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2016年5月11日 (水)

ドイツ帝国の復活その2 異なる戦争・異なる戦後

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復活した<ドイツ帝国>のテーマを続けます。 

ここに戦争で大敗した国が二つあります。 

ひとつは言うまでもなく、わが日本、そして日本を戦争に引き込んだ当事国である、ドイツです。 

戦った戦争もまったく異なっていました。 

ドイツの<戦争>は、ヒトラーというモンスターによるヨーロッパ全域の侵略と、そしてドイツ系ユダヤ人という自国民の大量虐殺でした。

Photo1943年のワルシャワのゲットー(ユダヤ人隔離地域)。ユダヤ人の一般市民を追い立てるナチス親衛隊。
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/archive/20110127 

前者の侵略の過程で数々の戦争犯罪を犯しましたが、後者のホロコーストがあまりにも大規模、かつ、残忍だったために帳消しになってしまったほどです。 

ドイツは、ユダヤ民族を消滅させた後には、ロマ(ジプシー)を消滅させ、次にはポーランド人も地上から消し去る計画を持っていたのですから、背筋が凍ります。 

一方、日本の<戦争>は、白人植民地国家と、その力に頼った中国との真正面からの殴り合いでした。

Photo_2フランス領インドシナ(ベトナム)における日本軍

ニュールンベルク裁判においてドイツの将官たちは、「自分たち国防軍は、あくまでも一般的戦争を戦っただけであって、ヒトラーと親衛隊のようなまねはしていない」と、無罪を主張しました。
 

この言い方のひそみに習うと、日本は東京裁判でこう主張すべきでした。 

「日本軍は、あくまでも一般的戦争を戦っただけであって、ナチスドイツのようなまねはしていない」

このように、日本とドイツはまったく異なった戦争をしたのであって、同列に並べること自体が誤りです。

念のために申し添えますが、私は日本によるアジア植民地解放は、あくまでも結果にすぎないと思っています。

日本はドイツのような壮大な「生存圏」構想は持ちませんでしたが、エネルギーと資源確保のための「自存自衛」のために、東南アジア圏に侵攻したのです。

経済封鎖され、資源が底をつき、資源確保が戦争目的なはずにもかかわらず、戦線を拡大し続け、資源と兵士の命を乱費した愚かさには、舌打ちしたくなります。

結果として、民族独立を求めるアジアの人たちと、一時的に利益が共通していたにすぎません。

ですから、「アジアを解放した」という保守の一部に見られる言い方には、自分にとって都合のよい部分のみを見ているように、私には感じられます。

これについては、そのうち機会があれば詳述します。

それはさておき、日本はドイツと「同盟」(なんの実益もありませんでしたが)を結んだというただそれだけの理由で、戦後の長い時間を生きねばなりませんでした。 

さてドイツが取った戦後の「処世」は、このようなものです。 

①もっとも強い復讐心に燃えるロシアに対しては、東半分の国土を属国として提供する
②もっとも強い糾弾者であるポーランド、チェコに対しては、平謝りする
③もっとも強い怒りを持つユダヤ民族に対しては、永遠の懺悔をする
④ドイツの近隣国であるフランスなどとは、和解する

⑤最大の交戦国だった米国には平伏して、NATOという拘束衣を着せられて、同盟国に変身することを許される

ではこれになぞらえれば、日本の戦後はどうだったでしょうか。 

①もっとも強い復讐心に燃える中国に対しては、平謝りして巨額のODAをむしらり取られる
②もっとも執拗な糺弾者である韓国に対しては、平謝りして巨額の経済支援をむしり取られる
③最大の交戦国だった米国には平伏して、日米同盟という拘束衣を着せられて、同盟国に変身することを許される

当然のことながら、ドイツの③に当たるものは、日本にはありません。

ないからこそドイツは「永遠の共犯者」を求めて、中韓に次ぐ反日常習国となっています。

それはさておき、日本にとっての米国、ドイツにとってのフランスとどうして和解できたのでしょうか。

ハッキリ言って、どっちもどっちだったからです。

独仏二国は常に歴史的に戦争をくりえかしてきた仲で、第1次大戦ではドイツが負けてフランスに巨額な賠償金を支払うことを命じられた結果、その怒りからナチスを生み出すことになりました。

そのことについてフランスは、戦争馴れした大人ですから理解していました。

そしてドイツとフランスは、ドイツを新たな拘束衣であるNATOに組み込むことで、完全な和解を果たしたのです。

長くなりましたので、次回に続けます。

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コメント

>「アジアを解放した」という保守の一部に見られる言い方には、自分にとって都合のよい部分のみを見ているように、私には感じられます。

う~ん、そうでしょうか?
「都合によい部分のみを見ている」を「物事の一面だけを見ている」に変えれば、それはそうでしょう。
しかし、(ブログ主様のおっしゃる事は通説ですが)、それもまた一面重視になっているような気もします。

