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2017年2月20日 (月)

今の日本のPKO論議は16年ズレています

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もう少しPKOについて続けます。

まずPKOとはなんでしょうか。「戦闘」と書いてあった日誌が廃棄されていようとどうでもいいと私は思っています。

首相答弁では電磁的に残されているのは確認されているそうですから、それ自体騒ぐべきことではありません。

問題は別にあります。

なぜそこまで「戦闘」という言葉にこだわるのでしょうか?

理由はPKO5原則の一項にある、「紛争当事者間で停戦合意が成立していること」に抵触するからです。

だから極度に「戦闘」という言葉を、まるで腫れ物に触るように扱います。

でも、少し考えて見てください。

つい先だってまで内乱をして、分離独立したばかりの南スーダンの内情が安定して平和的なはずがありません。

そのほうが不思議です。

実は南スーダン情勢が複雑なのは、内戦直後だからです。

ここでPKOがどうして始まったのかまで、いったん巻き戻してみましょう。

大戦の結果生れたのは、「国際連合」でした。

これが連合国(ユナイテッド・ネーションズ)と同名なのは偶然ではなく、戦勝国が戦後国際秩序を作るに際して、二度と日独のような「侵略国」をつくらない仕組みとして国連を作ったからです。

終戦直後の国連の発想は、世界で起きる戦争は常任理事国、つまりは戦勝国ですべて仕切るというものでした。

ですから当時は国連が指揮して、侵略を仕掛けてくる悪い国を成敗する「国連軍」を構想していました。

この国連軍構想は変則的に朝鮮戦争で一度実現しましたが、常任理事国間紛争の震源地なのですから、うまくいく道理がありません。

そこで、マイルドな国連軍としてできたのが、先日の私の表現でいう「古典的PKO」でした。

これは、紛争国が停戦を実現してからおもむろに割って入って、停戦監視をしたり、破壊されたインフラを修繕したり、選挙監視などをすることです。

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日本は相当に遅れて、1992年のカンボジアPKOからこれに参加しています。出したのが自民党最左派の宮澤喜一氏だったのは皮肉なことです。

それはさておき、当時はまだのどかだったんですね。

米ソ二大親分が世界を仕切って睨みを効かせていましたから、今のようにテロだ内乱だ、宗教紛争だ、民族浄化だなどと殺伐としていませんでした。

今回の南スーダンなどはその典型ですが、国家間戦争ではなく、「内戦」です。

国民を保護すべき国家がまともに機能しておらずに、時には国民を虐めまくっているのがその国の軍隊だったりします。

本来、こんな内戦には手が出せません。

常任理事国(P5)ですら、ロシアがチェチェンでやったこと、あるいは中国がウィグルやチベットでやり続けている悪魔の所業を思えば゛他人の国にクチバシをつっこめる筋合いではないでしょう。

中国はチベットについて人権侵害を言われると、なんと切り返しているのでしょうか思い出して下さい。

「内政干渉をするな」、です。

内政干渉、これが長年に渡ってPKOの大きな縛りになってきました。

ところが、いまや世界は内戦の時代です。そこかしこで国家間戦争以上の犠牲者を出すようになってしまいました。

当時のPKOは中立的存在として、住民保護を目的としていなかったために目の前で膨大な犠牲者を救えませんでした。

そして結果的に、1990年代から始まるルアンダの80万~100万人、コンゴ民主共和国の540万人の犠牲者という途方もない犠牲者が積み上がっていったわけです。

たとえばルアンダです。

PKO部隊は、「中立的」「内政不干渉」という概念に強く縛られていました。

というのは、あくまでも武力行使、あるいは介入ではなく、文字通りピースキービング(平和維持)ですから仲介はしても、それ以上のことは禁じられていたのです。

ルアンダの場合、住民を殺しまくっていたのは、実は政権を握るフツ族民兵でした。

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彼らが政権から武器を支給されて少数派のツチ族住民を殺戮したのです。

