「ドイツ帝国」前史
日本ではメルケルが、世界最初に脱原発政策を始めたように思われていますが、もちろん違います。
メルケルは東独の物理学畑出身であるだけに、原子力については肯定的でした。むしろ、脱原発政策を進めていた社民党政権には批判的だったほどです。
この社民党(SPD)の党首にして、後に首相となり、さらに、メルケルに破れたのが、下の写真でいかにもドイツ人ドイツ人した風貌のゲアハルト・シュレーダーという人物です。
2005年の政権交代で、アンゲラに4議席足らずに首相の座を譲った当時のシュレーダー
http://www.newsdigest.de/newsde/features/7649-angela-merkel.html
なかなか興味深い人物で、マルクス主義的革命観が残る党内左派を押さえるために、環境左派である「同盟90/緑の党」との連立を決めて、1998年に政権党の党首となります。
シュレーダーがとった政策が、ロシアと中国への接近政策と労働市場改革、そして脱原発路線でした。
政権ナンバー2となったのが、連立相手の「緑の党」出身のヨシュカ・フィッシャーで、外相を勤めることになります。
1998年、シュレーダー率いるSPD・緑の党の連立政権が誕生。 中央のフィッシャーは外相に就任した。 左はシュレーダー首相、右はラフォンテーヌ財務相(フランス系ドイツ人)http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/3119-eintritt-der-gruenen-in-die-hessische-landesregierung.html
上の写真ではワイン片手にワ、ハハと笑っていますが、それぞれ党内事情は深刻でした。
緑の党の綱領は、「反戦・反核・反原発」です。日本の野党と酷似していますね。
フィッシャーは政権に入るために、こういう「反戦・反核」という左翼反体制的方針をバサバサと切り飛ばし、「脱原発」一本に絞り込んでいきます。
と同時に、初めてのNATO域外出兵となるコソボ紛争にドイツ連邦軍を出します。
ヨーロッパ最強と言われていたドイツ軍が、再び目を覚ましたのです。
http://www.asahi.com/topics/word/%E3%82%B3%E3%82%B...
私は、フィッシャーのような現実主義的左翼政治家がいたら、日本も多少違ったのではなかろうかと思って、リスペクト記事を進呈したことがありました。少し褒めすぎたか(笑)
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ddfa.html
まぁ、日本じゃシュレーダーやフィッシャーみたいなタイプの政治家は、生まれませんでしょうな。
日本の左翼政党は「脱原発元祖」と自称していますが、原発反対は、その多くの反対メニューのうちの一品でしかありませんでした。
だから、ひとつひとつ真面目に政策立案するのではなく、自民の言うことにはまとめて全部反対です。
これでは何一つ解決しません。というか、そもそも解決など初めから望んでおらず、政治と社会を混乱させてそのどさくさに政権を取るのが基本方針だからです。
それはさておき、シュレーダーとフィッシャーは、脱原発で共闘することになりました。
このシュレーダーを川口マーン恵美氏は、「大国にすり寄ることによって、自分を大きく見せようとする姑息なところがある」と評しています。
シュレーダーが「脱原発」政策の裏でとったのが、ロシアへの異常接近でした。
全任期中に、徹底してロシアの気に入らないことは言わない、という親露的態度を取り続けます。
シュレーダーがかつて左翼運動家あったために、日本の親中派のように「労働者の祖国」への郷愁があったためではありません。
その目的は、ロシアの天然ガスでした。
シュレーダーがやったエネルギー路線は、ひとつは先程から述べている脱原発政策ですが、同時にこれはエネルギー源の転換を意味しました。
2000年6月に「アトムコンセンサス」と呼ばれる原子力漸減政策が、政府と大手電力会社の間で結ばれます。
