• S-061
  • Jpcna_cna_20200710_202007100002_1
  • K10013756551_2208060832_0806083529_01_02
  • 20220802oyt1i500081
  • Maxresdefault_20220809155501
  • Img_88be9f493b6d8a95a9b73d82ff397f7c3814
  • F89874ae
  • 1810-024
  • 2022080500050079yom0003view
  • Map_sakishima

« 日曜雑感 日本は「暫定憲法」を主張すべきだった | トップページ | 井上達夫氏の『憲法の涙』を読む »

2016年11月21日 (月)

戦後憲法とハーグ陸戦条約とポツダム宣言

013
鬼一さんのコメントにお答えする形で考えていきます。 

前半はコメント欄に書いたので、その続きとなります。

鬼一さんは、私がベアテ・ゴードン氏を「目の敵にしている。24人も同罪だろう」と書いておられます。
 

そのとおりです。残り23名ももちろん同罪です。 

ただ、彼らG2(民政局)の文官が戦後、米国社会に戻って世俗の人となったのに対して、ゴードンさんは自伝を著し、一躍日本の護憲派メディアのアイコンとなったから取り上げたのです。 

私が問題としているのは、ゴードン氏個人ではなく、こういう取り上げ方をする日本メディアの側の問題です。 

彼らはこう言いたいわけです。 

「押しつけられただって。とんでもない。米国は愛情を込めて憲法を作ってくれたんだ。これは米国民主主義者からのプレゼントだ」。 Photo実際ゴードン氏の映画(※)では、自分が書くことに関わった戦後憲法を、そのものズバリ「ベアテからのギフト(贈り物)」という表現を使っています。※著作のように書いてしまいましたが映画です。 

当人が善意をいささかも疑っていないのが、痛々しいというかなんつーのか。

私はそのような遅れた非文明人に文明を授けてやる的発想そのものが、白人教宣教師のようで、たまらなく不愉快です
※「土人」発言の一行は誤解を招くので、削除しました。

かつてイラクを占領した時、ブッシュは、「民主化はうまくいく。日本でもうまくいったのだから」と言いました。 

多くの日本人は失笑したと思います。日本には戦前から議会制民主主義が存在し、政党政治をしていた長い歴史があるからです。 

米国人の日本の歴史に対する無知と傲慢は、時々底知れないと思います。 

メディアは米国から強要されてできたという戦後憲法の出生の秘密を隠しきれなくなったために、新たな神話が欲しかっただけのことです。 

つまり、「確かに米国が作ったのかもしれないが、米国人は進んだ人権思想を抱いて憲法を書いてくれた。素晴らしい平和憲法をプレゼントしてくれた米国、ありがとう!」といったかんじでしょうか。

いつもは反米的な論調の護憲メディアが、こと憲法問題になると、いきなりウルトラ米国好きに変身してしまうのが微笑ましいですね。 

要するに、論点ずらしですね。 

問題は完全に米国が99.99%書いて、日本側は9条2項の「前項の目的を達するため」の11文字を挿入しただけ、という本質をはぐらかしたかったのです。 

鬼一さんはゴードン氏が書いたとされる第24条が、よくできているとおっしゃいます。そのとおりです。 

問題はむしろこのような第24条を与えることで、日本社会の仕組みそのものが変化したかどうかです。

また、ゴードン氏はそこまで深く、日本社会の旧弊な仕組みのあり方や成り立ちを知っていたかです。 

そうは思えません。彼女はアメリカン・リベラルの理念を書いている以上以下でもないと思います。 

当時のGHQ民政局には、多くの米国左翼人士が在籍していたと言われています。 

彼らは米国でできなかったうすら赤い夢を、強大な軍事力を背景にして、日本で実験したかったのです。

黒人参政権すらなかった当時の米国が、他国の民主主義ウンヌンを言う資格などありません。 

日本側は、このような社会変革を伴う条項については、自らの国の内部から議論するから、「暫時、待て」と主張すべきでした。 

「いいことだから」では済まないのです。 

ゴードン氏が所属するGHQ、即ち占領軍司令部がすることでは断じてありません。 

Makasa
さて、戦後憲法は国際法に反していないという護憲派法律学者の意見を紹介しておきます。http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51802524.html

