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2016年11月19日 (土)

HN「ネトウヨハンター」さんにお答えして 第9条と日米同盟は表裏一体です

Img_4597
HN「ネトウヨハンター」さんのご質問にお答えする形で、考えていきましょう。

「なぜ日米同盟を解体すれば、憲法9条を変える必要があるのですか。
自衛隊だけでは守れないんですかね?
よく安保法制賛成派から、「軍事同盟を結ばなければスイスみたいに徴兵制になる」みたいな言葉が聞かれましたが
日本とスイスでは、防衛費はたしかほぼ一緒ですよね?
自衛隊だけで日本を守ることが、なぜ出来ないのでしょうか。」

いい質問だと思います。 

9条と自衛隊の関係というのは、いろいろな答え方ができるテーマですので、どこからお話しようかと迷ってしまいました。 

私も過去記事で大量に書いています。
現状http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-1c47.html
歴史的経緯http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-7775.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-dd6e.html 

というのは憲法問題とは、詰まるところ自衛隊のあり方の問題だからです。 

いいかえれば、自衛隊を一般の国の「軍隊」として認知するのか、しないのかということです。 

さて、先日バイデン米国副大統領がトランプの核容認発言に反発して、こんなことを言い出しました。

それを伝えるニューズウィーク(2016年8月16日)です。

「今週15日にペンシルベニア州で大統領候補のヒラリー・クリントンのキャンペーンに合流して演説をした際、バイデンは次のように語っています。
Does he not realize we wrote the Japanese constitution so they could not own a nuclear weapon? Where was he in school? Someone who lacks this judgement cannot be trusted.(核武装を持てないように我々が日本の憲法を書いたことを、彼は知らないのではないか。彼は学校で習わなかったのか。トランプは判断力に欠けており、信用できない)」

 なかなか渋い発言ですが、日本メディアの多くはスルーしてしまったようです。

ニューズウィークも述べているように、非核は憲法には書かれていないし、芦田修正もあります。

しかし米国要人がストレートに日本国憲法は「オレたちが与えた」と言ったのは、おそらく初めてではないでしょうか。 

別に秘密でもなんでもなく、護憲派も昔から知っていて、憲法学宮澤派のように「あれは外形的には与えられたものだが、日本国民が8月革命で勝ち取った成果なのだ」という説まで生まれました。 

それについては、上に挙げた過去記事を読んで下さい。 

問題なのはむしろ、米国にとって日本がどうあって欲しいかという「思惑」の問題です。 

米国は今まで一貫して日本の軍事的・政治的な自立を嫌がってきました。 

なぜって?それは簡単です。 

日本は第2次世界大戦末期まで、世界中の国々が米国と同盟を結ぶか、中立の立場になるか、あるいは降伏した時に、唯一頑強な抵抗を見せた国だからです。 

米国は見せしめ的に核兵器を2発使用し、全国の都市をくまなく焼き払うといった戦時国際法違反の民間人大量虐殺を演じてみせて、やっと日本の息の根を止めたのです。 

そして戦後日本は、経済力において米国に次ぐ第2位の位置に長く居ました。

高度な技術と、教育水準が高く、規律正しい国民を1億人以上持っています。

当人は大国とは思っていないようですが、充分に「大国」です。ただし軍事面を別にしてですが。

こんな国が再び独自の戦略的意志を持ち、米国に従属しない軍隊を持つことは、米国にとってまさに悪夢だからです。 

だから、米国は大きな枷を日本にはめました。 

それが日米同盟であり、その裏付けとなる日本国憲法9条第2項です。

抽象的で分かりにくいと思いますので、ちょっとケーススタディしてみましょう。

Photo_2日本向けミサイルのノドン

「自衛隊だけで日本が守れるのか」というご質問ですが、結論的には不可能です。

つい先日、北朝鮮が、日本に向けてノドンの発射実験をしてきましたね。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post.html 

もちろんただの「実験」ではなく、「いつでもお前らを核攻撃できるんだぞ。オレに逆らうな」という政治的恫喝です。

こういった時に必ず保守派の一部から出るのは、「発射基地を攻撃しろ」という敵地攻撃論です。

まぁ確かに、NATOなら即座に緊急理事会が開かれて、NATO条約第5条、別名「自動参戦」条項の発動が検討の対象となるでしょう。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-bf87.html

