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2016年7月 4日 (月)

ダッカ事件 一挙に緊張を増すアジア情勢

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まるで示し合わせたかのように、この1カ月間の間に、アジアの緊張が一挙に高まってきています。 

時系列で追っていきます。 

6月9日に、中国陸軍がインド北東部に侵入し、一時インド領を占拠しました。http://www.sankei.com/world/news/160615/wor1606150032-n1.html 

これは翌10日から始まる予定だった、日本近海での日米印海上共同訓練「マラバール」に対する牽制だと見られています。 

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そしてわずか6日後の6月15日には、中国海軍軍艦が日本の領海と接続水域をあいついで侵犯しました。
関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-1c47.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-50c8.html 

そしてほぼ同時期の6月中旬には、中国軍戦闘機が、東シナ海上空で空自に攻撃的な態勢を取りました。 

空自機はフレアーという、防御兵器を使わねばならないまでに緊迫した状況でした。 

これは空自の元空将が語ったもので、政府は公式には否定していますが、どう見ても事実のようです。 

6月22日には、北朝鮮が中距離弾道ミサイルムスダンを発射し、再突入という弾道核ミサイル保有のために必須の技術をクリアしました。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-dd3e.html 

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この22日は、北朝鮮の副局長が6者会議出席のため北京に到着した日で、中国の意向を受けて米国を威嚇したものだろうと見られています。 

これらのことが、わずか約1か月間に起きました。

そしてついに7月1日から2日にかけて、バングラディシュで、7名もの邦人がテロで死亡しました。 

犯行声明はISが名乗り出ていますか、はっきりしたことは分かっていません。

いずれにせよ、ISは世界規模で広がる「IS勝手連」ですから、彼らがどう名乗ろうと勝手です。 

殺害されたのは、すべて現地の経済協力のために働いていた技術者たちです。 ご冥福をお祈りします。

Photohttp://www.huffingtonpost.jp/2016/07/02/i-am-japanese_n_10790532.html 

この様子を産経新聞(7月2日)はこう伝えています。

「周囲は暗く、詳しい様子は分からなかったが、銃声の中で懇願するような男性の声が聞こえてきた。
「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」。女性は産経新聞の取材に、「まるで戦争のようだった」と話した。」

この悲痛な「私は日本人だ。撃つな」という叫びについて、ジハード主義者(イスラム原理主義者)は、その場にいる異教徒を皆殺しにするとして、中東・イスラーム専門家の池内恵氏はこう述べています。

「現時点で分かっている事実のうち、今回の事件の性質を測るために重要な点の第一は、犯行集団が人質にコーランの一節を唱えさせて、唱えることができた者には危害を加えず食事も与え、唱えられなかったものには拷問を加えたと報じられている点である。
これはジハードを掲げたテロに共通する、異教徒を特に選び出して殺害する手法である。これは中世に体系化されたイスラーム法学のジハード論に明確にされている規範を遵守したものと見られ、今回の犯行集団や、バングラデシュに特有のものではない。」Foresight7月4日)

また池内氏は、テロリストはイスラム教徒とは関係ないという一般論に立たず、あくまでもISのテロは、シハード(聖戦)主義の中から生まれたものだと指摘します。

「ジハードの観念がなければ、テロリストとなった者たちは麻薬密売組織やギャング団に入り、異なるタイプの犯罪を犯したかもしれない。それはテロとは呼ばれないかもしれないが、社会に重大な混乱をもたらすだろう。
犯罪に、特定の価値規範から「意味」や「価値」を与えたものがテロであり、現代世界においてはジハード論がテロを方向づけて価値を与えるのに最も有効なイデオロギーとなっている。」(同)

狂信的ジハード主義者にとっては、イスラム原理主義は自らの不満や怒りに形を与える「価値」であって、その価値が命じるのなら何をしてもかまわないということのようです。

つまり、彼らテロリストにとって、自らカルト的セクト以外は、すべて殺してかまわない「邪教」であって、抹殺対象なのです。

いや、「殺していい」のではなく、むしろ「殺すべき」対象だと言ってよいでしょう。

ですから、「日本人だから殺された」のではなく、今やISにとって「日本人だろうがあるまいが」、彼らが考える狭い意味での「イスラーム」でなければ、殺す対象となってきているところまできてしまった、ということです。