この方によれば、GHQが「押しつけた」などというのは、素人の妄想のようなもので、法律学専門家は相手にもしていないそうです。

その理由は

「この「ハーグ陸戦条約」は、その名称からもわかるように、戦時国際法です。
ですから、この条約の適用があるのは戦争(交戦)中の場合ですし、同条約第43条の適用があるのは戦争(交戦)中の占領者です。
それゆえ、交戦後(休戦中)の占領には適用がありません。
日本国憲法が”制定”されたのは、日本が不条件降伏した後ですから、そもそも「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」=ハーグ陸戦条約の適用はないのです。

問題となっているハーグ陸戦条約を押さえておきましょう。

「ハーグ陸戦条約第四三條 
國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ」

まず国際法ですが、これはあくまで慣習法で、どこかに「国際法」と書いた大典があるわけではありません。

各種の条約・宣言など、その時代の通念を文字化したものです。

ですから、国際法は強制法ではなく、文明として確立してきた慣習法のために、破ろうがどうしようが、非文明国というレッテルさえ恐れなければ、破っても罰せられるわけではありません。

ですから、条約に調印して初めて守る義務が生じるのではありません。

つい先日、中国は国際海洋法に基づく国際司法裁判所の判決を、「紙くず」だと言ってのけました。

かの国が条約に調印しようとしまいと、「紙くずだ」と言ってしまっては、自分が非文明国だと自白していることになります。

同じく米国副大統領のバイデン氏が「日本国憲法は米国が作った」というのも一緒で、「オレの国はもう国際法なんか紙くずだと思っている野蛮国だ」と言っているに等しいわけです。

では上記の法律家のように、「戦後憲法は戦争が終わった後に作られたから、陸戦条約の範疇外だ」という意見はどう考えたらいいのでしょうか。

ハーグ陸戦条約は、「国権が占領者の手に移って、占領者が絶対的な権力を掌握して、支障がない限り占領地の現行法律を尊重しろ」と書いてあります。

これも慣習法です。この法律家は「ハーグ陸戦条約は戦争中のことで、終わったら適用されない」と書いていますが、ほんとうでしょうか。

違うと思います。

戦後憲法が作られた1945年から1946年にかけての日本はまさにハーグ゙陸戦条約が想定しているとおりの軍事占領下にありました。

日本政府が形だけであり、軍隊も解体され、GHQの「絶対的な権力」によって軍事占領下に置かれ、「国権を奪われて」しまった状態でした。

どうやらこの人はハーグ陸戦条約が、戦争中のルールだけを規定していると思っているようですが、条文を素直に読めば、第43条は一国の他国に対する軍事占領についてやってはならないことが書いてあると分かるはずです。

百歩譲ってこの人が説くようにハーグ陸戦条約は、「戦争中」だけが適用範囲だととしましょう。

ならば、わが国の最高法を書き換えた米国の根拠法はなんでしょうか。

この人は、日本が「不条件降伏」したと書いています。不条件降伏?有条件でも無条件でもなく「不」条件。愚鈍な素人にはまったく意味がわかりません。

近似した無条件降伏で考えてみましょう。日本は無条件降伏などしていません。

あくまでもポツダム宣言を受諾しただけの、有条件降伏です。

「無条件降伏」したのは、ポツダム宣言第13条の日本軍に対してだけです。

第13条を見れば、無条件降伏が日本軍だけを対象としているとわかるはずです。

「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める」

 ですから、日本政府は第13条に忠実に従い、日本軍は進駐軍に1発の銃弾も撃たず、ゲリラ闘争も行わなかったのです。

第5条以下には、連合国側の要求として、「軍国主義の追放」「領土占領」「日本領土は本州、北海道、九州、四国と諸小島」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義復活」「平和的政府の樹立」などが列挙されています。

