安倍首相は真珠湾演説の草稿をもう書いているだろう
しばし安倍首相の演説に耳を傾けましょう。
※米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説「希望の .....
http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html
「先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」
慰謝から首相は演説を開始しています。しかも英語で。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E...
ここで首相は、70年前に大尉として硫黄島で戦った93才のローレンス・スノーデン海兵隊中将と、栗林忠道大将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員を紹介します。
もっともよく戦い、その骨すら残らなかった栗林中将の血を引く孫と、大尉という最も多く戦死者を出した現場指揮官のスノーデン海兵隊元中将の、実に70年に渡る時間を越えての再会でした。
ここで首相はこういうスノーデン海兵元中将の言葉を引用します。
「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ。」
首相はかつての敵に、この日彼が言いたかったことのすべてを託しています。
安倍演説は、戦争犠牲者がその死の状況とは関係なく、一様に国境を越えて慰霊されるべきであって、「悼む」という人間の根源的感情において、敵国とも共感し得るのだと言っているのです。
<私たちはよく戦った。卑怯でなく正々堂々と戦った。双方共に多くの若い兵士が倒れた。名誉を讃えるべきはこの死んでいった若者たちではないのか・・・>、と。
そして演説をこう続けます。
「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。」
演説の最初の主調音が「慰謝」であるなら、この二番目の主調音は「寛容と感謝」です。
実はこの首相の議会演説には原型がありました。
先日紹介した、昭和天皇陛下の訪米時の演説です。
較べてみて下さい。
「私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、もしそのことがかなえられた時には、次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。
と申しますのは、私が深く悲しみとする(deeply regret)、あの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。
当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。
しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます。」
まったく同じ精神が流れていることがわかるでしょう。
それは<慰謝と寛容>に対する<感謝>です。
ハフィントンポスト2014年10月31日より引用 2011年大震災によって孤立した宮城県大島の救援に駆けつけた米海兵隊。彼らはアルバムまで丁寧に泥を拭き取り、涙をながしながら遺族に返還した。
そして、首相は演説の結びで、かつてわが国の兵士・民間300万の命を奪った最強の敵国である米国の寛容こそが「希望」であり、この米国との同盟はまさに「希望の同盟」なのだと結びます。
「まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
『落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために』。
2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
私たちには、トモダチがいました。
被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
――希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。」
おそらく首相は、今、真珠湾演説の草稿を書いているでしょう。
しかも彼らしく官僚の手を借りずに、自分の手で書いているはずです。
このような言葉文化の欧米文化圏において、ユーモアを交えつつ彼らの心を震わせることができる演説が可能な日本の政治家は、私が思いつく限り安倍晋三氏しか思いつきません。
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おはようございます。
安倍総理のアメリカ議会での議会演説には感動したものです。あの格調が高く、感動を呼び、共感が得られる内容が書けるのは、安倍総理自身の素養の高さもそうですが、並大抵ではない孤独や挫折感から這い上がってきた人間だからだと思います。単なるスピーチテクニック程度ではあの演説はできないと思います。
>このような言葉文化の欧米文化圏において、ユーモアを交えつつ彼らの心を震わせることができる演説が可能な日本の政治家は、私が思いつく限り安倍晋三氏しか思いつきません。
あと一人、いまは安倍内閣の副総理であり、財務大臣ではありますが、元総理大臣の麻生太郎氏もそうだと思います。
