• 054
  • 7a0nb2k4bile0
  • Dsc_5336
  • 049
  • 7a0na2k4bile0
  • 7a0nc2k4bile0
  • 7a0nb2k4bile0
  • 7a0nd2k4bile0
  • 7a0ne2k4bile0
  • 2020072701_02_1

« 尖閣諸島に漁船230隻、公船多数が侵入 その火遊びの意図は? | トップページ | 緊迫する尖閣 中国から見たら »

2016年8月 9日 (火)

天皇陛下のお言葉を聞いて

082
陛下がビデオレターを出されました。 

私たち日本人を励まし、慰め続けてきたあの心鎮まるお声で、大変に抑制して語られておられました。 

私には、かねてから巷間伝えられていた「生前退位」に止まらず、もっと広い皇室のあり方をお話になられたように思えます。 

私たち国民は、狭く「生前退位」だけに焦点を当てて、皇室典範、憲法論議をする以前に、ここに至った陛下のお身体とお気持ちをもっと素直に受けとめるべきです。 

Photo宮内庁HPhttp://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

陛下が自らのことを語られるのは、これが初めてではないでしょうか。 

陛下と皇后陛下の肩にかかっていたあまりにも重い荷を、私たち国民とその政府が軽減する努力を怠ってきたことが悔やまれます。 

陛下がこのようなお声を上げるまで、私たちは陛下に甘えすぎていました。 

昨日の放送を聞きながら、いつしか涙を流して聞き入っている自分に気がつきました。 

陛下は常に私たちを思い、抱きしめているのに、私たちはそのお気持ちをあたりまえだと思ってきたのではないでしょうか。

陛下、ありがとうございました。そして、本当に申し訳ありませんでした。

私たち日本人は陛下に励まされていながら、陛下の悩み、恐れ、苦しみを何ひとつ考えていなかったのです。 

それは形こそ違え、戦前までの神格化された天皇のあり方と、どこか通底してはいないかと思うのです。 

陛下は神ではないのです。

不敬な物言いになりますが、陛下は2度の心臓手術を受けられて、なお懸命にご公務に励んでいらしています。

市井の老人なら、とうに引退しているお歳です。

東日本大震災の折に、陛下がおられなかったらと思うと戦慄します。

陛下がおられるということ、陛下に慰謝していただけること、そのことがどれほど私たち被災地の者にとっての救いとなったことでしょうか。

痛い腰をかばうことなく、被災者と目線を共にしている陛下のお姿が、私たちの大きな慰めでした。 

激烈な風評被害で苦しむ、とある東日本の港港に行幸された際、陛下はこうおっしゃったそうです。

「食事にこの海でとれた魚を頂けませんか」

これを聞いた漁民は号泣したそうです。

当時、民主党政権の閣僚たちは、防護服を着て「慰問」に出かけ、ゴム手袋で握手したのです。

人としての覚悟に、天と地の差がありました。

陛下の難行が、その死によって解かれるのではなく、もっと違う方法がありはしないか、改めて国民一人一人が考えるべき時です。 

天皇とは日本のあり方そのものです。

日本人は陛下のお姿を通して、善き日本人とは何かを教えて頂いてきたのです。 

私は陛下がご公務をされなくとも、そのまま在位されて、死が私たち国民と陛下を分かつまで共に生きたいと願ってきました。

しかし、陛下の強すぎる責任感はそれを許さなかったようです。

陛下は摂政すら拒まれたのですから。

また、陛下は崩御に際しての1年間におよぶ皇族の重い努めについても言及されていました。

これは、単に皇族ばかりではなく、先帝が崩御された後に日本を覆った重苦しい自粛の空気を、陛下が危惧なされたのだと思います。

陛下はそこまで考えられて、ご発言なされたのです。

まずは、陛下のお気持ちを素直に受け止め、陛下のご希望を第一にして考えていこうではありませんか。

そしてお願いですから、護憲派も改憲派も、つまらない政治的色気を出さないで下さい。

                         ~~~~~~~~

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文) 

