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2016年12月30日 (金)

安部・オバマ真珠湾演説全文

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かつて私はこう書きました。

政治家の演説とは、人が人に語りかける始源的な力によって、政治的意図を伝えることです。」

今回の真珠湾演説もまた、外交とは「語りかける力」だということをわからせてくれました。

演説とは言葉の修辞を使った政治的行為です。

今回の真珠湾訪問は、政治的には、いうまでもなく日米同盟がいかに堅牢であるかを世界に、特に中露に知らしめるためにおこなったものです。

それを示す必要は、今の東アジア情勢で絶対に必要でした。

そしてこの日米同盟が「和解の精神」から発しているとすることで、未だ「謝罪」を要求することを外交カードに使う中国に釘を刺したのです。

しかし、優れた演説はそのような戦略的意図を覆い隠して、聞く者の心に直接訴えかけ深い感動を呼び覚まします。

安部・オバマ両首脳による真珠湾演説全文を、分析なしで掲載いたします。 

安部首相の演説は、議会演説を下敷きにして、さらに文学性とでも言える芳香を持つに至っています。 

官僚の書いた無味乾燥な作文を棒読みするか、”トラスト・ミー”のような幼児語しかしゃべれない日本の政治家の中で、彼の存在は特異です。

議会演説とロジックと修辞の構造は一緒ですので、その折の分析がそのまま使用できます。
関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-b930.html

一方オバマ氏の演説もまた詩的であり、彼の任期中行われた演説でも白眉ではないでしょうか。 

私は外国首脳の演説で、涙ぐんでしまった経験は初めてです。 

この圧倒的な「語りかける力」の前に、どこぞの国が「謝罪が入っていない」と叫ぶのは、卑小を通り越して滑稽ですらあります。

細かい分析は後回しにして、まずは太平洋を挟んだ演説の名手たちの声に耳を傾けて下さい。 

このふたりの演説の精神は、このオバマ演説の次の一句に象徴されるでしょう。 

「(戦艦ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長は)慰霊のらっぱを吹いて、記念碑に毎月2本のバラを手向けるように頼んだ。1本は米国の犠牲者、もう1本は日本の犠牲者のために。」

                     ~~~~~~~~

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■安部首相真珠湾演説 「和解の力」演説全文

 オバマ大統領、ハリス(米太平洋軍)司令官、ご列席の皆さま、そして、全ての、米国民の皆さま。パールハーバー、真珠湾に、今私は、日本国総理大臣として立っています。
 耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、柔らかな光に照らされた、青い、静かな入り江。私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

 そこは、私に、沈黙を促す場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いた時、紅蓮の炎の中で、死んでいった。

 75年がたった今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
 あの日、日曜の朝の、明るくくつろいだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。

 一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実をかみしめる時、私は、言葉を失います。
 そのみ霊よ、安らかなれ-。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。

 オバマ大統領、米国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を造り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、米国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

 昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

 彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。碑には、祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、「日本帝国海軍大尉(だいい)」と当時の階級を刻んであります。
 The brave respect the brave.
 「勇者は、勇者を敬う」。

 アンブローズ・ビアスの、詩は言います。戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。そこにあるのは、米国民の、寛容の心です。

 戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、米国民でありました。皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。
 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。

敵として熾烈(しれつ)に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

 オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
 「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
 「永続する平和を、われわれ全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる」。
 エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。

 あの「パールハーバー」から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。それは、今までにも増して、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。あすを開く、「希望の同盟」です。
 私たちを結び付けたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。

 私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領と共に、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この、和解の力です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。

 寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。日本と米国の同盟は、だからこそ、「希望の同盟」なのです。

 私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。

 私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さん米国人の子どもたちが、またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。

そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。

                          ~~~~~

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■オバマ大統領 真珠湾スピーチ全文
英文:共同 / 和訳:日本経済新聞社

Prime Minister Abe, on behalf of the American people, thank you for your gracious words. Thank you for your presence here today -- an historic gesture that speaks to the power of reconciliation and the alliance between the American and Japanese peoples; a reminder that even the deepest wounds of war can give way to friendship and lasting peace.