これを目の前で見ながら、PKOは手出しを禁じられていました。

もちろん現場PKO部隊からは悲鳴のような住民保護要請が飛んでいました。

しかしこれを握りつぶしたのは、他ならぬニューヨーク国連本部だったのです。

なぜなら、住民保護をしてしまうと、受け入れ国との「戦闘」になるからです。

当時のルアンダも国連加盟国ですから、国連は「国連vs国連加盟国」の戦争に発展する可能性があると見たのです。

なにか、今頃になって、「戦闘」が日誌にあったと言って鬼の首を取った気になっている野党みたいですが、このようなことは既に25年前からあったのです。

そしてこのような惨劇に手出しを禁じられたPKO部隊はモラルが維持できなくなり、一国一国と撤退を始めていきました。

PKOは「自発性原則」があって、国連の要請に自発的U答えて各国が参加し、撤退も自発性に任せることになっているからです。

そして、いつしか完全にルアンダは人権と命の真空地帯となっていったのでした。

この後にさらに大規模なコンゴ民主共和国の大虐殺が続き、もはや国際社会は放置できなくなって、10年にも及ぶ投機の結果、「PKOの革命」と呼ばれる1999年の国連事務総長名によって、「住民保護」をPKOオペレーションに付与することに決まりました。

これが「PKOの革命」と呼ばれる、PKOの変革です。

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スーダンに話を戻しましょう。

スーダンは2011年に誕生した、もっとも新しい国連加盟国です。国際社会はこの新国家の誕生に好意的で、これを支えて独立を堅固なものにするためにPKOを派遣したわけです。

ところが、なんと南スーダンは自国内部で、大統領派と副大統領派に分裂を開始し、2013年から激しい内戦を開始し始めてしまったのです。

1999年の「PKOの革命」以前ならば、このまま櫛の歯が抜けるようにして一国一国撤退し、国連は止める術を持たず、やがてルアンダのような事になったことでしょう。

そして今や南スーダンPKO部隊の筆頭任務は、停戦監視から「住民保護」に切り替わりました。

ですから、撤退できないし、しないでしょう。

つまり、日本国内で「戦闘」があったらウンヌンと騒いでいても、そんなことは国連はとうに折り込み済みで、「住民保護」のためには武力行使を厭わないのです。

残念ですが、わが国の現状ではここまでです。

憲法を改正しないかぎり、自衛隊の眼前でどちらかの軍隊が住民の殺戮を始めた場合、彼らを実力で守ってやることは出来ません。

おそらくこれほど悔しいことは、自衛隊員にはないでしょう。

仮に現場指揮官のとっさの判断で、自衛隊がかけつけ警護の権限を最大限拡大解釈するかもしれません。

私は自衛隊なら眼前の虐殺を放置せずに、住民をわが身を楯にして守ろうとする思います。

その結果、当然のこととして、自衛隊員に多くの死傷者がでるでしょう。

その犠牲に今の日本のひ弱な世論がたえられますか。野党とメディアは待ってましたとばかりに政権攻撃を開始するでしょう。

私はアフリカ大陸には、日本の死活的国益はないと思っています。

資源的にも、地政学的にもです。 

割り切るべきです。

中国はPKOにこだわる理由は山路さんのご指摘のとおりでしょうし、彼らの爆食いエネルギー政策・武器爆売り政策の延長でしょう。

そういうスケベ根性でPKOをするならば、勝手にドロ沼にはまりなさい、といったところです。 

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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170214/k10010875991000.html

日本にはできることとできないことがあります。

そもそもアフリカ地域は、旧宗主国であるヨーロッパの責任分掌の地域です。

PKOでどうにもならなくなったら、NATOが出るしかないでしょうね。

そのヨーロッパ諸国が引いているのに、私たちが残る意味はないし、そのような外征型軍隊に自衛隊は作られていません。 

南スーダンPKOオペレーションは発展途上国部隊を中心にして残留し(これは国家としてのビジネスだと割り切って下さい)、先進諸国は引いて平和的支援に戻るべきです。

それもできる限り急いで。死者がでたら遅いのですよ。 

とまれ、政局でPKOを論議する悪しき習慣を野党はやめて、状況判断に徹するべきです。

そもそも民進党には、南スーダンに自衛隊を出した責任があるのですし、当時から「戦闘」という文字は日誌に踊っていましたが、彼らはただ見なかっただけです。

自分の尻ぬぐいを現政権にさせておいて、厚顔無恥の人たちです。

首相もこのていどのことにいちいち政治生命かけないで下さい。これが今の世界の常態なのですから。

テーマとすべきは、PKOの再定義に基づいた国際平和活動への協力の仕方そのものです。

コメントにありましたように「国力相応に地位と責任を引き上げたい」と首相が望むのは分かりますし、その努力には共感することが多いのですが、これがアジア地域なら話は別ですが、あまりに遠く、あまりに状況は悪化しすぎています。

