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2016年8月13日 (土)

共産党が党名を変えないわけ

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昨日のテーマを続けます。 

昨日書いていて、そうか考えてみれば、共産党って党首選挙がないなと思い当たりました。

政界に政党数あれど、党首選挙がない政党は共産党だけです。 

日本共産党の規約によると、何年かに一度開かれる党大会において、中央委員が選出されます。
http://www.jcp.or.jp/jcp/Kiyaku/

その中央委員候補は、前任の中央委員会による推薦制です。 

●日本共産党規約第3章第13条
「指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する。」

いちおう建前では全党員の意思が反映されました、という形式にして、この中央委員から、中央委員会幹部会委員長(←長い)が選ばれます。 

これが志位氏の地位ですが、一般的な政党のように党員や国会議員から選挙で選ばれるわけではありません。 

ですから、よく言えば鉄板、悪くいえば独裁型党運営が可能です。 

この党内システムは、共産国家によく似ています。 

というか、むしろ共産党の仕組みを:国家レベルにまで拡大したのが共産国家なのです。 

中央委員会のみが一般党員の意志の反映できる所ですが、なにぶん「推薦」制ですから上が押しつけてきた人物に○をつけるていどしかできません。 

中国の全人代の「選挙」を思い出してもらうといいでしょう。あれと一緒です。

国の政権交代を目指しても、自分の党の政権交代はありえないのです。

ちなみに志位さんは2000年から委員長をしているので、今年で16年目になります。

政界での代表の平均在職期間は長くて3年ていどですから、志位氏がいかに馬鹿げて長い党内政権を持っているのかが分かります。 

さて自由主義陣営の国家で、日本共産党以上に隆盛を誇った共産党にイタリア共産党があります。 

一桁の議席で嬉し泣きしているような日本共産党と違って、もっとも栄えた1950年代の選挙では、イタリア共産党は常に議席数の2割から3割を取っていました。 

しかしそれにもかかわらず、連立政権に参加できませんでした。 

なぜか、理由は簡単。イタリア共産党を通じてのソ連の内政干渉を許さないためです。 

しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはなんと「赤いバチカン」そのものが消滅してしまいました。 

すると、共産党を排除する理由そのものがなくなってしまったのですから、ここにイタリア共産党が政権に加わる条件が初めて生まれたのです。 

共産党は政権参加する気はムンムンでしたので、、今まで他党からなにかと言われてきた、「お前なぁ、その共産党っていう看板はソ連みたいで、すっごくイヤ。ほんとうにイヤ。絶対イヤ。共産党と名乗っている限り組めない」という声を受け入れて、看板を塗り替えます。 

新しい看板は、共産党改め「左翼民主党」です。日本流に言えば、「左民党」ですか(笑)。

これは、共産党と名乗っていたらいつまでも、ソ連共産党の血の粛清の歴史を払拭できないからです。

そして、党名変更と同時に今までの党首独裁型も止めて、スッキリと普通の政党と同じように党員投票によって党首を選ぶことにしました。

そして、いままで下級は上級に従い、上級は指導部に従い、指導部は書記長(委員長)に従う、という縦一直線の「民主中央集権制」も廃止してしまいました。

まぁ、別にびっくりするようなことではなく、普通の民主主義政党になっただけの話なんですがね。

ここで初めてイタリア共産党は、「結社」から近代的「政党」に生まれ変わったというわけです。

ところでイタリアは、1993年に選挙制度改革に乗り出します。

採用したのは、日本とほぼ一緒の小選挙区比例代表制でしたので、日本と同じ問題が起きます。

つまり小選挙区制では、2大政党に収斂されるために、野党はいままでのようにバラバラでは勝ち目が薄いということでした。

ならば、野党小政党をかき集めてひとつの集団にしたらどうか、というので生まれたのが、有名な「オリーブの木」でした。

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 オリーブの木の発案者のブローディ氏。首相の後に欧州委員会委員長にまでなった

これについては何本か記事を書いているのでご覧ください。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-1e0e.html

実は、この「オリーブの木」の考案者は、このイタリア共産党改め左民党でしたが、バリバリの元共産党幹部が言い出すと下心が見えすぎて誰もついてこないので、穏健社会主義者のブローディ氏を立てたのです。

この辺が興味深いことで、日本においても日本版オリーブの木は、共産党と小澤氏の脳味噌から生まれています。

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イタリアではこれが大当たりし、旧イタリア共産党は、晴れて念願の政権入りを果たし、党員も増えました。

イタリア共産党は、議会第2党だったことすらある大政党。

しかも、ありとあらゆる階層組織、工業都市にとどまらず田舎にまで伸びる地域組織網、病院、生協、リクレーション施設、多くの共産党系文化人などなど、重厚な蓄積は誰にも魅力だったからです。