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 

 国民の理解を得られることを、切に願っています。

« 尖閣諸島に漁船230隻、公船多数が侵入 その火遊びの意図は? | トップページ | 緊迫する尖閣 中国から見たら »

コメント

天皇陛下のお言葉、仕事中に見てました。あれだけのご公務を高齢になるまでこなし、全身全霊を国の象徴として働き、国民の為に生きられた。報じられない毎日の儀を私たちは知らなさ過ぎた。

本来ならば皇太子夫妻が半分を背負っても良かったはず。天皇が皇太子時代に行われてたように。

お言葉の真意、管理人さんと同じような受け止めをしていました。皇室の未来をどうなさりたいのか読み返せばはっきりと伸べられています。

かなり、ショッキング。

そうそう単純には割り切れない問題。
しかし、政府は譲位にさいし山積する諸問題に適切に対処しながら進捗して行くでしょう。
ただ、それを見守るのみです。

陛下はこれまで左右両側から批判を受けながらも、雲仙普賢岳噴火以来常に庶民や弱者の見方であられました。
東日本大震災の時にはお身体の具合が悪いにも関わらず5週続けて太平洋側被災地を訪問され、被災住民に優しくお声をかけてくださりました。

また、昨年はあくまで「私的旅行」としてパラオ帰還民が入植・開拓した宮城県蔵王町の田舎にある「北原尾」にも訪問。私もたまたま先月行ってまいりましたが(10代の頃からのお気に入りドライブコース)、震災の所謂風評被害で主力の農業と酪農で壊滅的な被害が出たところです。

来月、「豊かな海づくり全国大会」が庄内浜で開かれます。お元気なお姿でいらっしゃることを心よりお待ちしております。


93年頃でしたか、美智子妃が「失語症」報道が連日流れたの。
雅子皇太子妃の件でもそうだしたが、皇室ならではの心的負担や見えないプレッシャーがのし掛かってくるのでしょう。


皇族の負担軽減も含めて、しっかりとした論議がなされるべき時なのでしょう。
憲法や皇室典範の改正といった法的な難しい問題はあることでしょうが、ひとつひとつクリアしなければなりません。

戦後、GHQに歪められた陛下のお立場は日本国の象徴とされました。何の実権も自由も無く、あらゆる国事行事に出席され、お言葉にも最大級の注意を払って一言一言を出されていらっしゃいます。どれだけ神経をすり減らす毎日かと思います。英国王室とは立ち位置が異なりますが、英国王室の自由奔放さとは比べくもありません。

政府も陛下のお気持ちを考え動き始めているようですが、マスコミには興味本位の報道を控えてもらい、我々国民も陛下を気遣い静かに見守るべきだと思います。

日本の心の真ん中におられる方。
名を成した国民だけでなく、市井で暮らす1人ひとり、この国で育つ全ての生き物、一握りの土ひとすくいの水も慈しんでいただいているのだと、5年前に私も心にしみました。
昨日はテレビに落涙していたのですが、日本語は片言のシドニーや海外の知人達はやはりこの機微は理解し得ず。海外報道を半分鵜呑みにした様な政治色ありありのコメントをFacebookなどであげています。
確かにこれを英語で説明するのは私にも無理。
しかし完全なる国内問題ですので異文化の者に理解なんか得なくて良いのです。
陛下は今回お歳の話をされましたが、朝日の社説の如く流れを一般人に落とし込んで、大変だよねーかわいそうな年寄りじゃん、もっと軽く誰でもなれて楽な仕事にすれば、というような書くのも気分が悪くなるレベルに落して語るのは違うと思います。終わったはずの女性宮家の話をまたしても社説で出していました。同じ日本語がわかるもの同士でこうまで違う読後感があるのですね。ため息。