そしてやるならやるできっちりと新協力法を作り、さらには恒久的な国際平和活動を支えられる憲法改正を議論の俎上に乗せるべきです。

 

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コメント

本来憲法9条を何とかしないままに今のPKOに参加するのは矛盾が多く、自衛隊員に負荷をかけすぎです。
そういう議論から始めるべきなので、一旦引き上げるのが筋でしょうね。
ただ、現状では日本が引き上げると雪崩のように撤退が始まる可能性があり、やりにくいという側面も理解はしますが、この問題で首相辞任のようなことが起きると、せっかく安定した日本の政権が失われるので、撤退に一票ですね。

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> この国連軍構想は変則的に朝鮮戦争で一度実現しましたが、常任理事国間紛争の震源地なのですから、うまくいく道理がありません。

 国連軍というのは、朝鮮戦争時にあったが、それからはないということですね。

> そこで、マイルドな国連軍としてできたのが、先日の私の表現でいう「古典的PKO」でした。
これは、紛争国が停戦を実現してからおもむろに割って入って、停戦監視をしたり、破壊されたインフラを修繕したり、選挙監視などをすることです。

 マイルドな「古典的PKO」

> 私は自衛隊なら眼前の虐殺を放置せずに、住民をわが身を楯にして守ろうとする思います。

 そうだと思いますね。

> 割り切るべきです。

 住民が犠牲になってゆくの見過ごすというのは、耐え難いものがあります。何もしなくて良いのでしょうかね。

> 日本にはできることとできないことがあります。
そもそもアフリカ地域は、旧宗主国であるヨーロッパの責任分掌の地域です。

 ヨ-ロッパの責任範囲なんでしょうね。

> コメントにありましたように「国力相応に地位と責任を引き上げたい」と首相が望むのは分かりますし、その努力には共感することが多いのですが、これがアジア地域なら話は別ですが、あまりに遠く、あまりに状況は悪化しすぎています。

 ヨ-ロッパの責任の地域だったとしても、何か日本ができることはないのだろうか? 難民キャンプを造り住民を保護するなどの施策ですね。

> そしてやるならやるできっちりと新協力法を作り、さらには恒久的な国際平和活動を支えられる憲法改正を議論の俎上に乗せるべきです。

 そうだと思いますね。民進党の議論は小さすぎる。自民党ももっと大きな視点で国際貢献策を考えてもらいたい。ともかく支援策を出すことが大事であり、憲法があるから国際貢献もできないと、現憲法の責任にしてしまうだけでも能がない。今やるべきこと、できることを探りつつ、同時並行で憲法改正を目指すべきではないか。

私も昨日から我ながら矛盾することを書いていますが、要するに他の先進国並みの国になりたいとの願望です。
日本はG7では発言力もありリーダー的存在ですが、こと軍事面では力はありながら蚊帳の外です。
テレビの討論番組で、茂木政調会長が「緊急の課題として安保法案をやった。それでどこまで出来るのか出来ないのか。安保法案だけで行けるのならそれで良いし、行けないなら将来的には憲法改正も視野に入れないといけない」と発言されていました。確かに茂木政調会長が仰るように、海外に派遣した自衛隊が他国の軍隊の保護下でしか作業できないのは異常です。
今憲法改正論議をやっても世論は熟していませんし、現行憲法で最低限何ができるかを示したのが安保法案なんでしょう。防衛省のホームページには南スーダン派遣の目的を下記の様に説明しています。

我が国は、国際社会の責任ある一員として、主要国と協調して、南スーダンの平和と安定に積極的に関与すべきであり、特に、UNMISSの下、施設作業などの得意分野において行う人的貢献は、国連の期待に応えながら南スーダンの平和と安定に貢献するとの観点から、大きな意義を有しています。諸外国などに自衛隊の能力を示す機会にもなり、我が国に対する信頼向上にも資するものです。


