん興味深く読ませて頂きました。
「歩グ転」氏など無視して、ぜひドイツ帝国の続きをお願いします。

不憫な事になった事になってるタームさんはその後の記事にも前向きに中国支配リスクへの反感など書き込まれていて、個人的に全然不憫でなくまた何かコメントされる事あるかと気楽にしていたのですが。

どうしてもそっちに話を戻して止めたい人達がいるようですね。
ドイツ帝国〜アジアの集団自衛にtermが回ってくるのを待っています。

山口さん、「歩グ転」氏って「ホコ天」みたいですね(笑)。

こんな記事があります。

「高学歴で優秀」のはずが職場のお荷物 優先度高い仕事「無視」する社員に要注意
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/07/30211870.html

「高学歴なのに仕事ができない人に共通する3つの特徴」
https://careerpark.jp/3951

謙虚さって大切ですね。
私もドイツ帝国の続きがみたいです。

最後が連合なら「歩グ連」で、左翼団体みたいで格好いいなと思ったのですが・・・

ところで、憲法学者の小林節氏の政治団体「国民怒りの声」の設立会見、全文読みましたが、かなり脱力しました。
どういった思想の持ち主なのか、はっきり分かります。
「辺野古新基地」や鳩山さんの「最低でも県外」についても言及されています。

> もともと結果を追求する学問でもないし、結論というか実効性という面では非常に弱いんですね。
だから、結果的には「参考程度」ということで、参加した社会科学者の先生方には不満も多々あるようです。

 社会科学者の先生方の実力による面もあるのではないかと思うのですよ。先生方に説得性が弱いということはないでしょうか? ピケティ-の理論、一時的でしたが、ある影響力は発揮できました。永続性はありませんでしたがね。 

> もともとマルクス主義と縁戚関係にある学問ですから、社会への、より明確な反映という方向に向かいたい潜在的欲求を孕んでいるのでしょう。

 マルクス主義は宗教性があるような感じがします。共産党員の頑張りには宗教的な情熱を私は感じております。社会科学としてのマルクス主義は落ちぶれてしまいましたが、それに内包されていた宗教性は残っていてまだ力を発揮しております。日共がカトリックで核マル、中核派はプロテスタントにたとえてみましょうか。

> 「発想の提示」という役割から、どう発想するか=「原則重視・原則論への回帰」という本質論に行かざるを得ないのもまた社会科学の宿命的な問題です。

 そうであれば、社会科学の使命もあるはずですね。

> また、その過程で社会科学が一定の実効性ある結論を導き出そうとした場合、本質を重視するあまり、どうしても現実の状況や他者の立場を切り捨てる面が出てくる。これは単なる選択の問題ではなく、実際において思考段階で選択時に何を捨て何を重視するか、これを科学的に行なえる、というのは馬鹿げた神話にすぎません。

 学者個人で異なってくる。

> しかし、こうした社会科学本来の学問から飛び出た「本質論」「原則論」の過度な重視の姿勢は、運動体の行動原理にはかなり寄与しているのは言うまでもありません。

 現在でも、社会科学も「本質論」「原則論」を追及していいのではないでしょうか。意見のない学者は、本物の学者ではないと思うのですが。

ueyonabaruさん、面白い提起ありがとうございます。
社会科学の論説が現実と見事にリンクして説得力を発揮するのは、1つにつき3〜5年。一瞬の輝きは現実社会の動きによってくるくると変わるものだと私は思って記事など読んでいます。
個々の学者が持つべき矜持があるとしたら、己の正義感と学術対象をいかに分離し名誉獲得のために利用しない、というある意味引きこもった姿勢で、所謂学者肌、で良いのだと思います。そして学者は学者に過ぎず、その生きる書庫の字引きを引く私達の理解力が試されるのだと思います。
そういう意味で、小林節に勝手に国民カウントされる筋合いは、私には無いです。むっかー!

タームです。
なにやら私のコメントが飛び火してお騒がせしているようですみません。

皆さん、それぞれ、思いや考えがありますね。
私自身は、海兵隊移転?ないない!で終わりではなく
米軍頼りの国防、しかしいつ米国に梯子を外されるかわからない現実を直視して、国防や自衛を考えなければいけないという思いは変わりません。
トランプ氏登場は、ある意味日本にはいいきっかけではないかと思っています。

「辺野古が唯一」に関しては疑問もありますが、米軍基地は全部反対でもありません。
今嘉手納基地を撤去などとなると、非常に不安です。
また宮古石垣の自衛隊配備がスムーズにいくようにと希望しています。