もちろん「憲法の改変」などは、影も形もありません。

こんなことは受諾条件に一切なかったとして、GHQから憲法改定を言い渡された当時の日本政府は、頑として突っぱねたのです。

またハーグ陸戦条約が言うように、占領に支障があったのかどうかですが、旧憲法が彼らの占領に差し障りになったとは到底思えません。

Photo_2
天皇や政府は占領に抵抗することなく、平和的にものごとを進めたいと思っていましたし、軍事抵抗する余力などひとかけらも残されていませんでした。

したがって、マッカーサーのしたことはただの軍事占領の障害を排除したのではなく、「国権を奪った後の軍事占領下における国家改造」なのです。

この人の意見では、なぜ当時のGHQが、あくまで戦後憲法は「日本国政府に対して9条が米国政府の意志のように提示し、米国政府には幣原政府の意志であるかのように言い募った」(セオドア・マクネリー)ことの理由が分からなくなってしまいます。

マッカーサーが二枚舌を使ったのは、軍事占領下の相手国の憲法を書き換える、いや全文自分で書いて「プレゼント」することが、何の法的根拠がなく、国際法違反に当たることを自ら理解していたからにほかなりません。

現地占領軍司令官が自分で書いてしまっては、米国政府・議会から非難を受けると思ったから、徹底的に秘匿したのです。

違反していなければ、日本政府が独自に実施したというカバーは不要だったはずです。

米国が秘匿したいのは理解できますが、日本側がその弁護をする必要などまったくありません。

このような護憲派の人たちは、当時日本は「無条件降伏」していたのだから、米国に何をやられても文句は言えなかったというような発想をしているようです。

まぁ共産党は当時から、米軍を「解放軍」と呼んで大歓迎していましたから、一貫しているとは思いますが。

« 日曜雑感 日本は「暫定憲法」を主張すべきだった | トップページ | 井上達夫氏の『憲法の涙』を読む »

コメント

よく、「確かに押し付けられたものである事は否めないが、内容は優れて良く出来ているのだからいいじゃないか」、「明治憲法に比して人権の面で格段の進歩が見られ、今では定着しているものを、そう忌避すべきとは思えない」という意見を度々聞きますし、そうした気分が国民のほぼ大勢なのだと思うのです。
しかし、それはどうも違うのではないか。
はっきり言って、もうここに既に「欺瞞の根」が内包されているのではないかと考えます。

なぜなら、現行憲法の「キモ」は、多くの方々や憲法学者でさえ勘違いなさるが、前文や「平和条項」、「女性の権利」にあるのではないのです。
なんと言っても、「天皇主権」から「国民主権」に移行した部分にこそ、現行憲法の「基い」がある。

その点、日本人の「国民主権」は自分の手で勝ち得たものではかったし、第一それまでも欧米のように激しく自由を迫害された経験もないので、「国民主権」の示すところの意義の理解が当時から(今も)薄かった。
「日本国の民主化」というものの実質がもしあったとすれば、まず「国民主権」の重要な必要性があり、その総意の成果・延長線上として「平和主義」や「女性の人権の改善」が無ければならなかった。
(そもそも最も重要なその問題点・矛盾を無理矢理こじつけて理論化したのが、「八月革命論」でした)

であるから、この問題はやはりブログ主様が言うように「現行憲法の出自」に立ち戻らざるを得ないでしょう。
もともと新憲法の核心が「国民主権」であるところ、そもそも「国民主権」に基づかない方法で、あまつさえ国民の代議員ですらも手が届かない違法状態で決定された現行憲法。
その出自にこそ「正当性があるかどうか」という以前において、我々国民に正しく新憲法の真髄の理解を妨げる要因があるのではないでしょうか。

また、別問題として、
しからばその「真髄」とは何か?
それは、いわゆる「西洋風の自由」に過ぎないのではないか、という疑念もあったりするのです。
日本人の伝統と慣習に根ざした(従来の我々にとっての)本当の自由を、自ら規定出来なかったうらみは、私たちにしばしば何となく「法」と「常識」間の違和を感じさせる要因でもあると考えます。
さらなる問題は現行憲法が輸入を起源とするだけに、「今だに日本人の感性にマッチ」しない部分が多すぎると常々考えております。

