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2016年8月15日 (月)

井上康生監督の強靱さとは

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日本柔道が蘇りました。 

後の時代に、井上康生監督は日本柔道の中興の祖といわれることになるでしょう。
井上康生 - Wikipedia

ご承知のように、いままで日本柔道は低迷の泥沼にはまっていました。 

国際大会では負け続け、競技人口は減る一方でした。

もはや柔道ではなく、JUDOだと言われる時代になっていました。 

今回の五輪でも、木村太郎氏のように「銅メダルで謝罪する必要はないですよ。日本は柔道大国ではない」という発言が話題になりました。 

木村氏は負けた日本選手の擁護のつもりだったのでしょうが、カチンっとくることもまた事実です。 

ただし、まぁ、残念ながら木村氏の言うとおりです。 

Photo_2http://www.mizuno.jp/judo/world_mizuno.html

世界の柔道国別競技人口
・ブラジル・・・200万人
・フランス・・・56万
・ドイツ ・・・18万
・日本  ・・・17.5万
・スペイン・・・10.5万
・モンゴル・・・10万
・ロシア ・・・10万
・イタリア・・・10万
・イギリス・・・6万人
・アメリカ・・・2万人

フランスが日本の3倍なのにも驚かされますが、オリンピック開催国のブラジルなんて実に11倍です。

モンゴルもぐんぐん競技人口が伸びてきています。相撲だけにしてくれぇ(悲鳴)。

今や日本はただの発祥の地でしかなく、2007年には国際柔道連盟(IJF)の唯一の日本人理事であった山下泰裕氏が落選の危機にあったほどです。 

ちなみに会長に日本人がついたことは一度もなく、近年では韓国人の朴容晟氏が3期という長期政権を務めています。 

日本はかろうじて2015年8月に朴氏に替わって会長になった、マリウス・ビゼール氏による会長指名枠によって山下氏も含む4名を確保しています。
マリウス・ビゼール - Wikipedia 

このあたりの背景は、ゴチャゴチャしているので省きますが、いかに今や柔道という日本発のスポーツが、国際的に拡大するにつれて、まったく別物に変化していったのか分かります。

さて、今回すべての階級でメダルを獲得した、日本選手団監督の井上康生氏のインタビューが出ています。
真の柔道、ここにあり! 王国復活へ向けた、さらなる高みへの挑戦 ... 

Photohttp://dot.asahi.com/wa/2016072100265.html

実におもしろいので、一読をお勧めします。

井上監督は全体のロンドン五輪の惨敗を反省する中で、まったく新たな強化戦略に切り換えました。

ただ漫然とこれまでの強化方法を取る限り、日本は絶対に世界に勝てないからです。

練習量を増やしていく根性型から、外国選手のような効率と実戦を重んじる方向に転換しました。

この実戦的練習には、外国勢が得意な寝業からの脱出方法なども取り入れられました。

このような部分練習も、今までの日本柔道では軽視されていたことです。

また各方面のプロを招いて、彼らの専門知識を柔道に取り入れています。

「コーチやスタッフといった環境を整える側のレベルアップが必要でした。色々な分野のプロフェッショナルの力を借りて、組織力を高めていきました。
柔道が世界で戦っていく中で、技術だけ持っていけば勝てるわけではありません。
例えば総合的な体力をつけるという意味で、ボディビルの専門家に力を借りるなど、トレーニングメニュー、食事、休養、すべてを見直しました。」(井上監督インタビュー)

そして、あたりまえといえばあたりまえですが、外国勢の徹底分析がなされました。

「海外選手の分析も、これまで感覚的に判断がされてきたものをデータ化し、数値で選手たちに提供していくようにしました。
海外は日本を丸裸にするくらい分析していると言われていましたが、日本は残念ながら細かく行っていませんでした。」(同)