そのあたりを、できるだけ簡単に池内氏のフェースブックを参考にして説明します。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10205284479270550?pnref=story

ジハードというのは、ひとことで言えば、「イスラム世界を守る」ための聖なる戦いのことです。

では、何から何を守ることを、誰が決めるのでしょうか?ここが問題なのです。

結論から言えば、スンニ派には現在これを公正に決める宗教的権威のいない状態が続いているのです。

かつては広大なイスラム帝国にはカリフという最高聖職者がいて、コーランを解釈する権利、つまり「有権解釈」をもっていました。

ところが、最後のカリフを保護していたオスマントルコ帝国が第1次大戦で崩壊してしまいました。

それを建て直して近代化したのがケマル・アタチュルクです。

近代トルコ建国の父ですね。

ケマルは、宗教と世俗権力との分離を図り、1924年にはカリフ制度自体が廃止されます。

そして、最後のカリフであるアブデュル=メジト2世は国外追放となっています。

その結果、現在、ISも属しているスンニ派には、コーランの「有権解釈」をする最高位聖職者のカリフが不在なのです。

結果として、多種多様な勝手な解釈がまかり通ることになります。

そして、キリスト教のプロテスタンティズムに似て、極端にいえば「ひとり一派」が通用してまうのです。

ここにイスラム原理主義が誕生しました。

そして彼らは、「アラブの春」による国家の統治が崩壊した隙間を縫うようにしてアメーバーのように「イスラム国」を作ってしまったというわけてす。

らは勝手に、自分こそが真の「カリフ国だ」と名乗っています。

もちろん圧倒的多数は、穏健なスンニ派ムスリムなのですが、彼ら過激派には単なる見解の違いであって、さらにはそんなことを言うのはイスラームではない、と殺しにかかルことになります。

さて孫崎享氏は、今回、こうツィートしています。
https://mobile.twitter.com/magosaki_ukeru/status/749238326578716673?p=v

「ダッカ事件「英語で”私は日本人だ”と叫ぶ40歳代ぐらいの男性1人が、男達に店内へ連れ込まれたのも見た”と話した」。残念ながら日本人なら無害は過去の話。IS「アベよ、戦いに参加するというおまえの無謀な決断でこのナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する。」

今回テロリストは日本がらみのことなど、何ひとつ発していませんよ。

あなたには、あらかじめ日本政府批判のストーリーがあって、それに収斂させたいだけなのです。

孫崎さん、テロリストが何も言わないうちから自分の持論に強引に結びつけないでください。

「日本人だから殺された」「アベがISから憎まれているから殺された」のではなく、その場にいた者すべて日本人であろうとなかろうと、異教徒ならすべて虐殺したのです。

そのためにコーランの一説を唱えさせ、できなければ殺しました。

また俗に言われるように、このような事件があると、テロは貧困と格差から生まれるということを言う人が必ず出ますが、それが必ずしも当たっていない証拠に、彼らはすべて富裕層出身でした。

「襲撃犯のほとんどが裕福な家庭の出身。「全員が高度な教育を受けた若者たちで、大学も出ていた」と。過激派になったのは「それが流行になったから」 「飲食店襲撃犯は国内組織のメンバー、ISとは無関係」 バングラ内相」(AFP=時事) 

