沖縄の歴史を相対視しよう
あたりまえなのですが、この「構造的沖縄差別」ほどやっかいな考え方はありません。
解決がないのです。なぜって、それは相手が怨霊だからです。
もともと「民族的怨念」には形がありません。暗がりに潜むマジムン(魔物)みたいなものです。
それにストーリーを与えたのが、沖縄左翼の伝統的「やられた史観」でした。
薩摩にやられた、維新政府にやられた、言語を奪われた、戦争で本土の代わりに犠牲になった、集団自決を命じられた、戦後も米軍に支配されて土地を奪われた、米兵犯罪で苦しめられた、基地を74%も押しつけられた上に、いま、「新基地」をつくられようとしている・・・。
まぁざっと、こんなところでしょうか。
ひとつひとつ見れば論争になることが、このようなストーリーで一括して並べられると、「虐げられし先住民」という絵が出来上がります。
多くの本土人はこれをバーっとまくしたてられると、うつむいて無言になります。かつての私もそうでした。
しかしこのストーリーを沖縄左翼はなにかにつけて政府攻撃に使っていたために、言うほうも言われる方も耳にタコができてしまって、賞味期間切れになりかかっていました。
ここに登場した救いの神が、メイド・バイ部落解放同盟(解同)の「構造的沖縄差別」論という新しい包み紙でした。
中身は一緒ですが、「構造的差別」論の一段パワーアップしたことは、「非和解的」「永続的」だという点です。
解同に言わせると、差別する者と差別される者の立場は、永遠に変わらないそうです。
和解なんてとんでもない、一生、いやこの先何千年も恨んでやるというわけです。
恨まれるのがイヤなら、こちらにおいで、ということになります。
先日書いた、帰依⇒回心⇒法悦という宗教的解放の構造そのままですね。
分かりにくかったら、お隣の国に実例があります。
パククネさんは「日本への恨みは千年たっても忘れない」と言っていましたが、解同が言っていることもまったく一緒です。
ですから、この解同発明の「構造的差別論」を、「千年差別論」と呼んでもかまわないでしょう。
ただ、解同はあくまでも自分たちは日本に住んでいるという点に弱みがありました。
だって「被差別部落」と言っても、今や新住民のほうが圧倒的で、彼らはここが同和地区だなんて知りませんからね。
もう地域差別としての部落差別は、共産党が言う通り過去の話なのです。
そもそもまったく同じ日本人です。その点、「国内植民地」は違います。
「国内植民地」という聞き慣れない言葉は左翼運動家が作った造語で、沖縄は日本の軍事侵略で「国内」になったのだから植民地と同じなのだと主張します。
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/Tainichi/data/hokkaido-okinawa.html
え、植民地って海外のものでしょう、と思ったあなたは甘い。
左翼活動家は、とうの昔に、「国内植民地は日本にもあるぞ」、と叫び始めていました。もう10年以上前からの話です。
ちょうど前回に書いた、知念ウシ氏や野村浩也氏が、解同の機関誌に登場する頃です。
解同とその同志たちは、日本で二つの地域を「国内植民地」に指定しました。
ひとつがアイヌ、ひとつが沖縄です。
こんな解同発の新発明を、沖縄に持ち込んだのが、アイヌがらみの鈴木宗男氏と、彼の盟友にしてハーフウチナンチューの佐藤優氏でした。
佐藤氏は本土ではあの顔で、1日1冊の本を書くという「知の巨人」だそうですが、沖縄に行けばいきなりサヨクに変身するから困ります。
沖縄県民を「国内植民地」で苦しむ「先住民族」として規定すれば、「構造的差別」は永久に残り続けるわけです。
思えば、微妙なところを攻めてきたものです。沖縄に関しては、確かにそう言うなら言えるかもね~、という歴史はあります。
確かに琉球王国は存在しましたし、薩摩藩の侵攻と支配も事実です。
一方、沖縄人は日本人とまったく同一のDNAを持ち、日本語文法と同じ方言をしゃべっています。
簡単に検証してみましょう。
上の絵は、15世紀、 首里の守礼の門で、中華帝国からの冊封使行列を迎える琉球王家です。
手前が黄龍旗を翻した中華帝国の迎恩使で、輿に乗っています。
「守禮之邦」の守禮とは、一般的な礼儀ではなく、あくまでも中国皇帝に対する「礼」、つまり服従を意味し、「邦」とは小さい国という意味です。
こういうものを2千円札の図柄にするなって(苦笑)。