安倍首相、米国民を代表して大変すばらしい言葉に感謝する。今日、この地への訪問は、日米の人々の和解と結束の力を示す歴史的な行動であり、戦争の最も深い傷でさえ、友情と恒久平和に変えることができると気付かせてくれる。

Distinguished guests, members of our armed forces -- and most of all, survivors of Pearl Harbor and their loved ones -- aloha. To Americans -- especially to those of us who call Hawaii home -- this harbor is a sacred place. As we lay a wreath or toss flowers into waters that still weep, we think of the more than 2,400 American patriots -- fathers and husbands, wives and daughters -- manning Heaven’srails for all eternity.

出席者、軍人、真珠湾の戦いの生存者、家族の皆さん、アロハ。米国の人々、特にハワイをふるさとと呼ぶわれわれにとって、この湾は聖なる場所だ。われわれがここに花をささげ、今も涙を流す海に花束を投げ入れる時、天国へ行った2400人を超える米国の愛国者たち、父であり夫であり、妻や娘であった人たちに思いをはせる。

We salute the defenders of Oahu who pull themselves a little straighter every December 7th, and we reflect on the heroism that shone here 75 years ago.

われわれは毎年12月7日に背筋を伸ばし、オアフを守ろうとした人々に敬意を表する。そして75年前にここで示された勇敢さに思いをはせる。

As dawn broke that December day, paradise never seemed so sweet. The water was warm and impossibly blue. Sailors ate in the mess hall, or readied themselves for church, dressed in crisp white shorts and t-shirts. In the harbor, ships at anchor floated in neat rows: the California, the Maryland and the Oklahoma, the Tennessee, the West Virginia and the Nevada. On the deck of the Arizona, the Navy band was tuning up.

あの12月の夜明け、楽園でさえこの地ほどは心地よくなかった。水は温かく、あり得ないほど青かった。水兵たちは食堂で食事をしたり、しわのない白い半ズボンとTシャツを身に着けて教会に行く準備をしたりしていた。湾には軍艦カリフォルニア、メリーランド、オクラホマ、テネシー、ウェストバージニア、ネバダがきれいな列をつくり停泊していた。アリゾナの甲板では、音楽隊がまさに演奏を始めようとしていた。

That morning, the ranks on men’s shoulders defined them less than the courage in their hearts. Across the island, Americans defended themselves however they could -- firing training shells, working old bolt-action rifles. An African-American mess steward, who would typically be confined to cleaning duties, carried his commander to safety, and then fired an anti-aircraft gun until he ran out of ammo.

あの朝、肩につけた階級章が見劣りするほどに彼らは勇敢だった。島中で米国人は訓練用の砲弾や旧式のライフルを使用して可能な限り戦った。アフリカ系米国人の給仕はいつもなら掃除をしていたが、この日は上官を救い、弾が尽きるまで対空砲を撃ち続けた。

We honor Americans like Jim Downing -- a gunner’s mate first class on the West Virginia. Before he raced to the harbor, his new bride pressed into his hand a verse of Scripture: “The eternal God is thy refuge, and underneath are the everlasting arms.” As Jim fought to save his ship, he simultaneously gathered the names of the fallen so that he could give closure to their families. He said, “It was just something you do.”

われわれは軍艦ウェストバージニアの1等砲撃手、ジム・ダウニングのような米国人に敬意を表する。彼は真珠湾に駆け付ける前、新妻から聖書の一文を託された。「永遠なる神は汝のよりどころ。その永遠なる腕に抱かれて」ジムは船を守るため戦うと同時に、倒れていった仲間たちの名前を記録していた。彼らの家族に最期を伝えるためだ。彼は言う。「やるべきことをやっただけだ」と。

We remember Americans like Harry Pang -- a fireman from Honolulu who, in the face of withering fire, worked to douse burning planes until he gave his last full measure of devotion -- one of the only civilian firefighters ever to receive the Purple Heart.

