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« 日曜写真館 植物園の午後 | トップページ | 八重山は「沖縄」ではない »

2017年1月 8日 (日)

日曜雑感 左翼思想はいまや虚無のループだ

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昨日の記事はおさらいなので、議論がふるわなくて申し訳ありませんでした。 

いま、いかなる脅威に沖縄が、いや日本全体がさらされているのか、それはなぜなのか、どのように具体的に現象しているのか、から押さえておこうと思っています。

また、いま大きくパラダイムシフトしている国際関係の中に、あえて沖縄島を投げ込んで見ていく必要もあると考えています。

それも一回こっきりではなく、何度も視点を変えながら見ていかねばなりません。

なぜならそれは、ここに集う皆さまにとっては「常識」であっても、日本人の、いや県民のどれだけが認識しているか危うい限りだからです。 

おそらく県民において「脅威」を認識しているのは、コンマ何%のはずです。 

さて、日本人がもっとも苦手とする考え方は「相対化」です。 

かつて明治国家においては、外交や国際法が重んじられました。 

なぜでしょうか。脆弱な国家基盤しか持たない明治国家にとって、ひとつ舵取りを間違えれば即亡国に直結したからです。

義和団事件における各国列強軍でもっとも国際法を遵守し、称賛されたのは柴五郎中佐率いる日本軍でした。 
柴五郎 - Wikipedia

日露戦争においても、東郷は国際法法典を片手にして海戦をやったといわれるほどです。

それが昭和国家にはなし崩し的に「日本ファースト」に変異し、さらに敗戦を経て「日本オンリー」にまで退化していきます。 

ある意味、日本人は体質的には徳川幕藩体制に戻ったのです。 

沖縄問題ならば、延々と沖縄戦の惨禍の反芻と、米軍の「銃剣ブル」から一歩も出ず、感覚的な歴史の捉え方に終始し、「平和」さえ唱えていれば平和になると考えました。 

それは「戦争を考えただけで戦争になる」、という言霊信仰を伴っていました。

したがって、現状認識において、本来多極的な国際社会との関わりで立ち位置を定めるべきを、本土政府とせいぜい米国の二者だけの視界に狭く限定してしまっています。

これは昨今の翁長氏の動向を見れば分かるでしょう。「オナガ・ワールド」にとってあるのは県内政局と本土政府、せいぜいが米国国務省ていどで、それ以外はきっぱりと「無」です。

だから、宮古海峡を中国空母艦隊が砲艦外交を演じようと、そんなものは「見えない」のです。

今回、辺野古や高江、あるいは反オスプレイにおける左翼の姿を眺めていると、彼らは解決はおろか認識レベルですら「自分たちの感じ方がすべて」だと気がつきます。

世界が曲がり角に差しかかり、どのような方向に行かねばならないか、どう現実を認識すべきなのかという時、左翼にとっては国内政局、あるいは沖縄県内だけが「世界の全て」なのです。

したがって必然的に、どちらに行くのかという視点がないために、「○○反対」「○○阻止」といった単純反射的対応しかとれず、永遠の堂々巡りとなっていきます。

このループを終わりにさせるためには、そこからいったん出て、外側から自分を眺めて客体視せねばなりません。

そうすれば自ずと解決点が見いだせるはずですが、それは彼ら左翼にとっては自分の居場所がない広漠とした砂漠らしいのです。

「移設阻止」しまえば、または「ヘリパッド粉砕」してしまえば、それは普天間固定であり、訓練場返還の頓挫につながり、「オスプレイ配置粉砕」してしまえば、いつ墜ちても不思議でないポンコツのCH46が再配備されるだけという、子供でも分かる理屈がわからないのです。