現在、どのような犯人が、どのような動機で、どのような計画を立てて犯行におよんだのかわかっていません。

現地で外務副大臣が情報収集をしているという時期です。

この時期において、もっとも大事なことは、私たちが誰と戦っているのか、今何をしたらいいのか、逆に何をしたらいけないのか、を明確に意識しておくことです。

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ISのテロリストたち

簡潔に言いましょう。

私たちはただ今現在、テロリズムと戦っているのです。

テロとの戦いは、パリ事件のように、現場と後方の境がなく、世界のどこでも起き、攻撃対象は政府・軍施設にとどまらずありとあらゆるものに及んでいます。

何がテロリストを喜ばせるのか、何がテロリストの利益なのかを、国民がはっきりと認識し、それを与えないことです。

たとえば、被害者の氏名です。

名前の秘匿は、テロリストに不用意に情報を与えないという意味と、憔悴した家族たちの保護のためにも必要な措置でした。

2013年の日揮事件で、亡くなった被害者を叔父に持つ本白水智也氏は、こう述べていました。
http://livemedia.jp/?p=1256

「昨夜、菅官房長官が被害者の実名は公表しないと明言してくれたので安心していたところ、今朝の朝日新聞を見てガッカリしました。実名を公表しないという約束で答えた取材の内容に実名を加え、さらにフェイスブックの写真を無断で掲載しておりました。
ただでさえ昨夜の発表を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います。
16日の事件発生から昨夜まで、日揮の情報はとても少なくて、私たち家族は日本の報道や海外メディアの不確かな情報に一喜一憂し、振り回されておりました。なぜ日揮はここまで情報を出すのに慎重に慎重を重ねていたのか疑問だったのです。それが昨夜の菅官房長官の「被害者の実名は公表しません」という言葉で分かりました。彼らは私たち被害者家族を守るために細心の注意を払っていたのです。」

今回もまた、管官房長官が記者会見で、「被害者の姓名は公表できない。それがテロリストか欲しがっている情報だからだ」と述べたにもかかわらず、またもやテレビ局が被害者の家族、親族に群がるという醜態をさらしました。

どうかしています。今の事態が、<テロリズム>」と戦う「有事」の真っ只中だとわからないのでしょうか。

彼らはマスゾエ叩きのノリでISと接しようとしています。イエローシャーナリズムはどこまでも腐っています。

また、テロリストの意図を勝手に憶測し、擁護することです。

たとえば孫崎享氏は、例によって例のごとくワンパターンで、この事件すら政府攻撃のネタにしてしたいようです。
https://mobile.twitter.com/magosaki_ukeru/status/749375821605777408?p=v

「選挙前に今一度、集団的自衛権の怖さを考えたい①、安倍首相がエジプトでISと戦う国に資金提供すると表明したことで、ISは「アベよ、戦いに参加するというおまえの無謀な決断で、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する」と反応。」(7月2日ツイッター)

かつて後藤健二氏の事件の折、朝日新聞の川上泰徳氏はこう書いています。

「イスラム国」による日本人拘束事件は、安倍首相が掲げる『積極的平和主義』によって日本人が中東で敵視される危うさを露呈させた。事件は、安倍首相の中東歴訪のさなかで、それも首相のカイロでの演説を受けて起きた」 

今回もまったく同じ口調、同じロジックです。

「日本が誤解されることをした安倍が悪い」「米国と集団的自衛権など持っているから日本人が殺されたのだ」というわけです。

あの時も孫崎氏などは、「今年1月中旬安倍首相の中近東歴訪がイスラム国への敵対姿勢を明確に見せたことが事件の引き金になった」と言っていました。

そして、国内政治の具に供することです。 

ある人物は、こうツィートしています。

「集団個別問わず敵対すれば、テロの標的に邦人を差し出すわけですが、集団的自衛権を主張すれば同盟国内で一番弱いところを狙うのは定石。 集団的自衛権を主張し、話し合いを捨てれば、リスクは高まる。」

どうして個別的自衛権と集団的自衛権が、「日本人をテロの標的に差し出す」ことになるのですか。

個別的自衛権すら「テロの標的」になるのなら、自衛力そのものがいらないということです。

論外です。

こういう発想から、共産党の「人殺しのための防衛予算」という暴論が飛び出します。

日本は今回の事件において自衛隊を出す計画はまったく俎上に登ってさえいませんでした。

また、多くの死者を出したイタリア=NATOも、特殊部隊派遣が計画にあったとは聞きません。

したがって、集団的自衛権問題とは、なんの関係もありません。

「弱い環」ならば、なぜ弱いのか、どうすれば強い環にできるのか、どうしたら自国民を守れるのかを考えるべきなのです。

テロリストという犯罪集団と、被害者である日本をまったく同格にして並べて、しかも被害者の側に責任があるという倒錯しきった論理です。

この人たちは誰の味方なのでしょうか。

テロと戦う自国政府ですか、それともテロリストでしょうか?