われわれは、ホノルルの消防士ハリー・パンのような米国人を記憶にとどめている。激しい炎が眼前に立ち上る中、飛行機の火を消すために彼は身をささげた。名誉負傷章を受けた数少ない民間消防士の一人だ。

We salute Americans like Chief Petty Officer John Finn, who manned a .50-caliber machine gun for more than two hours and was wounded more than 20 times, earning him our nation’s highest military decoration, the Medal of Honor.

50口径のマシンガンを2時間以上も操作し、20にもわたる傷を負い、軍人に授けられる米最高の勲章である名誉勲章を受けたジョン・フィン曹長のような米国人を、われわれはたたえる。

And it is here that we reflect on how war tests our most enduring values -- how, even as Japanese Americans were deprived of their own liberty during the war, one of the most decorated military units in the history of the United States was the 442nd Infantry Regiment and its 100th Infantry Battalion -- the Japanese-American Nisei.

この地でわれわれは、いかに自分たちの永続的な価値が戦争によって試されたか、日系米国人たちが戦時中、いかに自由を奪われたかを思い返す。米国史上で最も多くの勲章を授かった部隊は、日系米国人2世で構成された第442連隊戦闘団であり、第100歩兵大隊だった。

In that 442nd served my friend and proud Hawaiian, Daniel Inouye -- a man who was a senator from Hawaii for most of my life and with whom I would find myself proud to serve in the Senate chamber; a man who was not only a recipient of the Medal of Honor and the Presidential Medal of Freedom, but was one of the most distinguished statesmen of his generation as well.

その第442連隊戦闘団には、私の友人であり誇り高きハワイ人であるダニエル・イノウエ(故人)も所属していた。彼は私の生涯の大半を通じハワイ州選出の上院議員を務め、上院で彼と共に働くのは私の誇りだった。彼は名誉勲章や大統領自由勲章の受章者であるだけでなく、彼の世代における最も傑出した政治家の一人だった。

Here at Pearl Harbor, America’s first battle of the Second World War roused a nation. Here, in so many ways, America came of age. A generation of Americans -- including my grandparents -- the Greatest Generation -- they did not seek war, but they refused to shrink from it. And they all did their part on fronts and in factories. And while, 75 years later, the proud ranks of Pearl Harbor survivors have thinned with time, the bravery we recall here is forever etched in our national heart.

ここ真珠湾で、初めて第2次大戦を戦った米国は奮起した。この地で、米国は成熟した。私の祖父母を含む「最も偉大な世代」は、戦争を求めていたのではない。しかし彼らは戦争から尻込みするのを拒んだ。そして彼らは前線や工場で自分の役割を果たした。75年を経て、真珠湾の生存者は時とともに数が減ってきたが、この地で思い出す勇敢さはわれわれ国民の心に永久に刻まれている。

I would ask all our Pearl Harbor and World War II veterans who are able to, to please stand or raise your hands -- because a grateful nation thanks you.

真珠湾や第2次大戦の退役軍人の皆さん。どうか立ち上がってください、もしくは挙手してください。国民が皆さんに感謝できるように。

The character of nations is tested in war, but it is defined in peace. After one of the most horrific chapters in human history -- one that took not tens of thousands, but tens of millions of lives -- with ferocious fighting across this ocean -- the United States and Japan chose friendship and peace.

国家の品性とは戦時中に試されるものだが、その意味は平和の下で明確になる。海をまたいだ激しい戦いにより、数万どころか数千万の命を奪った人類の歴史で最も恐ろしい一章の後、米国と日本は友情を選び、平和を選んだ。

Over the decades, our alliance has made both of our nations more successful. It has helped underwrite an international order that has prevented another World War and that has lifted more than a billion people out of extreme poverty.

数十年にわたり、われわれの同盟は、両国に一層の成功をもたらした。さらなる世界大戦を防ぎ、10億人以上を貧困から引き上げた国際秩序を支えてきた。

And today, the alliance between the United States and Japan -- bound not only by shared interests, but also rooted in common values -- stands as the cornerstone of peace and stability in the Asia Pacific and a force for progress around the globe. Our alliance has never been stronger.