断じて偏見じゃなく、事実として、アフリカの多くの地域
は、日本で言うところの縄文時代後期ぐらいのところから、
現代へと飛び出て来たような所です。

まだまだ迷信も多く残っていて、人々の行動に影響を与えて
いるし、衛生の観念もまだまだだそうです。部族同士の抗争
などと聞くと「ぶ、部族ぅぅ・・」と唸ってしまいます。
大伴氏・物部氏・蘇我氏・中臣(藤原)氏らより前じゃん?

先進国が撤退したくなるのも解ります。大きな声じゃ言え
ないけど、多分グチャグチャなんだと思う。自衛隊は戻し
た方がいいわ。日本だって戦国時代は物凄い殺戮の時代
だったけど、どこの誰も来てくれなかった。それで仕方
なかった。酷い事を言うようだけど、殺し合いをしない
と人間は進化(反省)しない生き物なのかも。犬死する可
能性が出たら、即撤退ですわ。転進です、転進!

コソボ紛争ではNATOが介入していますね。
その意味でも、南スーダンでは日本の出る幕は無いのでしょうか。難しい問題です。

ueyonabaru様

湾岸戦争などはアメリカ中心ではありますが、主要国が参加していますので国連軍とは言えないでしょうか。

コソボは地続きのNATOとしては安定させたい意欲を持てたと思います。
湾岸戦争時の派兵は多国籍軍というくくりで動きましたね。山形さんの前のコメントに戻る訳ですが、あの金だけだしたとハブにされたトラウマからはや四半世紀です。
先進国が求められる国際貢献のバリエーションも世界地図の色分けもずいぶん変わりました。
アフリカ大陸については、2度塗りした程変わりましたが私達はそれが元は何色だったかも調べなおさないとわからない程遠い位置にある。
むしろ中南米の方がまだ関わりがあります。陸のど真ん中よりも機雷や海関係のフォローに回るとか、そっちの方が役に立てそうな気がしますが、近所の海が手薄になるのも困ります。海自は手一杯でしょうか。

陸自にももっと主体的にアジア安定の役割を担わなければいけない時が近い将来くるのではと私は思います。それが南アジア山岳地帯なのか南シナ海の島国達なのか、環太平洋という括りで南米の太平洋側の地域なのか。
そこではもっと腹をくくった関わりが求められるでしょうし、今回撤収して法改正や改憲に取り組む様をアジア諸国に見せて、秩序立って頼もしいと思ってもらう事が第一歩だと思います。(東アジアの意見は敢えて書いていません)

アフリカの部族紛争を追うと物凄さに心が撃たれるのですが、アジアもこれから色々あると思います。イスラム政教分離の星トルコがあんなことになっていますし、インドネシアは大丈夫なのかと心配しています。

ふゆみさん。同感です。
「陸自にももっと主体的にアジア安定の役割を担わなければいけない時が近い将来くるのでは」

私もそう思います。そのために今、はるか離れたアフリカで躓くななと言っているのです。

いったん下がって、きっちりと「住民保護」をPKO任務に書き加えることです。

日本がPKOの筆頭任務に、国連PKOの「住民保護」を掲げたら、アジア諸国と米国はその真の意味を理解すると思います。

要は、あなたが言うように「腹をくくれ」ということに尽きます。

逆方向に腹をくくる道も、実はあるのです。
日本がもっと他国に対して戦略的に限定的な付き合いをするという、ある意味偏屈な道ですが、人口が減って行く中でもう四半世紀かけて不可能ではないプランかもしれません。
川口マーンさんの書かれたスイスとの比較本を読みながら、ここ数年の「開いて行く国際的な日本の夢と責任」にこの先日本人が疲れる日が来る事を思い浮かべました。団塊世代が鬼籍に入り出す頃でしょう。
その頃私の子供達は社会人になります。どっちへ舵をきっていたとしても、私は昼寝のくそババアをきめこみながら、あー9条を変えておいてよかったとその時に独りごちたいです。

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