突然の書き込み失礼致します。こちらのブログを拝読させて頂いてきた者です。
申し訳ありませんが、今回の管理人様の感想に戸惑っています。正直、もっとクールな方かと思っておりました。
陛下の御言葉に落涙されたとか…
陛下は天皇という日本の象徴に位置づけされている「公人」のトップのお立場です。権威の頂点におわす方です。ゆえに国民の血税でお支えしているのです。
そのお立場の陛下が、自分と家族という「私人」 としての、云わば泣き言の如き今回の「御言葉」には、落涙ならぬ落胆を禁じ得ないのです。
本来なら、皇太子に仕事を委譲し負担の軽減を図るべきを、「まさこが」「愛子が」と家族のパパであることを優先してきた皇太子を育成できなかったのは、陛下ご自身です。
昭和天皇との比較は、大変おこがましいのですが、威厳の差を見せつけられた感があります。
本当に陛下ご自身の御言葉でしょうか。背後の巨大な、ある意図の下に「陛下の御言葉」が出されたという事はないのでしょうか?
蛇足ですが、
鬼怒川氾濫の最中、鑑賞お出かけされた両陛下です。国民に寄り添うと言いながら…

私はかつて、象徴とはいえ生まれながらににしてその立場が約束されている天皇制というものに対して、何事にも平等を重んじる民主主義とは相いれないもの、と考えていました。

何年か前、雅子さまの病気の際に、皇太子の「断固妻を守る、家族を守る」との言動を見て、一家の主として”男を上げた”と思いました。私にとってこれが転機になりました。

そして現在、九州に移住し自分の手で米を作るようになり、自分が日本人でることを強く意識するようになりました。また、同時に田植えや新嘗祭などを行われる姿を見て、天皇制というものを身近に感じるようになったのです。

そんな私には、ふゆみさんと同じように、”天皇は日本の心の中心におられる方”であり、日本という国の伝統文化として存在されている、と思うようになったのです。

かつての私がそうであったように、天皇という存在を否定的にみられる方が少なからずおられます。しかし、そのような方を非難するつもりはありません。日本の伝統文化に気づいておられないでけの方ですから。意識すれば”いずれわかる”と思います。

広く世界を見渡せば、どの国にも心の拠り所になるものがあります。多くは宗教的なものです。それが、日本にとっては天皇という存在であり、山や海そして田や畑など、自然を恐れそして敬い、自然とともに人がある神道なのだと思うのです。

今回の天皇陛下のお言葉は、とても身近に感じることができました。これからも長く続いていける姿になることを願っています。

本日、男子団体体操で念願の金メダルを取りました。日の丸と君が代に触れ、素直に喜べる人が増えていることを実感した日にもなりました。

> 陛下は天皇という日本の象徴に位置づけされている「公人」のトップのお立場です。権威の頂点におわす方です。ゆえに国民の血税でお支えしているのです。
そのお立場の陛下が、自分と家族という「私人」 としての、云わば泣き言の如き今回の「御言葉」には、落涙ならぬ落胆を禁じ得ないのです。
本来なら、皇太子に仕事を委譲し負担の軽減を図るべきを、「まさこが」「愛子が」と家族のパパであることを優先してきた皇太子を育成できなかったのは、陛下ご自身です。

 天皇様は国民が血税でお支えしているということですが、負担があまりにも多すぎると思いますよ。これは、天皇を皇太子にお譲になっても変わることはありませんね。次の天皇が同様なお立場に立たれるでしょう。

 昭和天皇は、戦前は元首の立場におられた経験もありますので、自然に元首の風格も受け継いでいたように思います。今上天皇は、最初から日本国の象徴というお立場にありました。ですから、象徴天皇として何が国民のためによいのかと日日模索されてきたと思われますね。
そして、そのご苦労は大きなものがあったと思います。

 天皇様には国事行為など、多くのお仕事がありますが、その中でも、とても大事なことは国民の幸せを常にお祈りしていらっしゃることだと思います。宗教的な天皇の側面ですね。これが看過されるようなことがあってはなりません。日本の国体とは、これを除いては考えられないものです。これが、天皇様への国民の尊敬心の発するもとなんでしょう。