共通の利益だけでなく、共通の価値観に根ざして結びついた日米の同盟は今日、アジア・太平洋地域の平和と安定のための礎石となっており、国際的な発展のための力となっている。われわれの同盟はかつてなく強固だ。

In good times and in bad, we are there for each other. Recall five years ago, when a wall of water bore down on Japan and reactors in Fukushima melted, America’s men and women in uniform were there to help our Japanese friends.

良いときも悪いときも、われわれは共にある。津波が日本を襲い、福島の原子炉が溶けた5年前を思い出そう。そこには、軍服に身を包んだ米国の男性や女性たちが、日本の友人たちを助けるためにいた。

Across the globe, the United States and Japan work shoulder-to-shoulder to strengthen the security of the Asia Pacific and the world -- turning back piracy, combating disease, slowing the spread of nuclear weapons, keeping the peace in war-torn lands.

日米はアジア・太平洋地域と世界の安全を強化するため、世界中で肩を並べて働いている。海賊を追い返し、疫病と闘い、核兵器の拡散を遅らせ、戦争で引き裂かれた地域の平和を保ってきた。

Earlier this year, near Pearl Harbor, Japan joined with two dozen nations in the world’s largest maritime military exercise. That included our forces from U.S. Pacific Command, led by Admiral Harry Harris, the son of an American Naval officer and a Japanese mother. Harry was born in Yokosuka, but you wouldn’t know it from his Tennessee twang.

今年初め、真珠湾の近くで、日本は二十数カ国と世界最大の海上軍事演習に参加した。それには、米海軍将校と日本人の母との間に生まれたハリー・ハリス司令官が率いる米太平洋軍も含まれていた。ハリーは横須賀生まれだ。彼のテネシーなまりからは分からないだろうけれど。

Thank you, Harry, for your outstanding leadership.

ハリー、君の際立った指導力に感謝する。

In this sense, our presence here today -- the connections not just between our governments, but between our people, the presence of Prime Minister Abe here today -- remind us of what is possible between nations and between peoples. Wars can end. The most bitter of adversaries can become the strongest of allies. The fruits of peace always outweigh the plunder of war. This is the enduring truth of this hallowed harbor.

その意味では、われわれが今日ここにいることが、政府間の関係だけではなく人々同士の関係が、そして安倍首相がここにいることが、国と国との間、人々同士で何が可能であるかを思い起こさせてくれる。戦争は終わり得るものなのだ。最も激しく戦った敵同士が、最も強い同盟をつくることができるのだ。平和によって得られる成果は、戦争による略奪を常に上回るものだ。これこそがこの神聖な湾の不朽の真実だ。

It is here that we remember that even when hatred burns hottest, even when the tug of tribalism is at its most primal, we must resist the urge to turn inward. We must resist the urge to demonize those who are different.

この地でわれわれは思い出す。憎悪が最も激しく燃えさかる時でも、民族的な優越意識が最も高まる時でも内向きになることに抵抗しなければならないことを。自分たちと違う者を悪魔のように決めつける衝動に抵抗しなければならない。

The sacrifice made here, the anguish of war, reminds us to seek the divine spark that is common to all humanity. It insists that we strive to be what our Japanese friends call otagai no tame ni -- “with and for each other.”

ここで払われた犠牲、戦争の苦悩は、全人類に共通する神聖なるものを追求することを思い起こさせてくれる。わたしたちが日本の友人たちが言うところの「お互いのために」努力しなければならないことを示している。

That’s the lesson of Captain William Callaghan of the Missouri. Even after an attack on his ship, he ordered that the Japanese pilot be laid to rest with military honors, wrapped in a Japanese flag sewn by American sailors. It’s the lesson, in turn, of the Japanese pilot who, years later, returned to this harbor, befriended an old Marine bugler and asked him to play taps and lay two roses at this memorial every month -- one for America’s fallen and one for Japan’s.