迎恩使に三跪九叩頭の礼をする朝鮮王仁祖 大清皇帝功徳碑の銅板レリーフ Wikipedia
そして琉球王は三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)をとることになります。
叩頭とは額を地面に打ち付けて行う礼です。 三跪九叩頭ですから3回跪いては頭を床にたたきつけることを3セットやります。
さぞかし琉球王の額は赤く腫れていたことでしょう。
ちなみに、琉球王がこの迎恩使から賜った「王衣」は、中華帝国の辺境の地方長官のものです。
「輝かしい琉球王国」とは、実はこのような朝鮮と同質の属国だったのです。
沖縄の左翼知識人には、「沖縄だけが悲惨な歴史を背負ってきた」という、屈折した感情があります。
「沖縄だけ特別に苛められた」「沖縄だけだけが苦しみぬいてきた」という被虐的歴史観が常に彼らの意識の底に流れ続けています。
ですから自分の視点を、「加害者」と定めた日本との関係だけに固定化してしまって、<沖縄vsヤマト>という構図から一歩も出ようとしません。
もう少し、アジア世界、あるいは当時の国際情勢の中に沖縄島を置いてみたらよさそうなものにと、常々思うのですがだめです。
琉球王国は1609年の薩摩藩の侵攻で、薩摩の実行支配下に入りました。
これをどのように評価するかは分かれるところでしょう。今回はその評価については置きます。
このような時代にそうなってしまった、としか私には言いようがありません。
ただ、この薩摩の侵攻によって、琉球王国は朝鮮とは決定的に異なった歴史のコースに入っていきます。
それが、中国に冊封されながら、日本に対しても服従しているという二面性が生まれたことです。
これが沖縄を複雑にしている原因である、両属的性格です。
今なお中国を恋い慕う人たちはこう書きます。
「『生きて日本の属人と為るを願はず、死して日本の属鬼と為るを願はず』。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。
(略)
明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった。」
スゴイね。沖縄タイムス(2005年5月16日)の大弦小弦ですが、これが日本の新聞だとは信じられません。これが典型的慕華思想です。
彼らは、琉球王国が冊封国だった当時の琉球王国を、輝かしい独立国家として見るから、あとの歴史が全部歪んできます。
琉球処分もまた、独自に近代化することが不可能だった琉球王国が、廃藩置県の一環として近代化の途についたとも言えるわけです。
「武力によって琉球処分をした」と沖縄左翼は言いますが、当時薩摩藩が実効支配していたのに、なんで改めて武力行使をする必要があるのでしょうか。
沖縄にとってはただひとつの歴史であることは間違いありませんが、近代化の過程もまた相対視していかねばなりません。
「琉球処分」とは、つまるところまったく同時期に日本全国で繰り広げられていた廃藩置県のひとこまにすぎません。
沖縄だけ「処分」したのなら別ですが、廃藩置県の際は当初、藩をそのまま県に置き換えただけだったので302県もありました。
それら302藩のすべてが「処分」されたのです。別に沖縄だけが特別だったわけではありません。
琉球王国が独自に近代化できなかった最大の理由は、近代国家が持つべき通信、交通、教育、医療といった社会経済インフラの整備にあまりに無関心だったからです。
近代的ビジョンを持った支配階級が、沖縄内部にはいなかったからです。彼らは、こともあろうに滅びようとしている清国に助けを求めて走ったほどです。
これについて前に2回シリーズで書きましたのでよろしかったらお読みください。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-85e9.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-2d1a.html
上の写真は、サムレー(侍)階級ですが、明治政府は他の本土の藩とは異なって、琉球王国時代の古い土地制度・租税制度・地方制度などを残しながら、新しい国作りをしようとしていました。
彼ら士族階級が没落したのは、全国共通ですが、沖縄においては彼らに生活補助をしています。
奥羽越列藩同盟に加わった多くの北陸・東北諸藩に対しての新政府の苛烈さから見れば、天と地の差です。
方言札は、沖縄左翼定番の怨歌ですが、あんなものは青森など東北にも残っています。