すると浮かび上がってきたのが、外国勢共通の「癖」です。

実は、これは仰天するような、柔道のイロハのイからの逸脱だったのです。

柔道の基本的組み手は「相四つ」です。

Photo_4http://www.judo-ch.jp/dictionary/terms/aiyotu/

「相四つとは柔道の基本的な組み手で、双方の引き手が同じ側の手となります。相手の左前襟を自分の右手で持った場合を右組み、逆に相手の右前襟を自分の左手で持った場合を左組みと言います。」(柔道用語辞典)

今回のオリンピックの試合を見て、素人の私も外人選手っておかしな組み方をするなとは思っていました。

外国人選手は、特に重量級になるに従って組むこと自体を嫌うのです。

たとえば日本選手が、襟を取りに行くと組ましてもらえず、逆に背中の奥襟を取られていきなり体重をかけて押し倒され、有効を取られます。

今回の五輪から禁止されたようですが、かつては組もうとすると片手で払って組ませないという反則もどきの行為すら許されていました。

胴着が乱れると日本人はすぐに帯に裾を入れるのですが、外国人選手はそのままだらしなくはだけたままです。組んでも力が入らないためです。

そして日本選手に襟をとらせないで背中を掴みにくる、時には横腹を掴んで体重をかけて倒しにかかって寝業に持ち込みます。

さらには今回の100㎏超級の金メダル選手のテディ・リネールように、そもそも組まないで指導の回数で勝ちを得る戦法なのですから、まったくよーやるよです。

あれがゴールドメダリストですか。

しかも外国人選手は、投げ技で一本勝ちになど来ません。

引き倒して有効を奪い、その回数で勝負するのです。

爽快感のかけらもなし。重量級などの試合などはただの熊のダンスです。

もうこんなものは柔道ではないと、私たち日本人は思います。

しかしこれがJUDOなのです。

日本の手を離れて、進化したと呼ぶか、退化したと決めつけるかは自由ですが、少なくとも世界柔道は大変化を遂げていたのです。

もはや嘉納治五郎が教える、「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」という哲学などかけらもありません。

「剛よく柔を制し、強よく弱を圧する」あるいは、「有効をとったら逃げ回って勝つ」です。

しかし、今やその「逸脱」のほうが常識で、襟を掴んで正対して組むことから始める日本流ほうがただのジャパニーズ・スタイルと化してきていたようです。

別な言い方をすれば、日本が柔道王国から陥落したのは、柔道の発祥の地であることのプライドにあぐらをかいていたために、JUDOに対しての対応策を怠ったからなのです。

Photo_3AFP 柔道男子73キロ級の決勝で金メダルをとった大野将平選手。襟を決めているのがわかる。

井上監督は、外国勢が自国の伝統的格闘技を取り入れてJUDOへと変化していることを見抜きました。

「現在、漢字の「柔道」と英語の「JUDO」は違うものだと言われています。「JUDO」はいろんな国々の格闘技の複合体となっています。
たとえば、ロシアはサンボ、ジョージアはチタオバ、モンゴルはモンゴル相撲と、各地域の格闘技をルーツにして作り上げています。
だからそれぞれのルーツを学ばなければ対応できないので、様々な世界の格闘技を研究していますし、それの対応も全日本の合宿でも取り入れています。
国際大会に行っても、他の国の選手の特殊な技がないか見て研究しています。」(同)

この井上監督の態度こそが、真の保守主義です。

保守主義とは、よく勘違いされているように反動思想ではありません。

たしかにフランス革命やロシア革命に対して、保守思想は対峙しましたが、それは人間が「理性」に基づいて社会を作り替えることができるという革命思想を拒否したからです。

人間の社会には多くの不合理や矛盾がありますが、それを一握りの人たちの「理性」によって、不合理をなくそうと「革命」しても、結局はより大きい矛盾を生み出すことにしかなりません。

仮に革命に勝利しても、そのプロセスで数百万の生命を失うことがあります。

というのは、現実の社会はそういう「理性」をはるかに超えた、複雑で入り組んだなものだからです。

ひとりの天才が考えついた「理性」的設計図よりは、今まで大勢の人々が長い時間をかけて少しずつ手直しながら積み重ねてきた伝統のほうが、はるかに信頼するに足りるのです。