それこそが戦艦ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長が残した教訓だ。彼は自分の船が攻撃された後でも(命を落とした)日本のパイロットが軍人の尊厳を持って、米国の水兵らが縫った日本の国旗に包まれて埋葬されるように命じた。何年も後にこの湾に戻ってきた日本のパイロットが残した教訓でもある。彼は年老いた海兵隊のらっぱ吹きと友人となり、慰霊のらっぱを吹いて、記念碑に毎月2本のバラを手向けるように頼んだ。1本は米国の犠牲者、もう1本は日本の犠牲者のために。

It’s a lesson our two peoples learn every day, in the most ordinary of ways -- whether it's Americans studying in Tokyo, young Japanese studying across America; scientists from our two nations together unraveling the mysteries of cancer, or combating climate change, exploring the stars.

この教訓は、両国の人々が日々、最もありふれたやり方で学んでいる。東京で勉強している米国人であり、米国に留学している若い日本人たちだ。そして、共にがんの未解明な部分を解き明かそうとしたり、気候変動対策に取り組んだり、星々の研究をしたりしている両国の科学者たちもいる。

It’s a baseball player like Ichiro lighting up a stadium in Miami, buoyed by the shared pride of two peoples, both American and Japanese, united in peace and friendship.

平和と友情で結ばれた日米両国の人々が共有する誇りに支えられ、マイアミのスタジアムを沸き立たせているイチローのような野球選手もいる。

As nations, and as people, we cannot choose the history that we inherit. But we can choose what lessons to draw from it, and use those lessons to chart our own futures.

国として国民として、われわれは受け継ぐ歴史を選ぶことはできない。しかし、そこから何を教訓とするかは選ぶことができる。その教訓に基づいてわれわれの将来像を描くことができるのだ。

Prime Minister Abe, I welcome you here in the spirit of friendship, as the people of Japan have always welcomed me. I hope that together, we send a message to the world that there is more to be won in peace than in war; that reconciliation carries more rewards than retribution.

安倍首相、日本の人々がいつも私を歓迎してくれたように友情の精神であなたを歓迎する。私はあなたと共に、戦争よりも平和からこそ勝ち取れるものがあるのだということ、報復よりも和解からこそ、恩恵を受けられるというメッセージを世界中に送りたい。

Here in this quiet harbor, we honor those we lost, and we give thanks for all that our two nations have won -- together, as friends.

この静かな湾でわれわれは友人として共に、亡くなった人々を悼み、両国が勝ち取ってきたもの全てに感謝をささげる。

May God hold the fallen in His everlasting arms. May He watch over our veterans and all who stand guard on our behalf. May God bless us all.

Thank you.

犠牲者たちが神の腕の中で永遠に抱かれますように。退役軍人とわれわれを守るために立ち上がった人々を見守ってください。われわれ皆に神の祝福がありますように。
ありがとう。 

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コメント

削除しました。

>一方オバマ氏の演説もまた詩的であり、彼の任期中行われた演説でも白眉ではないでしょうか。
圧倒的な文章力でしたね。
ラッパのところでうるっときて、ガン研究のところで座布団進呈したいと膝を打ちました。
安倍首相がこの時期に来た事に礼を尽くした素晴らしい演説だと思います。
安倍氏も制約のある中で誠を貫くような演説ができました。
広島と対を成すとはいえこの追悼スピーチは軍人達へ向けて語られている、それが成せた事を安堵しました。


端折った内容しか知らなかったので、全文掲載は助かります。
安倍総理、オバマ大統領とも素晴らしいスピーチですね。
ふゆみさん同様、度々涙腺が緩む箇所がありました。(歳のせいかな?)
まさかイチローの名前までが登場しているとは思いませんでしたが、
以前、オバマさんがイチローとの会話を振り返って「禅の精神につながる」
なんて話をしていたのを思い出しました。
イチローのようにストイックで勤勉な人間が好きなのかもしれません。

テレビの情報なので真偽のほどは定かではありませんが、
オバマ大統領の広島訪問に際し、総理の真珠湾訪問が打診されたそうですが、
安倍総理はこれを一旦断った上で、今回の訪問が実現したのだとか。
この総理の判断、お見事としか言いようがありません。
単にバーターを嫌ったのか、
それとも広島長崎と真珠湾を天秤にかけられたくなかったのかは
阿部さん以外知るよしもない話ですが、琴線に触れる話ではあります。

