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やんばるの共同売店

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私が知っている沖縄は、本島北部のヤンバルといわれる地域です。 

今はどうか知りませんが、私が住んでいた当時は売店ひとつない地域がごまんとありました。

たまにあっても、なんとしたことか定価より高いのです。定価100円の上に120円などという手書きシールがペタっと貼ってあるのです。

こんなものは初めて見ました。

激安デフレの時代にまっこう楯突く地域、これがヤンバルでした。

本土から那覇に来ると、値引きどころか定価維持で精一杯、それが国道58号線で下るにつれてだんだん高くなり、名護を超えると割高セールとなってしまいます。

ちなみに西表などにいくとさらにホップし、その先の小浜島にいくとまたホップします。

台風などが来て船便が止まろうものなら、だいたい商品がないという場合も出てきます。島暮らしも、なかなか大変なのです。

それも割高であろうがなんだろうが、売ってくれる商店があればこそですが、それがないのです。食品店などがあるのは名護まで。それ以北は店すらありませんでした。

日航オクマリゾートがあるって?あれはナイチャーの作った租界地です。

ないとなると名護までいちいち出かけなければならないのであまりにも不便、というわけで「共同売店」というものを作りました。

Photo_2高江のある東村の共同売店です。

ムラの人たちが、資金を出して小さな店を作り、商品を買い入れて、あんまーやネェネェが替わり番で店番をするのです。

新聞もここに取りに来ます。ちょっと集落から離れた場所の人は、郵便もここに置いてあります。

私の住んでいた場所は、本島北部脊梁山脈の真上の猫の額のようなウルトラ過疎地だったので、郵便屋に来いというほうが無茶です。

毎夕、共同売店に出かけて新聞(沖タイでしたが)を取って、郵便をもらうという生活をしていました。

そのとき必要な買い物をするのですが、当時は米軍からの横流し物資が悪びれもせずに売られていました。

バドワイザー120円、オリンピア100円、島ビールのオリオン180円といった具合で、私が島暮らしをしていた当時はオリンピアという水みたいなビールしか飲んだことはなかったですね。

あ、そうそう、アサヒやキリンなど影もなし。

今はオリオンがアサヒの傘下に入ってしまって複雑な心境でしたが、本土でもオリオンは普通に飲めるようになりました。

しかし、沖縄で飲むとこたえられない美味と思えたのに、内地で飲むと気が抜けるのはなぜ?

島ビールは復帰特別措置法の酒税軽減でそうとうに優遇されていたはずですが、なぜか米国産ビールに価格では太刀打ちできませんでした。

ま、そりゃそうだ。アメちゃんビールは米軍基地のPXからのもので、基地に勤めている知り合いから買い込むのです。

そもそも米軍基地のPXは、在外駐留米兵のために価格を下げているのですから、かなうはずがないのです。

ですから、ヤバルで老人会や豊年祭があると、オジィ、オバアがサンシン片手に飲むのは、バドワイザーと決まっていました。

本土に帰ってから、若者たちがナウ(←死語)に「バドくれ」などと言っているのを聞くと、私は「バドワイザーはヤンバルではジジババビールだぜ」、と可笑しかったものでした。

