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「倫理戦」は間接的核抑止力です

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核廃絶というのは大変に時間がかかるものです。 

いくら私たちが「核なき世界を」と訴えても、即効性を期待してはいけません。 

私は、ほんとうに「核なき世界」が実現するのは、今世紀中には無理だと考えているほどです。 

がっかりしないで、逆にこう考えたらいかがでしょうか。

その間日本は外交カードとして、「核廃絶提唱国」というプラチナカードをずっと握っていられる、と。

核廃絶提唱国を核攻撃するなんてなかなかできないことですから、間接的核抑止力にもなります。

実効性があるかどうかなど聞かないで下さいね。

米国の核戦力すら、ほんとうに抑止力になっているのか、それはある核戦略専門家が自嘲的に言ったように、「撃たれていないからあるのだ」としかいいようのない心理的なものなのですから。

Photo_7北京の天安門から軍事パレードの開始にあたり拍手を送る(右から)中国の習近平国家主席、プーチン露大統領、韓国の朴槿恵大統領。左端は国連の潘基文事務総長(ロイター)

確かにコメントにもあったように、日本が「倫理戦としての核廃絶」を提唱した場合、東アジアの3カ国がアレルギー反応を起こすのは目に見えています。 

どうぞかまいませんから、オバマの広島訪問時のように、「戦争加害者のくせしやがって、被害者ヅラすんな」と叫んで下さい。

ツラ当てのように、大軍事演習のひとつもしてください。弾道ミサイルを日本海に打ち込むのもいいでしょう。 

まったく日本は困りませんから。 

道義的正当性がこちらにあるのが明らかな以上、そのようなことをやればやるほど、世界から孤立して浮き上がるのはあなた方3カ国であって、私たちではないのです。

そんな愚行は人類共通の理想に対する抵抗であって、私たちは<核廃絶推進国vs核推進派国家>という分類をしてあげればいいのです。 

韓国のようにどちらにつかずで、戦略原潜が欲しいなんて馬鹿を言い出した国に対しては、優しくこう言ってあげましょう。 

「ねぇ、そんなこといつまでも言っていると、人類の敵になっちゃいますよ。核武装なんか止めて、共に核なき世界を目指しましょう」 

かの3カ国が反対することなどは想定内であって、こういっちゃナンですが、「核なき世界」の理想に敵対するのが誰か自ら明示してくれたようなもので、むしろありがたいくらいです。 

これは今まで私たちの国が戦後一貫してやられてきた<ファシズム軍国主義vs民主主義国家>というカテゴライズをそのまま応用しただけのものです。 

彼らが頑迷に反日にしがみつき、その結果、核を手放さなければ包囲網の首がグイグイ締まっていくだけです。 

私たちにとって、彼らの国際的孤立は即ちわか国の国益ですから、むしろ金正恩氏のように「東京を火の海してやる」ていどことを年中言ってほしいものです。 

私は核なき世界を理想としますが、夢想はしません。

敵対する国とやり合いする手段は、なにも軍事力だけではありません。

軍事的手段はあくまでも、多くの選択肢のひとつにすぎず、それが失敗した場合に被る被害はソフトな手段よりはるかに大きいのです。

それよりもひとつの理想を掲げて、「倫理戦」によって国際的に包囲していくことのほうがより効果的ではないでしょうか。

これもひとつの「核抑止力」なのです。こんなに長いテーマになるとは思ってもいませんでした。

少々くたびれてきました。今週いっぱいでいったん終了とします。

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コメント

「核の傘」がなくなったら(あるいは存在しない事が顕在化したら)、という仮定に基づく命題に対する答えを探す作業というのは、安全保障の問題に限らず、広範で根本的な日本社会の問題点を照射している事に行き当たります。

(議論としては解禁されるべきでしょうが)あわてて独自に核所有の道を突き進む事は得策でなく、「平和国家」を強く打ち出し「核兵器廃絶」推進のリーダー国になるという事も次善、三善の策に留まる如くです。

外務省がせっせと「我が国は平和国家」を打ち出し、それがお題目に終始してしてしまう理由は何でしょう。
ふゆみさんは、「どれだけ反米に振れるか」の睨み合せだろう、と言われます。
私は、中・韓・北朝鮮ファクターだろうと考えました。
そのどちらの要素もあって、結局のところ「国家の基本方針」すら自国で定められない悲しい我が国の姿があります。
核配備にこだわる右派の根本的な心情も、実はそこにあるのではないでしょうか。(少なくも私がそうです)

「核廃絶」という目標をしっかり実効性あるものにするとすれば、それは政府や国会によるのもではないのであって、広く国民の総意に基ずくものである事が必要です。
「国際」をいう以前に、日本国民自身の国民的運動から発し、そこから改めて憲法にそれを記すほどの日本国全体の固い決意が必須です。
そこまですれば結果的に国際に強く訴えかける事ができ、この時はじめて「あらゆる核攻撃の恫喝に恐れない」という強い姿勢を持って「抑止力に転化」出来た、という事になるのだと考えます。
ブログ主様の提案に接着しきれない私の理由は色々言いましたが、本当のところそこのところに関連した懸念にあります。

現在の核兵器廃絶運動体は無原則に反原発運動となり、むやみに戦前を否定し戦後補償をむしかえし、親中・半島勢力と結びついている事は自明です。
そもそも彼らが「リベラル」を食い潰してきた経緯がある。
そして、大多数の善良な一般市民の声は非常に小さいのです。
これらの勢力を一掃して真実のリベラル・国民運動を本当の市民の手に取り戻してからでないと、逆に彼らに主導権を握られ、取り込まれる危険が非常に大きい。
下手をすると政体が変わる危険すらあります。
三国・米国要素を別にすれば、外務省が「平和国家」を強く打ち出せない理由はそこにもあるのでしょう。

投稿: 山路 敬介(宮古) | 2016年9月 1日 (木) 10時30分

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