あるいは分からないふりをしているかもしれませんが、これが「県民の声だ」と報じられると暗澹とした気分にさせられます。

かつて戦後一時期において、左翼思想は変革の思想だと考えられていました。私も青年期強い影響を受けました。

しかし、今はただの退嬰的保守思想にすぎません。

こうして、左翼思想は建設性が欠落した虚無思想に変質していきます。 

いまやっと、三浦瑠麗氏や神保謙氏のような俊敏な若手国際関係論学者たちによって「国際社会で日本の立ち位置を定めていく」作業がなされようとしています。 

私もこのブログで、彼らの成果を反映させて書いて行きたいと思っています。

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

≫「日本人に足りないのは相対化」、「敗戦後むしろ日本オンリーにまで退化 」

なるほど~、深く納得しました。

しかし、国際連合のような理想主義的「空想的擬似国際社会」は受け入れたのですけれどね。
「現実的世界」には目をつむっていたんですね。


山路さん。同じことは歴史認識においても言えます。

なにかというと「琉球処分」の非道を批判し、本土に対して贖罪を求めますが、ならばどのような選択が当時の琉球王国にあったのでしょうか。

独自に近代国家化することが可能であれば、明治以降も延命できたでしょう。
では可能だったでしょうか。
それが沖縄人にとって幸福なことだったでしょうか。

現実には琉球王国内部から<近代>を学ぼうとする人材は現れず、王家が取ったのは、自らも滅びんとする中華帝国に密使を送って援軍を要請することでした。

なんという時代錯誤!
パックス・シニカがまだ生きていると考える時代認識の甘さ!
前提となるべき情報収集力とトータルな分析力の欠落!

このような琉球王国の内的問題を捨象して、「明治政府にやられた」という総括だけで済ましてしまう悪癖が、いまなお続いています。

国際関係の中で沖縄の位置を相対視しないかぎり、自立はいつまでも訪れないでしょう。
かつての密使のような人たちが、今、民族自決を叫んでいるのは笑止です。

あははっ、そんなの江戸~明治時代の清国においての話ですよね。

今の共産党独裁中華に何を期待してるのやら。

なら。ハワイ王国がもしかしたら日本の同盟国になってた可能性まであります。

兎に角連中は当時の国際情勢や海外での出来事は何でもかんでもすっ飛ばしてあくまでも「話し合えば平和になる」というドグマの「結論ありき」で半世紀も変わってませんね。
噴飯ものです。いや失笑ものか。

あとは政権と米軍に対してひたすら何でも「ハンターイ!!」とやっとけばいいだけの簡単なお仕事。もはや完全に染まったカルト宗教そのものですね。しかも交通費は支給され、ヤクザまで内包。
どうにも救いようが無くなってます。

>それが昭和国家にはなし崩し的に「日本ファースト」に変異し、さらに敗戦を経て「日本オンリー」にまで退化していきます。


歴史の勉強とはまた違うので、ここでつらつらと開陳するのは避けますが。

欧米に負けるな追い付け追い越せの、列強に勝てるように日本が一位になろうぜって主義。
敗戦から立ち直るための、他国なんて関係ねえから遠慮するなの日本最優先主義。
これらは、軍人を経て政治家になった人たちからすれば、劣等感からくるものなのかもしれません。

それとは別の、戦後世代の安倍総理はどうなのでしょう。
勿論、国益を優先させるのは日本の政治家・総理として当然ですが、戦後生まれの「おぼっちゃん」なので、劣等感というよりは「もう遠慮する必要もないよね」って感じですよね。


翁長さんの場合は、沖縄ファーストではなくて沖縄オンリー。
……日本全体が戦後から抜け出して、欧米と肩を並べたと劣等感が薄れるようになるまでの時間を考えると。
少なくとも翁長氏は、まだまだ沖縄が本土の各県に「劣っている」と感じているのでしょうかね。

倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る。
しかし、沖縄にどれだけ金が有り、衣食住が揃っていようとも。
名誉と恥辱の違いは自分で判断しなくてはいけないと思いますよ、翁長さん。


長々と失礼しました。

月刊Hanada、高江や辺野古の活動家の3〜5割は在日、要は反日活動などという記事を掲載。
右派系雑誌、参考までに

https://mobile.twitter.com/CatNewsAgency/status/817293838062497792


防衛省の発表がありました5日の中国海軍3隻(フリゲート2補給1)の津軽海峡通過、目的不明ですが昨年10月に大隅海峡を通過した艦船とのこと。
国際海峡とはいえ、薄気味悪い。

遼寧などの艦隊、左翼の方々からしたら地元紙のいう黄色い艦隊なのでしょう。
脅威どころか解放を待ち望んでいるかと、左派でない沖縄県民はそれをどう考えているか。

リンク駄目でしたね(>_<)