午後、牛にやるグヒチ(カヤ)を刈りにポンコツトラックで北部を回り、1トンほど刈り取り、シャツを絞れば汗がしたたるようになった帰りすがりに寄る共同売店。

ありがたかったですね。

そこで一本のオリンピアとテンプラ(さつま揚げ)を1枚買い込み、私ひとりしか知らない東シナ海の蒼い海がみえる眺望の丘で飲む一時。

ああ、あれが人生の至福というものでしょう。

Photo_3
て、昨日の記事でも書いたように、このちいさなムラにナイチャーたちが大挙押し寄せています。

彼らの合い言葉は、「やんばるの森を守れ」だそうです。ちょっと違うのではないでしょうか。

やんばるの森を守って来たとするなら、それはこの高江の人々たちのようなやんばるの森に住む人たちが守り手だったはずです。

しかし、彼らには「森を守る」という意識は薄いはずです。

森林は利用するものであって、自然保護のために住民は住んでいるのではないのです。

そのへんの感覚は、辺野古の漁民の海に対する感覚と、どこか共通するものがあるはずてす。

経済行為として自然を見ている、とでも言ったらいいのでしょうか。都会の人のふわふわしたエコ趣味ではありません。

だからこそ、自然の厳しさとその愛を、誰よりも肌で知っているのがこの人たちなのです。

辺野古に押しかけてきたナイチャーの主婦が、漁民に「あなたがたは海を売ったのだ」ということを言ってそうです。

私なら殴りこそしませんが、こぶしを握りしめて殺意をこめた視線で睨みかえしてやってたでしょうね。

ですから、むしろ結果として「森は守られてしまった」のです。

なにによってでしょうか。ひとつは過疎、今ひとつは米軍の訓練エリアだったためです。

やんばるは現況では、若い人の仕事を確保できません。

高校は名護までいかねばなりませんし、そのまま卒業しても那覇か、さらには大阪、東京に出ていく者が大多数です。

この深刻な過疎が森を保全してしまいました。

また、皮肉にも米軍基地である北部訓練場は立ち入りができないために、丸ごと手つかずの原生林が残っていまいました。

もっとも米軍も、自然保護に熱心だから残したのではなく、ジャングル戦訓練をするために、手つかずでないと困るからにすぎません。

好むと好まざるとにかかわらず、米軍訓練場だったことが「やんばるの森を守った」ことになります。

問題はむしろ、返還された後の使い方に移っています。

れをしっかりと議論するならともかく、何かまったく別な政治焦点化されるほうだけに論点が移ってしまっているのは残念です。

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コメント

大宜味村の塩屋なんて埋め立てのせいですっかり地形が変わりました。大保ダム建設による土砂処理を安く仕上げるためだそうで。かつてはここの国道58号線は海岸線沿いでドライブすると綺麗な海が臨めたんですけどね。活動家の言う「自然を守れ」なんて活動のためのお題目にすぎません。大宜味村といえば昭和天皇崩御の際も断じて追悼などしなかったとこです。

今では国頭村でもかなりの数のコンビニがあります。もちろんあらゆる商品の値段が一律です。寂しい限りですが、共同売店も減っていくかもしれません。ヤンバルじゃないですけど、学生時代に泊まった民宿の近く(と言っても車で移動する距離)の個人商店で午後10時頃にビールを買いに行きました。おばぁがやってるお店で翌日も利用しようかと「何時まで開いてますか?」と聞いたら「眠くなるまでさ~」ですと。いい思い出です。

投稿: クラッシャー | 2016年9月24日 (土) 10時47分

今回の記事、私の薄い記憶が蘇ってきました。ありましたね海で飲むバド。まだ十代でしたがビンが旨いなどと背伸びして未成年飲酒したものです。
※現在お酒飲めません。かつ時効。
しかも仰るとおり田舎に行くほど高くなります。

あちこちネットで目にする無礼な活動的押しかけナイチャー主婦の主張は、県民に寄り添ってなくあくまで上から目線です。根本的に県民は見下されています。

もちろん、色んな事情で沖縄に来た主婦が全てそうではなく、地域に寄り添い可能な限り溶け込む努力や地域活性に一役かってる方も多いです。

前者の方は地元に害しか齎しません。全て自分が正しいと他人の意見を受け入れる姿勢が無いからです。

先日クラッシャーさんがコメントしてた「高江差し止め求め住民が提訴 「人格権を侵害」 那覇地裁」の人たち。押しかけナイチャー嫁が2人居るのが分かります。県民なら家からそのままの恰好で那覇地裁に行く度胸はありません。

やんばるの主婦は「ハイカラー」(お洒落)です。那覇に行くともなれば普段着ない服を着て晩からカラー巻いてうっかり厚化粧になってしまうものです。

彼らは間違いなくヤンバルの未来を考えてはいませんね。北部訓練場が返還されると困る勢力の工作員と見る方が腑に落ちます。

先日、与那という地域の与那共同売店の話題をテレビで放送していました。本土から戻った50代くらいのの夫婦が生まれ育った地域の過疎化を防ぐため地域を巻き込んで皆で努力してる姿でした。

旦那さんの言葉「海もある、山もある、無いもの以外何でもある。こんなに美しく素晴らしい地域に生まれて幸せだ。ムラが無くなってしまわないように今努力しないと。」

テレビに映る人物たちは全てうちなーんちゅ。田舎だけどハイカラーです。県外左翼の手に染まっていません。

何故なら「お金にならない地域だから」です。基地のある過疎地こそ「お金になる地域」活動家の生活の糧なんですね。

投稿: ナビー@沖縄市 | 2016年9月24日 (土) 11時02分

 高江は「ありんくりん」さんが農業をしていたところですね。色々と思い出はおありでしょうね。その高江部落が全国でも有名になっております。ヘリパッドの反対運動がなかったら誰も知らない辺鄙なところです。

 {ありんくりん」さんは1トンもの草を刈り取ったということですが、これは大変な重労働です。わたしは、毎日のように草刈りをしているのでその大変さがわかりますよ。

 反対派の人たちが県道を通行しようとする住民を妨害することは許されることではありません。妨害した方がより悪いと私は思います。加害者の怒る気持ちは良く分かります。

 返還されてくるやんばるの森、いかに利用できるか県も真剣に考えるべきでしょうね。翁長知事、関心はあるのかな?