 真珠湾が日本が攻撃したその日より以前に、米軍は日中戦争に介入しておりました。フライング タイガ-スという表向き義勇軍としてですが、南方で日本陸軍と空中戦闘をしているのです。

 その頃は、日米の関係は最悪だったでしょう。しかし一方、米国民は日米の戦争には厭戦気分が漂っていたと一般には言われてます。この、日本軍の真珠湾攻撃は、米国民の戦闘意欲を暴発させる働きをしたということでしょうね。スニ-キ-アタックと言いますが、当時の米国民の多くは日本人をやっつけたいと思ってはいたのでしょうが、そのキッカケがなかったということではないでしょうかね。私はそのように推察しております。

 日米は真珠湾攻撃の前にはすでに戦争状態に入っていたと言っても過言ではありません。日米は戦うべくして戦ったと言えましょうね。

 しかし、当時の日米の環境と今のそれは大きく異なります。今後日米が戦いをするようなことはほとんど考えられません。

 これからは日米同盟を堅固にし、新たな戦争に備える、または抑止をするということに全力を注がねばならないでしょう。

 真珠湾での和解劇がなくても、日米は協力できる筈ですよ。トランプさんに大いに期待したい。

安倍総理大臣、オバマ大統領の演説内容、ご本人たちが普段心から思案し、願っていることを元にしての演説内容、それを元にしての文章なんでしょう。だからこそ私たちの琴線に触れるのだと思います。

ありんくりんさんの記事にもありますが、今回の演説ほど、外交は言葉による力であり、演説とは言葉の修辞を使った政治的行為であると、私たちにもわからせてくれたものです。
修復しますが、以下の部分、ほんとうに納得しました。

>「政治家の演説とは、人が人に語りかける始源的な力によって、政治的意図を伝えることです。」
>今回の真珠湾演説もまた、外交とは「語りかける力」だということをわからせてくれました。
>演説とは言葉の修辞を使った政治的行為です。
>今回の真珠湾訪問は、政治的には、いうまでもなく日米同盟がいかに堅牢であるかを世界に、特に中露に知らしめるためにおこなったものです。
>それを示す必要は、今の東アジア情勢で絶対に必要でした。
>そしてこの日米同盟が「和解の精神」から発しているとすることで、未だ「謝罪」を要求することを外交カードに使う中国に釘を刺したのです。
>しかし、優れた演説はそのような戦略的意図を覆い隠して、聞く者の心に直接訴えかけ深い感動を呼び覚まします。

うわっつらの考えの人間には、言葉の剣は使いこなせませんよね。
私のつたない語彙力では表現することが出来ずに残念ですが、安倍総理は戦後の内閣総理大臣としては吉田茂以上の名宰相になると思っています。


安倍とオバマの演説はポエムにしか聞こえない。

管理人はいつから左翼になったの?

ふゆみさんが座布団進呈したいとのことで、
私からも!

安倍さんには座布団358枚、
オバマ大統領にもクッション358枚、進呈します。

☆お釈迦様の悟った歳がお釈迦様が悟った日が誕生から35年と8ヶ月だった。
☆聖書では「358」が聖なる数字とされている。

ということで、勝手に縁起のいい枚数あげましたw


管理人さん、みなさん、良い年をお迎えください~(◎´∀`)ノ

少し斜めからの感想も。
どこかの個人ブログでオバマ氏はスタートレックのファンだと読んだ記憶があります。
私はリアル軍事には疎いのですがスタートレックだけはハヤカワ文庫原作全読破のトレッキーであり、彼のトレック魂をしかと受け止めました。
それをポエムと笑うなかれ、あの国は本気でスタートレックの世界を実現したい人々がいたから、月へ降り立ちコンピュータを小型化し、携帯電話を創り出したのです。

安倍が演説して世界が平和になるなら誰も苦労しないって

相変わらず挑発目的の心貧しき人が現れているようですね。それとも隣国の指示を受けた工作員でしょうか?もう明日は大晦日ですよ。部屋と一緒に自分の頭の大掃除をされることをお勧めします。