終戦後放置すりゃ良かったんだよ、左翼とか右翼とか喚かなくてすむからな。

憲法に関する議論、報道等に接していつも「所詮人為的に作られた決まり事に過ぎないだろう」と感じます。
私は理工系単科大学出身の技術者、勤務先もメーカー技術畑、要は人文系の素人でしたが、業務に特許知識が必要になり数年前に特許法等関連の資格取得、理系目線での法律勉強はカルチャーショックでした。
特許法は時代の変化に合わせ毎年の様に法改正、他の法律も同様ですが重力加速度(g)、円周率(π)、熱力学の法則、三平方の定理等「改正」なる概念が無い理系の学問とは別次元です。

あくまで私見ですが、足腰悪い人の為重力加速度下げるなど出来ない自然法則と違い憲法、法律、政令、省令、条例はみな社会を維持する為の人為的な取り決め、次代や社会構造の変化に合わせ変わるのが当たり前?国(パソコン)、憲法(OS)、法律や条例等(各種ソフト)って感じで、今の日本は大昔のOSをバージョンアップ無く使い、各種ソフトをかなり無理に動かしてる様に見えます。

勿論不必要な改正は不要ですが、護憲派は(全てでは無いと思いますが)大袈裟に書くと憲法をあたかも「宇宙の根本原理」みたいに捉え、憲法に触れる事すら畏れ多く、憲法を変えるのは神に叛く行為みたいな方が居て、理系目線の法律解釈からは白けてしまいます。
個人的には特許法も憲法も法律(自然法則で無い)から成立課程などどうでも良い、必要なら改正しろって思います。

尚、憲法の成立課程や有効性を真面目に考えている方には不愉快と思われる文章を含んでおり、この点お詫びします。

 今日の記事も最高ですね。わたしは「ありんくりん」さんをほめ殺ししたくて称賛しているのではありません。文章に説得性があるからなのです。そして、事実を裏付ける記事も提示してくれます。月間誌の記事より優れたものが多いですよ。

 また、コメントされる方々のご意見にも参考になるのが多いというのがこのブログの特長です。このブログに雑音のように悪口を言ってくる方々もおりますが、これには腹は立つのですが、言い返してやってこちらもゲームで遊んでいるような気持ちでおります。

 本題にも戻りますが、これに、一言だけ。

 先の大戦で我が国は負けましたが、これは文明の衝突のようなもので、その経験は、我々がアメリカ、西洋の文明を根底から受け入れたことになりやしないか。受け入れるというのは、理解したという意味です。日本文明の特長は、すべて受け入れるということのようですから、受け入れて、これから新しい文明を編み出さねばならないですね。ポール リシャルの「曙の子らへ」を思い出します。日本の八紘一宇の理想はいまだ死せず です。

記事でコメントの返信して頂きありがとうございます。

「The gift from beate」はベアテ氏が草案で関わった人権条項を自身で評しての言葉ではなく2005年に「ベアテの贈りもの」という題で公開された日本のドキュメンタリー映画の英語タイトルです。
ベアテ氏は幼少の頃から日本で10年暮らした経験を持ち、家政婦の日本人女性から見聞きしたことが日本における女性の地位について関心を持つことのきっかけになったそうです。
以上のことから彼女が全く日本の社会状況について無知だったとは言えないと思います。
それに、彼女の行いを「土人発言」と同一視するのはどうでしょうか?