この保守主義の観点は因循姑息を意味しません。

なぜなら、保守主義は「変革」ではなく、新たな現実に「適応」を目指すからです。

「変革」のように外部的力によって修正をかけるのではなく、今、起きている状況に「適応」することが大事だと考えます。

柔道ならば、日本柔道の伝統の積み重ねの上に、井上監督のようにJUDOを分析し、彼らの長所と短所を知り尽くし、それに「対応」するのです。

私は井上監督の姿勢に、久しぶりに日本保守主義の強靱さを見た気がしました。

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コメント

誠意を持って正々堂々と互恵の精神で戦うと言うのは日本の武士道に根ざす伝統的な考え方です。

しかし相撲や柔道に限らず、あらゆるスポーツでは卑怯を絵に描いたような事がまかり通り、そしてそのような卑怯がスポーツマンシップに勝っているのです。実に残念なことです。

昔も今も、世界標準の考え方はどんなに卑怯なことをしようが、ズルをしようが、勝てば官軍なのです。このような考え方から、電車には並ばない、災害が起これば略奪に走る、限られた物資は分け合わず他人を殺してでも確保する、と言う無法な行為につながってしまうのでしょう。国家においても全く同じです。

日本人はこのような国際標準に対抗するような考え方を確立しなければなりません。現行憲法は日本を弱体化させようとする米国の卑劣な考えにから押し付けられたものです。早々に改正して、弱肉強食の国際情勢に対応できるようにすべきでしょう。それが現実的な考え方と言うものです。

愛国命さん。

半分賛成。
日韓関係で「移動するゴール」は散々言われて先日も慰安婦基金10億出資で様々な意見がありますが、オリンピック競技での「移動するゴール」はヨーロッパ視点で行われてきましたね。
東京1964直前に10種競技の配点替えて圧勝しそうだった中国選手を負けさせたり…等々山ほどあります。

柔道。
日本の「柔の道」では通用しなくなるとシドニーの篠原敗退のあたりでハッキリ分かっていたのに、日本柔道界はあくまでも頭ガチガチで偏狭でした。
アテネで激しく思い知ったのが井上康生でしょう。
だからこそ改革が進んで今回の大健闘があるわけですし、JUDO改革による世界的普及が進み(喜ばしいことです)マイナーだった中米やスリランカのような国の選手が健闘することになりました。
韓国主導で進められた「ランキング制度導入」に日本も乗った訳ですが、おかげで無名選手によるアップセットが起こりにくくなってしまいました…。
ついでに政界入りした谷亮子の柔道人生にダメ押し(なんで小沢に乗せられたのやら)。あのコ、ダラダラと政治家モドキなんか辞めて柔道指導者になって欲しいです。

一連の流れを主導した韓国最強「アベンジャーズ」の惨敗。
ランキング制度導入で逆に分析されただけという自爆ぶりに私は失笑するしかありません。
ルール改正とその対応に今回の日本が一番上手くやったということです。井上康生監督が素晴らしい成果を残した。

一方で、レスリングも最近頻繁にルール改正を行って改革しています。
判定競技の難しさですね。まだ暫く試行錯誤が続くでしょう。
体操のように数値化したり、ビデオ判定で見える化したりとIT技術がキモになっていく(ならざるを得ない)と思います。


政治における保守や改革(民進の左やら共産)との比較は、うーん私には何とも言いがたいとこですが、外交面では常に学び反映していくことは必須ですね。
韓国マスコミだと何でもかんでもすぐに「政府が無能」「他国(特に日本)が汚い」だけで収斂されてしまうようですが…。もう、浅すぎて。


今日は『敗戦の日』ですが(カレンダーに書いてある終戦記念日って何なんだと)、こんな日だからこそ『がんばれ、ニッポン!』です。

組み手をマトモに組まないようになったのはいつの頃からか、日本人の投げ技を回避する卑怯な戦法で見てるとレスリングですか?的な試合が多いですね。

少しでも柔道をやったことがあれば始めた瞬間から組み手だけで「違和感」、中断すれば日本人は胴着を直しますが外国人ははだけたまま、実に見苦しく不快でした。

試合終わりの「礼」をみても日本人の「礼」とは明らかに違う、あの世の嘉納先生はどう思われてるのか。
礼儀や敬意などはJUDOには無いです。勝つことだけに終始している。