"鬼畜米英"の時代から、よくぞここまでの友好関係ができたものだと、感慨深いものがあります。やっぱりお互い寛容の心を持ち合ったのが一番の理由でしょう。

ただ、残念ながらこのような関係は、相互の国民レベルが一定以上でないと築けないこともまた現実のようですね。隣国の動きを いていると、つくずくそう思いました。

オバマ大統領ご苦労さまでした。安倍首相にはまだまだ仕事がありますね。来年も期待しています。

また出てきました。

ふゆみさんの、スタートレックの世界を実現、
九州Mさんの、鬼畜米英の時代からよくぞここまでの友好関係と、そうだそうだ!そうなんだ!と相槌が出てきます。ほんとうにそうですよね。

妄想から現実の科学技術へ、鬼畜米兵コノヤローから真の友好関係へ、
アメリカという真の創造と技術大国である国と日本という真の和の精神を持つことの出来る国だからこそ成し得たと思います。

批判は大いに結構だけど、ハンドルネームぐらい書きましょうよ。
最低限のルールすら守れないんでは誰の胸にも響きませんよ。

それにしても中国と韓国の反応は判を押したように同じで笑えます。

カエルの楽園を読みました
日本は悲しいことにスパイだらけ。
ヒラリーがヤバイ他国から、長年にわたりたくさんの献金をクリントン財団に受けていました
だらだらヒラリーがつずいていたら
カエルの楽園が現実になったと思う
ロシアとオバマサンは最初からなかが悪い
来年からの希望の年よ早くこい
沖縄、尖閣が不安なんです
ヒラリーは元々日本びいきではありません。
オバマサンの家族もシナに関係してます

>管理人はいつから左翼になったの?

右翼呼ばわりされたと思ったら今度は左翼ですか。

ここの管理人さんは保守左派だと私は思います。

そういえばヤフコメにtsm*****とかいう独立論者がいるんですがこの人反対する人を左翼呼ばわりしてますね。
http://person.news.yahoo.co.jp/profile/iU8cfYyMeX3xbY6mIzSd/comments/

前に管理人さんもおっしゃられていましたが自分たちは左翼が嫌いなわけではありませんが日本の左翼は日本を嫌いな人たちが多いというのを憂いているだけです。
自分たちは日本が好きな左翼でいたいとそうおもっているだけです。

 お二人供に聞く側に立った気遣いが感じられ、その人の本質的なものが出ているのだと思います。特にオバマ大統領のスピーチは地元だけに自分が感銘を受けた逸話が多く、その中の人達の行動に心が動き”うるっ”と来ますね。

 ところで、(この雰囲気を壊したくはないのですが)現実は内閣支持率が64%になりました。野党に助けられているとはいえ、この支持率で安倍さんには安全保障などで思いきった政策を期待したいです。

オバマ大統領が語った、戦艦ミズーリで正式な海軍葬で送った日本兵とは、鹿児島県の鹿屋を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳)ですね。
彼ら若くして散っていったゼロファイターの事があの場で語られることをとても嬉しく思いました。

実は石野二等兵曹が水葬されてから56年目にあたる2001年4月12日、特攻隊員の家族らを招いて、真珠湾に係留中のミズーリ艦上で慰霊祭が開催されています。
開催を企画したのは、ミズーリ記念協会のドナルド・ヘス副会長。
彼は、当時こう述べています。
「ウィリアム・キャラハン艦長は兄を日本軍との戦闘で失っていたが、特攻機の操縦士を手厚く弔い、最大限の敬意を表した。平和と友好のしるしとして、艦上で日米の関係者が対面するのは意義深いことである」

そして、戦後70年の節目に、戦艦ミズーリでは、「特攻隊企画展」を開催し、散っていった若いパイロットや、彼らの遺書を展示し、彼らもまた一人の人間であることを米国人に伝えました。