残念ながらアジアには、NATOのような集団安保体制自体がないために不可能です。

一方護憲派からは、「北朝鮮に名を借りた軍拡策動に警戒しろ」という声が上がります。

Photo_3スプートニクhttps://jp.sputniknews.com/japan/20150716589329/

こういう議論がでてくるのは、どちらも自衛隊を知らないからです。

自衛隊にはそもそも「敵地攻撃」能力など、まったくありません。

日本は、自国の安全が脅かされていようと海外に軍隊を展開する能力を持ちません。

え、PKOはって?あれは国連平和維持活動で、まったく別の次元の話です。

外国に軍隊を派遣するには、パワープロジェクション(戦力投射)能力が必要です。

数十万規模の外征型陸軍を持ち、緊急展開軍を備え、それを乗せる大型輸送機、揚陸艦を多数保有し、さらに敵の拠点を攻撃する攻撃機を発進させる空母艦隊、そして長距離ミサイルなどが必要です。

さらに、相手国が核武装をしている場合、それを封じるために自らも核武装せねばなりません。

これらすべての能力を、日本は保有していません。

説明が長くなりそうなので省きますが、日本は北朝鮮のミサイル基地を空爆する能力もありません。 

つまり、日本には単独で北朝鮮の攻撃を阻止する能力、あるいは北朝鮮に日本攻撃を思い止まらせる能力(抑止力と呼びますが)そのものが欠落しているのです。

唯一、日本において北朝鮮を空から攻撃できる能力を持つのは、三沢基地にいる米空軍のWW(ワイルドウィーゼル)部隊だけです。

このように、日本は外国からの攻撃に対して防衛しきれない「穴」を沢山持っています。

ミサイル攻撃などは撃った後では意味がないので、あらかじめ発射しそうだと分かったら叩く必要があるわけですが、日本は憲法的制約の為に自衛隊はその能力を持たされていないのです。

また憲法的制約ばかりではなく、、いかに自国の安全のためといえど「先制攻撃」をするという行為は、それをした時点で、終結のシナリオまで持っていなければなりません。 

山本五十六の有名な言葉にこんなものがあります。大戦突入寸前に当時首相だった近衛文麿に言ったものです。

「初め半年や1年は随分と暴れてご覧にいれる。然しながら、2年、3年となればまったく確信は持てぬ。かくなりし上は、日米戦争を回避するように極力御努力願いたい」(『近衛日記』。