日本柔道の技の美、「礼」に始まり「礼」に終わる心の美、こうしたものは海外に渡らなかったんですね。


メダル獲得、井上監督のJUDO対策に感謝です。

 柔道の神髄は日本にあると思います。今日の記事を読むと、各国もそれぞれ伝統的武道があり、それを柔道に取り入れ強化を図っているとのこと。なるほど、自国の強みを生かさない手はありませんね。これは了解できます。柔道も色々と取り入れ発展させればイイのでしょう。

 柔道の神髄は日本精神の潔さでしょうね。しかし、組み手を嫌う外国人選手の気持も分からないわけではありません。組んだら投げられるのですから。

 柔道は組むべきだと主張することはもう無理でしょう。世界は日本柔道がカッコイイと思ってはいるのでしょうが、負けたくはないので、今のような柔道に自然に変わってきたのでしょうね。

 これからの日本の柔道は色々と変化に対応してゆくことになりますが、日本柔道の美しさを忘れずに守りながら、そして強くなっていくことが大事だと思います。

最後の武道は剣道だ、という友人がいました。柔道の試合に勝った後、その場(畳の上)でガッツポーズをとる者がいて、それを戒める者さえいない。みっともない、これは武道ではない、と彼は言っていました。

礼に始まり礼に終わる。勝っても負けても相手への敬意を忘れない。卑怯者と呼ばれるのを嫌い、正々堂々と戦う、そしてこれが見ていても美しいのです。

今回の柔道の結果は確かに良かったのですが、礼節に関しては、まだ直っていないと思います。

日本の多くの道場であるように、国際的にも道場には神棚を設置していはどうでしょうか。自然と敬意を払うようになると思います。

明治以降、神棚そして神社を国家神道として軍国主義の象徴のように語る人がいます。代表格は靖国神社でしょうが、ほんとうでしょうか。

神社によって祭ってあるものの違いはありますが、亡くなって神さまになるのが神道であり、仏さまになるのが仏教。私達日本人には、困った時に、”神さま様仏さま”で同じようなものです。

子供のころ集落の子供達が集まり、毎月1日、15日に提灯をさげて欠かさずお宮参りをしていました。昭和30年代にこんな育ち方をした私です。

左巻きになっていたころ「宗教はアヘンだ」とマルクスの本には出ていました。確かにキリスト教なり教義経典のある一神教にはそれらしき雰囲気を感じました。

しかし、ご先祖様を大事にする仏壇や説教を聞きに行ったお寺、そして心穏やかになるお宮には”アヘン”らしきものは当時も感じませんでした。

流れる歴史、文化が西洋と異なる日本です。勝ち負けの結果がすべてのスポーツとしてのJUDO、に対し古来より伝わる武道としての柔道。両者の折り合いをつけるきっかけになるかもしれませんね。

ついでに言えば、相撲もしかりです。モンゴルだらけの横綱陣ですが、強さは感じても美しさを感じません。これも礼節という日本文化の馴染み具合ではないでしょうか。

「保守の要諦とはなんぞや?」と問われた場合、どんな達者な論者も一瞬では言葉に詰まるものですが、こうした身近な実例から具体・的確に分かりやすく、エッセンスを指摘できるブログ主様の能力はさすがですね。

保守主義というのは、単に歴史や伝統に回帰する事やそれに拘泥する事とは全く別物で、与えられた条件から「いかに生き抜くか」、という「適応」の知恵である事が良く理解できる事案でした。

これは「理性」の範疇にある改良主義とも全くの別物で、生き方の問題に深く関与します。
それは「不満や恨み」「他者への嫉妬」と言った動機からの現状打破への過激な欲望や反動としての行動とは「現状の受け入れ方」の面で、明らかに一線を画すものです。
ニヒリズムとも無縁です。

