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2016年5月 4日 (水)

ほんとうに次の参院選は改憲がテーマなのか?

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昨日は憲法記念日だったそうで、知らなかった。仕事がら祝日には縁がないもので、ああ、寂しい人生。 

なにやら護憲集会で岡田氏、志位氏、小沢氏、あと社民党のなんとかいう影が薄い人が手を握ったという微笑ましいニュースも伝わってきています。

彼らは、次の参院選は共闘して、「改憲策動と戦争法を潰す」のだそうです。

Photo時事5月3日より引用http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050300214&g=pol

「民進党の岡田克也代表は安保法廃止などを主張した上で、「われわれ野党は力を合わせて参院選を戦い抜く」と表明。
共産党の
志位和夫委員長は「市民運動に背中を押され、野党共闘が大きく前進していることは日本の未来にとっての大きな希望だ」と述べた。
社民党の吉田忠智
党首は、衆院選でも4党による候補者調整を進める意向を示し、生活の党の小沢一郎代表は「憲法の理想を守るには選挙に勝たねばならない」と強調した。」(時事同上)

野党は改憲が参院選のテーマだと言っているようですが、ホントそうなんでしょうか。 

そもそも今が、憲法改正か否かの判断を問われるべき時期なのでしょうか? 

私は憲法なんてこの60年間グチャグチャやってきて、いまやお互いに教義と化したテーマですから、焦って結論を出す時期じゃないと思っています。

私は改憲はするべきだと思っていますが、問題はその「時期」と「手段」です。 

去年に国政選挙が行われていたのなら、集団的自衛権がらみで、「やっぱりすっきりと改憲すべきかどうか」という議論はありえたでしょう。 

実際、反対派の人たちは、何かといえば「やるなら改憲してからやれ」と言い続けていましたね。

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国会に呼ばれた憲法学者たちがこぞって、「ワタシたちは違憲は許しません」とやったために、「憲法とはかくも高いハードルなのだ」ということが国民に改めて知れ渡りました。

この時点で野党が尻をまくって、「やるなら改憲してからやれぇ。そのために解散しろ」というところまで政権を追い込んだのなら、ある意味面白かったかもしれません。

改憲という一見抽象的テーマが、リアルな「戦争法」を前にして是非の判断を問われたわけですからね。

解散総選挙をして、政権が勝てば国民投票、負ければあと10年は改憲の「か」の字も言い出せないというわけです。

しかし、安保法制は憲法改正を問うにはふさわしいとはいえないテーマでした。

あまりにも内容が多岐にわたっており、憲法と関わりある集団的自衛権そのものとは無関係な要素もたくさん入っていました。

こんな安保関係の法律盛り合わせセットで、憲法改正を問うことは焦点ボケとなって、そうとうに困難です。

もしやるなら、単一の政治課題で、しかもイエス、ノーの判断を国民に直接問わねばならないケースが発生した場合です。

言い換えれば、憲法学者の言が絵空事にしか聞こえないような重大なテーマでなければ、ダメなのです。

こういう言い方はナンですが、「米艦が攻撃を受けたら自衛艦も反撃できる」ていどでは、まったく弱い。

いかにも米国の忠実なポチに勤しみます、という風に見る人見れば見えてしまいます。

だから、安保法制審議が、野党によって「米国の核兵器も運ぶのか」などという宇宙空間にふっ飛んで行ってしまいました。

もちろん徴兵制がどーたらと言い出す野党のほうが馬鹿なのですが、それ以前に政府の拙劣さも目立ったのが、安保法制審議でした。

これではとても、憲法を錦の御旗に立てた憲法官軍には勝てません。

ですから、もっと日本にとって死活的な安全保障の非常事態に対して、国民の憲法判断を求めるべきなのです。

いわば「、憲法を守って死ぬ気ですか?それとも改憲して生き残りますか」という問いが必要なのです。

このような迫力が政権側になかったために、朝日新聞の世論調査によればこのような白けきったことになっています。
※http://www.asahi.com/articles/ASJ4X6487J4XUZPS001.html

・改憲不要・・・55%
・改憲必要・・・37%

もちろん朝日という札付き媒体のバイアスは承知の上ですが、私から見てもかつてのフィフティ・フィフティから改憲派がかなり押されている実感はあります。

ただし、この「必要がない」という中には、「今のままでも自衛隊が活動できる」が35%含まれていたそうです。

安保法制も通ってしまって、「これで動くのだからいいんじゃない」っていうのが、国民の気分のようです。

安保法制は既にもう通ってしまって、現実に施行運用されているわけですから、ある意味諦観的平和主義ということになるでしょうか。

念のために言い添えますが、野党は「戦争法案の廃止」といっていますが、現実に部隊レベルで施行・運用が開始されている防衛法制を白紙撤回することなど、あり得ませんし、していいはずがありません。 