通説支持者は、「結局のところ日本は資源を取りに行ったので、資源さえ充足しておれば南方進出はなかった」と言います。
裏を返したその説は、誠に説得力があろうかと思います。
対して保守派は大東亜会議の存在をあげますが、確かにこれは少々弱いような気がします。
しかし、戦前の書籍(「大東亜戦争侵略史(仲小路彰)」や、戦中の「大東亜戦争調査会叢書 有田八郎・他」)など当時の一流のインテリたちの書物を読んでみると、決してそうとばかりは言えないようです。
ちなみに、これらの書籍は浮ついた自国中心主義的な記述はしていないのですね。(その点では、新聞は当時も今もダメです)

そこからは、どうやって英米仏欄濠などがアジアの国々を侵略したか、アジアの人たちを如何に人種的偏見に基づいた過酷(冷徹)な統治をしてきたかが伺えます。
また当時の日本人がいかに、西欧の黄色人種に対する偏見に悩み苦しんで来たか、日本一国主義を避けながらアジアをアジア人にものに戻すために日本の出来る事は何か、等々が淡々と記されています。
ドイツ発生の「黄禍論」が欧米に広がってきたのも、この頃です。
日本が提案した、先進的な「人種差別撤廃条約」を蹴っ飛ばしたのも欧米です。
アジア人全体も日本人も、本当に欧米の差別に苦しんでいたのです。
今でもアジアには少なからず「日本軍の戦争がアジアを解放した」と考える人々がおり、国もまたあります。
「日本軍と一緒に戦った」という事実もまた一方にはあるのです。
「資源のためだけ」というなら、日本兵の多数が亡くなった「インパール作戦」はどう説明がつくのか?
「アジア植民地解放は、あくまでも結果にすぎない」と言い切れるものでしょうか。

つまり、アジア解放の意思というものは大分以前から存在したのであって、とりあえず「資源のために南方に進出した」という事が事実であっても、少なくも、「アジア解放の為にする戦争」という部分を全部否定する事も困難だと思うのです。

もちろん、以上のような主張を政治的にする事は困難です。
それと、ひとつの要因たる歴史をいつから見るか、という手法的問題もあります。
また、歴史の見方は敗戦国である日本にとって枷(かせ)のはめられたものであるである事は仕方がないと思いますが、(東京裁判の評価も含めて)国際政治の変化と共に道が開けるものとも考えます。
他力本願にすぎるでしょうが、そのポイントはインドにあると考えます。

後日この事を詳しく記事にしていただける、との事ですが、荒れますよ~。(笑)
期待して待っています。

今回、本題とはずれてスイマセン。


山路さん。

もうちょっと勉強しましょうよ。
インパールの悲劇。酷いもんですよ。
真っ先にコヒマ街道までたどり着いた「烈兵団」のトップは庄内出身の佐藤師団長です。今でも佐藤死牟田口命令無視で、退却した事件は現地では今でも毎年「おかげて何とか生き残った」という感謝祭が、おこなわれています。

大東亜戦争そのものが間違っていたというのなら同意もできますが、上のエリートの命令にそぐわない無茶な作戦を『絶対命令』ならどうてわすか?

山路さん。半分賛成で、半分違います。お互いに同じことを言っているような(笑)。

大東亜会議や、戦前の国際連盟への人種差別撤廃決議な、さらにさかのぼれは頭山の運動などど、日本にはその流れが、伏流があります。

しかし、ならば開戦にそのように宣言すればよかったし、そもそも陸軍は東南アジアで戦端を開く計画すら持っていませんでした。
だから熱帯における装備研究をしていません。
あくまでも主敵は陸軍にとってソ連であり、海軍にとって米国でした。
ここでも主敵の想定が分裂しています。

もし、本気で国運を賭してアジア解放に臨んだならば、そのようなことはありえません。

すべてが付け焼き刃なのです。出たとこ勝負です。
開戦に至る経緯も、戦争の推移も含めてです。
戦争計画がないのです。
戦争計画のなさは、戦争理念・戦争目的が不在だった現れです。

アジア解放ならば、アッツからミクロネシアの彼方に至るまで戦線を拡大する必要はなかったし、そのような無意味な戦線拡大によって、元から欠落していた兵站が破綻しました。

兵站をねずみ輸送と呼ばれる潜水艦や駆逐艦といった戦闘艦を使ってやったあげくことごとく沈められています。
増援部隊は海上で水漬く屍になり、取り残された孤島の兵士はことごとく餓死しました。

