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2016年5月 5日 (木)

<憲法>の産湯とは、涙だった

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<憲法>について考えてみたいと思います。 

論じるというほどのことはできませんから、ただの雑感と思ってお読み下さい。 

まず、この<憲法>をGHQから渡された時の、日本政府の驚きの表情は記録されています。 

今、「渡された」と書きましたが、多くの人がご承知のようにこの「憲法」という文書は、GHQの職員25名が1週間で作り上げました。 

当時司令部にいたユダヤ青年が、「やはり法律の専門家を入れたほうが」と言った瞬間、彼は外されたそうです。 

いえ、正確にいえばひとりだけ法律の専門家はいました。戦前に弁護士をやっていたドイツ系のコートニー・ホイットニー准将です。 

下の写真どおり、軍服より背広のほうが似合いそうな男です。部内のあだ名は「白い脂肪」だそうです。

彼は将官といっても士官学校もでていませんし、ましてや二等兵からたたきあげたわけでもありません。

戦前に弁護士などしていると、戦時にはそのキャリアが認められて、いきなり高級将校に任官できる仕組みが欧米にはあるからです。

Photo
准将とは、将軍クラスのヒラで、佐官のひとつ上です。会社でいえばヒラ取ですね。

日本にはない階級で、欧米で旅団という小規模の師団を率いるために作られた階級です。 

ただし、彼は戦争のプロではなく、戦闘が終わった後に、占領地に軍政を敷く専門家です。

当時の彼のポジションはGHQ民政局(GS)局長、つまり、この男こそ「日本国憲法作り大作戦」のプロジェクトリーダーでした。

この男と、部下のケーディス大佐が日本国の作者です。 ホイットニーは第11条を執筆したそうです。※指摘どおり11条です。10条はGHQ草案のナンバーです。

正式名称は、「憲法草案制定会議」と言います。敵国の100年先まで支配できる憲法を書けるなんて、なんてステキな仕事でしょう。

Photo_10チャールズ・ウィロビー少将

ホイットニーはユダヤ系らしくリベラリストのニューディーラーです。

親共的スタンスなのに対して、明瞭に共産主義なんか大キライな参謀2部(G2・諜報部門)のチャールズ・ウィロビー少将とは、ことごとく対立します。

一方ホイットニーは、日本解体⇒民主勢力バンザイ路線ですが、ウィロビーは、日本帝国解体までは一緒ですが、「民主勢力」の中で共産党が主導権を握っていることを知っていました。

Photo_11http://ima.goo.ne.jp/column/article/3249.html  

ですからウィロビーは、共産主義に対する歯止めとして締めるべき公安警察は残しておけ、日本をホイットニーのようにバラバラにしてどうするんだ、と批判的でした。

ウィロビーは東京裁判に対してすらもこう言っています。

「この裁判は史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。
なぜ不信をもったかと言うと、日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に戦争に出たに違いないと思うからだ

(東京裁判オランダ判事ベルト・レーリンクへの発言)

では、この日本解体=民主化論者のホイットニーは、どんなところで働いていたのでしょうか。ちょっとそれを見てみましょう。 

それを知る貴重な米国のニュース映像に残されています。作ったのはTIME、LIFE、Fortuneの三大誌です。 

この貴重な映像を発掘したのは、脚本家の服部淳氏です。
謝辞http://ima.goo.ne.jp/column/article/3249.html  

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 US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局) 

タイトルからして、「JAPAN AND DEMOCRACY(日本と民主主義)」ときています。 

この映像はなかなか興味深く、未開人に民主主義のイロハを教えている善きアメリカ人という感じに仕立てられています。

なにか日本には民主主義がなかったような言い方ですが、もちろん戦前から普通選挙は行われており、政党政治は確立していました。

憲法もアメリカン・レフトのホイットニーのお口には合わなかったようですが、当時の国際的水準のものを有していました。

こういう日本の歴史や風土についての雑駁な知識しか持たない人たちによって、「日本の民主化」がなされたわけです。 

アジアを知らない傲慢な態度が、のちにブッシュjrをして「イラク占領は、日本でうまくいったから大丈夫だよ」という勘違いを生み、大火傷することになります。

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上の写真が、敗戦後の日本を統治していたGHQの本部のあった東京日比谷第一生命ビルです。 