> いま、いかなる脅威に沖縄が、いや日本全体がさらされているのか、それはなぜなのか、どのように具体的に現象しているのか、から押さえておこうと思っています。

 ありがとう。

> それも一回こっきりではなく、何度も視点を変えながら見ていかねばなりません。

 その必要があります。沖縄の勉強が結果的に日本の全体の立ち位置を明確化するかもしれない。

> なぜならそれは、ここに集う皆さまにとっては「常識」であっても、日本人の、いや県民のどれだけが認識しているか危うい限りだからです。

 知らないでしょう。琉球史、私も詳しくない。

> さて、日本人がもっとも苦手とする考え方は「相対化」です。

 外国の人、文化、歴史を知らないと思います。しかし、それは西欧人でも中国人でも同じこと。「相対化」の意味、もう少しご説明いただきたいです。

> かつて明治国家においては、外交や国際法が重んじられました。

 初々しく、律儀で、緊張感を伴うものでした。

> 沖縄問題ならば、延々と沖縄戦の惨禍の反芻と、米軍の「銃剣ブル」から一歩も出ず、感覚的な歴史の捉え方に終始し、「平和」さえ唱えていれば平和になると考えました。

 沖縄戦のトラウマから脱却するには、もう一度戦うと言えるぐらいの個人の気概が必要。反米主義(劣等感)の克服は、アメリカを凌駕する国力をつけること。なれないことはない。

> 今回、辺野古や高江、あるいは反オスプレイにおける左翼の姿を眺めていると、彼らは解決はおろか認識レベルですら「自分たちの感じ方がすべて」だと気がつきます。

 まさしくその通り。勉強していない。

> このループを終わりにさせるためには、そこからいったん出て、外側から自分を眺めて客体視せねばなりません。

 日本全体から沖縄を考えること、そして次に世界全体から日本を考えることが大事。さらに、歴史から日本、沖縄を考えることも大事です。

> あるいは分からないふりをしているかもしれませんが、これが「県民の声だ」と報じられると暗澹とした気分にさせられます。

 マスコミの不勉強な報道振りは県民を間違った方向へ導くのだが、マスコミの人たちがそれに気づかない。自分たちが社会を善導していると錯覚している。信じ込んでいるのだろう。彼らは結局分かっていないのでしょう。自分自身で深く考えないのです。イエ、深く考えているのでしょうが、偏っているだけかも。間違ったことを難しく深く考えているのでしょう。琉球独立論は、私が高校生の年齢であこがれていた思想であり、それは未熟なものでした。

多摩っ子さん

> 遼寧などの艦隊、左翼の方々からしたら地元紙のいう黄色い艦隊なのでしょう。
脅威どころか解放を待ち望んでいるかと、左派でない沖縄県民はそれをどう考えているか。

 黄色艦隊という風には多くの県民は思ってはいないでしょう。昔に黄色艦隊を期待したこともあったかぐらいの認識か、あるいは黄色艦隊のことも知らない人が多いでしょう。左派の方々も、そこまで考えてはいない筈で、本心からの親中派か工作員ぐらいが黄色艦隊の雄姿を称えるだけだと思います。

青竹ふみさん

> 翁長さんの場合は、沖縄ファーストではなくて沖縄オンリー。

 こまった知事さんです。

> 少なくとも翁長氏は、まだまだ沖縄が本土の各県に「劣っている」と感じているのでしょうかね。

 それはあるかも知れません。歴代知事にもあったでしょう。だいぶ薄らいできました。

 この方には、親中的心情があります。彼は久米人(くにんだ)ではありませんので、先祖を敬うという人間の基本からくるものではないでしょうね。

 そして、彼の内部には、親日と反日の両方の感情が混在していると私は見ております。かつて、彼が那覇市長の時代に、本土マスコミの記者に対し、「私たち沖縄県民はオリンピックで日本が勝った時は、皆さん(マスコミの記者たち)よりも以上に感動するのだ」と言ったことがあります。琉球新報紙の報道です。

相対化とは(実用日本語表現辞典より)
「一面的な視点やものの見方を、それが唯一絶対ではないという風に見なしたり、提示したりすること。学問的な主義主張や、特定の事件などの報道のされ方などについて言われることが多い。」

歴史や文化を縦に時間軸で並べて民族性や主義主張を展開すると、論旨が絶対的に向かいがちです。そして語る文化の価値観で善し悪しの装飾がどんどん盛られ物語となります。
考察したい何かがある場合、事件ごとの必然性は地理的要因や他所で起きた何かの波紋を受けるような要因がいくつもあるので絶対的な自己から出発すると結論は常に被害者としての自分、になってしまう可能性がある。
要所に海峡を持っていたり、山脈の切れ目や主要道の交差点を持っていれば、尚更です。
そこを通ったり襲ったり住み着いたりする個々の他者にも、元々のその地の者達とは違った時間軸の必然性がある訳です。
違う背景と時間軸を持つ者同士で、約束して同盟を組んだり条約を結んだり、戦争をしたり盗みあったりしています。
どのような約束をするのか、と考える際にはブレない自己の設定が必要です。しかしそれは相手から見れば違った何かに見えていて当然。
その差を「無理解」と悲観したり「差別」と呼ぶような集団に、人権派左翼はいつの間にか変わってしまったと私には思えます。
そして自己設定が地理的歴史的にその土地に似合わない「なりたい何か」に設定されている為に、政権を取れば国政を破綻寸前に追込み、運動をすれば地域に疎まれるのです。