私はこんな戦争に大義を見いだせません。
亡くなられた多くの英霊の御霊には深く頭を下げますが、残念ですが、私はあの大戦を肯定する立場に立ちません。

このテーマは重いので、また別の機会にしましょう。
とりあえずドイツ帝国を先にやらして(笑)。

> 通説支持者は、「結局のところ日本は資源を取りに行ったので、資源さえ充足しておれば南方進出はなかった」と言います。
裏を返したその説は、誠に説得力があろうかと思います。 対して保守派は大東亜会議の存在をあげますが、確かにこれは少々弱いような気がします。

> しかし、戦前の書籍(「大東亜戦争侵略史(仲小路彰)」や、戦中の「大東亜戦争調査会叢書 有田八郎・他」)など当時の一流のインテリたちの書物を読んでみると、決してそうとばかりは言えないようです。
ちなみに、これらの書籍は浮ついた自国中心主義的な記述はしていないのですね。(その点では、新聞は当時も今もダメです) 

 大東亜会議は、日本が戦争を始めてから開催されたことから、自らの戦争の正義の根拠づけのためのものだという感じを私はもっておりましたが、どうもそうでもないような感じに変わっております。

 日本人は江戸時代の後期からは西欧植民地主義の危険を察知してたようで、これはかなり正確だったと思われます。明治になっても、基本的に政治はこの考え方をを基礎にしていたのでしょう。大東亜の解放というのは、国民レベルで支持された考え方だったと思うのです。

 ルーズベルト大統領は、日露戦争を親に連れられ観戦したと言われており、少年時代の彼が思ったのは、「次にアメリカと戦うのは日本だろう」ということだったようです。

 当時は列強の鬩ぎあいで、それが正しいという時代でもありました。日本はアメリカと戦う運命にあったとも言えますね。

 戦前の日本は、列強間の争いでの覇権を狙ったと同時にアジアの解放(アジアの団結)を目指したという両面があったと思います。「ありんくりん」さんが単純な大東亜戦争否定論者でないとは思っておりますが、ここは重要な論点ですから、再度詳しく論じていく必要がありますね。結果として、アジア解放をしたことになったと言うだけではなんとも不満が残るのですよ。過度に日本を称える必要はないのですが、実際にアジアやアフリカの国々が解放されていったのですから、日本主義というか、武士道の国の美徳なども挙げながら議論してみたいものです。アメリカの武人魂も十分認めていきたいですね。

 日本軍の無計画性は「ありんくりん」さんご指摘のとおりです。無計画な大東亜解放戦争でしたが、これに大義はあったかどうかは論議すべきでしょう。敗戦の総括もぜひ必要です。ドイツのことは早く終わらせてくださいね。

日米、独仏、どっちもどっちだったから和解できた。その通りだと思います。戦争です。

ホロコーストは戦争とは違う文革とかの仲間ですよね。
今のドイツ人は、普段絶対にユダヤ人の話をしません。子どもが後手に秘密を書いた紙を握りしめるように。それはテレビや政治家、教科書、博物館に任せたかのようでした。
市井で口に出そうものなら皆一様にへの字口で、お前は私に何を言わせるのだ絶対に何も言わんとばかりにスルーです。答えないで視線をそらし違う話をするのです。若者もそうでした。ナチ支持への後悔は口に出す者もでした。
お前ら普段あんなにいきってんのに何やそれ、です。心の中で懺悔し続けてるようにも思えませんでした。私的にはかなりショックでした。

そう思うと、ドイツ人が日本人をディスる動機付けに永遠の懺悔仲間像を求めているようには見えなくなったのです。
そんな訳で今の私はもっとドライに邪魔者としての日本をディスるドイツという認識で敗戦の流れとは敢えて切り離して観る事を意識しています。
東欧出身者に難民をボコボコにさせておいて、うるうるしながら政治家にネオナチを許さないとか、きっとまた言わせて〆るのではと恐怖を感じます。

アジア解放については日本と東南アジア植民地のギブアンドテイクが一旦うまく成立できた事を、あの時協力できたね僕達!位にしておかないと、、、日本またいきっとんぞ!またいきりたおして負けるんちゃうん、と思われるんじゃないかな。東南アジアの先人達は情熱と理想や命令系統の馬鹿さがどうであれ日本人が敗れ大量死するところをその地で見届けたのですから。
そこにもう一回一緒にしよ、って説得する時の話の持っていき方は練らないとです。

何故しつこく大阪弁かというと、大阪人とドイツ人いきりだという意見で一致した事があるからですf^_^;)

 ふゆみさん

> ホロコーストは戦争とは違う文革とかの仲間ですよね。

 なるほどそうですね。 

> 今のドイツ人は、普段絶対にユダヤ人の話をしません。子どもが後手に秘密を書いた紙を握りしめるように。それはテレビや政治家、教科書、博物館に任せたかのようでした。

 責任を負うにはあまりに大きすぎるということでしょうかね。ドイツ人が可哀想。同情、無用?