 天皇様は国事行為などの雑務から切り離すべきではないかと考えております。政治から距離を置くべきではないでしょうかね。それでも、天皇の存続はあるし、権力ではなくて権威として日本に君臨してもらいたいと思っております。

最初に一言、某小説の言葉から。

真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。

今回のお話を聞いて、自然に頭が下がったか、そうでないかは人それぞれ。日本人の癖にとか、日本人だろうとか、特に押し付けるものではありません。


さて、お話の内容ですが。
やはり、天皇陛下は生真面目で完璧主義者なのだなあ、と強く感じました。
先帝が良い意味で自由な方であったので、余計にそう思うのかもしれません。
特に行事に関しては、「東宮ちゃん」として名代として先帝から篤く信頼されていた事に比べると、「言ったけどやらない」事に対して宮家であろうと厳しく叱責し、有限実行の姿勢で臨んでいる天皇陛下は、出来ないことは言わない、可能な限り御自身で動こうとする御考えが非常に強いのでしょう。
(個人的意見では有りますが、やはり美智子妃を御迎えするに当たっての皇室内外からの批判が、伝統を重んじるようになった切欠にも思います。結婚は生涯最大の我儘だったことでしょう)
しかし、いつぞやの行事で式次の順を誤ったことは、やはり御自身の年齢を考慮に入れたとしても、ショックだったと分かります。完璧主義者ですから尚更でしょう。
それが今回の御言葉の中にも強く感じますし、完全に出来ないからこそ次代に譲りたいと言う気持ちになったのだと思います。

管理人さんの言うとおり、政治に利用されることの無い(不可能だと分かっていますが可能な限り)結果となってくれることを望むばかりです。

ueyonabaruさん、ご意見同意します。

> 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

今回のお気持ちの中のこの部分に、私は句読点の1つにも無駄のない、現代皇室のスタンスが凝縮していると感じます。
戦禍の国難を歩まれた先帝とも今上陛下とも違う新たな時代を歩まれる皇太子様の代へと、ご無理なく継承されるよう、国民として心を沿わせたいです。

ueyonabaruさん、先に書かれてしまった。
引用の部分が、陛下のおっしゃりたいことの核心です。

昭和という時代を背負った先帝陛下に対して、戦争犠牲者の慰霊としての行幸と祈りに心血を注ぐ28年間を貫いた今上陛下の自信がうかがえます。

そしてそれをいかに次代につなぐのか、そのつなぎ方を、国民と政府に考えて欲しいと問われていると思いました。
いらぬ憶測ですが、一抹の不安が皇太子ご夫妻にあるのかもしれませんね。

夏雲さん。すいません、涙腺が弱いもんで(笑)。
それと私はクールな人ではありません。
クールだったら、沖縄問題にこれほど首をつっこみませんって。

お恥ずかしい話、人一倍熱すぎて、何度か人生をしくじりました。
今、できるだけ醒めた分析を心がけているのは、自分がこういう人間だからです。

私はあなたほど、天皇に懐疑的ではありません。
かといって、今日は少々センチメントになりましたが、天皇主義者ではまったくありません。

ただ、日本になくてはならない、伝統の中心におわす人なことは確かです。

新嘗祭等の儀式にあるように、稲穂の国であった日本
においては、天皇さんはシャーマンでした。卑弥呼の
時代からそうです。まつりごと(政・祀)は一心同体で同じ
事でした。

日本にある神社の縁起も、天皇家の存在を無くしては
根無し草になってしまいます。(神道そのものは、まだ
歴史が浅い)

共産主義者の言うような天皇制そのものの廃止などは
タワゴトもいいところで、日本人なら思いもつかない事
です。バチカンを廃止するカトリックや、メッカを廃止
するムスリムなど、馬鹿馬鹿しい限りです。