続いて2001年12月には脱原発法が通過し翌年の4月から施行されます。これがメルケルに先立つこと14年前の第1次脱原発政策です。
シュレーダーとシュミットは、日本の管センセと違ってリアリストでしたので、当時、17基ある原発が33%のエネルギーをドイツの経済と社会に供給していることをよく知っていました。http://www.de-info.net/kiso/atomdata01.html
これをなくすという意味は、3割のエネルギー源を失うことです。
ふたりが考えたことは、ロシアから天然ガスパイプラインを、ドイツに引っ張ってくることでした。
現在、ロシアからの天然ガスは、ベラルーシ⇒ポーランドか、あるいはウクライナ⇒スロバキア⇒チェコ経由のいずれかでドイツに到達する仕組みです。
下図の中央の黒線がそれです。
シュレーダーがことのほか力を入れたのが、バルト海の海底パイプライン(ノースストリーム)でした。
これが完成されれば、天然ガスが、東欧・中欧地域を経ずにドイツに直輸入されることになります。
下図のトッドが作った地図の中央上に見えるオーーブ色の線が、それです。
つまり、シュレーダーは、2010年の第1期完成(完工は2020年)を見越して、脱原発に舵を切ったわけです。
ただし、その副作用として、ドイツのエネルギー源の極端なロシア依存体質が生まれました。
原油に占めるロシアからの全輸入は33%、天然ガスで35%(2009年現在)で、支配的です。
一方ロシアにとっては、国内価格の実に8倍もの高値でドイツに輸出できるので、国内向けは原発にしてしまおうということで、ここにドイツとロシアの共通の利害、ハッキリ言えば、強依存関係が生まれたのです。
ドイツの脱原発への転換で、もっとも潤ったのがロシアでした。
結果、ロシアはエネルギーの飢餓輸出によって外貨を稼ぎ、再びソ連帝国の再興を視野に入れました。
いわばドイツの脱原発政策で、プーチン・ロシアは帝国再興の手がかりをつかんだと言えます。
この独露の強依存しながら、反発し合う矛盾した構図は、後のメルケル政権時のウクライナ紛争で火を吹くことになります。
と同時に、ロシアは国内向けのエネルギーに原発を当てました。皮肉にも、ドイツの原発分のエネルギーの落ち込み分を他国の原発が補填したことになります。
よく、フランスばかりいわれますが、これだけ大きな工業国のエネルギーシフトは、かくも大きく周辺国の状況を塗り替えるのです。
一方、しばらくしてドイツ人は、ロシアとのパイフラインが新たな戦略的価値を持つことに気がつきました。
フランス人のエマニュエル・トッドは、こうシニカルに評しています。
「存在するガスパイプラインのすべてをみてほしい。ウクライナを通っていることだけが共通点ではないよね。ドイツに通じているというのも共通点だ。
したがって、ロシアにとってのほんとうの問題は、ウクライナだけではなく、ガスパイプラインの到着点がドイツによってコントロールされているということなのだ。それは同時に南ヨーロッパ諸国の問題でもある」(前掲)
メルケルは、サウスストリームと呼ばれる(緑色点線)に対して賛成していません。
その理由をトッドは、こう述べています。
「サウスストリームが建設されないことがドイツの利益でもあるということが分かる。それが建設されと、ドイツが支配しているヨーロッパの大部分のエネルギー供給が、ドイツのコントロールからはずれてしまうだろう。」(前掲)
つまり、ドイツは自らの国に直行するノースストリームの建設は急ぐ反面、ドイツのコントロールから外れるサウスストリームには反対だということです。
このようにドイツの脱原発政策は表向きの理想主義とは違って、シュレーダーの衣鉢を継いだメルケルによって、ヨーロッパ諸国のエネルギーの首根っこを押さえる武器に転じていくことになります。
メルケルの前任者だったシュレーダーが残したものは、二つあります。
ひとつはNATO域外出兵によって、ドイツはNATO、すなわち「ヨーロッパ統合軍」の盟主として軍事的に関与すること。
二つ目は、脱原発政策と一体となったロシアからの天然ガスパイプラインによって、ヨーロッパ諸国のエネルギー源をコントロールすることでした。