山本に対する評価は別にして、これは先制攻撃をするならば、終わり方まで考えてやれ、という意味です。

結果としてわが国は、「半年や1年は存分に暴れ」、「2年、3年で勝利の確信」を失い、南太平洋の島々と深い海に膨大な草むす屍、水漬く屍をさらすことになります。

当時も今も本質において何の変化もありません。

終わり方を考えぬ戦争は、絶対にしてはならないのです。

その意味で私は、保守反戦主義者です。

そしてこのような日本が唯一「戦争の終わり方」を依頼できる国は、世界に一国しか存在しません。

それは泣いて笑っても、かつて日本の息の根を止めた米国だけです。

そしてその米国の意志は、日本に自立した軍事展開能力を与えないということでした。

また日本は「専守防衛」というドクトリン(基本原則)をもっていますが、国内防衛すら沖縄を見ればわかるように、米軍なしで構想できないままでいます。

もし沖縄から米軍がいなくなったら、中国はそう遠くない日に手を伸ばしてくることでしょう。

このように国は憲法を与えて自衛隊をがんじがらめにする代わりに、日本周辺の安定を保障する役割を受け持ちました。

日本が9条的に「専守防衛」に徹し、その代わり米国は、日本を取り囲む国際状況の安定維持のために尽力する、この役割分担を定めたのが日米安保条約です。

このように日米同盟と第9条は、表裏一体のものだということがご理解いただけたでしょうか。

Photo_4


民主党が作った「戦争法案は徴兵制になる」というポスター

なお、去年盛んに民主党が言っていた、「戦争法を通すと徴兵制が来る」というのは100%デマです。

少子化が進む先進国で、20歳から2年間も貴重な青年層を引き抜いて、しかもたった2年では後方での仕事ていどしか任せられないような「兵隊もどき」しかできません。

こんなハンパなものを大量に作ってどうするんだということです。

米国、ドイツなど先進国は、ことごとく徴兵制は止めています。

スイスは人口が少ない重武装中立国家なので、一般の国とは比較できません。

実際、自衛隊は徴兵制などまったく求めていませんし、唯一ありえるシナリオとしては日米同盟が破棄された場合です。

日本は自立した自衛力を構築せねばなりませんから、大増員計画を実行せねばなりません。

たとえば一隻の大型空母を中心とする空母艦隊(空母打撃群)は第7艦隊を例にとれば、それを護衛する9隻の駆逐艦、3隻の原潜、揚陸艦3隻、その他で構成されています。

自衛隊が空母を持たせろという話は保守派の居酒屋談義にはよく出ますが、そんなものを持ったら海自の兵員を大幅にそこに注ぎ込まねばなりません。

とうぜん兵員不足になりますから、限定的徴兵制も考慮の対象となるでしょう。

したがって、徴兵制が登場するとすれば、それは日本が日米同盟を解消して、軍事的自立の道を歩む時以外ありえないと思われます。

それですら私は英仏などを見るかぎり、ないと思います。

2回の世界大戦と違って、現代戦は国民全部を巻き込むような総力戦ではないからです。

護憲派は盛んに「戦争法制は米国いうがままに戦争することだ」などと言っていましたが、正反対です。

米国と同盟を結んでいるから戦争をせずに済んで、9条とデイブレイクが作り上げた「カエルの楽園」に安住できたのです。

Photoデイブレイク「カエルの楽園」の主役のひとり。

百田尚樹氏の『カエルの楽園』という寓話を、:著者自身に紹介してもらいましょう。http://www.dailyshincho.jp/article/2016/06010557/?all=1

「『カエルの楽園』はカエルが主人公のファンタジー小説です。生まれ故郷をダルマガエルに追われた2匹のアマガエルが、平和な楽園「ナパージュ」という国に辿りつくところから物語が始まります。
ナパージュには「三戒」という奇妙な戒律がありました。それは「カエルを信じろ」、「カエルと争うな」、「争うための力を持つな」というものです。
そこに棲むツチガエルたちは、「この国の平和は三戒によって守られている」と信じていました。
「三戒」があることで、南の沼に棲む凶暴なウシガエルもナパージュにやってこないというのです。」(週刊新潮 2016年11月24日号)

この「三戒」はいうまでもなく憲法9条です。

では、デイブレイクとは「朝が開ける」という意味ですが、なんなんでしょうね(笑)。

それはさておき、私は「トランプ後」の世界を日本が生き抜くためには、改憲も避けられないと考えています。

しかし、それは安易な日本の軍事的自立ではなく、日米同盟を機軸にしたアジア・太平洋の集団的安保体制作りへと向かうための一里塚にすぎません。

トランプ登場は、日本人にこれらをしっかり考える素地を作ったともいえます。

憲法と日米同盟は話だすと、いくらでも切り取り方があるので、とりあえず今日はここまでとします。

理解の一助になれば幸いです。

 

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コメント

私は憲法と自衛隊がらみで根本的な疑問が3つあります。

1、現在の憲法が制定される時に、押し付けられたにせよ、自主的に決めたにせよ、当時の政府が承諾したのみで、国民投票は行われていないはず。国際的にもこの憲法の正当性に疑問がある のでは?

2、「立憲主義」とやらで、国民は法律によって縛られるが、権力(政府)は憲法によって縛られる、という考え方が言われているが、そもそもこのような考え方はどこに書かれているのか?

3、憲法9条を素直に解釈すれば、非武装中立(又は属国化)しかない。そして、これが成立するのは周辺国全てが同じように非武装であることが絶対条件のはず。ではなぜこんな非現実的な憲法ができたかと言えば、憲法は目指すべき理想社会を描いた理念であるから、としか言いようがないはず。しかし、立憲主義とやらで、憲法は理念ではなく、時の政府をも縛るもの。つまり変えてはならない。これって法の概念を超えた宗教の戒律に近いものでは?