当時薩摩藩と会津の武士は会話が不可能だったそうです。ですから「さよう・しからば」の武士言葉て会話しました。
そのくらい日本には膨大な方言が存在し、統一した共通語がなければコミュニケーションすら成り立たなかったのです。
沖縄語、あるいは沖縄方言は古語日本語から分離した日本語亜種ですが、よく沖縄左翼が言うように「言語を奪った」のではなく、教育による国語の統一こそが、近代国家の基本だったからにすぎません。
そういう言い方をすれば、明治政府は東北からも、北陸からも、いや維新の勝利者であるはずの薩摩からさえ「言語を奪った」ということになります。
現実に、今なおウチナーグチは健在で、新しい言葉を生みながらたくましく生き続けています。私は大好きです。
佐藤優氏は「台湾に先に帝国大学を作っても沖縄県にはつくらなかったから差別だ」とバカなことを言っていますが、帝国大学ができた県など内地で7校、外地で2校だけです。
大部分の県はなかったのです。特に沖縄だけじゃありません。
戦前の沖縄県の教育をアジア全体の目でみれば、沖縄県の水準に達した国はひとつとしてなく、世界レベルでも5本の指に入る高いレベルでした。
いや初等教育の普及は、世界最高水準だったでしょう。
これを「皇民化教育」のひとことでバッサリやるというのは、いかがなものでしょうか。
このように日本の歴史的沖縄政策は、多くの誤りや錯誤を持っていたことは事実ですが、「先住民族の抑圧支配」という見方は、あまりにも一面的です。
さて翁長氏の政治的信念は、「基地のない沖縄」だそうですが、この中国が歴史的膨張を開始したこの時期にそれがなにを意味するのかは、推して知るべしではないでしょうか。
なぜ、今このもっとも危険な時期に「離日(米)従中」の翁長氏のようなタイプの政治家が現れるのか、本土の人間には解りにくいと思います。
しかし長い歴史尺で見れば、かつての中華帝国の冊封国だった韓国と沖縄が、現在の宗主国である米国の衰退を見て、「宗主国替え」を企んだだけだともいえます。
翁長氏が目指すものは中華帝国から朝貢・冊封国家を受けていた、「琉球王国」の復活です。
スコットランドが独立をめぐって住民投票して破れましたが、彼らスコッチはイングランドに破れるまで完全な独立国であって、保護国や属国となったことは一度もありません。
連合王国となってからも、スコットランド民族党(SNP)の歴史は長く、1934年から活動して戦中は大英帝国の協力を拒んで、投獄などの弾圧を受けています。
このあたりはアイルランド共和国軍(IRA)と似ていて、筋金入りの反英です。 IRAに至っては、大戦中には敵の敵は味方というわけで、ナチと協力していた歴史すらあります。
イングランドと熾烈な闘いを経て、臣下の屈辱を飲んだ勇猛なスコッチ・ハイランダースが言う「独立」と、「琉球独立」のそれとは本質的に別物です。
つまり、「琉球独立」とは、沖縄の力をつけて自立することを意味せず、かつての中華帝国の属国に戻る「復帰運動」、あるいは沖タイのような慕華思想の産物なのです。
その証拠に、「沖縄差別」こと「琉球独立」派には、自立をめざす経済政策が完全に欠落しているのをみればお分かりになるでしょう。
翁長氏の経済オンチは偶然ではないのです。
経済の自立なき「独立」など空語の極みなのに、それに気がつきません。
いつか大中華帝国が助けに、黄龍旗ならぬ五星紅旗を翻して助けに来てくれると信じているのかもしれません。
古来、アジア圏で唯一、中華帝国にまつろわぬ国がありました。もちろん、わが国です。
このわが国に誕生した唯一中華にまつろいたい人のグループ、それが翁長一党なのです。
■お断り 守礼の門の絵から下を大幅に加筆しまし、改題しました。私の記事のほんとうの「熟成」は夕方なのでしょうか。
一回朝見ても、もう一回見てね。ごめん。
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沖縄は海外からの観光客も多く、国際通りはアジアからの観光客で溢れています。しかし、彼らに対する沖縄の人の印象は必ずしも良くありません。最も評判が悪いのが中国人です。
台湾や香港でも、触手を伸ばす中国への帰属については絶対反対の立場を取る人が大多数です。これらの国、地域でも中国人の評判は最悪です。
モンゴル、ウイグル、チベットの例を見れば、中国と言う国の本質が判るはずです。そんな中で中国への帰属を望むなど、笑止千万です。