ただし、内容の善し悪しは別として日本国憲法は全くの欺瞞の上に成り立っています。
国民から秘匿された密室で生まれたくせに、前文では主語を「日本国民」として民定憲法のふりをしているのですから。

自民党の改憲案は全くのナンセンスだと私は思いますが、新しく本物の「民定憲法」を作るべき必要はあると考えます。

前文と9条に象徴されるのは、、日本国憲法には国民と国土を守る方法が書いていない。唯一あるのは『諸国民』の公正と信義に信頼して、「安全と生存」を保持するという事実だ。ここで『諸国民』とは一体誰なんだ?という疑問がある。実体は『アメリカ様』だが、護憲派はそうは言わない。諸外国の国民というなら、飢えて苦しむ北朝鮮の人民や、PM2.5に苦しむ北京市民をはじめ、自国の大統領をリンチで縛り首にしそうな韓国国民、空爆とテロリストにおびえるイラクやシリアの国民、その他日本の領土を占領して返さないロシアや、独裁者に苦しめられている国の国民が、日本の安全や生存のために何をしてくれるのであろうか。うすら寒くなるが、これが日本国憲法。
日本国憲法を愛する人は、国土も国民も守らなくていい。憲法さえあればこの世は極楽浄土だとでもいうんでしょうね。

あと、共産党が護憲を言い出したのは比較的最近です。もともとは『天皇制』否定だから憲法1条から8条までは否定してたし、9条もどうやって日本を守るんだと批判していた。最近ぶれないと自画自賛しているが、大いにぶれている。最近は国会の開会で今上陛下隣席の開会式にも出るようになった。国民の皇室への尊敬が否定できなくなったからだ。変わらないのは破防法に基づく監視対象と革命願望でしょう。

ednakano さんのご意見、まったく賛成だ。

鬼一さん。著作のように読めるので、「映画である」ことを追記しました。

う~ん噛み合いませんね。私、申し訳ないがゴードンさん個人にはあまり関心がないのですよ。
日本に住んでいたことも、身近な日本人女性から女性の置かれた差別的実態を聞いてきたということも知っています。

このような国内の構造は一年、二年でできたわけではなく、また、誰かが人工的に命じて作ったわけでもありません。
それは日本という古い国で自然に出来上がったものです。
それを外国人が、たかだか10年ほど住んだていどの体験で変えられると思い、なおかつそれを日本人への「ギフト」だと言ってしまえる精神の傾きに疑問を感じるのです。

外圧で変えようとということ自体がナンセンスだと私は言っています。
国内の誤った構造を正す主体は、あくまでも日本人です。
外国人がするべきではありません。それは「革命の輸出」思想です。

それとなにより、記事で強調したのは彼女個人ではなく、あくまでも彼女を持ち上げた日本の護憲メディアのあり方です。

「土人」発言は確かに言い過ぎだと思い直して、この一行は削除しました。
書いたのは、「文明人」が「遅れた未開人」を見るような共通の匂いをかんじたからです。
このテーマはこれでブレークにしましょう。

後の部分に関してはほぼ同感です。私も自民党案はまったくダメだと感じています。
私はあえて言えば、9条全文削除、あるいは9条2項削除派です。

ueyonabaruさん、勘弁してくださいよ。照れくさいですよ。

ゴードンさん自身がギフトとして日本に与えたんではない、1人人間を摘み出して祭り上げたのも日本のありがたや左翼であってゴードンさん自身が私のアイデアよーとか前に躍り出て来なかったんですよね。だったらそれで十分です。
10年暮らすのは案外長いと個人的に思います。真髄を理解するのは到底無理ですが、生まれ育った日本人ですら危うい状態の者が沢山居るんですから。
私は今日のコメントの中ではSiさんのご意見に最も近いです。
変え方が条文の中に書いてあって、有効でないものをより出して手続きする事に対して、成立経緯の70年前のしくじりをどうすれば何を納得するのか、上から目線かどうかとか押し付けだったからだとか、知識として読み聞きしましたがそこに引っかかりが私はないです。おそらく私の周囲の誰にもないです。だから改憲OKのアンケート結果が出てもショックというより納得なのです。
親の代の恨み言は越えて冷静に後代に使える法にして回したいだけです。

Siさんやふゆみさんの意見に賛同します。
憲法を改正することに、何ら反対する理由など、どこをどうこじつけても存在しないと思います。その時その時代に即したものであるべきだと思います。
日本人て、全ての人がそうだと言うわけではないですが、金科玉条って好きですのね。絶対にして犯すべからずってやつ。自分としては、ナンセンスの極みだと思います。もっと精神的意味合いの強い聖書なんかの宗教法典は結構自由に解釈して、色んな宗派が発生してるのに、こと日本国憲法だけは絶対不可侵ですからね。