私はかつて護憲の立場でした。それは憲法は将来目指すべき理想を掲げた理念であるとの考えによるものです。具体的には法律によって現実を縛るものをつくり、時に憲法の解釈を見直し、これを少しづつ変えて、憲法が目指す理想社会を目指していこう、とするものです。

ところがここ数年、立憲主義とやらで、憲法によって時の政府が行動を縛られ、解釈をも変えてはならない、とのお説。ならば、憲法を変え、自衛隊を日本国の軍隊として明文化すべき、と思うに至ったのであります。


九州Mさんの1について。
日本は明治以降、形だけだとか色々言われますが立憲君主制で、二院制の議会制民主主義国です。
今の憲法を発布する前は、選挙権は男にしかなかった位なので国民投票という手段自体、新憲法発布後に日本人は手にしました。遡及してそれを覆すのは矛盾しているのでは、と思います。

今回の記事を読んで、憲法を変えてはいけない理由は何処にも無いなぁ、と実感しました。

 「ありんくりん」と皆さんのご意見にほとんど同意見です。トランプ氏が大統領にになると、日本人は真面目に国のことを考えるようになると言われておりますが、私もほんとそれを望んでおります。嬉しいことです。

 クリントンさんでなくて良かった。民主党政権が継続しておれば大きな変化はなにも起こらなかったと思うのですね。将来に描く夢が私は持てなかったはずです。

 自立した日本国、誇りある日本の歴史を回復したいというのがueyonabaruの願いなのです。これが、前進するか、どうか、不安と期待があります。

 さらに、ロシアとの日本の友好関係の樹立、そしてアメリカとは固い絆を結び、日本との3国関係を強化して世界政治の安定化が図れたら素晴らしいことです。

 トランプ氏がプ-チン氏と気が合うのかどうかが気になるところですが、もしもクリントン氏が大統領であったなら、ロシアとの協調はかなわなかったずですね。今までどおりでしょう。ホントに新しいトランプという変数がありそうなので、期待感は増します。


 今回、過去記事とコメントも読ませていただきました。随分量の内容がありますね。ふと、月刊誌の記事に相当するものだと思いましたよ。勉強になります。

 現状http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-1c47.html
歴史的経緯http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-7775.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-dd6e.html

 

 

わざわざ記事にして頂いてありがとうございました。
大変勉強になりました。

ueyonabaruさんが言うように、過去記事が月刊誌に相当するほどの随分量の内容があり、皆さん同様、そこでしっかり勉強してまいりました。
なので、私としては本日の記事についてのコメントするべきは感じませんでした。


そこで、九州Mさんの疑問について、

1、「押し付け憲法無効論」に近い疑義のように感じますが、
現在に至って、現行憲法成立過程の事情が多くの史料等でとみに明らかになって来つつあります。
それら史料によれば、憲法制定に関し米軍占領期間中に我が国に対して成した「干渉」は明らかに「違法」です。
しかし、現行憲法には(若干ハードルが高いとはいえ、)「改憲条項」が存在します。
つまり、違法状態を回復・救済される道もあるのにもかかわらず、我々はこれを行って来なかったのです。
かかる我々の「不作為」は法理上、現行憲法を「違法に制定されたから現在も不当であり、無効」という事は出来ない、と言えます。

2、立憲主義の原理によって「憲法とは、さながら政府を縛るためにある」と言うのは間違い(少なくとも言い過ぎ)で、国家と国民を対立概念と既定した「戦後リベラリズムに堕した」憲法学者たちが振りまく「俗説」に過ぎません。
憲法には国家の守るべき方針のほか、行政全般の構成や、なにより「国民の義務」も明記されております事からもそれは明らかです。

3、おっしゃる通りと思います。
どう読んでも、9条は「非武装中立」か極端に言えば「無抵抗主義」にしか読めません。

私は、憲法から9条全部を削除して、別に「安全保障法」みたいな法を作るのが良いのではないか、と考えます。
なぜなら、安全保障の必要性の多寡は可変性が高い案件であり、我が国のような硬性憲法下での対応は常に現状とマッチしないのではないか、と考えるからです。
具体的には、中共や南北朝鮮が無くなるとか、民主化すれば、「非武装中立」もまた結構な話だと思うのです。
逆に今のように、日本に対して剥き出しの憎悪を隠そうとしない三国の状況下では、軍備の強化を図る事がしやすいように、フレキシブルに政策の弾力性も持たせるべきです。
それには一旦、憲法から安全保障条項をはずずべきではないか、と思います。