> アジア解放については日本と東南アジア植民地のギブアンドテイクが一旦うまく成立できた事を、あの時協力できたね僕達!位にしておかないと、、、日本またいきっとんぞ!またいきりたおして負けるんちゃうん、と思われるんじゃないかな。

 アジアの国々に恩を売る気など全くなくていいのです。客観的に見ても、当時強い日本が存在し欧米列強をアジアから駆逐したことが今につながっているのは事実です。これについては、日本人自身が認めるべきだと思うのです。今後も、アジアの国々を支援してゆかねばならない立場は変わらないでしょう。大東亜の理想であった、アジア支援を形を変えてでも実行してまいりましょうよ。それには、まず、経済的に日本が強くなることです。

ueyonabaruさん、同情無用ですよ。責任背負う気のない人々ですしね。

私達の感性でアジア解放の話を展開する時に、恩着せがましい気持ちが無いのは勿論私もそうですから分かります。
でも日本以外のほぼ全ての国々では、そういう話を展開する時には取引もしくは何かしらの優位を希望する意図があるのが普通であり、ずるくもありません。交渉や会話の手段の1つです。
私達の無垢な気持ちを分かってくれと、散々言われてもおそらく理解することは無く引くばかりなのではと思います。
ギブアンドテイクという言葉は実はギブアンドギブ、という意味で、日本が与える事によるASEANの安定と共栄を表すのに似合うフレーズだなあと考えています。

山形さん

インパール作戦はおっしゃるとおり、それはひどいものでした。
私もその内実ついては、幾分は承知しているつもりです。
ただ、私が言ったのは、
>「資源のためだけ」というなら、日本兵の多数が亡くなった「インパール作戦」はどう説明がつくのか?

です。
つまり、インパール作戦は「資源のために行なわれたものではないだろう」という事を言ったものです。
もちろん大目的は援蒋ルートの一つを破壊することでしたが、現地の日本軍は無理な計画に躊躇しておりました。
そこで再三作戦の決行を促したのは、インド国民軍の幹部たち、司令官にして仮政府主席であるボーズで、その度重なる懇願により最終決断されています。
ボーズやインド国民軍が何を目標にしていたかは明らかですよね? そういう文脈です。


ブログ主様


私が主張しているのは、結局のところ、「少なくも、「アジア解放の為にする戦争」という部分を全部否定する事も困難だと思うのです。」というところにあります。
決して「アジア解放の大儀のために戦った」などと、言ってはいませんし、いい切る度胸もありませんよ。(笑)

日本軍の戦闘は何もアジアに限らずですが、兵の生命を軽視する傾向は否めません。
出たとこ勝負の無理な作戦も兵站の不足も、兵の消耗を軽視できる、という前提意識があってこそです。
こうした愚かな戦いを二度と繰り返さない為にも、日本軍のもっとも欠落した部分を常に意識する必要もありましょう。
しかし、そうした事実と「アジア解放の為にした戦争、という部分があったかどうか」は別の問題です。
ここはしっかり分けて考えるべきでしょう。
また、そうした事実の存在の過度な重視は、一方の事実を見えにくくする事につながりませんでしょうか。

そしてもし、「アジア解放の為にした戦争、という部分は皆無であった」と「参謀本部はじめ日本国政府の愚昧の犠牲者であった兵隊たち」とを結合し、「アジアにおける自衛的要素はなかった」をプラスしたら、南方にて亡くなった幾多の兵隊さん達はまさに「犬死」です。

私の言いたいことも少しで結構ですので参考にして下されば幸いで、厚味のある記事を期待しています。

山路さん。

今日の毎日新聞に、チャンドラ・ボース飛行機事故の整備兵のなかなか興味深い記事が載ってますね。真相は闇の中ですが。。

インパール。
44年段階で何をするのやら!です。
ジョホールの英雄だった牟田口司令官はそれこそ精神論と現地調達で勝てると踏んでいたようですが(んな無茶な)。
撤退後に佐藤死団長は心神耗弱とされて病院に軟禁となりました。
つまり、トップがアホだと現場の将兵はどんだけ酷い目に合うのかという例です。白骨街道です。
むしろもう少し弾薬補給や食料が持っていたら、インパールは確実に落ちていたであろうと英国戦史家に今頃になって評価される始末です。

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