明治維新から敗戦までが歴史として異常で、古代を除
くと天皇にはほとんど政治的実権が無く、祀りごとが
主体でした。薩摩・長州のイナカ侍が、天皇の権威を
デッチ上げて神格化して利用し、その臣下として実権
を握っただけです。まあ、歴史にはよくある話ですが。

で、今回の「お言葉」です。宮内庁というところは超
事なかれ主義で、実質どうしょうもない連中なので、
陛下としても一肌脱がないと、天皇家と日本そのもの
が取り返しの付かない事になってしまうと、思われた
のだと思います。ここまで何も改革してこなかったの
だから・・

寄合社会の日本では、ちょっとした事が大変な労力と
時間を必要とします。皇室モンダイについてここらで
スパッと現実的改革をするべきです。税金でメシ喰っ
てる連中のケツを蹴り上げてでもやるべきです。

何より、陛下が「そうしなさい、イザその時に大変な
ことになっちゃうんだからね」と仰ってくれたんだから。

皇太子ご夫妻は大丈夫だと思いますよ。

戦争犠牲者の慰霊としての行幸と祈りのことですが、何も目に見える形ばかりではありませんので。
なぜそのことがいえるのかと言うと、雅子様のことですが、ご自身がご病気の身であるのにかかわらず、体調の波を見てではありますが、お忍びで小児病棟へのお見舞いやご訪問、児童養護施設へのご訪問や数年に渡る励ましのメッセージカードを贈るなどなどをなさっているという話を伝え聞いたからです。これは国民に寄り添いたいという優しい気持ちがないと出来ない事だと思います。

九州エムさんの皇太子殿下の下り、私も同じです。
あのお言葉でどっちかというと関係ないと思っていた御皇室が、身近な存在になりました。
スメラミコトのスメラは清らかの昔の言葉だそうで。
清らかな存在である皇室が末永く続いてほしいものです。

このブログにはいつも本当に勉強させて頂いております(礼)
この度の陛下のお言葉を聞き、落涙した者として書き込みを失礼致します。(右翼でも天皇主義者でもありません)
私はこのお気持ちを聞き、一部の前情報にあったような、生前退位やら改憲にかかわる政局への牽制やら皇太子様へのご心配やらへの示唆には、どうしても聞こえませんでした。部分だけを切り取れば、そう取ることは可能とは言えです。
ひとことで言えば、国体のあり方をメッセージとされたと感じました。結びのお言葉「国民の理解を得られることを、切に願っています。」とはまさに、国体のあり方への理解をとの事だったのではないでしょうか。
今上陛下が私人としての感情を優先し譲位を願われるとは、とても思えません。はるかに超越したお覚悟をもって今日まで臨まれてきたからこそ、多くの人がある意味無条件に感動したのだと思います。
あと多くの人は、天皇陛下が象徴でもあると同時に個人でもあると素直に普通感覚で理解できると思います。
何を言っても不敬ではあります。失礼しました。

アホンダラ1号さん、そうですね。シャーマンに源をもつ神道の総本家で、言霊文化の柱である天皇家のお言葉の凄みだと、私は皇室関係の和歌の会、節目ごとのお言葉をいつも読むべく心がけています。
政治色を出さないとか、私欲を出さないとか、それがストレスだろうとか、様々な意見が飛びますが、国家安寧と五穀豊穣を願う言霊として、伝統を重ねられてきた上で発せられる数々の珠はそんなレベルは超越していると感じます。
難解な単語を使わずドラマチックな抑揚で檄を飛ばすこともなく、かと言って、広島の碑文のように漠然主語のない弱い文でもない。日本語、という言葉の美しさ清らかさを教えてくださいます。

礼賛文句が続きますが、私も俗に言う天皇崇拝者ではないです。そして、アホンダラ1号さんのおっしゃるように、明治に戻るなんて何をか言わんや。100年前の大失敗期です。じゃあ江戸かよ平安かよと水掛け論に市井では陥りがちですが、
どこに還るのではなく、伝統を保って未来へ進む訳です。回りが政治利用しなければ、皇室がもう見つけておられる光の道筋がありそこに向かえるのではと思います。