 Si |さんやふゆみさんのお考え、賛成ではあるのですよ。別に反論はありません。その上に、歴史というものが加われば、なお良いのだとは思いますね。科学的な理系の方の発想、外国を知っている方の発想は貴重です。 

なんか書き方が非難じみて読めそうなので追記しますね(^^;)
私とは違って引っかかる人はもちろん相当な数居て、だからこそ揉めている双方に権威も存在するし今日の記事もあるのだということは理解しています。
揉め続ける時間が長くなる程未来をどん底に突き落とす日へのカウントダウンをめくってるのだと覚悟しているのか、共産党は確信犯ですから論外として、保守は本気で色気のない質実剛健な改憲案を出して、多数の合意を得るべきだと考えます。

ふゆみさん。私のゴードンさんについて書いたことへの批判に読めますので、お答えしておきます。

私が書いているのはあくまでも、日本の国内マターを外国が介入するのはおかしいということに尽きます。
主語は「外国が」です。「ゴードンさんが」ではありません。

「10年は充分長い」と言っていますが、50年住もうが同じです。

なぜなら、山路さんがいみじくもお書きになっているように、憲法とはとりもなおさず「国民主権」の問題だからです。
国民主権の発露たる憲法を、国民以外の外国勢力が執筆し、武力を背景にして強制したことを、日本側が褒めたたえるという倒錯はしっかりと批判せねばなりません。

あれはサヨクが祭り上げたから、という軽いことではないのです。
もっと本質的な国民主権との関わりで捉えるべきです。

この欺瞞が現行憲法の基盤にあるかぎり、現行憲法は反国民主権の立場で執筆されたのです。

その典型的な条文が9条です。
外敵から国民を守らないという宣言をするということは、国民主権もまた守らないということと同義です。
国民主権に背いて書かれたために、国民もまた守らないといけしゃーしゃーと書けるのです。

私はSiさんのご意見にほぼ同意できますが、あえて成立過程を取り上げているのは、どうして現行憲法が歪んでしまっているのか、「国民主権」がないがしろにされてしまったのかを、歴史的に明確にしたいからです。

管理人さん、ちがいますよ、私は鬼一さんへ向けて管理人さんはゴードンさんの名前を出してるけど彼女が、とは言ってないと書いたつもりです。
だからこれ以上ゴードンさんの弁護をする必要が鬼一さんにもない、という意味です。

読者の皆様が書かれているように、日本国憲法の最大の問題点は、国を国民を守る方法が無い。多くの国民が感じていることだと思います。
国会で、有事の際外国に住む日本人を乗せた米軍の船が攻撃を受けたとき、米軍と一緒に反撃できるかどうか議論していましたが、はっきり言ってそんな議論の前になぜ自衛隊が救出に行ける憲法にしないのかと思いますね。
実際に日本にミサイルを撃ち込んでくる国があるかも知れません。その時どのように対処するか。そんなことすら議論できない国はおかしいと思います。
現実に今ある問題に対し、現行憲法で対処できるのか、できないならどうするか。真剣に考える時に来ていますね。憲法の歴史論とは異なりますが、現実的に問題があるなら改正すべきです。

吉田首相の、敗戦後すぐ朝鮮戦争出兵じゃヘロヘロ日本は
本当に死んじまうよ、米国が押し付けてきた戦争放棄憲法
を理由に参戦を拒否しよう、アイツ等の自己矛盾は明らか
だから文句は言えまいと、経済復興に全力を尽くす政策は
大当たり!! 朝鮮特需で日本は復興の足掛かりをつかみ、
景気の波はあったものの世界の奇跡と言われた高度成長を
してしまう。国民が憲法に対して文句を言うハズはない。