ここがパッと開けたために、多くの人が流入しました。

その中には穏健な社会主義者だけではなく、過激派やアナーキストも大勢いたようです。

それは党の鉄の規律をとろかし、党を内部から変えました。

今まで「推薦」制で、代表選挙をしていなかったのが、実施してみると旧共産党系は落選者が相次ぎ、党の要職に座った非共産党員によって、党は見る見るうちに普通の民主主義政党へと変貌してしまったのです。

ひとことで言うと、いろいろな人が流入してきた結果、乗っ取られてしまって、元の共産党ではなくなってしまったのです。

なにより、新規参入者たちは今までタブーだった、自由活発な討論と党内民主主義を持ち込みました。

その結果、今までの共産党的「結社」的秘密主義は完全に払拭されてしまったのです。

つまり、今の日本共産党のように、こんなことができなくなりました。

●日本共産党規約第3章第17条
「全党の行動の統一をはかるために、国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は、党の全国方針に反する意見を、勝手に発表することをしない。」

共産党規約は、さらっとコワイことを言っていますが気がつかれましたか。党の方針と違うことを外部に言ってはいけないのです。

国会だろうと、地方議会だろうと、はたまた、どんな運動の会議でも、共産党員は自由に個人の意見を言うことはできないのです。

私たちが共産党員にときおり感じるクローンじみた印象は、ここから来ています。

かし、イタリア共産党のように、開かれた民主主義をいったん導入すると、共産党は根本から共産党ではなくなってしまうのです。

そして、この左翼民主党も内紛が続いたあげく、98年に「左翼民主主義者」に党名変更し、それもアタらずにあえなく解党してしまいます。

ここにヨーロッパ第1の伝統と勢力を誇ったイタリア共産党は、消滅したのです。

志位氏がなんと言われても党名を変えないのは、このためです。

共産党は「民主」という言葉がたいそう好きで、民青、民医連、民商などという傘下団体につけまくっていますが、最も民主主義不在なのは、他ならぬ自分の党内なのです。

これが共産党が「野党」ではない理由です。

一回党名を変えて、党内独裁制を止めたら最後、共産党は速やかにイタリア共産党の道を歩んでしまいます。

ですから共産党は、政権に参加せずに永久野党でいるしかないのです。

しかし、志位氏は、かつてイタリア共産党が選び、その結果消滅してしまった「オリーブの木」路線を歩き始めました。

それは彼らにとっても、自己解体の危険がある狭い道だと忠告しておきます。

なぜなら、民主主義と共産主義は共存できないからです。

■関連記事 なぜ共産党は「アベ・ヒトラー」と呼びたがるのか?
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-e774.html

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コメント

共産主義を含む左翼思想は今やムードに支配されているだけです。

共産主義の教義では資本家とプロレタリアによる工業化社会が高度化するとプロレタリアによる資本家の打倒が行われプロレタリア独裁社会が実現すると言うものです。しかし現実はどうだったでしょうか。

ソビエトは工業化社会では無く農民社会で社会主義革命が行われ、共産党独裁が達成されました。続いて、武力で東欧を抑えこみ共産党独裁体制、つまりソビエトの衛星国化を行いました。資本論の予言とは全く関係の無いことが行われ、この段階で資本論は破綻しています。

中共は、10歳位の年端も行かない子供達をソビエト共産党がオルグし八路軍を組織しましたが、実戦能力を持たず、万里の長城の北側に潜んでいました。戦後、アメリカが大陸から手を引いた段階でソビエトのバックアップを得て蒋介石軍を背後から襲って大陸を乗っ取ってしまいました。資本論とも革命とも全く関係ありません。

北朝鮮も似たようなものです。何のことはありません。単にソビエトと言う赤色帝国主義の覇権を拡大するために利用したのが共産主義と言うイデオロギーだったと言う訳です。

一方で日本はどうだったでしょうか。戦後、学生達は資本論を読み漁りましたが、理解できた人は少なかったと思います。ただ、大学生や文化人と称する人達の間では共産主義思想こそ最先端の思想だと言うムードが支配していました。新に大学生となった学生達は自分たちも何らかの政治活動に携わらなければと言う焦りから日共系や反日共系の学生運動にのめり込んで行ったのです。しかし彼らの中で思想的に強固な理論体系を持っている人は少なかったようです。マルクスやレーニンがどんな人間だったかすらも知らずに運動をしていたのですから呆れます。