米軍基再編計画の「海兵隊要員約9,000名(司令部+実動部隊)とその家族は沖縄から国外移転」が、米国による慰撫策とのことで

しかしその移転費用まで日本が負担させられるのも、なんだかなぁですね。

昨年は菅官房長官が自らグアムまで海兵隊受け入れ先施設を視察に行き、米議員と海兵隊グアム移転の確認をしたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000306/20151030-OYT1T50021.html

個人的には、この米軍再編計画によって去年返還された西普天間地区の跡地利用が順調に行くのかも、気になります。いろいろ計画はあるようですね。


今朝ほどコメントした内容について、社会科学を学習された方が見ると誤解を招くかもしれないので、補足させていただきます。
上記コメント中、「本質論」という言葉が度々出てきますが、これは一般論的な使い方をしたもので「本質主義」とイコールではありませんので念のため。
ただ、正直申して私の考えるところ、それはどうでもいいのですが。
しょせん、社会科学の主流である「社会構築主義」も「本質主義」のアンチテーゼとして出現しておりながら、マルクス主義の「時代の必然」という奇怪なワクのせいで、結局は「本質主義」に回帰している、と考えるからです。


ueyonabaruさま

退屈に違いない私のムダに長いコメを丹念に読んで頂いて恐縮です。

>現在でも、社会科学も「本質論」「原則論」を追及していいのではないでしょうか。意見のない学者は、本物の学者ではないと思うのですが。

もちろん、私も大体はそのように思います。
ただ、議論のうえで「本質論」や「原則論」に拘泥するあまり、かえって本質を見誤ってしまう事が往々にしてある、と言いたかったんです。
それと、「本質ありき」「原則ありき」では正当な学問は成せないと思うのです。

ヘーゲルは「本質は止揚された存在である」と言いました。
これは本質は、対立や検証のすえ一段高い次元に行った概念様のものだ、というような解釈だろうと思います。
ここでいう「対立や検証」は「本質」から見ると他者なんで、相対的なものですね。
すると本質は、相対的なもの(他者)がなければ成立し得ない事になります。
ここでいう、相対的なものが本質を規定するわけです。
この相対的なものとは、本質を導き出すうえで前提として必要な事実や事象の事です。
なので、「本質」は、それを導き出した事実や事象より後から来るものです。
また、「本質」は一人立ち出来るものではなく、必ず生んでくれた他者(事実や事象)を必要とする、という事ですね。
そこで問題は、この他者(事実や事象)というのは事情や時間によって変化してしまう、という事なんです。
よって、「本質」もその変化によって変化せざるを得ない、というのが結論です。
私の記憶に間違いなければ、これを「本質のゆらぎ」と
言うのじゃなかったか、と思います。

と、こんな弁証法的な事を申しましてもわかりずらいので、今日のお題のHN歩兵部隊グアム移転さんの件で具体的に説明してみましょう。

HN歩兵部隊グアム移転さんやHNタームさんにとって、2012年の防衛省指針はまさに「本質」であり、大原則ですね。
しかし、この本質や原則も、前提となる事象や事情が変わって来る事によって変化して来ます。
その点、HN歩兵部隊グアム移転さん自身も変化する可能性がまったくない、とは言っていない。
次の言葉であきらかです。

>「原理、原則論、理論、理屈を徹底的に(理想論だ、机上の空論だといわれようと)真っ直ぐに突き進めていく。
そうすると不都合が出てくる。管理人さんのいう「現実を見ろ」ですね。
そこで初めて、原理、原則論を曲げて「現実」にあわせていく。
曲げてもいいのか。
曲げていいならどこまで曲げていいかを議論する。」

そうすると、本質や原理原則といったものを曲げるポイントがどこか、(許容点はどのあたりにあるか)という事に問題は収斂されて来るわけです。
これについては度々ブログ主様が説明したとおり、国際関係や米軍の事情、日本や地域の安全保障、のっぴきならない現実の変化が存在するのだ、と説明したとおり「曲げていい」範疇に入る事は明らかです。
であれば、HN歩兵部隊グアム移転さんやタームさんが規定する本質も変化・変容したって事ですね。

それにしても、本質や原則は追求するものでしょうか。
以上説明して来たように、本質はそれ自体では存立し得ず、それを生んだ事実や事象よりも先んずる事はありません。
本質は「結果」であり、後に説明しやすくしたり、学習するための便宜上与えられた「記号」のようなものではないかと思うのです。
なので、「大体は」という、小さな留保を致しました。


あら、山のつく人集合しちゃいましたね(笑)


タームさん。
ドンマイです。
私も折角返還された土地なんだから、最大限に有効な利用がなされれば良いと思います。
なんせ本島だけで我が県の総人口より多くの人が住んでますしね。