ちょっと理屈っぽ過ぎですみません。

 ふゆみさん、ありがとう。相対化とは絶対化しないことなんですね。了解。

 ご文章、味わいました。同感です。

サヨク脳は、人間の一般的深層心理(無意識)から来て
いるように思えます。有名なマズローの5段階欲求説
のアレです。

第3・4段階が『所属と愛の欲求』『他人からの承認の
欲求』です。サヨク脳には、これらが不足しています。
もし満たされていれば、一般社会で大いに活躍している
ハズで、サヨク活動など馬鹿バカしくてやっておれません。
さらに、最終段階『自己実現の欲求』を追及していて、
巨額資金を提供してのボランティアなどをしているでしょう。

一般社会で、彼等は第3・4の欲求を満足させられない
(理由は人それぞれと思うけど)。ならば、まがいモンの
疑似社会の中で、その構成員として認められたい、役に
立つ人材だと認められたい、幹部になって組織(騙された
アホが多い)から報酬を受け取りたい、と思うのは当然の
心理的な成り行きです。

人間の脳固有の構造由来の『欲求』ですから、食欲や
性欲やヤク中を抑えるのが難しいように、サヨク脳を無く
す事は出来ないと思います。地道に「アンタ、合理的に
考えてる?」と問うしかない。ココに管理人さんが延々と
ナニしているように。

あっ、私は、サヨク≠左翼との認識ですので・・

さて
>大きくパラダイムシフトしている国際関係
 ということで現状を見ると、トランプ次期大統領の中国叩きがより鮮明になってきているように思います。

 マスコミも、ようやくトランプ次期大統領が何も知らないのではなく、分かっていて交渉を有利に進めるために経済面も安全保障面でも過激に出ているとの見方をするところがでてきました。
 原子力空母カール・ビンソンを中心とする第1空母打撃群が派遣され、南シナ海などで演習が行われそうですが、今朝のTV番組では、米中による台湾有事には「存立危機事態」に該当すると思うが、その場合に日本は具体的にどうするのかとの主旨の質問を下村元文科大臣にしていました。


 従来、米国は”反米に加え弾圧的な内政?”の他国に対して、批難し(オバマ大統領がウクライナやシリアでしたように)干渉して内紛を誘発したり肥大化させたり介入をしてきました。

 しかし、トランプ次期大統領は、”米国ファースト/公平”な通商が出来る(敵対的な脅威を与えてこない)他国に対しては内政に対して”正義”をかざして干渉することはないと思われます。
 また、「方法にかかわらず、結果を出していると評価する指導者には敬意をもって対応する」とも解釈できる姿勢を示しているとも思います。(ドゥテルテやプーチン、安倍首相も、孫さんもそうかもしれません。)

 そのようなトランプ次期大統領にとって、中国は”発展途上であったことやリーマンショック渦中での経済貢献の期待から、世界が大目に見て許してきた優遇を今も当然のこととして、我が物顔で世界の経済と安全保障を牛耳ろうと混乱させ、それを拡大しようとしている。”と見えているのではないでしょうか。

 さて、中国はどう出るでしょうか。日本はもちろん、沖縄も準備が必要なはずですが。

ueyonabaruさんは、ブレない自己設定の為に歴史や文化に関して戦後にかけたフィルターを外して向き合い直すべきと、常々述べられているなと私は思って拝読しています。
ここのコメント欄では比較的善し悪し好き嫌いをはっきりと書かれるのも、決めつけ押し付けではなくご自身の立ち位置の表明かと。
これを右傾化とか懐古主義と呼ぶ人もいます。
実際なんでそっちに振りきれるかなあ、としか思えない人がいますしね。でも決定的に違うものです。
その違いをスマートにメディアで表現できているので三浦氏は今引っ張りだこなのでしょう。

私も若いころは左翼でした・・・と振り返るにはまだそんなに経験をつんだ人間ではありませんが、日本の左翼的思考回路というものは、小中学生が抱く権威への反発程度のものでしかないと思います。
本来は、大人になるにつれて、現実と理想を見比べて、リアリストとして生きていくようになるものなのですが・・・うーん、沖縄に集ってる「赤い旗を掲げる方々」は、どうやら、小中学生の反発程度の思考回路をもったまま、大人になってしまった人々のような気がします。
そして、定年退職して先祖返りしたお年よりも、年を重ねて老練な認識で周りを諭すのではなく、「中二病的」な行動原理でまわりに言葉と素手の暴力を撒き散らしています。