投稿: ueyonabaru | 2016年9月24日 (土) 22時30分

共同売店は、かつて宮古島にも各所にありました。(今でも狩俣地区にはあるかも)
それが農協の販売所になりAコープに進化して、サンエーや金秀が出店し、今ではイオンショッピングセンターが二箇所もあります。
ドンキ・ホーテさえ今夏にオープンしました。
需要や消費動向と共に時代も変わったんでしょうかね。
しかし、少し寂しくもあります。

胸突き八丁の政治談議でない、たまにこういういう話題はいいですね。
なぜか、歯医者に行くからと嘘をついて祖母に25セント玉一枚もらい、バスに乗って「寅さん」や「緋牡丹シリーズ」の映画を見、そばとかまぼこを食べたガキの頃を思い出しました。
当時、こんな小さな島に映画館が4舘もあり、(今はつぶれかけのが一舘のみ)ほぼすべて邦画だったと記憶します。
本島の中心部では、若者たちがアメリカ文化を腹いっぱい謳歌していただろうその時期、宮古人は専ら本土の方を向いていたんだろうと思います。

やんばるの森は、皮肉にも米軍エリアとなった事で守られました。
そもそも沖縄県というのは金武湾(CTS)以来、埋め立て・開発大好き県です。
あれで堰を切ったような埋め立てブームが始まったようなもの。
(闘争の方の側にも70年代からの金武湾闘争に参加した古参メンバーがそのまま辺野古・高江にも名を連ねていたりする)
複雑というか、不思議な県ではありますねェ。
できれば埋め立ては辺野古で最後にしてもらいたいものです。


投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年9月25日 (日) 00時18分

本土は沖縄に基地を押し付けているといわれますが、全国から大挙して出向いたりわざわざ移住までして反基地・反政府活動している本土や外国籍の連中。
彼らもまた政治思想や反対運動の押し付けであり、押し売りなんでしょう。

わざわざ本土から沖縄県民のため、沖縄の自然保護のために行ってやってる。
俺たちが憎き警察や工事関係者を阻止してやった、県民ども有りがたく思えよ、いいことしている俺って格好いい…と内心思っているのかもしれません。


北部訓練場はローター音が響き渡ってる場所なのでしょうか?
高江にヘリパッドが移設されても所属機のある飛行場と比べれば大したこともないのかなと思います。


高江の反対派、トイレはどうしてるのか、道路で煮炊きしたり、飲食のゴミやタバコの吸殻などポイ捨てしてませんかね。
警察が道路封鎖の対処が甘いようであらば、ここは治安出動を検討すべきかも。

投稿: 多摩っこ | 2016年9月25日 (日) 01時20分

ueyonabaru さん。私が住んでいたのは高江ではなく、隣の行政区です。
高江が大きな街にみえるって場所でした。

300坪近くやっておられるとか。もはやアタイグァの域ではありませんね。すごい。
一軒ではたべきれないほど採れるでしょう。

投稿: 管理人 | 2016年9月25日 (日) 03時52分

先日も書きましたが、何度か仕事でやんばるに行きました。当時は手つかずの自然がありましたね。民謡二見情話に唄われている綺麗な景色を眺めながらやんばるの森に入っていきました。途中右手に広がるアメリカ風な町がありました。今思うとそこが辺野古のアップルタウンだったのかもしれません。
やんばるの集落では、夕方5時になると集落の電柱に設置したスピーカーから、良い子の皆さんはお家へ帰りましょうと放送していました。その声が静寂な集落の隅々まで聞こえました。何か私たちが忘れ去ってしまったのどかな風景でした。共同売店では良く弁当とか煙草を買いましたね。勤務中だったのでさすがにビールは買いませんでしたが。

投稿: karakuchi | 2016年9月26日 (月) 00時01分

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