沖縄県民の一体何パーセントが自分達は沖縄民族と言う少数民族であると信じているのでしょうか。また、何パーセントが中国への帰属を望んでいると言うのでしょうか。また何パーセントが沖縄が差別されていると感じているのでしょうか。
沖縄に限らず、北海道独立論も根っこは一緒です。ちなみに昔は北海道にはアイヌが住んでおり、狩猟生活をしながら細々と生活していました。明治政府は北海道の開拓をするために、当時政府に逆らって破れた薩摩の兵士を、大量に北海道に送り込みました。開拓が進むにつれて本土からも沢山の人々が北海道に移り住むようになりました。
現在の北海道の言葉が鹿児島弁とそっくりなのはそのような背景があるからです。こんな中で北海道独立論が語られるのは、不毛の大地だった北海道を苦労の末、豊かな場所にした先人の努力を踏みにじるものです。
工作員とおぼしきプロの過激派は色々な理屈を付けて沖縄や北海道の日本からの分離を仕掛けて来ます。
沖縄はアジアの中心であり、軍事的な要衝です。中国から見れば沖縄は太平洋に出る不沈空母として機能します。北海道もロシアから見れば不凍港確保と言う視点から見れば魅力的です。
今、沖縄から米軍を追い出そうとする過激な運動が激しさを増していますが、米国でトランプ大統領が実現すれば日米安保もどうなるか分からなくなってきています。万一、日米安保条約が破棄され、沖縄から米軍が出て行った場合、沖縄県民は大喜びするのでしょうか。沖縄経済は一気に縮小に向かうことになるのでしょう。
沖縄に出張して来ていたプロの過激派はどうするのでしょうか。沖縄から立ち去るのでしょうか。多分、そうはならないと思います。沖縄の米軍基地の跡地の利用をめぐって様々な妨害工作に専念することになるのでしょう。
米軍が沖縄から出て行けば、当然、その空白を埋めるために自衛隊が増強されることになります。そうすればプロ過激派の次の標的は自衛隊になるのです。彼らの目的は沖縄県民のために何かをしようと考えている訳ではありません。彼らの目的はただ一つ、沖縄を無力化することです。
沖縄県民は色々な理屈に翻弄され、ただただ利用されるだけと言うことになってしまいます。そしてこれに手を貸しているのが現沖縄県知事です。彼を選挙で選んだのは沖縄県民ですが、よほどの馬鹿で無い限り、失敗だったと認識しているのでは無いでしょうか。
難しい理屈よりも沖縄県民の幸せを実現する。これこそが政治の本質であり、役割です。
投稿: 愛国命 | 2016年6月 1日 (水) 09時14分
愛国命さん
> 難しい理屈よりも沖縄県民の幸せを実現する。これこそが政治の本質であり、役割です。
ホントです。その他、愛国命さんに同意します。。
投稿: ueyonabaru | 2016年6月 1日 (水) 10時56分
愛国命さん
いつも思いますが、素晴らしいコメントです。
沖タイ 琉新の社説に載せて県民に読ませたい
感動しました。有難う御座いますm(__)m。
投稿: 元本部町民 | 2016年6月 1日 (水) 11時47分
愛国命さん。まったくそのとおりです。
初めはHNが先鋭だったので身構えましたが(笑)、至って穏健で妥当なお考えです。
あとの方のご意見をみると、このレベルでも県内では発言できないのかと愕然となります。
投稿: 管理人 | 2016年6月 1日 (水) 12時18分
沖縄の事はよく分からないので、このブログで勉強させてもらっているのですが、「沖縄の人が別民族で、民族自決」といい始めた翁長氏を見たときに、彼はどうしようもない最悪な政治家だと思っています。
民族自決と言うのはパンドラの箱だと思います。
そもそも民族の定義が難しい。血のつながり、エスニシティと言われるような習慣の違い、宗教の違い、etcから、自分たちの属する集団を定義して、他の集団からの攻撃とか受けてきた被害を言い立てて、自分の集団を纏め上げ、自分がリーダーとなりたい政治家ほど当てにならないものは無いと思います。
煽った挙句、コントロールできないほど険悪な集団同士の抗争になって、泥沼化した例は多々あります。
だからブログ主さんの主張には全く賛成するものです。
ヨーロッパの火薬庫と言われるバルカン半島で、ついこの間もボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチア、コソボの紛争でたくさんの住民が内戦で亡くなり、住民は塗炭の苦しみを負いましたよね。