しかし世は高度成長社会、彼らは卒業が近づくと一部の例外の除きシレッとして学生運動から足を洗い一流企業の企業戦士として巣立って行ったのです。企業の年功序列体制の中で、彼らは順調に出世を続け、管理職として幸せな家庭生活を送るまでになりました。つまり彼らが学生時代、あれほど憎んだ資本家の側に立った訳です。いや実は憎んでなどいなかったのです。

その彼らも今や定年を迎え、高額の退職金と年金で優雅な生活を送っています。自宅の他に別荘を持っている人も少なくありません。しかし腹立たしいことに、その彼らの支持政党が民進、社民、共産と言った左翼政党なのです。彼らにとっては今だに左翼思想はインテリの証なのです。

つまり左翼政党を支持する層のほとんどはムードに支配され現実とは乖離した世界に住んでいる人達です。彼らこそ左翼の主張する分配の平等政策が実施されれば真っ先に取り分を減らされるのですが、そんなことは絶対に無いとたかをくくっています。しかし彼らの時代も間もなく終焉を迎えます。

今の若者は現実主義です。この世の中でどうして這い上がろうかと苦闘しています。イデオロギーでは食って行けません。世の中を悪くする腐敗や不平等には敏感です。そう言う視点で見た時に、既存の政党は全く当てにできないのです。

今やインターネットで世界中の情報が即時に手に入る時代です。新聞やテレビの捏造偏向報道も即座にバレバレになってしまいます。政党もマスコミもその姿勢を厳密に問われる時代になってきています。世界情勢も既存の価値観を打ち破るような変化に見舞われています。

国民も政党もマスコミもそろそろファンタジーの世界から離れ現実に目覚めなければならない時期に来ているようです。


 共産党が党名を変えないわけがよく分かりました。となると、共産党は党名を変えずに、いわゆるデモクラシ-の政治体制にも左右されず、独自の路線を行った方だが良さそうですね。

 問題点は、日本共産党のイデオロギ-が国民の多くを幸せにできるのだろうかということです。ここは問題です。共産主義では日本を導くことはできませんね。

 共産党員の熱心な運動家たちには感心しますが、これには、ある種、宗教にも似た使命感があるのだと思われますね。

共産党の話になると、つい食いついてしまいます。ありんくりんさんほどではないにせよ、いろんな思いが私にもあります。

関連して、昨日のハフポス、鳥越氏インタビューの後編に面白いくだりがありました。

「・・・過激派の連中がデモをやると、そのデモよりもっと多い警察官が取り囲んでいるという、奇妙な現象をずっと見てきて、しばらくは日本のリベラリズムというのは・・・」

つまり過激派(共産主義武力革命集団)は当然ですが思想的に左翼ですから、鳥越氏によればここらへんを含くめて全部リベラルの範疇なんですね。たしか、日本共産党は彼らをトロツキストとかニセ左翼とかいって、自分達”まっとうな”左翼とは違うんだ、と言って嫌っていたはずです。当時の私からみれば、過激派はマルクス主義に忠実な、原理主義者であり、議会革命をめざす日共は元気のない日和見主義でした。

もしかして、沖縄ではここらへんの人、みんな一緒でしたっけ?

もっとも、日和見だからこそ日本共産党がしぶとく生き残ってきたのでしょうね。であるならば中途半端な日和見ではなく、諸外国を含めとことん現実を見つめてそのイデオロギーを検証し直すべきでした。

そうすれば、必然的に今回のテーマのように”共産党”の名前は変えざるをえなくなるのですね。

”民主党”が消えたので、ヤドカリのごとくこの殻に入ったらどうでしょうか?

規約第17条、本当に恐ろしいですね
共産党議員が何か発言の問題点を指摘された時にまともに答えようとしない傾向にあるのはそのせいなのでしょうか?

>しかし、志位氏は、かつてイタリア共産党が選び、その結果消滅してしまった「オリーブの木」路線を歩き始めました。
それは(共産党自身にとって)自己解体の危険がある

同感です。
これは我々外部の人間が考えるよりもずっと、共産党にとって「賭け」の部分が大きい。

だからこそ、そこまで危険を冒してまでも「オリーブの木」に乗り出して行く本当の狙いが、いまひとつはっきり理解が出来ないし、いつものように巧みに隠されているような気がしてなりません。

表面的には、ここ二、三十年の停滞を抜け出し党勢の伸張も著しいように見えますが、反面では党の資金ポジションが思わしくない面もあるだろうし、核心的党員は減少し続けている。
この「党の存続を賭けた戦い」をしかけた決定的要因がどこにあるか。
歴史に語らせればやはり、かつての兄弟党である朝鮮労働党・中共ファクターってのは外せないと思えます。

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