こうした生き方の方法というのは、ご指摘のようにきわめて日本的で、最近では東日本大震災における被害に合われた方々の粛然とした行動、日本人の敗戦から立ち上がる過程での「不屈の力」となって見られた心性とも相似しています。

私の考えですが、
このように日本人の心底に今でも見る事のできる保守的な美点の生成原因として、まず災害が多い事を挙げる事ができましょうが、それよりもむしろ「農業」が持つ本来的要素に起因するのではないかと考えます。
両者の要素はもちろん不可分ですが、「自然に文句を言っても始まらない」という絶対的な条件下で持ち得る最強の思想なのではないか、と思うものです。

ちょい時間がなく、全然まとまらず相すいませんでした。

体型の違いがあります。柔道で言えば、体重でクラス
分けしますから、「手足短く重心低いズングリ」と逆の
「手足長く重心高いヒョロリ」、の両極になります。

ズングリは速攻で相手の懐に入って、ヒョロリの長い
手足を掴んで、自分の低い重心の上で回転させて投げ
ます。ヒョロリはアウトボクサーのように距離をとり、
スキをついて小技を仕掛けて、相手の道着をひっかけ
て倒し、長い手足でA.猪木のような寝技卍ホールドで
得点を重ねます。

で、ズングリとヒョロリの戦いは、ルール作りから既
に始まっているのは想像できます。というか、ルール
が、かなりモノをいいます。前まではズングリが「俺
達が元祖だ、日本の心だ」と、ズングリにこだわった
為に負けていました。

今回は、前回に負けて目の覚めた並外れて優れた将が、
ズングリに拘らず、合理的にヒョロリやそのルールを
研究したので、素晴らしい躍進をしたのだと思います。

マーケティングはスポーツにも必要ですし、下らない
イデオロギーに凝り固まらず、現実を見て現実を研究
し、可能な対応策を地道に積み上げていくのは、スポ
ーツにも効果絶大でした。

アタマの固いリベラルは、日本柔道を見習うべきです。
もう本当の馬鹿になっていなければ、の話ですが・・

今回の柔道と保守主義のお話、まさに目から鱗でした。

東京オリンピックで空手が採用されるにあたって、翁長知事が沖縄で競技が行われるように政府に申し入れるという頓珍漢な要望をされました。

その沖縄の空手界が必ずしも望んでいるわけでもないようです。私の父の知人の空手関係者は「空手は武道であってスポーツではない」との見解でオリンピックに採用されること自体反対だそうです。JUDO化を懸念しているのでしょうね。K1で活躍された故アンディ・フグ氏やF1のチャンピオンに上り詰めたナイジェル・マンセル氏らがあくまで個人の修養として空手修行に来た沖縄です。空手発生の地としての矜持があるのでしょう。空手がどんな形でもひたすら相手を打ち負かすためのスポーツになってしまわないか懸念します。あの美しい「型」なんか絶対ゆがめられてはなりません。

世界標準のスポーツJUDOは柔道をベースに作られた別物であると認識しました

私が柔道に関わるようになったのは4年前に子供達を柔道の道場に預かってもらってからです。家の子は同年代の子供達に比べれば体も小さく体に恵まれたわけではないですが、礼節や逃げない気持ちを教えたいからです。

礼の概念を持たない世界各地の人々に「礼」を教え伝えて行くのは難しいのでしょうが…
初めの礼も、終わりの礼も等閑。組む事を恐れ逃げ回るJUDOの世界王者。
残念ですが、子供達に視せたい試合は殆どありませんでした。
勿論、井上監督がJUDOを分析し対策を講じた手腕。外国人選手のJUDOに日本人選手が「柔道」で勝ちに行く姿勢。その上でのメダルの獲得は称賛すべき物だったと思います。

世界JUDOはJUDOとして尊重しないといけないでしょうが、国内の礼節を重んじる柔道は「柔道」として守らないといけないと思います。

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