戦艦ミズーリは、一番日本軍をリスペクトしている戦艦かもしれませんね。

返ってわが日本国では、零戦パイロットや、彼らが発艦した空母や飛び立った飛行場、沈んでいった数多くの駆逐艦についても、知りだしたのは「ほんの最近」です。
戦艦武蔵がどこに沈んだかも知らず、探し出したのは熱意のある米国人です。

日本人はごく最近まで、戦前に戦った同胞が乗った船も、突撃したパイロットのことも、必死で戦った兵隊さんのことも綺麗さっぱり忘れて、「平和なふり」ばかり続けてきたと思います。

真珠湾記念館では、戦艦アリゾナと空母赤城が並べて展示されています。
しかし日本人の殆どは「赤城」を知りません。おそらく「空母加賀」といわれても分かる人なんか殆ど今の日本人にはいないでしょう。
日本人は「歴史を直視しろ」と中国韓国にいわれ続けてきましたが、本当に直視していなかったのかもしれませんね。

そんな間も、米国は敵国のパイロットや艦船でもフェアに評価し学ぼうとしていた。それは青山繁晴氏の真珠湾訪問の動画でも明らかです。

「青山繁晴が語る真珠湾(パールハーバー)の真実」
https://www.youtube.com/watch?v=J-I3aDt2PFI

米国が戦争に強いはずですね。

私は、この日米の和解をきっかけに、日本人がもっと近代史に目を向けて、戦争の歴史を学んでくれることを期待したいですね。
それが、数え切れないくらい多く沈んでいった船、船員、パイロットの供養にもなると思います。

余談ですが、「板東俘虜収容所」が、ドイツと共同でその資料を記憶遺産登録申請をするべく動き出しました。
この美談もまた、後世、多くの世界の人に知ってほしい、「和解」の一つに思います。

「武士の情け、捕虜を人道的に扱った松江豊寿(第一次世界大戦)」
https://www.youtube.com/watch?v=whfVxeAU2Bs

演説は立派と思い、感動もしました。
しかし、私はオバマを結局は好きになれなかったし、
あの人は何だったのか? という虚しい溜め息で
肩を落としてしまいます。
言葉! 言葉! 言葉!
彼のレガシーは何だったのか?
言葉が遺り、カオスが生まれた。
オバマは 彼が大統領になったときの熱狂は、
なんだったのか?

 戦争というときは、美談が生まれるときでもあります。「板東俘虜収容所」という大きな美談がありますが、その他に、隠れた小さな美談というものが多くあった筈です。しかし、これらは語り続けられることはありませんね。

 人間は、極限状況になってはじめて人間個人の真価が露わになるのだろうと思います。これは、沖縄のノンフィクション作家である上原正稔氏も言っていることでもあり、同氏は、沖縄戦での米軍兵による貴重な人道的な美談があったと言っておりました。これは、しかし、米軍兵の美談だけに限らず、住民に親切だった戦中の日本軍兵の美談も多くあるのです。

 こんな美談を聞くと、人間っていいものだと思いますね。今回の安倍総理とオバマ大統領のスピ-チは美談に飾られております。これはそれでいいのではないでしょうか。

 ある人は、美談を言うと、戦争を美化するのだとか言い始めます。では、戦争の悲惨さを大きく喧伝し、反戦主義を唱えるべきだとでも言うのでしょうか。

 わたしは美談をこそお聞きしたいものです。殺し合いという極限状況での美談は非常に貴重なものだと思いますね。

 一方、日米の緊密な紐帯というのは、過去の美談だけによらず、これから日本と米国が現実的な協力関係がどれほど築けるかにかかっているでしょう。日本側が、場合によっては戦死者も出るぐらいの覚悟を持つべきだと思っております。

ヒデミさん

 同感しますね。彼は、クリミアをロシアに奪われ、シリアの内戦の極限化にもなんの手も打てませんでした。

 プーチンがすべて勝ち、習近平が野望を実現したくなる環境を準備したのではないでしょうか。

 さて、トランプさん、どうなるでしょうかね。興味深々でもあり怖いような気もしますね。

タイトルですが、安部→安倍 ですね。
今年も勉強させていただきました。特に沖縄高江のヘリパッド問題の情報は貴重でした。ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

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