でも人種的には同じスラブ人の同根から派生した人々なんだそうで、それを「宗教やエスニシティの違いを殊更言い立てて、民族自決というお題目を唱えて、他の集団からの被害を受けているゆえに団結して対抗すべき」と煽る政治家が居るのですね。バルカン政治家という呼称もあるくらい、自分の主張を通す為に、何でも言い立てて利用しようとする政治家です。
分かりやすく敵を定義して、それに対抗すべきだという単純な構図で人々を煽るのは、ナチスを始め、古今の政治家がよく使ってきた手法ですが、「眉につばをつけて、しっかり見なければならない印」と僕は思っています。
投稿: たつあん | 2016年6月 1日 (水) 12時43分
今朝の記事、大変にためになりました。沖縄の人たちは自身の歴史をどのように見るかがとても大事なことだと思いますね。本土の方々には、多少興味がなかったかもしれませんが、私にとっては、大変需要なものであります。
ひところ、沖縄の新聞紙上では、新しい歴史学者たちがたくさんの記事を書き新聞で発表しておりました。それに対してわたしは、違和感を抱いておりました。このような学者たちは、自分自身のイデオロギ-があり、その観点から琉球史を論じているように思えたのです。左翼の学者たちなんでしょう。
明治の歴史学者である、伊波普猶たちとは異なる歴史学の潮流が出てきて、今マスコミを席巻しているようですね。私たちは歴史の専門家ではありませんので、左翼学者たちの言論に立ち向かうことが出来かねますが、この新しい歴史学には何かしら不満はあるわけです。
今朝の記事では、「ありんくりん」さんが大きな視点から琉球史を見ているものと思っており、これは大筋正しいのではないかと思われます。琉球史はゆがめられないようにという思いが強くありますね。
歴史の専門家だけが必ずしも正しいわけでもない筈です。素人なりの判断もあります。もしかすると、こちらが正しいのかも分かりません。琉球がチャ-ンと独立国であったと主張する学者の意見は受け入れるわけにはいきません。
憲法学者が正しく日本の生存を担保する議論が出来ないように、専門の歴史学者が正しく歴史をとらえていないことも考えられることです。
投稿: ueyonabaru | 2016年6月 1日 (水) 13時43分
私は、恥ずかしながら博学な皆さんとは
違い、若い頃 勉強せず遊んでばかりいた
物ですから、沖縄の歴史を当ブログで
詳しく再認識している次第です。
心の何処かで、沖縄人のDNAが日本民族
との記事で、何か嬉しく ほくそ笑んでい
る自分です。
琉球国については、何も疑わずに 薩摩の
侵略、そして琉球処分で被害者意識を持
っていました。
果たして、当時の沖縄の庶民が良い暮ら
しで幸せだったのだろうか。
写真の琉球武士を見た限り、庶民の貧困
状況を想像してしまいました。
恥ずかしながら、今頃になって沖縄の
歴史に興味を持ち、当ブログを読ませて
貰っています。
コメントの皆さんも、大変参考になり
知識の凄さに驚き、そして感謝していま
す。
投稿: 宜野湾市民 | 2016年6月 1日 (水) 15時26分
琉球の時代から今につながる沖縄の文化に対する誇りは私にもあります。しかし、中国の朝貢国であった事実がなんでそんなに誇らしく思えるかはわかりません。現代の中国に朝貢したところで10倍返しするわけもなし、むしろ収奪されるだけと思いますがねぇ。翁長知事は権力欲、名誉欲、利権欲を追及した結果が今のザマになってるのだろうと私は思ってます。「基地のない沖縄」とか言っておきながら、浦添市の海岸を埋め立ててでも那覇軍港移設を推進するとか面の皮が厚すぎて紫外線も通さなさそうです。それでも腹は黒いことでしょう。
軍転協総会(H28.2.17開催)における本市の質疑内容について(浦添市HP)
http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2016021800077/
浦添市長・松本哲治の逆襲ー「浦添新基地」発言に動揺する翁長知事
http://hi-hyou.com/archives/4307
ベトナムやタイ、北九州、朝鮮まで往来した先人達のバイタリティは大したものだと思います。明王朝成立後、まだ混乱期に後方支援したことで朝貢国の中でも好待遇を受けることになったようで、その頃の王朝は先見の明があったのかもしれませんね。ポルトガルの資料に、琉球人は正直な人間で奴隷や女を買わない、絶対に同胞を売ることがない、商売で欺くことがないとあるそうで、そういった先達の志こそ受け継ぎたいものです。