こんにちは。私は結構皇室フリークで、天皇陛下のファンでもあります(言葉軽く申し訳ありません)。
ブログ主様の天皇陛下に対する敬愛の念を尊敬いたします。「まずは、陛下のお気持ちを素直に受け止め、陛下のご希望を第一にして考えていこう」という呼びかけも賛同するものです。

皇室ファンとして報道を見ていると、昨日の「お子様方との夕食会」など、天皇家の偏ったマイホーム主義的側面に疑問を感じます。

嫁に行った娘は呼んでも、嫁は呼ばない。大事な発言の後の話し合いも当然含まれるであろう場に。
大事な会議に嫁は呼ばない。これまでも度々そうでした。なんとかの波で出席しない皇太子妃に遠慮して、秋篠宮妃も呼ばないのかもしれないし、単に水入らずが好きなのかもしれません。

今回のお気持ちの中で、崩御だと殯とかあって残された家族の行事がたいへんだから、薨去(になるのでしょうか)がよいというご発言もありました。確かに今の東宮に、毎日朽ちていく死体を見る根性はなさそうです。ここで、やっぱり家族のことが大事なのかなと、感じてしまうのです。

譲位について考えるなら、次代のテイタラクが真っ先に問題になります。それについてオープンに話し合うべきと思います。

話がまとまらなくなってしまいました。つまり譲位の実際について考えなけれならなくなった今、大事なのは、無能な東宮でどのように象徴天皇を維持するかということ、天皇家の不思議なマイホーム主義がある中どのように皇族全体の協力と活性化につなげるか、ということを国民も正面から見据えるべきだと思います。
テーマとして政治色がなく大事なところ、と思います。

soraとやら
「無能な東宮」とか不敬なことをほざくんじゃないよ朝敵が!
よその家庭のことに口出しするだけでも薄汚い出歯亀根性丸出しだが相手は皇族ですよ。
恥を知りなさい。

皇族について何か言うと、思考停止のやからから罵りがありますが、今この段階なお、思考停止しているヒマはないと思っています。皇族は、よその家庭ではありません。
罵る人は、沖縄、原発、フクシマ、その他様々なテーマででてきますが。人の意見は罵らないでいただきたいと意見表明いたします。

皇太子夫妻をどうにかしないといけないのは事実でしょう。
朝敵とか言って思考停止したところでどうにかなるわけでもなし。

うつ病の人間に皇后の公務が務まるとも思えない。ご本人にとっても不幸。
皇太子殿下は、妃殿下を守るのであれば自身が皇室を離脱するか雅子妃と離婚するべきだった(どちらも無理だからこの体たらくとか言われるのだが)。
皇太子夫妻がつぎの天皇皇后になったとして、今上陛下ほどの尊敬の念を国民から得られるかは甚だ疑問。

 皇太子夫妻がどうとかマイホーム主義がとのコメントが寄せられていますが、このような見方をされる方がいるのは事実で、マスコミによる現代的な見方による影響が大きい思われます。
 また、天皇陛下ご自身が国民の身近に寄り添いその力になりたいとの慰問などの御行為が逆に誤解の元になっているのはと思います。

 アホンダラ1号さんやueyonabaruさんがコメントされていますような、”国民の幸せを常にお祈り(シャーマン)する事こそが本来のご公務である”ことの理解が浸透していない為ではと思います。

 私は日本という国の成り立ちや歴史を理解していく過程で、皇統を維持してきた事こそが現代の日本が世界に類を見ない存在であることの根幹だと考えるようになりました。

 皇太子夫妻についての書き込みがありますが、上記のような意味において、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏によれば、「皇太子はご公務に非常に熱心に取り組んでおられてとてもご立派な方だ。」雅子妃は何もしなくても問題ない。とよく言っていますが、それが全てではないでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 尖閣諸島に漁船230隻、公船多数が侵入 その火遊びの意図は? | トップページ | 緊迫する尖閣 中国から見たら »