そういえば、ふゆみさんが以前言っておられましたが、成文としての憲法を無くしてしまうのも妙案だと考えます。

 国家の防衛というのは、自然法で認められるものですから当たり前であり、山路さんがおっしゃるように、別に軍隊を律する法律を作っていいのではないでしょうか。国防軍を置くという規定(自衛隊から国軍に改めるので)は憲法に規定することは必要でしょうが、具体的な軍、軍人を規定するのは法律に委ねてもイイでしょう。フレキシブルに政策の弾力性を持たせるべきです。アメリカの憲法、法律ではどうなっているのでしょうか。

 国防というのは、常識の問題ですから、本来そんなに問題にはならない筈ですが、今の憲法下の平和主義は、憲法前文の言葉からして、おかしなものになっております。9条は理解不能です。平和主義とは、国防をシッカリして、国際紛争を軍事力で決着しようとしない主義というぐらいの規定でイイと思います。

私の意見は山路さんとほぼ同じです。

今日の日曜雑感にも書きましたが、無効にすることは事実上不可能です。
倉山満氏などが言っていますが空論です。
やる気なら、日米同盟解体、自主防衛まで視野に入れて議論することです。

第9条は国家が、非常事態になったら国は国民を守らない、勝手に生き延びろと宣言している世にも珍しいものです。憲法の基本的人権、幸福追及権に違反していますから違憲です(苦笑)。

しかし、これを仕切り直すことは至難の業です。
やり方は山路さんのいうことにうなずきかかっています。
そもそも変動し続ける国際関係に規定される安全保障を憲法に書き込むべきではありません。
書くとすれば、強いて言えば国防軍とその指揮権ていどでしょうか。

そもそも、あれもこれも書きすぎなのです。

ほんとうは全部書きなおしたいのですが、それをやった百年たっても終わらない、うちの国は。

スイスは国民皆兵の国なので、日本とはまた違う安全保障を持つ国でしょうね。
一家に一本自動小銃、なんて国アメリカ以外にあまり知りませんし。
日本とスイスの防衛の違いは、海があるかないか、という点も大きいでしょうね。
スイスは、湖に水軍はありますが基本陸と空を防衛するのみなので、日本とは防衛構想もまるで違う国といえるでしょう。
日本は、排他的経済水域が世界第6位の広さを持つ国で、防衛範囲がスイスとは桁違いに広いです。
ですので、スイスと同じレベルの防衛予算であるといっても、あの広大な海を自国で守るためには予算的には圧倒的に足りない気がします。

スイスは有事の際は国民が全て総力戦で防衛に当たる国で、一般道路にトーチカがあったり、いざとなれば国境に近い橋やトンネルを取り壊しして封鎖、焦土作戦も辞さない国で、2006年くらいまでは、一般家庭にシェルター設置が義務付けられていたり、日本人とは段違いに国防意識が高い国民といえます。

日本はそういう国ではありませんし、国防のありかたも全く違いますので、スイスとは一概に比べられないでしょうね。日本に常時トーチカがあるのは阿蘇山くらいなものです。

日本の安全保障で日米同盟が重要な理由のひとつに「日米が敵対する可能性が限りなく0%に近い」という事だと思います。

集団的自衛権とは戦争を回避するためのものでもあると思います。
同盟国同士は戦争しませんし、集団的自衛権でまとまった国同士も基本的に戦争はしませんので、同盟を結ぶ国が多くなれば、それだけ戦争を回避できる可能性が増える、という事でもあると思います。
それを否定して、日本の護憲派や共産党、左派の言うように「全て個別的自衛権でまかなえばよい」というのは、同盟=集団的自衛権という基本的なことを考えると、前述したスイスのような国になれといっているようなものじゃないでしょうか。
それにそれ以前に「米国と再び戦う可能性がない」というメリットを蹴飛ばしてまで日米同盟を否定するメリットは日本側には見出せないと思います。

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