真の左翼、リベラルとは、命を懸けて「自由」を守るものであって、その対象は権力者にだけに適用されるものではありません。
それが中国だろうが、仲間の赤い人々だろうが、自由を抑圧するのなら命を懸けて戦います。
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を聞くと、欧州の左翼の命をかける自由への覚悟がありありと分かります。

かえって、日本の沖縄に集っている基地反対派の人々には、それだけの命がけの覚悟はあるでしょうか。
ないと思います。だって、中国の軍艦がいくら押し寄せても、沖縄の漁民が中国により自由を抑圧されても見てみぬ振りをしている。
彼らは戦う相手であっても自分の都合で知らぬ存ぜぬを繰り返してきました。
私は、沖縄の基地反対派は左翼ではないと思っています。
彼らは「反政府組織」。それ以上でもそれ以下でもないと思っています。
反政府組織でしかないから、平気で中国や韓国の反日団体と手を組めるわけです。

左翼ですらない人々に、左翼としてのあり方を問うことは、意味があるのかな・・・、などと考える時もあります。

さて、沖縄本島では反基地運動が盛り上がっておりますが、私、以前に那覇市の公設市場の2階でお酒飲んでいるときに、とある初老の方と意気投合して酒を酌み交わすことになりました。
その方は、石垣島出身で、私が石垣島の友人を訪ねると語ると、八重山への来訪をとても喜んでくれると同時に、こんな事も話し始めました。

「ゆう君、君にとっては、琉球というと、沖縄から与那国島まで全てをさすと思っているだろうけど、これだけは言っておくよ。八重山は八重山であり、琉球じゃない。私は、八重山人として「琉球」と一括りにされるのは違うと思っている」

このときが、私が「八重山」を意識した最初だったと記憶しています。
その言葉があったからか、離島に残る「オヤケアカハチ」の碑に、何か特別な印象を持ちました。

今左翼が盛んに喧伝している「オール沖縄」、この言葉は私にとっては、何も意味のない空疎なものに映ります。

相対的に物事を考える
難しいです。

思えば義務教育で、端的にですが戦争は悪いとしか教わっていないと感じます
社会に出て、海外の人と接して初めて自分が自分の国を説明出来ない事を痛感しました
海外の彼等は基本的に相対的なものの見方ができています。あるいはそういう教育を受けているのだなと感じられます

ueyonabaruさん

なるほど、中国海軍が通過しても特に気にならない程度なんですね。
本土が騒ぎ過ぎなのかな(^^;

辺野古の「アベビンタカボチャ」「スガあほかぼちゃ」という画像、活動家たちは韓国思考に似たり寄ったりと思いました。
反日のための反対活動、沖縄のためじゃない。

今日は日曜なのに、内容充実のコメ欄でしたね。
マズローの五段階欲求説なんかも出て来たりして、各コメ読み応え十分で勉強になりました。

そもそもどのような歴史観を持つにしても、それは各人の自由ですね。
それは豊富にあってよい。
しかし沖縄では、沖縄をとりまくアカデミズムやメディアによって歴史観が一様に塗りたくられている感じが確実にするし、その事に危機感があります。

ブログ主様のコメは「琉球王朝はいずれにしても立ちゆかない政権であった」、それならば斜陽の「清」か、日の出の「日本」に寄るほかなく、そうであれば琉球王朝の選択は結果的には正しいものであった。
そこに強制もクソもないし、それがわからないのは当時の「琉球を取り巻く世界情勢」に目を向けない事によるものだ、という事になるかと思います。

事実と本質に一番近似する至極まっとうな歴史観と思いますが、沖縄ではこのような歴史観を採る院生は絶対に助教になれず、研究者としての未来はありません。
研究室に在籍する事すらが困難です。

題名だけの記憶しかありませんが、「全体主義の島」というタイトルの本があったと思います。
まさに、そういう事なんだろうと思います。

山路さん
>事実と本質に一番近似する至極まっとうな歴史観と思いますが、沖縄ではこのような歴史観を採る院生は絶対に助教になれず、研究者としての未来はありません。
研究室に在籍する事すらが困難です。

親戚に関西の考古学出身がいまして、その方もまったく同じことを述べています。
沖縄の特に戦後の歴史関連の出版本が眉唾というのはそういうことです。

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