投稿: クラッシャー | 2016年6月 1日 (水) 18時07分
少し前に「微妙な若者」さんが「井の中の蛙」ということを書いていらっしゃいましたが、まさに、井の中の蛙です。
しかしこの井戸を作ってしまったのは私達世代なのです。沖縄の未来が映る清い湧水が満々と溢れ出る、と思ったいたのです。しかしこの井戸の中には濁って何も映さないどころか、何も住めない程どろどろとした汚泥が溢れるようになってしまいました。
管理人様の仰る通り、正しい歴史を学ばなければいけないのです。
伊波普猷の本でさえ、沖縄の歴史学者や言語学者は「彼は日本民族論者だからその事を頭において読むように」と。
彼は言語学、民族学、歴史学を駆使して「琉球人のルーツは日本だ」と証明したのです。羽地朝秀もしかりです。「日琉同祖論者」は今の沖縄では非国民となるようです。おばぁもメンバーから何時の間にか外されてしまいました(笑)。
しかし私達が今認識する沖縄の伝統と言われているものは、殆どこの羽地朝秀が行った古琉球を政治経済社会の大転換する改革から生まれたて言っても過言ではないのです。
この後蔡温が中国化を進め風水思想や儒教イデオロギーが生まれ、今もかなり中国風の文化が残っているのですね。
第一尚氏の頃は華人の懐機が国政をしきり、大和から来た禅僧達が対大和外交を司ったのです。
沖縄は「琉球王国」が始まった時から「ウチナー」だけで成り立っていたのではなく、外からの文化や政治経済を取り入れて成り立っていたのですから、根っからの「チャンプルー」です。
「琉球王国」を取り戻せ、と叫び声をあげている人達に問いたい。今とどこが違うのかと。
沖縄という歴史空間の中に私達は生まれましたか、決して沖縄という歴史を体現しているわけではないのです。
「差別」とは何なのでしょうか?
「沖縄民族主義」をポストコロニアリズムの時代の正義と勘違いでもしているのかと思います。
管理人様の仰る通り、彼らは誰もが反論しにくい「沖縄の心の問題」としてまるで黄門様の印籠のように振りかざしているのです。
沖縄の基地削減をどのように進めるかであって、基地がある事無い事を異常と思う事では無いと思うのです。
日米安保や自衛を考慮しつつ前向きに進める事ではないのでしょうか?
基地問題は「心の問題」等ではなく、ましてや差別の問題でもない、もっとグローバルな問題な筈なのです。
日本で一番グローバルを自負しているオール沖縄の方々には良く理解出来ることだと思うのですが、やはり「井の中の蛙」なのかな?
ふゆみさん、ありがとうございます。しぶといおばぁは前にもまして元気です。しかし退院したとたんに、夏日の空に冷たい風が吹き荒れておりました。
沖縄言語を研究していると、沖縄の歴史が面白い方向から見えてきます。
私事で申し訳ありません。くさった気持ちがこの管理人様のブログに散歩にくると沖縄の方々の前向きな素晴らしい意見や考え方に勇気を貰い管理人様はじめ皆様の知識をいただき感謝しております。
私も少しでも「井戸」の水が清くなるよう湧水の洗浄に励みます。
投稿: 沖縄のおばぁ | 2016年6月 1日 (水) 22時14分
沖縄のおばぁ さん
お久しぶりです。私の高校の先輩でもあられます(多分首里高校卒ではありませんか)。今日のこのコメント大変に素晴らしいものです。歴史をあまり勉強しておりませんが、おばぁに習い、勉強に精出したいとおもいます。イイご文章ですね。
投稿: ueyonabaru | 2016年6月 1日 (水) 22時33分
沖縄のおばぁ さん
お久しぶりでございました。
元気に退院されて何よりです。
今回のコメント、もう全く同感です。
私の言いたい事は本記事の内容の一から十までと、沖縄のおばぁさんのコメントで無くなりました。
それにしても、郷土の俊才「伊波普猷」も貶められたものです。
振り返れば沖縄の歴史の歪曲が始まったのはベトナム戦争末期、復帰前後からと記憶します。
研究者がマルクス主義史観ということもあったでしょうが、それ以上に歴史の解釈が政治状況と接着して変化し語られる姿は背筋が凍る思いがしました。
憤懣やるかたないのは、保守を標榜する首長までが偽造された歴史を拡大再利用する事でした。
その点、仲井真知事も例外ではありませんでしたが、彼には翁長氏と違い、知性がありました。
最終的な尺度は「沖縄の発展」というところに置いており、嘘の歴史観を道具に使い、政府や本土の人間を睥睨して見せる傲慢さは散見さられたとしても、それ自身を目的にはしない賢明さを持っていました。