このように、日本を取り囲む状況は、一挙にきな臭さを増し、「安全と水はタダ」だと思う日本的価値観自体が問われています。

共産党はこのような時期に「防衛費は人殺し予算だ」と言ってのけました。このような党と組んで恥も外聞もなく勝ちたいのが岡田民進党です。

参院選のテーマはダッカ事件を経て、日本を取り囲む緊迫した状況とどう対峙していくのか、どう国民を守っていくのか、その点に一挙に絞られてきた気がします。

 

 
 

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コメント

池内恵氏の指摘はとても私には説得力があります。
特にアジアのムスリムを多数抱える国において、貧困=テロではないと感じてきました。世界でふつふつと起きているテロの背景には十把一からげに決めつけられない土地ごとの事情があるのですが、跳ね上がって組織を作り先導するのは9.11の頃から変わらずインテリ層なのだと思います。

在外邦人の死亡事件が起こる度に胸がつぶれる思いです。日揮の時の朝日新聞の開き直りようには激怒しました。匿名を条件に被害者家族に寄り添ったような顔で取材した記者は、戻って上司に「実名が必要に決まってるだろう」と凄まれれば一晩で取材元の秘匿をゲロって書いてしまう。そうだな、それが正義だなぁ、みんなの為だなあ、なんて、そんな理由で!
これでは前に書いた青山氏のような人物にしか何も打ち明ける気にはなれないですよ。

昨春デュッセルドルフのドイツ人とともに墜落事件で邦人が亡くなられて際も、当時のうちの近所(被害者宅の近所)やどうでもいい在外領事館の前でレポーターが無神経なレポートを喋くっていました。

国内での悲惨な事件と違う点として、JICAや駐在員は志願して行ってるからオープンにしていい、という意見がいつも出ます。
私達は家族連れて海外で働く際、それは身の危険については覚悟の上で最大限の努力をはらいます。
でも万が一の際にプライバシーも残された自分と繋がりのある人間関係まで寄ってたかって騒ぎぶち壊される部分に関しては、断固拒否する権利があります。第一、それを知りたい一般市民がどれほどいるのですか。知人だったら知るべき時に情報が回り落ち着いてから焼香すればいいだけなのに。
菅官房長官が今回、被害者の個人名はテロリストの欲しがっている情報だから出さない、という対応が被害者家族にとっても事後のテロリストからの煽りを防ぐ為にも有益であり遺族も助かるのです。

これだから「孫崎ウケル」なんて一部で揶揄されるんだよなあ。

今から備えてクルァーンの暗記でもしようか?
あ、日本語版じゃ駄目か(笑)

それでも、批判された主張は、いまだ一般人の多くに通じてしまうというのがこの国の悲劇なんですよ。

なんででしょうかね?

何も考えられないのでしょうね。考えるのが面倒くさいのでしょうね。

自国の政府を批判さえしてれば、すべて解決すると思い込もうとしてるのでしょうかね。

沖縄にしろ、先だっての北海道の補選にしろ鹿児島の知事選にしろ、まともな政党とまともでない政党が接戦しているという現実以上に、絶望感を覚えるものはありません。

投票に行く人たちは、何を求めているのか?時代感覚がずれているとしか思えないのですが。

一部の人間が「政府の対応が悪い」などといって選挙の道具にしているけれど。
同じ日本人としてなんと情けないことか。話にならないとは、このことだと思う。

何とも惨たらしい事件がまた起こったものです。
その国に善かれかしとの思いで汗水垂らして働いてこられた人々を
よくもまあこう無残に殺せるものかと思います。
同様に腹立たしいのはこの孫崎享などの連中。
この人たちにかかれば、関東地方の雨不足もアベのせいと言い出しかねません。

かつてISによって二人の日本人が拉致され殺害された時も同様でした。
野党である旧民主党やマスコミはこぞって安倍叩きに躍起で、
首相のイスラエルでの発言がきっかけであるとの論調でした。
百歩譲ってその発言がきっかけだったとしましょう。
だからと言って、それのどこに問題があったと言うのでしょうか。
憎むべき対象、糾弾すべき相手を間違っているとしか思えません。

とある民家にわけのわからぬ与太者が立て籠もったとしましょう。
その馬鹿者が「俺はアベの暴走が許せないから押し入った」と言ったら、
この人たちはこの馬鹿を擁護するのでしょうか。