タームさん、それぞれ思いや考えがあってイイですよね(^^)。
山形さんの言われるように沢山の、それも若者子どもの多い沖縄県。何とか暮らす人々にとって良い方に向いていって欲しいです。
話はずれますが沖タイにまた地震喚起の記事が出ていたようですよ。県政とべったりな媒体が他所の土地の災害の直近にこういう記事を出すのは、住民の反応をリサーチしたい意味もあります。政治色のない地味だけど意義のある活動に金と時間を入れるのには必要性が不可欠なので。こういう時こそガンガンレスポンスしてみてはどうでしょう。
避難の仕方と津波の知識を積むだけでもかなり違います。
どんなに近くに救助能力ある軍がいても初動で失われた命は亡骸をお探しする事しか出来ないのです。
県からトップダウンでやらないのなら、本土の小さな行政区のように海に近い町や村単位で避難訓練始めたり、小中学生のお子さんをお持ちの方はPTAが年に何度か招ける講演や研修会に災害避難の人を呼ぶなど。シルバーさんが集う場所に呼ぶのもいい。自治会からそういうリクエストが増えれば市町村も護岸工事以外のソフト面に意識を向け始めるはずです。

繰り返しますが、
繰り返し、わたしのコメントを読んでくださいと書いておきます。

地球物理学者は、「こうある」を知っていると言うのですか?
あなたが見ている「こうある」は、あなたの思い込みです。

タームさんが書いてました。

管理人さんは、そういう人たちと違う気がしたのです。
場違い勘違いで、すみません。


本文に見える管理人さんの姿は偽りの姿。
と気付いたということでしょ?

他の記事に検索着地して、いろいろな記事を読んでコメントを書こうと思っていたところに、タームさんの記事と、コメがあったので、場所をお借りしただけです

歩兵部隊グアム移転さん、超読だと思いますそれは。
そういうひとたちと違うのではとおもって色々確かめる過程で
やりとりがスムーズに進みませんでしたね、
というコメントだと私は読解していました。
管理人さんもひとまずお互いの気持ちを確認して終わった訳で、
どっから何の口ばしを突っ込んでいるのか理解不能です。

自然科学ってのは、毎年毎日新たな知見が出ては検証の繰り返しなんですがねえ。あのアインシュタインですら間違いやってますし。
天文学や地震研究なんかは典型ですね。はたまたSTAP細胞なんてのもありましたが。

社会科学(30年前に死語)は未だにまず原則論ありきということですか。思考停止で後は詭弁を労してその場しのぎのテクニックだけじゃないですか。


ふゆみさん。
超読かあ。かつて英語の「超訳」本が流行ったのを思い出しました。今のスピードラーニング並みに新聞広告出てましたね。
ゲームの達人とか面白かったですね。

スルーしてばかりもいられませんかね
山がつく人とは1人をさす

他の記事でも(つまり私以外も)あからさまに無視しているのに
「無視されていること」に気付かないものですかね


>毎年毎日新たな知見が出ては検証の繰り返しなんですがねえ。あのアインシュタインですら間違いやってます

それが、「こうある」ですか。

歩兵部隊グアム移転さん。

ほほう、で、その山のつく人って誰?それすら恐くて言えないのかね?
他の人にも無視されてるのにも気付かないのかあ。誰なんだろう。
必死になって話を逸らそうとしても無駄ですよ。そしてどんだけ自分が偉そうな態度で顰蹙かってきてることくらいはご自覚なさいな。
真っ先に「大学出てないのか」でしたからね!
そりゃ注目(失笑)浴びますよ。
良かったね。みんなにかまってもらえて。

ここにコメントしてくれたおかげで、余計に言いたいことがわからなくなりました。賢者が愚者を演じることはできるが愚者が賢者を演じることはできない。私は愚者のほうです。

はい、皆さんこのくらいで。

グアム移転さん。君は内容そのものより「大学でているのか」という暴言で批判されています。

それがわからないようなら、この先、社会で苦労するでしょう。
社会で、「お前大学でていないんだろう」とやったら、その瞬間君の社会的生命はお終いです。

これは皮肉ではなく、忠告です。

歩兵部隊グアム移転さん

不憫とのお気づかいありがとうございます。

ご指摘のように私も、なぜ管理人さんは、米軍再編計画を見直し前の2006年版ですすめるのかと不思議でした。
徐々に修正されていますが。
現実がどうではなく、ご本人になにか譲れないものがあるのだとも感じました。

しかし、人様のブログにお邪魔しておりますので。
それぞれの考えやルールがありますし。
私の言い方が悪かった部分もあると反省もしています。
あまり対立的にならず、前向きに議論できたらと思っています。

あ!管理人さんが締めた後なのに、失礼しました。

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