おや、この司令部の主が現れましたよ。誰あろう、「連合軍最高司令官」(Supreme Commander for the Allied Powers)であらせられるダグラス・マッカーサーです。 

階級はこれ以上、上の階級はない元帥です。 

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Allied Powersとは、「連合国」と訳します。 

別な英訳ではUnited Nationsです。これだと「国連」になりますが、まだ存在していなかったために、特に当時は使い分けはしていません。 

国連の本質的性格を知るには、なかなか興味深い名称ですね。 

GHQ(ジェネラル・ヘッドクォーター)は、訳せば「連合国軍最高司令官総司令部」のことですが、事実上、米軍が独占していました。 

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上の映像が、Allied Council for Japan(ACJ 対日理事会)のあった東京丸の内の明治生命館です。いまでも現存します。 

この映像につけられたナレーションはこう述べています。

「米国と英連邦(英国、オーストラリア、ニュージーランド、インドが参加)、中国、ソビエト連邦(現・ロシア)の代表が集まり、マッカーサー将軍らへのアドバイスや占領政策について話し合われましたが、この会議は明らかに短すぎで効果があるものではありませんでした。」(訳 服部氏)

米国も認めるように、建前では米、英、ソ、仏、中華民国、豪など11カ国で構成する「極東委員会」の指揮下にGHQはありました。 

GHQは組織上はただの執行機関にすぎませんでしたが、もちろんそんなことはただの紙切れにすぎず、日本を叩き潰した立役者の米国の唯我独尊状態でした。 

GHQのスタッフは、ほぼすべてが米軍人・軍属で占められていました。言い換えれば、マッカーサーの命令が、イコールGHQの意志だったわけです。 

なかなか米国の軍政が憎いのは、これを間接統治形態にしたことです。 

GHQから出る命令のすべては日本政府に伝えられ、日本の統治機構を通して実施される仕組みでした。 

ですから、国民は米軍の命令ではなく、日本政府の政策と思っていました。 

典型的な傀儡政権、パペット(操り人形)ですが、負けた以上仕方がないと日本人は涙を呑んだわけです。 

ちなみに、「占領軍」という呼称はあまりにそのものズバリなために、「進駐軍」に改名しろ、と命令したのもGHQです。 

当時のバスには「オキュパイド  ジャパン 」(占領下日本)と表記されたものも、多くあったという証言があります。

Photo_9服部淳氏による http://ima.goo.ne.jp/column/article/2642.html

このような間接統治形態にしたのはGHQが、本来国際法で禁じられているはずの「軍事占領下での内政干渉」をしたからです。

あくまで建前は、GHQが日本政府に助言して、日本政府が自分の意志でしたことにしたかったのです。狡猾ですね。

まぁやったことは、「内政干渉」などという生易しいものではなく、徹底した日本解体と米国流魔改造でした。

軍隊の解体から始まり、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、特高の廃止、政治犯の釈放、財閥解体、農地解放、政教分離などでした。