この度のテロ事件、犠牲になられた方に追悼の意を表します。
さて、今回の事件も政府は亡くなられた方の名前の公表を控えているのでしょうか?
新聞報道では亡くなられた方の名前は何れも「政府関係者への取材によると」と、書いてあります。
もし政府が名前を公表しないとしときながらも、こうして簡単に政府関係者から情報がダダ漏れになるようなら、もっと情報管理をしっかりしないといけませんね。

スミマセン。記事の中にきちんと

>今回もまた、管官房長官が記者会見で、被害者の姓名は公表できない。

と、書いてありましたね。見逃していました。検討違いな事を書いてしまいました。
先ほどのコメント削除されても結構です。

三毛猫さん。

別にあなたは悪くないっしょ。
政府関係者の末端にいる人と昔一度度飯食ったことがあるってだけで、上の意志など無視して「政府関係者によると…」とやるのがゲスなマスコミです。
こういう時だけは「情報源の秘匿」を平然とやりますね。ノビーなんちゃらさんには理解不能でしょうけど。

それにしても新聞やテレビの低落ぶりは目を覆うばかりですね。
文春の後追いや、朝の番組中での「新聞各紙」の記事では〇〇だとか(油性ペンではなくラインテープで囲ってあるだけクオリティアップしたのかと)、
テレビの取材力も堕ちたもんです。
ネット時代になって速報性至上主義になったのはわかりますし、広告料の現象に悩んでるのでしょうが、「調査報道」とは何なのか猛省を促したいです。

 7名もの立派な日本人の命が失われました。今後、日本はどうするのか。孫崎さんたちの主張するように、すべて平和主義でももういかないでしょう。善事を行うのも命がけの時代に突入しましたね。

 海外支援はそれでも継続してもらいたい。

死者を鞭打つような事を書きます。「私達は日本人だ、
撃つな!」はもの凄く虚しく響く。バングラデシュの
為に一生懸命に働いていたので、「感謝こそされ、殺
されるスジアイなど無い」と確信していたのだろうが、
過激派の連中にはまったく通じなかった。

殺すか殺されるかの世界に生きている連中と、日本の
一般市民のズレはクレバスのように深い。安倍さんが
事実上ケンカを買ったのは事実ですから、外務省含む
政府筋は「ヤベーよ、ヤベー。日本人が何時襲撃されて
も不思議じゃない、民間でも厳戒体制を取ってね」と
言わないといけなかった。「日本人がヤベーのよ」と。

野党やサヨクやアホ評論家が何と言おうが、「ホンマ
に危険なんだーーーー。テロをやる連中に理屈はない。
生か死か、それ以外のモンダイなんてあるのかー」と
今からでも、国内の批判(安倍内閣が全て皆完全に悪い)
を無視して言うべきだ。まあ、もう今回の事件で民間
人の平和ボケも少し治ったけど。

命にかかわる事は、たとえ一見不人気だったとしても
粛々と現実的に進めておくべきだった。

アホンダラさん。同感ですよ、まったく。

襲撃された場所は、高級マンションのあるような場所、しかも外国人が多いレストラン。
それも金曜日の夜。

この条件は、日本人ならずとも、警戒感を解除します。
イタリア人が大勢亡くなったのも同じでしょう。

くそっ!その条件が揃うのをあのテロリストは狙っていやがったわけです。

政府は、日本の外交の主軸として開発途上国援助をする以上、国として、国の威信をかけて(あまりこの表現は好きではないが、今回はそう思います)、官民合同の鉄壁のセキュリティシステムをつくるべきでしょう。


さもないと民間は人材を送れません。


今朝はやくこの記事を読んで、実に暗澹たる気分に落ち入りました。
すぐにはコメントできませんでした。

こうして参院選前後からの出来事を時系列的に追っていくと、えも言われぬ日本人の世界からの乖離、浮き上がった姿が顕在化して来ます。
>「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」
との最後の言葉は、私自身が同じ場面に遭遇した場合も言うんじゃなかろうか。
戦後日本の「世界への貢献」、「徹底した平和主義」そういうものが我が国における最高の価値観で、かつ世界中あまねく理解されているという、悲しいカン違い。

今朝の記事を一見しての不快の原因は、どうやらこうした「真実に目を閉ざしたい」、「自分の認識の外に置いておきたい」という無意識の欲求からのもののようです。
この面、私は他のコメント者の方々よりも一歩か二歩、遅れているような気もします。