蒸し返しはありえないし、政府は相手にしていません。

ですから、首相が今、今回の参院選であえて改憲を国民に問わねばならない意味がまったくわかりません。

今は、一に経済、二に経済、三、四がなくて五に経済です。 改憲など、デフレが完全に終わってからにしてほしいものです。

一方、野党の皆さんが改憲を焦点化したい気持ちは、痛いほどよくわかります。

さきほどの朝日は、この数年で国民の平和志向が強まったとして、この安保法制反対を理由にあげています。

「調査からは、昨年9月に成立した安全保障関連法の影響もうかがえる。
 安保関連法の賛否は「賛成」34%、「反対」53%。同法が憲法に「違反している」は50%、「違反していない」は38%だった。ここで安保関連法に「反対」とした人で、9条を「変えない方がよい」は93%、同法が憲法に「違反している」とした人で「変えない方がよい」は83%と、こちらも圧倒的多数に上った。」(同)

朝日は、「安保法案の影響で改憲反対が増えた」と見立てています。

民進党と共産党は、この波に乗りたいと思っています。

その国政選挙の実験台が北海道5区補選だったわけですが、結果はあれだけ強力な女性候補を立てても負けました。 

これで岡田さんの眼が覚めないんですから、これは厳しいですね。

世論調査における政党支持率です。まずは16年4月のNNNのものです。

Photo_4では、民主党が維新と合流する前にはどうだったでしょうか。

こちらはNHKが合流前に取ったものです。

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ソースが違うことを含んだとしても、民進党は1.9%の減です。

この傾向は他の調査でも明らかです。フジテレビの調査では、より明瞭に民進党減少トレンドが現れています。

・民進党の支持率(3月19〜20日調査)・・・12.8%
・同         (4月23〜24日調査)・・・7.3%

では民進党との共闘を望む共産党の、同じ調査における支持率推移です。

・共産党の支持率(同上)・・・3.0%
・           (同上)・・・5.2%

ひとことで言えば、共産党が民進党のパイを食ってしまったことがわかります。

つまり、民共共闘といっても、躍進したのはあくまでも共産党であって、民進党ではありません。

これは、北海道5区補選において、旧民主の屋台骨だった連合の選挙マシーンが、ともすれば共産党にせり負けて、うまく動いていない疑いが出たことからもわかります。

これと似たことは、つい先日の沖縄の宜野湾市長選でもありました。

連合=旧社会党系労組と、全労連=共産党系労組は、共に天を戴かざるような敵対的関係なのです。

私から見ればただの左翼内部の近親憎悪ですが、連合からすれば、共産党に秋波を送る岡田氏を許しがたく思っているはずです。

共産党が民進党を支援した場合、保守票や従来の支持層票、浮動票が逃げるということはかねてから言われてきました。

岡田氏自ら去年までは、「共産と組めば1万もらって3万逃げる」」といっていた時期もあります。

しかし、いまや旧社会党に等しい抵抗政党に逆戻りしてしまった民進党には、共産党との境目がなくなりつつあります。

共産党は綱領で安全保障政策で、日米安保条約の廃棄、自衛隊の解消を目指しています。
※日本共産党綱領http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/

民進党は、日米同盟と自衛隊は認めているものの、具体的な安全保障政策においては、今回の安保法制のように党内でてんでんばらばらです。

無理にひとつにまとめようとすると分裂するから一緒にいるしかない、「ともかく反自民だけが唯一の綱領だ」というのが民進党の実態です。

ならば、「政権交替可能なもうひとつの保守党」を止めてしまった民進党にとって、共産党との政策上の違いなどはないに等しいのです。

そもそもも安保法案廃止を掲げて、共産党と手を組むような民進党に入れる人のいい保守有権者など、いまや世の中にいるのでしょうか。

連合票が逃げるといっても、連合はしょせん組合内候補しか応援する気がありません。

彼らが離れるのは想定内なのです。

ならば、もう既に離れてしまっている民主党支持の保守層や連合などは切り捨てて、共産党の鉄板の固定票と、選挙マシーンが欲しい、これが岡田氏の偽らざる気持ちのようです。