子供時代から昭和天皇大好きでして、趣味の如く昭和天皇に関することを調べていますが、(いわゆる追っかけですねw)
調べれば調べるほど、昭和天皇は理性的で、かつ誠実な名君だったことがわかります。
あの壊滅的な打撃を受けても国としての日本が滅びなかったのは、昭和天皇の、その人間としての魅力というか、人柄のおかげもあると思っています。
近代に時代になればなるほど、国家間の問題、民族や宗教問題やらで内外の政治は激化しています。それを乗り越えるには結局は人間の質によるのでは?と思いました。
投稿: やもり | 2016年12月12日 (月) 06時58分
トモダチ作戦には、沖縄の米軍基地からも応援部隊が出ています。
ウィキからの抜粋です。
アメリカ海兵隊
第31海兵隊遠征隊は、揚陸艦エセックスで被災地沖合いへと向かい、船舶が流されて孤立している宮城県気仙沼市の離島である大島に救援物資、工事用車両、電気工事作業員を揚陸艇で揚陸させ、補給活動に当たった。各種物資の輸送支援などを行い、4月1日からは300名以上の兵員も上陸し、フィールドデー作戦と命名された島内の残骸除去作業を行なった。この作業は4月6日まで実施されている。
揚陸艇による気仙沼大島への上陸作業は、海兵隊と陸海自衛隊、自治体との調整で実施された。
普天間飛行場を基地にしているヘリコプターは厚木海軍飛行場に要員を派遣し、運用システムを確立している。
アメリカ空軍
アメリカ空軍は3月14日、嘉手納基地からKC-135空中給油機を交代要員と50名のエンジニアと共に三沢基地に到着させている。
ほかにも、ルイス=マコード統合基地から2機のC-17輸送機(大型長距離輸送機)が救助隊と器材を輸送している。第265海兵隊中型ヘリコプター飛行隊からはCH-46輸送ヘリコプター8機が、KC-130空中給油機2機と共に救助隊と器材の輸送を実施している。
3月16日、嘉手納基地の空軍第320特殊戦術飛行中隊は、C-130輸送機で移動し、残骸除去が進んでいた松島基地に着陸。陸路でもって仙台空港へと移動した。仙台空港においては、空港の保守作業を請け負っている前田道路等と協力し、滑走路上の残骸を除去、臨時の航空管制を開始した。滑走路の確保された部分を利用し、MC-130輸送機を用いて、航空輸送を開始している。のちには、この復旧作業に海兵隊も投入されている。アメリカ軍はこの空港を使って 200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に運んだ。
同盟国以前に、国同士の相互信頼があってのことですよね。
投稿: やもり | 2016年12月12日 (月) 07時17分
安倍首相のスピーチ原稿は、骨子を首相が日本語で書き、ごく少数のスタッフと肉付け時に日本国英語を並行して仕上げているから翻訳の齟齬がないのだと私は思っています。
何でもいいから書いて、と丸投げするのとは全く違いますね。その肉付けの良し悪しを感じられる語学力を持っている、というのは彼の美点であり第一次の失敗を経て学習されたのだと思います。
天皇陛下をはじめ皇族の方々は、翻訳されても齟齬のない順に品詞や動詞を積む日本語の修辞をマスターされていて、だからお心が日本人だけでなく世界に伝わるのだと、お言葉にふれるたびに、てにをはまで私は読み込むのですが、なかなか見習えないです。
政治家のスピーチには気品だけでなく活気というかガッツが湧いてくる鼓舞が必要で、今回真珠湾でどのように織り込まれるのか楽しみにしています。
投稿: ふゆみ | 2016年12月12日 (月) 08時33分
すみません、誤解を招く書き方ですね。
安倍首相が第一次には丸投げしていた、という意味ではないですよ。
官僚にスピーチを丸投げする者と違って、安倍氏は自分で草稿するが、第二次に入って作文能力が格段に上がったのは、語学がより達者な者とセンス良く肉付け作業ができているからだ。
という意味です。
投稿: ふゆみ | 2016年12月12日 (月) 08時39分
ふゆみさん。
私もそんなところだと思いますね。
公式なスピーチは慎重に言葉を選ばなければなりませんからね。総理の力量とスタッフの努力あってのものです。
やもりさん。
朝から熱いコメントですね。
はい、実感として分かります!
松島基地や仙台空港廻りなんかもう勝手知ったる土地だし、あの長い揺れと停電の直後に家の損傷チェックして回ってから部屋にしまったままだった携帯テレビ(まだアナログ電波がありました)を取り出して点けた瞬間に仙台空港が津波に飲まれる光景でした。
気仙沼大島はかつて合宿で民宿に連泊して小田の浜で泳いだり、後に三陸でカメラ担いで撮影旅行なんかしましたから。私にも思い出深い場所です。
今も海兵隊と大島の交流イベントは続いていますよ。
投稿: 山形 | 2016年12月12日 (月) 08時58分
山形さん、海兵隊と大島の交流が続いているのを初めて知りました。
この写真がそうなんですね。
3,11のエピソードは、なににつけいまだに泣けてしまいますが、この写真も、なんの説明がなくとも、感動させられます。
すてきな写真ですね。
投稿: よーぞー | 2016年12月12日 (月) 09時56分
気仙沼大島の話ありがとうございます。私の妻の実家があります。津波で被災しましたが、幸い家族全員避難し無事でした。
まだ電気も水道も来ていない時でしたが、私も手伝いに行きました。あの時の光景を思い出すと、今でも涙が出て来ます。