ご存知のように翁長氏は、知事になるずっと以前から根っからのナイチャー嫌いです。
ですが、沖縄に寄り添う(もっと正直にいえば、謝罪の意をもって傅く)本土の連中には胸襟を開きました。
山中貞則から始まって、梶山静六、額賀福志朗など多志済々の自民党オールドリベラリストの面々です。
時がうつり状況も代わった現在、昔のような「自民党内原理主義的沖縄派議員」は存在しなくなりました。
一般の国民も「何か変だぞ?」と気がつき始めました。
これに我慢ならない翁長氏の傲慢はエスカレートし、ついに「構造的差別論」にまで手を出してしまったのが今日の姿でしょう。
沖縄を叩き壊してしまった翁長氏は、やはりどう考えても「島の悪霊」そのものであり、次代を担う県民に深く長く祟る存在となるでしょう。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年6月 1日 (水) 23時51分
沖縄のおばぁ、さん(^^)ご快癒おめでとうございます。
移り住む先や旅先でその地の郷土史を紐解くのが私は好きです。沖縄には仕事と観光でしか行けてないのですがこのブログを縁に、今第一尚氏から色々見ています。奥深いですね。
どの国の方もその地の歴史を誇りに思い家紋や紋章・旗の柄にこだわりとプライドを持ちながら、現在の帰属先である国家と反目する際にその旗印を使うなら、相当な覚悟の下の反逆独立だという自覚はお持ちなのが実感できました。
組んでる過激派と知念ウシさんはやる気まんまんのようですが翁長知事にもその覚悟があるのでしょうか。
色々こちらで学んで一般県民には全くその気がないことがわかり安心しております。
今を有利にする為に安易に史実をつなぎ変えると、韓国のようにオリジナルが何だったのかも、現在の有り様も、欲しかった未来像すらも見失う、錯乱状況を生むだけですね。隣国も、15年程前はギリ持ちこたえていたものが、ガクガクと瓦解しました。
投稿: ふゆみ | 2016年6月 2日 (木) 08時41分
沖縄のおばぁ、お帰りなさいです!
無理だけはなさらないでお身体を大事にしてください!
ウチは少年時代にグラマンから逃げまとった親父が来週入院して手術です。さらに法事が重なってたりでもうバタバタです。本来仕切るべき私自身も体調不良でして…。
素晴らしい論説、貴重です。
長生きして下さいね!茶々いれてるのでは無く本気で思っています。
投稿: 山形 | 2016年6月 2日 (木) 09時55分
山路さん
> 研究者がマルクス主義史観ということもあったでしょうが、それ以上に歴史の解釈が政治状況と接着して変化し語られる姿は背筋が凍る思いがしました。
> 憤懣やるかたないのは、保守を標榜する首長までが偽造された歴史を拡大再利用する事でした。
その点、仲井真知事も例外ではありませんでしたが、彼には翁長氏と違い、知性がありました。
> 最終的な尺度は「沖縄の発展」というところに置いており、嘘の歴史観を道具に使い、政府や本土の人間を睥睨して見せる傲慢さは散見さられたとしても、それ自身を目的にはしない賢明さを持っていました。
ここのところ全く同感です。仲井眞さんは、国防論で選挙戦を戦ってもらいたかったです。これが、沖縄の論点なんですから。
投稿: ueyonabaru | 2016年6月 2日 (木) 10時01分
記事もコメントも読みごたえがありました。
沖縄のおばぁさん
退院おめでとうございます。
ご自宅で静養中でしょうね、次なるコメントを楽しみにしてます。
投稿: 多摩っこ | 2016年6月 4日 (土) 02時25分
すいません 何度も何度も。この記事を批判してた人たちがいました。例によって管理人さんを幸福の手先と勝手に決めつけていました。彼らや独立派はeu離脱のイギリス国民投票がもたらしたことを分かってやっているのでしょうか?過去を守ることとしがみつくことは違います。最もこれは保守派にも言えることですが。http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1464551822/l50
投稿: umigarsu | 2016年7月26日 (火) 21時55分
umigarsuさん
その情報は不要かと思います。異次元の世界だし、キリがない。
投稿: 多摩っこ | 2016年7月27日 (水) 00時38分