東西両ドイツを再統一したコールが、安価な国内労働者を旧西ドイツの企業に提供することになるとは思っていなかったように、シュレーダーもまた、ロシアからの天然ガスパイプラインをドイツがコントロールすることになるとは意図しなかったことでしょう。
NATO域外派兵もまた、渋々せざるをえなくなるていどのスタンスだったはずです。
ところが、メルケルはこれらの前任者たちの残した遺産を巧妙に、きわめて意識的に「ドイツ帝国」の版図拡大に利用していきます。
そしてそれは同時に、「ロシア帝国」の復活と、確執の始まりでした。
ひとつひとつ説明が必要ですが、とりあえず箇条書きにしておきます。
①安価な旧東側労働力の獲得
②ユーロ・共通貨幣による恒常的マルク安を利用したどしゃぶり的輸出
③EUの関税なき内国化を利用した近隣窮乏化政策
④ロシアからのパイプラインよるエネルギーコントロール
⑤NATOの旧ソ連圏への膨張・拡大
⑥米国の没落と、ヨーロッパの米国圏からの離脱の動き
⑦復活した「ロシア帝国」との確執の開始
かくして延々と数世紀に渡って続く、伝統的<ゲルマン帝国vsスラブ帝国>の争闘の構図が、21世紀の今また再現したわけです。 では、一句。
■トッドの地図から下を大幅に加筆しました。
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コメント
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コール後からメルケルまで、外形的にはエネルギー政策が一貫しているように見えるけれど、ドイツはそれを国家間の序列に深くかかわる力関係のツールとして仕立てあげたんですね。
NATOの軍事力増強に反対する左派の台頭がシュレーダー政権を生み、その負の遺産をメルケルが逆手にとってプラスに転じさせた。
まさに国際政治のダイナミズムですね。
私はもっとこう、国家として歴史的に一貫した国民の統一的意思的なものが底流にあって、それがドイツを動かして来たのかと考えがちでしたが、そういう要素は少ないようですね。
そうではなくてドイツの場合、政治が政治として機能しているというか、(良し悪しは別にして)その時々の政治家の資質と実力の問題のようです。
日本にも自社連立政権というものがありました。
社会党が大きく現実路線に舵を切りました。
しかし、社会党支持者はそれを許さなかった。
連立後の選挙で、社会党は壊滅的な結果に終わりました。
これの示すところは、日本の左派がドイツの左派に比していかに異質で未熟か、ということだろうと思います。
戦後日本の新しい左派の原点は「戦前の国家」の否定からうまれ、現在の日本の戦前的なものを全否定し、結果的に力としての「国家」を認めないのが原則になりました。
ナチだけに罪をかぶせ、結果として全体が生き残る道を取った事が、ドイツの左派を本来の伝統的な左派のままにしておけた理由なのかも知れません。
今回の記事、他にも色々な事を考えさせてくれましたが、また長くなるとアレですので。(笑)
大変、勉強になりました。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年5月19日 (木) 11時20分
>私は、フィッシャーのような現実主義的左翼政治家がいたら、日本も多少違ったのではなかろうかと思って、
>日本の左翼政党は「脱原発元祖」と自称していますが、原発反対は、その多くの反対メニューのうちの一品でしかありませんでした。
>だから、ひとつひとつ真面目に政策立案するのではなく、自民の言うことにはまとめて全部反対です。
>これでは何一つ解決しません。というか、そもそも解決など初めから望んでおらず、政治と社会を混乱させてそのどさくさに政権を取るのが基本方針だからです。
最後については賛否あると思いますが、概ね私と同じ考え。特に「現実主義的左翼政治家」の登場は喫緊の課題かと。
まぁ、昨今思うのが「基本的に日本の政治家は実務家上がりの常識人が左右問わず必要」という次第。
投稿: 構造改革左派 | 2016年6月26日 (日) 11時29分