そして今日紹介されたように、沖縄海兵隊の若者達がトモダチ作戦で汗を流してくれていました。何せ岸壁は1mほど地盤沈下していましたので、普通の船は島に近寄れません。支援が遅れ、学校のプールの水を濾過して飲料水にしていたくらいです。
まさに戦場のようでした。小田の浜海水浴場の沖に軍艦が浮かび、空には米軍のヘリが飛び交っていました。海兵隊の力はすごいです。食料から重機まで全て自己貫徹で支援活動ができます。さらに島民はヘリで軍艦のお風呂(シャワー?)に行けた との話も聞きました。
この時私は理解したのです。消防よりも警察よりも、何よりも最も厳しい所に、命をかけて行くのが軍隊なのだと。その時の為に日々訓練しているのが軍隊なのだと。
ベトナム戦争以来私は米軍が、そしてアメリカが嫌いでした。でもこの時、近くにいてくれた米軍に感謝の気持でいっぱいになりました。言うまでもなく、トモダチ作戦は戦略的に行われたものでしょう。でも私は素直に感謝したいのです。島の人達と同じように。
このような私の気持ちと同じようなものが、安倍首相の言動から感じられるのです。
投稿: 九州M | 2016年12月12日 (月) 10時23分
資材白と騒いでいるのが、日本の左巻きだけという感じですね。まあ、アメリカの中にそういう意見があっていも仕方ないと思うけど、少なくとも軍関係者に中には多くないと思いますが、TBSはアメリカ本土のそういう意見の退役兵を探してきてインタビューしてました。
朝日新聞も「謝罪」を騒いでいましたが、アメリカの一般的世論から言っても、慰霊であれば十分というのが多い感じがします。
少なくとも、オバマが広島で謝罪しなかった以上、日本に謝罪を求めるのはやり過ぎという雰囲気もあるし、最近はフーバー元大統領の手記が出版されるなど、FDRに対する評価に微妙に変化が出てきて、若い世代は原爆投下の正当性にたいして疑問を持ていますしね。
投稿: ednakano | 2016年12月12日 (月) 17時10分
いつも興味深く背景させていただいております。
最近は、かわいい子犬の写真が多くてとても癒されてます(笑)
さて、今回は、安倍氏の真珠湾訪問でどのような演説を総理がされるか、という点でのブログですね。
私は、米国議会での演説において、安倍総理の演説が高い評価を得ていることもありますので、何度も推敲を重ねながら、米国の琴線にふれる演説を考えていると思います。
米国議会の演説では、演説する安倍総理の後ろで聞いていた、共和党のベイナー下院議長が、何度も涙をぬぐっていたのが話題になりましたが、彼は、安倍総理の演説に対し、このような言葉を述べています。
「首相が第二次世界大戦で命を落とした米国の英雄に賛辞を贈った事に、心から感謝している。
未来の世代が今日という日を、日米同盟の誇り高く歴史的な転機として振り返ることを願う」
中国や朝鮮半島をみると、「和解の前に謝罪しろ、まずは罪を認めて頭を下げて金を出せ」という論調がとても強いですね。
中華圏の国々は、どこか「上下関係」を確定させてからでないと和解に応じない、といった姿勢が見えてきます。
しかし、欧米の和解は、こういう中華圏の和解とは違うもののようで、それはドレスデンの和解でも示されていると思います。
ドレスデンの空爆はとてつもない犠牲を出しましたが、慰霊と鎮魂のために当事国が集まりそれをもって和解とした事が特徴的だったような気がします。
「ナチスドイツは悪いことをたくさんしたのだからやられて当然だ」という考えを否定したものだと思います。
真珠湾攻撃と原爆投下を同列で考えることに違和感を感じる方も多いはずで、私もその一人ではありますが、慰霊や鎮魂をもって、日米が和解を深めるのは、とても良いことだと思います。
それ以前に、私たち日本人自身が、あの戦争についてもっと知るべきではないかと思いました。
日本は太平洋戦争で亡くなった兵士を政府公式に慰霊する行事がありません。かわりに真珠湾の式典で、アメリカが日本兵の慰霊をしてくれています。これもどうなんだと思います。
戦艦ミズーリには神風特攻隊の石野節雄二等兵曹(享年19歳)の展示がされています。
彼はミズーリに突撃した後、ミズーリのキャラハン艦長の指示で、米国の正式な海軍葬で海に葬られました。
そして戦後70年、ミズーリ記念館では「特攻隊企画展」が開かれました。
米国はずっと覚えているのに日本人のほうが彼らのことを全て忘れて平和な振りをしている。
戦争を知らずして平和が語れるのかとも思うのです。
真珠湾記念館には、日本の空母赤城と戦艦アリゾナが並べて展示されて、日本の航空戦術が事細かに展示され、戦争の流れを分かり易く見られるようです。
日本が戦後、日本兵や彼らの船のことを綺麗さっぱり忘れていた間も米国はずっと展示して戦争の歴史を語り続けてます。
あの戦争では、数多くの罪の無い一般人が犠牲となりましたが、それと同時に多くの兵士たちがふるさとから遠く離れた硫黄島やペリリュー島で亡くなりました。
安倍総理が真珠湾に赴くときに、私もまた、あの戦争について深く理解できるようになっていればいいなと思います。
硫黄島や真珠湾記念館については、2014年に青山繁晴氏が実際に赴き、関西のニュース番組で興味深いリポートを行っています。
https://www.youtube.com/watch?v=iQMXFwcJGIg
投稿: ゆう | 2016年12月12日 (月) 21時54分
今日の記事、いま読ませて頂いて、総理の米国議会演説の内容に感動しました。有難うございました。
言葉の力は確かにありますね。
投稿: ヒデミ | 2016年12月12日 (月) 23時13分