東京維新の会のやながせ裕文氏は、北海道補選の後にこう述べています。

「競争に勝つためには、「相手候補者の強さ」や「日常活動で培ってきた基礎票」なども関係しますが、共産党のもつ「○万票」の動向が大きな差を生むことは明らかです。もし共産党の票が2万票だったとして、小選挙区で共産党の候補者が立候補したところは、マイナス2万票。共産が出ず、支援を貰えればプラス2万票。あわせると4万票もの差となります。この票差が惜敗率の順位に大きな影響を与えることは誰にでもわかります。」

というわけで、野党は「戦争法案廃止・改憲阻止」で足並みを揃えることにしたようです。

一部週刊誌や新聞などは、全野党共闘の場合、野党圧勝と占っていますから、さてどうなりますことやら。

これで勝てば、次の衆院選もこの「オール野党」方式は完全に定着するでしょうから、当然共産党は政権の一角に赤旗を立てることができます。

いずれにしても、共産党のささやきに乗った岡田民主の運命は、これで決したようです。

改憲は、日本がまともな国家であろうとする限り、いつか必ず避けて通ることのできない道です。

それは日本人が経験したことのない、1億人の国民投票という気が遠くなるハードルがついてきます。

改憲発議してもこれで負ければ、あと半世紀は次のチャンスはないものと思うべきです。

だからこそ,くれぐれも慎重に、「時期」と「手段」を慎重に選択しましょう。

改憲はワンチャンスですから。

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コメント

NHKの世論調査では憲法改正に反対と言う意見が賛成派を上回っていました。また、憲法9条は守るべきであると言う意見も多数派だったようです。サンプル数は1600強でした。方法はランダムに電話をして回答を得たとのことです。確かに、昼間の老人か専業主婦しかいない家庭に電話をすれば、偏向報道漬けになっている層は、憲法改正反対、9条堅持となるでしょう。また、防衛問題を真剣に考えている層の中には憲法を変えなくても、9条を廃止しなくても法解釈で何とかなるだろうと言う考えも多かったと思います。一方、電話による世論調査とは無縁の、昼間ビジネスに携わる実務派の人達と酒席等で馬鹿話をしている時の雰囲気では、憲法改正、9条廃止が現実路線であると言う人が大勢であり、逆に護憲、9条堅持等を主張する人は、どこの団体の人だろうと訝られるのが現実です。国民の大半は、国防が非常に重要であることを認識しています。誰も武力によって外国に蹂躙され、国益を損ねることを望んでいないからです。岡田代表も寄せ集め集団である民進党をまとめて行くためには、相当のリーダーシップを発揮しなければならないのでしょうが、右派議員と極左議員を抱える党でコンセンサスを作るのは容易では無いのでしょう。しかし憲法改正反対と安保法制廃案を争点にすると言う選挙戦略に、国民は明るい未来を感じることができるのでしょうか。自民党はこれに乗せられること無く、経済や福祉に特化した争点を展開し、民進党の馬鹿さ加減をハイライトすべきでしょう。トランプ氏が大統領になり安保廃止となった場合には国民は否が応でも、国防を真剣に考えざるを得なくなってしまうのです。幸い、長期にわたり戦争回避に成功してきたNATOからもお誘いを受けているようです。今一度、現実論に立ち返って国防のことを見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。

 管理人さんのいう憲法改正は参院選の争点にならないというのは、賛成だ。よく考えてみれば、今は時期ではないだろう。国民が動ないような状況にある。しかし、防衛予算を何とか増やしておきたいものだ。

 これには、管理人さんがおっしゃるように、経済の問題を何とか解決しなければならない。景気をよくしなければならない。消費税を減税か少なくとも増税を停止すること、そして財政出動を長期計画で進める必要があると思っている。

 「ありんくりん」さんの経済回復論をお聞きしたい。

国民投票経費、850億円という試算を見た事があります。何度かに分けて変えれば耐性がつくというなら
850億円×回数?気持ち優先させるにはあまりにも巨額です。
今は解釈でもう乗り切って、5000万人くらいに減った頃に生きてる人で安上がりに変えるか検討するのでいいんじゃないかと思うのです。
この論議が盛んになる迄、実はもう少し日本国憲法に人を守り国を縛る実効力があるのかと私は勘違いしていました。海外のどの国も厳格な憲法を持つべきものなのかとも。無くて回ってる国もありますしね。捨てる必要はないけど不況の中で何兆もかけていじり回す価値があるのかといえば、否です。