青山氏は、ここ最近の日本に対する人民解放軍の挑戦的な軍事行動について、「参議院選挙や憲法改正の機運をにらんだ恫喝」と指摘します。
これに対して我々は、「そうした確証はなく、むしろそういう意識こそが衝突をまねく懸念になるのでは?」と心の底で考えます。
しかし、そうした我々の考えは自己都合であって、「そう考えたいから、そう考える」のではないか。
そして、そのうちにはそうした事実に慣れ、あるいはそうした事実があったことさえ忘れてしまう。

我々が、現実をありのままに受け入れる事の出来ない「勇気の欠如や怠慢」に、最高に寄与しているのは、これも青山氏が言うとおりマスコミだと考えます。
「本当に考えなくてはならない大問題に直面し深刻に落ち込むよりも、どうでもいい桝添問題やベッキー、清原のシャブの話題ほうが楽しいですよ~」と嘯いているようでもあります。

一体、マスコミというのは国民の知る権利に寄与するからこそ、「報道の自由」概念で守られている存在です。
有田ヨシフ議員が横田ご夫妻とお孫さんの写真を公開しましたが、その写真はどこから入手したのか、誰が何の狙いで公開に関与したものか、拉致問題を考えるうえで非常に重要な問題です。
だから、我々はこれを強く「知りたい」と思う。
その答えが、公約で「拉致被害者問題の解決」をいの一番に掲げる青山氏への二十年前の誹謗中傷記事では、はなはだ国民を愚弄にしてい、国民を馬鹿のままにしておく事に何の衒いも躊躇も感じていない、としか言いようがありません。

むしろナチスドイツや帝国陸海軍のような「戦前化」して膨張政策を採っているのは中華人民共和国ですね。

ここで譲歩しまくってたら、チェンバレンかと。
中国の場合は自国の版図と人口が圧倒的に大きく、アメリカ始め各国にロビーを持ち経済的に既に切れないという問題もあります。
それでいて1党独裁で都合次第でやりたい放題な国は信用ならん!

テロ事件でいつも思うのは、テロリストにはテロリストなりの正義があるのかもしれませんが、もし彼らが多数となった時、果たしてその世界は幸せに溢れているのでしょうか?彼らが求めた理想社会となっているのでしょうか?私には、どうしてもそう思えません。針の先程の正義の世界が万民が幸せな世界などとは決してないでしょう。多様な価値観を認められない宗教など、本当の意味で人間を救えるはずがないと思います。

WEDGE Infinityの佐々木伸氏の記事に詳細な状況が出ていますが、犠牲になられた方々やご家族のことを考えると胸が痛みます。
ご冥福をお祈り致します。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7203

日本人だ、つまりキリスト教徒ではない、というアピールの部分もあるにはあります。
でももうこれは有効ではないですね。
海外支援は大変意義があり、商売としても日本は外に出てなんぼの国でもあります。
しかし記事にもあるように、昨今のテロの起こりようは狙いがソフトターゲットであり、その時その場に居た奴でスンニ派以外手当たり次第というものです。
アベの責任でない事は明白ですが、国は菊の御紋の入ったパスポートを持つ者を、貢献度や地位に関係なく、バックパッカーも技術者も帰化人も等しく守る義務があります。命の重さは同じです。
今回、政府はそれを遵守しようとしています。それに勝手に軽重を付け悲しそうな祭をマスコミはやっている訳です。不謹慎のきわみです。

過日ドイツ国内でデュッセルドルフ市内中心部へのテロ計画犯が捕まりましたが、彼等のターゲットであった中央駅付近は日系企業や日本食レストランが並ぶ地域です。とはいえ日本人を狙ったテロではなく、デュッセル空港がハブ機能を持つ事、そこが町の中心だから、という理由なはす。
でも運動家の目には欧州一の日本人街が狙われた!となるのでしょう。

ネットでフランス人と話していたら、今回のダッカテロのテレビ報道に怒っていました。

ニュースでテロのレポートをやっている最中に、ユーロサッカーのニュースが入ってきたので、放送局は画面をそっちへ切り替えたそうです。

「自分たちもさんざんテロにやられているくせに、犠牲者にフランス人がいないとこの調子」と。

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