ラッキーなだけだったのかも知れないと、現在コメント人
を含む約半数の日本人が反省しはじめた。朝鮮戦争だって、
釜山あたりまで攻め込まれたものの38度線まで押し返した
のはツイている。九州が共産国との戦場にならなかったの
は時の運だ。その後も核兵器による抑止力が働いて日本は
軍備に浪費することなく両陣営の間で儲けた。これも時の
運、通常兵器ならあちらこちらで熱い戦争が勃発していた
のは、第二次世界大戦以前の歴史を見れば解る。

米国が経済的実利を求めて共産圏や元共産圏ともディール
を始めたら?米国が「他の国のことは知らん、自己責任
だろうが!」と昔の主義に戻ったら?そんな時、核兵器を
持った国が日本を攻撃してきたら?大昔の国富論の中でも
アダムスミスさんは、自衛のできない国は亡んじゃうよー
なんて言ってる。

古い言い回しだけど・・ 何時変えるの? 今でしょ!

ブログ主様のこの一両日の記事を読んで、(例えば、保守論壇で良く見かける言説と同様のこだわり方をしているのではないか、というような)誤解をされた方もいるみたいだし、少なくもその真意が十二分に伝わらなかったように感じてしまいました。

私は、ブログ主様がここで主張している事はむしろ「保守」ということではなく、正しく「すべての人間の人権を尊重し」その実現のための正義を考える「リベラル」の姿そのものなんだろう、と思って読んだのです。

だからこそ、ゴードン氏の無邪気なハシャギようが(私には)許せない。
他の方々のように頭をかいて、「いや~、とっくにあんな物は改正されてたと思っていたよ」とでも、白々しくでも言うならともかくも、我々の「固有」で、最も大切な「権利」を傷つけ、奪っておいてテンとして恥じず、それで一生リベラル側の人間として一生を過ごしたというのです。
結果の功罪の問題ではありません。
彼女の「人間観」はリベラルからかけ離れた、実に気味の悪い何かです。

ふゆみさん。失礼。鬼一さん宛てだったのですね。

南ベトナムは何故滅んだのでしょうか?

国内がぐちゃぐちゃで、助けてくれているアメリカに明確に感謝の姿勢を示さなかったからでは?

アメリカ側も自国の若者とお金つかって南ベトナム助けているのに、文句ばかり言われる。

もうやだーってなって手を離した。そして北ベトナムに侵略される。

米国が、内向きになると、支えられていた国は滅びる。

日本も同じ。米国が内向きにならない前提でつくられた憲法は、まさに今時代の曲がり角に来ているわけです。

神様がくれたわけじゃない。国民が決めたわけでもない。それを後生大事に崇めるのは、日本に滅びを求める人たちだけだと思うのです。

真に民主主義だったら自分達の国を自分達で守ろうとするでしょう。全部外国に頼る国って、民主国家なのでしょうか?

いろいろ考えさせられるエントリーです。

護憲派憲法学者 上脇さんの上記引用のブログを読んで:
(1) Wikipediaでは引用文献と共に「ハーグ陸戦規則第三款(42~56条、例えば43条の占領地の法律の尊重)は、人道の原理に基づいているがゆえに、交戦状態においてのみならず、全般的休戦から平和条約の締結までの間においても適用されると解される」とあります.それに加えて,講和条約締結までは「法的には」戦争状態と解釈されるとすれば,陸戦規則違反であったでしょう.

(2)  陸戦規則云々以外でも,国際法の人道原理から見ても,占領下で占領軍強制の憲法制定はこれに違反しているでしょう.

(3)  戦闘状態でも占領軍の占領地遵法義務を陸戦規則が求めているのに,護憲派憲法学者は,戦闘状態ではない時期に占領軍が主権をおかすという人道に反する横暴が出来得るとしているのが不可解です.混乱が無い時に国民主権を侵す理由がないでしょう.その無理筋の正当化の為に,不条件降伏という言葉を用いているように思いました.

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 日曜雑感 日本は「暫定憲法」を主張すべきだった | トップページ | 井上達夫氏の『憲法の涙』を読む »