そしてこの総仕上げとして登場するのが、帝国憲法の改定としての新憲法だったわけです。

ホイットニー准将は、こうしてインスタントに作った<憲法.>法案を、東京白金にあった外 相公邸で、吉田茂外相に手交します。

その時にホイットニーはこう言ったそうです。

「日本政府がこの原案を呑まなければ、天皇の一身の安全を保障することができない」

米軍の作った憲法を丸呑みしなければ、天皇を処刑するぞ、という露骨な威嚇です。

ホイットニー回想録には、その憲法原案を読んだ吉田の表情が書かれています。

「吉田は目を通すと、顔色がたちまち黒 い雲によって包まれたように変わった」

結局、天皇の命を人質にされた日本は、1946年3月に<憲法>を受諾します。

その時の閣議の模様も芦田均(当時厚生大臣・後首相)日記に残されています。

「閣議終了の直前、幣原首相は特に発言を求め、次のようにいわれた。  『かような憲法草案を受諾することは、極めて重大な責任である。
おそら く、子々孫々に至るまでの責任であろうと思う。この案を発表すれば、一部の者は喝采するであろうが、また一部の者は沈黙を守るであろう。
しか し、深く心中、われらの態度に対して憤激を抱くに違いない』閣僚の中には、涙をふいたものが多かった。」

この幣原の予言どおり、それから70年という時間が経過した現在においても、「一部の者は喝采」し、「一部の者は沈黙を守り」、そして「深く心中憤激を抱く」に至ったというわけです。

かくて、<憲法>誕生と共に、国民の分断が始まったのです。

このように<憲法>の産湯とは、涙だったのです。

■6時 ウィロビー部分を加筆しました。

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コメント

>このような間接統治形態にしたのはGHQが、本来国際法で禁じられているはずの「軍事占領下での内政干渉」をしたからです。

まさにその通りです。
記事中の歴史的事実(他にも内政干渉を裏付ける事実は多々あります)がそれを物語ってあまりある、と断言できます。

しかし、憲法学者はそうは考えないのです。
憲法業界の大家で斯界のメインストリームである芦部信喜は(芦部の岩波書店刊「憲法」は版を重ね、いまだに憲法を学ぶ学生のバイブルとなっている)、GHQの行為はハーグ陸戦条約に規定する「内政干渉」ではない、としています。

その理由は、
「ポツダム宣言は、不完全ながらも連合国側と日本側との双方を拘束する一種の休戦条約と解すべきである」
「ポツダム宣言の内容は国民主権の採用、基本的人権の確立など、明治憲法の改正を含むものであった」
したがって、
「連合国側は日本側の憲法改正案がポツダム宣言に合致しない場合には、それを遵守することを日本政府に求める権利を有している」
「休戦条約は特別法であり、ハーグ陸戦法規(一般法)よりも優先的に適用される」
しかも、
「そもそも、日本の占領はポツダム宣言に基づいた休戦協定(条約)に基づくものであってみれば、「交戦中の占領」に適用されるハーグ陸戦法規は該当しない」
結論として、
「したがってGHQの干渉は、陸戦法規でいう内政不干渉の原則によったものではなく憲法の自律性の原則に反するものではない。

どうです?このアクロバティクな論理。
これが、今でもほとんどの憲法学者の見解です。
「曲学阿世の徒」とは、まさに憲法学者のためにある言葉です。
そして、たった(補足条項まで含めて)百条あまりの条文を一字一句変えないで、日本の内情や国際状況の変化に目もくれず、己の恣意的解釈を独占することのみで食っている輩なのです。

それであっても、はや70年を経てしまい、国民にとっての憲法はもはや血肉化しています。
これを変更する場合、「何がどう変わる」という事を国民に熟知してもらい、十分な納得をしてもらわなければ改憲のタイミングとはならないかも知れません。
記事のような事実を国民の良く知るところとし、憲法学者がこの70年、いかに偏屈で牽強付会な解釈をして来たかも知らせるべきです。
しかし、それらの事柄を知らせる政治家の能力は不十分で、結局は憲法学者がその任を担う。
まさに「泥縄」です。