最近の安倍さんの言動を見ていると、発議したそうな気配が濃厚に見えます。
ただ、あの人の場合、お得意の観測気球だったりしますから今のところ真意はわからないですねぇ。
今の時点で「やる」と見せかけておいて、野党の主張を空疎な護憲一本に収斂させ、選挙戦直前に大方の国民が望む経済政策集中の主張に切り替え、野党の馬鹿さ加減を一層際立たせる高等戦術とか。(そりゃ、穿ちすぎってもんかな)
しかし、「やるぞ!」と意気込む安倍総理に対して、「あせるな」と止める菅官房長官という図式に見るのが一般的のようで。

保守系雑誌では、まずは9条2項の削除のみに的を絞れば十分勝算がある、と。  そうなのか?
そして、国民投票で敗れてもいいからやった方がいい派が大勢です。
その根拠は、どうもいまいち得心が行かない。
「大阪都構想でやぶれても橋下は政治力を失わなかったから」みたいな感じです。

しかし、参院選で多数を取っておきながら発議しない、って事が自民党に許される事でしょうか?
また、発議して国民投票で敗れた場合、もっとも厄介なのは野党連合ではなく、自民党内リベラル派の復権です。
55年体制以降の自民党と社会党の「なあなあ政治」が日本を悪い方向に導いた、と考える安倍さんは徹底的に民主党を疎外する方針を貫いてきましたが、国民投票で負ければ安倍さんの次はリベラル方向の総理になるでしょうし、民進党との妥協の政治が始まるかも知れません。
そして、国民投票で改正が成就しても、その差が僅差ならどういう事になるか。

ちょっと話しは逸れるんですが私、一応法学部出身なんです。
で、実は最も小数派の自主憲法制定派なんです。(もう影も形もなくなりましたが)
学生の時は良く憲法を研究しましたが、あのくらいヌエ的な法律はありません。
最低ですね。
裁判でもそうですが条文の意味を本気で突き詰める場合、法源は何か? 立法者の意図はどこにあるか? というふうにどんどん遡及して本質を明らかにして行くんですが、本当のところ立法者の意図の在りどころは95%がメリケンの若いおねえちゃんで、5%が米軍の青年将校だったりするワケですよ。
そのおねえちゃんたちが「当時何を考えていたか?」って言っても始まらないもんで、「非民主的だった戦前の明治憲法を反省して、国民の総意で改められたもの」というストーリーを拵えたんですね。
もう、ここから嘘が始まってるんで、以降憲法学者はストーリーテラーの能力の発揮と嘘の研究のみに終始しているのも当然なんです。
日本人は韓国の憲法を笑えませんよ。


すいません、また下らない事を長々と。


難しい政治論議を封じたうえの感想です。かっての自民党利権政治に挑戦し政権を奪取した旧民主党。結果はともかく、間違いなく同時の日本の希望であった。転落後 見事な程組織崩壊 迷走を重ねたあげく、まさか共産党勢力に参加するとはあまりにも酷い。一時の打算 選挙協力で済む話しではない。岡田代表の決断は地方組織にも動揺を与える。当たり前である。地方労組には共産党なぞ問題外。選対会議に同席など揉めないわけがない。その一線だけは超えてはならない、支持者が認めるわけがない。勝てる気がしない。下手をすれば壊滅しかねない。共産党は読めるだろう。彼ら極左ははなからダメージなどない。しかし現民進党は違う。地方組織幹部の苦悩は尽きない。疲弊が続く。

『念のために言い添えますが、野党は「戦争法案の廃止」といっていますが、現実に部隊レベルで施行・運用が開始されている防衛法制を白紙撤回することなど、あり得ませんし、していいはずがありません。』

白紙撤回、十分あり得ると考えます。
違憲の法律に国民は従う必要がありません、自衛隊員も従う必要がない。
集団的自衛権行使を命じた場合、自衛隊員が憲法違反を理由に命令に従がわない事態が発生するやもしれません。
その際、自衛隊員になんらかの処分や不利益が与えられた場合、裁判で争う十分な理由ができます。
裁判になれば間違いなく安保法制は、違憲無効の判決がでるでしょうね。
なので現在、法律は成立させても集団的自衛権は、発動できない。
中谷防衛相いわく「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのか」との失言が自民党の本音
だから、安倍総理は、次の段階、憲法を法案に適応させる為の「改憲」に焦っているとみています。
しかし、この順番は間違いですね。
安倍政権は改憲派を含めて信頼を失ったかもしれません。

名無しさん。HNを入れて下さい。

答えは記事にします。

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