山路さん。明日の私のネタを~(悲鳴)。
宮沢憲法学をケチョンケチョンにする予定だったのにぃ(爆笑)。


ほぼ次期大統領はトランプで決まりですね。
とうとう冗談ではなく、昨日書いた「日本の存亡の事態」をめぐる憲法判断の時期になりそうです。

管理人さん、真っさらな気持ちでありんくりん式宮沢憲法学めった切り楽しみにお待ちしています(^^)
クリントンおばさんは、更に嫌われちゃいましたね。彼女とトランプがNY勝利を喜んだ時の、ギラギラした笑顔。あんな顔できるのはニューヨーカーだけで、奴らは全米の嫌われ者。でも奴らがアメリカを仕切る。あの街だけ米国で特別なんだなあとテレビを観ながら思いました。まだまだどうなるかはわからないです。

はじめまして
ホイットニーが弁護士だったのは仰るとおりですが、彼はもっぱら(戦前、米植民地であった)フィリピンで活動していた人物で、二流以下の法律家であったと聞いたことがあります。
またケーディスは、コロンビア大学からハーバード・ロースクールを修了した(つまりウエストポイントもアナポリスも出ていない)弁護士で、マッカーサー三原則において「日本は国際紛争を解決する手段としても、自国の安全を保障する手段としても、戦争は放棄する」とあったのを、
非現実的(かつパリ不戦条約の趣旨に反するということ)から、現在の第9条のごとく「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」という記述に改めた人物として、西修氏の著作などで紹介されています。
もっともこの後、吉田・野坂論争や宮沢憲法学などによって、この第9条の成立過程は闇に葬られてしまったようですけど。
あと、現行憲法の第10条は単に国籍に関して法律に委任することを定めたものであって、ホイットニーがそれほど口を挟んだとも思えません。
失礼ながら、ブログ主様は第11条と混同されているのではないでしょうか。確かに第11条についてはホイットニーの関与が指摘されており、そのことは現行憲法第11条と第97条がほぼ重複した内容を規定していることからも類推できます。
以上、浅学非才の身ですので間違ったことを申している可能性も高いのですが、失礼ながらコメントさせていただきます。

管理人さん、すいません! 
概要的な記事で一旦区切りをつけられたのかなぁ、と勘違いしたものですから。

でも、「八月革命説」まで行かなかったのは、多少ルールを解したかな、と。(笑)
いづれにせよ、私の硬い表現では届かないと思うので、管理人さんの持ち味で変更なくお願いします。


ポッペリアン様

内容は雑なものでしたが、私も10条とホイットニーとの関連性を記した説を目にした事があります。
(それが誰の説で、何の雑誌に載っていたかさえ失念しましたが)
ただ、新憲法の10条は、大日本帝国憲法18条をそのまま移行させたと同等のものなので、事実はご指摘のようにホイットニー云々はないでしょうね。

ポッペリアンこん。ご指摘どおり憲法11条です。10条はGHQ草案のナンバーです。修正しておきました。

一般に学者とか弁護士とか言えばこの人たちは偉い人だと無条件に思ってしまう傾向がある。確かに人に役立つ立派な研究に勤しむ方々が大勢いらっしゃるのは事実である。しかし、一方で学問や法律の本質を忘れ偏った研究に精出す輩も少なくない。彼らは日本国憲法は、人権意識や民主化意識の低い日本人を哀れんで、外国人が与えてくれたものだと本気で信じているのだろう。日本は人権後進国であるとか、日本の報道には自由が無いだとか、怪しげな海外の団体が出す見解のほとんどは、海外の不勉強な学者もどきが関与しているのはもちろん、日本人学者や弁護士が海外に出かけて彼らを焚き付けていることがほとんどである。彼らは海外からの圧力を利用し、日本人を貶めることが大好きなようである。ただの馬鹿である。日本人なら日本人の幸せのために国益のために働けと言いたい。現行憲法は第何条がどうとか議論するのも馬鹿馬鹿しい程の駄文であり、これに価値を見出すのは難しい。こんなものを研究する位なら聖徳太子の17か条や明治天皇の五箇条の御誓文を深く研究する方がはるかに有益である。これらは短文ながら日本人の古来からの英知を教えてくれるものであり、日本国憲法の本来のあるべき姿を示してくれる貴重なものである。

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